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2004年7月の日記
7月12日(月) 皆様へ

いつも、日記を読んで下さってありがとうございます。
今週末から日本に里帰りしますが、なにぶん怠け者ですので、
今月の日記の更新は今日で最後になってしまいそうです。
8月後半には再開できると思いますので、どうかそれまで見捨てず、
お待ち下さるよう、お願い申し上げます。

掲示板は日本からも時々覗くつもりですので、
気が向かれましたら書き込みの方、
どうぞよろしくお願いします。
ではでは。

まむこん

7月11日(日) 上の息子の同級生であるサマンサ(香港人)のお誕生会が、
マクドナルドで開かれたので行って来ました。
私は元々人としゃべったりするのが苦手ですので、当初は「息子を送りつけたら
誕生会には参加せず、とっとと帰ろう」と思っていまして、息子にも
「お母さんな、後で迎えに行ったるから、会が終わっても勝手に店の外に出たら
あかんで!あかんで!」と、口を酸っぱくして言い聞かせていたのです。
しかしマクドナルドに着いてみると、息子の学校の麗しい英語女教師・ミスキャロルが
いてるではありませんか!おぉ〜、ミス・キャロル!私は吸い込まれるように
誕生会に突入し、そのまま1時間半も居座ってしまいました。

息子の小学校の父兄で一番最初に出会ってしまったのが、何につけズケズケしている
カーヤン母であったため、どんな父兄が来ているのか、私は今日もかなり身構えていたの
ですが、来ている父兄は立松和平似の朴訥親父を除いて、皆こざっぱりした、感じの良い
お父さんお母さんばかりで、しかも英語を話せる人も多く、なんだか嬉しい拍子抜け
だったのでした。
サマンサのところは親が国際結婚でして、サマンサの中国語に関しては
うちと似た状況であるらしく、そのことでも話が弾み、思ったよりも楽しく過ごせたのです。
英語でしゃべるのには緊張して疲れましたが、ミス・キャロルの側にも座れ、
ミス・キャロルの美しさも堪能でき、ミス・キャロルがくちゃくちゃ食べをしないことも
確認できましたので、参加して良かったなと思いました。

蛇足でカーヤン母ですが、先日は引越し先の沙田から、カーヤンが着用していた
お古の体操服(男女兼用)をわざわざ持って来てくれたのです。
やっぱりエエ人やんか!好印象で締めくくることができ、良かったのです。
7月10日(土) 午前中は上の息子が通う小学校の後期三者懇談会、午後は下の息子が通う
幼稚園の卒園式でした。

小学校の三者懇談には、だんなに息子を連れて行ってもらいましたので、私は
直接先生の話を聞いてはいないのですが、やはり中国語の発達が著しく遅れている
問題を指摘されたようです。
成績表も貰って来たのですが、『中国語』と『普通語会話』 の両方にD(不可)の
マークが君臨しており、実は前期もDでしたので、これはぜ〜んぜん進歩してへん
ちゅうことですやんかっ!
しかし、同じく中国語で読み書きしております『常識』や『算数』『宗教』などの科目は、
それなりにできており、ことに『常識』は課題が太陽や月、星など天体についてだったから
でしょうか、思いがけなくA(優良)でしたので、これはひとえに、息子本人がその科目に
興味があるかどうかが成績を左右するといってもいいかもしれませんな。
ということは、『中国語』と『普通語会話』に、いかに興味を持たせるかが、
上達への糸口なのでしょうか。しかし、一体どうすればいいのだ。
好きな女子が普通語しかしゃべらない、ちゅうのが一番手っ取り早いのでしょうけど、
現状ではこれはちと無理ですな。

そして午後からは、幼稚園の卒園式に行って来ました。
今年卒園する子供達は、上の息子の1学年下かつ、下の息子の2学年上でして、
それなりに馴染みもあり、それなりに皆可愛く思っていたのです。
特にうちの下の息子の面倒をよく見てくれていた李俊廷が、演台に一人立って
卒業の言葉を立派に述べたのにはウルウルしてしまいましたが、
泣いていたのは私のみ、俊廷のお母さんでさえケロッしており、
思えば去年行われた上の息子の卒園式の時も、感極まって泣いているお母さんは
一人もおらず、皆とてもサバサバしていたのです。
香港人のお母さんは、この先続く長く苦しい学歴競争を考えるにつけ、幼稚園ごときの
卒園イベントでは、センチな気分になったりしていられないのかもしれませんな。

とにかく、上も下も成績はさておき、一年の学校生活が無事に終わり、
親としても宿題のフォローや学校の行事に追われた慌しい一年が終わって、
かなりホッとしておる今日この頃であります。
7月9日(金) 大阪へ里帰りする日が近づいて来たのですが、義姉に頼んだ航空券及び、
鉄道周遊券を巡り、色々と細かい問題が発生しておったのです。

まず、航空券ですが、私の名前のスペルが間違っておりました。
義姉がEメールでフライトスケジュールを送ってくれたのですが、見ますと
私の姓のスペルがおかしいのです。
そういえば今回の予約に当たっては、私の知らない間に義姉が色々勝手に
やらかしてくれてましたので、私の名前のスペルを直接聞かれた覚えがないのです。
それ故これも、単なるEメール上のタイプミスだろうとは思ったのですが、
念の為義姉に間違いを指摘しますと、「わぁ〜、そのスペルでもう発券してもうた」と
まるでこちらに非があるような、憮然とした口調でいいやがるのです。
ほんなら発券前に確認して来〜い!
義姉が再発券してくれこれは片付いたのですが、今度は鉄道周遊券のことでも、
ひと悶着あったのです。

この周遊券ではJR各線が乗り放題になるのでして、外国人及び、条件を満たした
特定の日本人なら購入して利用できるもののようです。
日本人の場合の条件として、「海外に永住権を持っている」もしくは、「外国人と結婚
している」というのがあり、これらのどちらかを満たしていれば利用できるはずなのですが、
義姉は「お前は香港に十年住んでいないから、ダメだ、利用できない」と言い張るのです。
JRのHPを見ますと、確かに以前は「海外に十年住んでいる」というのも条件に
あったようなのですが、現在この条件では購入できなくなっているのです。ということは、
義姉が言い張るように、仮に海外に十年滞在していたとしても、それだけでは条件に
ならないはずなのです。
それに私の場合、「外国人と結婚している」という条件を満たしていますし、
一応永住権も貰ったところですし、十年云々に頼らなくても十分購入できそうなのです。
しかし、義姉の頭の中ではどういう論理になっているのでしょうか、「十年住んでないから
買えない」のバリバリ一点張りでして、私「買える」、義姉は「買えない」の押し問答が
2日も続いていたのです。
しかも、「お前名義では購入できないけど、○○(うちのだんな)名義で2枚買い、
1枚をお前が使えばいい」などという不正を持ちかけて来るのです。
正規で買えるのに、なぜ不正せなあかんのじゃ〜!

「発売してる代理店に電話して聞いても、お前の条件では買われへんって言ってる、
しゃあないから弟名義で2枚買う予約を入れた」などと、本日も義姉はしつこく主張し
勝手に不正購入までしようとしているのです。
2枚も買ったものの実際使えないと困りますし、どう考えても私の方が正しい主張を
しているのにもかかわらず、それを認めてもらえないのは誠に理不尽ですので、
そこで私が同じ代理店に電話してみたのです。
すると流暢で丁寧な日本語をしゃべる感じの良い香港人の姉ちゃんが、
「はい、お買い求めになれますよ」とあっさり言ってくれましたので、
「おら!どや!買えるって言うてるんじゃ〜!ちゃっそう!」と憤りで鼻息を荒くしながら
即刻義姉の旅行会社に電話しましたら、義姉は手の平を返したように、
「あぁ買える買える、香港人と結婚してるって条件を代理店に言うてなかってん」
ということなのでした。マヌケ過ぎやど!!!
7月4日(日) おっちゃん(義父)の母上でありますお婆は老人ホームに入居しており、
お婆の好物である焼鴨飯を手土産に、今日は家族4人で面会に行って来ました。
前回面会に行ったのは、もうかれこれ半年も前のことだと思いますが、
その時は我々が誰だか最初認識できない様子で、「あんなに元気だったのに、
ホーム送りになった途端ボケたか?!」と心配していたのですが、
今日は元気そうでした。

このお婆は客家語しか話せないのですが、私に向かって一生懸命語りかけて
来るのです。うちの子供のことで何か熱弁を奮っているようですので、
私は全然意味がわからないながらも「ハイハイ」と相槌を打っておき、
後でだんなに掻い摘んで通訳させますと、どうも「男の子供2人やから、
ダブルで収入があるぞ。家に金を入れてくれるぞ。稼がせろよ」ということを
言うているらしく、この期に及んで金に執着があるとはさすが一族の長老!と
感心すると同時に、痴呆の心配をして損した気分でした。
7月2日(金) だんなが、「一人44ドル(700円くらい)で食べ放題できる回転寿司があるから
行こう」と言いますので、その安さと店の衛生状態にやや不安を抱きながらも、
夕方から出かけて来ました。
深水ポーという地区にある、西九龍中心(ドラゴンセンター)上階にその回転寿司屋は
あるらしく、うちから深水ポーへは、72番の公共バスですと乗り換え無しで
行けますので、深く考えずに乗ってしまったのです。
しかしこのバスは、到着まで激しく山越えを繰り返す難儀なルートを走るタイプだった
ようで、バスの揺れに空きっ腹が相俟って、ものすごく気持ち悪くなってしまいました。
何度も座る体勢を変えたり、楽しい事に思いを馳せたりして、気分転換には努めたの
ですがどうにも治まらず、「もうあかん・・・」と観念し、カバンの中からビニール袋を
探し出した頃、バスはようやく下山に向かい、深水ポーにある馴染みのパン工場の姿も
見えてきまして、「着いたんや」と思うと気分も楽になり、なんとか助かったのでした。

早速その寿司屋に行きますと、まだ夕方の6時というのに結構な客入りでして、
寿司も溢れんばかりにベルト上に並べられ回転しているのです。
私も子供も、香港では回転寿司を一度も食べたことがなく、最後に日本で食べた時から
ほぼ一年ぶりですので、「早く!早く着席しないと〜!」と、気がはやったのですが、
身長が1mを超えているため、下の息子も大人と同じ料金を払わないといけないことを
入り口で知ったうちのだんなは、入店するのをちょっと躊躇しているのです。
私も子供も舌がすっかり寿司を受け入れる体勢になってしまっていますし、
あれほど苦しく長いバス乗りも克服しここまでやって来たのに、
何を今更迷うことがあるのでしょうか。「入るんやろ!?」と、目を吊り上げ
強い調子で聞いてやりますと、だんなも意を決したのか、入店して行きました。

しかし席に着き、回っている寿司の姿を間近で見ますと、私はすごくがっかりして
しまいました。皿が所狭しとは並んでいるのですが、ツナ缶詰をマヨネーズで和えたやつ
だとか、パイナップルをマヨネーズで和えたやつだとか、小さいタコの佃煮だとか、
貝ヒモの佃煮だとか、どう見てもアズキ餡だとしか思われない物体が乗ったやつだとか、
どれもこれもヘンテコなネタで、「こんなん食えるかい!」と、叫びたくなるものだったの
です。
子供は無邪気ですので、「タコ!タコ!」と、それが流れている様に喜び、
食べたそうにしていますので、仕方なく一皿取ろうとしましたら、だんながすかさず、
「そこに流れているのは取るな!」というのです。
そして店員を呼びつけ、「サーモンとウナギとエビとタコとイカを2皿づつ」と慣れた様子で
注文し、「それから何や?」と私に振って来ましたので、私の一番の好物であります
「マグロ」を注文しますと、「マグロは缶詰ですが」と店員が言うのです。
「マグロの刺身の缶詰???」と、一瞬訳がわからず注文は取り止めたのですが、
よくよく考えてみますと、それはどうもベルト上を大量にグルグル回っているツナ缶詰寿司の
事だったに違いありません。

運ばれて来た寿司は、注文してから握った感じですし、ネタも悪くありませんでしたので、
味がうすく握るサイズがデカ過ぎな寿司飯の問題を除きますと、まぁまぁかなという
感じでした。
一番恐れていたのは食中毒ですが、子供も私も日頃から外食といいますと
小汚い飲食店でばかり食べさせられ免疫がついているのでしょうか、
あれほど大量に食べたのに大丈夫なようです。
しかしながら、外食する際まず食中毒のことが頭を過ぎってしまうとは、
ちと悲しいものがありますね。もっとええ所で外食したい!
7月1日(木) 夏の帰省はインド航空で帰るつもりだったのですが、この期に及んで別の航空会社
になってしまいました。
航空券に関しては義姉の旅行会社に任せてあったのですが、夫婦間ですっかり
「インド航空で帰る」と決めてからも、義姉は我々には内緒でもっと安価のチケットを
模索していたようで、「東京行きで安いのがあるけど、東京経由で帰ったらどうや?」
などと、目先の安さだけに目がくらみ、日本の地理を全く無視した提案を、しゃあしゃあと
言うて来ましたので、私は内心「ええ加減にしてくれ〜」という思いだったのです。
東京は大阪より1時間くらいフライトが長くなる上、乗り換えて大阪まで戻って来てたら、
時間と運賃と、どれだけ余計にかかると思っとんねーん!

結局、週に2便しか飛んでいないインド航空よりも、毎日1便就航している航空会社の方が、
だんなの仕事には都合がよろしく、値段もちょっと安くなるようで、そっちで帰ることに
なったのですが、このドンデン返しのせいで、友人に迷惑をかけることになってしまい、
本当に申し訳ない思いです。

そして義姉ですが、あれだけ「臭いんやて!臭い!」と騒いで阻止しようとしていた
インド航空で我々が飛ばないことになりましたので、彼女の日本行き(というより、
我々の里帰りにくっついて来るつもりか?!)も、水面下ではますます現実味を
帯びた話になっているらしく、だんなに探りを入れたところによりますと、
「姉ちゃんな、香港ドルを日本円に換金したらしいわ」ということです。
しかしその額が、たったの2000ドル(3万円程度)。
日本に来るのに、それって少なないか、キミ。
それとも前回来た時のように、毎食ラーメン&そば、お土産は百円ショップのスリッパ
という、ケチケチ道を極めるのか?ええぃ、私は知らんぞ〜。
6月25日(金) 息子2人とも、今週はテスト期間だったのですが、「テストやテストや〜!どないしょ〜」と
気ばかり焦るうちに終わりました。
上の息子の小学校は中国語、算数、英語、宗教、常識など合計6科目のテストを
3日間に詰め込み、午前中にテストだけ受けて帰って来るスタイルだったのですが、
友達のお子さんが通う小学校では1日1科目だけを1週間かけて行うのんびりした
スケジュールらしく、学校によって色々あるんやなぁと思いました。
まぁそれはええ。
下の息子の通う幼稚園でも、中国語、英語、宗教、算数、常識という5科目のテストが
あったのですが、校長先生からうちのだんなの呼び出しがあり、
「お宅の息子は広東語を聞き取れないので、今の段階ではテストを受けられる
状況でなく、よって評価できませんので、通知表もありませんがそこんとこよろしく」と
いうことを言われたらしいです。とほほ。
6月20日(日) だんなの画材買出しにお供しなくてはならず、子供はおばばに預け、シンセンからバスで
40分ほど走った布吉という所に行って来ました。
ここは村全体が画材や絵の商いで成り立っているのでは?と思えるほど、
美術関係の店が軒を連ねているのですが、香港とはうって変って
非常にのんびりした商い方法なので、買い付けにとても時間がかかるのです。

「白い油絵の具をくれ」というと、店頭にもそれはしっかり並んでいるのですが
単に商品を並べ替えるのが面倒なのでしょうか、店頭のそれには手をつけず
店の奥からダンボールを引き出して来て、様々な色がごちゃ混ぜになったところから、
「え〜っと、白ね?白白白白・・・」という風に、ゴソゴソ探し出すのです。
絵の具はチューブ1本づつ箱入りになっているのですが、箱が潰れていますと、
丁寧に組み立て直してくれたりもするのです。
白が終わると今度は緑、緑が終わると今度は赤、という風にゴソゴソやっていますし、
だんなの購入する量も半端ではありませんので、やたらと時間がかかるのです。
しかも足りない品はどこか近所から借りて来るらしく、店に我々を置いたまま
しばらく帰って来ないという有り様なのです。
なんだか日本の田舎の商店という感じがしまして、日頃、香港の田舎で万屋を営む
うちのおばばの『客を見たらドロボーと思え』的な、抜け目無い販売方法を目の当たりに
している私には、中国本土でこのような呑気な商いがなされていることが、
とても新鮮に映りました。

香港に戻り、大荷物を一端家に置いてから、おばばの家に子供を迎えに行ったのです。
子供らは最近虫獲りに夢中ですので私も何か捕まえてやろうと、おばばの家の
木の茂みを探索していたのですが、背後に人の気配を感じ振り向くと、おばばでした。
おばばは指に、スモモの小型のような、生プル−ンのような、直径3cmほどの
なんだかよくわからない果物を一個摘んでおり、私に差し出して「食べ!」というのです。
「なぜ私だけにこの果物を?」という点が疑問だったのですが、
とりあえず受け取りますと、おばばはへへっと笑いでごまかしながら、
「もう一人子供を産め、産め!」というのです。
いつものように「あんたの息子に言うて下さい」と言ってやりますと、おばばは
ちょっと困ったような表情を浮かべ、「あんたから言うてぇなぁ」と返し、
再び「それ食べ!おいしいで!食べ!食べや!」といいながら、去って行きました。

その果物ですが、光沢はあるもののちょっとどす黒い紫色といい、真中で割れた丸い形と
いい、どうしても御珍珍の先っぽ部分を彷彿させましたので、これはもしかしたら、
「孫が欲しかったら、この果物を嫁に食わせ!」という迷信でもあるのでしょうか?
おばばが珍しく私に食べ物を勧めて来るところが、なんとも腑に落ちないのです。
せっかくですから一口かじってみましたら、それは身震いするほど酸っぱく、食べられた
代物ではありませんので、心の中で「なろ〜!」と絶叫しながら、雑木の中に激しく
投げ捨てておきました。

そしてその夜はおばばの家で夕食を御馳走になり、おばば特製ツバメの巣のスープも
作られていたのですが、そのスープは2人の子供とだんなにだけ与えられ、
いつもの如く私の分のスープは無かったのです。
私によくしてくれようとしているのか、、そうでないのか、おばばの腹の内が
よくわからない今日この頃ですがな。

6月15日(火) いたずら電話を受けたのです。
夕方に電話が鳴り「ハロー?」と出ましたら、やや英語慣れしていない感じだけど
若そうな男の声で「ハロー?」と聞き返しますので、こちらも「ハロー?」と反復しますと、
今度は息を溜め気味に「あ〜ぁ、ハ、ハロ〜?」といますので、そこで尋常な電話では
ないことを察知した私は、もう一度だけ「ハロー?」と返事してみたのです。
そうしましたら、「あぁ〜、はぁ〜」という喘ぎがちょっとの間続いた後、
日本語で「やめて・・・やめて〜」というのです。
突然のことでどう反応してええやらわからず、しばらく黙って耳を傾けていましたら、
私が聞いていないとでも思ったのでしょうか、彼は素の声に戻って「ハロー?ハロー?」と
言うのです。「キミキミ、ちゃんと聞いてる?」という感じです。
そこで私も「ハロー?」と返事しますと、彼は再び淫靡な世界に戻ってしまい、
「あぁ・・・」やら「うふぅ〜」やら言っていたのですが、私がその後何の応答もしませんと、
そのうち電話を切ってしまいました。
彼が電話を置いた後も、私はしばらく回線をそのままにしていましたので
彼の方も切れなかったのでしょうか、必死で回線をブチブチ切断しようとする様が
伝わって来まして、ちょっと滑稽だったのです。

「やめて」の発音が、「やめでぇ」と濁音になっていましたので、絶対香港人だと
思いますし、第一声のちょっと緊張が走り、躊躇したような「ハロー?」の感じが、
だんなの友人L氏に似ていましたので、真っ先に私は彼を疑ってしまいました。
そこで電話が切れるなり、電話会社のカスタマーサービスに電話し、
「今うちにかかって来た電話番号を教えてくれ」と頼んだのですが、
「できません」というのです。「めっちゃやらしい電話なので私は憤慨しているのだ、
だから教えてくれ」と再度頼んでも「できません」ということなので、あきらめました。

だんなが帰って来てから、「へんな電話があったんや、あんたの友達Lちゃうか?」と
吐き捨てますと、だんなは「Lはそんなことせぇへん!」と、友人を庇おうとしますので、
「じゃあ、あんたの生徒ちゃうか?うちに日本人おるの知ってるんやしな」と、
私の疑惑の目はだんなの生徒に移ったのですが、だんなはやはり庇おうとするのです。
そして突然、「お前昨日医者行ったやろ?あの医者ちゃうか?日本人って知ってるし、
電話番号も知ってるし」と、医者説が浮上してしまったのです。
そう言われてみれば、あの声は行きつけのあの医者???という気もしてきました。
あのいつ行っても誰もいない暇そうな医者が夕方、
診察室で「はぁ〜、ふぅ〜、やめでぇ」などと、悶えていたのでしょうか?
6月12日(土) 「おばばが夕方うちに来るらしい」とだんなが言いますので、友達との約束も早々に
引き上げ4時頃家に戻ったのですが、おばばは一向に来る気配がないのです。
日頃はアポなしで奇襲をかけて来るくせに、アポを入れて来た日に限って
すっぽかしを食らうことは、今までに何度も何度も経験がありましたので、
「やっぱりな・・・」と半ば納得してしまう自分がいてるのですが、
それでも、「今日も一杯食わされるのでは?」という予感を抱きながら、
とりあえずおばばを信じて待機してしまう私は、じゅうぶん正直者で生真面目で
正義感溢れ博愛主義に乗っ取っていると思われ、美談として語られるべき
なのですが、香港ではちっとも評価されへんのですな。
「あんたのお母さん、また約束すっぽかしたで!」と、だんなに詰め寄りますと、
「真に受けて待ってるお前が悪いんじゃ!」なのです。
私は一生報われないのでしょうか?
6月10日(木) 我が家の夏の里帰りは、予算の関係上やはりインド航空で、ということに
なり、実家にも到着時刻をすっかり知らせてしまったといいますのに、
今日義姉から電話がありまして唐突に、「インド航空って臭いねんて!
子供が吐くくらい臭いねんて!」と言うのです。
「あのな、人間の体臭が臭いねんて!会社のお得意さんが乗ったんやけど、
臭すぎて子供が吐いたんやて!」などと続けざまにまくし立てた後、「どうする?」と
私に聞くのですが、今更どないせぇちゅうねん!
そして、「あ!客が来たからまた後で電話かけ直すわ」と切れてしまったのです。
もちろんその後、電話は2度とかかって来ませんでした。
多分義姉は、お得意さんからその話を聞いた後、頭の中は「臭いんや臭いんや・・」
という情報のみで膨れあがり、いても立ってもいられずいきなりうちに電話を
かけて来たのでしょう。
ほいで勢いに任せてまくしたて、己の不安な気持ちを吐き出したら、
すっきりさっぱりしたのでしょう。
子供がいる者に向かって「子供が吐いたんやて!」などという、心配を煽るような
義姉の無神経さは毎度のことですし、そこにちっとも悪意がないのはわかるのですが、
色々金銭問題等を考慮した末に、せっかくインド航空で飛ぶつもりになっているのに
今ごろ水をさしやがって、ナロ〜!と思ってしまうのであります。

どうも義姉は、我が家の里帰りと同時期に大阪観光に来るつもりになっているらしく、
我々と同日同便のインド航空で来ることも考慮しているらしいので、
「インド航空は臭いけど、どうする?」というのは、義姉本人が自分に問い掛けしていた
のかもしれません。臭い臭いとあれだけ騒ぐのは、自分が臭いのはご免だからでは
ないでしょうか。
ということは、インド航空で飛びますと、義姉夫婦との同伴旅行を阻止できるとも
言えるのではないでしょうか。
もっとも、うちら一家がインド航空で飛ぶのはもう決まっているのですが。

しかしながら、義姉夫婦がこの夏大阪に来ることは、何度も顔を合わせているにも
かかわらず、まだ私は義姉本人の口から直接聞いていないのです。
全てはうちのだんなから漏れた情報と、義姉とだんなの会話を盗み聞きした断片から
「来るらしい」ということを判断しただけなのです。
あの夫婦は、前回大阪に来た時も、うちの実家に泊めてもらうのを当然のごとくにして
スケジュール立てしていたのですが(初日のホテルを予約していなかったのだ)、
その時も私には旅行間際の段階まで、「あんたの実家に泊めてもらえるか?」という
問いがなかったのです。
というわけで今回は、「あんたのお姉さん夫婦は実家には泊まられへんで」
「実家の父のワゴン車送迎もないで」とだんなには釘をさしておるのです。
だんなに言うておけば、義姉に情報が漏れること間違いないからです。
だんなから探ったところ、義姉夫婦は今回、「大阪と和歌山と六甲山に行く」つもり
になっているそうなのですが、香港人のことですから、単に言うてみただけかも
しれませんし、どこまで本気なのかは定かではありません。
かくいううちのだんなは、私の実家の大阪よりも、実はまだ行ったことのない東京に
行きたいらしいのですが、一人では心細いので、義姉夫婦をなんとか東京観光に
なびかせ、そこに自分も同行する、という工作を裏で図っていたのですが、
それは義姉にあっさり断わられてしまったようです。

義姉夫婦の旅行といいましても仕事の都合上所詮2、3泊程度ですし、来たら来たで、
私が持て余すうちのだんなの世話を、一日くらい彼らに押し付けることもできるのでは?
という密かな期待もありますし、まぁ最低限、うちの実家に泊まるつもりなのを
阻止できれば私はそれでいいのです。
とにかく、今の時点では義姉から直接何も言うて来ませんので、
私の方からはヘタなことは口にせず、知らぬ存ぜぬを貫き通しておくことにしましょう。
それにしても、色んな思惑が渦巻いておりますな。
6月8日(火) うちの息子は小学校での毎日の昼食に、学校へ届けられる給食会社の弁当を
食べているのです。
先日、どこかの小学校で『寿司定食』による集団食中毒が発生し、
給食会社は違うなれども、うちの息子も時々『寿司』を注文していますので、
「えらいこっちゃなぁ、やっぱり寿司はあかんのやなぁ」と、心配しておったのです。
そしたら先週金曜日になりまして、今度は『揚州炒飯』という焼きメシの定番のような
メニューで、またもや食中毒を疑わせる事件があったのです。
「焼きメシでもアウトなんかぁ、一体どんな作り方しとんねん!」と呆れていましたら、
その焼きメシで食中毒疑いを出したのは、なんと息子の学校に給食を納入している
業者だったようなのです。

本日、学校から通達のプリントが配られまして、読んでみますとその給食会社からの
騒ぎに対する弁明及び、学校の今後の対策について書かれていました。
給食会社のプリント2枚に渡る弁明は、騒ぎの経緯と食物環境衛生署(日本でいう
保健所のような機関か?)から立ち入り検査があったが、食中毒を裏付ける結果が
出なかったこと、その日の揚州炒飯は3千食ほど作って方々に納入したが、
気分が悪くなったのは1箇所の小学校の7人だけだったことなどが克明に書かれて
おり、原因として「その学校に納入するため委託した運送業者の車の中で、
焼きメシの入った保温ケースが倒れてしまったそうで、その時に何らか汚染された
のではと推測します、うちの工場は徹底的に衛生管理しているから、
それしか原因は考えられないのです」と、私達も被害者なのよ!という風な
展開になっていったのです。
そして最後は、ひたすら「見捨てないで!騒ぎがあった学校も、引き続きうちを使って
くれるので、どうかお願い!なんなら工場見学も大歓迎だから、ずっとうちを使ってね、
お願い!お願い!」というような嘆願が綴られておしまいだったのです。

友人のお子さんが通う学校も、その給食会社の給食を食べていたのですが、
その学校は、騒ぎがあった翌日からあっさり給食業者を替えてしまうという、
とても素早い対応があったらしいのです。子供の安全のため、疑わしきには
関わらんちゅうわけですな。
かたやうちの息子の学校は、「今月の給食は各人の意向でキャンセルしてもいいよ、
来月からの給食のことは、後日検討しましょう」という、なんだかとっても悠長と
いいますか、やる気なさ気といいましょうか、このまま時が過ぎたらうやむやに
したろ的臭いがプンプンする対応でありました。

所詮香港人の味覚と衛生観念の元に生産されていますので、給食会社なんて
どこでもあんまり変わりがないような気がしますから、私はどこの業者でも
いいのですが、最初に起こった寿司でのほんまもんの食中毒事件の影響で、
寿司定食のメニューが全部消えてしまったのです。
今月は息子の食べている給食会社の献立に、『北海道寿司定食』という新メニューが
あったので、「北海道やから、イクラでも乗っているのか?!」などと、
親子でその内容を楽しみにしていたのですが、それも見果てぬ夢となってしまいました。
6月7日(月) 下の息子の3歳児検診に行って来たのです。
そこの保健婦さんもお医者さんも、皆さん一応英語は話されるのですが、
私の英語が怪しいですので、だんなに一緒に来てもらいました。
家から最寄の母嬰健康院というところで行われる発育及び身体検査なのですが、
うちの息子はもうすぐ4歳になろうといいますのに、いまだに語彙も少ない上に、
日本語と広東語と英語も少し混ざってしまっていますし、会話らしきものも
流暢にはできませんので、だんな共々「発育検査で絶対引っかかるやろな」と
半ば観念していましたが、やはり引っかかりました。

行われたテストはまず、保健婦さんが○の絵を書いたところに、子供が自分で
好きな物を書き足すというものだったのですが、息子は○の中を黒く塗りつぶし
誰に聞かれるまでもなく「眼晴(目)」と言ったのです。
予想外な息子の立派な反応に、うちのだんなは「おぉ〜〜!」と感動して私の方を
振りかえり、実は私も「なんや!あほやと思ってたけど、うちの息子もできるやん!」と
小躍りしたいほど嬉しかったのです。
しかしそれも、ほんのぬか喜びだったのです。

その後保健婦さんが口頭で「赤は?」「緑は?」と質問し、色サンプルから該当する
色を指す、というテストでは、広東語でしか覚えていない色と、英語でしか覚えて
いない色があるらしく、ごっちゃになって早くも脱落気味だったのです。
それから「犬」「傘」「鳥」などの写真が出され、保健婦さんがそれらを連想させる音を
口で発し、息子が該当する写真を指す、というテストだったのですが、
保健婦さんが「ウォンウォン!」と犬の泣きまねをしているのに、息子にはどうも
テストの主旨が理解できないらしく、「ウォンウォン!」とオウム返しするだけですので、
ここで明らかに保健婦さんが息子の知能を疑ったようで、「もうちょっと優しいものに
替えますね」と、○□△を当てるテストを代わりにされたのです。
それから眼の検査だったのですが、片方の目を塞ぐために、一方が黒く遮断された
おもちゃのメガネをかけないといけないのですが、テストに飽き飽きした息子は
逃亡を図ろうとし、メガネもわざと斜にかけたり首にかけたり、やっとかけたと思えば
勝新太郎の座頭市のように、瞼を思いっきり伸ばした状態で目を閉じてやがるのです。
全然真面目にテストを受けようとしませんので、呆れた保健婦さんが今日はもう無理だと
判断されたのか、「9月にもう一回来い」ということになってしまいました。
9月に再び引っかかってしまったら、精密検査する機関なんかに強制的に送られたりと、
なんだかややこしい事態が発生するのでは?と、それがビクビクものなのです。
うちら夫婦は、息子の知能に関してはまぁあんまり気にしていないのですが。
5月27日(木) 沙田の西友でセールをやっているらしいので、息子を幼稚園に送り付けた後、
電車に乗って行って来たのです。
西友は朝9時開店で、私は9時半前には到着したのですが、
売り場にはもうすごい人の波が押し寄せておりました。
私はまず、第一目的の枕カバーを物色すべく、2階の寝具売り場に向かったのですが、
そっちの方向から来る人来る人皆、嬉嬉として左右の手に枕を一個づつ提げています。
「ははん、枕が安売りしているのだな、うちのもボロボロだから、安いのなら買い替えても
いいな・・・」などと、心が枕購入に傾いてしまった頃、まるで配給のように店員が
有無を言わさず客に枕を2個づつ渡しているその売り場に到達し、
「私にもちょうだい!」と興奮でわななく両手を差し出そうとした瞬間、
天井から下がっている価格札にふと目をやりますと、「枕・2個で299ドル(4300円)」と
なっているのです。高いやんかっ!

枕は諦め枕カバーを品定めしようと思ったのですが、寝具売り場は先ほどの枕購入の
人々のせいもあり、レジに長蛇の列ができているのです。
おまけに商品の中には、売り場で品定めした後、まず売り子に伝票を切ってもらい、
その伝票を持ってレジに並んで清算を済ませ、再び売り場に戻って商品を受け取るという、
私の嫌いな売買システムを導入しているものもあり、非常に面倒臭く感じてしまった
私は、買う気力が一気に失せてしまったのです。
他にも子供のサンダルや、自分の水着など欲しかったのですが、
全部諦め食料品売り場に向かいました。

食料品売り場でも人々が、己の買い物カゴにバンバン物品を放り込んでおり、
特価品などは5個も10個も鷲づかみにして持って行く人も多かったのです。
『木酢シート』という箱入りの結構高そうなものを、一気に10箱買うおばちゃんや、
乾燥プル-ンの缶をたくさん抱えるように持って行ったおっちゃんなども目撃し、
「他人の需要って、ほんまわからんもんやなぁ」と思いました。
私は要り用の、マルちゃん生ラーメンや刺身盛り合わせだけさっさとゲットし、
レジに並びながら暇つぶしに皆の衆の買い物カゴを観察していたのですが、
彼らの心を捉えたNO1.は、どうも日本製の『出前一丁5袋パック20ドル也』だった
ようです。日本製だと確かにこの価格は安いですし、醤油味とみそ味の両方を
買おうとしている人が多かったのです。
NO.2.は、ウォンウォンというせんべいの、50cm四方もありそうなお徳用パックでして、
これも皆、デカイ袋にもかかわらず3袋はまとめ買いしようとしています。
これは香港製にしましてはサクサクして結構美味なイケてるやつですので、
私も買いたい衝動に駆られたのですが、今更レジの列を外れるのも悔しいので、
涙を飲みました。ウォンウォ〜ン(←負け犬の遠吠え)
5月26日(水) 本日はお釈迦様の誕生日なので香港は祭日だったのです。
だんなが発作的に香港太空館へ行こうといますので、昼から家族で出かけてみました。
太空館という施設は本来プラネタリウムなのでしょうか、半球体の天井スクリーンが
あるのですが、日本のプラネタリウムのように四季折々の天体模様を投影して
見せてくれるような演目は上映していなさそうなのです。(やっているのでしょうか?)
代わりに自然界をテーマにしたドキュメンタリー短編映画のようなものを色々上映している
ようです。それならば半球体スクリーンでなくても良さそうなのですが、
皆観に来ているということは、半球体スクリーンゆえの醍醐味があるのでしょうか?

うちら一家はサンゴ礁をテーマにした映画を観ることにしたのですが、チケット売り場に
並んだだんなが大声で、「1時半からの上映は後部座席しか空いてないわ、どうする?」
と聞きますので、「後部座席やと、どう違うん?」と聞き返しますと、「観にくいんや」と
いうのです。それならこの回は見送って、3時半からの上映を観ることにしようと
いうことになり、首尾良くその回の前部座席を家族4人分押えることができたのです。

適当に時間をつぶして3時半に入場し、指定された前部座席に腰掛けてみますと、
さすが前部座席と呼ばれるだけあり、頭上を覆う半球体のスクリーンの前部に
座席が位置してますので、スクリーン全体を見渡すには、座席に思いきりふんぞり返り、
なおかつ、散髪屋の顔剃りのように、首を後ろに反らせないといけないのです。
後部座席をチェックしますと、そこは視界の前面にスクリーンが位置しますので、
どうもそちらの方がスクリーンを観やすそうなのです。
この時点で私はまだ、だんなが言った「後部座席は観にくいんや!」という言葉を
鵜呑みにしておりましたゆえ、「上映が始まったら、こっちの座席の良さが
わかるのかな?」と期待していたのですが、サンゴ礁の映画が始まりますと、
太平洋の島から島へサンゴ巡りをするために、飛行機や高速艇が頭上の
半球体スクリーンを旋回し、魚も大挙してグルグル泳ぎ、ダイバーもひらひら舞い、
首を思いきり反らせている体勢の悪さもあいまって、観ているだけで目が回って
船酔いにも似た気持ち悪さを感じてしまい、私はどうもあまり堪能できなかったのです。
映画自体は、「フィジーのサンゴ礁の寿命が短くなっている原因を探る」という、
立派なテーマがあったのですが、10ヶ月も色んな地域のサンゴ礁を調査して、
原因らしき3点はわかったものの、具体的な対策などは何も立てられないまま
「なんとかなるでしょう」的結末で終わってしまい、なんだか物足りない気もしました。

映画の内容といい座席といい、なんだか釈然としないまま太空館を出まして、
何気なくチケット売り場をチェックしますと、うちら一家が座りました前部座席よりも、
後部座席の方が10ドルほど高かったことが判明し、
だんなが「後部座席は観にくいんや!」と、ウソついてまで阻止しようとしたワケが
わかり、それだけはすっきりして帰ってきました。
5月25日(火) スクールバス乗り場に、昨日も今日もカーヤン親子が姿を現しませんでした。
スクールバスにも連絡をしていなかったようで、バスの同伴おばちゃんも「来るの?
来ないの?」と私に聞くのですが、私も知らないので、カーヤンの家まで呼び鈴を
鳴らしに行ったのですが、誰も出て来ないのです。
バスは行ってしまい、カーヤン母の携帯に電話を入れようか迷ったのですが、
先週金曜日のバスお迎え時にカーヤン母に会った時は、取りたてて変わった様子も
ありませんでしたので、何か急に状況が変わって取りこんでいるのかな?と思い、
電話をするのをやめました。

カーヤン一家は来月中に引越しするはずだったのですが、その話を聞かさせた時、
カーヤン母がなんだかちょっと困った様子で、ほんとは引越ししたくないんだけど・・・
という雰囲気がなんとなく読めたのです。
香港人ならそこで「なにかあったん?なんで引越しするん?」とズケズケ聞き、
カーヤン母もベラベラ事情を話してくれるところだったのかもしれませんが、
私の広東語ではどうにもならないのもありますけれど、どうも私は他人の事情に
入り込むのが苦手といいますか、聞き出し下手といいますか、私のような者が
聞いていいのやらどうやら、その辺非常に迷ってしまい、結局聞き出せずに
終わってしまったのです。
カーヤン母に代わって、おばさんやお爺ちゃんが時々バスの迎えに来たり来ていたりも
しまして、そういう時に限ってカーヤンの機嫌がすごく悪かったのも今思えば、
何か結構複雑な事情があったからかもしれません。
単なる私の思い過ごしだといいのですがな。
しかし、どこに行ってしもてん?
5月18日(火) 下の息子が通う幼稚園の参観日でした。
この幼稚園は年々生徒数が減っており、息子の同級生は6人、全学年合わせても
30人もおりませんので、最初の半時間は遊技場で3学年合同の歌とお遊戯でした。
こういうときに音頭を取るのが上手で、後姿だけはおばさんとは思えないくらい美しい
麦先生に煽動され、子供らは踊り歌い狂っていきます。
息子は言葉がつたなく発音も悪いのですが、振り付けも皆と合っていましたし、
口もパクパクさせ一応歌っているようでしたので、ちょっと安心しました。

それから教室に戻り、担任の馬先生の元で生徒6人、蝶々、ハチ、花などの帽子を
被り、またもやお遊戯でした。
その後、普通語の先生がやって来まして、30分ほどお勉強だったのですが、
うちの息子は非常にダルそうにしており、視線もどこを見てるのやら、
先生の問いかけにも返事すらしないのでしたが、先生が去って行く段階になって初めて、
「早よ帰れ!」といわんばかりに「バイバーイ」を連発するという、感じの悪い態度だった
のです。

子供らがおやつの時間に、来ていたお母さん4人と馬先生、校長で懇談会だったの
ですが、馬先生の「宿題は自分から進んでやりますか?」という問いかけに、
うち以外のお母さん全員、「自分でやりますよ」という答えだったので、
愕然としてしまいました。うちはほとんど私が宿題しているようなものだからです(恥)。
同級生で一番大人しく、入園した最初の1ヶ月などは、お母さんにかじりついて
教室に入れなかったシウティンという女の子のお母さんなどは、「宿題を子供と一緒に
やろうとしたら『自分でやるから、お母さんはテレビ観てていいよ』といってくれる」などと、
娘の成長が嬉しくてたまらない様子で話されていたので、「あの大人しく無口な
シウティンが家ではそんなことを言うのか?わからんもんじゃ」と、私は少々驚きでした。

「幼稚園での出来事を家で話しますか?」という先生の問いかけにも、
「今日は誰が泣いた」とか「砂で遊んだ」など、どの子もきちんとお母さんに報告できる
みたいなのですが、うちの息子はといいますと、「パン食べたん。おいちかったん」という
食べ物の報告程度しかできませんので、それを正直に話しますと、
校長が「すごいやん!」と言うてくれたのですが、どこがやねーん!
まぁでも、うちの息子も息子なりに成長しているようですし、それを先生も認めてくれている
ようですので、それなりに納得して帰って来ました。
5月17日(月) おばばから奪還した後、電子レンジの上に放置しておいた『干し貝柱ギフトケース入り』
ですが、ふと、ケースの中で細かい何かがうごいているのを発見したのです。
目を凝らして見ますと、それは非常に小さく黄土色したアリだったのです。
最初は「一匹だけかな?」と思ったアリですが、どうも貝柱の割れ目に巣食っている
らしく、貝柱粒子のようなものを咥えてチョロチョロチョロチョロ、出て来ては違う貝柱に
入って行き、何匹もさかんに活動しているようです。
ギフトケースはセロテープでシーリングされていたのですが、シーリングに所々隙間が
あり、アリが干し貝柱の匂いに吸引され、列を成して入ってしまったのでしょうか。
うちはマンションの11階ですし、家の中でアリを見かけたこともありませんので、
これはきっとおばばの家に置いておいた4日間のうちに、巣食われてしまったに
違いありません。きき〜〜〜っ!
慌ててケースを開け、貝柱を一粒づつ点検しますと、貝柱とほとんど同じ黄土色という
保護色のためカムフラージュされていたものの、想像したよりもたくさんのアリが
這っており、貝柱の割れ目には、1ミリくらいの黒い塊が付着していたりもしたのですが、
あれは一体何でしょうか?

おばばがアリの混入を知らなかったとは信じたいのですが、思えばおばばの家には
家の中といえども、すごい数のアリがいるのです。
おばばと同居中、電子レンジの中に置いておいた料理にアリがたかっていたり、
まな板一面にアリがこびりついていたりなど、何度も寒イボが立つ光景に出くわして
いるのです。ああ、それなのに・・・。
こんなことになるのであれば、「持って帰り」といわれた母の日当日に、
あっさりと持ち帰るべきでしたが、まさか干し貝柱にアリが巣食うとは!
使えないことはないですが、日本へのお土産にはできそうにありませんし、
560ドルもした大粒の貝柱がこのようなことになってしまうとは、無念であります。
今後の教訓にするとしましょう。
5月16日(日) 今日は本来ならおばば宅でBBQの予定でしたがとにかく暑いので、
BBQはキャンセルし、どこか水遊びできるところに行こうということになりまして、
家から一番短時間で行けます山中の川に行くことにしたのです。
川に辿りつくまで30分ほど山歩きしなければいけないのですが、下の息子は
こういう場合絶対抱っこをせがみますし、こちらが抱っこを拒否しますと
一切歩かずその場でじっとうずくまる作戦を開始するのです。
こちらも根負けしてはいかん!と思い、息子を無視して歩き出すのですが、
どんどん息子との距離が離れ、やがて私の姿が見えなくなっても
一向に追いかけて来る気配はなく、強情なことにひたすら同じ地点で
うずくまっていやがるのです。この状態では日が暮れてしまいますので、
息子のところに戻りどやしつけますと、今度は牛歩戦術で、
一足一足スローモーションのように歩きやがるのです。
こういう親を舐めた性格は、一体誰に似たのでしょうか?

川には小エビ小魚がおり、ビニール袋で結構簡単に捕獲できるのが面白いらしく、
上の息子は川底を見据え熱心に捕獲作業を繰り返しておりましたが、
ちっとも上手に捕獲できない下の息子はそれが面白くないのでしょう、
ひたすら兄の捕獲を邪魔する行為を繰り返しますので結局兄にしばかれ、
いつでもどこでも兄弟喧嘩の種は尽きないのでありました。
5月14日(金) スクールバス乗り場では毎朝、息子と同級生のカーヤン母子と顔を合わせるのですが、
今日はカーヤン母から「私ら沙田に引越しすんねん、転校すんねん」と告げられ、
ものすごく寂しくなってしまいました。

カーヤン母という人はよくいえば豪放らいらくというのでしょうか、
トウモロコシにかぶり付きながらバスのお迎えにやって来たり、冬の寒い朝には
結構人通りの多いバス停にもかかわらず、「寒い寒い」といいながら暖をとるため
縄跳びしたり、人目を気にする様子など微塵もなく、ひたすらゴーイングマイウェイな
母ちゃんでして、まぁそれはご自分でなさる分には構わないのですが、
困ったことに「おいしいで!食べ!」と、バス停でトウモロコシを私の顔に付きつけて来たり、
「温もるで〜、あんたもやり!」といいながら私の手に縄跳びを握らせようとしたり、
拾ったソファを担いで帰るのを手伝わされたり、その他色々ちょっと恥ずかしい
運命共同体を強いられて来ましたので、「一緒に居たないぞ!」と思ってしまうことも
実は多かったのです。
しかし、そういう強烈なインパクトのあるカーヤン母がいなくなると思うと突然寂しくなり、
「うちが遅刻した時は、バスを待たせておいてくれたり、バスの遅刻が相次げば
運転手に怒鳴ってくれたり、餃子皮を買って来てくれたり、思えば気さくないい人だった
じゃないか」と、楽しい思い出だけが頭を過ぎってしまうものなのですね。
引越しまで残り1ヶ月ほどですが、カーヤン母のことはこのまま美談として
葬りたいものです(死んだみたいですみません)
5月13日(木) おばばが火曜日から一泊で中国・中山旅行に行ったらしく、お土産を提げて
やって来ました。
中山という所にはどういう名所があるのか私は全く知らないのですが、
お土産はけたたましいサウンド内蔵の、汽車のおもちゃでした。
「この手のウルサイおもちゃは聴力を害する」と新聞で取り沙汰されて以来、
あまりその姿を見掛けなくなった気がしていたのですが、いまだに流通していたのですな。

お土産はどうでもいいのです。
私最大の関心は、母の日でおばばに贈呈した『干し貝柱』ギフトケース入りを、
おばばが返却しに来てくれたのかどうかということです。
贈呈した折おばばは、「ワテは要らんから、あんたのお母さんにあげて」と、受け取りを
拒否したのですが、さすがに言われてすぐ「はい、そうですか」と持って帰る度胸は
私にはなく、一応「いやいや、そんなこと言わんと・・・」と、おばばに押し付けて
帰ってしまっていたのです。
しかし内心はといいますと、「ちゃんとキレイな箱のまま返してね」と祈っておったのです。

汽車のおもちゃ贈呈がひと段落ついたころ、おばばは急にヒソヒソ声になったかと思うと、
「これな、ワテは使わへんから、あんた日本に持って帰り」といいながら、紙袋から
干し貝柱ギフトケース入りを取り出し、テーブルの上に置いたのです。
私は、「ええ〜?ママが使って下さいよ〜」などと、受け取りを渋る演技をしながらも
開封した形跡がないか、貝柱の数は減っていないかなどを、目視で素早くチェックし、
無事だとわかると、貸したお金が無事に返って来た時のような安堵感を
覚えてしまいました。
5月12日(水) 洗濯機が壊れてしまいました。
以前にもこのHPの日記に同様のことを書いた覚えがありますので、探してみましたら
それは2002年9月のことだったのです。
その時にはおばばの家のお古の洗濯機 『新・愛妻号』 を譲り受け、今日まで使って
来たのですが、やはり中古だけあって、2年ももたなかったということですな。

洗濯機がなくては困りますので、さっそく午前中だんなと一緒に新しい洗濯機を
購入しに出かけたのです。
最寄の大型店に行きますと、韓国メーカーの日本式ステンレス槽のやつが
手頃な価格でありましたので、これでええわと思ったのですが、配達が日曜日に
なるというのです。日曜日まで、手洗いで洗濯せぃ!ちゅうんかい!!!
おまけに古いやつの引き取り(リサイクル代?)に250ドルもかかるということで、
諦めました。
引き続き、別の大型電機店に行きましたら、今度はそこの電気屋ブランドの日本式
ステンレス槽のやつが、これまた手頃な値段であったのですが、これも配達が
金曜日になるというのです。金曜日まで手搾りで洗濯せぃ!ちゅうんかい!!!
これも諦め、今度は町の電気屋といった風情の店に入りましたら、日本メーカーの
ものが手頃な値段でありました。今日の夕方に配達してくれる上に、引き取り代も
不要ということで、即決してしまいました。
その洗濯機は洗濯槽がプラスチック(?)なのが玉に傷なのですが、
うちの家はトイレに洗濯機を置かないといけないため、5kgも6kgも洗える大型の
タイプはスペースに収まらないのです。どうしても4.2kg程度までしか洗えない
小型洗濯機しか入れないように、トイレ自体がが設計されているようです。

洗濯機に関しては、「欧州型の横ドラム式が欲しい」とか、「毛布が洗えるくらいの
容量が欲しい」といった希望は以前は持っていたのですが、うちのような狭く貧相な
住宅に住んでいますと、物理的に絶対無理!という事態も少なからず発生することが
わかり、今日の買い物の段階では「もうなんでもいいわぁ、洗えたら・・・」という、
諦めの境地に達しており、お蔭様で迷うことなく短時間で買い物ができたのでした。

そして夕方、ほぼ約束の時間通りに洗濯機はやって来ました。
持って来たのは、インジャン・ジョーみたいな陰気でやや悪人面したおっさんで、
ちょっと怯んでしまいましたが、インジャンはたった一人で黙々と洗濯機を入れ替えし、
後片付けもキレイにしてくれ、今度はボロの洗濯機を抱え、ズルズル帰って行きました。
5月11日(火) 今日の午前はバドミントン、午後は子供を連れて近所の公衆プールに出かけまして、
健康的な一日にするつもりが、バドミントンで疲れ果て昼食は作る気力がなく飲茶に
出かけ、プール帰りにたまたま通った所で半額セールしていたのに釣られてしまい、
夕食はピザという、不健康な外食三昧となってしまい、猛烈に反省しています。
痩せへんやん。
5月9日(日) 今日は母の日ということで、おばばの家で晩餐会でした。
ギケイ&ギシは一昨日、おばばをレストランに招待し母の日のお祝いを済ませて
いるらしく、出遅れたうちのだんなは焦ったのでしょうか、ケチな奴には珍しく
おばばへのプレゼントとして、干し貝柱のギフトケース入りを購入して来たのです。
干し貝柱というのは大きくて形が整っているものほど値段が張るのですが、
だんなが買って来たものは流通しているものの中でも恐らく一番の大粒も大粒、
それが透明なケースの中に2層になってびっしりと40粒ほど敷き詰められているのです。
値段を聞きますと、普通の大きさの貝柱を同量買った時の2倍程度もしていましたので、
私はしばし絶句してしまいました。
日頃おばばが貝柱のブロークンと呼ばれる、味は一緒ですが形が砕け見栄えが
悪く低価格になったものを使用しているのを知ってますので、
「そんなん、あんたのお母さん喜ぶかいな!無駄な買い物して!って言われるのが
オチやで、もったいないなぁ」と文句をいいましたら、
「俺には考えがあるねん。母ちゃんが『こんなん要らん』って突っ返しよるのは俺も
わかってるねん。突っ返されたんを、お前の実家に持って帰ったらええやんか。
うちの母ちゃんにも一応プレゼントしたことになるし、、そっちの母ちゃんも喜ぶし、
一石二鳥やんか。俺はここまで考えて購入してんねん」などと、得意顔なのでした。
もはや何もいうまい。

おばばの家に行きますと、母の日だからでしょうか、おばばはなんだか上機嫌でして、
なにやら歌を口ずさんでいるようです。そのドラ声に耳を傾けてみますと、
どうやらクリスマスソングであります『ジングルベル』のメロディーで
♪ジンゴンベ〜ル ジンゴンベ〜ル ジンゴンジンゴンベ〜ル♪と、繰り返し
歌っているようです。
最後のジンゴンジンゴンベ〜ルの部分は、本来の英語の歌詞の内容とは違いますので、
おばば自作なのでしょうか?それとも、広東語ではこのように歌われているのでしょうか?

それからもおばばは、「何か飲みたかったら勝手に店から取りや」と話しかけてきたり、
冷蔵庫から、スーパーで売っていますドリアンの剥き実(?)パックを出して来て、
「食べ!食べ!」と勧めてくれたのですが、パックには値下げの赤札シールが
しっかり貼り付けられており、ドリアンという高級フルーツにしましては8ドルという
破格に成り下がっておりましたので、食べずにいておきました。
そしておばばの上機嫌は最高潮に達したのでしょうか、ついに、
「この貝柱やけど、ワテは要らんから、あんたのお母さんに持って帰り。
『ワテからあんたのお母さんに贈る』ということにしといて」と言ってきたのです。
タダでもろたもんを、よそに回して自分の株を上げる、ちゅうわけですな。
親子共々一石二鳥を狙うとは、さすが!思考まで似るのですな。素晴らしい!
5月4日(火) 上の息子の小学校の授業参観日でした。
図書室で託児してくれるということで、小さい子供連れのお母さんやオババも多く、
平日ですがお父さん風な姿もやたらと目に付き、生徒数が26人という割には、
かなりの数の父兄(ではないのかな?)が来ているようです。
参観科目は英語でしたので、息子の担任の林先生が教えるのではなく、
ミスキャロルという、白人と黄色人のハーフっぽい先生の授業でしたが、
このキャロルが容姿端麗といいますか、香り立ちそうなほど女らしく美しい人でして、
私は1時間中息子の姿はそっちのけで、キャロルの整った顔立ちやらうなじやら
ヒップラインやら二の腕の細さなどに、ずっと目が釘付けになっておりました
(私はおっさんか?!)。
お父さんの姿が多かったのも、そのせいだったのでしょうか?皆キャロル目当て
だったのでしょうか?

生徒もキャロルが大好きなのでしょうか、キャロルは英語だけで授業を
進めるのにもかかわらず、チュウゴク人の子供らとは思えないような
すごい反応の良さでして、キャロルの問いかけに生徒から即座に元気な声が
返って来るという、、まさにノリノリ状態だったのです。
担任の林先生は、そんなキャロルの補佐役としてプリントを配ったり、モニターの
調節をしたりと甲斐甲斐しく働いているのですが、彼女は日本人女性として
初めてスペースシャトルに乗った人にかなり似ていまして、どうも男っぽいのです。
林先生とミスキャロルを見比べますと、天からの授け物とはいえ、「容姿端麗って
得やなぁ・・・」と思わずにはおられませんでした。
というわけで、肝心の授業内容や息子の様子は、覚えていないのでした。
5月2日(日) 西貢の港から小船で渡った半月湾というところへ海水浴に行った帰りに、
だんなが「海鮮レストランで夕食を食べて帰ろう」などと、やけに景気のいいことを
いいますので、家族4人で手頃なレストランに入ったのですが、だんなが注文したのは
やはり、そのレストランで一番安い『二人世界』というセットメニューでした。
2人用やんかっ!

運ばれて来ましたのは、伊勢エビのチーズ焼き(エビたったの1尾)伊麺底、
カニのネギ生姜炒め(渡りガニみたいなやつが2匹、非常に食べにくい)、茹で小エビ、
ベビーホタテのにんにく蒸し(親指の先くらいのホタテ6個)に、野菜炒めでしたが、
息子もこの頃では結構な量を食べますので、やっぱり家族4人では量が少な過ぎ、
おばばの家での光景さながらの、悲しく切ないミニバトルが繰り広げられたのでした。
だいたい、そのセットメニューには元々『ホタテ蒸し』は入っておらず、アサリのにんにく
炒めが基本料理だったのですが、だんながアサリとホタテを比べ、原価の高い方へと
交換させるよう店に交渉してしまったようです。なんと余計なことを・・・!
アサリだったら、きっとたっぷりな量があったのに。

こんなガツガツせなあかんのやったら、海鮮料理なんかいらんわい!
4月30日(金) 本日またもやうちのだんなの、人の心を踏みにじる『安物買い』の本領発揮を
目の当たりにし、とっても悲しくなってしまいました。

毎年夏、私は子供2人を連れて1ヶ月ほど日本に帰っているのですが、今年は
だんなも一緒に付いて来るそうなのです。
まぁそれはいいとしても、小さな旅行会社を経営していますギシから、格安航空券の
情報が入ったらしく、だんなは私に何の相談せず、勝手に航空券をブッキングして
やがったのが今日判明したのです。
その航空券はインド航空のもので、この航空会社の航空券はいつも他の航空会社の
追随を寄せつけないくらい低料金なのですが、たまにインドから飛んで来なかったり、
出発が遅れたりもしますし、おまけに香港発が朝の8時ですので早朝5時起きして
空港に向かわねばならず、子連れ旅にはあまり嬉しくないのです。
しかも、だんなが予約した航空券は、日本に17日間しか滞在できないやつだったのです。

私はかねがねギシにもだんなにも「今年も1ヶ月は帰るからな」と宣言しておりましたし、
例年のことを考えれば、17日間という短い滞在で私が黙っているはずがないのです。
それなのにだんなは目先の安さだけに釣られ、勝手に予約を入れたのみならず、
私が「17日間なんて、短過ぎるわー」と当然の抗議をしますと、その言い草が
「17日も1ヶ月も変わらへんやん」だったのです。
  
   私 「そんなことあるかいな!比べたら2週間も違うやん」
 だんな 「2週間違うだけで、料金が倍になるなんてもったいないやん」
   私 「2週間長くなるんやったら、倍でもええやないの」
 だんな 「そやかて家族4人帰るんやで?」
   私 「年に一回やねんから、それくらい出費あってもええやろ?」
 だんな 「お前、去年はSARSのせいで日本に2ヶ月も帰ったんやから、
      今年はバランス取って、短くてもええやろ?」
   私 「去年は3月末に日本に帰って5月に香港に戻って来たんや、
      ということは今年の夏で1年と2ヶ月も香港におるんやから、
      その余分な2ヶ月分もバランス取ってくれなあかんわ」
 だんな 「でも家族4人で1ヶ月も帰ったら、えらい出費やんか」
   私 「そういうとこから嫁をもらったあんたが悪いんや、当然の報いや」
 だんな 「だから17日間帰したるやんか」
   私 「帰したる!なんてエラそうに言うんやったら、毎月お給料ちょうだい!」
 だんな 「お前はアマ(お手伝いさん)とちゃうやろ?」
   私 「アマかて給料貰った上、年に一回国に帰らせてもらえるのに!
      私は年中無休の無給でアマ以上の仕事してるのに、満足に
      国にも帰してもらわれへんなんて、あほらしいわ!給料くれ!
      給料くれたら自分の金で帰ったるわ!わかったか!」 

「あんたが一緒に付いて来る金あるんやったら、その分を私と子供の1ヶ月有効な
航空券代に回したらいいやろ?」と、よっぽど言いたかったのですが、
拗ねるのが目に見えていますので、止めときました。
4月26日(月) ギテイがカノジョとケッコンを決めたらしいのですが、おばばはどうもよろしく
思っていないようなのです。
ギテイはホンコンに住居があるのですが、カノジョがチュウゴクタイリクの人なので、
今はカノジョが住んでいるチュウゴク・シンセンにほとんど入り浸りなのです。
そしてケッコン後もホンコンに住むのは嫌がり、むしろシンセンに住みたい意向を
示しているらしく、それがおばばは気に食わないようなのです。

今日、うちのだんなはおばばの家に呼びつけられ、オトコ専用スープを飲まされるがてら、
おばばの文句を色々聞いてきたようなのですが、どうもおばばはギテイのカノジョの方が
ホンコンに住むのを嫌がっていると信じているらしく、「あの子(カノジョ)の都合で
わての息子をシンセンに住まわせるなんて、我が侭や!そんなのトゥルーラブやない!」
とごねているらしいのです。
おばばがあの顔で、そしてあのドラ声で『トゥルーラブ』なんて語句に相当する広東語を
しゃべったのかは大いに疑問ですが、カノジョに何か策略があるとでも、
疑っているようなのです。

しかし普通に考えますと、タイリクのオンナの人は、ホンコンに来たいがために
ホンコンジンのオトコとケッコンしたがるものではないでしょうか?
策略があるならば、さっさとニンシンしてケッコンに漕ぎ付け、少しでも早くホンコンの
キョジュウケンを得るべくアクション開始するのではないでしょうか?
そう考えますと、「シンセンで二人仲良く暮らしたい」という方が、トゥルーラブなのでは
ないでしょうか?
おばばの睨む通り何らかの策略があるとすればそれは、「カノジョをおばばから
少しでも遠くに置いてやりたい」、という、ギテイ側の策略のような気がするのですが
皆さんはどう思われますでしょうか?(誰に聞いてるねん!)

ちなみに気になるオトコ専用スープの中身ですが、だんなに聞いてみたところ、
「お前、ニッキに書くつもりやろう?」と、教えてくれませんでした。図星でしたな。
4月25日(日) 夕方、ご飯の仕度をしていますと、息子と同級生で同じマンション群に住んでいます、
カーヤンという女の子のお母さんから電話があったのです。
かなり切羽詰った口調で「カ、カーヤンッ!カーヤンがおらへん!見当たらへん!
そっちに行ってへんか?」と、しどろもどろになりながら言うのです。
私もしどろもどろになりながら、「おらへん!おらへんで〜」と返事しますと
よっぽど慌てていたのでしょう、ブチッと切れてしまいました。
カーヤン母の慌てぶりに私も動揺してしまい、息子2人に留守番をいいつけ、
階下の公園にカーヤンがいるのではないかと探しに行ってみたのです。

薄暗くなった公園に行きますと、管理人のおっちゃんがキョロキョロしている私を見つけ、
「子供探してるんか?」と聞きますので、「そうや」と答えますと、「女の子か?」と
再び聞きますので頷きますと、おっちゃんが「1階の管理人事務所に女の子
おるで〜」といいますので急いで事務所に行ってみますと、
カーヤンよりもっともっと幼い女の子が、管理人のおっさん数人に囲まれ
泣いておりました。迷子って結構頻繁にいるのですね?
よく考えればカーヤンは、自分で家にもちゃんと帰られるし、なによりしっかりした
娘ですので、管理人事務所で保護なんてされているわけがないのです。

カーヤン母に電話を入れてみますとずっと通話中ですし、カーヤンが住んでる
マンション1階の管理人の様子もチェックしてみたのですが、
非常事態が発生した雰囲気でもなさそうですので家に戻ってみますと、
今度はうちの息子ら2人が脱走していたのでありました。
もう一度慌てて階下の公園に降りてみますと息子らはそこにおり、私の怒っている
顔を見つけますと上の息子はしょんぼりし、下の息子は満面の作り笑いを浮かべ、
「おかあさ〜ん!」と甘えてごまかそうとしました。

次の日、カーヤンはスクールバス乗り場にきちんと姿を現しましたので、
カーヤン母に「昨日どこに行ってたん?」と聞きますと、
「寝てたんや!布団被ってたから見えへんかったんや!」という、お返事でした。
玄関開けたら寝室丸見えの狭い家やのに・・・。

ちゃんと探してから電話して来んかい、ゴルァ!
4月24日(土) 沙田の公園に行きましたら、だんなさんが香港人だという日本人の奥様と
そのお子様に出会ったのです。
私は元々人見知りするタイプですので、初対面の方とはあまりうまく話せないのが
常ですが、その奥様はとても気さくな楽しい方で、私には珍しく会話が弾みまして、
こうなりますとその奥様のおばば様が人畜無害かどうかが俄然気になって
しまったのです。
そこで初対面で失礼ながら、おばば様がどのような振舞いをなさる方なのか
チラチラと探りを入れてみましたが、感じの良い奥様にはやはり良いおばば様が
当たる自然の摂理になっているのでしょうか、どうも人畜無害なおばば様なようです。
そこで、「じゃあ義母様が家に押しかけて来たりはしないのですね?ラッキーですね!
うちの義母はですねぇ〜」などと、我が家のおばばの奇襲攻撃を説明しますと、
奥様が突然、「あ、そういえば、インターネットのサイトで香港日記集っていうのが
ありまして、そこのある日記に、『おばばが息子を奪いに来た』っていうのが
ありましたよ〜。いるんですね〜」。

それ、ワシのおばばやがな!
4月11日(日) 朝9時半に鳴りました電話に嫌な予感がしたので息子に応対させましたら、
やはりおばばからの電話だったのです。
なんと階下まで来ているというではありませんか!
親子3人共起き抜けのだらしない格好をしていましたので、素早く着替えたと同時に
玄関のベルが鳴り、おばばが登場しました。

おばばは「馬券を買いにそこまで来たからな」というのを言い訳にしましたが、
休日の朝も早くからうちに押しかけて来る目的はただ一つ、息子の強奪に
違いありません。
上の息子を連れておばばの家に帰り、一日過ごさせようという企みなのです。
おばばは、市場で買って来たと思われます菜っ葉と牛肉の細切れ、そして
マクドナルドの紙袋を手土産として私に差し出しますと案の定、
いつものドラ声をやや甘いトーンに変え、上の息子に向かって
「なぁ、アポポの家に一緒に帰ろう、亀おるで〜、自転車乗れるで〜」などと
アタックを開始しました。
しかし何度も何度もアタックしても、息子の返事は「行かへん!」でしたので、
今日はあっさり諦め、早々に引き上げて行ったのです。

おばばが帰ってからマクドナルドの紙袋を開けてみますと、いつもなら絶対
息子2人分のハンバーガー類しか買って来ないおばばが、
今日はフィレオフィッシュを3個も買っていたのです。
そして、「この3個目は誰の分???」というのが、私の目下の疑問点なのです。
おばばは無駄な買い物は一切しない人ですので、一人一個が当たるように
買って来たに違いありません。ということは、「7年間嫁として仕えて初めて
私の分まで買って来てくれた!私の事を初めて頭数に入れてくれた!」と、
素直に喜び感謝すべきでしょうか?
それとも、「本当はうちに長居するつもりだったのでおばばが自分の分まで
買って来ただけ」と解釈すべきでしょうか?
もしかしたら、上の息子を早々に強奪し、マクドナルドも持って帰っておばばの家で、
おっちゃんも含めた3人で食すつもりだったのでしょうか?
一体誰の分なのでしょうか?
4月10日(土) 本日は義兄&義姉コンビが、うちの息子2人をオーシャンパークに連れて行ってくれる
ことになっていましたが、下の息子はやはり発熱してしまい咳もかなり出ていますので、
上の息子だけ連れて行ってもらいました。

義姉たちは朝10時に、「3時ごろ帰るわ」といって出かけて行ったのですが、
オーシャンパークまでうちから最短でも往復2時間はかかりますので、
「それは絶対無理!」と心の中で思っていましたら、やはり無理だったようで、
夕方6時を過ぎて帰って来ました。
香港人はどうしてこうも、時間の目測ができないのでしょうか?

それはさておき、オーシャンパークには水族館があり、パンダもおり、息子は楽しかった
ようですが、遊園地もあるのに汽車だのメリーゴーラウンドだの、そういう乗り物には
一切乗って来なかったようなのです。
わざわざあのような遠い所まで息子を連れて行ってもらったのですから、
文句は言うつもりは毛頭ないのですが、「オーシャンパーク行ったら乗り物乗って来な
損じゃろう!乗り物代も入場料に含まれてるねんしー」と思ってしまうのが人情では
ないでしょうか?

恐らくせっかちで仕切りたがる義姉のことですので、順番待ちで並ぶのが面倒くさい
遊園地やイルカショーなどには近寄りもせず、「はいこっち!次はあっち!」と、
命令口調でせわしなく、義兄とうちの息子を誘導していたに違いありません。
その姿が目に浮かぶようです。
そしてもしかしたら、そういう義姉の仕切りが気に食わなかったのかもしれませんが、
なんと義兄は途中で「疲れた」のを理由に、一人で先に帰ってしまったらしいのです。
まぁ所詮、男のしてくれる子守なんてこんなもんですな。
なにはともあれ、下の息子の具合が悪かったので、上を連れて外出してもらえたのは
本当に助かりました。またお願いします。
4月9日(金) 待ち焦がれていた時がやって来たのです。
だんなが本日、3泊4日の中国・桂林旅行に出かけて行ったのです。
溜まりに溜まったHPの更新などもやったるで〜、友人とチャットなんかもできるんちゃうん、
夜通しネット三昧じゃ!などと思っていましたら、夜半から明日にかけて
下の息子の具合が悪くなっていきそうな気配ですがな〜。すごい咳してますがな〜。

それにしても、あれほど「黙っててよ」とだんなには口止めしたというのに、
奴が旅行に出かけることが、またもやどこからかおばばに情報漏洩しているとは、
一体どういうことでしょうか?
旅行の事実を聞きつけたおばば、「あんた一人で大丈夫か?ワテが泊まりに行ったろか?
子供一人預かったろか?」という余計なお世話を焼きたくて堪らん、
ババ心溢れる電話をよこしてくれましたが、おばばの問いかけは完全無視し、
「あなたの孫が電話に出たがっていますから、じゃあ!」と、
急いで息子に受話器をバトンタッチしましたら、親切のゴリ押しはうやむやに
なってしまったようで、事無きを得たのです。

しかしまぁ、だんながいないだけで、家の汚れ具合といいますか、猥雑感が全然違うの
ですね。
家が散らかるのは2人の子供のせいじゃなかったのじゃ!ということを、確認いたしました。
それともひょっとしてこれは、部屋が散らかるか否かの問題ではなく、
だんな本人が醸し出す『むさ苦しさ』が無いから、こうも家がすっきりして
見えるのでしょうか?
4月3日(土) 昨晩のチーロン母子はかろうじて撃退したものの、今朝はおばばに襲撃されて
しまいました。
上の息子が拳法の練習に行かなければいけない時間のちょっと前にやって来て、
「下の子はワテが見てたるさかい、あんたら2人で行っておいで」などと、
偶然押しかけて来たとはといてい思えない口ぶりでしたので、
これはきっと我々の本日の行動について、情報漏洩した奴がいるのに違いありません。

しかしながら、下の息子も連れて学校まで行きますのはなかなか面倒ですし、
実は自転車3人乗りしている場面を見られたくないご近所さんがいるのです。
といいますのは先日、同じバス停からスクールバスに一緒に乗せています
カーヤン母から、「4月はイースターで半分休みやのに、バス代が同じ値段なのは
もったいないから、スクールバスは止めて、子供らを自転車で送迎せぇへんか?
一日交代で、お互いの子供も連れて送迎せぇへんか?」と持ちかけられてしまった
のです。
自分の子供だけを気ままに送迎ならいいのですが、カーヤンまで一緒に連れて
行くとなりますと、マンション階下で待ち合わせになりますし、他人の子供を預かる
責任も負いますし、それはそれで煩わしく感じましたので、
「自転車3人乗りなんて怖くてできへんから、ダメ」を理由に、断わったのです。
それがありますので、今日の拳法にも来ているでありましょうカーヤン母には
自転車3人乗りしているのを見られてはいけないのです。
というわけで、おばばに下の息子を見てもらい、上の息子だけ学校に連れて行きました。

家に戻りますとおばばはやはり、先日持って来た「ツバメの巣」の瓶詰めのことを
問いただして来ました。
私の留守中に冷蔵庫を開けてみて、瓶詰めの姿が無いことを不審に思ったのでは
ないでしょうか。
「もう全部食べさせました」といいながら、この日のために大事に取っておいた
空き瓶を見せつけますと、おばばは「おぅおう」と満足げなご様子でした。
それから唐突に「子供をもう一人作ってはいかがなものか?」と聞きますので、
「今作ったら、あんたと同じ干支になるから嫌!」という言葉はぐっと飲み込み、
「2人で十分ですから」と答えますと、「下の子供が学校にあがってからでもいいから
作りぃや」と食い下がって来ましたので、なんとか話題を反らせようと
「あなた、子供5人もいてすごいですね」と話を振ってしまったが最後、
「わては農作業しながら産み落としたのや、○○がお腹にいる時は□□を背負って
農作業してたのや、△△を背負ってこ〜んな一杯の野菜を売りに行ったこともあったしな、
××が7歳くらいのときにはもう○○の面倒を××に見させてたのや」などと、
延々と昔話をはじめてしまったのです。
こういう苦労話の場合、私の広東語レベルでは何をいっていいのかさっぱり
わかりませんので、ひたすら「わー、好辛苦〜」と、いい加減な相槌を打っていたの
ですが、「☆☆が生まれてからは、○○は婆(姑)に預けることにしたのや」と
苦労話に姑が登場したあたりで感極まったのでしょうか、おばばはそのギョロ目に
涙を溜め始め、服の袖でそれをぐいっと拭ったのです。
おばばは姑から、かなり辛い目に遭わされたという話は、だんなから何度も聞いた
ことがあるのですが、その辛い日々を思い出したのでしょうか?
それとも涙で嫁の同情を買い、「しゃあないなぁ。可哀想やからもう一人孫でも
産んだろかいな?」という気にさせようとする、巧みな技なのでしょうか?

本日の我々の行動をおばばに情報漏洩したと思しき者が帰って来てから、
「今日、あんたのお母さん来たで〜、泣いてはったわ」と報告しますと、
血相を変えて「なんでや!お前が何か言うたんか?!」と、いきなり私に
食ってかかって来ましたので、この男もおばばの涙に騙されている者の一人なのやな、
あの涙はやはり要注意やな・・・と思いました。
4月2日(金) 夜の10時頃電話は鳴りましたのでうちのだんなが応対しましたら、それは
上の息子と幼稚園で同級生だったチーロン君の母からだったのです。
そしてチーロン母は「私の息子があんたの息子に話したいんだけど」と要求したようで、
その後すぐ、息子が電話に応対したのです。
チーロン母子は今年の初めに、チーロンの誕生パーティーを我が家で開くべく、
バースデーケーキを持って押しかけて来たのを最後に、音信を絶っていましたので、
これは久しぶりの電話です。
どうせ「明日一緒に公園に行こう」とかいうお誘いだろうと思って息子の会話に
聞き耳を立てていましたら、どうも話の展開が学校の成績に及んでいるようです。

1年生の子供が自分の意思で、違う学校に通う子の家にまでわざわざ電話してきて、
その成績の優劣を問うことはちょっと考えにくいですので、「子供を使ってまで、
他人の成績を探ろうなんて、嫌らしい奴っちゃなぁ!」などと、チーロン母のやり口に
あきれていますと、うちの息子が一体どういうつもりなのかわかりませんが、
「僕、英語のテストは100点だったよ」と、大ボラを吹いているのです。
そうだ息子よ!そういう嫌らしい奴にはホラを吹いて吹いて吹きまくるのだ〜!
と思っていますと、今度は「明日、家に行っていいか?」という展開になっている
ようです。押しかけて来て、本当に成績が良いのかその目で確かめようという
作戦に違いありませんが、来られたら最後、教科書やらノートやら色々検査された
挙句、成績がボロボロなのがバレてしまい、チーロン母の自己満足を増長させてしまう
だけではありませんか!それは悔しいぞ!!!

幸い明日は学校で拳法の練習がある日ですので、それを理由に断わらせようと
したのですが、チーロン側も拳法の練習が何時から始まるのかを巧みに聞き出し、
始まる前の「10時から11時までならそっちに行ってもいいか?」などと
ゴリ押しのタイムスケジュールで迫って来ている様子なのです。
なんでそこまでせなあかんのじゃ!

結局、ファミコンしながらも同じように聞き耳を立てていたと思われるうちのだんなが、
ゴリ押しを断われずあたふたしているうちの息子に「違う日にしてもらえ!」と一喝し、
息子も「パパが違う日にしてくれと言っている」とそのまま伝え、電話は切れたのでした。
3月29日(月) 先日おばばが奇襲をかけて来たのですが、いつもなら手土産の自家製菜っ葉が
提げています右手に、その日はツバメの巣の瓶詰の、ゴージャスな紙袋が
握られていたのです。
「買って子供に食わせ!」と何度も指令を出しているのに一向にその気配がない
うちら夫婦にとうとう業を煮やし、おばばは自腹を切ってツバメの巣の瓶詰めを
買って来てしまったのです。
その商品はうちのマンションの階下で売っており、おばばが「買え買え」とうるさいので、
私もその店の前を通るたびにチェックは入れていたのですが、
ショーケースをしげしげと眺めていますと売り子の姉ちゃんがすばやく飛んで来て、
高い商品を売りつけようとしますので、いつも店の横を通る瞬間にサッと目をやり、
価格に目をやっては「うっ、高い・・・」とうろたえ、こんなもの買えるわけないやろ!
ナロ〜!などと、心の中でつぶやいていたのです。

おばばが持って来たのものは、その店でも一番大きいサイズで688ドル(一万円相当か?)
しているやつだったのです。太っ腹なのです。
ツバメの巣をシロップ煮にしたボテボテなやつがたっぷり瓶詰になっており、
「人工の調味料や防腐剤は使ってないから安心して食べなよ、このまま食べても
いいし、豆乳や牛乳に混ぜてもいいよ、熱くしても冷たくしてもいいよ」という説明書きも
ついており、「まぁ、これなら食べさせてもいいかな」と私の心が傾いたところへ、
売り子の姉ちゃんに聞いてきたのでしょう、おばばの「キレイなスプーンで食べや!
一日一匙やで!(息子2人共)どっちにも食べさせや!水のついたスプーンは使たら
あかんで!キレイな乾燥したスプーンを使いや!口で舐ったスプーンですくったら
あかんのや!カビが生えるんや!冷たいままではあかんから、熱湯を混ぜて
食べさせや!食べたら冷蔵庫に保存しぃや!賞味期限は4月20日やからな!
絶対食べや!」という、値段に比例したのかうるささ倍増の指令が矢継ぎ早に
飛びましたので、「口で舐ったスプーンを使うようなことをするんは、お前だけじゃ〜〜!
うるさいんじゃ〜〜!」とは反射的に思ってしまいましたが、
さすがに私も、それほど高価な瓶詰は今まで食べたことがありませんので好奇心が
勝ってしまい、うやうやしくいただいてしまったのです。

しかしおばばが帰った後に指令通り、スプーン一杯のツバメの巣に熱湯を同量混ぜて
子供らに与えてみますと、「おいしない」の一言だったのです。
私も味わってみますと、甘味が微量過ぎ、寒天をふやかしたものを食べているような
生ぬるい、なんともいえない触感でしたので、なんとかならんもんかと思案し、
そこに練乳を加えて甘味を強化させてみたのです。
すると「もっとおいしない」と子供らがいい出し、2度と手を付けてくれなくなってしまい
ました。
しかしおばばがこのようなブツを持って来たあかつきには、それをちゃんと食べているか
どうかの抜き打ち検査を必ず仕掛けて来ますので、油断ならないのです。
好んで食べるほど美味だとは思えないのですが、値段が値段だけに、さすがに
捨ててしまうのも忍びなく、この頃では毎日の味噌汁にぶち込んで食すという、
おばばが知ったら怒り狂うこと間違いなしな方法を導入しているのです。

それにしても毎度ながら、「あんたも食べたらいいからな」の一言が無いのを、
ちと腹立たしく思ってしまうのですな。
3月14日(日) 本日も義姉がやって来ました。
どうも、うちの息子の学校の成績が芳しくないので、「私がやらねば誰がやる!?」という
使命感のもと、広東語&普通語を教えに来ているつもりのようです。
広東語と普通語で本を読み聞かせしてくれまして、私にはできない事ですので、
それは感謝すべきなのですが、義姉が発音しますと、本来なら悠長な普通語の響きも
なぜだか広東語のような荒荒しい息遣いになり、どれもこれも命令口調のように
聞こえるので、私はちっとも嬉しくないのな。

しかも、義姉ったら本日は、どこぞで鉢植えを3鉢も買って来まして、それをうちの
出窓のところに飾れ!というのです。「お前の窓は殺風景だ!ちょっとはキレイにしておけ!」
というのです。
殺風景も何も、私の可愛いサボテンちゃんを水責めの刑でおばばに殺戮されてしまって
からは、私はやる気がないのです。
今はとりあえず、幼稚園で栽培競争させられた健気な白いペチュニアと、
小学校で観察するために栽培させられたプチトマトが一鉢づつあるだけですが、
これくらいでちょうど良かったのです。
そこへ強引に、さつきとキンセンカと、もうひとつ身元不詳のやつが合計3鉢もやって来た
のです。
私は「水あげるの忘れて枯らしてしまうので、要りません」と断ったのですが、
「トマトにも水やってるんやろ?その時一緒にあげたらええねん」と、もっともなことを
いわれてしまいましたので、今度は「じゃあ、一鉢でいいです」と折れてみたのですが、
すると「うちはもう鉢植えでいっぱいやねん、置くところないねん」と言うのです。
はなから我が家に、有無をいわさず引き取らせるつもりだったのにムカついた私は、
「私、子供の世話で手一杯なので、その上3つも鉢の世話はできません」と、子供の
いない義姉に嫌味のようなことを言ったつもりだったのですが、「子供に水遣りさせたら
ええから」と、さらりとかわされてしまいました。
そして勝手に買って来たくせに、「さつきは毎日水を最低500ccはやってくれよ」とか、
「キンセンカは咲き終わりの花は、すぐにちょん切れよ」とか、「蚊が湧くから
水を遣った後、底たまりの水を溜めるなよ」などと、様々な指令を繰り出すのです。
うるさいわい!
3月12日(金) 今週は病気週間でして、まず週の初めに上の息子が嘔吐、週の半ばには
下の息子が嘔吐&鼻水だらだら、昨日から上の息子が鼻水だらだらで、
交互に学校を休ませております。落ちつかない一週間です。
3月9日(火) 今日の新聞に、自分の母親と妻との嫁姑バトルの板挟みを苦にして、
そのことを話し合う家族会議の最中に、飛び降り自殺してしまった38歳の
香港人男の記事が載っておりました。

嫁は中国大陸の人のようで、結婚後もすぐには香港に住めるビザが下りず、
嫁は大陸、夫とおばば、それに夫婦にできた子供2人は香港、という離ればなれの
生活を送っていたようですが、2年前に嫁が晴れて香港で生活できるようになったのです。
そして香港でおばばと同居ということになり、嫁姑の折り合いが悪くなったらしいです。
新聞で読んだ限りですが、おばばは「嫁に息子を盗られた」、「嫁と結婚するまでは、
あんな子(息子)じゃなかったのに」、「有老婆無老母(奥さんはいるけどお母さんは
いない・・・・・妻ばっかり可愛がって母親はないがしろにするのか!的な嫌味でしょうか?)」
などと、常日頃周囲の者に漏らしていたらしく、嫁の方がどういう態度でおばばに対応して
いたのかは新聞からはわからなかったのですが、どうもおばばが息子を溺愛するあまり
嫁を敵対視し、被害妄想を膨らましておったか?という気もしないでもありません。 
私はこの記事に対して新聞を2つ読んだのですが、 どちらの新聞もやはり
おばばの溺愛をちょびっと批判してるのかな?という内容には取れ、
専門家の意見として「夫が妻を可愛がるのは夫婦仲が良いことなので、むしろ喜ぶべき」
などと、理性的なことが書かれてありましたが、そんなことおばばにはとうていわかるまい。

おばばの写真も載っていまして、人様の顔のことに言及するのは心苦しいですが、
どうも「やはり・・・」と思わざるを得ない感じの、うちのおばばを彷彿させる人相の持ち主
でして、私は嫁の立場ですから、どうしてもこの場合嫁の方に感情移入してしまうわけです。
ここはやっぱり息子(夫)がどれだけ罵られようが心を鬼にして、
とにかく一度ドーンと突き放し、おばばを諦めの境地に追いやって欲しかったなと
思ってしまいます。
突き放したところで、親子の情は消えることはないでしょうに。
その香港人男も間に挟まれ苦しかったと思いますが、彼が囚われていたのは
母親の情ではなく、子供の自立を妨害し、親にべったりが親孝行だと植えつけ、
それができないと罪の意識を抱かせる、いわば『おばばの呪縛』と呼ぶべき、
死ぬまで逃れなれないほど、煩わしいものだったのでしょうか。

せめて近距離でも構わないので、おばばと別居できていれば良かったのになぁ。
おばばと同居といいましても、香港ではそれこそ自分の部屋も持てないような
狭い空間で、46時中相手と顔を合わせておらねばならないような状況も
珍しくないですので、いがみ合う双方も、間に挟まれた者も、
それを見ている子供たちにもたまらなかったでしょうに、金銭諸々の関係から
別居にも踏みきれなかったとしたら、悲しいことです。
心のゆとりよりもお金のゆとりに重きを置く、お金信奉のせいもあったのかな?とも
思ってしまうのです。

このおばば、息子を産んでから38年間、狭い家でずっと息子と同居して来たのでしょうか。
そのことが一因で、子供には子供の人生があることがいつまで経ってもわからず、
絶えず子供を自分の監視下に置くことが当たり前になってしまい、
正常な親子関係が持てなくなってしまったのでしょうか。
香港の住宅事情は、面積、価格、質はおろか、精神的にも貧しくなってしまう結果を
生むのでしょうか?
うちもこの先ずっと狭い家で住み続けることになりますし、うるさいおばばには
ならんとこう、なってしまうかもしれへんけど、控えめにしとこうと思いました。
気をつけなあかんなぁ。
3月7日(日) 朝から本日は昼間は義姉がうちにやって来ました。
そして夕方からはおばばの家でディナーでしたので、義姉と共におばば宅に
行くことになってしまったのですが、「あの家(おばば宅)は寒いから、子供らに
もう1枚着せておけ」と、やいやいやいやいうるさいのです。
子供らにはもうすでに半袖1枚の上に長袖シャツを着せていましたので、
「これで大丈夫です」と応戦したものの、義姉は「凍凍凍凍凍!」と食い下がって
来ますので、「冬服はもう押入れに直してしまいました」で諦めさせようとしたの
ですが、それでも尚「出して着させー」という強行な態度ですし、おまけに
うちのだんなまで加勢して来まして「あほか!凍凍凍凍凍凍凍!」といいますので、
むかついた私はこれ見よがしに一番ごっついジャケットを押入れから取り出し、
「これで文句はないんでしょう!え?」といわんばかりの形相で子供らに着せ、
そういう自分はあくまで「私は半袖で大丈夫です!」と、こんなの寒くない!
ということを身を持って証明してやる気バリバリでおばば宅に出向いたのですが、
寒風ビュービューでめっちゃ寒いやんか!!!
あそこはほとんど四方が小山に囲まれており、盆地状態なのでしゅか?
しゃあないのでおっちゃん(義父)に上着を借りました。
おばばではなくおっちゃんから借りたのは、私のせめてものプライドなのよ。
といっても、借りてしまったこと自体、敗北を意味するのですな。
3月6日(土) 息子の通う小学校で今日は〔足台〕拳という拳法の体験実習がありました。
息子を学校まで送って行きますと、その拳法のインストラクターらしい若い兄ちゃんが
出迎えてくれ、こちらを見ると軽く会釈してきたのです。
香港人の若者には、目があった瞬間にメンチを切られることは多々ありますが、
爽やかに会釈されたなんてことは皆無です。
なんという好青年でしょうか。ポイント高すぎです。
やはりスポーツにいそしみ、青春を謳歌し、性の煩悩に惑わされていなさそう(勝手に
想像)な若人は清清しいものです。うちの息子どもも、彼のようになって欲しいものです。
それより、早くあの兄ちゃんにもう一回会いたいな。次のレッスンは来月ですな。
うっしっし。
3月5日(金) 我が家もとうとうコードレス電話機を購入しました。
今までは電話線に縛られた受話器でしたので、電話中は行動範囲が半径1mに
限られてしまい、とっても不便だったのです。
それが今では、料理しながら、トイレしながら応対できるではありませんか!
素晴らしい!
しかしながら電話が鳴りますと、知らず知らずのうちに前の電話機が置かれて
いた場所で、直立して受話器を握り締めている自分がおります。
2月27日(金) 私が風呂に入る前にチラリとだんなをチェックしますと、PCでなにやらいかがわしい
サイトを閲覧しているようでしたが、そのままにしておきました。
そして風呂から上がってみますと、だんなが「エクスプローラが開けられない」と
焦っており、「あんた、さっき見てたがな」といいますと、「突然エラーが出て、
開かへんようになった」らしいのです。
そしてその日以来、だんなのウィンドウズではどのソフトを稼動させようとしても、
エラーが出て、何もできなくなってしまいました。
近頃だんなは仕事数が大幅に減ってしまいましたので、家にいる頻度も増え、
日長一日PCの復旧に従事しているのですが、3月5日現在、直っていません。
私のウィンドウズでは、「変なサイトは見るなよ見るなよ見るなよ」と
釘を刺していますので、あれほど復旧に燃えているのにはワケがあるのでしょう。
バチが当たったのじゃ!
日付忘れ 〔才八〕王之王というステーキハウスで食べて来ました。   〔才八〕で一文字
この店は新聞によく広告が出ており、アメリカ産の高級牛肉を使用していることを
売り物にしているようで、前からとても気になっていたのです。
アメリカ(カナダ)でBSE騒ぎになった時も、「本当に恐ろしいのは狂牛病
ではない。良質で美味しいアメリカ産の牛肉が食べられなくなることなのだ。
だからストックのある今のうちに食っとけよ」というような主旨の広告文句が
出ておりまして、ごっついこと書いてあるなぁと思っていたのです。
ごっついのはその自信満々な広告だけではありません。値段もごっついのです。
アメリカ産和牛などは、600ドル(一万円弱?)くらいの価格で出しているのです。
アメリカ産プライムビーフというやつでも、150ドルくらいしているのです。
そういうお店に、だんな自らが食べに行こうと誘ったのです。

着席しますとメニューが3冊運ばれて来ました。
1冊目はアメリカ産和牛メニュー、2冊目はアメリカ産牛肉と豚肉のセットメニュー、
3冊目はステーキセットとその他スパゲティなどのメニューです。
だんなはすかさず、「お前はこれを見ていたら良い」と、3冊目を渡して来ました。
このメニューのステーキセットは、牛フィレ、サーロイン、リブロース、鶏、羊など、
色々あるのですが、どこの国が産地なのか明記されていないのです。
ということはきっと中国産だと思われますが、中国産にしては値段設定がちょっと
高過ぎな感じもしますし、ニュージーランド産かなにかなのでしょうか?
とにかく、どのセットも70ドル(1000円程度)前後しているのです。
何にしろ、値段のお高いアメリカ産は選んだらダメということで、
選択肢は限られていますので、フィレステーキにしました。

そうして運ばれて来た私のステーキは、「フィレってこんなにデカかったか?」と
ややいぶかしく思ってしまう肉幅といいますか大きさでして、お味の方も、
私がイメージします牛肉の味からはケタ外れの、スケールのデカイ野郎で
ございました。
ニュージーランド産オーストラリア産であれば、もうちょっと肉の味がしそうです。
あれはやはり中国産なのでしょうか?
嗚呼、やはりこうなるとアメリカ産を食べて、納得してみたいものですな。
2月21日(土) 今日は、上の息子の小学校の3者面談の日でした。
3者といいましても、私だけでは言葉が心許ないので、
だんなにも来てもらったのです。

担任の林先生はまず、息子の前学期の成績表をくれました。
すばやく目を通しますと各教科AAAAAAAAAAというのが見えまして、
「オールA???」とぬか喜びしたのも束の間、それは最高評価のサンプルとして
そのように表記されていただけでした。全く紛らわしいのじゃ!
その隣にDとBばっかりが並んでおり、それが息子の成績のようです。
ABCDEの5段階評価のようですが、さすがにEはありませんでしたので
「まぁ、ええんとちゃうん?」と安心していましたら、成績表の一番最後に
席次が出ており、一年生78人中66番目と書かれてあったので、
うひょ〜と思いました。
林先生はしきりに「中国語があかん、がんばらなあかん」とおっしゃっており
「この先伸びると思うから、広東語のTVをもっと観るとか、家でもっともっと
努力して下さい」と締め括られました。
先生から「TVを観ろ」というアドバイスが出たのは意外でしたが、TV番組から
言葉を覚えることも確かにありますから、そういうことでしょうか。
だんなはそのことについて、家で子供に本を読んだり勉強をみてやらない
自分に非があると指摘されたように感じたのでしょう、
帰り道はやたらと機嫌が悪くなってしまいました。しかしまぁ、図星ですからな。

私は「Eが不可」と思っていましたのに、家に帰って成績表をじっくり見ますと、
「D以下は不合格」と書かれてありましたので、中国語・普通語・宗教と
3つも不合格ちゅうことのようで、後期はほんまにがんばらないと落第するかも
しれませんな。
しかし息子の言葉の発達のことを考えますと、早いうちに落第して一年やり直した
方がええのかもしれませんな。まぁ、なるようになるのでしょう。
それにしてもあらためて驚いてしまったのですが、体育とか図工など「B良好」も
結構ありましたのに、なんで66番目なのじゃ!
よその子の通知表はAだらけちゅうことなのでしょうか???
2月20日(金) おばばネタが続き申し訳無いのですが、本日はおばば60歳の誕生日を祝う
記念夕食会でした。
場所はうちの近所のマキシムレストランだったのですが、倹約命のこの一族には
大変珍しいことに、中華の12人用宴会コース料理を頼んであるらしく、
店に入りますとカラオケ付きの個室に案内されましたので少々驚くと共に、
豪華な宴会料理など食べるのは、4年前にあった義姉の結婚式以来ですので、
どんな料理が出て来るのか、私は期待で胸が膨くらんでしまいました。
部屋では、もうさっそく義兄がマイクを一人占めし、大音響でビヨンドなどを
熱唱しており、2番目の義姉も非常に歌いたそうにして端で待機していたのですが、
結局マイクは一度も譲られることがありませんでした。

そうこうするうちに、おばばとおっちゃんが登場したのです。
先日、プイッと拗ねて帰ってしまったおばばですので、そのことをまだ引きずって
いないかちと心配だったのですが、今日はとびきり上機嫌のようです。
皆の「生日快楽!」の声に、「おぅおぅ!」と恥ずかしげに応えています。
そしてさすがに本日の主役の自覚があるのでしょう、おばばはかなり一生懸命
着飾った感じであり、ドラ声さえ発しなければそれなりにマダムっぽく見えたのです。
しかしその右手には、かなりミスマッチ的に赤いビニール袋が提げられており、
私はその袋を見た瞬間に中身が何であるか想像できましたので、
「おぉ!こんなところまで持って来るとは!」と、その執念に脱帽してしまいました。
そしてやはり、おばばはうちの息子の姿を見つけるなり、
「え〜い、アポポ(おばばはうちの息子達にこう呼ばれている)がヤクルト買うて
来たで〜」と、その赤い袋からヤクルト1パックを取り出し見せびらかしたのですが、
義姉と義兄の嫁及びうちのだんなから「あーぁ、今からご飯やのに、そんなもの
飲ませなや〜」という批判的な声が一斉に上がり、
さすがにおばばも食前にヤクルトを飲ませたせいで、息子たちの食が進まないことを
危惧したのでしょうか、それとも、おばばとはいえやはり60歳を迎え耳順ということで、
人の意見に耳を傾けられるようになったのでしょうか(そんなのおばばじゃないやい!)
「後でな、後」といいながら、そそくさと隠しておりました。

そして食事が運ばれて来るまでに、おばばの子供達でお金を出し合って買った
プレゼントを贈呈したのです。
これは義兄とその嫁に代表で買って来て貰ったのですが、黄金のプレスレットで
ありました。割と細めですので、そんなに高い代物ではなさそうです。
おばばは「こんなん要らんのに・・・」といいながらも、義兄にはめてもらっています。
それから、本日のおばば60歳記念夕食会をブッちぎりました義弟の、
中国に住む彼女からもプレゼントがあったらしく、
「これ、あの子に貰ったんや・・・」といいながら、首をゴソゴソしだしたのです。
それを聞いて一同、「な、なんやて!?」といわんばかりにおばばに注目しますと、
それは黄金の細いネックレスに黄金のペンダントトップが付いている、
香港とは物価の違うシンセンで、多分安月給で働いています彼女にすれば
奮発したな?がんばったな?と思われるようなブツだったのです。

4人の兄弟姉妹合同で細いブレスレット、かたや義弟の彼女一人でネックレス贈呈。
この時に流れた空気をなんと表現したらいいでしょうか、一同「わぁ、すごい」などと
いいながらも、内心では「ナロ〜、嫁にもなっていない分際で出し抜きやがって」とか
「おばばへのプレゼントに黄金商品を選ぶとは、さすが!」とか、
「うむ?あやつはなかなかの策略家かもしれんぞ、気をつけなければ!」などと
思っていたに違いありません(それは私か?)。
私は義兄の嫁がどんな表情を浮かべているかが気になり、彼女を見ますと
彼女の方も同じ気持ちだったらしくこっちを見ていましたので、視線が合ってしまい、
バツが悪くて慌ててそらしました。

そうして宴会は始まったのですが、せっかくのおめでたい席ですのに、
ずっとカラオケ用TVがワンワンとうるさく点けっぱなしになっており、
料理もコースではありましたが、あわびやら伊勢エビやらホタテやらのゴージャスな
海鮮の姿はなく、鳥インフルエンザの影響で、鶏の丸揚げ丸蒸しのような料理もなく、
スープこそフカヒレ入りでしたが、後はイカとエンドウ豆の炒めたやつとか、
豚の角切りを揚げたものなど、取り立てて驚くような料理は出てきませんで、
お誕生日といっても、しっかり締めるところは締めているおばば一家なのでした。
2月16日(月) だんなが急に画材を大量に買い付けなくてはいけなくなり、
荷物持ちも必要ですので、昼から夫婦で急遽シンセンの画材屋に行くことに
なったのです。
だんながおばばに子守を頼んだところ、「じゃあ2時に行くから」ということで
ずっと待っていたのですが、時間を過ぎても来ず、おばばの携帯に電話しても
不通、家にいるおっちゃん(義父)に電話を入れてみましたところ、
「1時55分発のバスに乗って出た」といいますので、だんなと2人、
「おかしいなぁおかしいなぁ」と、不吉な予感を抱きながら待っていたのです。
この場合、私の不吉な予感とは、「おばばが事故に遭ったのでは?」とか
「事件に巻き込まれたか?」というような不吉さではなく、
「またもや、おばばにしてやられたか?き〜〜っ!」というようなものです。
こんな事を書きますと、「なんて薄情な嫁!」と思われる方もおられるでしょうが、
あのおばばの日頃の行動を見るにつけ、通常なら孫に会えるとわかれば真っすぐ
飛んでくるおばばが、今日に限って現れないということに、何か企みがないわけ
ないのです。
この日のおばばの企みは、我々のシンセン行き阻止!これに違いありません。
きっと子供を置いて夫婦で遊びに行くとでも思っているのでしょう。
「なんでワテを連れて行かんのや!?」なんて、ヤキモチでも
焼いているのでしょう。
私の推測を確信に近づけるため、だんなに「画材の買い付けせなあかんって
言うたんか?」と聞きますと、「いや、言うてない・・・。こんなことやったら、
入国管理局に出頭せなあかんとか、ウソを言うたら良かった」と、だんなの方も、
おばばがワザとやって来ないということを、どうも疑っているようなのです。

3時半になって、ようやくおばばがやって来ました。
だんなは買い付けが遅くなりイライラしていたところに、おばばがいかにも
「いやぁ買い物してて〜ん、遅かった?」という白々しい雰囲気で現れましたので、
よっぽど頭に来たのでしょう、その顔色は青くなっておりました。
だんなは怒ると無口になり、顔色が青黒くなるタイプなのです。
それを見たおばばも、さすがにヤバイと思ったのでしょう、話を摩り替えるため
買って来たボックスティッシュ5個組パックを私に差し出し、「これ、買ってたんや、
あんたにあげよと思ってな、へっへっへ」と笑いでごまかしました。

だんなが怒り狂っていますので、私はこういう時こそ有利に立ち振る舞っておこうと
おばばの遅刻には一切触れず、「ありがとう」と素直に受け取っておき、
「まぁまぁ、お茶でも入れましょうか、ママ(おばばの呼称・ぷ)」とキッチンに
立ちましたら、だんなが間髪入れずに「出かけるから!」と、鋭い口調で
私を促すのです。
3時半も過ぎてからシンセンに行っていては、帰りが夜になってしまいます。
おばばに、「子供の夕食を作って食べさせろ」というのは、今までお願いしたことが
ありませんし、それはきっと無理ですし、子供とおばばには夕ご飯を食べずに、
7時8時まで待っておれ、とでもいうのでしょうか?、
おばばもシンセン行きを阻止するつもりでワザと遅くやって来たのですから、、
まさかこのような時間から出かけられるとは、全くの予想外だったのでしょう、
ものすごく焦った表情を浮かべたのですが、自分の息子がたいそう怒っている
様子ですので何も言えないようです。
私はまたもや有利に立ち振る舞っておこうと、「今から出かけたら帰りは夜7時
過ぎるで。ママ(ぷ)に迷惑やで」と、一応優等生的発言をしてみましたが、
「今日しか日がないから」と、だんなも意固地になって冷たく言い放ちますので、
私は「困ったわねぇ、申し訳無いわねぇ」というような表情をおばばに向かって
浮かべながらも、腹の中では「腹黒い工作するから、こういうことになるのん
じゃぁ〜〜〜!」と思っておりました。

去年に晴れて香港永久居民権が取得できましたのと、シンセンに行くのに
日本人もビザが要らなくなったおかげもあり、おまけに平日でしたので、
入国審査はとても素早く通過でき、シンセンへは30分ほどで到着しました。
まずは画材を買い付け、我々だけご飯を食べ、ちょっと買い物をして帰りますと、
夜の8時前になってしまいました。
家に着くと立場は逆転し、今度はおばばが怒っており、だんなが取り成すために
「ご飯を食べに行こう」と誘ったのですが、こやつはなんと阿呆なのでしょう、
「オレらはシンセンで食べて来たけど・・・」ということをバラしてしまい、
それはおばばの怒りの炎に油を注ぎまして、「わては要らん!帰って食べる!」と
ますます拗ねてしまったのです。
「お粥食べに行こう」「要らん!」「麺は?」「要らん!」というような問答を
繰り返した後、「上海料理に行こ」と誘いますと、おばばがあっさり「行く」と
いいましたので揃って食べに出たのですが、こういう時に限ってその上海料理屋が
満席だったのです。
子供達もお腹を空かせてますし、だんなの一存で隣の粥専門店に入ったのですが、
ここでおばば、またもや拗ねてしまい、「わては食べへん!帰る!バイバイ」と
ヤケクソのように言い放ち、プイッと帰ってしまわれました。
2月14日(土) 最近おばばはなにやら焦っているようです。
といいますのも、おばば最大のライバルであります親戚一家(おばばの夫の姉一家)に、
男の内孫が誕生してしまったのです。姉の長男に息子ができたちゅうわけです。

その親戚一家は通常はイギリス?バーミンガムに居住し、中華の弁当屋を営んでいる
のですが、先月から旧正月で香港に里帰りしており、その間北海道旅行に行ったり、
お土産をいっぱいぶら下げて、おばばの村に凱旋帰郷したり、親戚を呼びつけ
飲茶を奢ったりと、なかなか派手なパフォーマンスを繰り広げているようなのです。
これだけでも、村からほとんど出たことがなく、他人に奢るなんてとんでもなく、
質素倹約な日々を送るおばばの神経を逆撫でするに充分だと思われますのに、
その上、なんと彼らは今度、一族を呼びつけ可愛い内孫のお披露目晩餐会をも
開こうと計画しているらしいのです。
おばばには内孫(うちの息子ども)が2人外孫ゼロ、かたや敵には外孫がすでに
2人いるところへ、今回念願の内孫が誕生、頭数では負けてしまった上に、
今後も子孫繁栄する可能性大ということでして、もはやおばばの自尊心もズタズタ
というところなのでしょうのです。
おばば一族は元々は農耕民族ですゆえ、一族の中で農作業の働き手が多ければ
多いほど一族も繁栄するのじゃ!という不文律があり、数の多いもん勝ちの
世界なのでしょう。
「このままでは長男の嫁としての、わての面目丸つぶれや・・・・・・」、
そういう焦りからでしょうか、かなり前から「もう一人子供作ったら?へっへっへ」と、
半分本気を笑いでごまかしたようなことを私に言って来ていたおばばなのですが、
近頃では笑いが消え、ほとんど命令のような口調でドラ声張り上げ
「え〜い、子供を産め!産め!」と威嚇してくる有り様なのです。

そして本日は、おばば手作りスープを提げて、うちに襲撃して来たのです。
このスープ、今までにもだんながたまに飲まされてはその夜、「寝られへん〜
あそこが痛い〜」と唸っているスープなので、何が入っているのかはわかりませんが、
子孫繁栄に一役買うのかもしれません。
このスープに限り、「子供には飲ますなよ」と注意があるのも、それらしいところです。
しかし私はスープ関係の効能は全く信用できませんので、うちのだんながスープを
飲んで「寝られへん〜」と悶えているのも、単に暗示にかかっているだけかと
冷ややかな目で見てしまうのですが。

さて肝心の子供ですが、私はもう一人くらい居てもいいかなとも思うのですが、
おばばに「産め〜作れ〜!」といわれますと、「意地でも作ったらへんど!」という
反抗的な気分にもさせられますし、そもそも「さぁ作ろ」と思ってできるものでも
ありませんし、運良く今年中に産めるよう4月中に仕込めれば、
私と同じ申年生まれの素敵な赤ちゃんになること請け合いですが(うそ)、
万が一来年にずれ込んでしまった場合、おばばと同じ酉年生まれになって
しまうではありませんか!!!
酉年生まれで万が一、私と相性の悪いお子になってしまったら、どうすれば
いいのでしょうか!(酉年生まれの皆さん、他意はありませんので悪しからず)
もう一年待ちまして、戌年生まれにするという案もありますが、その頃私は38歳・・・。

おばばよ、そんなに焦るなら自分で産め!自力で子孫繁栄作戦を遂行せよ!
2月7日(土) 本日私は己のお金の使い方について、激しく後悔しておるのです。
今日のお昼は子供と一緒に沙田まで出かけ、香港人の調理人が
日本料理もどきを出しています、いわゆる『日式』レストランに入ってしまったのです。
実はそのレストランには、今から数年前、実家の母が香港に来ました折りに、
てっきり日本料理屋と信じて入ってしまったことがありました。
そして天ぷら定食を注文しましたら、天ぷらと呼ぶよりフリッターのような
ベターッとした姿で、しかも衣になにやら中華臭い粉を混入させてあるらしい、
本来の天ぷらとは似ても似つかないものが出て来まして、
母子ともに大変がっかりした覚えがあるのです。
そのように苦い思い出があるにもかかわらず、本日再び過ちを繰り返して
しまったのです。

しかしながら少しは前回の教訓を生かしまして、天ぷらなど、香港人には調理が
難しそうだと思われるものは避け、ラーメンに寿司盛り合わせのセットという、
ちょっと変な組み合わせではありますが、無難そうで子供も喜ぶものにしたのです。

ところが、注文の品が出て来てびっくりしてしまいました。
ラーメンの汁は、最初見た瞬間、『これは粕汁か?寒いから粕汁仕立てのラーメンに
なっているのか?』と、真剣に思うくらい、スープが白濁し、モロモロが浮いていた
のです。
しかしよく見ますと、酒粕のモロモロに見えたそれは、アク(灰汁と書くのですか?)
だったのです。
なぜこのようにおびただしいアクが浮いているのかといいますと、このラーメンには
チャーシューの代わりに、牛肉バラ身の薄切りが乗っかっていたのです。
しかもこの牛肉、かなりの量なのです。薄切りのビローンと長いやつが、
10片くらい重なり合って乗っています。
これだけ乗せていれば、香港人なら「元が取れた!」と喜びそうな量ですが、
その肉を生のまま茹でた麺に乗せ、そこに熱いスープをかけて煮えさせて
いますので、あれだけアクが豊富に出たのでしょう。
でも香港居住7年の私、今ではアクくらいヘッチャラです。文句なんかいいません。
食べ進みますと、麺もほぐさずに湯がいたのでしょう、ところどころ固まっているのが
何箇所も発見されましたが、「虫が浮いていないだけマシなのよ、子供も喜んで
食べているじゃないの!」と、自分に言い聞かせました。

寿司の方はといいますと、各種寿司が5個の盛り合わせだったのですが、
サーモン、ホッキ貝、タマゴ、この辺は良しとしましても、残りの2個が、
巻き寿司にお稲荷さんだったのです。
お稲荷さんはこの場合、一緒の皿に盛られるには、明らかに身分不相応です。
お稲荷さんならお稲荷さんだけで、ひっそりと茶色い集合体を形成していて
欲しいものです。
しかしながらお味はまぁまぁいけたようで、サーモン寿司などは子供たちが
一気に平らげてしまい、私が口にできたお寿司は、その地味なたたずまいの
ために、子供が食指を動かさなかったお稲荷さんだけだったのです。
お稲荷さんが盛られていなければ、私の口に入るお寿司は無かったでしょうし、
これはきっとこのお店からの、食べ盛りの子供2人を抱えた健気な母親への、
心憎い計らいに違いありません。そう考えることにしました。

そして最後にお勘定しましたら、寿司定食2つと10%のサービスチャージは
覚悟していたのですが、お勘定をしにきたお姉ちゃんが告げた金額が、
私の予想を越えており、内訳を見ますと、お茶代として「一人7ドルx3人分」が
徴収されていたのです。
今までにも他のレストランなどで、ポットで出て来るお茶代を請求されたことは
ありますが、湯のみ茶碗に緑茶のティーバッグ一個がポト〜ンと落とされたお茶
ごときで、お茶代を請求されたのは初めてです。
香港の日式レストランでは、これが普通なのでしょうか?
私が世間知らずなだけでしょうか?
ラーメンのアク汁責めも、お稲荷さんの仕打ちにも、我慢し妥協してきたのに、
最後に湯のみのお茶代まで請求なんて、あんまりです。
そもそも、最初から不味いとわかっていたお店なのに入ってしまい、母子3人で
150ドル余りも散財することになってしまい、私はなんて運が悪いのでしょう。
後悔しきりです。だんなよ、すまん!
2月1日(日) 近頃私はラッキーなのでしょうか、「一度食べてみたい」けど、「金銭的にも、また
物理的にもそれを入手するのは不可」と半ば諦めつつ、やはり「嗚呼、食べたい」と
願っていた食品が、奇遇にも私の目の前に現れ、「食べ」と差し出される機会が
2度もあったのです。
1つ目は、先日の日記にも書きましたが、アワビ入り乾麺というやつです。
「誰かくれ〜」と記してしまうほどの、思い焦がれる気持ちが伝わったので
しょうか、旧正月中に義姉がくれた手土産が、それだったのです。
(しかしこの品は、うちのだんなの先輩宅への手土産に回してしまいました)

そしてもう一つ、最近読んだインターネットの掲示板で、香港人への手土産に
喜ばれるものとして、『白い恋人』というお菓子が挙がっていたのです。
このお菓子、私は食べたことがないのですが、何人もの人が「美味しい!」と
推薦して止まないほど素敵な味わいなようですので、これまた「一度でいいから、
食べてみたい!」と思ってしまったのです。
そして本日、ひょんなところで『白い恋人』に出会ってしまったのです。
それは、おばば(義母)の家だったのです。

息子のメガネを作りに行った帰り、おばばの家で夕食をお呼ばれしたのですが、
おっちゃん(義父)もうちの息子どもも食べ終わり、彼らが席を立ってしまってから、
急におばばが「こんなんもらってんけど、これ、何や?」と、おっちゃんの寝室から
持ち出して来ましたのが、『白い恋人』の小箱だったのです。
パッケージの『白い恋人』の文字が読めた瞬間、期待で胸が膨らみましたが、
おばばが箱を開けて見せてくれた瞬間、しぼみました。
中身の半分以上が無くなっていたからです。
「これ何や?」って聞きながら、もう開けて食べていやがったのです。

どうもうちのだんなの従兄妹が、その母親(おっちゃんの姉に当たる)を連れて、
旧正月中に北海道へ親孝行旅行したらしく、「その土産や〜」というようなことを
明らかに忌々しげに説明しながら、おばばは私に中身を見せるなり、
「なんぼや?これなんぼや?」と探りを入れて来ました。
「そんなん知らんがな〜」と思いながらも、箱の大きさと入り数の目安で、
「60ドルくらいです」といい加減な返事をしましたら、「え?そんなすんの?」とでも
いいたげな、いささか意外そうな表情を、おばばは浮かべました。
それから、「北海道ってどこや?お前は行ったことあるんか?」と尋ねてきますので、
「無いです」と返しますと、「なんでや!日本人やのに行ったことないんか!」と
ドラ声張り上げ詰め寄って来ましたので、私の顔がムッとしていたのでしょう。
察知したうちのだんながすかさず、「北海道は遠いんや、香港からシンセンに
行くのとちゃうんや」と、的確なフォローを入れておりました。

香港は狭い代わりに、交通の便も買い物の便も良く、ちょっとバスに乗れば、
海や小山にも辿りつけることができますが、香港人の土地感覚というのでしょうか、
思い描くスケールの小ささに、たまにびっくりさせられることがあります。
義姉とおばばが2泊3日で、下の息子の出産の折に、私の実家があります大阪に
やって来た時ですが、「神戸と京都を一日で見学する」と言いはりますので、
「それは無理やで」と助言したのです。
しかし、「いんや!普通、観光名所というものは街の中心にあるはずやから、
行ける。京都と神戸、両方行くから電車の周遊券買うねん」と、
あくまで押し通しますので、それ以上は何も言わなかったのです。
しかし、結局おばばたちが一日がかりで行けたのは、
神戸の中華街だけだったのでした。
そういう私も、山も無く谷も無く何も見えはしない、というような土地空間は
想像を絶するのでありますし、国の中で時差があるというような土地感覚も、
体験したことがないので、五十歩百歩なのですね。
世界は広いのじゃ!ということで、強引にまとめておきましょう。

話は脱線しましたが、おばばに「食べ!食べ!」と激しく勧められるままに
食べました『白い恋人』は、ホワイトチョコをラングドシャ−クッキーで挟んだ、
思わずもう1枚食べたくなる憎い奴だったのですが、おっちゃんの部屋から
取って来たあたり、持病の関係で甘い物を食べられないおばばを尻目に、
美味しいお菓子を一人占めしているおっちゃんへの、おばばの怨念が
篭っていそうですし、全部食べてしまっては、おっちゃんからも恨みを買いそう
でしたので、1枚で止めておきました。
そして家に帰ってからインターネットで検索しますと、おばばの家のあの箱は、
やはり60ドル相当の品でありました。
1月27日(火) 午後に、チーロン母から久しぶりに電話がかかってきました。
去年末に母子でうちに押しかけて来て、息子の学校のことで言いたい放題して
帰って行かれてから、「もうチーロン母とは付き合うのはやめよう」と
心に堅く誓った私ですので、その後もチーロン君からは息子宛に何度か電話が
あったのですが、電話してくる時間が夜の10時だったりで息子も寝てましたので、
一切取り合わなかったのです。

今日もいきなり、「今から家に行ってもいい?」という電話でしたので、
「今から出かけるからダメ」と断ったのです。
すると、「ああ残念!今日はチーロンの誕生日だから、一緒にお祝いしようと
思ったのに・・・」と言った後、「じゃあこの間の写真を渡したいから、
下まで取りに来て」というのです。
写真を貰わない限り、それを理由に延々と電話がかかって来そうですので、
「じゃあ降りて行くわ、今どこ?」と聞きますと、「あんたのマンションの下よ!」と
いうのでびっくりしてしまいました。
うちの階下から電話して来て、「今から行っていいか?」と聞く不届き者は、
うちのおばば一族だけじゃなかったのじゃ!

とにかく写真を貰いに慌てて降りて行きますと、再度びっくりしてしまいました。
チーロン母子は、なんとケーキの箱を提げていたのです。
ということはうちに来て、本当にてめぇの息子の誕生会をするつもりだったに
違いありません。用意周到だったのです。
誕生日なら、前もってわかり切っていることですので、急に押しかけて来て
今から誕生会を・・・というのは不自然ですし、たいだいやね、そんなこと
自分の家でやらへんか?

やっぱりこのわけのわからん親子とはきっぱり縁を切ろう・・・と、
ますます決意を堅くした私でありました。
1月21日(水) 2日前にありました学校の健康診断で、上の息子の視力に「異常がある、
近視らしい」ということが発覚したのです。
そして今日は、沙田にあります眼科専門医を受診するように紹介されたので、
だんなが息子を連れて行って来ましたら、近視ではなく遠視だったのです。
左目は正常、右目だけ視力2.0の遠視ということで、左目に負担がかかるのを
防ぐため、矯正メガネを作らなくてはいけなくなりました。

その後、おばばの家で大晦日の晩餐会がありました。
メニューはといいますと、切鶏1羽に油鶏1羽、子豚の丸焼き一匹、焼鴨1羽、
プロッコリー炒め、しいたけきくらげレンコンの煮物に薬膳スープという、
おばばの家でのお食事では、「もう、これしか出ない!」ちゅうくらいの定番メニュー
だったのですが、年を重ねる事にだんだんと、おばばの手作りより、
店で買って来るだけの手抜き品が台頭して来ているようで、なんだか寂しい限りです。
以前は海鮮関係の品も、1品はあったように思います。おばばも年なのですね。
加えてこの日は、おばばの勘定違いだったのでしょうか、はたまたワザとだった
のでしょうか、炊いたご飯の量が非常に少なく、総勢11人だったのですが、
各人茶碗に半分強のご飯しか当たらなかったのでありました。
うちの息子たちも、ご飯一杯づつをあてがってもらったのですが、食前にスープを
飲まされたりしてましたので、2人共ご飯をほとんど残しまったのです。
日頃はお茶碗3杯はおかわりする、大メシ食らいの2番目の義姉の夫が、
忌々しそうに息子の茶碗をねめつけておりました。
1月20日(火) 朝,私は急いで自転車を走らせておりました。
9時からバドミントンの練習があるのです。
家から5分程度の体育館までは、川沿いの歩行者通路を走るのですが、
この狭い通路を香港人おばばが4人、横一列にワー−ッと広がって、ダラダラ
歩いておるのが、先に見えたのです。
普通こういう場合は自転車のベルを鳴らしてもいいのでしょうが、私は持ち前の
自転車テクを駆使し、おばばの4人の真後ろでぴったりと徐行しまして、
おばばとおばばに隙間が空いたところを、サッとすり抜けようとしたのです。
しかし、自転車一台の隙間はあったものの、前カゴに積んでいたバドミントン
ラケットの柄が斜めにはみ出ており、、3対1に分断したおばば隊の、
1のおばばの腕にビシャッと当たってしまったのです。
しかし、徐行からなかなかに早いスピードに切り替えすり抜けましたので、
「すまん、おばば」とは思いながらも、自転車は先に進み、
詫びることができなかったのです。

そうして少し走っていますと、突然左のペダルがポロッと落ちてしまったのです。
他にも歩行者は多数おり、そこでペダルを落とすとは、かなり恥ずかしい状況
だったのですが、拾わないわけにもいきませんので、自転車を止め、戻って
拾いました。後ろからは、先ほどのおばば隊が、ダラダラと近づいて来ます。
おばばは怒っているに違いありません。おばば4人に取り囲まれ、デカイ声で
罵詈雑言の限りを浴びせられることになりましたら、私は気絶してしまうかも
しれません。
そう思うと気が焦り、私は素早くペダルを掴み、外れた個所に挿してみたのです。
すると思いがけなく簡単に装着できたのです。
私は自転車に跳び乗り、急いで発進しようとしました。
そしてペダルに足をかけた瞬間、重大な過ちに気付いたのです。

ペダルというのは普通、左右が対極になっていないと漕げないのです。
時計でいうなれば、6時の状態です。
しかし私は、あんまり慌てて装着したがために、12時の状態に付けてしまった
のです。これではいくらなんでも回せないです。
焦ってすぐさま引っこ抜こうとしたのですが、しかし今度は抜けないのです。
ジリジリと近づいて来るおばば隊の姿に動揺した私は、自転車のハンドルを
握ってそのままダッシュし、逃亡しました。
おかげさまで、バドミントンのウォーミングアップができました。
1月18日(日) 近所の大手スーパー2社が安売りで競争しており、全商品7.5%引きという
なんとも中途半端な割引合戦を繰り広げて2週間ほどでしょうか。
今日がその割引キャンペーン最終日ですので、買えるものは買っておこうと
思ったのです。
木曜日から旧正月休みに突入しまして、おばば一族や親しい人への
年始の挨拶回りにも手土産が要りますし、それも購入しておかなくてはなりません。
私のような庶民の手土産は化粧箱入りチョコレートやビスケット、果物などで
いいのですが、手土産に渡すのと同時に、うちに挨拶に来た人からも貰いますので、
貰った分をよそに渡すという食物連鎖風(?)なこともできまして、
あまりたくさん買い過ぎても持て余しますし、かといって今日の7.5%引きの
チャンスを逃しますと損な気もしてしまい、店内を何度もグルグルウロウロしながら
「どうしょ?どうしょ?」と思案に暮れておりました。

皆の衆は一体どのようなものを買っているのかと観察しますと、
どうも30ドル程度のチョコレート系に人気があるようで、十箱くらい買い込んでいる
人もおりますし、挨拶回り先のグレードに合わせているのでしょう、高い洋酒から
チョコレート数箱、それにインスタントラーメン詰め合わせまで、
様々な物を取り合わせている人もおります。
そして、結構皆が買っている食品で、私的にはとっても意外なものがありました。
それは『アワビ入り中華乾麺詰め合わせ』なのです。
乾麺といえどもこの商品はアワビ入りですので、私的には結構高価なのです。
1箱60ドルくらいしているのです。しかし、皆財布の中身を惜しむことなく
平気な顔で買い物カゴに入れているのです。
私はかなり昔に、これと兄弟姉妹食品と思われます、『エビ卵入り乾麺』なるものを
購入し、湯がいて食したことがあるのですが、これが全然美味しくなかった
のです。
そば、そうめん、スパゲティなど、乾麺の王道を行く食品の足元にも及ばない、
腰砕け野郎だったのです。
ですので、皆の衆がなぜこのような高い割に実力の無い食品を支持し、
手土産にまでするのかが、多いに疑問なのです。
ひょっとしたら、すごーーく美味なのでしょうか???誰か手土産にくれ。
1月15日(木) 昼、おばばから電話があったのですが、またもや、「上の息子にツバメの巣を
食べさせろ」という指令だったのです。
先日電話がかかってきた時も同じ指令が出たので、ハイハイと返事だけして
おいたのですが、本当に買って食べさせたか、確認の電話をしてきたようです。
今日話をよく聞きますと、私にツバメの巣の乾物を買ってスープを作れと言っている
のではなく、どうも、ツバメの巣を砂糖で煮て瓶詰めにしたもいのを
「買って食べさせ!」と、指令しているようなのです。
「600ドルくらいで売ってるから、買って食べさせ」とドラ声でウルサイので、
「なろ〜、600ドルって高いやんかぁ〜〜〜!」と掴みかかりたい衝動を押さえ、
「あんたの息子に言うて下さい、私お金持ってません」とサラリと言って
かわしました。

すると本当にだんなの携帯に電話して行ったらしく、だんなが夜遅く帰って来て
いきなり、「もう、たまらんわぁ〜」と愚痴を言い出したのです。
聞きますと、おばばは昼から夜にかけて、だんなが仕事中にもかかわらず
「上の息子にツバメの巣を食べさせ〜食べさせ〜」という内容の電話を、
何度も何度もしつこくかけていったようなのです。
しかも、私たち夫婦が子供にツバメの巣を食べさせない理由を、「高価で子供に
もったいないから」とでも思っているらしく、「子供にエエもん食べさせへんとは
どういうこっちゃ!それでも親か!」と、怒っているらしいのです。
まぁ確かに高価というのもありますが、だいたい私は、ツバメの巣に
確かな効能があるのかどうだかも信用できませんで、高いお金出して
そんなもん食べてもねぇ・・と思ってしまうのです。
ツバメの巣はおろか、私は漢方薬や薬膳スープに対しても信心がありませんし、
ましておばばが「食え!飲め!」と固持すればするほど、こちらも頑なになって
しまうというものではありませんか!
だいたい、ツバメが苦労して作った巣を、人間が食べてしまうとは、どないやねん!
それに、なんで『上の息子』にだけやねん!

うちのだんなも「ツバメの巣が、なんやねん!なんであんなにしつこいねん!
頭おかしいんとちゃうか〜?」などと、おばばに対してかなりキレている様子で
したので、私も表面上はあくまで「まぁまぁ。そこまで怒らんでも・・・」という大人の
態度を見せながらも、内心は「ええぞええぞ!もっと悪く言え!いっそ親子関係
断絶でもええぞ〜」と、小気味良く思っておったのです。
しかし。それでも最後にやっぱり、「安い瓶詰めでええから、明日にでも
ツバメの巣買っといて。母ちゃんうるさいからな」と、いつにもなく大金を
サッとくれたのです。
息子という生き物は何があっても所詮、母ちゃんの駒なのですね・・・。

追伸: だんなに貰ったお金はやはり、使い込んでしまいました・・・嗚呼。
1月12日(月) 夕方5時前、仕事に出掛けのだんなが、「もしかしたら後で母ちゃんが来るかも
しれへん」と,不吉な予告を言い残し、家を出て行きました。
おばばの場合、「来るかもしれへん」という推量は、「必ず来る」と断定して間違い
ないことを、過去の経験から私は熟知しております。
夕方来られますと公園にも行けなくなりますし、
「今晩何作るねん?買い物行ったんか?肉買って来たろか?肉と瓜炒めにしたら?
美味しいで。肉あるか?瓜あるか?作ったろか?野菜はちゃんと洗ってるか?
スープ作ったろか?材料買って来て作ったるで。今晩何作るねん?肉あるか?
瓜あるか?炒めたら美味しいで.」などと同じことを延々と聞かれ、
私では取り付く島がないとわかりますと、今度は上の息子に向かって
「ばあちゃんがスープ作ったろか?お粥作ったろか?マクドナルド買ったろか?」と、
己の自己満足のためなのでしょう、自分の好意を受け入れさせようと、
あれやこれやとしぶとく攻めて来まして何かと鬱陶しいので、
押しかけられる前にこっちが留守にしてしまえということで、
「早く!靴下履きなさい!早く!そんなもん持っていかんでええから!
早くしなさい!置いて行くで!早く!」と、子供をどやし仕度させ、
公園に行くことにしたのです。

うちは最近夕方6時ごろからマンション階下の公園へ子供を遊ばせに行くのが
常なのですが、マンションの公園ですと、おばばは必ず探しにやって来るに
違いないのです。
そこで、おばばの足ではちと来れなさそうな海沿いの公園に、自転車で逃亡を
謀ることにしたのです。
子供を連れて自転車置き場に到着するまでの間、おばばに出くわさないか
とっても心配でしたので、途中2階でエレベータを降り、そこからは非常階段で
地下1階駐車場まで行き、マンション正面玄関からは逆方向になります
車の出口を使って地上に出るという裏技を駆使したのです。
なかなかスリリングなひとときでしたが、見事にミッションコンプリートすることができ
ました。

そして夜の7時前に帰って来ますと、玄関のドア取っ手に、おばば自家製菜っ葉と
ヤクルト2パック、駄菓子諸々が結わえ付けられてありました。やはり・・・。
その後すぐ、おばばから電話がかかってきまして、「菜っ葉はあったか?
ヤクルトはあったか?」という確認の後、どうも『ツバメの巣』を上の息子に
食べさせろ、わかったか?というようなことを、ドラ声を激しく張り上げ、
私に指令しているようなのです。
なんでいきなりツバメの巣なのかかなり疑問だったのですが、とにかく
「はいはい」と調子よく返事しておきました。
1月9日(金) 息子のテストも終わり、宿題もなく、親子共々「ダラダラできるわぁ〜」と安心して
いたのも束の間、息子が焦った顔をして、通学カバンから何かを取り出したのです。
見ると連絡帳が2冊あり、1冊は息子のものですが、もう1冊は同級生の女の子の
ものだったのです。
他人の連絡帳を持って帰って来るのはこれで3回目でして、「なんでこんな
ことになるね〜ん!気ぃつけ〜!」と怒鳴ってしまったのですが、話を聞きますと、
息子はどうやら書くのが遅いらしく、時間中に書き写せないので友達に連絡帳を
借りて写させてもらっているらしいのです。そして、返すのを忘れて一緒に持って
帰って来てしまうらしいのです。全くどうにかならないものでしょうか。

とにかく、土日も挟むことですし、家が近所の子であれば返してしまいたいので、
連絡帳に記載されています電話番号に、だんなから連絡を取ってもらったのです。
住所を見ますと、よく行く公園のすぐ近所でしたので、公園に行くついでに
渡しに行ってもいいと思っていたのですが、先方はうちの近所に親戚が住んでるらしく、
「マシュ-(親戚の名)に取りに行かせますから」ということになり、
うちのマンション階下にありますマクドナルドで待ち合わせということになったのです。

しかし指定の時間にマクドナルド前に行きますと、何人もの若者がたむろしており、
子供もたむろしており、おっさんもたむろしており、どれが一体マシュ-なのか、
皆目見当がつかないのです。
こっちは子連れなので、マシュ-が気付いて話しかけてくれればいいのですが、
待てどもマシュ-は現れず、思い切って、一番マシュ-っぽいと思われる男の子に
たどたどしい広東語で「あんたマシュ-?」と話しかけてみますと、ものすごい嫌な
顔をされたので、今度は英語で話しかけてみますと、ますます嫌な顔を引きつらせ
あっちへ行ってしまいました。
このような対応をされてしまいますと、もう誰にも話しかけたくない心境に陥ってしまい、
またしばらく待ってみましたが、やっぱりマシュ-は現れないのです。
仕方が無いので仕事に行ってしまっただんなに電話し、「マシュ-の風貌は?
年齢は?」と聞いてみますと、「知らん」と冷たくあしらわれてしまったのですが、
それでは埒が開きませんので、だんなからマシュ-に電話してもらったのです。
すると、ずっとマクドナルドの壁にもたれていた2人組の若者のうち一人の携帯が
鳴り、結局、その子がマシュ-だと判明したのです。
てっきりマシュ-は一人でやって来ると思っていましたので、これは意外でした。

私は今まで若者に知り合いもなければ興味もなかったのですが、
マシュ-はなかなか若くて可愛いくお洒落なのです。急に緊張してしまいました。
そして、「煩わせてごめんね」と詫びを入れる時、私の手は自然と、マシュ-に触って
しまったのです。
触ったといいましても、特殊な部位に触ったわけではありませんが、
「あ、触ってしまった・・・」と自覚した瞬間、私の心臓はバクバクしてしまい、
なんだかとてもいけない、禁断の第一歩を踏み出してしまったような
気がいたしました。
1月8日(木) 上の息子の小学校ではただいま、テスト期間なのであります。
昨日と今日明日の3日間は午前中3科目のテストのみで、昼に帰って来るのです。
最終日の明日は、常識科と算数のテストなので、やはりちょっとだけ
テスト対策として、常識科の教科書を親子でぺラぺラめくってみましたら、
小学一年にして、いきなり『一族呼称表』なんぞを勉強しているようで、
びびりました。
一族呼称とは、日本でいうなら叔父、叔母、従兄弟といったところでしょうか。
しかし面子やステータスを重んじるからなのでしょうか、中国人社会では
お父さんの兄弟でも、兄と弟では呼び方が違いますし、お父さんの姉妹と
お母さんの姉妹も呼び方が違いますし、従兄については、自分より年上か
年下でも呼び方が変わりますし、なんだか色々あるようなのです。
しかし私は結婚してからも、そういう呼び方を教えてもらっていませんので、
いまだに義兄は「ジャッキー」、同じ嫁同士でも一族では私より位の高い
義兄の嫁も「ウィンザム」と、イングリッシュネームで呼び捨てしており、
もしかしたら「あの嫁は失礼なやっちゃ」と思われているのかもしれませんな。
まぁそれはいいとして、こういう呼称も確かに中国人社会で生きるには
必須なのかもしれませんが、漢字が難しいやんか!覚えられない息子でした。
1月7日(水) 下の息子の幼稚園で約2ヶ月ほど前に、ペチュニアという花の苗が各家庭に
一苗づつ配られ、「花咲かせコンペだから、家で一生懸命栽培して来い」という
お達しがあったのです。
そして昨日、「育てた苗を持って来い、表彰するからな」というお達しもあり、
通園時に花の鉢植えを持参したのです。

園庭には、他の家庭から運ばれたと思しきペチュニアが、もうすでに10鉢ほど
並べてありましたが、見て驚いたことに、どの鉢もほとんど花が咲いていないのです。
我が家で育てた苗はといいますと、一応太陽の一番当たる場所に置いておき、
薄めたおしっこも一回上げ有機栽培しましたので、さすがに2ヶ月立ちますと、
白く可憐な花が無数に咲いている、というのにです。
他の家庭のものは、花が1輪咲いたり、つぼみがついて茂っていればまだいい方で、
「2ヶ月でこれかい!?」と、その栽培法を疑いたくなるような、
ほとんど『苗のまんま!』と呼ぶにふさわしいものまであったのです。
それを見た瞬間、私は勝利を確信いたしました。それに、我が家の鉢を見た
先生やお母さんたちから「おぉ〜!」と、ざわめきが起こりましたし、
校長先生までもが「すごいすごい、あんたすご〜い!」と褒めちぎってくれたのです。

うちの息子共は、歌唱コンペや仮装コンペなど、幼稚園で催されるコンペ系の
表彰には今まで全く無縁でしたので、上の息子の通園期間も合わせますと
苦節4年目にして初タイトル獲得か!?と、私はすっかり興奮してしまいました。

しかししかし、今朝幼稚園に行きますと、意外な驚きで目が落ちそうになりました。
我が家の鉢には『亞軍』という、なんと第2位を表す札が刺されていたのです。
横を見ますと派手なピンクのペチュニアが、いやらしく花を乱舞させ鎮座して
いたのです。そしてそこには『冠軍』(チャンピオン)の札がありました。

両者の咲きっぷりですが、私が見ても敵のは「う〜む、よう茂っとるのう・・・」と、
唸らずを得なかったのですが、花の数ではうちの鉢の方が、多かったのです(数えた)。
強いていいますと、うちのペチュニアちゃんが可憐な白に対し、敵は毒々しいピンク
なので、そっちの方が中国人受けはいいのかもしれませんな。
やはり色負けか?
それとも、おしっこ二回あげていれば、もっと派手に茂ったんか?悔しいぞ!
1月4日(日) 今日は息子が通っている幼稚園の、前半期総括会が行われました。
この幼稚園は日本で呼ぶところの年長年中年少組であります、高班低班幼児班の
3クラスからなっているのですが、各クラスの先生が、前半期に行った行事や
授業内容のビデオ映像を、スクリーンに映して発表するといった感じの内容なのです。
おば(あ)さん先生である劉先生も麦先生も、そして息子の担任であります
割と若めだけど私のタイプではない(そんなことどうでもいいですね?)馬先生も、
授業にどういう意義があるのか、熱心に説明されているようなのですが、
広東語なのであんまりようわかりませんでした。
しかし映像がありますので、それなりに楽しめたのです。
もちろん私の視線は、映像の中の我が子だけに釘付けになっており、
息子が映っていないと「チッ!」と心で舌打ちしておりました。

それから前半期に習った歌の発表会があったのですが、下の息子もなんとか
合唱の一員に入れてもらえていたのです。
といいますのは、上の息子も同じ幼稚園に通っていたのですが、その年齢の頃は
歌もまともに歌えずじっと立ってもいられませんでしたので、合唱やダンス諸々の
余興には、一切出演させてもらえてなかったのです。
それを思えば、下の息子はすごい進歩なのです。

4ヶ月前に入園した頃は広東語はおろか日本語もほとんど話せずにおり、
人見知りも激しくて毎日泣き喚き、制服を着せるのも一騒動、足で踏ん張り
幼稚園の敷居をまたごうともしない日々が1ヶ月ほど続いてましたので、
こいつは一体どうなるんや〜〜?と先行き暗い日々を覚悟していたのですが、
とりあえずなんとかなったのです。
これはひとえに、おばあさん先生方の調教の成果でありましょう。
このまま、「とりあえずなんとか」でいいので、落第せんと卒業してくれ、と
願ってやみません。
1月3日(土) 新年あけましておめでとうございます。
去年中は、このような拙いHPにもかかわらず訪問して下さり、
皆様どうもありがとうございました。
息子どもが幼稚園、小学校に上がってからというもの、自分の時間ができるはずが
なかなかそうでもなく、息子及び、少年の心を持った大人約1名をどやしつける毎日
でして、日記の更新すら危うい今日この頃なのですが、読んで下さる皆様が
おられると思うと、とても嬉しく励みになるものです。
今年は、もうちょっとマメに日記の更新を心がけたく思いますので、どうか時々は
覗いてやって下さいませ。
それでは本年もどうぞよろしくお願いいたします。
12月まとめ すっかり年が明けてしまいましたが、12月はなかなかに忙しく、それに乗じて香港人に
「なろ〜」と思わされてしまう事柄も多かったので、ちょっとまとめさせていただきます。
なろ〜〜〜〜!

なろ〜その1
息子と幼稚園で同級生だったチーロン母子が突然家にやって来たのです。
いかにも「これを渡したかったのよ〜、だからわざわざ来たのよ〜」という風に
見せかけるためでしょう、何かの景品であろうと思われるプラッチック製写真立てを
カバンの中からゴソゴソと出して来たのですが、チーロン母の目的は
実は他にあったのです。
チーロン母は、うちの息子の学業の進み具合を探りにやって来たのです。
チーロン君とうちの息子は、それぞれ違う小学校に通っているのですが、
うちの校区からしますと、チーロン君の学校の方が格上といいましょうか、
評判はいいはずなのです。
それなのにわざわざうちにやって来て、格下である息子の学校の教科書の内容を
点検しては、「こんなの一年生では難し過ぎる!」だの「こんな内容は
ナンセンスだ!」「こんなの身につかないわよ」だの言いたい放題したあげく、
うちの息子を掴まえて学力を測るべく、英語の教科書を読ませようとしたり、
私に向かって「あんたが子供の宿題みてるの? あんたでみれるの?(どういう
意味やねん!)、学校の先生とはあんた、どうやって話してんの?」などや、
「英語の宿題はこうやってさせたら効果が出る、国語の宿題はこうやってさせろ」など、
指令まで出して来るのです。
悪気は無いにせよ、かなり無神経な発言を繰り返したあげく、極めつけに
「チーロンがこの学校でなくてラッキーだったわ」とほざいたのです。
さすがに、こんな人と時間を共有していることにだんだん腹が立って来ましたので
嫌味の一つでも言ってやろうと、チーロンが太って運動音痴なのをターゲットに、
「公園で運動とかさせてないん?学校の体育では不充分やん?」と、暗に
「あんたとこ、勉強できても運動神経悪いやんか!」路線で攻めてみたのですが、
「うちは公園なんか行かせないわよ。学校から帰ったら疲れてるから休ませた
方がいいのよ。そして宿題させたら、自由におもちゃで遊ばせてるのよ。
想像力が養えるもんね」と、おとしめるどころか見事にかわされてしまったのです。
いやはや、こういう人には何を言うても、効き目がありませんのね。
それよりも、チーロン母はかなり曲者だとはうすうす感じていたのですが、
これほどの人物とは!ということに、「なろ〜」というよりかなり衝撃を受けた
私でありました。

なろ〜その2
上の息子と一緒のスクールバスに乗っていますカーヤンとその母が、
ある日うちの息子の足のサイズが小さいことに気付いたらしく、
「わぁ!足小さいなぁ、一年生でそんな小さい足してるんか?なんでや?
なんでや?」としつこく聞くのですが、なんでやと聞かれても・・・。

なろ〜その3
カーヤン母は私が好い人なのを良いことに、日毎に図図しくなって来ているの
ですが、顕著な例としまして、カーヤンの下校時のバスのお迎えに時々
来ないのです。家で待っているのです。
こういう時はスクールバスの到着時間になると私の携帯に電話して来まして、
「あのな、カーヤンに自分で帰って来るように言うといて」と指令をくれるのですが、
一人で帰らせろといいましても、やはりマンションのエレベータに乗せるまでは
心配ですので、カーヤンのマンションまでは私が送り届けているのです。
しかし先日は、マンション前まで連れて行きますと、カーヤンが「玄関まで
送って」といいますので、子供の言うことだから聞いてあげたのです。
そして5階に上がり、カーヤンの玄関前まで送りますと、その時点になってから
「英語の宿題あるねん」と言うのです。
「あるねん」ということは「教えろ」ということなのです。
宿題をみるのはいいのですが、突然家にお邪魔するのはどうも・・・と躊躇して
いましたら、家までやって来た我々を見てカーヤン母は少しも慌てる風ではなく、
むしろ当たり前のように「あ〜、カーヤン!楊太(私)に宿題みてもらい」と
言うているのです。もしやこれは仕組まれていたのでしょうか?
「うちまで連れて来て、宿題みてもらい。ほんなら公園まで降りて行かんでええ」
という段取りになってたのでしょうか???

カーヤンの家で教えることになりますと、宿題の前にカーヤンが制服から私服に
トロトロと着替えるのを待っていなくてはなりませんし、その間カーヤンの
一番下の妹・生後3ヶ月は人の気配を察知して抱いて欲しさに必ずビービ-
泣きますので、こちらとしては手持ち無沙汰もありまして、抱き上げあやして
しまうのです。
カーヤン母はといいますと、歓迎の意を示すためでしょうか、せっせとリンゴを
むいたりミカンをむいたりしてくれるのですが、そんな時間あるんやったら、
抱っこしたれよ〜!
しかしカーヤン母は、「ああ、ああ、子供は置いといたらええねん、泣かしとき」
てな態度なのです。
そしてリンゴむきが終わりますと、今度は「これ持って帰り〜」などと家をなにやら
物色しだし、やはり赤子を抱っこしませんので、「抱っこせんでエエ」といわれても
置いたら泣くし泣いたら放っておけませんので、私が赤子を抱っこしながら
カーヤンに宿題を教え、人様の家で暴れまわる息子2人もどやしつけなくては
ならず、「思いっきり利用されて、お前は阿呆か、情けないのう」という心の中の
悪魔の声に辱められ、その反面「そんなこと思うあなたは心が醜いわ、
善意はいつか報われるのよ」という天使の声にも翻弄され、葛藤に苦しみ悶え
埋没していくのですね。
臭い安物消毒薬や、話梅という梅の干からびたもんなど、おおよそ私の
人生には不必要と思われる手土産をいただき、へーこらお礼を言って
カーヤン家を去る瞬間、なんともいえない空虚な気持ちに襲われてしかたがない
私なのです。

なろ〜その4
学校も今日からクリスマス休暇に入った、という日のことです。
「今日からゆっくり寝られるわぁ・・・」と布団の中で安心感に浸り切っておりますと、
朝の8時に電話が鳴り、あまりにしつこいベルに観念して出たのです。
するとカーヤン母の「あんた!今日学校行かんでええんか?」というごっつい声と
共に、いかにも外からかけているような雑踏の音が聞こえて来たのです。
「学校に行かんでええんか?」と聞かれますと、「あれ?今日から休みじゃない
のか?勘違いしたか?」と妙にこっちが慌ててしまい、休みの確信が薄れて
しまいました。
それで「今日は学校があるんですか?」と聞き返しますと、カーヤン母は
「私知らんねん」というのです。
眠い頭で力一杯考えますと、やはり今日から休みだと連絡帳にも書いてあった
記憶が蘇って来ました。
「今日からクリスマスホリデーですよ、連絡帳を見てみ」と言うてみますと、
「今バス待ってるねんけど来ぇへんし、あんたらも来ぇへんし、おかしいなぁと
思てん、ガハハハ」の後、ガチャリと切れました。

なろ〜その5
下の息子が幼稚園から、別の子の幼稚園バッグを提げて帰って来てしまったのです。
バッグは同級生であるマンデーという女の子のものでした。
翌日担任の先生にその事を話し、その日はきちんと自分のバッグを持って帰って
来たのですが、なんとバッグの中に入れていたアンパンマン柄の携帯雨合羽が
無くなっていたのです。その代わりに、紙質の悪い安物のポケットティッシュが2個
入っておりました。
どう考えてもマンデーの家でポケットティッシュが入れられ、合羽が抜かれたとしか
考えられないのです。
宿題も入ってましたし、バッグがうちの息子のものだとは気付いていないはずは
ないと思うのですが、どういうことなのでしょう。気付いていなかったのでしょうか?
雨合羽は上の息子から使っていて結構ボロボロでしたし、サイズも下の息子にすら
合わなくなって来ていましたので未練はないのですが、新品ならまだしも
ボロボロの合羽が入っていたら、尚更「あれ?」と思わんのでしょうか?

不審な気持ちを募らせるより、実際マンデーの父兄に聞いてみればいいとは
わかっているのですが、実のところ私の心の中では「マンデーが着服したんや
ろうな」という強い確信がありますので、わざわざ尋ねて返してくれたなら
いいですが、「そんなの知らないよ」と言われてしまいますと、同級生一家への
不信感をますます強めることにもなりかねないなぁと思い、躊躇してしまうのです。
尋ねたところで「知らないよ」と言われる確率の方が高い気がしますので、
なおさらなのです。
ほんとに、どういうことなのだぁ〜!