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2005年8月の日記
8月31日(火) 約1ヶ月を大阪の実家で過ごし、26日に香港へ戻って来ました。
大阪からの飛行機は香港人だらけ(乗客の推定90%が香港人)でしたが、
意外なことに香港人に囲まれている方が、なんだかホッとする自分がおりました。
だんながお守していた家の中はぐちゃぐちゃになっており、タオルというタオルは黄ばんでおり、
風呂も垢で真っ黒になっておりましたが、一番驚いたのは、だんなの部屋に放置しておいた
息子のランドセルに、カビがびっしり生えていたことです。
日本滞在中色々ありましたので、書いておきます。愚痴ですが読んでやってください。

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8月4日に大阪に来るといっていた義姉夫婦ですが、ドタキャンされました。
義姉の肝機能が悪くなり、旅行に対してドクターストップがかかったらしいのですが、
うちのだんなから「姉ちゃんが大阪に行けない」というキャンセルの電話がかかって来たのが、
大阪到着日の朝だったので、私は慌ててしまいました。
というのも、義姉夫婦は大阪到着の翌日から和歌山・白浜へ一泊旅行することになっており、
その宿(民宿)は私が手配しておったのです。

宿ちゅうのも「民宿に泊まりたい」、でも「部屋にバストイレ付きでないとダメ」、しかも
「できるだけ駅前」かつ「できるだけ安上がり」という注文が義姉から寄せられ、
私は「そんなん無いわーい!」と、こだまするほど心の中では叫んではおったのですが、
せっかく金払って旅行しよるんやから・・・と思い直し、義姉の意向に沿う宿をネットで探しまくり、
宿の方にも「外国人の受け入れはできるんか?」という確認の国際電話までかけ、
その度に「外国人は困る」とあっさりあしらわれ何度も何度も玉砕した末、
やっとのことで1軒の民宿を探し当てたちゅうわけだ(桂ざこば風・1点)。

しかも、義姉到着というまさにその日の朝、「なにか予約に手違いがあってはあかん!」と
思った私は、白浜の民宿に「明日、香港人がお宅の宿に行くからね、部屋空けててね、
待っててね、よろしくね」ちゅう予約再確認の電話まで入れてしまったところだったのです。
電話を入れたところの、ほんの数十分後に、だんなから、ドタキャンを、知らせる、電話が、
かかってきてしもたのです。
白浜の民宿にもう一度電話し、受話器を握り恐れ入りながら事情を話しますと、
宿の人は「いいよいいよ、キャンセル料も要らないよ」といってくれたので助かったのですが、
今後は、香港人からの、頼まれ事で、一生懸命になるのはよそう、と、痛感した次第です。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
義弟が、ずっと付き合っていた彼女とついに入籍しました。
あのような姑がいることがわかっている身としては「おめでとう!」という祝福より先に、
「まぁがんばりや〜、うっしっし」ちゅう感じなのですが、お幸せに!
(根性ババ色ですんません)

7月23日(土) 明日から1ヶ月ほど大阪に帰ります。全然更新できなくて、申し訳ありません。
日本からも掲示板の方には時々書き込みしますので、どうか覗いてやって下さい。
それでは9月にまた!

気になる義姉ですが、8月初旬に大阪へ来るようです、とほほのほ〜
7月13日(水) 学校が夏休みに入っている所も多く、今日のバドミントンはメンバーのほとんどが、
子供連れてやって来たのですが、中に1人、子供連れならぬ「おばば連れ」のメンバーがおり、
個人的にはツボにはまりました。
そのおばばはといいますと、我が家のおばばのように目付き・人相は悪くないものの、
おばばパーマ、化繊のまだら模様おばばシャツ、化繊のテロテロおばばズボンに、
ペッタンコの合皮の靴、カバンは肩から斜めがけという、典型的なおばばルックだったのです。
しかし、おばば連れでやって来たメンバーは、スリムなボディに長い黒髪も美しく、
セクシーなハスキーボイスをお持ちの、私が日頃から「キレイなぁ、キレイなぁ」と憧れている
姐ちゃんでしたので、おばばと姐ちゃんのギャップがショッキングでありました。

皆どういうきっかけで、ああいうおばばパーマをあてるのだろうか?
私もあてる日が来るのだろうか?
7月9日(土) 上の息子が通う小学校の個人懇談会でした。
担任の葉先生の開口一番は、「あなたの息子は悪さばかりしてます」でした。
息子からは何度か、先生に叱られた話や、職員室に呼び出しになった話や、
教室の後ろに立たされた話や、休憩時間没収の懲罰に処せられた話は
聞いていたのですが、先生もほとほと困っていたのかもしれません。
具体的にどう悪いのかを聞きますと、授業中に大声でしゃべる、教室を走りまわる、
友達とふざけて叩き合う、などのようで、何度注意しても改まらないのだそうです。
何度注意しても改まらないのは家でも同じことで、改まらないというよりも、
先生から注意されたり私に怒鳴られたりしたら一瞬はシュンとなり改まるのですが、
すぐ忘れてしまうのがポイントなのですな。
こういうのは性格によるところも大きいのでしょうか。効く薬はあるのでしょうか?

貰った成績表には「3年基(基というのは3クラスある内の一組)に進級」と書かれてあり、
ひとまず安心してしまったのですが、家に帰りますと、クラスの『悪さ軍団』のメンバー数人から
次々に「3年何組になった?」という探り合いの電話がかかって来たのです。
その電話の様子では、『悪さ軍団』は3組それぞれに2人づつ、うまいこと振り分けられて
しまったようです。それでええ。
7月5日(火) うちのだんながどこからか、ホテルお食事券500ドル分(7千円程度)を入手しましたので、
本日は家族3人(下の息子は幼稚園行き)揃ってインターコンチネンタルホテルで
ランチビュッフェを食して来ました。
年に一度くらいはおばば一族でビュッフェに行くのですが、連れて行ってもらうのはいつも、
どちらかというと高級度の低いホテルですので、そのビュッフェの料金も低いが質も低く、
来ている客も庶民層ですので、数少ない料理を押し合いへし合い奪い合い、
おまけにお皿てんこ盛りでかっさらっていく・・・というバトルフィールドなのですが、
本日のホテルはビクトリアハーバ−の眺めも良い(っていうても眺めなんかにゃ目もくれず
ひたすら食べていたのですが)、比較的高級に属する所のようなのです。

テーブルに案内してもらった後、まず冷たいお料理部門に突進した私ですが、
そこには魚介類や珍しい野菜類を惜しみなく使用し、見た目も美しい豪華なお料理が
盛りだくさんでして、息子には「(原価の安い)トウモロコシとソーセージは取るなよ」と
言い聞かせておりましたが、このクラスのホテルのビュッフェになりますと、
トウモロコシなんて置いてありませんのね(知らなかった)。

刺身の種類も豊富なのです。日頃は高価すぎて絶対買えませんので、
口賤しいのではありますが、息子は甘エビ、私はマグロをここぞとばかりに食い溜めしてしました。
そしてマグロ刺身を1サク分ほど堪能し終わった私は、熱いお料理部門に向かったのです。
そこもなかなかの充実ぶりでしたが、このクラスのホテルですとラムチョップ、もしくは
ラム塊のローストなんちゅうものがあると思って多いに期待していましたのに、なかったのです。
それだけが残念。
インド系お料理にもトライしましたが、当たり前かもしれませんが、すごく辛いのです。
この辛さのせいで、せっかく食べたマグロ刺身の生臭さ満喫の感動が薄れてしまいましたので、
私の足は再度マグロに向かってしまいました。
そして最後はデザート部門に進んだのですが、ここのムース・プリン系列は絶品だと、
舌の肥えていない私から申し上げておきます。

デザートを食べ進む前に、だんながウエイターを呼び付け、大人にはコーヒー、
息子にはオレンジジュースを注文してしまったのです。
よそのテーブルのオレンジジュースを盗み見ますと、どうみても手絞り、どうみてもフレッシュ
ですので、コーヒーはともかく「オレンジジュースは別料金とちゃうんか???」と、
私はものすごく心配になったのですが、回りを見渡しますとオレンジジュースを頼んでいる人も
結構多く、もしかしたらビュッフェの料金に含まれているのかもしれない、という気持ちも
拭えなかったのです。
そして食後、テーブルに運ばれて来た料金明細書には、ビュッフェ代金3人分の他に、
しっかり「オレンジジュース 65ドル(約千円)」も記載されていましたので、
明細を見つめながら、私もだんなも静かに硬直してしまいました。
オレンジジュースを注文していた他の人々の中にも、我々同様に料金明細書を見て
硬直している人はいるのでしょうか?

料金には飲み物が含まれているんか!?なんて、オドオドビクビクぜずに食べてみたいものです。
7月8日(金) 幼稚園のお母様たちと一緒にバドミントンして来ました。
コート代の51ドルを立て替えてくれている蘇太が途中で帰ってしまったため、
今日は蘇太の代わりに私が皆からお金を徴収したのです。
蘇太も入れて総勢8人で51ドルですので、1人当たり6ドル(約100円)徴収ということにし、
残りの3ドルは私がかぶることにしたのです。
「1人6ドルです」といいますと、皆いっせいに自分の財布から小銭6ドル分を取り、
私の手の平に差し出しますので、1ドルコインやら2ドルコインやらで、小銭だらけに
なってしまいました。
そして数えてみますと、皆から6ドル貰ったはずですのに、36ドルしか無いのです。
途中で帰った蘇太を引いてもこの場には7人いますし、42ドル集まっていなければ
おかしいのです。

確かに皆からお金は貰ったはずやのになぁ、おかしいなぁ、せっかく皆で団結して
バドミントンしてるのに、こんなお金のトラブル!しかもこんな小額すら払わないで
ずらかる奴がいてるなんて気ぃ悪いなぁ、でもこんな小額で文句つけるのも
これからのお付き合いを考えたら面倒やしなぁ、だいたい、なんでこの私が
お金の管理をせなあかんねん!あ〜、イヤイヤ!などと考えていますと
だんだん腹が立って来まして、帰りは自転車をこぎながら
「払ってない奴だれや、ゴルァ!おばはーん!」と、心の中で絶叫していたのですが、
よく考えたら、払ってない奴は、お金の徴収に必死だった私でした。
疑ってすまん。しかも、私もおばはんなのに、「おばはん!」だなんて、すまん。
7月3日(日) 義弟の婚約者が中国・シンセンから香港へやって来ました。
彼女の歓迎も兼ね、夜はおばばの家で晩餐会がありましたが、
新しく家族の一員になろうとする者に対する気配りなどは何もなく、
やはりいつものごとく激しいピラニアの宴と化しておりました。
おばばの家ではかなり大きい円卓を囲んで食事しますので、遠くの皿のおかずは
立ち上がり体を前屈させた上、箸を伸ばさないと取れないのです。
この私でさえ、いまだに立ち上がっておかずを取るのは躊躇しますのに、
新参者の嫁がガツガツできるはずもなく、義弟の彼女は目の前にある皿だけを
摘んでおりました。
義弟もちょっとは彼女に気を遣い、遠くに置かれたエビやらカモやらの比較的豪勢なおかずを
取ってあげればいいものを、ひとりひたすらバクバク食い進んでいる様は、
うちのだんなの結婚初期を思い起こさせてくれました。

食事中は義姉がひとり、食べている米粒を飛ばす勢いで、義弟の彼女に
なにやら質問を浴びせていたのです。
話の内容から、どうも彼女の出身地である湖南省について聞いているようで、
義弟の彼女も口数は少ないもののにこやかに応対していたのですが、
私には会話言語が理解できず残念だったのです。
しかし自宅に帰る道すがら、うちのだんなが「うちの姉ちゃん、そのうち弟の嫁からも
嫌われるで〜」というのです。
話を聞いてみますと、義姉が質問していた内容というのが、
「村ぐるみで売血している地域が湖南省にあると新聞で読んだが、それはお前の出身地か?」
なんていうものだったのです。
存分に嫌われてくださいっ!

おばば一族の男どもは、どいつもこいつも気が利かず、
女どもはどいつもこいつも思い付くことペラペラズケズケしゃべりやがって、脳味噌ないんかああ?
6月27日(月) 昨日の夜から下の息子がひどい咳をしており、呼吸も苦しそうなのです。
幼稚園は休ませ、朝一番でお医者に行きますと「気管支炎です」といわれ、
薬を色々もらって帰って来たのですが、なんと間が悪いのでしょう、
こういう日に限って、昼からおばばが奇襲をかけて来てしまったのです。

おばばは息苦しそうに横たわる息子を見て、この嫁(私)は何をしとるんや!とでも言いたげに
まずチッと舌打ちし、「なんでや?なんで医者に連れて行かん?連れて行った!?
連れて行ってこの有り様か?なんでや?薬は飲んだんか?飲んだやと!飲んでこの有り様か?
今すぐ別の医者に連れて行け!なに、連れて行かんやとぉ!お前が連れていかんのやったら、
エーイ、ワテが連れて行くわ」などとドラ声はりあげ、矢継ぎ早に食ってかかって来ましたので、
その時点で私はかなりむかついておりました。

次に息子の頭を触り、「ちょっと!熱があるやないか!」と挑んで来ましたが、
本当に熱はなく、熱もないのに「あるやないか!」と馬鹿騒ぎする様がとっても腹立たしく、
こちらも怒りのメーターが上がってきましたので、「ない!熱なんかない!」と激しく返答しますと、
おばばも顔色を変え、憎憎しげに「もう一回、今、薬を飲ませ!」と迫って来ましたので、
「何言うてんねん!もう飲ませたわ、今は飲まさなくてええんじゃ!」と、
私にしては今までにないくらい、強い調子で言うてみたのです。
私の反抗的な態度が気にくわないのでしょう、おばばは次に息子の腹をさわり、
「風や!風があるやないか!」と、今度は私が全く知識を持たない漢方路線で迫って
来ましたので、そこでさすがに私も「う〜む・・・」と黙ってしまいました。
風ってなんやねん!

そして私が黙り込んだのを見て、おばばはすかさず、「風があるんや。風がある時は、鶏卵を
腹に塗るとよろしい」と、いつものごとく、ナンセンスきわまりない『オババ民間療法』を
強要して来たのです。
「風がある」のひとことでシュンとなってしまった私も「鶏卵」の語句を聞くとずっこけ、
タマゴやとぉ!何言うとんねん、ゴルァ!と、怒りが復活しました。
この『オババ民間療法』には、これまで何度も踊らされ阿呆をみて来ている私ですので
今日こそは従わず徹底的に応戦し、おばばの鼻をへし折ってやるのだ!と、
内心はやる気まんまんだったのですが、応戦できるほどの語学力が私にはありませんので、
「鶏卵?汚いねん!ダメ!ダメダメダメダメ」と、ひたすら頭ごなしに拒絶してやりましたら、
鶏卵療法はなんとか諦めたようなのです。
しかしタダでは起きないおばば、今度は我が家の食卓の椅子をガガ−ッと引きずり棚に寄せ、
棚の上から何かを取ろうとしているのです。

なにすんねん?と思いながら見ていますと、おばばは自らが「万能!」と信じてやまない、
インドネシア製の茶色くニオイも臭くおまけに胡散臭い油の小瓶を握って、寝室に戻って
来たのです。捨てたと思っていたあの小瓶がまだ我が家にあったなんて、私も知らなんだわ〜
この茶色の小瓶の憎いやつは、おばばが私の目を盗んで息子の乳児湿疹に勝手に塗ったり、
息子の火傷に塗ったり、打ち身に塗ったりし、「勝手にへんなもの塗ってくれるな」と思う私は
以前から何度も泣かされていますので、「それは臭いし、効かへん!ダメ!」と
怒鳴るように言うてみたのですが、おばばもドラ声張り上げ「効くんじゃ!」と、
今度は一向に引き下がらないのです。
「効くんじゃ!」「効かへんのじゃ!」の押し問答が続き埒が開きませんので、
私はだんなに電話し、「今、お前の母親が我が家に来て、わめいている。
もう一回医者に連れて行けだの、熱があるだの、風があるからタマゴを腹に塗れだの、
あの『臭い油』を塗れだの、1人でわめいている。医者には朝連れて行って薬も飲ませたが、
病気はすぐに治るもんでもない。しんどいのは辛いが、今はどうしようもない。
もう一度別の医者に行って何になるのだ。タマゴや『臭い油』を塗って何になるのだ。
病人の目の前でドラ声張り上げ騒ぐのが一番良くない。
お前は、お前の母親が即刻退去するよう導かねばならない」と訴えている最中、
臭い油はしっかりと、息子に塗られておりました。

その後もおばばは一向に帰る様子もなく、「あ〜可哀想、あ〜しんどいなぁ」と息子に話しかけ
ながら、さすったり抱っこしたりしてますし、とりあえず別の医者に連れて行くこととタマゴ塗りだけは
阻止できましたので、もう後は勝手にどうぞ!と観念した私は台所で夕食の用意を
していたのです。
しばらくすると、おばばが慌てて台所にやって来て、「ちょっと!すごい汗やねん、
なんか拭くもん貸して」と言いますので、息子の様子を見に行きますと、
冷房も扇風機も止められたクソ暑い寝室で、ぶ厚い布団を首のところまでかけられ
汗だくの息子が、薄目を開けて相変わらず息苦しそうにしておりました。
これだけ暑かったら、汗かくに決まってるやろ〜〜〜〜!
扇風機をスイッチオンにして、おばばと息子に向けてやりますと、おばばは、「風があるんやから、
風は当てるな」のような、わけのわからない事をずっとわめいておりましたが、もはや
おばばに取り合うのはやめ、返事もせず全て無視し、おばばにぎゃあぎゃあ言われるので
ずっと我慢していた居間の冷房もオンにしました。もうこっちもヤケクソです。
さぞかし「この馬鹿嫁!」と思っていることでしょうが、私も「この糞ババァ!」と
思っていますので、おあいこですね。

近頃ではおばばより義姉に煩わされることが多かったのですし、おばばも3月に病気してから
パワーダウンしたか?と思っていましたが、やはりおばばは不滅でんな。
6月23日(木) 幼稚園のお母様たち4人から「一緒にバドミントンしよう」と誘われました。
王太(王さんの奥さん)や劉太(劉さんの奥さん)、蘇太(蘇さんの奥さん)という、
人畜無害なメンバーが揃っていましたので「いいよ」と即答し、どこでするのか聞きましたら、
王太が「公営体育館のコートを借りてしよう」と言うのです。

公営体育館は使ったことがありますので、参考のため「朝なら1コート1時間 51ドルやで」と
言ってみますと、一人当たりの負担額が51ドルだと勘違いされてしまったのでしょうか、
「51ドル?高いなぁ」と、いきなり話は暗礁に乗り上げてしまったのです。
「1コートが51ドルやから、人数で割ったら減るで」と言うてみたのですが、どうも通じていないのか、
王太と劉太は「51ドル=高い」というので頭がいっぱいになってしまっており、
「あそこは冷房入ってるから高いねん。冷房の無い体育館でやろう」と言い出したのです。
冷房設備の無い体育館も私は1ヶ所知っていますので、
「冷房無しは1コート28ドルやねんけど・・・」とまず切り出し、その先に続くカラクリを説明しようと
思ったのですが、王太は「28ドル=さっきより安い」ということで頭がいっぱいになってしまったのか、
「そこにしよう!」と一人で即決しているのです。話を最後まで聞けっちゅうねん!

冷房無し体育館は私立の会員制でして、会員なら1コート28ドルで借りられるのですが、
非会員と一緒にプレイする場合、非会員一人につき5ドル徴収になるのです。
つまり、会員の私+非会員4人が集まれば、28ドル(私)+5ドルX4人=48ドルちゅうことになり、
冷房無しにもかかわらず、ほとんど冷房有りの公営体育館の51ドルと変わらないのです。
そのことを私は説明したかったので、サリーという名の、英語を話せるお母さんを呼び、
通訳を頼んだのです。
しかし、なぜかサリーの通訳が入っても、事態は一向に変わらないといいましょうか、
いつまでも『1人5ドル』という部分だけが脚光を浴びており、
王太も劉太も、「5ドルやったら安いわ!」のウキウキ状態で、話がちっとも進展しないのです。
サリーには「1人5ドルやけど、結局は総額48ドルかかるねん」と何度も説明し、
その都度サリーは「aha〜」とか「oh〜」とか、わかったような相槌は打つのですが、
ほんまにわかっとるんかいっ!

そこへ阿敏と呼ばれる大柄のお母さんがやって来て、話に加わったのです。
阿敏は私の話を瞬時に飲み込み、「5人でするんやろ?5人やったら冷房無しは1時間48ドルで、
1人の負担がだいたい10ドルやろ?冷房有りも1コートで51ドルやから、
これも1人だいたい10ドルやろ?それやったら冷房有りの方がいいで。
それに冷房有りの方は1コートが51ドルやねんから、人数が多くなればなるほど、
1人当たり安くなるで」と、話を噛み砕いて説明してくれた上、その極意まで語ってくれたのです。

阿敏の話を聞いた王太・劉太は激しく納得したようで、冷房有りの体育館でプレイすることに
心は決まったようですが、今度は、「ほんなら人数をいっぱい集めよう、10人集めよう、
皆で割ったら1人5ドルや」と、どこまでも「1人5ドル負担」に固執しようとするのです。
そうしてメンバーをもっと集めるべく、子供を送りに来た他のお母さんたちに向かって
「なぁ、あんた、バドミントンせぇへん?」と、手当たり次第に声をかけだしたのです。

確かに人数が増えた場合一人当たりの負担金額は減りますが、
バドミントンコートというのはそんなに広くありませんで、せいぜいダブルス・合計4人が一度に
使える程度ですから、10人揃うとなりますと、交代でプレイしなければなりませんし、
各自プレイできる時間がその分少なくなるのです。
「いや、10人はちょっと多過ぎ・・・」と思いながら、何と言うてええのかわからず
口篭もっていますと、またもや阿敏が、「10人もおったら1コートでは無理やで、
2コートは借りなあかんで」と正論を述べてくれまして、
そうなると結局、1人5ドル負担では済まなくなるのが、王太・劉太もわかったようで、
先ほどまでの激しい勧誘はそこでストップしました。

結局、通訳してくれたサリーも加わり、合計6人で1コートを予約することになりました。
「予約はどうする?」と聞きますと、「皆で行こうや、これから行こうや」と王太・劉太が
ノリノリで言いますので、そのまま大雨の中を6人揃ってぞろぞろと、体育館まで向かったのです。
そして予約カウンターに着きますと、さっきまでワァワァと少女のように盛りあがり、
話の中心にいた王太と劉太は突然物静かになり、その代わり、
さっきまでは押し黙って成り行きを見守っていた蘇太が静々とカウンター正面に進み出て、
カウンター嬢と渡り合い、手際良く予約しはじめました。
そして我々の希望日に予約が取れ、コート料金(先払い)の支払いの段階になりますと、
王太・劉太その他2人は音もなく拡散し、壁の掲示板などを見るフリなどして、
その場を離れてしまいました。お金は私が出しました。

場の盛り上げ役の王太・劉太、静かだけど実行力のある蘇太、頭の切れる阿敏、
誰がよいとか悪いとか言うのではありませんが、
「人間ってそれぞれ役割があって、この世に生を受けているのやな」と、
なんだかしみじみ思いました。
  「日本に一緒に行きたい」(6月18日の日記を参照して下さい)といわれてから
義姉の動きが非常に気になるのですが、今年は大阪行きの航空券が高価なようで、
今のところ来れる段取りにはなっていないようです。

ナゾだったのは、どうして毎年毎年「うちの実家に泊まらせろ」という話になってしまうのかですが、
うちのだんながぽろっと漏らしたことによりますと、それは「試している」ちゅうことらしいのです。
相手のリアクションを見て、「どれだけ自分に忠義心があるか」を試しているらしいのです。
泊まれるかどうかはあまり需要ではなく、相手が自分の頼みや願いをこころよく受け入れてくれる
人物なのかどうかを判断するため、「泊まらせろ」と迫るらしいのです。

これがどこまで義姉の真意に近い話かはわかりませんが、
私の、『実家にお泊まり断固阻止度』が500%にはねあがったことだけは、間違いありません。
6月 メタルママの日記に『納豆ローション』なるものが紹介されておりましたので、
手荒れが気になる私も作ってみましたが、原料費をずぼらしたせいで大失敗しました。

納豆に含まれるポリグルタミン酸というやつが、お肌のカサカサに潤いを与えてくれるらしく、
このローションも、「納豆からポリグルタミン酸を抽出し、それを水で希釈する」だけという、
それほど難しそうなワザを要するものではなかったのです。
なぜ失敗したかといいますと、ポリグルタミン酸を抽出するのに使用しなければならない
『99.5%無水アルコール』を薬局に買いに行ったところ、
それがなかなか高価(39.5ドル=600円程度)であったため、どうしようかかなり悩んだ末、
同じ棚に並んでいた消毒用75%アルコール(8.9ドル=130円程度)を購入し
それで代用してしまったからなのです。

作り方によりますと、アルコールを加えることによって、「ポリグルタミン酸が白い物質となって現れる」
はずなのですが、私が作ったものは、納豆水とアルコールを混ぜたものが白濁しただけで、
ポリグルタミン酸らしい物質は、な〜んにも抽出できなかったのです。
白濁してしまったのは、抽出されるはずのポリグルタミン酸が溶けてしまったためと思われます。
仕方が無いので、白濁した『納豆水アルコール』なるものを手に塗ってみましたら、
今まで使ったハンドクリームなどでは体験したことないくらい、べたつかずしっとり潤うではありませんか。
でもやはり納豆くさく、愛用はできそうにありません。
安く上げようとして結局損した。
6月18日(土) 夜、息子2人が寝る横で私もゴロゴロしていましたらまどろんでしまい、
「もうこのまんま寝たろ」と、布団をかぶって本格的に眠る体勢に入っていたところへ、
帰宅しただんながまっすぐ寝室に飛んで来まして、とっても大変なことが起こってしまった!
というような様子で、「あのなぁ、うちの姉ちゃんなぁ・・・」と言うのです。

顔つきがあまりに深刻でしたので、これは絶対いい話ではないと感付いた私の脳裏には
入院、もしくは事故、もしくは倒産、もしくは浮気、もしくは借金などという、どちらかというと
不幸な語句が次々浮かび、思わず息を飲みながらだんなの言葉の続きを待ったのですが、
その先に続いたのは、
「うちの姉ちゃんなぁ、お前と一緒に日本に行きたいらしいねん」でした。
先ほどまで心地よくまどろんでいたというのに、目ぇバッチリ覚めてもたっちゅうねん!

絶句しながらも詳しく話を聞きますと、私と息子2人が日本に里帰りする同日同便の
飛行機に義姉とその夫も乗るから、その日は私の実家で1泊させてくれ、ちゅうことのようです。
夫婦で、でっせ。
しかし、帰国する飛行機は夕刻便ですので、日本着が夜の9時、それから入国審査を通過し
荷物を取ったりした後、空港を出て2時間ほどかかる実家に辿りついたら、
おそらく夜中12時前になってしまいます。
その夕刻便を手配したのは旅行会社勤務の義姉ですので、到着時間も知ってるはずですし、
3年ほど前に一度、うちの実家にも泊まったことがありまして、空港からめっちゃ遠いことも
義姉は知っているはずなのにです。夜遅くに、でっせ。
加えて、今年はうちのだんなは日本に来ないのです。だんながいないのに、でっせ。

義姉には毎年のように、「私もあんたらと一緒に日本に行くで」とからまれるのを阻止して
いますので、今年こそ、私も『年貢の納め時』ちゅうやつでしょうか?
と思いつつも、やはり同日同便の飛行機で来られ、着いたその日の夜遅くに、
今ではもう勝手のよくわからない実家で、息子だけでなく義姉夫婦の世話もするなんて、
私には切り盛りできそうにありませんので、譲歩案として「日本に来るなら別の日にしてくれ」と、
回答しておきました。今年もう一度来たら、義姉も気が済むでしょうか?

それにしても、義姉と私の毎年の攻防を知っている複数の友人からここ最近
「今年はお姉さんはついて来るの?」と、たて続けに聞かれたのですが、
その度に「今年はうちのだんなが来ないから、義姉も来ないよ。大丈夫〜」と、
高らかに安全宣言(?)をしてしまった矢先のことなのです。わたしゃまだまだ人間が甘いでんな。
飛行機に乗ったら隣に義姉が座っていた・・・ちゅうことにはならんよう、
今日から毎日、神様に祈りたいと思います。
6月7日(火) 散髪して来ました。
私の髪は剛毛な上に量が多くややクセもありますので、普通にばっさりカットしてもらうだけでは
髪が広がりすごいことになってしまいます。
そこで「すいてくれ」と言いたかったのですが、『髪をすく』という単語がわかりませんでしたので、
「レイヤー」と言ってみますと、「ああ、レイヤー入れるんやな?」と、美容師のおばちゃんも
わかった感じの相槌を打ちましたので、私はすっかり安心し、後はおばちゃんの手に全てを
委ねることにしたのです。

するとおばちゃんはハサミを取り出したかと思うと、髪の毛をジョキジョキ切るのではなく、
ちょうど布を裁断するかのように、ハサミを私の髪の上(?)で滑らせ、シャーシャーと髪を
そぎ出したのです。カミソリのようにハサミを使う、とでも申しましょうか。
その、ハサミが髪の毛を滑り、時々ズズズズと刃が引っかかる感じが、黒板を爪で引っ掻くのに
似ておりまして、なんとも気色悪く寒イボが立ってしまったのと、「キューティクルに悪そやなぁ・・・」と
思うのとで、「ああ、早く終われ〜」と願わずにはおれませんでした。
そして結局、ハサミをシャーシャーする作業だけで、おばちゃんのカットは終了してしまいました。
「ナチュラルでしょ?いいでしょ?」と、おばちゃんは満足そうに手鏡をささげ、
私の後ろ姿を見せてくれたのですが、そこはものすごい段カットになってしまっており、
しかも、薄くそがれた襟足だけ、やたらと長く残っており、80年代のアイドル歌手を彷彿させる
髪型だったのです。掘ちえみが一時こういう髪型をしていたような記憶がありますが、
それが掘ちえみならいいのですが、私は顔がおばはんなので、ちっとも似合っていないのです。
「えらいことになってしまった・・・」と思いながら帰宅し、だんなに見せましたら、
「ええやんその髪型!New!」ということでした。香港人好みなのか?20年遅れとるで、キミたち。

友人が教えてくれたことによりますと、ハサミをカミソリのように使い毛先をビュンビュンはねさせる
カット法は、比較的新しいテクなのだそうです。
20年遅れているのは私でございました。すんません!(6月28日)
6月4日(土) 本日は下の息子の幼稚園の運動会でした。
運動会といいましても、どこかのグラウンドを借りて大々的に催すのではなく、
幼稚園の園庭で自転車競争したり、ボールゲームをしたりする程度のものでしたが、
一応A組とB組の2つに分かれ、優勝を競い合うことになっておりました。

息子と私はA組でして、親子で『2人3脚』と、『息子の投げるボールを私がザルで受ける』
ゲームに参加したのですが、どちらも惨敗でした。
特に、ボールを受けるゲームの方では、ゲームの主旨をまったく理解していないうちの息子
(アホなんか?)が、他の児童のようにアンダースローでゆっくりフワリとボールを投げてくれれば
いいものを、私めがけてオーバースローで思いきりボールを投げつけて来ましたので、
私は5球中3球しか受け取れず、そのせいでボールゲームはA組が負けてしまい、
勝利に命をかけていそうな一部のA組父兄の、冷ややかな視線を感じずにはいられませんでした。

5人一組の自転車リレーでも、B組走者に負けていた息子は折り返し地点まで到達してない
地点で折り返して行き、ズルしましたので、息子だけもう一度走り直しとなり、
そのせいでまたもやA組が負けてしまいましたので、私は肩身がいっそう狭くなってしまいました。

しかし最後の『おみこしリレー』で、それまでの戦いではA組のエース的存在だった丘兆海一家が、
夫婦の腕組みで作った『おみこし』を土壇場で崩してしまうというハプニングがあり、
そのせいでA組が劇的な逆転負けしましたので、うちら親子だけが戦犯とならずに済みました。
あ〜、よかった。
  最近、上の息子宛に女の子から電話がかかって来るのです。
どうも会話の内容は、「宿題やった?」とか「いま何してる?」「夕飯は何?」など、
他愛のないもののようですが(聞き耳立てている私)、その子からの電話の時に限って、
息子は人目(ちゅうか私の目ですな)をはばかるかのように寝室に隠れてコソコソしますので、
嫌がる息子を「誰?誰やのん?」と詰問にかけ、やっとこさ白状させましたら、
「kawaii や」と、親をなめた言葉が返ってきたのです。カワイイやとぉ?
確かに、カワイイというイングリッシュネームは香港ではまかり通っているのですが、カワイイやとぉ?
急いで集合写真をチェックし、「どれや?どれがカワイイや?」とまたもや詰問にかけた末、
息子が渋々指差したkawaiiは、かわいなかった。。。
5月30日(月) 下の息子は今年の9月に、就学を希望する公立小学校へ願書を提出しないといけません。
上の息子が現在通っている小学校(不人気校)へは、下の息子も入学できるのは
ほとんど間違いありません(だって定員割れしてるんだもん)ので、ここはダメ元で、
よその、人気小学校へ願書を出してみようかと思っている私なのです。
というわけで、うちの近所にあり、父兄に割と人気があるカソリック系小学校が
本日はオープンデーでしたので、ちょっくら見学に行って来たのです。

オープンデーにもかかわらず、朝一番に見学に来ていたのは私と息子だけでした。
(ほんまに人気校なんかいっ!)。
しかし、受付のおばちゃんすら英語ペラペラなところからして、上の息子が通う小学校との違いを
感じてしまいました。上の息子が通う小学校の受け付けのおさんに英語で話しかけますと、
「はぁ〜?」という返事しか返ってこないからです。
そしてさっそく副校長と名のる人が出て来て、校内をてきぱきと案内してくれました。
教室も覗かせてもらったのですが、どの先生も皆、真っ当な顔をしているというのでしょうか、
人相が良く、しかも輝くようにハキハキしており、学校を盛り上げよう、という気迫のようなものも
感じられ、生徒もこれまた人相が良く、素行の良さが感じられ、
最後に校内を徘徊(?)していた校長先生にも会えたのですが、
この方がとても若くて美しい女の人だったので、やっぱり人気校はちゃうなぁ、盛りあがっとんなぁ、
と思いましたが、うちの息子にも、私にも、ちょっと校風が合いそうにないなぁとも思ったのでした。
5月27日(金) 台所に立っておりますと、なにやら納豆臭いのです。
納豆は息子が毎日食べますし、「ゴミ箱に捨てた、その空き容器が臭いのかな?」と
最初思いましたが、そうではないようです。
次に、「台フキンが臭いのかな?」と思い、時たま納豆臭を発散させてしまっているそのフキンを
手に取ってみましたが、納豆臭はフキンからでもないようです。
しばし鼻をクンクンさせた後、私の顔のあたりが臭いことに気付き、臭いの発生源を
必死に探しましたら、それは私の髪の毛だったのです。
一度修理に来てもらったガス湯沸し器が再び点火できなくなって早や1週間強、
毎日水シャワーで洗髪していたからに違いありません。

その湯沸し器も、本日全ての修理が完了しまして(結局、買い替えてへんのんかいっ!)、
今夜は、晴れて温水シャワーを浴びることができました。
さようなら、納豆菌!
5月26日(木) 皆さん、観ましたか?チャンピオンズリーグの決勝戦、ACミランvsリバプール。
試合は香港時間・夜中2時45分からの開始でしたが、前半終了時、リバプールは3点差で
負けており、「えーい!もう寝たろ」と、よっぽど思ったのですが、寝なくて良かった。
サッカーのシーズンもそろそろ終了ですが、最後にええもん観せてもらいました。
5月25日(水) 今日は下の息子が通う幼稚園の参観日でした。
9時に息子を幼稚園に送って行って、そのまま参観が開始したのですが、
まずは幼児班(年少組)、息子が入っている低班(年中組)と高班(年長組)の3組合同の、
歌の時間でした。
その後各クラスに戻ったのですが、息子のいる低班は、今週は『卵』が学習のテーマのようで、
今日は実際に店で売られている鶏卵やウズラの卵、加工卵(?)のピータンや塩卵を
皆で観察し試食、感想を述べ合う、という授業でした。
うちの息子は広東語もまだまだ拙く、発音も幼児言葉の域を出られず不明瞭なのですが、
それでも積極的に発言しており、卵の試食もバクバクと率先してやり、私の予想とは裏腹で
結構楽しそうにしておりました。

それからお遊戯室でお遊戯だったのです。
子供が各人色んなタマゴやら、鳥の絵の描かれた帽子をかぶり、
担任の麦先生のピアノの演奏に合わせて踊るのですが、ピアノの演奏が止まるたびに、
鶏卵とお母さん鶏、アヒル卵とお母さんアヒル、ウズラ卵とお母さんウズラ、という風に、
各タマゴがお母さんの元に帰っていく、というお遊戯でした。
ほとんどおばあさんの領域に片足を踏み入れているといっても過言ではない麦先生は
ピアノは弾けるようですが、右手のメロディーは良いとしても、
左手の伴奏がずっーと♪ドソミソドソミソ♪のまんまですので、
ところどころメロディーとキーが合っていなく、不協和音になっておりましたが
先生ご本人は全然平気なようでした。まぁええ。

というわけで、幼稚園に通い出した最初1ヶ月の息子は泣き通しだったことを思うと、
「息子も成長したなぁ」と、しばし感慨にひたってしまいました。
9月からは高班になり、今よりももっと暗記せなあかん分野の勉強が増えますが、
幼稚園の先生にも、雰囲気にも満足していますし、息子本人も物怖じしていない
様子が伺えましたので、なんとかやっていけるかな?と、ちょっとだけ安心できました。
5月24日(火) とある薬局のおっちゃんに、私は韓国人と思われているのです。
最初に買い物に行ったとき、大変親しみのこもった口調で「あんた、韓国人やろ?」と言われ、
世の中には日本人嫌いな人もおりますし、店主と客というシンプルな関係なのだから、
どうせ私の身元も割れまい、この場合は、「はい」と答えておくのが無難であろうと考え、
「はいはい、そうです」と返事してしまいました。
するとおっちゃんは「やっぱりなぁ。顔が韓国や。あんた、英国生まれの韓国人やろ?」と、
なんで英国なのか根拠が???なのですが、ますます嬉しそうに問うて来ますので、
おっちゃんをがっかりさせたくないのもあり、またもや「そうです」と答えてしまったところ、
おっちゃんは自分の勘がビシバシ的中することに有頂天になってしまったのでしょうか、
「韓国人は美人!べっぴんさん!あんたもべっぴんさんやもんなぁ」と、
さほどお世辞でもない口調、というよりむしろ、羨望、憧憬といったポジティブな感情が
含まれた感じで言い出したのです。

個人商店などに買い物に行きますと、店主が時たま「そこのべっぴんさん!何買うのん?」と、
声をかけてきたりはするのですが、そういう輩はお世辞というよりも、
買い物に来た目の前の物体のていの良い呼称として「べっぴんさん!」と呼んでいるだけで
ありますので、この場合は「私?べっぴんやて、うふふ」などと喜ぶべきではないのですが、
この薬局のおっちゃんのそれは、どうも違うのです。ハートがこもっているのです。
よっぽど韓国のべっぴんさんに、いい思いをさせてもらった経験でもお持ちなのでしょうか?
とにかく、私のことを心底「べっぴん」と思っているらしく、そのように気持ちをこめて「べっぴんさん」と
呼ばれては私も悪い気がせず、その後もおっちゃんの前では韓国人ということで通し、
ヘラヘラしつつ、買い物を済ませていたのです。

しかし今日行きますと、「おっ、韓国人!美人ね美人!」と、おっちゃんが一通り
ちやほやしてくれた後、話題が、香港でも大ブレークのうちに放映終了しました、
韓国の大人気TV番組『大長今』(宮廷女官チャングム)のことになってしまったのです。
おっちゃんは、大長今の女優のことを「美人や、あんたに似て美人や(本人注:似てません)」と
感嘆しながら言い、番組内容について語り始めましたので、
韓国人ならきっと観ているべき人気番組を観たことがない私は、話についていけないのと、
韓国文化や物語の背景などについて聞かれ、うろたえることになっては困りますので、
「やばい、早く退散しなければ・・・」と内心焦りつつ、
顔はおっちゃんにヘラヘラしながらハンドソープを慌てて購入し、店を素早く出て来たのですが、
店を出る瞬間、おっちゃんがやや恥ずかしそうに「カムサンミダ」と、韓国語でありがとうを
言ってきまして、私は罪悪感で沈没しそうでありました。
ウソをついてはいけませんでしたな。

   注: 暗に「私、美人なのよ」と、読者の皆さんの想像をかき立て、期待させるつもりで
      この日記を書いたのでは、ちっともありません。
      私、どちらかというと、ブッ細工です。すみません。。。
5月 セブンイレブンのプレミアリーグシール集め(4月23日の日記を参照して下さい)は
大盛況のうちに(って私だけか?)終了しました。
日記に書いたのを読んで下さった方々からシールをたくさん提供していただき、
お蔭様で、贔屓にしている
マンチェスター・ユナイテッドの選手は、一人残らず集めることが
できました。20チームあるうち、全選手を集められたのは3チームだけです。
シールを譲って下さった皆様、シールのことを気に留めてくれた皆様、
それにだんなの生徒(コレ読んでないけどな)、本当にありがとうございました。

個人的にも、シールをもらうためにセブンイレブンでの買い物に明け暮れる日々でしたが、
私のようなおばはんが「シールを要るわけなかろう」と判断されたのでしょうか、
20ドル分買ったのにシールがもらえず、文句を言いたいのは山々だが恥ずかしいのと
なんと言ってよいのか言葉が出ないの泣き寝入りで、うちひしがれて帰路についたこともあれば、
それからもう一度シールがもらえなかった時、やはり諦めて一度はレジを立ち去ろうとしたものの、
「あかん!これではあかん!」と思い直し、きびすを返し店のおばちゃんに向かって「シールくれ!」と
言え、「私だってやればできる!」ちゅう達成感を味わえたこともあれば、
本来ならシール1袋しかもらえない買い物額なのに、子供を2人連れて行ったからなのか、
店のおばちゃんが好意で子供にそれぞれ1袋づつシールをくれ、子供まで
「お母さん良かったなぁ、良かったなぁ」と我が事のように喜んでくれたこともあれば、
袋を開けると本来3枚入っているはずのシールが4枚も入っていたこともあれば、
袋を開けると本来3枚入っているはずのシールが2枚しか入っていなかったこともあり、
悲喜こもごもではありましたが、人生勉強させていただきました。シールごときで。
5月16日(月) 先週の月曜日から、下の息子が発熱と咳で4日間も幼稚園を休むことになりました。
当初は38℃程度の熱と、「お腹がいたい」という症状があり、とりあえず近所の、
いつも暇そうだけど薬は効く医者に連れて行きましたら、「のどが炎症起こしてるから、
きっと風邪が腹にいった」ということで処置されたのです。

しかし、水曜日になっても熱は下がらず、お腹の痛みもとれるどころかますます痛むようですので、
私は「ひょっとして、虫垂炎では?」と、心配になって来たのです。
あまりにお腹を痛がりますので、思い切って公立の救急病院に行こうか非常に迷ったのですが、
公立の救急病院に行きますと、検査も診断も非常に慎重に(ちゅうか鈍いともいう)進められ、
「とりあえず入院しろ!」ということになりますし、一度入院しますと「お願い、帰らせて!」と
懇願しても、なかなか退院させてもらえない・・・という自分の経験がありましたので、
救急に行くとなりますと、それ相当の覚悟が必要になってしまうのです。

そうなりますと上の息子の学校の迎えやら諸々を、おばばに依頼しないといけませんで、
なにかと面倒なことにもなりますので、救急病院に行く前に、ちょっと遠いしいつも混んでいる
けれど信頼できる別のお医者さんに診てもらい、判断してもらおうということにしたのです。
そして診てもらいましたら、「痛がってるのは盲腸の場所とちゃうと思うで〜」らしく、
「扁桃腺が腫れてるわ」ということだったのです。
そして家に帰って来ましたら、咳と熱はあるものの、お腹が痛いのは治ってしまいましたので、
虫垂炎ではなかったようです。

そうして先週末にかけて、息子の方は快方に向かっていったのですが、
横で添い寝して息子の咳を顔面でまともに受けていたからでしょうか、
私も咳が止まらなくなり、体もだるく、のども痛くなってしまったのです。
「のどが痛い〜のどが痛い〜」と思いながらも、息子が2度も医者に罹った後では、
診察代のお金がもったいなく感じられ、私は医者には行かず数日我慢していたのですが、
いつまでたってものどの痛みはマシになりませんので、
昨晩サッカーを観つつ、「なんでかなぁ・・・」と思いながら手鏡で、なに気にのどの奥を
見てみますと、扁桃腺に白いブツブツがいっぱいできていたのです。
もはやサッカーはそっちのけで、懐中電灯まで動員(?)し、自分ののどの奥見物に
一生懸命になってしまいました。
これは『ヘルパンギーナ』ちゅうやつに似ています、ヘルパンギーナなのでしょうか?
こんなものに罹っていたのなら、私も医者に行けば良かった・・・。
しかしこれって、子供が罹る病気ちゃうん?

ということでさりげなく、日記を更新できなかった言い訳しておきます。うふふ。
  ここのところ、我が家では立て続けに家電及びガス器具がこわれていったのです。

まずはカラーテレビ。
これは以前から調子が悪く、突然プスン!と虚しい音を立ててはスイッチオフの状態に
なってしまうことが度々あったのですが、コンセントを抜いて十秒おいてからもう一度
挿し込むことによって、なんとか映るように回復させていたのです。
しかし、プスン!となる頻度も日を追うごとに高くなり、回復にも時間がかかるようになって
来ましたので、思い切って買い替えることにしたのです。

買い替える前に、今あるプスン!テレビを下取りしてもらわなくてはいけませんので、
そこらの路上で座って商いをしている「電化製品買います」屋さんに来てもらいました。
買います屋さんは、プスン!となる我が家の東芝テレビを見て、「つぶれてないよね?」と
聞きますので、うちのだんなも「時々プスン!となりまっせ」などとは答えず、
「もちろんつぶれてないさ〜」と返しますと、そんなに大した確認作業もしないまま、
即答200ドルで買い取ってくれることになりました。

予想外の高値買い取りに味をしめてしまったうちのだんなは、
子供にボタンというボタンを押しまくられ、今ではボリュームやイコライザーなどの調節機能が
すっかりおバカになってしまったステレオのアンプとスピーカーも「買うてくれ!」と、
買います屋さんにせがんでおり、結局、アンプ200ドル、スピーカーは300ドルで
買い取りしてくれることになりました。
これも我々には予想外の高価買い取りだったのですが、修理して中古マーケットに並べると、
それでも儲けがあるってことですよなぁ?

買います屋さんが締めて700ドルもの大金を財布から抜き取る一部始終を私は横目で
見ていたのですが、買います屋さんの財布には、ものごーっつい札束が詰まっていたのです。
あんな大金を所持したまま、見知らぬ人間の家にほいほいついて来てしまうなんて、
買います屋さんはなんと尻軽・・・ではなかった、なんと無用心なのでしょうか。

そうして大金700ドルを手にした我々は早速、最寄りの電機店に向かったのですが、
「ちゃんとした電機メーカーのやつを買いたい」と主張する私と、
「どのメーカーでもどうせ中身は一緒(中国製)なのだから、安いのでエエんじゃあ!」と主張する
だんなで意見が割れ、しかもだんなは電機屋を、それはもう何軒も何軒も回りまくって
価格リサーチしますので、「もう、あんたの好きにしぃや!」と私は途中で帰ってしまったのです。
そうしてその日の夕刻、だんなが選んだテレビが運ばれて来たのですが、
その大箱にはRasonicというロゴがついておりました。
いかにもパチもんらしきネーミングでちとハズカシイのですが、
遠目に見たらPanasonicに見えんこともないか?(見えへん見えへん)

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

次に壊れたのは、エアコンだったのです。
このエアコンも以前から調子が悪く、内部で回るべきファンが動かず冷気が出て来ない時があり、
風の出て来るところから菜箸を突っ込んでファンを手動回転させなあかんこともあると思えば、
冷え過ぎてエアコンのパネル部分(?)に氷が張り付いてガチガチになってしまったりするので、
夜中にエアコンを止め、汗だくで氷をカチ割ったりしたこともあったのですが、
「え〜い、なんで私がこんなことせなあかんねん!」とあんまり腹が立ちますので、
カスタマサービスに電話しますと、「お前んとこのエアコンは3年間の保証期限がちょうど過ぎて
しまったところだ。330ドル払えば直してやる」ちゅう態度なのです。
しかし買ってまだ3年では買い替えるのももったいないですので、仕方が無く、修理の手配を
してもらいました。

しかし、修理にやって来たおっさんも、エアコンカバーは外したものの、
ファンをボロロンと指で弾いて回転させるという、私がやった菜箸療法と同じようなことをしただけで
「修理した」と言って帰って行く気配ですので、「これは頻繁に動かなくなるのだから、
キミはもっときちんと修理しないといけないよ」と食い下がりますと、
「じゃあ、工場で修理するから、後日引取りに来るよ、また連絡するから」といい残し、
やはりとっとと帰ってしまいました。
その後、「明日2時から4時の間に引き取りに行くから、待っとけ」というカスタマサービスからの
電話があり、ちゃんと定刻通りに引き取りに来てくれたのです。
しかし引き取ったその日の夕刻に、またもやカスタマサービスから電話があり、今度は
「明日の12時から2時に届けたるから、待っとけ」と言うのです。
さっき引き取ったばかりやのに、翌日の昼に返却とは!?ほんまに修理したんかいっ!

と訝しくは思うのですが、今のところ、エアコンは正常に動いており、運転中の音も
やや静かになった気もしますので、一応修理してくれたのかもしれませんな。すまんな。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

その次は(もうええってか?)、ガス湯沸し器が点火できなくなりました。
このガス湯沸し器は、風呂と台所の温水を供給しているものなのですが、
住んでいるマンションができた当時から備え付けられているものですので、もう13年くらい
働き続けているのでしょうか。
もうそろそろ買い替えなあかんやろなぁ・・・とは思いつつ、ガス屋に修理のおっさん派遣を
依頼しましたらすぐ来てくれ、湯沸し器のカバーを外しますと私が見ても内部はサビだらけ、
なるほど「古い、パイフも古い」という診断でした。

香港では修理人と販売人の役割は分業されているようで、修理のおっさんの口からは
「奥さん、買い替えた方がよろしいでぇ」というようなセリフは一言も出なかったのですが、
「とりあえず種火部分は火が点くようにしときますけど、もって一週間」ちゅうことで、
それ以来、我が家の種火はオリンピックの聖火のように、昼も夜も、ずっと点いたままに
なっております。外出中は非常に気になるので、困りものです。

遅かれ早かれ買い替えねばなりませんので、だんなと共にガス屋の最寄りのショウルームへ、
新しい湯沸し器を物色しに行ったのです。
田舎町の小さな支店のショウルームとはいえ、このガス屋は香港で唯一の都市ガス供給屋
ですので、販売員がいささか天狗になっておるのでしょうか、
それとも我々夫婦の身なりがみすぼらしかったからなのでしょうか、
我々がショウルームに侵入した直後から、田舎町の店舗には場違いなほどピシッとスーツを
着込み、気取ってとりすましたおっさん販売員が2人とも、
いっせいに「あんた、なにさ!ふん!」的視線を投げてきたのです。

このショウルームは、ガス代を払いに来るところでもありますので、おっさん2人とも
経理事務が主な仕事なのかもしれませんが、ガス器具の展示もしているのですから
接客販売も仕事のうちなはずで、もうちょっとフレンドリーであって然るべきなのですが、
ニコリともせず全身から「ふん、なにさ!」的スノビーな雰囲気を醸し出しているのです。
女人の販売員でこういう態度の人はたまにいますが、香港人のおっさんでは珍しいのでは
ないでしょうか?
こんな田舎の店舗に配属(左遷?)され、毎日毎日、ガス代を払いに来たものの
もたもたして要領の悪い(勝手に想像)ジジババや、ただ涼みにショウルームに入って来る輩の
相手ばかりで、「やってらんねぇよ!」という感じなのでしょうか?

おっさんのせいで居心地は悪いものの、とりあえず湯沸かし器を物色していますと、
やや若い方のおっさんが、「ふん、なにさ!」という顔つきで応対に出て来たのですが、
こちらが聞かないと、ろくに説明もしてくれないのです。
しかも、「お前んとこのマンションにはこれしか使えないよ、ふん!」と、
4,600ドルもするマイコン内蔵型湯沸かし器を勧めてきたのですが、
我が家に設置されているのと同型の、手動で点火&湯かげん調節するタイプのものも
3,800ドルで展示されてありましたので、「これでも使えるんちゃうん?」と聞いてみますと
図星だったのでしょう、おっさんは「ふん、なにさ!」といわんばかりに顔をぷいっとそむけ、
座っていたカウンターに戻ってしまいました。

ガス屋のショウルームで買いますとガス器具の設置費用も含まれている上、
今後のメンテナンスのことでも何かと安心なのですが、「ふん、なにさ!」と思われながら
買わせていただき、おっさんの売上に計上され、ますます「ふん、なにさ!」と思い上がらせて
しまっては悔しいですので、こちらも最後は「ふん、なにさ!」という顔つきで
ショウルームを出てきました。

しかし、「ふん、なにさ!」とプリプリしている場合ではなく、湯沸し器を買わなくてはいけませんので、
ジャスコに行ってみましたら、ガス湯沸し器が売っていたのです。
こちらの販売員は気さくな上に、商品知識も豊富なおばちゃんでして、
「ターダ」というブランドの湯沸し器が今お買い得だよ、と勧めて来たのです。
おばちゃんは「日本の大阪のメーカーやで」と自信たっぷりにいうのですが、
大阪人の私は「ターダ」なんてブランド名を聞いたこともありませんし、
漢字では「多田」なのに「ターダ」とカタカナ表記しておるのもなんだか胡散臭い気がしましたので、
「ちょっと考えるわ」と、店を後にしたのです。
そして、家に帰ってすぐインターネットで検索してみましたら、ありました。
ガス器具ではなかなかの老舗なようです。おばちゃん、疑ってすみませんでした。

4月23日(土) Bettyさんが会長の、香港のロック好きが集う会のメンバーの中に、
日本に帰国される方がおりましたので、今日はお別れオフ会が開かれたのです。
私は今まであまりオフ会に参加できず、その方には一度も会えていなかったのですが、
やっとお会いすることができました。
初めまして!&さようなら!では寂しいので、日本に帰られても、どうぞよろしくお願いします。

そして、私はホクホクしております。
3月31日の日記で触れていたシールを、
こんなにたくさん寄贈してくれた人がおったのです。
どうしてもコレが欲しくて、私なんぞは300ドル以上費やしてるのに一度も出なかった
ロイ・キーン選手のシールも含まれております。素晴らしい!

このシールも、ロック好きのメンバーが集めて下さったのです。
「こんなシール、一体誰が集めるのん?って思てた」や、「こんなシール、コンビニの袋ごと
捨ててたわ〜」や、「このシールを集めたら何かあるんですか?」という、皆さんがふと漏らした
神をも恐れぬ暴言の数々は、この際水に流しましょう(笑)
私のシール集めに反応して下さった皆さん、ご協力いただいた皆さん、本当にありがとう!
4月18日(月) 本日、高校のクラスメートで、2年ほど前に香港にやって来た友人Nちゃんが無事に出産しました。

朝、息子を学校へ送りに行っている間に、Nちゃんからうちに電話があったのですが、
電話にでただんなは寝ているところを起こされ意識が朦朧としていたのでしょうか、
「N]ちゃんから電話やけど、今、病院に居るねんて」「病院って出産か?」「知らん」
「どこの病院や?」「知らん」「知らんって、産前検診か出産か、どっちやのん?」「検診やろう」
「検診でわざわざ電話して来るか?」「ほんなら出産やろ」「ちゃんと聞いときぃや!」と、
ねぼけたおっさん相手に話を聞いてても埒があきませんので、
Nちゃんが出産する予定の病院に、親戚を装って電話してみたのです。
そしたらやはり入院しているとのことで、「今から見舞いに行って来るわ」といいますと、
「あっちから電話かかって来るまで待っとけや。お前が行ってもしゃあないし」と、
だんなはぬかすのです。
しかし私には女の勘ちゅうもんが働いており、この朝早くNちゃんが電話をよこすとは、
きっと私に来て欲しいんや!絶対そうや!という確信があり、また、出産で入院となった折に、
身包みはがされ電話もかけさせてもらえない状況になった自分の経験がありましたので、
だんなのたわごとは無視し、さっさと家を出て来たのです。

「面会させてもらえなかったらどうしょう?」という私の心配をよそに、Nちゃんの出産する
私立の病院は、面会が大変ウェルカムなようです。私立ってそうなんでしょうか?
「さぁ、入って頂戴!見て頂戴!」という、やや無防備な感じさえ受けます。
しかし勝手に侵入し、後で何か問題が発生してもいけませんので、
「Nの親戚ですが・・・」と、おそるおそるナースステーションに名乗り出てみますと、
「あぁ、出産待機室におるから。おいでおいで」と、あっさり案内してくれました。

他には誰もいない、ひっそりした待機室に入ってみますと、奥の方のベッドに、
顔色が悪く唇がカサカサの小さいNちゃんが寝ており、私の顔を見るなり、
泣きそうな顔して「痛いなぁ」といいました。
陣痛はまだ2分置きにしか来ないようですので、「その痛さは序の口やで・・・・・・ふっ」と
私は心の中で思っていましたが、妊婦に絶望を与えてはいかんので、黙っていました。
Nちゃんは痛みに苦しみ、しどももどろになりながらも、「あ”〜っ、ル、ルームサービスで、
な、何か頼んだら?」とか「のど!のど、乾いてない?ぐぐぐぅ〜〜〜」と、
何かとこちらを気にかけてくれるので、何もできない私は、唇がカサカサのNちゃんのために、
せめて薬用リップクリームでも買って来ようと思い、「買い物して来るわ」と言って、
待機室を出て来たのですが、半時間ほどしてもどりましたら、
Nちゃんはもう分娩室に入ってしまっておりました。

さすがに分娩室には妊婦の夫しか入ることを許されていないらしく、
私は外で1時間ほど待っていたのですが産まれませんし、息子の迎えもありましたので、
Nちゃんを一人置いたまま、帰って来ました。
結局、私が去ってから半時間ほどして、無事産まれたようです。

「俺は絶対立会いするんだ!ビデオに収めるんだ!」と、あれだけ気合の入っていた
Nちゃんのだんなさんは、あいにく海外出張中で、ベビーの誕生には間に合いませんでしたが、
母子ともに元気でなによりですな。
しかしまぁ、うちのだんなちゅう野郎は、私の出産時も家でファミコンしており、
病院にやって来たのは赤子が生み落ちてからですし、
このNちゃんの出産時にも、「お前が行ってもしゃあないやろ?」という薄情さですし、
お前は、出産を、一体なんやと思てるねん!!!

話は代わりますが、昨日はここ香港でも反日デモが行われましたので、
息子が学校でからかわれたりしていないか、今日は特に心配だったのですが、
まだ小学2年生ということもあるからでしょうか、何か言って来るクラスメートもなく、
授業でそのことに触れたりする先生もいなかったようです。

うちの息子たちは父親が中国人、母親は日本人ですが、香港で生まれ育っていますので、
『香港の子・香港人』と呼ぶのが一番ふさわしいと、母親の私は勝手に思っておるのです。
この先香港が、今と変わりなく色んな情報も得られ、選択の自由もあり、
息子たちにとって住みやすい地であるよう、希望します。(お前だれや!?)
4月17日(日) 先月初めに入院していましたおばばもすっかり元気になりましたので、
快気祝のつもりも兼ね、うちのだんなが「西貢で、カアチャン(おばば)を囲んで
海鮮料理を食べよう」と、おっちゃん(義父)を含む家族の面々を誘ったのですが、
賛同したのは義姉だけでした。

朝10時半に我が家に集まり、バスに乗って向かうは海の綺麗なことで有名な西貢、
そこから小船に乗り継いで、橋嘴という離れ小島へと辿りついたら、ちょうと12時半でした。
私は念の為、お昼ご飯に巻き寿司を作って持参しておいたのですが、そもそも私は
日頃は冷えた物を一切食べないおばばが、寿司など食べるのを想定しておりませんし、
おばばや義姉もそれぞれ何か食べる物を持参して来るであろうと信じており、
寿司も余るほどには作っていなかったのです。
しかし、おばばも義姉も何も持って来ておらない上に、まだ海水浴シーズンには早い
離れ小島には売店などもあるはずなく、巻き寿司を総勢6人で分かち合って食したのです。
というわけで、お昼メシから少ないご飯に6人が寄ってたかる『ピラニアの宴』となってしまいました。
 
ピラニアの宴・イメージ図

離れ小島で3時間ほどカニを獲ったりして遊んだ後、小船に乗って西貢まで戻り、
港に漂泊している、活きた魚やイカ・エビ等の海鮮、またはイカ、エビ、カレイの干物等、
乾物類を商う小船の数々を見て回ったりしているうちに、夕飯時となりました。
そこへ突如現れたのが義姉の夫。私は半日にもわたりおばばのお供をしたというのに、
夕飯時に現れるなんて、ズルい!ちゅうのもありますが、この夕食だけのために、
住んでいる粉嶺から西貢まで、電車とバスを乗り継いで1時間以上もかけて来るなんて、
気合入っておりまんなぁ。
そして肝心の海鮮晩餐会は、もう書くまでもありませんね。
総勢7人で『4人世界』のセットメニュー、これまたピラニアの宴でありました。ぐっすん。
4月16日(土) どうして私は、こういう難儀なことに巻き込まれてしまいやすいのでしょうか?

今日は、息子が通う幼稚園の雑用係のおばちゃん・通称『霞姐』(ハーチェーと呼ばれている)
から、「バドミントンしよう」と誘われておったので、指定時刻きっかりの1時に幼稚園の園庭へ
赴いたのです。
そこには霞姐ともう一人、年少組に通っている男児『楽楽』のお母さんも来ておりまして、
連れて行った子供同士を遊ばせながら、我々3人は園庭でしばしバドミントンにこうじておりました。
しかし、1時間ほどすると雨が降って来ましたので、「もう止めよう」ということになり、
ひとまず、幼稚園の空いている教室で雨宿りすることになったのです。
すると霞姐が「なぁ、これやねんけど・・・・・」といいながら、私物の紙袋を持ち出して来たのです。

紙袋の中から色んなパッケージの小箱を数々取り出した霞姐は、「まぁ、あんたも座りーや」と
私にも椅子を勧め、楽楽のお母さんと私に、それらの小箱が何であるかを説明しだしたのです。
キレイなパッケージのそれらは、どうも化粧品だとか、顆粒タイプの健康茶のようですが、
どれもすごく高価なのです。
この顆粒の健康茶にしましても、1回1包服用するものが、10包入りで75ドルもしているのです。
霞姐は、製品がいかに優秀で、その飛ぶように売れる様をとくとくと説明し続けていますので、
私はてっきり売り付けられるのだと思い、「どうやって断わろか?どうやって断わろか?」ということで
頭がいっぱいになってしまいました。

しかし、話が進むにつれて、霞姐はどうやら私と楽楽のお母さんを、商品を売るコマンド、
いわゆる『ディストリビューター』ちゅうやつに仕立て上げたいことが判ってきたのです。
「香港には日本人、いっぱいおるやろう?あんたやったら売れるで」と、霞姐は私を
そそのかすのですが、もし私がそのように社交上手で話術にも長けているとしたら、
私は真っ先にうちのだんなの絵を、「将来有望な画家。投資しときなはれ。」などと
言葉巧みに騙くらかして、日本人駐在員の奥様がたに法外な値段で売りつけ、
今ごろは巨万の富(かどうか知らんが・・・)を築き上げてるちゅうねん!
こんな広東語のローカル幼稚園に子供通わせてないちゅうね〜ん!

話はそれましたが、その後霞姐が続けますことには、商品を売って稼ぐだけでなく、
商品を売るコマンドになる人を自らも勧誘すれば、そのコマンド達の売上の一部も
搾取できる販売システムになっているらしく、これは、まさに『マルチ商法』のようです。
こうなりますと、霞姐の言うことにヘタにうなづいたりしてヤル気があると思われてしまっては、
ますます厄介なことになってしまいますので、創業者である、やや胡散臭そうな中国人夫婦が
載ったパンフレットを一生懸命読んでいるフリをしながら、心の中では、
「幼稚園の父兄は他にもおるのに、なんで私がこんな目に遭わなあかんねん、
キリスト教の幼稚園のくせして、なんでマルチ商法の勧誘するおばはんがおんねん!
チクショウ!」と激しく神を呪いつつ、ひたすら「どうしょ?どうやって断わろ?」と
思っていたのであります。

「最初の資金として1780ドル要るねんけど・・・」と、霞姐の話はますます具体的になってきており、
私は、「お金が無いって言おか?」とか「夫に聞いてみます、って言おか?」など、断わる言い訳を
色々考えるのに必死になっていたのでありますが、
するとそこへ、「今からこの教室使いますから出て下さーい」と、神のしもべである教会の若者が
数人やって来て、我々を追い出しにかかったのです。
そのドサクサを幸いに、私は「ほなね〜」と言いつつ、自転車に飛び乗り
素早く退散してきました。神よ、呪ってすまんかった。

4月9日(日) 本日はおばばの家の裏山にある、ご先祖様の墓参りの日でした。
おばばは以前から「縁起悪いから、子供と妊婦は墓に来んでエエ」というお達しを
我が家に出しておりましたので、うちの息子達も、子守しなければならない私も、
墓参りに行ったことがなかったのです。
本日もおばばは、「お前らはワテの家で待機しとれ」と言い張ったのですが、
息子達が行きたがり、結局私も同行することになりまして、初の墓参りとなりました。

おばばの、といってもおばばの夫側のご先祖の墓なのですが、ここに辿り着くにはまず、
ビニールテープで囲われたよその家の畑のど真ん中を強引に横切っていかねばなりません。
畑にはネギやら香菜(コリアンダー、香草の1種)が等間隔に美しく植えられています。
畑を横断しますと雑木林があり、茂った草木を掻き分け入って行きますと、
すぐにコンクリートで固められた直径2mほどの墓が、ポツネンと一つ現れました。
おばばの家からは、ほんの5分ほどでしたが、道も無く、すごいところです。

早速鶏の丸蒸しや果物等をお供えをし、お線香をあげ皆で拝んだところで
おばばが険しい顔をこちらに向け、「お前ら、もう帰れ!」と切羽詰ったドラ声を
一発放ちましたので、もしかして何か見てはいけない秘密の儀式でも行うのかなと思い、
言われるままに息子を伴って退散して来ました。
そしてしばらくしておばばが家に戻って来ましたが、その手にはまさに、さっき横切った
他人の畑から引っこ抜いて来たと思われる香菜が、三株ほどしっかり握られておりました。
ということは、よその畑で悪さする場面を我々に見られたくなかったので、
「お前ら帰れ!」だったのかもしれません。
ともかく、実はおばばは先月体調を崩し三日間ほど入院しており、その後も「しんどい」と
こぼしていましたので、私もちょっとは少しは心配していたのではありますが、
抜け目無い今日のこの様子ですと、完全復調しているようであります。

その後おばばの家に義姉がやって来まして、「この近所で売りに出ている家があるので、
一緒に見に行こう」ということになりなりました。
その家は三階建ての一軒家で、屋上もあり庭もあるのですが、競売にかけられておるようです。
屋内に入ってみますと、床板も壁紙もとても綺麗で、廊下と階段は絨毯引きになっています。
1階は玄関とダイニングキッチン、2階には子供部屋によさそうな2部屋とお風呂、トイレ、
3階は広い1部屋とシャワー、トイレがありまして、「こんな所に住めたらええなぁ・・・」と
羨ましく思っていましたら、義姉もうわ〜うわ〜と感嘆している様子です。
そして私に向かって「私ら、3階でええわ」、というのです。それって一体どういう意味やねん!?
私の知らないところで、義姉夫婦と我が家の同居計画が着々と進められていたのでしょうか?
階上に義姉、そして徒歩2分圏内におばば、ちゅうことでしょうか?

興ざめした私は部屋の見学もそこそこに外へ出て、入り口でだんなを待ち伏せし、
だんなの顔を見るなり「絶対イヤやで!」と言葉のカウンターパンチを食らわせますと、
だんなは怒りの矛先が自分に向かないよう、
「はっはっは〜、そらイヤやわなぁ、はっはっは〜、俺もイヤやねん、はっはっは〜
同居は姉ちゃんだけのファンタジーやから、はっはっは〜、心配しな」と、ひたすら笑いで
ごまかしたのでした。ファンタジーってなんやねん!怪しい。
とにかく、今後の私に課せられた課題は「打倒同居、造反有理」、
全身全霊をかけて阻止しなければなりません。ガルルル。
4月5日(火) 左下の親知らずの歯の調子が悪いのです。
これといって痛くはないけれど、この歯は中途半端に生えていまして磨きにくく、
「きっと虫歯になっているであろう」という予感は以前からありながらずっと放置しておったのですが、
この夏こそ日本で抜歯してしまおう!と心に決めました。

しかし友人や実家の姉からリサーチしたところによりますと、下あごの親知らずというのものは
結構抜きにくく、抜けてもその後発熱したり顔が腫れたりして、日常生活に支障を来たす確率が
上あごより大きいらしく、「1週間は顔が腫れていた」やら、「3日間熱が下がらなかった」、
「痛み止めを飲んでも痛くて眠れなかった」という、抜歯経験者のおそろしい声を聞くにつれ、
日本で抜くのはよそうかと思いはじめたのです。
せっかく年に一度帰省するというのに、もしも1週間も寝たきりになってしまっては、
もったいないではないですか。

そこで、近所のまぁまぁ小奇麗な店舗の歯医者に行って、抜歯をするのにいくらかかるのか
目安を尋ねてみたのですが、1本抜くのに「普通で350ドル、難しいのは700〜900ドル」
というのです。ということは、最悪ですと一万四千円もかかるちゅうことなのです。
これでは懐も痛くなってしまいますので、別の歯医者をあたってみようと思うのですが、
うちの近所では他には店舗が汚いさびれた歯医者が数軒しか見当たらなく、
どうしたものでしょうか。
思えば私は歯を抜いたことがなく、麻酔事故や出血のことに思いを馳せるとますます
おろそしく、しかも抜くのは大雑把な香港人、ちゅうのが実は一番の恐怖だったりするので、
やはり日本で抜いた方がいいでしょうか?(誰に聞いてるねん)
4月1日(金) 本日はお誕生日だったらしく、「私の誕生日やから、ご飯食べに行くで!」という召集の電話を
自らかけて来た義姉なのですが、うちのだんなの気がかりは、「一体誰がお金払うねん」という
ことだったのです。
そこでだんなが義兄に電話して探りますと、「俺は200ドル(3千円)出資するわ」という返事だった
のですが、よく話を聞いてみますと、参加する有志は我が家の子供も入れて総勢8人、しかも、
義姉が「食べに行きたい!」と指定しているレストランは、イタリアンなのです。高いやんかっ!
電話を切っただんな、「8人も来るのに兄ちゃん200ドルしか出さへん言うてるし、姉ちゃんは
誕生日やから払わんでええし、イタリアンやったら200ドルで済むわけないし、ちゅうことは
俺が払わなあかんってことやん!俺は行かへんぞ!」と、言い出したのです。

考えてみますと、参加者は義兄〈200ドル)、義姉&その夫(払わんでエエ)、義弟(お金ない)と
我が家の4人ですから、『頭数』では我が家が半分を占めてしまう不利な形勢なのです。
しかし『食いっぷり』という観点からいきますと、義弟を筆頭に義姉&その夫も侮れませんし、
支払い免除な人々の方が激しく食らいそう、ちゅうわけですな。
だんなが渋るのも無理はない・・・・
しかし誕生日を祝うという一応めでたい席なわけですし、出席人数の半分を占める我々が
行くのをやめると言い出しますと、どうしても誕生日を祝う主旨が盛り下がりそうな気もしますし、
「いつも奢ったってんのに・・・この恩知らず!」だの「私の誕生日に、私に恥かかせた!」だの、
「あの嫁が陰で糸を引いてんねんで!」などと、悪口の花が咲きそうですし、
色んな事を考慮した上でだんなには、「いつも奢ってもらってるねんし、誕生日くらい
気前良く出したりーや」と、言うてみたのです。
だんなも欠席はさすがに「あかん」という気にはなって来たようですが、
それでも「なんで今日に限ってイタリアンやねん」というのが納得できない様子で、
今度は義姉に電話をかけ、「(高い)イタリアンはやめへん?」と交渉したのです。
しかし、私はイタリアンに行きたいねん!という義姉の意向は変わらず、
その代わり「私が上手くやったるから心配せんでエエ!」という言葉に言いくるめられ、
その夜の義姉誕生会はイタリアンレストランで、ということで決定してしまいました。

義弟と我が家の面々でレストランに出向きますと、義姉&その夫、義兄の3人はもう着席
しており、注文も済ませてしまったようです。嗚呼、嫌な予感が・・・。
私の予感は的中し、やはり運ばれて来たのは、『レストランでは頭数÷2の品数で良い』という
おばば一族の不文律どおり、スパゲティ2品、大判ピザ1枚、チキンの丸焼き1品の
合計4品だけでございました。「私が上手くやったるから・・・・」とは、これの事だったのです。
確かに予算的にはうまくやってくれたかもしれませんが、とうてい足りない4品を
8人で分け分けしましたので、楽しいはずの誕生会は当然ピラニア宴と化し、
料理は瞬く間になくなり、しかもバースデーケーキまで持ち込んで店の人に切ってもらったにも
かかわらず、コーヒーを頼むでもなく、8人揃って水でケーキを食べたのです。
私は透明人間になりたかった・・・・・。
3月31日(木) ジャスコで約二ヶ月(?)に渡り配布されていました、アニメーション映画『超人特工隊』の
バッジ集めも、なんとか24枚全部揃ったところで終わったと思いきや、
今度はセブンイレブンで、イングランド・プレミアリーグのサッカー選手シールの配布が
始まってしまいました。

20ドル(約300円)買うごとに、記念切手くらいの大きさのサッカー選手のシールを
4〜6人分無作為に入れた小封筒が貰えるのです。
しかし、プレミアリーグ所属は20チームもありまして、レギュラー選手11人が20チーム分
ということは、220人分のシールを集めなくては全部揃わないのです。
仮に、20ドルの買い物ごとに選手の重複なしでシールを6人分ゲットできたとしましても、
計算しますと740ドルも費やさないといけませんし、このような膨大な数の上に、
シールの絵柄を選べないとありましては、『重複なし』というのは有り得ませんので
220選手のシールを全部揃えるのは、自力では恐らく不可能ですし、
セブンイレブンでの買い物もほとんどしませんし、集める気持ちはさらさら無かったのです。

しかしながら、試しに一度シールを貰ってみますと、220人も選手がいる中で、
私が一番最初にゲットできたシールに、マンチェスターユナイテッドの愛くるしいルーニ−君が
含まれていたのです。確率 1/220なのに、です。私には運命としか思えなかった・・・・。
となりますと、ユナイテッドの選手だけはどうしても揃えたくなってしまったのです。
シールを揃える気になってしまった私は早速、シールを貼る台帳まで購入してしまい、
それ以来、牛乳と新聞はセブンイレブンで購入し、せっせと20ドルを消費する毎日なのですが、
皮肉なもので、ルーニ−ちゃん以降は「おまえ誰や!?」というような、
名前も顔も知らない選手のシールばかりが集まりまして、まったくトホホな有り様なのです。

ジャスコの場合、バッヂ配布期間の終了後に、バッヂを全部揃えることができなかった人々の
ために、手持ちの余りバッジを欲しいバッジと交換できるシステムを導入しており、
店の一画に交換専用カウンターを設け、店員を一人配属してまで、
交換サービスに徹していたのです。
我が家もこの素晴らしい互助システムによりバッヂ24枚を全部揃えることができたのですが、
セブンイレブンの場合はこういうサービスを展開するわけありませんし、
どなたか余りシール、もしくはご贔屓選手でないシールを、私と交換してくれませんか?
(↑長々と書きましたが、今日の日記のポイントはココだったりします。よろしくお願いします)
3月30日(水) 夕方、いつも使っている旅行会社のW嬢から、たたみかけるような口調の
電話がかかってきました。
「あのな、あんたの夏の日本への帰省やけど、ええ航空券があるねん。
マイレージの売買チケットや。安いねん。キャセイやねん。予約入れたるから
いつから帰省するか決め!早く予約入れな座席なくなるから、すぐ日取り決めや!」

W嬢は、このような彼女の独断に満ち満ちた電話を、毎年毎年
割と早いうちに入れて来たり、口頭で伝えるべく、うちにまで押し掛けて来るのですが、
この時点で彼女がイチ推ししているフライトで帰れた試しは、まず無いのです。
毎年必ず「7月前半やと安いねん!予約入れたで!(まだ学校休みちゃうちゅうねん!)」
「こっちの方が安いから予約入れといた、17日FIXやけどな!(1か月帰りたいちゅうねん!)」
などと、こっちの意向は二の次で、勝手に色々とやらかしてくれ、コロコロコロコロ
航空会社を変えてしまうのです。

結局、帰国直前になれば、私の希望にもW嬢の思惑にも沿った航空会社で
だいたい折り合いが付くのではありますが、それまでの紆余曲折が溜息ものなのです。
今年はどの航空会社で帰らせてもらえるのでしょうか・・・。
3月29日(月) イースター4連休最終日の今日は、海鮮料理屋が軒を連ねることで有名な鯉魚門に、
家族で出かけました。といいましても海の幸は店の外から眺めただけなのですが。

一度行ったことのあるだんなが「なかなかええ町や」という通り、狭い路地に海鮮を売る店と
それを料理して出すレストランが並んでいるのですが、派手さはなく、ひなびた漁村の佇まいを
残しています。
路地を出ますと海岸が見えまして、そこでしばし息子達とカニを捕らえたりしていたのですが、
浜にはレストランが投棄しているのでしょうか、海水で揉まれ角が取れて丸くなっているとは
いえ、飲み物の瓶の破片も多く、水もそんなに綺麗ではありませんので、
子供を遊ばせるにはあまり適当ではなさそうです。
そこで、しばし歩いて民家の集落を抜け、もうちょっと奥まった所の海岸に行きましたら、
綺麗な砂浜があったのです。水質も先ほどの所より、幾分よろしい感じもします。

波打ち際では一心不乱に何かを捕獲している人々がおり、そういう姿を見てしまいますと、
私も捕獲したくてたまらなくなってしまい、何を捕獲しているのかを急いで偵察に向かったの
ですが、それは黒い巻貝(?)でありました。食べるのでしょうか?
腰を落ち付け息子たちは砂遊び、私は相変わらずカニ捕獲、だんなは「火を起こすんや!」と
わけのわからないことをいいながら、狂ったように石で石を叩き始めたのですが、
カニ捕獲の合間にもう一度だんなの方を見ますと、きゃつは砂浜に座り込み、
ゲームボーイに興じておったのです。ピシピシッ!(ムチの音)

その後、私も息子たちと一緒に砂で遊んでいましたら、どこからかゴボゴボゴボ〜ッと
パイプの中をつたう水の音がしたのです。
音のする方向を見ますとそこには排水口があり、やがてそこからジャ〜ッと勢い良く水が
出て来まして、砂浜にわーっと広がり流れ、やがて砂地に吸い込まれていきます。
その排水に白っぽい、トイレットペーパー様の物体が混じっているのに目が止まりましたので、
やや?と思い、半信半疑で近づいて見ますと、それは紛れも無くトイレットペーパーだったのです。
となりますと排水の出所が気になりますので、もう少しよく観察してみますと、
排水には黄色い半固形物とモロモロも含まれていることが判明しました。
何も砂浜に流さんでも・・・。
黒い巻貝捕獲の人々は、この事実を承知しているのでしょうか?
我々が即刻退散したことは、言うまでもありません。
3月13日(日) 事の成り行き上、義姉夫婦と、我が家で夕食を共にすることになってしまいました。
あそこは夫婦揃って血液中のコレステロール値が高いらしく、卵エビイカ等は食べず、
肉も少なめ、油も使わず料理したりしているようですし、
一緒に外食しましても、「私ら小食に努めているから・・・」「高カロリーな料理は敬遠
してるねん」を口癖に、野菜料理や豆腐料理を好んで注文し食されているのです。
私は彼らの嗜好に合わせるべく、なるべく野菜がたっぷり摂れるような料理にしようと
力いっぱい考えたのですが、考えすぎて作るのがとても面倒になってしまい、
「野菜をいっぱい放り込んでおいたらええわな」と一人勝手に納得し、
安易なところで『鍋料理』を出すことにしたのです。

うちのだんなに聞きましても、「鍋でエエ」といいますし、義姉夫婦の健康のことより
己の財布の中身を考慮しているのでしょうが、「あの夫婦は肉より豆腐がいいやろ。
肉買うのはちょっとでエエ」などとも言いますし、仮に肉ばっかり買い込んで
「ワー!お前んとこは、そんなにたくさん肉を食べるのか?健康に悪い!
お金ももったいない!」などと非難めいたことを義姉に言われるのも悔しいですので、
葉っぱの野菜を3種、大根にきのこ系3種、豆腐二丁を揃えた上、
牛肉12切れ入り2パックと、豚肉1パック、それと念の為、牛肉ダンゴにイカダンゴ、
タコダンゴを買っておいたのです。

いつもは約束の時間にはたいてい遅れてやって来る義姉ですが、
今日は夕刻7時きっかりにやって来ましたので、ご飯のスイッチをまだ入れていなかった私は、
驚いてしまいました。
ご飯ができていないので、ぼちぼち先に鍋の方を炊き出したのですが、皿に盛った肉が
登場したところで、義姉の夫がすばやく肉のそばの席に座り、なべ奉行をやりだしたのです。

この人は、日頃はウンともスンとも言わずソファの片隅にぼけーっと座っている
『でくの坊』タイプの人ですので、この人が率先して鍋に肉を入れ出したのを、
最初は「ほほぅ、珍しいこともあるもんやなぁ」と、たのもしく眺めていた私でしたが、
肉を入れては煮立った瞬間、自分と自分の妻にだけすばやく分け与えてしまうのが、
このなべ奉行の特徴らしいことがだんだん解かって来ました。
香港の鍋スタイルは他人のことはお構いなしで、自分の食べたいものを勝手に入れて
勝手に食べるのが流儀なのかもしれませんが、このなべ奉行の正しくないところは、
私が入れたイカダンゴなども、煮えたところを清まし顔でサッとさらってしまうのです。
ずるいやんけ!

開始10分ほどで肉の半分以上が、なべ奉行とその妻によってすごい勢いで食べられて
しまいましたので、「このままでは肉を全部食べられてしまう・・・」と危機感を覚えた私は、
何か別のものできゃつらの腹を膨らまさせようと、「豆腐もあるよ」「ご飯入れたろか?」と、
色々勧めてみたのですが、肉とダンゴ系以外は眼中に無いようなのです。
ご飯に呼んだからには客人が食べてくれるのは嬉しいことなのですが、
日頃の彼らの言動と、今日の食いっぷりとを照らし合わせるにつけ、
「みんなで外食した時はちょっとしか肉料理をオーダーしないクセに!」
「イカ食べて大丈夫なんか!?」と、なにか釈然としないものが残る私なのでした。
3月 うかうかしてますので、早いものでもう、3月の中旬に入ってしまいました。
前回の日記以来、毎日色々と起こってはいたのですが日付を忘れてしまいましたので、
箇条書きしておきます。

下の息子が睡眠時に着用する、穿くタイプの紙オムツを買いに行きました。
息子は今年5歳で体重も20kgほどありますので、息子が入るサイズの紙オムツは
香港では結構高値なのです。
以前からその低価格で気になっていた『マミーポコ』という紙オムツも、
息子が穿けるサイズなのか、袋を見ただけではちょっとわからず今まで買えなかったのですが、
近所のスーパーでベビー用品フェアがあり、サイズの実物見本が置いてあるようですので、
出かけてみました。
マミ−ポココーナーには香港人のおばはん売り子が立っており、
私がビッグサイズのサンプルを手にとり、「これやったらなんとか入りそうやなぁ・・・」と思いながら
腹ぐりのゴムを伸ばしたりしていますと、「子供、何歳や?」と聞いてきました。
ビッグサイズは『12kg以上』と表記されてありますので、2歳くらいの子供用でしょうか。
ヘタに「5歳です」と正直に答え、「あかんあかん!5歳やなんて、そんなん入るかいな!」と
言われてしまっては買いにくくなってしまいますし、ここは香港ですから
「5歳やて?まだオムツ要るんかいな!?」などと、売り子にあるまじき攻撃的な言葉を
吐かれないとも限りませんので、私はとっさに「3歳です」とウソをついてしまいました。
しかし私の心配をよそに、この売り子のおばはんは、「あぁ、3歳やったら大丈夫!
このオムツは8歳でも10歳でも大丈夫!」という、私の上手を行くウソつきだったのです。
いくらなんでも10歳では穿けへんやろ、おばはんよ!


下の息子が通う幼稚園の学習の一環として、スーパーマーケットでのお買い物がありました。
各自10ドルづつ持って、買える範囲で好きな物を買い物するのです。
息子は何を買って来たかといいますと、中国製のミルク飴1本(2ドル)と、
チュッパチャップス1本+グリコのおまけみたいな物がカプセルに入ったもの1個(6ドル50セント)
でした。
この商品、パッケージは可愛らしくしてあるのですが、中身が伴っていないといいましょうか、
チュッパチャプスは通常1本2ドル程度ですので、この『おまけ付きで6ドル50セント』という
価格設定は、ぼったくりなのですな。
しかしまぁ、子供はこういうパッケージにコロッといてまうものなのですな。


だんなが映画を観に行こうと誘うのですが、キアヌ・リーブスの「コンスタンチン」というやつか
デカプリオの「アビエーター」の二者択一を迫るのです。
私はどちらも観たくないので「行かへん」と断わったのですが、「せっかく誘ってるのに、
俺の好意を無にするんか!」と拗ねますし、仕方が無いのでアビエーターの方を選びました。
しかし、「俺の好意を・・・」と、私に対して恩着せがましく言うわりには、
私のことより「俺」のことしか考えていないアレンジでして、油麻地まで40分もバスに乗り、
映画館に着いたらそれはもう開始の15分前だったのです。

私は朝から何も食べておらず、この後3時間弱も日干しではきっと餓死しますので、
映画館近くのマクドナルドでバーガーセット一人前を、「早く食え!」と急かされながら
だんなと半分づつ食べ、急いで映画館に戻りました。
そして映画を観終わったらもう午後2時40分になっており、息子が3時半に帰って来ますので、
バス停まで死に物狂いで走りましたら、なんとか間に合ったのですが、
こんなに慌てふためいて、映画なんか観に行きたないわい!

さて、肝心の映画の方はなかなかゴージャスな作りになっており、3時間弱の間に恋模様あり、
冒険あり、笑いあり、涙あり、陰謀あり、エッチあり、挫折あり、発狂あり、爆発もある上、
その隙間に愛と勇気と正義がまんべんなく散りばめられており、
観ていて飽きることはなかったのですが、「いい映画やったなぁ・・・観て良かった!」という
満足感もさほどありませんわよ、といった感じでした。
2月21日(月) 昨日で旧正月休みも終わり、今日から子供2人の学校も再開されました。
だんなも午後から仕事に出かけ、久しぶりにゆっくりネットしたろと思っていたのに、
おばば警報が発令されてしまいましたので、おばばの「今晩のおかずあるんか?
ワテが材料買って来たろか?野菜はこれ食べ」諸々、煩わしい指令をノックアウトすべく、
先手必勝で買い物にも出かけ、野菜も洗い、カレーも仕込み、覗かれてもいいように
冷蔵庫の中も綺麗にしておきました。

おばばは上の息子の学校が終わるちょっと前にやって来まして、
我が家にあった新聞をゆっくり眺め、ページをめくるごとに新聞をビリビリ破り
(どういう読み方してたら破れるのだ一体!)、私に今夜の夕食は何かと問うて
来ましたので、「今日はカレーです、日本式のカレーです」と答えますと、
「それは辛いのか?辛くないのか?」と続けて問いますので、本当は冷蔵庫には
『S&Bゴールデンカレー辛口』が入っておるのですが、「辛くないですよ」と
ウソをついておきました。
そうして下の息子の幼稚園のお迎えに行く時間になりましたので、
おばばに上の息子の守を頼み、行かせてもらいました。
下の息子を連れて戻りますと、おばばはすぐ帰って行きました。
上の息子に「あぽぽ(おばば)は冷蔵庫を覗いてたか?」と聞いてみますと、
「覗いてた。『なんでこんな寒いのに(気温8℃前後)、ヨーグルトなんか買うんや?』って
言うてた」そうですが、こっそり覗いている引け目があるだけに、
ヨーグルトのことは咎めたくても咎められないのでしょうな。ぷ。
2月13日(日) 今日は義姉と夕食を共にしたのですが、食事の席でうちのだんなが
「今度の土曜日に小学校の三者懇談会があって、俺が○○(上の息子の名)と
一緒に出席せなあかんねんけど、俺行きたないんやなぁ。学校行ったら腹痛くなるんや」などと
ベラベラベラベラしゃべっているのです。
それを聞いた義姉、元々こういう家族の大事にはしゃしゃり出たくてたまらない人ですので、
すかさず「私が行ったろか?」、だんな「行ってくれ」、と話が一瞬にしてまとまり、
義姉が「懇談会はいつやのん?何時やのん?」とノリノリで尋ねますので、
こういう会に義姉を出席させてしまったが最後、今後もっと我が家の教育問題に
深入りしてくることは明らかですから、私に残された道は断固阻止。
「ああ、それは私が出席しますから!」と宣言し、だんなには「お前義姉の後押しすんなよ〜
それからな、後で覚えとけよ〜」という気持ちを込めつつ、半ば威嚇しながら
「私が行くって言うてたやろ!な?」と言うたのです。
以前の義姉なら「お前では言葉が通じへんやろ?無理やで、私が行ったる!」と
なおゴリ押しして来るところですが、先日の広東語問題で私と揉めた件が尾を引いているの
でしょう、すごーく何か言いたくてたまらない様子ではありましたが、それ以上は何も言って
来ませんで、その場は収まったのです。
それにしても、うちのだんな。先日の私の『8年居るのに広東語しゃべられへん問題』では
私の肩を持ってくれただんなですので、奴のマザコン&シスコン思想もかなり改造されて
いると信じて止まなかった私でありますが、今日のコレは何やねん!

そしてその夜は大喧嘩。
「あんた、あんな人(義姉)を懇談会に出席させるなんて、どういうことよ!」
「なんであかんねん」
「私らが親やろ?親の私らが十分行けるのに、なんであの人に頼むんよ!」
「なんであかんねん」
「あんた、学校行ったら腹痛くなるとかウンコしたなるとか言い訳してるけど、年に2回行く
だけやろ!私が行って用足りるんやったら、最初から私が行ってるわ!私だって
行けるもんなら行きたいんじゃあ!でもあんたに行ってもらった方がエエと思うから、
あんたに頼んでるんやろ!」
「なんでそんなに怒ってるねん」
「だから!あの人の子供とちゃうやろ?あの人の子供の事とちゃうのに、なんであの人に
頼むんよ!しかも私の了解も無しにな!」
「なんであかんねん、行きたいって言うてるんやしエエやん」
「だから!あの人の子供とちゃうやろ?私らの子供やろ?それやのになんであの人に
うちの子供のことで、付け入る隙を与えるんよ!あの人はよその家のことになんでも首
突っ込んで支配したいだけやろ!」
「(『支配』の言葉に、だんなファイアー)心配してくれてるのに、どういう言い草やねん!」
「そやろ!他人の家族のことに首突っ込んで来て、『こうしろ、ああしろ』やいやい言うて、
結局自分の思い通りにしたいんやろ!」
「なんであかんねん」
「だから!うちらはあの人の家族とちゃうやろ!」
「俺の姉やろ!」
「だから!あんたの姉でも、私らは4人でまず家族やねん!あの人に入る権利はないねん!
あの人にも夫がおるやろ!あの夫婦の事にあんたが口出したりするんか!ないやろ!え?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「うちらは4人で家族なんや!子供のことで口出しして欲しないねん!それをあんたがわざわざ
チャンスあげるみたいに『懇談行ってくれ』やなんて、何考えてんねん、おまえ!」
「だって、あそこは子供おらへんし、可哀想やろ」
「それはあっちの都合やろう!自分のところに子供おらへんからよその家の子供に口出し
してええんか!だいたいな、一昨日も『○○(上の息子)だけ預かったるから連れておいで、
下の子はうるさいからあかん』とかいうてたけど、そんなん都合良過ぎるねん!
自分勝手に都合のいい時だけ子供の親気取りされても、こっちは迷惑なんじゃあ!」
「俺に説教せんでもええやろ!」
「あんたが家族のことに、他人を巻き込むから悪いんやろ!」
「俺にエラそうに言うな!」
「あんたが悪いんやろ!」
「俺にエラそうに言うな!」・・・と不毛の会話が続き、
私の「おまえ、この家出て行け〜!」で幕が閉じたのでした。
よく考えれば私が出て行く方が筋なのですが(笑)

だんなのマザコン&シスコン思想改造計画、ネバーギブアップ!

2月10日(木) 今日は旧正月2日目でして、おばばの家で昼食会でした。
体調が良くなかったのもあり大晦日(2月8日)のおばば宅大晩餐会には
私は行きませんでしたので、今日は顔を出しておきました。
日本旅行に出かけたという義兄夫婦以外は皆来ており、義弟の結婚話もいよいよ
決まりつつあるようで、話題はもっぱらそのことに集中、といいますか、
義弟がおばば&義姉という口うるさい外野の者から質問責め、説教責めに遭っている、
という様子でした。
ややすると食事の時間になりましたので、子供たちにまず手を洗わせていますと、
「うぉこ〜ち〜(私の名前の広東語読み、おばば一家にはこう呼ばれている私)早く来い!」
「うぉこ〜ち〜、早く席に着け!」と、もう着席しているらしいだんなや義姉から
やたらと急かす声が上がりますので、急いでテーブルに向かったのですが、
「席に着け!」とエラそうに指令を出しておきながら、私の席も箸も、
用意されてないやんかっ!!
正月早々、またもやかまされてしまいました。

それから夜は、ビクトリア湾で打ち上げられる花火を観に行くことになったのですが、
子連れで繁華街まで出ていくのは、混雑する帰りの交通のことを考えますと、しんどい。
そこでどこか我が家から行きやすく、ゆっくり花火を鑑賞できる場所はないか???と、
地図王をペラペラめくり、ビクトリア湾全景図を睨みながら思案しますと、
『観塘フェリー乗り場』が第一候補地としてあがったのです。
観塘フェリー乗り場行きのバスが我が家のすぐそばから始発で出ていますし、花火が
終わったらフェリー乗り場から同じ系統のバスに飛び乗って帰ってくればいいのです。
こんな名案はないぞ!と小躍りしながら観塘フェリー乗り場に出かけた私一家ですが、
結構同じ思考をする人間がいるものですね、フェリー乗り場には総勢100人ほどの人が
繰り出しておりました。
しかし、実は私は頭上にバンバン花火が上がる様を期待しておりましたのに、
フェリー乗り場から観ることができた花火ははるか彼方、それはあたかもテレビを通して
観ているようなしょぼいスケールの花火だったのです。
おまけに花火の音が全くしませんで、風情が全く感じられないのです。
花火は打ち上げる爆発音があってこそ、花火なのですな。
それにしても香港って広かったのですな。
2月7日(月) 5日の土曜日から体の具合が悪くなり、久々に寝込んでしまいました。
5日などは体の節々が痛み、頭痛もあり、悪寒もしますので、
これは絶対インフルエンザに違いない、と思ったのですが、寝ているのも体が痛くて
つらく、かといって起きるのはもっとつらいので、一日中ベッドで横になっておりました。
午後2時まではだんなが子供の世話をしてくれてはいたのですが、子供の世話なら
子供の世話しかできない野郎ですので、掃除洗濯は見て見ぬふり、
私は病に倒れながらも、ときどき這うように起きて行っては洗濯機を回し、加えて
私はすすぎを5回しないと気が済まない性分ですので、それをするには手動で洗濯機を
操作しないといけませんで、這うように洗濯機を操作しては這うようにベッドに戻り、を
幾度となく繰り返し、結局洗濯が終わって、這いながら干し終わったら午後4時だった
のでした。

だんなは最近仕事が減り、今日の仕事は休めず出かけてしまったので、
子供の夕食をどうしようか、子供に階下のマクドナルドへ買いに行かせて済ませようか、
などとベッドでのたうちながら思案していますと、家の呼び鈴が鳴り、聞きなれた
義姉のアグレッシヴな声が聞こえましたが、その日は神の声のように聞こえました。
結局義姉が子供達を味千ラーメンに食べに連れて行ってくれ、風呂にも入れてくれ、
本当に助けていただきました。すんませんなぁ。

で、6日も調子がなお悪く、しかし歩けるようにはなりましたので、
医者に行ってきましたら、案の定「インフルエンザでしょう」ということでした。
今日7日はややマシになって来ましたが、引き続き食欲がありませんので、
こういう時には好物を食べて精をつけなあかん!と思いまして、
ラムチョップを買って来て食しましたら、少しが元気が出た気がします。
明日は刺身にしよう。
2月3日(木) 今日は下の息子が通っている幼稚園の旧正月パーティーがありました。
パーティーでは隠し芸大会とゲームをするらしく、先週、息子の担任の麦先生から
「ゲームの手伝いをしてくれ」と言われまして了解してしまったのですが、
どんな手伝いの役が当たるのか少しドキドキしていたのです。

朝9時に息子と一緒に幼稚園に行き、そのまま講堂に向かいますと、お母さん達が
集まってダーツやら輪投げやら魚釣りやらのゲームの準備をしており、
私はといいますと獅子舞コーナーの担当となりました。
子供達が獅子のかぶりもので舞う時に、太鼓やシンバルを打ち鳴らすのが私の役目、
広東語ができないことを見計らって、どうやら私には肉体派の手伝いをあてがって
くれたようですが、ゲームとちゃうやんか!

パーティーはまず子供達の隠し芸大会で始まりました。
年長組から各人歌やら踊りやら、それぞれ芸を披露して行くのですが、中には
手品をしたり、フラフープ百回回しなど、難度の高い隠し芸をお持ちのお子様もおり、
唸ってしまいました。

それからゲームの時間になりまして、私は獅子舞コーナーで獅子のかぶりものと
太鼓にシンバルを携えてずーーっと待っていたのですが、
子供心にも担当のおばちゃんが異邦人なのをわかっており、近寄りがたいのでしょうか、
それとも単に他の楽しいゲームに心奪われてしまっているのでしょうか
誰も獅子舞コーナーには近づいて来ないのです。
景気付けに太鼓を打ち鳴らしてみたり、子供を手当たり次第に「おいでおいで」と誘って
みたりもしたのですが逆効果、どうやらおばちゃんよりも獅子のかぶりものがコワイ
という事実も判明しまして、結局獅子舞コーナーはあまり盛況せずに終わりました。
2月1日(火) 「下の息子の視力測定に来い」と母嬰院(保健所のような所)からお達しがありまして、
朝から行って来ました。
実は今から半年ほど前に一度視力測定しに行ったのですが、
当時の息子は視力測定表に使われているアルファベットが読めなかったので、
測定できなかったのです(とほほ)。
それから3ヶ月後にもう一度測定の予約を入れてはいたのですが、
「どうせアルファベットが読めなかったらできへんのやし、もうええっか」と勝手に諦め、
予約をブッちぎりしてしまっていましたら、今回のお達しが来たのです。

行ってみますと今回は、きちんとした視力測定師のお兄さんによる測定でありました。
このお兄さんははじけんばかりの笑顔で我々を迎えてくれ、
息子には「一緒に遊ぼうね〜!」と、吉本新喜劇の藤井隆をちょっと彷彿させるような
はしゃぎのトーンで迫りますので、なんかちょっとやりすぎなのでは?と
私は少々気後れしていたのですが、それでもなかなか上手に視力測定を
進行させていくのです。
最初は左目を隠し右目の測定なのですが、一番でかいアルファベットから順番に小さい
ものも、息子は全部読めましたので、視力の良さよりも私は「息子がアルファベットを
読めた!」ということにひたすら感動を覚えてしまいました。
「わ〜すごいね〜、全部読めたね〜、お母さん、問題ないですよ〜」といわれ
私もすっかり気を良くしてしまったのですが、左目の測定になりますと、
息子はいきなり黙り込み、体を斜に構えモジモジしだしたのです。
すると、さっきまでノリノリで視力測定を煽動していた藤井隆が突然、キレモードの藤井隆に
変貌し、「真面目にしなさい!これは何!」とキツイ口調でアルファベットを指しますので、
息子もビビッったのでしょう、隠した目の隙間から見ようとしますので、藤井隆はますます
イライラした様子になったのですが、どうも本当に字が見えないようなのです。
異常を察知した藤井隆は部屋の電気を消し、息子には3mほど先にあるミラーボールの
キラキラを見つめさせ、且つ息子の眼球に光を当てて何かを測定しだしたのですが、
息子はミラーボールではなく、どうしても目の前にいる藤井隆を見つめてしまうのです。
藤井隆は、「オレを見るんじゃない!あっちを見ろ!」と何度も促すのですが、息子は
ついつい藤井隆を見てしまうようで測定できないのでしょう。
「あ〜〜〜ぁ、もう!」と、この世の終わりのような藤井隆の身悶えした声を最後に、
測定は終わりました。
藤井隆の豹変振りが見ごたえたっぷりでした。

というわけで、左右の視力が大幅に違う弱視疑いになり、即病院の眼科送りに
なってしまったのです。
病院へは自ら出向いて初診日の予約を入れないといけないのですが、
親としては一日でも早く受診したいので、息子を幼稚園に送り届けた後、そのまま
病院まで予約に行ったのです。
しかし気が動転していたせいもあり、息子の身分証明書であるパスポートを
持って来るのを忘れるという失態をしでかしてしまいました。
ここは公立病院ですので、香港居民か否かで受診料も違って来るのです。
息子は日本生まれですので、香港での出生届けも出していませんし、香港のIDカードも
まだ取得していませんので、パスポートがなければ身分を証明できないのです。
証明書もない、番号も控えてない、覚えてない、というていたらくだったのですが、
予約の姉ちゃんはどこかに電話をし、親の名前や電話番号を頼りにしたのでしょうか、
ものの5分ほどで息子の香港ID番号を割り出してしまったのです。
しかし、息子はまだIDカードを申請してもいませんのに、ID番号が存在するなんて、
ちょっと変な気分なのです。
  百佳というスーパーのレジで勘定を済ませていますと、私の横にいきなり見知らぬジジィが
現れ、私がレジで貰って手で握っていました「花火鑑賞スクラッチカード」(この券に
当選すると、旧正月2日に行われる花火大会を、どこかいい場所で見られるようなのです)
を指差し、「この券は煙花(花火)なんとかかんとかか?」と私に聞いて来るのです。
しかし私はジジィの「煙花」しか聞き取れませんでしたので、てっきりジジィがこの抽選券を
欲しがってるのだと思い、ジジィに「私はこんな券は要らないのでお前にあげる」と
快く申し出たのですが、ジジィはまだ「煙花なんとかかんとか」と言い続けているのです。
「だからあげるって!」という私の善意をジジィは気に入らないのでしょうか、
だんだん苛立った口調で「煙花や!なんとかかんとかや!」とエラそうにまくしたてた挙句、
釣り銭とレシートを握り締めていた私のもう一方のグーの手を、実力行使でこじ開けようと
しますので、私も思わず手をふんわり開いてしまったのです。
するとジジィは私の手中にありました小さな印花(クーポン:このクーポンを40枚集めると
ガラス食器がほとんどタダのような値段で買えるのです)をさっとつまみ、
腹立たしそうに「これやがな!!!」と言い残し、「ありがとう」も言わずにクーポン2枚分
持ち逃げして行きました。

ジジィが欲しかったのは煙花(インファ)ではなく印花(ヤンファ)だったのです。
ジジィは最初からヤンファと言っていたのでしょうが、私の広東語リスニング力不足のため、
ちゅうか全然発音も違うのですが(汗)、なかなか欲しいものが手に入れられず
イライラしていたのでしょう。
それにしてもそのクーポンは、私が自分の金銭で買い物した見返りとして
受け取ったものですし、汚らわしいジジィ如きにエラそうにふんだくられる筋合いも
ありませんので、だんだん腹が立って来たのです。
「他人のクーポンを当てにしてまで、あんな安もんのガラス食器が欲しいんかい!(注)
ビンボー人!糞ジジィ!厚かましいんじゃあ!」などと、心の中はジジィへの罵詈雑言で
溢れんばかりでしたが、そもそも私が手をあっさり開いてしまい、
やすやすと持ち逃げさせてしまったところに非がありますので、後悔の念も含めて
後味はますます悪いものとなるのですね。

しかしながら、百佳スーパーのレジでは、人様のクーポンを欲しがる香港人のおばばや
お手伝いさん達が目を光らせて待機している時もありますが、そういう輩は
「えっへっへ〜姐ちゃん、そのクーポン要る?要らへんのやったらワテにくれへん?」などと、
少なくとも自らの行動に一抹の羞恥を感じているかのような態度を取るのが常ですが、
今回のジジィのように、えばり腐って「これやがな!」とふんだくるのは初めてです。
香港ではジジィが一番性質が悪いのではないかと思う今日この頃。

(注):ガラス食器を集めていらっしゃる方々、皆様への悪意はありませんので、
数々の暴言どうぞお見逃し下さいませ。

1月26日(水)
   (夜)
義姉が来なくなって「うっしっし」と思っていたそばから襲撃されてしまいました。
しかしながら、いつもなら当たり前のように玄関先まで奇襲をかけて来ていたのですが、
今回の襲撃は事前のアポ電話が有り、しかもアポ電話を受けた息子には
「今から家に行ってもいいか、お母さんに聞け」と言うたらしく、
義姉なりにかなり遠慮している様子が伺えたのです。
私としましても、いつまでも頑なな態度を取っていてはどうせ後々バツが悪いだけですし、
「来てもいいよ」と態度を軟化させますと、しばらくしてから義姉が珍しくイチゴ持参で
やって来ました。
それからは私も義姉も暗黙の了解というのでしょうか、喧嘩のことには一切触れず、
特に何もなかったかのように普通に会話していたのですが、
話題が下の息子の幼稚園の期末テストのことになってしまったのです。
義姉が「テストどう?」と聞いて来ましたので、私もうっかり「広東語のヒアリングと
発音が悪い」などと、先日の喧嘩の原因になってしまったキーワードを自ら発して
しまったのです。
言うてしまった後、心の中で「あ!しもた・・・」と私は非常に焦り、
それを聞いた義姉の顔もやはり一瞬「はっ!」と緊張した様子に変わりましたが、
すぐさま「いやいやいや、発音は心配せんでエエから・・・・」と言ったきり、
義姉は慌てて話題を変え、また何もなかったかのように会話は続いたのでした。
多謝合作。
1月26日(水) 新年、明けましておめでとうございます。(って今日、いつやねん!)
本年もきっとのろのろ更新かもしれませんが、どうぞ長い目で見てやって下さい。
皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

それから、日記が下に溜まっております、
コツコツ書いてはいたのですが中途半端なまま放置しており、
今日までアップできずにおりました。
お時間があったらぼちぼち読んでやって下さいませ。ほんとにすみませんなぁ。

義姉はあれからずーっと怒ってはるようなので(1月20日の日記を参照して下さい)、
彼女による我が家への奇襲も、週末行われていた上の息子への普通話レッスンも、
電話攻撃もぷっつりなくなりました。うっしっし。
1月23日(日) 今日は天気も良いし、家族でどこか遠足に行くことになりました。
そこで『地図王』という、エリアマップと香港ガイドが合体した本をパラパラとめくりますと、
我が家からさほど遠くない『鹿頚』という所に、「桃源郷のようなBBQ場がある」と
書かれてあるのです。
本には「180℃に渡って壮大な海が見渡せ、そのはるか向こうには(中国・シンセンとの
境に近いため一般香港人は立ち入り禁止区域になっている)沙頭角が望め、
浜にはカニがおり、アサリも採れる」と、なるほど桃源郷らしくますます素敵なことが
書かれており、我々のハートをバッチリ射止めてしまいました。
そういうわけで、本日の目的はBBQではありませんが、砂浜で遊べれば子供も喜ぶで
あろうと、一路『鹿頚』へと向かってしまったのです。

『粉嶺』駅からミニバスに乗り換え、BBQ場へと到着した我々ですが、
しかしそこで見たものは、『地図王』に書かれた内容とはおおよそ正反対な、
汚染地獄ではありませんか。
海は海というよりも池のように深緑なクロレラ色をしており、浜は黒いドロ地に
所々海水から出たクロレラ色素が付着しているという、それでなくても気色悪い見栄え
ですのに、おまけに沖合いで養殖でもしているのでしょうか、無数のカキ殻が
打ち上げられており、なんとも臭ってきそうな景観なのです。
カニも姿を見かけませんし、アサリも採れるのかもしれませんが、浜が汚過ぎて
どうも掘る気にはなりません。
海の向こうには禁区である沙頭角も望めはしましたが、ただマンション群が立ち並び、
工業用の船が何艘も浮かんでいるだけで特筆するほどの絶景でもなく、
どこが桃源郷やねーん!『地図王』のうそつき〜!
1月22日(土) 香港在住のロック好きが集うオフ会に、久々に参加させてもらいました。
本日は総勢8人で、チムサァチョイにあります、会のリーダー行き付けの
「民家ちゃうん?」と思わせるような穴場的インド料理屋でのランチだったのです。
私はインド料理といいますと、だんながたまに連れて行ってくれる、うちの近所の
小さいインド料理屋の『2人世界』『3人世界』というセットメニューしか食べたことが
ありませんので、皆がオーダーしてくれた料理はどれもこれも珍しく、お味も良くて、
大満足でした。皆、どうもありがとう!

子供はおばばの家に預けておりましたので、会が終わると迎えに行ったのです。
当初は「5時ごろ迎えに行って、すぐ連れて帰る」段取りになっていたのですが、
迎えに行ってみますとやはり「夕食を食っていけ!」という事になっており、
しかもまさに作っている最中でしたので、よばれて帰ることにしたのです。

おばばは食事を作っている合間に、太極拳の動作(型?)が図解されたチラシを
持って来て私に見せ、四字熟語になっている各動作の名前をひとつひとつ読み上げて
いくのです。
最初私はおばばのドラ声をただボーッと聞いていたのですが、
おばばはどうも私に各動作の名前を復唱させたいらしく、名前を読み上げる毎に、
「ン?」とのどの奥で変な音を発しながら、私の顔をうかがうのです。
全く上達しない私の広東語の事が元で、先日は義姉と険悪な仲になってしまった私
ですので、「もしやこれは!私に広東語を教えてやろうという、おばばなりの
にくい計らいなのではないか?」と感付いた私は、その後はおばばが「○○□△!」と
動作の名前を読み上げる度に、しっかり「○○□△!」と復唱してあげました。
素直な私のリアクションに気を良くしたのでしょうか、名前読み上げのレッスンが
一通り終わりますと、おばばは「わて、師匠に習ったんや〜」といいながら、
今度は太極拳の動作を実践しだしたのです。
私をリードするかのように「吸って・・・・吐いて・・・・吸って・・・・吐いて・・・・」と言いながら、
おばばは神妙な顔つきで太極拳らしきものをやリ出しましたので、元々私のために
教えてくれようとしているのに、おばば一人にやらせてはなんだか申し分けない気持ちに
なってしまい、私も見様見真似でしばしの間一緒にやっていたのです。
おばばは太極拳の動作を一通り、私に伝授し終わりますと、最後に「身体健康!」と、
とどめの四字熟語を声高らかに発した後、今までの神妙な顔つきはどこへやら、
突然いつもの悪どい顔つきに戻り、へっへっへ〜とニヤニヤ笑いしながら、
「もう一人子供産め!」と言うやいなや、そそくさと台所に戻って行きました。
いつもとは違うアプローチの、本日の「子供産め!」でございました。
おばばに恩義を感じて損した。
1月20日(木) 義姉と義兄が、病院の見舞い帰りに夜9時ごろやって来ました。
義兄は息子たちと遊んでくれていたので、私は義姉の相手をしていたのですが、
義姉が「日本人は英語の発音が悪い」だの、「日本人は英語が話せない」だの、
「日本語なんて話せても価値が無い」だの、「今は日本人が中国に普通話を
習いに行く時代だ」だの、「日本人の普通話は発音が悪い」だの、
「日本人の広東語は発音が悪い」だの、おそらく頭の中に思い付いたことを
思い付いたまま、およそ流暢とは呼べない英語で色々まくしたてて来たのです。

私は結婚前からこの義姉には、「そこまで言うことないやろ!」とも思えるキツイ言動の
数々を浴びせられて来ていますが、悪気が無いのはわかっていますし、
義姉の言動自体が視野の狭い見識から来る彼女の激しい思い込みでしかなく、
ナンセンス以外の何物でもない、と今では思えますので、何を言われようとも、
もはや気にしていなかったのです。
しかし今日は義姉もしつこく、香港には8年も住む私が広東語をほとんど話せないことを
突っ込んで来まして、「ヤーディ(おばばの家にいる住み込みのインドネシア人お手伝いさん)
は香港に来てたったの2年で広東語が話せるのに、お前は(8年も居て)『食飯』しか
話せないのは、なんで?」と言いやがったのです。
鮮明に覚えていますが、「you only can speak『食飯!』,how come?」と言いやがったのです。
私は、なぜだかこの『食飯!』の響きに無性に腹が立ってしまったのですが、
義姉の言う「8年居るのに広東語を話せない」は、紛れもない事実ですし、
そもそも、とっさに反撃の一言を言い返せないのが私の不甲斐ないところでして、
会話の相手をぷいっと止めるのが精一杯だったのです。

その後義姉も義兄も帰って行きましたが、考えますと「8年も居るのに話せないなんて、
お前はバカか?」と言われているのも当然ですし、「食飯しか話せない」だなんて、
「食うことしか脳がない」と言われているようでもありますし、
いつまでも腹が立ち続けておりましたので、だんなが帰って来てから即刻、
義姉に言われた言葉の全てを忠実に再現し、洗いざらい報告したのです。
しましたら、だんなの顔色が変わり「俺が文句言うたる!」と受話器を握りましたので、
「ええねんええねん、あんたに言うたら気が済んだから、もうエエ」、「いや、文句言う!」
「言わんでエエ!」「言うた方がええんや!」としばしもみ合いになりましたが、
結局だんなは、激しい口調で文句の電話しておりました。

義姉へ:お前の英語のエラそうな広東語訛りとボキャブラリーの乏しさも、なんとかしろ!
1月19日(水) 上の息子の小学校は今週、期末テスト期間なのです。
中国語や、問題を解くのに中国語を必要とする科目は私では教えられませんが、
小学2年生程度の算数ならバッチリ教えることができますので、
テスト範囲であります掛け算割り算も毎日ちょっとずつ訓練し、今日の算数のテストに
備えていたのです。
親心としては「中国語はあかんでも、算数だけはなんとか・・・」という思いだったのですが、
お昼に帰って来た息子を見ますと浮かない顔をしており、理由を聞きますと、
「うんこが気になってテストに身が入らへんかった」というのです。
調べてみますとパンツにうんこを挟んでおりました。
テスト中、トイレに行きたいことを先生にも言い出せず、教室で座ったままうんこをしてしまい、
クラスメートに臭いを感付かれないか冷や冷やしながら、ただテストが終わるのを
待ち詫びていた息子のことを考えますと、「そら、テストどころではないなぁ・・・」と
同情の余地はあり、私も同じような経験はありますから不憫には思うものの、
やはり、ちとがっくり来た私であります。
12月28日(火) 本日は家族でオーシャンパークという、遊園地と水族館その他諸々が合体したような
所に行って来ました。
オーシャンパーク内の飲食店はどこもかしこも『法外』といっても良いくらいの価格設定に
なっており、そういう場ではうちのだんなのことですから「高い高い!」を連発し、
貝の如く財布のヒモを締めてしまい、家族全員飲まず食わずで半日を過ごす羽目に
なりそうですので、私は朝7時起きして巻き寿司弁当を作ったのです。
しかし香港に突然訪れたこの超寒い日に、寿司は間違いだったのだ・・・。

オーシャンパークに着きますと、やはり凍えそうだからでしょうか、冬休み中だというのに
客数は少なく、お蔭様で遊園地の乗り物にはスイスイ乗れて、それはラッキーなのでしたが、
昼を過ぎますとますます風もきつく冷え込んで来てしまったのです(推定気温12℃)。
よりによってオーシャンパークの山の頂上でお弁当を広げてしまった我々ですが、
強風で紙皿は飛んでいくわ、目は開けてられへんわ、指はかじかむわ、
冷えた体に冷えた寿司では、ますます寒いやんか!
おまけに3足しか持っていない靴のうち、今日履いて来たスポーツシューズのかかと部分の
ウレタンゴム(?)が、凍るような寒さのせいでピキッと割れてごっそり外れてしまい、
そこだけ靴底無し状態になって、なんだか下駄を履いているような感じになって
しまいましたが、どうしようもないので半日そのまま過ごしました。
12月23日 若い頃にちょっとだけ触っていたエレキベースギターを、再度練習してみようという
気持ちになったのですが、音を出すアンプを持っていなかったのです。
アンプがありませんと電子チューナーを使ってチューニング(調律)できませんし、
チューニングできませんと弦の音が正しくないので弾けないのです。
(別に電子チューナーが無くとも音叉という物体でチューニングできるのですが、
どうも上手く音が取れないのです、若い頃はできたのに・・・エーン)
この際、アンプを買ってしまおうかどうか迷い、楽器屋を物色したのですが
500ドルもしますので踏ん切りがつかずだんなに相談しますと、
だんなが絵を教えている生徒から、アンプを借りてくれることになったのです。

そして今日、アンプがやって来ました。
だんなが帰って来ましたのが夜中の12時近くだったのですが、私は早速アンプを通して
弦をボロロンと弾いてみましたら、ちゃんと音が出たのには感動してしまいました。
次に電子チューナーを接続して電源を入れ、各弦のチューニングを開始しましたが、
あろうことか第2弦を1オクターブ高く調音しており、弦を巻き過ぎてブチ切ってしまい、
せっかくアンプがやって来て、「本格的に練習しちゃろ」と思っていた矢先ですのに、
またもや弾けない状態になってしまいました。
(と、練習をサボっている言い訳しておきます・・・)
12月18日(土) 住んでいるマンションのクリスマスパーティーが、2階の広場(平台)でありました。
12月のマンション管理費を払いますと、このパーティーのプレゼント抽選券が1枚もらえるの
ですが、同じ階に住んでいる老婆が2枚、たまたまエレベーターに乗り合わせた知らない
女性が1枚抽選券をくれましたので、我が家には全部で4枚の抽選券が集まりました。

毎年、この抽選には当たったことがない我が家でして、プレゼントの大きな包みを手にする
住民を、「あの箱の中には一体何が入っているのだろう?」と、恨めしく眺めていたのですが、
今年は抽選券が4枚、ちゅうことはチャンスも4倍、本日は意気込んで会場に下りていったの
です。

抽選はまず、小さい賞から始まりました。
プレゼントの数も多く、特設ステージには70ほどの箱や包みが並んでいます。
しかも我が家には4枚の抽選券、ということで、当たる確率は高そうなのですが、
これがなぜか一向に当たらないのです。
ステージ上でプレゼントを手にして歓喜の表情を浮かべる住人を見るにつけ、
上の息子はだんだん涙目に、下の息子は激しく不機嫌になっていきました。
私は息子を励ますべく、「絶対当たるんや!絶対当たるんや!と信じなさい」と
説いた直後、我が家の抽選番号が連呼されたのです。本当に当たってしまったのです。
プレゼントを受け取り、嬉々として戻って来た上の息子が包みを開けますと、
それは韓国製『味付け海苔』(推定価格10ドル=150円)でした。ガクッ。

これで勢いに乗ってしまったのでしょうか、2枚目の抽選券でやや小振りの箱が
当たりました。同一人物が何度も貰いに行くと住民の反感を買いそうですので、
これは私が貰いに行きました。
開けてみますと何年か前に流行ったクラッシュギアというおもちゃの『中国製偽物』
(推定価格10ドル=150円)でした。ガクッ。
3枚目の抽選券では、円柱形の缶らしき小さい包みが当たりました。
これはだんなが貰いに行き、開けてみますと『ビニール製ストラップ安物腕時計』
(推定価格20ドル=300円)でした。ガクッ。

そして抽選は佳境に入り、大きい賞の抽選に入りました。
我が家はもう3つも当たっていますし、あまり一家でバカ当たりして
他住民のひんしゅくを買っては今後の近所付き合いにも影響が出そうですし、
玄関前に山羊の生首を置かれたり、自転車の空気を抜かれたり、何か嫌がらせを
受けるのではないか?という心配も出て来まして、
「他の人に悪いから次は当たっても辞退しよう・・」という気持ちが渦巻いてきましたが、
高さ60cmx幅30cmx奥行き15cmほどの、たいそう立派な箱の抽選に当たった瞬間、
下の息子に「早く!早く貰いに行きなさい!」とけしかけ、
ステージへ上がらせている私がおりました。
プレゼントを受け取った息子が戻って来まして、家族一同ワクワクしながら
箱を開けてみますと、それは実物サイズの乳飲み人形(推定価格40ドル=600円)でした。
要らんわい!

プレゼントの中身が何なのか長年ずっと気になっておりましたが、こんなプレゼント内容とは!
来年からは、もうこのクリスマスパーティーに出席する必要も無いことが判明したのが、
本日一番の収穫ということにしておきましょう。
人間、欲張ってもエエことない・・・。
12月13(月) 今朝、息子を幼稚園に送っていくため、マンション前の路上に泊めてある自転車を
取りに行ったのです。
マイ自転車に近づいていきますと、すぐそばに置いてあった上の息子の自転車の
ハンドル付近から、2本のワイヤーが昆虫の触覚のようにピンピーンと突っ立っており、
何だか変な感じになっているのが目に入ったのですが、何が起こっているのか
最初は把握できませんでした。
よく見てみますと自転車のブレーキワイヤーが前輪後輪用共にブレーキレバーから
外されており、それがピンピーンと突っ立っていたのです。
しかも、ワイヤーが外れているだけなら偶発的に起こったのかなとも思えるのですが、
なんとブレーキレバーそのものが、左右2つ共姿を消しておるではないですか。
これはどうも何者かが、ドライバーを使ってワザと取り外したのに違いなく、
しばしあっけにとられてしまいましたが、私にはまず息子を幼稚園に送っていく義務が
ありますので、息子の自転車はとりあえずそのまま放置しておきました。
それからマイ自転車の後部座席に息子を乗せ、いざ発進させようとしましたら、
前輪後輪ともに空気が抜け、タイヤがペッタンコなっておるではないですか!
チェックしますと空気を入れる部分のネジ(?)が無くなっておりましたので、
これも何者かによって故意に外され、空気を抜かれたようです。

毎朝この時刻には、近所の漢方薬局のおっさんがそばのベンチで暇つぶししており、
今朝も私の行動を眺めながらタバコをふかしていたのですが、
おっさんが「空気ないのう」と声をかけてきましたので、私はショックを受けているところを
悟られないよう適当に相槌を打ちながら、「こっちの自転車を使います」と余裕な素振りで
2mほど離れた所に泊めてあるだんなの自転車を取りに向かいましたら、
私が自転車に触るよりも早く、漢方薬局のおっさんの方が「それも空気ないでぇ〜」と
言うのです。
チェックしますとまさにおっさんの言う通り、だんなの自転車も前輪後輪ともに
空気が抜かれており、ペッタンコなのです。
だんなの自転車までやられているとは!

一緒に置かれていた他人の自転車を見渡しますと、それらはどれも荒らされた様子なく、
我が家の自転車だけ、きっちり狙われたようなのです。
我が家の自転車だけ狙うということは、何かしら悪意があるのに違いなく、
悪意があるということは、ひょっとして誰かに恨まれている・・・???
という結論に辿りついた時、真っ先に私の頭の中に浮かんだ人物は、
ドラ声を発する『あの人』だったのですが、『あの人』が可愛い孫の自転車まで
巻き添えにするとも思われず、自分の息子に無駄な出費を強いる、修理代のかかるような
嫌がらせをするとも考えにくく、やはりこの界隈に住み、我々がどの自転車を乗っているかを
知っている誰かに、我々もしくは我々のうちの誰かが嫌われているということなので
しょうか?

空気を抜く程度なら簡単かつ迅速にできそうですが、ブレーキレバーを外すとなりますと
工具も要りますし、時間もかかりますし、人目にもつくはずですので、
そこまで大胆な犯行に及べるほどの、強固な意思と暇と怨念がある人物は誰か???
となりますと、やはり真っ先に思いつくのはやはりドラ声を発するアノ人なのですが、
一体誰やねん!ゴルァ〜!
12月9日(木) だんなの仕事がありませんので、観塘にあるアウトレット店へ一緒に行って来ました。
私は只今靴を3足しか持っておらず、そのうちの1足はバドミントンシューズでありまして、
コート以外では戦力外ですので、残りの2足を履き回ししているのですが、
どちらも結構ボロボロになってきているのです。
そこで今日の狙いは靴だったのですが、なかなか「コレ!」という靴には巡り会えず、
結局夏用の綿パン1本を購入しただけでした。

だんなは当初、「今日は仕事がない」といっていましたが、「用事を思い出した」といって
観塘から直接自分のスタジオがあります九龍城に行ってしまいましたので、私はバスで
一人帰路に着いたのですが、乗ってすぐだんなから電話があり、「母チャンが家に行く
らしいから、お前よろしく」と言うのです。
これはきっと私、はめられたに違いありません。

家に戻り上の息子を迎えに行った直後、時間を見越したかのように、
おばばがやって来ました。
今日の手土産は自家製菜っ葉と、マクドナルドのソーセージマフィン2個、
エッグマフィン1個、チキンナゲット1セットでした。
以前は私の分など買って来てくれた試しがなかったのに、この頃ではきっちり私の分も
ありますし、比較的価格の高いバーガーでさえ買ってくれるほどなので
(以前は一番安いバーガーであった)、この変貌ぶりが不気味であります。

おばばに上の息子の子守を頼み、幼稚園のお迎えに行かせてもらったのですが、
家に戻りますとおばばがうちの台所から狼狽した様子で出て来ました。
そして私と顔を合わせるやいなや、台所の床に放置してあったパイナップルを指差し
へっへ〜と笑いながら、「これの種を取っておいてくれ、畑で植えるから」と、
いかにもその場しのぎなことを言うのですが、パイナップルは関係ないやろ!
私はおばばとの同居時代、日本から届いた荷物をおばばに物色されたり、
私の歯ブラシでコップを磨かれていた現場に偶然出くわしたことがありますが、
おばばはその時も非常に慌てふためき、場を取り繕ろうと必死だったので、
あの狼狽する様が何を意味するのか、すぐに見当がついてしまいました。
ジンガッ!

おばばが帰ってから冷蔵庫をチェックしますと、アルミホイルでフタをした昨晩の
残り物に、フタをひっぺ返して開けられた形跡が見られましたので(私は刑事か?)
「あぽぽ(おばば)、冷蔵庫開けてなかった?」と息子に探りを入れますと、
「うん、開けてた。『なんでこんなに牛乳がぎょうさんあるねん?』って言うてた。
味噌のタッパーも開けてた」という目撃証言が得られたのです。やはり・・・。
よその家の冷蔵庫を開けてみたい好奇心はわからんでもないですが、
それをいざ実行してしまうには、やましさのルビコン川を渡らないといけないと
思うのです。やましさゆえ、私に見つかった時あれほど狼狽するのでしょうが、
それでも詮索せずにおられないからこそ『おばば』なのでしょうか?
これはもう、60過ぎても子供のように好奇心豊富だと、褒めるべきですね?
12月7日(火) 太古城に住んでいる妊婦の友人に会いに行って来ました。
私は前回、間違ったバスに乗ってしまい、友人に待ちぼうけを食らわせたので、
本日は時間死守の意気込みで出かけたにもかかわらず、
待ち合わせのパシフィックコーヒーをスターバックスコーヒーと勘違いして、
またもや遅刻してしまいました。
友人は内心「ゴルァ!わしゃ妊婦やねんど、イライラさせんなよ!」と思っていたかも
しれませんが、笑って許してくれました。

友人はつわりもまだひどく、かなりやつれていたのですが、それに加えて
カナダ系中国人である夫の母親が、初孫誕生時にカナダから襲撃して来る確率が
かなり高い、というので心配をつのらせており、
初産の妊婦でしたら普通は他にも色々心の準備をしておくことがありそうですが、
おばばのことなんぞで頭を痛めなあかん友人を、大変気の毒に思いました。
ここのおばばは典型的な「私が正義!」おばばのようですから、「自分の善意は万人が
あり難く受けとめるに決まっている」という法則によって全てが回っているのであり、
自分の善意が拒否されますと泣いて息子に訴え、息子もまんまと取り込まれてしまい
がちですので、難儀なのですね。
そのうち嫁の方も、負けずにすごーくたくましくなるとは思うのですが。
12月5日(日) 今日は友達2人と日本食ランチを食べた後、お家にお邪魔させてもらいました。
友達が飲み物を出してくれたのですが、コーヒー紅茶から、ほうじ茶、緑茶など、
そのセレクションが豊富にあり、私はこっそり感動しておりました。
友達はほうじ茶を出してくれたのですが、友達の淹れ方も上手なのか、
久しぶりに飲むそれはすごく美味しかったのです。
私は日頃家に日本茶の類を全く常備しておらず、人が来てもティーバッグの紅茶を
出したりする愛想の無さだったのですが、日本茶もいいなぁ、用意しとかなあかんなぁ
と再認識したのでした。

友達の家をおいとまし、だんなのスタジオがある九龍城に行くためバスに乗ったの
ですが、激しい尿意をもよおしてきまして、乗り換えのためバスを降りたモンコックで
トイレを探したのですが、モンコックの事情に疎い私は、人波を右往左往してしまいました。
まず、『ケンタッキー』と『大家楽』が入っている地下のフードコートのトイレに行ってみたの
ですが、トイレ難民の婦女子で7mほどの列ができており、これを待っていますと
絶対漏らしてしまう・・・と感じましたので、息子だけ空いてる男トイレで用を済まさせたの
です。この日ほど私も男トイレに入ってしまおうかどうか、真剣に迷ったことはありません。

次に、若者向けショッピングセンターに入ったのですがそこは客用トイレがなく、
やはりこういう時は判断を誤ると命取りになりますので、トイレ探しのターゲットを、
トイレが必ずあるファストフード店に決め、『マクドナルド』『大家楽』よりは『大快活』の方が
空いてるような気がして、一路『大快活』へと向かいました。
そこの女子トイレもやはり10人ほどの列ができてはいましたが、「もうコレ以上は歩けん」
という境地にまで達していたこともあり、もじもじしながらも頑張って順番待ちしたのです。
次が私の番、という時になって、お店の人が「すみません」と割り込みサッとトイレに入って
しまったのには我が身の運の悪さを呪いましたが、それでもなんとかちびりもせず、
無事に用を足すことができました。

そうして九龍城に着き、夜は家族4人でタイ料理を食べに行ったのですが、
今日のだんなのオーダーは毎度毎度の『2人世界』ではなく、
意外なことに余って持ち帰りするほどの品数が運ばれて来ましたので、満足いたしました。
日本食にタイ料理、友達とのおしゃべりと、トイレを覗けば大満足な一日で、
日頃浮かばれない日々を送る私ですが、「たまにはエエやろ」と思いながら帰って来ました。
11月27日(土) 今日は友人一家と一緒に沙田コレッジの学園祭へ行って来たのです。
その学園祭では、毎週バトミントンを一緒にしてもらっている友人が寿司を売るそうで、
それを楽しみに行ったのもあったのですが、学校内は広く、どこもものすごい盛況ぶりで
寿司売り場がどこだか全く見当がつきませんでしたので、なんとなく韓国ブースに
吸い寄せられ、まずプルコギを買って食べてしまいました。
食べ物ブースは他にも色々あり、インド料理のところでは、実演釜焼きのナンとタンドリー
チキンが出されており、これもまた美味しそうだったのですが、買うのに長蛇の列な上、
私にとっては結構お高い値段設定(ナン1枚15ドル、カレー30ドル)でしたので、
涙を飲んだのです。
その後学校内をブラブラ見ていますと、学生さんのバンド演奏や、ディスプレイされてあった
モトクロス用二輪車(?)のエンジン音の実演(?)、馬(ロバ?ポニー?)の実物も
来ており、面白い学園祭でありました。

3時も過ぎて店じまいするブースも出る頃、ようやく寿司売り場が判明し、
慌てて向かいますと売り子さんとしてはつらつとした友人がおり、美味しいお寿司も
いただき、それから5ドルに値下がりしていたホットドックも食べ、大変満足して
帰路に着きました。初めて行きましたが、インター校の学園祭は楽しいのですね。
11月20日(土) 今日は幼稚園主宰のBBQ兼親子遠足で、清水湾郊野公園へ行って来ました。
BBQの材料は幼稚園で用意してくれることになっており、1人前1セットを各家庭が
好みの数量だけ前もって幼稚園に注文しておくのですが、うちのだんなは2人前しか注文して
おらず、我々家族4人でまたもや『2人世界』のひもじいBBQになっては楽しくありませんので、
私も自前で肉を用意して持って行ったのです。
しかし当日渡された2人分のBBQセットは、生肉に肉団子にトウモロコシやサツマイモまで、
「焼き切れへんで〜」と思うくらいすごい量があり、他の父兄からウナギやらサワラやら、
チクワ、ハトのお裾分けもありまして、自分で用意して行った肉はほとんど手付かずのまま
帰って来ました。(それゆえ夕食も自宅の魚焼き器でBBQ)

思えば以前にこのようなBBQ大会に参加しました折はあいにくの悪天候で、
最初は皆で傘をさしながらBBQしておったのです。
しかし土砂降りになって来ますと、『焼き隊』と『避難隊』に分かれ、
焼き隊の有志がビニールを身にまとい、焼いている炉にも傘をさしながら決死の覚悟で
肉を焼き、それを雨避けへ避難している子供達と子守役の父兄にあてがう・・・という、
香港人とは思えぬ涙ぐましい協力合作ぶりを発揮した幼稚園の父兄面々だったのです。

しかし今日のBBQ大会ではどうでしょう。
公園に到着早々、校長の指示も聞かず勝手に凧揚げに行ってしまった親子、
校長の指示も聞かず、勝手に火を起こしてBBQを始めたおっさん、
校長及び先生が音頭を取って皆でゲームをしているにもかかわらず、
ベンチで勝手にくつろぎ持参したパンを食べ出す一家、
途中で黙って帰ってしまう野郎(うちのだんな)、
帰りのバスの時間を過ぎても現れず、皆をイライラさせたおばはん、などなど、
無法地帯な人々続出で、これが前回のBBQ大会と同一集団なのでしょうか?
前回発揮された結束力は、『まぐれ』だったのでしょうか?
11月16日(火) 明日から義姉夫婦がオーストラリアへ、結婚10周年記念の旅行に行くらしく、
といいましても、たったの5泊6日で帰って来るのですが、「行く前に一緒に
ご飯を食べよう」ということになってしまいました。
義兄も参加し、義姉夫婦と我が家総勢7人で、近所の海鮮レストランに出向いたのですが、
ここでもやはりこの一族の性であります、激しい『食バトル』が繰り広げられたのです。

本日のメニューは、菜っ葉(ガイラン)炒め、マメとそぼろ肉炒め、蒸し鶏半羽、豆腐煮込み、
チーズロブスター・伊麺底、だったのですが、総勢7人で、なんでロブスター1匹なんじゃぁ〜!
このレストランの料理一皿の量はそんなに多くありませんし、それならいっそ、
お高いロブスターは敬遠し、他の料理をもう2〜3皿ほど注文した方が人数配分的には
良さそうですが、「海鮮レストランに来たんだから!」という、見栄のようなものが
あったのでしょうか?
料理が運ばれて来るそばからハゲタカが舞い降りたかのように、各人の箸が皿に集中し、
あっという間に無くなってしまうのです。蒸し鶏半羽などは、私はガリガリに痩せた背の部分の
2切れしか食べられなかったですし、豆腐料理に至っては触りもできませんでした。
とにかく、どうして毎回このように、熾烈なバトルにしか発展しない料理数を、
敢えて注文するのでしょうか?料理を楽しむことよりも、バトルで他人より良い部位を
素早くゲットし、勝ち誇って満足感を得ることに意義があるのでしょうか?
このようなピラニア式晩餐(さっきはハゲタカと呼びましたが・・)は、もうたくさんです。
11月15日(月) 前から欲しいと思っていたものに、野菜チョッパーがありました。
ポンプ式に手動でレバーを押して、野菜をみじん切りにするやつです。
近所のスーパーで、結構名の知れたブランドのチョッパーが実演販売されているのを
見て依頼、ずっと「いいなぁ」と思っていたのですが、価格が100ドル(1500円)以上
しており、その時は手が出なかったのです。

しかし、本日とうとう買ってしまいました。
今度は近所にある市場の入り口で実演販売していたのです。
それはちゃんとしたブランドものではなく、中国製のいわば模造品のようです。
しかし実演している兄ちゃんの手さばきを見ていますと、ピーナツでもニンニクでも、
とても良く切れておりますし、おまけに「今日は特別に40ドルで売ってあげる」というのです。
40ドルで玉ねぎのみじんに涙を流すことから解放されると思えば、結構なことです。
実演の場で粘っている私を見て、兄ちゃんが新品を使ってもう一度ピーナツの実演を
してくれ、「これ持って行き。こんなに切れるから」というようなことをいいますので、
とうとう私は尻ポケットから財布をまさぐって40ドル出してしまいました。

そして家に帰って早速玉ねぎをザクザクしてみましたら、全然切れ味が良くないのです。
そもそもこのチョッパーは、玉ねぎの丸ごとはおろか、半分すら一度に入れられないような
容量しかなかったのです。これは盲点でした。
思えば実演では、玉ねぎを1/8程度にに串切りしたものをひとかけら、チョッパーに入れて
ザクザクしていただけなのです。
そこで玉ねぎの量を減らしてみましたが、実演の兄ちゃんがやっていたほど軽快には
切れず、私がやりますと切るというより押し潰している感もありまして、
玉ねぎの汁が出てしまい、びちゃびちゃなみじん切りになってしまいます。
加えて、玉ねぎがいったん切れ歯と平行に入ってしまったが最後、手動でどんなにレバーを
ズコズコ押し続けてもそれは一向に切れませんで、一度フタを空けて平行に入ってしまった
玉ねぎを、切れ歯に対して垂直に置き直さないといけず、結構面倒なことがわかったのです。

一度に大量のみじん切りができませんので、このようなチョッパーでカレーなどを作る際、
1/8個の串切りを入れてチョップしては取り出しチョップしては取り出す・・・を
延々玉ねぎ3個分繰り返すとなりますと、みじん切りの段階でくじけてしまいそうでは
ありませんか!
憧れの商品が、実はこんなに使い勝手の悪い奴だとは思ってもみませんで、
ちょっとがっかりな私ですが、買い手に商品の欠点を考察するような、冷静な判断をする
余地も与えず購買に踏み切らせた実演販売の兄ちゃんのスキルが、
鮮やかであったということですな。
11月13日(土) かなり前から両方の耳から耳垂れが出ていたのです。
しかし、これといって痛みもなく、耳垂れが結構私好みな臭いなこともありますし(おい!)
やがてカリカリに固まって、治ったかのような状態になるのです。
「治ったかな」と油断して耳掻きしてしまい、再び耳垂れが出てカリカリ状態・・・・・
というのをほぼ4日周期で繰り返していたのですが、なんとなくそのまま放置してしまって
いましたら、とうとう耳が腫れて来てひどく痛むようになってしまいました。

今日こそは医者に行こうと思った矢先、下の息子が腹痛を訴え目もうつろになって来ました
ので、親子で医者にかかるのは出費がダブルでなんとなくもったいなく感じてしまい、
息子を優先し医者に連れていったのです。
息子は腹痛と少し熱がありまして、夕刻にお昼食べたものをごっそり吐きましたので、
医者がいいますには、風邪から来る消化不良ではないか、ということでした。
しかし医者から戻って夕食は、「お腹いたい〜」といいながらも結構な量を食べまして、
その後は割合回復しましたので、こんなことなら私が医者に診てもらえば良かったのです。

耳の外側が非常にズキズキ痛みますので、これは耳掻きし過ぎの外耳炎に違いないと
思い、何か痛みを緩和する良い方法がないかとインターネットで『外耳炎』を調べましたら、
とてもたくさんヒットしました。
読んでみますと「原因は細菌やカビ類、ダニ、耳垢、耳毛、異物、身体のどこからかの感染
などが挙げられる」となっており、ふむふむと納得しながら更に読み進みますと、
「特に耳の垂れ下がった種類の犬は通気性が悪く・・・・・・」と来たところで始めて、
「犬!?」となり、それが犬用のサイトだったことに気がつきました。
しかしながら、検索でヒットした最初の16個までは、全部ペットの外耳炎に述べたサイト
だったようで、私は大変驚いてしまったのです。人間はなりにくい病気なのでしょうか?
10月22日(金) 今日は家族で西貢の砂浜へ遊びに行って来た帰り、ケチンボなうちのだんなにしては
珍しく、港に軒を連ねるシーフードレストランで「食べて帰ろう」ということになったのです。
『ウニ獲り名人』を謳い文句にしたような食堂があり、店の人となにやら交渉していた
うちのだんなが勝手にそこで食べることを決めてしまいましたが、まぁいいでしょう。
料理は『二人世界』という、2人用のセットメニューです。
大人2人+男児2人の家族4人で二人世界を注文という仕打ちには、
これまでも何度も泣かされてはきましたが、以前に比べましても子供はより成長し、
今では食べる量も一人前、おまけに長男の大好物であるシーフードですから、
二人世界では、ぜーったい足らへんちゅうねん!!!

ウニ獲り名人の店では、生ウニの刺身(?)をワサビ付きのサービスで出してくれるようなの
ですが、店の横でウニ獲り名人自らが、清潔そうには見えない入れ物を使って、
ウニのむき身(?)を水道水で洗っています。
それを見るととても生では食べる気がしませんでしたので、ウニサービスは野菜炒めに
変更してもらったのですが、やはりウニですから、食べておきたかった気もするのです。
あれは生食しても大丈夫なのでしょうか?とても気になります。

出て来た料理は茹でた小エビ一皿、蒸したとこぶし4個、チーズ焼小さいロブスター2匹分、
小振りの蒸し魚と野菜炒めにスープでした。
やはり4人ではぜーんぜん足らず、だんなと長男が繰り広げる激しい食バトルの醜態を
見るにつけ、私は悲しくなりました。

そして2日後の日曜日は、義姉夫婦と一緒に、近所のインド料理屋に行ったのです。
大人4人子供2人の総勢6人だったのですが、やはり血は争えないのですね。
場を仕切りまくっていた義姉が注文したものは、『三人世界』(だったか忘れましたが・・・)
とにかく3人用のセットメニューでありました。
総人数を2で割った人数分のセットを注文するのが、この一族の掟なのでしょうか?
10月16日(日) 本日またもやだんなの画材買出のためにシンセン郊外まで連行され、重たい荷物を
持たされた私なのですが、その代償として、帰りがけに全身マッサージ1時間コースへ
連れて行ってもらったのです。
今日行ったマッサ−ジ店は初めて行く所でして、店の1階が受け付け、2階が足マッサージ、
3階が全身マッサ−ジという風に、フロアが分かれているのですが、3階に上がって行こうと
する私を見て、2階でマッサージを施していた人々がなんだか怪訝な顔ししているのが
ちょっと気になったのですが、とにかく3階の部屋に通されました。
その部屋の入り口には『日式』と札がついており、日本式のマッサ−ジを施す用に部屋が
作られているようですが、日本式マッサ−ジとは、一体どのようなものなのでしょうか?

中に入ってみますと、サウナのような木目調の床と壁に、ほとんどベッドと呼んでもいいような
台が2つ置いてあり、その上部屋の灯りがとても暗く設定されております。
いつも行くマッサージ店とはかなり違う趣きですので、なんだかおかしいなと思いながらも、
マッサージ師が来るのを待っておりました。
マッサージ師がなかなか来ませんので、私は先にトイレに行っておこうと思い、
マッサージの個室が並ぶ通路を歩きつつ、部屋の中を力一杯の横目で観察してみましたら、
とても暗い中に上半身が裸っぽいおっさんと女の子の白い制服が浮かび上がって
います。「やや?なぜ裸?」と思いながら次の部屋を覗きますと、
この部屋の主人と女の子は顔をぴたっとくっつけ合っており、そのまた次の部屋では
女の子がおっさんに馬乗りなのです。

これ以上は覗いてはいけない気がした私はトイレに直行し、用を足して部屋に戻りますと、
マッサージ師はまだ来ておらず、だんなに「あんた、この店どういう所やのん!他の部屋見て
来てみ!」と促しますと、だんなもトイレに行くフリをして出て行きました。
その間、マッサージ師には見えないけど多分そうであろう女の子が2人やって来て
「これに着替えろ」と言い、甚平のようなものを2着置いて、再び部屋の外に出ていきました。
もしも甚平に着替えましたら、マッサージ嬢が私を禁断の世界に導いてくれるのかも
しれませんが、禁断の世界は(費用が)高く付くのではないかということも心配になり、
迷っているうちにだんなが戻って来ましたので、「着替えろって言うてるけど」と言いましたら、
なんだか狼狽した様子で、「え?着替え?要らんなぁ?」などと、断わってしまったのです。
うちのだんなの頭の中にも、『着替え=別途費用』の図式が浮かんでいたに違いありません。

そうしてマッサージが始まったのですが、ツボマッサージと言うよりも『揉み揉み』と表現する
のが適当で、セクシー度70%(勝手に判断)なのであり、おまけにマッサージ嬢は
私の腰に馬乗りなのです。
揉み揉みしてくれる箇所も尻の付け根だとか背中の横側だとか、
非常にきわどい部位ですので、だんながどんなマッサージを受けているのかが
とても気になったのですが、うつ伏せの状態からわざわざ顔を上げ、
だんなとマッサージ嬢に睨みを効かせているのもどうかと思いましたし、
だんなをチェックしたのはいいが、もしもだんなの方がマッサージ姉ちゃんに馬乗りに
なっていたりしたら、それはそれでショックな光景ですので、
私は1時間中、だんなとマッサージ姉ちゃんの居る方角から漏れて来る音に
耳をそばだてながらも、微動だにせずひたすら黙りこくっておりました。
10月13日(木) 朝、上の息子の制服のベルトが見当たらないのです。
なんとなく嫌な予感を抱きつつ洗濯機のところに行きますと、洗剤を入れて回っている
底の方で、なにやらガラガラと金属音がしています。
「バックルや。。。」と観念し、何か替わりになる黒のベルトが無いか家中捜索したのですが、
だんなのベルトでは太過ぎて、息子のズボンのベルト通しに入らないのです。
洗濯機の中で回っているのは濡れてしまっていますし、仕方がないので、私が働いていた時に
着ていた黒のスーツ(もうサイズが合わない・・・)に付いていた、細身の黒いエナメル皮っぽい
けど実は合皮のベルトに、息子の腰サイズで穴を開け、装着させていくことにしました。
ベルトの幅は1.2cmほどであきらかに婦人ものですし、強烈な光沢がありますし、
腰に装着しましたら細過ぎて、かなりの違和感がありましたので、このベルトの秘密を
クラスメートに目ざとく発見され、囃し立てられたりはしまいか、ちょっと心配でした。
息子が帰って来てから「いじめられへんかったか?」と聞きますと、「お母さん!誰も気が
付かへんかってんで〜」と力説してくれましたので、めでたしめでたし。
  おばば(義母)が自家製菜芯(菜っ葉)を手土産に、久しぶりに奇襲をかけてきたのですが、
上の息子が「学校で同級生に叩かれる」というようなことをポロッと言ってしまったがために、
おばばが一人興奮し、「ワテが学校に文句言うたる!」と、大騒ぎになってしまいました。

息子が欧という名前の同級生に叩かれているという話は、前にも息子から聞いたことが
ありますが、事情を詳しく尋ねますと、背の順番に整列した時に、うちの息子の
ちょうど後ろに並ぶ欧が、叩くというより、どうもちょっかいをかけて来るようなのです。
それも整列した時に限ってやって来るようですので、本気で意地悪く叩いているのか、
いたずらなのかも判断しかねますし、息子の方も「それが苦痛でたまらん!」という表情でも
ありませんし、「叩かれたことを先生に言うたんか?」と聞きますと、「言うてない」と答えます
ので、「叩かれるのが嫌やったら、今度叩かれた時はすぐ先生に言いなさい」とだけ
言うておいたのです。

おばばは私に「叩かれてる事、知ってるか?」と聞きますので、「知ってる」と答えますと、
「え〜い、ワテの孫が叩かれてるのにこの嫁ときたら!!!」という苦々しい顔つきに
変貌し、ドラ声をさらにパワーアップさせ、「先生に言うたんか?言うたんか?」と
詰問して来ましたので、「言うてません、彼(息子)が自分で言うたらええのです」という
ようなことを答えますと、「へっ!こいつとは話にならん!」といわんばかりに憤りの
ご様子なので、私は特に何も用事はなかったのですが、そのままぷいっと台所に入って
行ってやりました。
直後おばばはうちのだんなの方へ怒りの矛先を変え、「なんで学校に言わへんのや!」
ということを100万回ほどだんなに向かって怒鳴っており、だんなも最初は「遊びが高じてる
のちゃうか?叩かれてるのとちゃうのや」と弁明していたようではありますが、
おばばの方が、「お前が文句言わへんのやったら、ワテが学校に電話したる!電話番号は?
先生の名前は?」とますます興奮のるつぼですので、最後にとうとう、「わかったわかった、
俺が学校に電話するから」と、言わされておりました。

その夜はおばばのしもべの方々から、「叩かれてるんやってな?そんな生徒(欧)、
ぶっ飛ばしたれ!絶対学校に文句言えよ」という内容の電話が入れ替わり
かかって来ましたが、サイドストーリーとして、私が悪者になっていることでしょう(エーン)。
  友達との待ち合わせで太古城に行くことになったのですが、
「ああ、太古城のマンション群が見えて来たな、もうすぐ下車しないといけないな」と思ったころ、
バスが急に高速道路に入ってしまいました。バスを間違えて乗ってしまったのです。
私はバスの2階で呑気に座っていたのですが、太古城のマンション群の横手を
バスが一気に走り抜け、どんどんスピードを上げて未知の世界へ去って行こうとしています
ので、慌てて階下に下りますと、次の停留所を告げるバスの電光掲示板に、
『阿公岩道』と出ているのです。それ、どこや!?

その時点で私は、実は10分も待ち合わせに遅刻しており(時間にアバウトな香港人化)、
しかも友達はつわりのきつい妊婦、「ああ〜、もっともっと待たせてしまう・・・
このバスは一体どこに行くのじゃぁ?どないしょ〜?」と、不安で泣き崩れそうなりましたが、
とりあえず気を確かに持ち、友達の携帯に電話を入れました。
しかし、あまりの失態に、バスを間違えて高速に入ってしまっている・・・とは正直に言えず、
「ごめん!道を迷ってるねん」とだけ弁明しますと、気のいい友達は「今どこ?私が迎えに
行こか?」と言うのですが、高速やっちゅうねん!
私はしどろもどろになりながら、「いや。いいです。必ず行くから、そこで待ってて」と
曖昧なことを振りしぼり、高速と平行して走る美しそうな海景を眺める心の余裕もなく、
「早く止まれ〜止まれ〜南無妙法蓮華経〜」と、一心にお題目を唱えておったのです。
そしたら間もなくバスは高速道路を離れ、ゆるい坂道を登り始めたと思ったら、
そこにバス停留所がありました。
阿公岩という岩か名所があるのかどうかは知りませんが、なるほど岩盤っぽい
地帯(?)でした。
それから急いでタクシーを拾いましたら、ほんの5分もかからない、
運賃にしますと20ドル(300円)の距離で、友達の待つ太古城に戻れましたので、
「なんや〜!こんなに近場やったんか・・・」と私はすっかり安堵し、
先ほどのドキドキハラハラ涙チョチョ切れが、ちょっと損した気分でした。
  粉嶺にあります学童歯科診療所から、上の息子の歯科検診に来い、という手紙が
来たのです。
指定時間は午後の3時ですので、小学校を早退させ、連れていかなくてはいけません。
前もって連絡帳には早退する旨を書いておき、今日の朝にも念の為、だんなに学校へ
電話させ、息子にも、「7時間目が終わったら(2時)正門に出て来るねんで」と言い聞かせて
おりましたのに、肝心の2時になりましても、息子は正門に姿を現さないのです。

時間はどんどん経っていきますし、受付のおっちゃんは待っている私を不審そうにジロジロ
見ますし、私も「あのおっちゃんに事情を説明した方がええやろな、でも広東語しゃべらな
あかんやろな、嫌やなぁ、どないしょ?どないしょ?」と焦り始め、そうこうしているうちに
8時間目のベルが鳴ってしまいましたので、死ぬ思いで受付のおっちゃんに、
「私2年B組○○の家長ですが息子2時早退要る、まだ来ない」ということを伝えましたら、
「あんた、2階の事務所で手続きせな早退できへんで〜」と、呆れたようにいうのです。
そんなん聞いてへんど〜、おっさん!!!
それでも親切なおっちゃんは私を2階に連れて行ってくれ、事務所のおばちゃんに
事情を説明してくれましたので、早退申請書に書き込むと、すぐに息子が出て来ました。

粉嶺までは電車に一駅乗らなくてはいけません。
学校から息子と自転車2人乗り、超高速で疾走しましたので顔面の滝汗を拭う間もなく、
最寄の駅に着きましたら、もうすでに2時40分だったのです。
この分では指定時間に遅れてしまうかもしれません。
「どうせ香港人は時間にいい加減だから、きっと皆遅れて来て指定の時間には始まらない
だろうし、我々も遅れて、まぁいいっか?」とも思ったのですが、とりあえず急げるところは
小走りし、診療所に着きましたら、指定時間ジャストの時刻だったのです。

意外に来ている人は少なく、たったの3家族が待っている状態でしたので、半時間も待てば
順番が来るであろうと思っていましたら、白衣の上に防菌エプロンを被り、
シャワーキャップのようなものまで頭に着けた完全防備姿の歯科先生らしき人が、
カルテ持参で診察室入り口に現れ、そこに備えつけられているマイクで、
我々より先に順番待ちしていた子供の名前を呼んだのです。
その親子は立ち上がり、嬉々としてその先生の元に向かいましたら、歯科先生はすかさず
「あんたら遅刻して来たから、順番後回し」と、またもや皆に聞こえるようにマイクを通して
言い放ち、そのまま診察室に戻って行ってしまいました。
「何もマイク通さんでも・・・」と、恥をかかされた親子がちょっと気の毒でしたが、
世の中の遅刻常習犯どもにガツンと一発食らわせるには、有効な手段なのでしょうか?

それからちょっとして、順番後回しの親子より先に息子がマイクで呼ばれ、診察室に
入っていきました。あの親子は本当に、後回しの刑に処されてしまったようです。
これは一体どういうことでしょうか?
時間にアバウトな香港に、時間厳守の風潮が起き始めているのでしょうか?
それとも、あの歯科先生はドイツ帰りか何かで、規律秩序の維持に特別うるさく、
厳格な性格だったのでしょうか?
  下の息子には今学期から午前と午後の両方を、幼稚園で過ごさせているのです。
いわゆる全日制ですので、朝は8時半に幼稚園に送って行きますと朝食も出してくれ、
昼食も幼稚園で食べ、夕方5時半に迎えに行くといいのです。
一日の大半を幼稚園で過ごすことになりますので、最初は「午後は昼寝してから
遊んでいるだけなのに、月謝が2倍になって、なんともったいない・・・」などと、セコイ邪念を
抱いていた私でありますが、夕方迎えに行きますといつも元気はつらつで出てきますので、
これはやはり、昼寝させてもらってなんぼのもんやなぁと思えるようになりました。

そしてなにより、全日制に変えて1番の収穫は、宿題も幼稚園で済ませて来てくれる、
ということなのでした。
息子は年中組でして、漢字と数字の書き取りが、毎日それぞれノート1ページづつ宿題として
出されるのですが、息子に鉛筆を握らせるのは、なんとも至難の技であったのです。
毎日毎日、おだて褒めちぎり、それでもダメなら威嚇して、親子でキキー−ッとなりながら
やっとの思いで宿題を完成させていたのですが、その苦労から解放されたのです。
今では時折、息子が自ら習った漢字を紙に書いて見せてくれたりするのですが、
1文字書くごとに、にか〜っと笑って「イチバーン!」というのです。
担任の麦先生が、「イチバーン!」とおだて褒めちぎりながら、必死の思いで宿題をさせて
くれている姿が目に浮かぶのでした。
9月20日(月) 夜11時に寝て朝10時に起きる、というだらだら過ごした夏休みを終え、
悶絶しなくてもなんとか起床できる早寝早起きの学校生活ペースに、
親子共々やっと順応できるようになって来た今日この頃であります。

上の息子の小学校では、今学期からなぜか宿題が激減したのです。
思えば前学期の暮れに「宿題アンケート」なるものが家長会(PTAのようなもの)から
配られ、宿題の量や中身に対する意識調査がなされましたので、もしかしたらこれが
功を成したのでしょうか。
前学期は毎日4科目ほどの宿題が出ており、しかも作文や計算問題が30題などという、
やたらめったら時間がかかる無慈悲な内容のものが容赦無く出されておりましたが、
今学期は今のところ、そういうしんどい宿題がないのです。
これはまだ、新学期が始まったばかりだからなのでしょうか?
それとも、息子の問題を解く効率が少しばかり向上し、学校で片付けてしまえる宿題
(授業中に終わらなかったことが宿題になる場合が多い)が増えたからでしょうか?
どちらにしても、親子で宿題に泣かねばならぬ機会が減ったことは、ええこっちゃ。

放課後、時間に余裕ができましたので、上の息子に自転車を買い与え、
本格的にコマ無し(補助輪無し)で走る練習を始めてみたのです。
最近は警察がやかましく、歩道やマンション前の空きスペースで乗っていますと叱られ、
挙句に罰金ということになりますので、近所の自転車道で練習しているのです。
しかし自転車道は当然のことながら自転車、しかも香港人のヘタクソ運転がわんさか走っており、
そこへ息子のような暴走初心者が加わりますと、あちこちでニアミス続出、
「わ、わわわわ〜!」ということになってしまいます。
息子も最初の滑り出しはなかなかスイスイと好調で「おっ!」と思わせるのですが、
ペダルを漕ぐのに気をとられますとハンドル操作がおろそかになり、
ハンドル操作に気をとられますと漕ぐ足が止まってしまいますし、
おまけにブレーキを使う心の余裕がないのです。
ブレーキが操作できませんと気が焦るのかペダルの回転はますます速くなり、
スピードが出ると積もる恐怖心、「わわ〜〜〜〜!お母さん〜〜〜〜!」と
半泣き絶叫しながら疾走していく息子を見ていますと、滑稽でもあり、なんやら切なくもあり、
自転車ごときで泣き笑い、であります。
9月5日(日) 一族の中に、うちの息子の小食のことでぎゃあぎゃあ騒ぐ人が1婆おり、
この頃では毎日夕刻、「今日は何食べたんや?食べたんか?どれくらい食べたんや?」
などの探りの電話が息子宛に入りますので、いい加減頭に来たうちのだんなが、
「ちゃんと食べてる!食が進まないのは、お前(1婆)の家でだけや!それはお前の料理に
問題があるからだ!」という主旨のことをポロッと言ってしまったが最後、
事態は泥沼の様相を呈してしまい、1婆は泣きの電話を一族方々に入れたようで、
本日は1婆の使いの者がやって来たのです。
使いの者が言うことには、「あんたらの言い分もわかるけど、医者に連れて行かな、
あの人(1婆)の気が済まんから、ここはあんたら折れて、医者に行ってくんろ」ということ
ですので、「連れて行くんやったら婆の好きにしたらいいけど、ほんまに病気で食が落ちてる
んやったら、その辺のクリニックに連れて行って聴診器当てたくらいでは絶対わからんから、
ちゃんとした病院にあんたらで予約入れて連れて行って血液検査なり、きっちり全部してもらって
来てくれ」ということをいいましたら、「血液検査なんて、可哀想やん」などと、驚いたように
使いの者がのたまうのですが、この人達は一体どうしたいのでしょうか?全く謎です。
9月1日(水) 今日から学校の新学期が始まり、上の息子は小学2年生、下の息子は幼稚園の
低班(年中組)になりました。
幼稚園では父兄も参加の始業式がありましたので行って来ましたら、
予想外に多くの数の新入生(年少組)がおり、私はとても嬉しかったのだ。
実はこの幼稚園はあまりにも年々生徒数が減っており、このままでは学校運営を
継続できず、息子の学年で打ち切りになってしまうのでは?と、私は以前から気を揉んで
おりましたのです。
なぜ私が気を揉まなあかんかといいますと、息子の学年で打ち切りになってしまうと
息子が落第できへんやないか!という、誠に自分勝手な理由もあるにはあるのですが、
やはり上の息子も合わせて4年も通わせますと、幼稚園に対して愛着が湧いてしまった
のですね。
うちの息子達のような出来の悪い子供でも快く受け入れてくれ、我慢強く指導してくれる
ような所は貴重やなとも思いますし、多いに感謝しておりますし、小規模の学校・幼稚園は
生き残り難い世の中ではありますが、やはり無くなって欲しくないのです。
捨てる神あれば拾う神もおる世の中であっても、いいじゃないか!(誰に言うてんねん)

それと、広東語がいまいち上達せず、意思疎通に問題がある息子を、
今年度からは一日中幼稚園で過ごさせてみることにしたのです。
こうしますと授業料が半日行かせていた時のちょうど2倍になり、うちにとっては
かなり恐ろしい額の出費になってしまうのですが、とにかくやってみるのです。
8月31日(火) 本日はだんなが、「夏休み最後やし、マッサージに連れてやる」と、
なかなか頼もしいことをいいますので、子供をおばばに預け、夫婦でシンセンに行って来ました。
まずは全身マッサージ、それから『ハトの丸焼き』、『カキのお粥』と、
これだけどうも生臭くて食べられず、なんでこんなもんを注文するんじゃあ!と、
少々腹立たしく思ってしまった『コイの頭のすっぱい煮込み』の昼食を取り、
一応至福のひとときを過ごしたのも束の間、食事が終わるとだんなが、
「台車(キャリーカー)買わなあかん」というのです。
「台車?もしかして?」という私の嫌な予感は的中し、だんなは速攻で安物の台車を購入
するないなや、そのまま公共バスに私を引き摺り込み、画材買い付けのため、
布吉というシンセン校外の田舎町まで私を連行し、油絵の具・カンバス大量を私に押し付け
ますので、汗だくになって帰ってきました。

おばばの家に子供を迎えに行きますと、下の息子がしかめっ面で「つーーーーーっ
しーーーーーっ」などと吐息を漏らしながら、「御チンチン、痛い痛い」といいますので
だんなに点検させますと、「先っぽが赤くなっている」というのです。
私も見てみますと、確かに尿道口の辺りが赤くなっており、おまけに包皮がめくれた
所から、恥ずかしい垢がぼっろぼろ出て来たのです。
実はこの息子はかなり以前にも一度、この手の炎症を起こしたことがあり、
その時も、「お母さん、めくって綺麗に洗ってよ」と医者にいわれたのですが、
やはり部位が部位だけに私の手では洗いづらく、洗ったつもりがこの有り様であります。
カスってあんなに溜まるのですね・・・。
変な話になって申し訳ありませんが、幼い男のお子様をお持ちの全てのお母様がたに
警鐘を鳴らすべく(鳴らさんでええってか?)、慎んでご報告申し上げます。
8月30日(月) 今月は、言葉が悪いですが私的には『貢物月間』だったようです。
色々なものを色々な方々からいただき、恐縮しながらも大変嬉しかったりするのですが、
本日は、だんなの友人から、非常に性能の良いアイロンと、非常に性能の良い掃除機を
いただいてしまったのです。
どちらもLOLOYAだとか、FUJIYAMAだとかいう、へんてこなメーカーのものではなく、
きちんとした大手電気メーカーのものですし、掃除機については空気清浄機能
らしきものがついているのです。
うちのだんなの友人の中にも、こんな高品質の物を買う立派な人がいるんだなぁというのが、
ただただ感動的でありました。
8月22日(日) 義姉がやって来ました。
彼女は今夏、うちら一家の日本への里帰りにくっついて来ようと目論んでいたのですが、
私はなんと非情なことに「お前は来れないよ」と、だんな経由で断わってしまったのです。
それがありますゆえ、今日会うのは少々バツが悪い思いがあったのですが、
私のバツの悪さを助長するかのように義姉は、上の息子に買ってくれたらしい、
通学用の立派なランドセルを持って来たのです。

香港で売っているランドセルは価格にピンからキリまであるのですが、
うちのだんなは典型的な安物買いの銭失い野郎ですので、
息子に買い与えたものは露店で売ってる20ドルの、中国製粗悪縫製リュックサック
だったのです。
さすがに粗悪品だけあり、すぐに縫い合わせの部分が破裂したり、ファスナーが馬鹿に
なったりしますので、母さん(私)が夜なべをして破れたところを一針一針張り縫い合わせたり、
思考錯誤しながらペンチでファスナーをなんとか噛み合わせるように修理したりという、
無駄な努力を重ねたあげくに買い替える、というのを、3回も繰り返したのです。
なんという銭失いでしょうか。

それを見かねたのでしょうか、義姉が買って来てくれたものはといいますと、
香港では有名なSPIブランドのランドセルでして、値段はだんなが買って来た
リュックサックの20倍程もするのですが、しっかりとした箱型な割には軽量ですし、
ファスナーの開閉も非常にスムースですし、内装(?)も機能的にできているのです。
義姉はその根拠は知らないながらも、「背負うと背骨にええんや、ええんや」を繰り返し
ますので、なんだかよくわからないけどそういう風な設計にもなっているのでしょう。
やっぱり、ええもんはエエ!ということを再認識した次第であります。
しかし、こういう貢物をもらいますと、ますます罪の意識がつのってしまい、
来年こそは日本に押しかけられたりするのを阻止できなさそうな自分が居てますからして、
おそろしいのですな。

それから夜は、おばばの家で晩餐会だったのです。
通常は、私のために薬膳スープなど作ってくれたことがないおばばが、
今日は奇妙なことに、「女人スープを作ったから、お前が飲め!子供には絶対
飲ますなよ」といって、白色混濁スープがなみなみと注がれた碗を<強引に
差し出したのです。
おばばのこの異例なサービスの良さと彼女の日頃の言動とを合わせて推量しますと、
もうこれはきっと「子供が授かるスープ」だとか、「排卵誘発スープ」だとか、
「催淫くねくねスープ」だとかに違いないと思うのですが、
私はこの手の中華薬膳スープには一切信仰心がありませんし、
以前腰痛治療で飲まされたカレー色薬膳スープの時も、
「これを飲んだら必ず下痢して解毒するからの」と、薬屋のおっさんが
自信マンマンに言ってのけたにもかかわらず、な〜んともなかったのです。
ですので、このおばばスープも立派に飲み干してやり、それを見ておばばも満足そうに
していたのですが、「体が火照る」だとか、「目が爛々する」だとか、
「ムズムズする(どこがや!?)」などということは決してなく、
やはりな〜んの効果も自覚できないまま終わりました。
おばばよ、無駄骨折ったのう。うっしっし。
8月20日(金) オリンピックに触発されたのか、だんなが「泳ぎに行こう」というのですが、
ちょうど九龍公園の公衆プールで赤虫(糸ミミズ?)発生のニュースが新聞、TVで
大きく報じられておるのです。
うちの近所にも九龍公園同様の政府経営公衆プールはあるのですが、
私は以前、そのプールでゲンゴロウが泳いでいるのを目撃したことがあり、その時は
ゲンゴロウを見たのが生まれて初めてでしたので、「わぁ!かわいいなぁ」と
心ときめき、無邪気にも手ですくったり触ったりしていたのですが、
今思うとゲンゴロウは肉食。スイミングプールにゲンゴロウがおるちゅうことは、
ゲンゴロウのエサになるはずの動物性タンパクがおるちゅうことで、
そういう考えに行きつきますとさすがに今日は気持ち悪く、プールに行く気には
ならなかったのです。
そこでプールがダメなら海へ、ということになりまして、うちから一番近場で、
息子がなんとか乗り物酔いせずに行ける距離であります、馬湾の海水浴場へ
向かいました。

しかしここは大型船が出入りするチュン湾界隈の工業地帯が目の前にありますので、
水の透明度があまり高くないのです。
入水してみますと、水深50cm程度までしか視界に入らない感じです。
しかも河岸線に沿って泳いでいますと突然、平泳ぎでキックした足にガ−ン、と岩が
ぶつかったのです。水の透明度が低過ぎて、海底に岩があるのが見えなかったのです。
危ないやんかっ!
足を擦りむきましたので泳ぎは止めにして、そそくさと陸に上がったのですが、
今度は水のしたたる自分の体を見て驚愕してしまいました。
腕やら足やらその他諸々体毛という体毛に、クロレラのような深緑の藻が
付着しており、それが雨だれのごとく、体に幾筋もの緑の文様を描いているのです。
そっと臭ってみましたら、磯の香りの中に+αとしましてヘドロの成分も感じられるような
気がしまして、私の海水浴気分は一気に減退してしまったのです。
波打ち際で遊んでいた息子を慌てて確認しますと、彼の体はさほど緑色ではなかったの
ですが、水を飲んでしまったのでしょうか、歯の所々に緑色のものや砂が付着しており、
私はもう一刻の猶予もならんくらい気が狂い、だんなも子供もどやしつけ、
急いで退散して来ました。
こんなことなら公衆プールで赤虫と一緒に泳いでいた方が幸せだと思いました。
8月19日(木) 香港でもオリンピック競技の模様はテレビで放映されているのですが、
卓球とバドミントンしかあらへんのかっ!と怒りを覚えるくらい、それしか
やっていないといっても過言ではないほどの、独占率なのです。
どちらの種目も中国人が強いので、香港市民はこれで満足しておるのでしょうか?
しかし考えてみますと、日本在住の中国人は、「もうまたぁ?柔道ばっかりやん!」と
テレビに愚痴っていらっしゃったりするのかもしれませんな。

それはまだよしとしますが、卓球の放映中に水泳の決勝がありますと、
卓球の試合途中にもかかわらずいきなり水泳の放映に変わってしまい、
水泳選手がゴール(?)にタッチするやいなや、再び卓球に画面が戻ったり、
バドミントンの最中に突然体操の中国人選手の演技になったかと思うと、
その中国人の演技だけ終わると体操の放映は打ち切りになって、
その後しばらく水泳の放映になり、それから再びバドミントン試合の佳境に戻るといった
あんばいで、「何時から何時までは○○の試合をじっくり放映」という明確な姿勢が
ないのです。
フレキシブルといえばそうなのですが、このように中国人が出ている姿だけを
追い求める、中国人至上主義な放映で、香港市民は満足しているのでしょうか?
満足しているのでしょうね(自問自答)。
競技のええとこだけ見たい気持ちもわかるのですが、あまりにも性急に画面が変わり
ますので、今まで体操だと思っていた画面に、突然水着を着ている選手が現れたりして、
見ている側(私だけか?)としては、とてもびっくりしてしまうのです。
こういうせっかちさも、香港らしいといえばそうなのでしょうか。
NHKが観れないような処に住んでいる、うちが一番悪いのですね、はい。
8月18日(水) 我々の帰港を待ち構えていたように、おばばが飛んで来ました。
おばばのドラ声第一声は「おぅ」でも「ハロー」でも「お前、帰って来たか」でもなく、
うちの長男の名前、しかも連呼でありました。
ソファに落ちついたおばばは手土産であるマクドナルドのハンバーガー3個を差し出し、
「子供に1個づつと、もう一つはお前が食べ」と、勧めてくれました。人間は変わるものです。
そしてカバンから中身が詰まって異様に膨れた赤いポチ袋を取りだし、
「これで来学期の文具を買うてやれ」といいながら、私に握らせるのです。
去年にも同様の名目で、へそくりと思しきくしゃくしゃの20ドル札(300円程度)の束を
もらったことがありまして、「はは〜ん、今回も20ドル札束だな、くしゃくしゃなのだな、
だから膨れているのだな、だったら貰っておいてもいいかな」と思いながらも、
一応「要りません!」「「要るがな!」「いいですって!」「取っときって!」などと、
いつもながらの贈収プロセスを繰り広げていたのですが、
ふと中身を見ると赤いのです、札が。20ドル札の青黒い感じではなく、
それはやはりくしゃくしゃながらも100ドル札(1500円程度)の真っ赤な束だったのです。
札が赤いのを見て私がハッしたのがおばばにもわかったのでしょう、おばばは
「2000ドル(3万円程度)あるのや〜」と言い放ちましたので、
さすがにその額は恐れ多く、また、この先「子供を産め〜」などといわれた時に、
この2000ドルが足枷になり、自分の中で葛藤を生むことになっては困りますので、
きっぱり断われれば良かったのですが、やはりずるずると貰ってしまい、
だんなに報告しますと「お前が貰っておけ」ということでしたので、何に使ったか
わからないまま消費してしまう前に、自分の貯金口座に入金して来てしまいました。
8月17日(火) 親子3人、無事に香港へ戻って来ました。
出発前にはだんなが、「車で空港まで迎えに行ったるから、大荷物でも大丈夫やで」と
豪語しており、うちには自家用車がありませんので一体どういうことか聞きますと、
だんなの教え子が、彼の車ではるばる遠い空港まで迎えに来てくれるというのです。
だんなの教え子といいますと、二十歳そこそこで遊び盛りのふざけた若人達ばかりだと
思っておりましたので、「恩師(?)の家族のために車を出してくれるという奇特な生徒も
おるもんやな」と私は感心してしまい、そういう立派な志を持つ彼のために手土産でも・・・
と、関西空港では財布にたった1枚残ったきりの1000円札をはたいて、
メリーズのチョコレートを買ったのです。
しかし香港空港の到着ゲートに着きますと、そこにはだんなの姿しか無かったのです。
「生徒は?車は?」と聞きますと、「来てくれへんかった・・・」ということで、
「そらそうやろ!」と心の中で絶叫しながら、スーツケース特大1個&ダンボール箱1個という
大荷物を抱えてなお、質素倹約のため、所要1時間の路線バスで家まで帰って来ました。