過去の日記

BACK

2009年12月の日記

12月23日(水)

   下の息子は今週から13日間のクリスマス休暇なのですが、今日から学校の1泊2日のキャンプに出かけたのです。
   学校の課外活動の一環のキャンプなので全員参加ではないのですが、冬至(22日)とクリスマスを挟んだこのせわしい時期に、わざわざお泊りキャンプに出かけるなんて、ほんとなのかしら?誰か来ているのかしら?と半信半疑のまま学校へ送っていったのですが、学校の門のところに、引率の先生である葉主任がちゃんと立っておったのです。生徒は10人もいなかった様子であるが。連れて行ってもらえると家の中がとても静かになるので、うちは大助かりですが、先生も家庭があるでしょうに、ご苦労様です。

   
   最近またもや空から故意に、かなづち、ゴミ箱、通渠水(パイプの詰まりを溶かす硫酸と思われる液体)など、色んな物品が落ちてくる事件がありましたが、私も昨日、買い物帰りに最寄の公団住宅街を歩いていますと、上からペットボトルが落ちてきたので、通渠水かと思って死ぬほどびっくりしたんであります。私の回りに居た人も、みんなびっくりしてはりました。
   通渠水は、私も買ったことがありますが、空から落として多数の人々に火傷などの危害を与える以外にも、憎い妻の顔にかけたり、奥様が使用中に気体を吸い込んで死亡したり、という事件や事故のニュースも過去にありましたので、日本城や街市で気軽に売るのをやめてはどうか?買うときに身分証見せなあかんことにするとか、どや?気軽に売っているところが香港ならでは?

12月20日(日)

   おばばの家で冬至の一族大晩餐会がありましたが、義兄夫婦は風邪で欠席、2番目の義姉夫婦は絶縁、義弟の嫁&BBは中国へ逃亡したので、集まったのは義姉&明、義弟と我が家でした。
   一族が集まるべき冬至の晩餐に肝心のBBが来なかったことをおばばが咎め、義弟に向かって何度も何度もドラ声を張り上げておりましたが、義弟は「してやったり」といった半笑いの顔つきであしらっておりました。それでええんや義弟!
   帰ってきて欲しいんやったら、帰って来やすい雰囲気を作り出すよう努めたらどないやねーん、おばば!顔見たら文句言われ、しかも宴はピラニアでは、そら帰って来たくありませんことよ。
   ピラニア防止のために我が家が買って帰った鹵水鴨にも「焼鴨とちゃうんか?」、焼肉には「なんでこんなにぎょうさん買ってくるんや」と、文句言われましたのよ。焼鴨はいつも義兄が買って帰ってくるし、鹵水にしたんですけどね。半分の人数しか帰って来ないなんてことも知りませんでしたのでね。すんませんね。

12月16日(水)

   今日は、アマゾネスバドミントンの親睦会があったのでした。
   毎年2回、クリスマスホリデーとサマーホリデーに突入する前に、会費の余剰金を使って皆でどこかへ食べに出かける慣わしになっておるのですが、今回の場所は、大学駅の前に建っているハイアットリージェンシーホテルのランチビュッフェだったのです。
   今まで行われた親睦会では一番豪華なセッティングであったと思われます(ありがとうありがとう)。料理を取りに何度も席を立っていくアマゾネス軍団の果敢な姿につられ、私もものすごくたくさん食べてしまったのです。
   どこでも食べられるようなチャーシュー包やパンなんかをうっかり取って席に戻ると、他のアマゾネスから「ここに来てなんでそんなもんを食べるのや!」と非難の声と目が向けられるので、取る料理のチョイスにも気を付けなければいけません。個人的にはああいう場所にはもう二度と食べに行けないと思うので、記念に、食べた順番に内容を羅列しておきましょう。シーザーサラダ、有頭エビ、まぐろ刺身、サーモン刺身、握り(イカ、エビ)、おいなりさん、生ハムメロン、カルボナーラ、ラザーニャ、サーモンクリーム煮、ローストターキー、レッドカレー、焼き飯、青梗菜、豚の角煮、有頭エビ、ジャガイモサラダ、焼きトマト、パイナップル、果物(名前知らん)、アイスクリーム、クリスマスプディング、ティラミス、パイナップル、パパイヤ、コーヒー、以上です。抜けてないですよね?(誰に聞いてる?)
   私の目の前に座っていたアマゾネスの首領(幹事さん)が終盤にラムチョップを取って戻ってきたのですが、そのようなものがあったとは!
   もうお腹がはちきれそうだったので食べるのは諦めたのですが、おいなりさんと焼き飯を外せば、入っていたかもしれませんなぁ。この経験を今後の反省材料として生かしたいと思います。

 

   昨日は家賃を払う日だったのですが、実は、家主のお爺さん(佐野浅夫似の善良な方でした)が、先月末にお亡くなりになり、その後、家主の娘を名乗る人物から、「今後、家賃は母名義の小切手でお願いします。その小切手は私がお宅まで取りに行きますから。くれぐれも叔父(ケーシー高峰:我が家の管理を任されている)には現金や小切手を渡してくれるなくれるなくれるな」という電話がかかってき、昨日の夜、彼女が本当にうちまで小切手を回収に来られたのです。今までは、毎月現金払いでケーシーに家賃を託していたのですが。
   肝心のケーシーは、そういう手はずになっていることを全く知らされておらなかったようで、昨日も朝から我が家の辺りを徘徊したり草引きしたりして、暗に「家賃の日」であることを、毎月のごとく我々に知らしめに来たのですが、おっさんが午後に、「家賃はあなたの姪っ子に渡すことになっているのや」と通告しますと、ケーシーはものすごく驚き、そしておっさんに、「それは止めてくれ、いつも通り私を通すよう、あんたから言うてくれ」と哀願したそうなのです。
   そして今日、楽しい親睦会から帰って来た私の姿を遠くから確認したケーシーは、いつもなら家の中に隠れてしまうところですが、今日ばかりは寄ってきて、「家賃はもう払ったんか?小切手なんて、なんでそんな面倒くさいことするのや。現金をわしにくれたらええやんか。あんたから言うてくれへんか?」というような内容のことを、悲しそうな、困ったような表情で私に請うたのです。ちょっと可哀想である。が、きっとそれなりの理由があるんであろう。

12月12日(土)

   義姉&明の奇襲につぐ奇襲に振り回された午後でした。
   今日は本来なら子供を英語塾に連れていく日なのですが、台湾旅行から帰ってきた家庭教師のボビーさんが、「今日の午後なら国語のテスト勉強をみてあげられるけどどや?」とわざわざ電話してきてくれたので(ええ奴ちゃ)、英語塾はキャンセルし、午後2時からボビーさんに来てもらったのです。
   そこへ義姉と明がいきなり現れ、「散歩しにきたんや」というではありませんか。散歩やったら他にもいくらでも行くとこあるやろ!なぜよりによって、こんな辺鄙な我が家方面へ散歩しに来るんでしょうか?我が家が本日は在宅であることをリークした奴がいるのに違いありません。帰ってきたら絞めてやらねば!
   それはさておき、門の前で立っているのでとりあえず我が家に入ってもらったのですが、すぐ傍のテーブルで勉強しているボビーさんと息子が居るにもかかわらず、ソファに座るなり明がいきなりテレビスイッチオン!しているではないですか。私は唖然としつつも「勉強してますねん」と説明しますと、義姉は「あ!」と恥ずかしそうな顔をしたかと思うと、「ここにおったら勉強の邪魔になるし散歩してくるわ」と、夫を促してすぐ出て行ってくれたのです。
   が、30分ほど経ったころ義姉から電話があり、「まだ勉強してるのか?」と聞くので、「まだしてます」と言うと「じゃあまた後で」とその時はあっさり切れたのですが、また30分ほどして電話がかかってきて、「まだやってんの?何時に終るねん?」と聞きますので、「わかりません」と答えますと、「もう待ちきれへんから今日は帰るわ、そっち行かへんわ」と義姉の方から言い出し、「じゃあまた今度」ということになったのです。
   が、それからまた30分ほど経過した頃、またもや階下から義姉の声が。さっき「来ぇへん」って言うたとこやのに。バルコニーから応対しますと、明と2人して「ケーキ買ってきてん、みんなで一緒に食べよう。食べたら帰るし」と迫ってくるので、家に入ってもらったのですが、また明がいきなりテレビスイッチオン!してやがる。が、今度は音声無しにしたので、明なりに学習したとみなし、テレビを点けることは許したのです。が、それがいけなかったのですな。
   テレビを点けたが最後、明は、5時からの東アジア大会のサッカー決勝「日本VS香港」も観出し、5時半ごろにボビーさんが帰って行ったのに続きもせず、そのままテレビに食い入っておますので、私は「試合終るまで帰りよらへん……晩御飯作らなあかんなぁ」と絶望感に陥っておったのです。
   が、6時ごろに息子が「今日はここで一緒に晩御飯食べるん?」尋ねてきたので、「今日は一緒に食べへんで。買い物行ってないから食べるものあらへんし」と返してみますと、義姉がまたもや気配を察したんか、赤面しながら「ああ、いいねんいいねん」と口を挟んできたかと思うと、その後すぐ、試合も半ばだというのに、明を連れてぷいっと帰って行ったのでした。日本語がわかるらしい。
   しかしまぁ、要所要所で気配を察して恥ずかしい思いをするんやったら、最初から察することができまへんかの〜?

12月9日(水)

   明日から下の息子の小学校では期末試験が始まるんであるが、頼みのボビー先生が彼女同伴で台湾旅行に出かけて行ってしまったため(この時期にゴルァ)、私がやらなあかんのです。
    明日の算数のテストの練習問題を作成してやらせてみたのですが、3桁の掛け算の計算問題なども、2年生で習う九九が4年生の今現在でさえパッと出てこないので、たとえば9X7の計算も、「 くいちがく、くにじゅうはち、くさんにじゅうしち・・・」と最初から唱えていかないと出せないのです。それが3桁分なので、計算問題ひとつひとつに時間かかってしゃあないのですが、学校の薦めで粉嶺にある「何とか中心」という所で知能テストを受けたおりに、「正しい答えは出せるのですが、考えるのに時間を要するようだ」という検査結果が出たこともありますし、こんなもんなんなのかもしれませんな。傍で見ているとつい腹が立ってきてしまうんではありますが。ボビー先生がうちに来てよく貧乏ゆすりしていた理由がわかりました。ボビーはわざと台湾へ逃避したんか?
   ま、中国語のできない私には、できることも限られておるので、明日の算数と明後日の英語と音楽の笛のテストが終ったら、あとは知らん。

   あと、何か書こうと思ってたことがあったはずなのですが、忘れました。

12月3日(木)

   この9月に申請していた上の息子のための、学生用オクトパスカード(ピタパみたいなやつ)のことをすっかり忘れておったのです。気がつけば、我が家の最寄駅での受け取り期日をとっくに過ぎており、受け取り引き換え書に「取り忘れた奴は金鐘駅まで取りに来い!12月15日までに絶対来いよ!さもなくば無効にするど!」というような内容の、恐ろしい語句も書かれておったので、今日、急いで取りに行ってきたのです。金鐘遠いがな〜。
   金鐘駅には慣れていないので駅構内をあっちへうろうろこっちへうろうろしていたところ、駅員のおばちゃんがさっと声をかけてきてくれ(親切であるが、単に私が不審者に見えただけかもしれない)、学生カードの受け取りセンターまでの道のりを案内してくれはったのです。
   無事にカードを受領し、帰りは1時間ほどの道のりを座って爆睡したかったため「バスで帰ったろ」と思ったが、どの駅出口から地上に上がっていけばバス停へ辿り着けるのかが全く見当つかなかったし、うろうろするのもしんどいなぁと思えてしまったので、来た通りに電車で帰路についたのである。人間はこうやって老いていくんだなぁと思ったのである。
   
   先週末は色んなスーパーで食料品等のセールをやっており、欲しい物が山ほどございましたが、欲しい物を欲しいだけ買える余裕などあらへんので、米やら麺類という主食の確保で明け暮れて終ってしまいました。スパゲティはいつからあんな高価になってしまったのですか。一田で鯖缶を6缶買えたのが何よりの贅沢でした。侘しい年の瀬じゃ。

11月27日(金)

   日本から来た友達夫婦が、日本のテレビの紀行番組を録画したやつを持ってきてくれたのです。その番組中に、「私に似た人が出てくる」ちゅうので、つい今しがたチェックしてみたんですが、めっちゃ似てるがな!
   顔の造りがそもそも似ているみたいですが、笑顔もそっくり、相づちを打つ感じもそっくり、ちょっと猫背なところもそっくりなのですわ。違うのは服装でしょう。その方は家具屋を営んでいらっしゃるらしく、お金持ちなんでしょうな。黒いノースリーブシャツに黒と水色みたいな色の2色あしらいの膝丈スカートを履いて、耳には大きいイヤリング、髪も上の方で団子にして綺麗な髪留めをあしらっておられるのです。顔は私に似ているくらいなので美人とは言いがたいんですが、うまく言い表せないが、とても上品なお洒落をする素敵な奥様だったのです。私もああいう風に着飾れば、それなりに映るんでしょうかの?
   だけどひとつだけ言ってもいいかな?私ってあんなに腕ふとい???(怒怒怒)

11月24日(火)

   おっさんが「マークス&スペンサーでええ靴見つけたんや。買うたるから」というので一緒に買い物に出かけたのですが、おっさんが売り場で「これや!」と指したのは、エナメルっぽい光沢を持つけど合皮で2インチヒールつま先がやたらと鋭角なブーツだったのです。見た瞬間、「似合うわけないやろっ!」とツッコミを入れたい気持ちでいっぱいだったのですが、とりあえず履くのはタダなのでサイズ39(25cm)のやつを試着してみますと、レニングラードカウボーイズみたいでとても変だったのです。私には履きこなせないわっ!
   値段を見ますと395ドル(五千円程度か)もしているのですが、恥ずかしくて外に履いて行けないようなブーツ(しかも合皮)にそんな大金をはたくのもあほらしいので、しかし、頭ごなしに「要らんわ!」と言ってしまうとおっさんが拗ねるので、「こういうブーツは花園街辺りなら39ドルで売っているはずである。そのようなものに400ドルも費やすなんて、あなたは悔しくないのですか?」とおっさんを説得し、売り場を離れたのです。
   あんなブーツを「ええ」と言う感性がわからん!
   
   その後、ユニクロに行ったのです。友達奥様たちが、「ほんとに温かい」「体の芯から温まる」とご推薦の、噂のヒートテックを見に行ったのです。
   しかし、友達奥様が「早よ行かな無くなるで」とも言っていたとおり、先週の寒さのせいで飛ぶように売れてしまって、品数があまり残っていなかったのです。私のサイズであるXLの丸首長袖シャツやレギンスも見当たらなかったので、がっかりしてしまいました。
   しかし、がっかりしながら店内をぶらぶらしていますと、男物のコーナーには、ヒートテック商品が、まだ結構たくさん残っておったのです。男物を着るという手をなぜ思いつかなかったんだ!私は肩幅が広いので、男物シャツでも十分合うのです。
   男物にはレギンスも残っており「おぉ!」と感激しましたが、よく見ると、股の部分がもっこり仕様になっていたのです。自称おっさんの私といえども、さすがにこれは履けない!と思い、レギンス購入は泣く泣く諦め、長袖シャツの、色や柄で激しく迷っておったところ、ユニクロに付き合うのが嫌でトイザラスを見に行っていたおっさんが戻ってきて、「はよ行こ行こ」とせかしますし、「先週の寒さを私はヒートテック無しで凌げたではないか?で、今日は半袖着てるし」と思うと、こんなぺらんぺらんのシャツ一枚に99ドルも出すのがすごくもったいなく思えてきてしまい、買えずに売り場を後にしたのでした。また寒なったら泣くやろか?
   
   話は変わって、初対面時に「カウと呼んでください」と言うてきはったので、「カウ?牛?変なイングリッシュネームやなぁ・・・」と内心思いつつ、変なイングリッシュネームの人は結構多いので、まぁそんなもんかとも思い、それ以来ずっとそのように呼ばせていただいておった香港人のおっちゃんは、実は「CARLさん」だったのでした。カールやったんか!カウとしか聞き取れへんかった。恥。

11月19日(木)

   上の息子は昨日、3日間のキャンプから無事に帰ってきたのですが、水筒(高価)と学校の体操服の半ズボン(高価)を無くしてきやがったのでした。
   水筒は、「1リットル以上入る水筒用意」という指示があったため、このキャンプのためにわざわざ購入したものですが、日ごろからうっかり者で、よく物を紛失してくる息子ですので、行かせる前から、「これ(高価)持たせて大丈夫かなぁ???」といういやーな予感があったのです。単純に、売ってる水の1リットルサイズ(百円くらい)を持たせていくべきであった。。。
   キャンプは、予想通り鬼軍曹のいる『しごき教室』であったようですが、しごきの質が尋常でなく、夜12時までのディスコタイム(ちゃんと踊らないと軍曹が怒るらしい)、だとか、アヒルのまねをしながら飛び上がって「ぐわぐわっ」と叫ぶ、だとかいう、わけのわからんことをせなあかんかったらしいのです。いったい何の訓練なんでしょうかの?
  

   うちが住む地域の中学校23校で試験的に行われるドラッグテスト(尿検査)の説明書&同意書も貰ってきたのです。
   学生のドラッグ使用を未然に防ぐのと、使用している生徒には適切な指導を与えるのが一応の目的のようですが、テストは強制ではなく、学生の中から志願者を募って、さらにその中から被験者を抽出することになっているようです。テストの志願者になるかどうかは生徒個人の意思に委ねられているので、実際にドラッグを使用している学生がこのテストに志願するとは考えにくく、この方法で「指導を与える」というのには効果があるのかようわかりませんが、ドラッグをやりにくくする雰囲気を作り出すのには効果があるのかもしれません。ただし学校内で、ですが。
   どれくらいの人数がこのテストの志願者になるんでしょうかの。尿検査そのものに抵抗感がある学生もいるようですし、被験者に選ばれると呼び出されて面接&尿検査などを受けないといけないので、結構面倒なようなのです。
   自分の利益に結びつかないことにはなかなか関心を示さない香港の人には、本末転倒ですが、糖尿病や腎臓病の検査を一緒にやっちゃう、とか、何か付加価値をつけないと、なかなか志願してくれないのではないかと私は思うのですが。あきませんやろか?(けしからん事書いてたらすみません!) 

11月16日(月)

   上の息子が今日から3日間、中学校の新入生訓練キャンプに出かけたのですが、持ち物リストに、「のど飴(重要用品、たくさんあった方がいい)」「予備のメガネ」と書かれてあったのです。いったいどんなしごきが待ち受けておるんでしょうか?
   行くキャンプ場は違うのですが、下の息子の時と同じような竹筏活動(手作りイカダで海に出る)も行われるようですし、こんなに寒いのに大丈夫なんだろうか。やはり船頭に成りすまして偵察に行くべきでしょうか?
   
   先週の土曜日に下の息子の小学校の3者面談があり、この間行われた中間テストの成績表をいただいたのです。
   成績表では、息子は学年9人(!)の3番手につけており、前から数えた方が早い順位なんてのは生まれて初めての栄光ですので、親子で「3番ですか!」と喜んでしまったのですが、担任のコン先生が、「それは、前から3番というよりも、後ろから7番だと考えてください。なぜなら、成績のいい生徒たちは、みんなよその学校に転校してしまったからです」と、我々の喜びに水を差すようなことを言わはるやおまへんかっ!
   コン先生は、去年度まで特別学級で息子がずっとお世話になっていた先生なので、息子のことはよくご存知なのです。言われてみれば、去年も学年23人中17番だったので、後ろから7番だったのです。ほいで息子よりも成績の良かった子たちはみんなほとんど転校して行ってしまったので、今回の前から3番も、後ろから7番目ちゅうことで、残った顔ぶれの中では進歩なし、ちゅうことですな〜。だいたい、算数などは欠点、他の科目も合格ラインギリギリだったにもかかわらず、3位の成績、ちゅうのが終ってますな。とほほ〜
   期末では首席を狙うんだ!マジいけるかも。

11月7日(土)

   息子が学校から、ぐーっぱっを貰って帰ってきました。お金払ってないのに。
   ぐーっぱっとは、一見すると電子体重計のようであるが、太鼓とメトロノームが合体した物体であった。
   インターネットで値段を調べてみますと、オークションに280ドルで売りに出されているのを発見してしまったのです。インストラクターに払わなあかん価格のほとんど半額ですやんか!
   息子の場合、ドラムスティックも貰ってきたので、それを多めに「100ドル」と見積もっても380ドルなので、インストラクターの兄ちゃんが色をつけていることは間違いない。のですが、別の分野のインストラクター系の人で、教材などに色をつけている人を私はごくごく身近に知っており、また、そういう収入も生活を成り立たせる重要な要素であることも知っているので、この件についてはもう文句を言うまい。

   昨日、下の息子が学校の遠足で、オーシャンパークに行って来たのです。
   入場料やバス代は全て、学校の冷房費の余剰金で賄われたのです。ビバ!殺校!
   園内に食べ物を持ち込みできないので、昼食用に50ドルを用意するように、という学校からのお達しはあったのですが、そのお金の範囲でお昼を食べて、29ドルもする高っかいくせにしょぼいイルカのぬいぐるみも買って来た上に、有料のゲームでも遊んで来たと言いますので、「そのお金はどうしたん?」と聞きますと「先生」、水も買ったらしいですがそれも「先生」、ということで、先生散財ですな。ありがとうありがとう。もしやその散財分も余剰金から出ていたりして???

11月2日(月)

   競馬で当てたおっちゃん(義父)から臨時召集がかかり、レストランでの晩餐会が行われたのです。
   国慶節の集まりの時(10月6日の日記をご参照ください)と同じメンバー、同じレストランだったのですが、違ったのは、「何でも好きなもん注文したらええ」という太っ腹なおっちゃんの一言だったのです。義姉と義兄とうちのおっさんが相談してオーダーしたのは、酢豚、蒸し鶏一羽、チャーシュー&焼鴨盛り合わせ、スペアリブのロースト、北京ダック一羽、ハトのロースト4羽、蒸し魚、うなぎ、豚足だったのです。ばっかりお肉!(←うちの息子の日本語文法用例)
   ほんまにお肉のオンパレードだったのです。みんなそんなに肉に飢えておったのですな。前回の集まりでは、ハトのローストが9人で1羽しか無かったのですが、今日は、同じ人数で4羽もあったのです。おぉ!なんという大判振る舞いでしょうか。おかげでピラニアの宴にはならずに済み、むしろ、お持ち帰りできるほどに残った料理の数々だったのです。
   後ほど、北京ダックの肉の部分と茄子が炒められた料理も運ばれてきたのですが、それでも野菜といえば、酢豚のピーマン、たまねぎと、その茄子だけだったのでした。いつも「私はコレステロール値が高いから、豆腐や野菜料理がいいねん!」などと言って肉料理をあまり注文しないのですが、今日はいいのか義姉!?
  おっちゃんは、30ドルの馬券への投資が6000ドルになったそうで、そら黙ってられへんわな〜。(私も黙ってられなかったのですが)

10月31日(土)

   上の息子の学校では、土曜日に「楽器班」という、クラブ活動のようなものがあるのです。
   もともと、上の息子は音感が悪い、ちゅうのでしょうか、歌も音痴なうえにリズム感が悪く、学校のリコーダー笛なども、指3本うごかす程度で吹けるような簡単が楽曲が、いまだにテンポよく吹けず、たどたどしい演奏になってしまうことこの上ないので、有料のくせに強制参加という、まったくもって苦々しいこの楽器班には、音楽嫌いを自覚する本人はもとより、親も参加させたくないのですが、絶対参加であるので、「ドラム班」を選択して参加させたのです。
   なぜドラムにしたかといいますと、息子の技量では、笛やトランペットなどの吹く楽器の班に付いていくのは難しそうですし、弦楽器系も、琵琶やら二胡からチェロ、バイオリン、アコースティックギター、エレキギターとさまざまな班があったのですが、それらの班は高い楽器を個人で購入せなあかんのです。ろくに演奏もできずに終りそうなものに大金を投資したくないと思ったので、学校にある楽器を使わせてもらえるという「ドラム班」にしたのです。
   が、本日息子は、楽器班の練習から帰って来て、「来週、500ドル持っていかなあかんねん」というのです。「500ドルも?何に使うの?」「ぐーぱーっを買わなあかんねん」「『ぐーぱーっ』て何?」「・・・・・・」「だから、『ぐーぱーっ』て何やのん?」「先生がぐーぱーって言うてん」と埒があかないので、インターネットで調べてみたところ、ぐーぱーっというのは「鼓PAD(ぐーぱーっど?)」と呼ばれる、簡易のドラム練習器みたいなもんではなかろうかと推測できたのですが、そのようなものの購入の話は、最初に申し込む段階では聞いてはおらず、しかも、購入ガイドや明細のレターも無いまま、いきなり「500ドルもってこい」では納得がいかないので、お金は渡さないことにして、「来週もう一回ちゃんと聞いてこい」ということにしたのです。
   楽器班は外部のインストラクターが学校にやって来て行われるのですが、ドラム班の先生というのが、バンドをやっているような若い兄ちゃんのようなので、何かの購入に際して父兄へのレターを作成するなど思いもよらんかったのかもしれまへんが、500ドルもの大金のやり取りなのにええ加減なのは腹立つ!何より、楽器を買わんでええと思っていたからドラム班にしたのに。やっぱり甘い話はどこにもおまへんのよ〜。

10月29日(木)

   一昨日から学校のお泊りキャンプに出かけていた下の息子が無事に帰ってきました。
   キャンプ場には専属のインストラクター2名(鬼軍曹)がおり、3日間はずっと彼らの指揮下で行動したようです。言うことを聞かない生徒がいると、「海に放り出すど!」と脅迫されたり、「私は悪いことをしました!」と叫びながらうさぎ飛びする、などの罰則が待ち受けている、学校生活とは一味変わった、おそろしいキャンプでもあったようです。やはり実態は、ふやけた人間を厳しく律する、更正キャンプだったのです。だから延期してでも決行せなあかんわけだったのです。
   3日間のキャンプ活動中、私の一番の懸念事項であった竹筏活動(樽と竹を組み合わせて作った筏のようなものに10人一組で乗って海に出る)も行われたようですが、息子は海にこそ落ちてずぶぬれになったものの(鬼軍曹に落とされたのか???)、浜辺から海の中ほどの折り返し地点を回って無事に帰って来れたそうです。
   夜には懐中電灯の光を頼って山(林?)に入る肝試しもあり、命綱を装着して高くて細いところを歩いたり、がけに登ったりと、鬼軍曹から色々な訓練を受けたおかげで、夜は爆睡できたらしく、好き嫌いの激しい息子にしては珍しく、ご飯も美味しかったそうで、「また行きたい」と元気な様子で帰ってきました。(半年ほど前、小学校の卒業キャンプに出かけた上の息子はげっそりして帰ってきたが・・・)
   あの男は案外、体育会系なのかもしれん。

10月22日(木)

   先週金曜日におこなわれたババシャツカラオケ大会の折、自分の水筒を蘇太の家に忘れて帰ってきて、「あ〜あ(失くした)」と思っていたのですが、今日、バドミントンに行きますと、蘇太が「水筒忘れたやろ?」といいながら、ちゃんと返してくれたので、まず驚きでした。しかも、水筒には水が入っていたのです。容器を洗った上、今日のバドミントンで飲む用の水を、蘇太がわざわざ入れてきてくれたのです。自分なら容器は返せても、水を入れたりすることは思いつかへんので、蘇太のさりげない気配りに感激したのでした。ええ奴ちゃ。
   明日から一週間ほど更新できませんが、みなさまごきげんよう。

10月20日(火)

   26日で、ジオシティーの方の「月刊チルドレン」が消去され無くなってしまうのですが、今週金曜日から、実家の母が香港に来ることになったので、このままHPの更新をできずに、消去される日を迎える事になるかもしれません。
   今日がジオシティーでの最後の更新となるかと思うとちょっと感慨深いです。ありがとうジオシティー。ジオシティーは使いやすかったのに残念です。
   今後はオジジネットの方 http://children.ojiji.net/ で、更新を続けていきますので、どうぞよろしくお願いします。

   

10月16日(金)

   ババシャツバドミントンの終わった後、ババシャツメンバーである蘇太の家での宴会に誘われたのです。
   宴会の目的は、同じくメンバーである周太が、中国大陸から持ち帰って来た丸鶏を蒸して食べる、ということだったのですが、蘇太の家に着くと、みんな丸鶏は流し台にあっさり放置し、バドミントンのラケットが刺さったカバンからカラオケのディスクをガチャガチャと取り出したかと思うと、我先に、それらマイディスクをプレイヤーにスイッチオンして歌いだしたのです。実はカラオケ大会だったのです。
   彼女たちの持って来たマイディスクは、アニタ梅だとか陳百強というような、おそらく、ババシャツ軍団が共に青春を送ったと思われる歌手のものばかりで、テレビに映し出されたカラオケの画面を見ながら、時には振付きで、嬉しそうに、かつ、大音響で、歌ってはりました。
   マイクがいつも物静かな古太に回りますと、古太は静かに微笑みながら、彼女のマイディスクをスイッチオンされたのですが、それは、広東オペラのディスクだったのです。どうするんかいなと見守っていましたら、古太は普段より2オクターブくらい高い音程の、宇宙人みたいな声色で、女子のパートを歌いだし、それに絡んで王太が、男子のパートを朗々と歌い上げ、恨み言風な台詞も言っちゃったりなんかしたのです。2人共とても上手だったのですが、それは歌というよりは、もはや演劇の一幕分くらいあるんであって、非常に長ーい演目であったのです。(はよ終われ。)いつも控えめで物静かな古太が、あそこまでマイクを独占するとわ!
   そういう私も、テレサテンを歌ってしまったのです。私はどっちかというと、テレサテンの、女性の心情を歌ったような作品は苦手であり、そういうのは歌うのが恥ずかしくもあり、どうせ歌わなあかんのやったら、テレサテンよりは、北の漁場みたいな方が良かったのですが、ババシャツセレクションには、北の漁場も兄弟船も無かったので仕方があるまい。
   1時間ほど歌った後、誰かが「お腹すいた」と言い出したので、家の持ち主の蘇太と、鶏の提供者である周太が台所に立って、鶏を調理しだしたのです。他のメンバーは手伝う素振りも見せず、わき目もふらずに歌い狂っておりました。昼間とはいえ、あんなに大音響でカラオケをしてるのに、隣人に刺されないのはさすが香港。

10月12日(月)  

    上の息子の乳歯(臼歯)が全然抜ける気配がないのに、横から永久歯がかなり生え進んできてしまったので、乳歯の方を今日、抜歯したのです。
   香港の個人営業の歯科クリニックは、抜歯でも結構高く付いたりするようなので、どの歯科医に行こうかで、まず悩んでしまいました。思いつくのは児玉清のところだけなのですが、その児玉清にしても、下の息子の出っ歯矯正の件で問い合わせしたところ、「2万4千ドル(30万くらいか?)」という、他の歯科クリニックよりは低価格ではあったものの、我が家にはとうてい払えない額を提示してきましたので、たかが抜歯、といっても油断できないのです。
   となると、政府系の一般外来用歯科クリニックに行こうか?ということになりますが、以前、そういう系列の歯科クリニックにかかった友達が、「麻酔を使ってくれなかったのでめちゃくちゃ痛かった・・・」と嘆いていた覚えがありますので、受診を決めかねていたのです。

   いったいどこの歯科医にかかれば良いのか見当がつかず、困った末にうちのおっさんが、小学生の歯科検診を請け負っている学童歯科クリニックにダメ元で電話してみたところ、「10月末までなら治療できるで、連れて来たらええ」という、思いがけない回答を得られたのです。
   学童歯科クリニックでは、香港居民の小学生なら年間20ドルの登録料を払うと、一年間は無料で診てもらえるのですが、なんでも、その登録料は毎年11月から一年間有効、ということになっているようなのです。息子の場合も、去年11月の小学6年在学時に支払った登録料が、今月末までは有効なので、現在彼は中学生ではありますが、受診できるようです。小学校を卒業すると無効だとてっきり思っていたのですが、卒業後数ヶ月は診てもらえる、ということですな。
   というわけで、上の息子の抜歯は、学童歯科クリニックで、今日の放課後にやってもらったのです。奥歯なので抜くのに30分ほどかかったのですが、それでも抜歯後に腫れたりすることもなく、夕飯もちゃんと食べられたので、うまく抜歯してもらえたんじゃないでしょうか。
   学童歯科クリニックでは、夏休み中に下の息子の虫歯治療もしてもらったことがありますが、子供だけが治療対象なので扱いが上手なのと、設備も整っているし、何より年間20ドルだけで済むので、なかなか良いのです。小学生のお子さんを持つ方は、小学校卒業後のその年10月までは受診可能だということを、頭の片隅にとどめておいてくだされば・・・。
   (たまには役に立つ情報を書いてみたろと思ったのですが、そんなこともう知ってるわい!でしたらすみません。)

10月10日(土)

   義姉の夫である明さんの会社で、業務用のおたふくソースが安く買えるというので、そのソースを1本と、ついでに茹でタコも1匹(1杯?)買ってみることにしたのです。が、おたふくソースはあいにく品切れということで買うことができず、明さん(+義姉)が今日、タコだけ持って来てくれたのです。
   タコ1匹といいましても、私はてっきり日本の魚屋で売っているような小ぶりのタコだと思っていたので、支払いも100ドルせぇへんやろ・・・と安心していたのですが、明さんが運んで来たのは、2kgもあるデカいやつ1匹だったのです。
   しかも明から手渡された請求書を見たら、193.88ドルと書かれてあったので、私は絶句しながらも、財布から泣く泣く赤いお札を2枚だしたのでした。元はといえば、おたふくソースが欲しかっただけなのに・・・。
   タコに200ドルも支払ったことがうちのおっさんにばれると罵倒されるに違いないので、黙っていなければ。。。
   
   「よもぎ」を広東語で何と呼ぶのかを友達に聞かれておったので、我が家の前に生えておった実物を見せて、義姉に聞いてみたのですが、義姉にもわからなかったのです。が、横から明さんが「それはベイズーと言うのや、ハーブの一種や」と口を挟んできたのです。明さんの英語は流暢なのですがアメリ缶なのか、「ベイズー」と言われても何のことだかわからなかったところ、明さんが丁寧にスペルを言うてくれたのですが、スペルを言われてもわからんかった私(あほ)は、いわれるがままに辞書を引いてみたことろ、そこには「バジル」と書かれてあったのです。
   「バジルとちゃうやろぉ!」と思ったのですが、明さんは、おばば一族においては、私より格上の方ですので、「ちゃうやろぉ!」と一蹴するようなことはできず、それでも、「バジルというのはおばばの家の庭の、青唐辛子の横に生えているのがバジルじゃないんですか?」と一応抵抗を試みたのですが、明さんはそれでも目の前にあるヨモギの葉っぱをみて「バジル」だと言い張りよるので、この場はもう「バジル」ってことにしておいたのでした。というか、そもそも、英語名ではなくって、広東語名を知りたいのじゃ!
    ご存知の方がおられましたら教えてくださいませんか。

10月8日(木)

   このHPのスペースを借りているジオシティーの方から「10月26日で閉鎖するでー」という最後通告がメールで届いたのです。引越し先はまだ見つけてません。どうしようかなぁと考え中です(夏前からずっとずっと考え中なんだが)。
   しばらくは、もうひとつ借りているオジジネット http://children.ojiji.net/ の方 で、細々と更新を続けていこうかと思いますので、みなさま、これからもどうぞよろしくお願いします。
   掲示板の方 http://b4.spline.tv/mamukon/ はまったく変更ありません。26日未明にHPがバコーンと消えてしまった時のため、もしよければ、オジジネットの方と掲示板へ、ブックマークの変更をお願いします。
   
   上の息子の中学校では水曜と金曜に活動する必修クラブがあり、今週中にどのクラブへの入部を第一志望するか、決めなあかんのです。
   英語、スペイン語などの文科系からサッカー、ピンポンなど運動系、クッキングや園芸というような趣味系と、選択肢も色々とあるので、迷いに迷って決め兼ねている息子に、うちのおっさんは「3Dアニメーション製作クラブに入れ!アニメ製作のソフトが使えると実生活にすごく役立つから」と猛プッシュするので、私は、「そんなもん実生活に役立つわけなかろう!」と阻止すべく、「運動した方がええ、でも白あざが目立つから日焼けするやつはあかん、バドミントンにしろ」と推薦しておいたのです。ま、アニメ製作もバドミントンも、親自身が習いたいわけですけどな。
   息子は当初、クッキングクラブに大変興味を抱いておったのですが、結局、バドミントンを第一志望にしたようです。親の願望を子供に押し付けたみたいで、それで良かったんかぁと今少し反省しておりますが。

10月6日(火)

   10月1日の国慶節から週末の中秋節にかけて、おばば家イベントが目白押しだったのです。
   国慶節の日の夜は、おばば一家にしては大変珍しいことに、外食しよかということになったのです。が、兄弟姉妹でどういう所で外食するかで意見が割れ、せっかくの機会(おばば一家での外食なんて年に一回あるかないかなので)なんだから、中華レストランで宴会用の中華フルコース料理を食べよう派(義兄、義姉)と、そんな贅沢はしたない派(2番目の姉、義弟)の2派に分かれてしまったのです。
   中華フルコース派が「一家族300ドルづつ出し合ったらええやんか、そしたら1800ドルくらいのコース料理が食べられるやんか」という案を出したところ、贅沢したない派の2家族はあっさり「ほんじゃあ行かへんわ!」と引き下がってしまったのですが、中華フルコース派はそれでも強硬な態度を崩さず、おばば&おっちゃん、義兄(嫁は海外旅行中)、義姉&明さん、我が家の総勢9人で、中華レストランでの外食を決行することになったのでした。
   ところが、コース料理を食べると息巻いていた義兄&義姉は、いざレストランに着席してみると、特価の小皿料理メニューがテーブルの上に置かれてあったのに目が釘付けになり、それらを義兄と義姉の一存で勝手に見繕って注文してしまったのです。
   コース料理を注文するはずが小皿料理になったので、会計は9人で600ドルもしなかったのです。義兄&義姉が注文したのは(人数÷2)のピラニアの法則に従った皿数では無く、実際、品数は10皿ほどあったのですが、なんせ小皿料理の数々なので、ピラニア度もものすごかったのでした。ぐるぐる回る中華のテーブル(?)が時計回りに1周すると、皿から料理がもう完全に消えうせているほどだったのです。総勢9人でハトの丸焼きがたったの一羽分だなんて、どうやって分けろちゅうねーん。久しぶりに言うど。早く人間になりたーい。
   
   先週土曜日の中秋節は、おばばの家でのBBQ大会だったのです。が、中華レストランの一件で、兄弟仲がこじれているのか、義姉&明さんと我が家しか来なかったのでした。義弟夫婦も一度、赤ちゃんを連れてちらりと姿を見せたのですが、「ベビーが眠たいので・・・」とかなんとか言い訳して、すぐに帰って行ってしまったのです。
   その翌日は、息子らが義姉のマンションのプールに連れてもらうことになり、彼らがプールで遊んでいる間、おっさんと私は場末の映画館で映画を観ることにしたのです。
   その映画館では中華人民共和国成立60周年記念映画の『建国大業』という映画と、ブルース・ウィリス主演の映画の2本を上映しており、おっさんが「どっちを見たいか?」と尋ねてきたので、どっちも観たくなかったのだけれども、究極の選択で、建国大業の方にしたのです。以前、中国の歴史大河ドラマに嵌っておった頃に見たことのある俳優が何人か出ていたからです。が、私的には、金返せレベルの作品であった。アップル新聞の映画紹介で、『建国大業』にはりんごマーク(作品評価レート。5つりんごが最高と思われる、が、5つついているのは未だに見たこと無い)がいつまで経ってもつかへんの、と思っていましたが、それは多分「評価できへん」ちゅうことだったのですな。
   重厚な歴史大作を期待していたのですが、そういうものではなかったのです。どっちかというとオールスターのお祭り映画的なものであり、スターを出演させるがために作られた、史実には関係のなさそうな役っぽいものも随所にあり(全部実在の人物だったらすみません)、私には面白くなかったのです。
   最後にまとめますと、丸いお月様のように一族円満とはいかず、義姉夫婦との絆だけが深まってしまった気配のある中秋節でした。以上。  

9月29日(火)

   息子の学校のお泊りキャンプは、悪天候のため1ヶ月先へと延期になったのである。
   キャンプ出発予定の昨日も朝から雨降りで、キャンプ行事の竹筏活動(すぐ下の日記をご覧ください)の安全性がずっと気になっておった私は、「この雨で竹筏活動が中止になればいいなぁ・・・」と密かに期待しておりましたが、登校前に学校から、「天候が悪いのでキャンプは延期します。今日は昼から普通に登校しろ」という電話がかかってきたのでした。
   キャンプ場の竹筏活動は、気温との関係からか4月から10月の間だけ行われているようなのですが、キャンプが一ヶ月先の10月27日に延期されるちゅうことは、ギリギリセーフ!でんがな。どうしても竹筏活動をしたい(させたい)学校の決意の固さを見た!
   だらけた人間をぴりっと更正させるには海上活動がええのでしょうか。延期は英断ではありましたが。

9月24日(木)

   下の息子が通う小学校では、来週の月曜日から3日間、西貢でのお泊りキャンプ(訓練キャンプ)があり、訓練の一環として、樽と竹で組みたてられた舟というか筏のようなものに乗って海に出るらしいのです。
   学校からもらってきた説明書き&訓練同意書に、この海に出る訓練のことが『竹筏活動』と書かれてありましたので、ネットで検索してみたところ、このような画像がヒットしたのですが、これをみた途端、私はものすごく不安になってしまったのです。危ないんとちゃうんか〜! 
   同意書にサインする前に、「小学4年生のあんたでもできる活動なのか、危なくないのか、海にサメとかおらへんのか、もう一回先生に聞いて来い」と息子に指令を出したのですが、先生の方ももしもの場合に責任を負わなあかん懸念があるんか、「4年生でも大丈夫、安全です、サメもおらん」とは言えないらしく、「竹筏活動に参加しないでおくこともできます」という返事しか無かったのです。
   我が家の上の階に住んでいるサイジョーがよく青少年グループを引率しており、こういうことに詳しそうなので、「危険ちゃいますのん?」と尋ねてみますと、サイジョーもサイジョーで、もしもの場合に私に責められることを恐れてか、質問にははっきり答えずに、「その活動はチームワークを向上させるにはとても良いのだ」という返答でお茶を濁すばかりだったのです。
   竹筏活動に参加しない人は何をするかというと、浜辺で3時間もみんなの活動を見学しとかなあかんらしく、息子、浜辺で見学→竹筏活動がメインであるため、浜辺の見張り人員が手薄→息子、勝手に水際で遊ぶ→息子、波にさらわれる、と想定すると、それはそれで非常に心配であるし、息子本人も竹筏活動に参加したいと申しておるので、同意書にサインして持たせたのですが、クラスの半分が参加しないんだとー!そりゃやっぱり心配ですわなー。
   ま、とにかく、息子の無事を祈るばかり。船頭にでも成りすまして、こっそり見に行けるものなら見に行きたいが・・・。

9月18日(金)

   鍼灸治療に出かけてきたのです。首が回らないからなのです。
   そこはうちのおっさんが生徒さんから薦められて、2度ほど行った私立病院系の鍼灸治療専門だったのですが、おっさんの肩こりにはその鍼灸治療が効くらしく、私ににも効くはずだから・・・と、ほとんど無理やり連行されたのです。
   私は首が回らないので、てっきり首から肩にかけて鍼を打たれると思いきや、ヘソの回りを取り囲むように、12本の鍼を打たれ、左手の甲にも1本打たれたのです。手の甲の1本が死ぬほど痛かったのです。
   私は、首と肩に鍼を刺すもんだと思っていたので、鍼が刺しやすいようにとの気配りから、鍼灸の先生が私の診察台に来る前に、着てきたTシャツを脱いで、タンプトップ1枚の恥じらう姿になってうつぶせで寝そべっておったのですが、先生は「あお向けになって腹を出しなさい」と言うので、半信半疑ながら言われる通りにしたところ、私の腹の上を、みぞおちやヘソを基点にしながら物差しで精密に計ってボールペンで印を付けたのち、おもむろに鍼を刺していったのです。(タンクトップ姿になる必然性は全く無かったのです。変なおばはんと思われているかしら)
   そして、13本刺し終わったとき、「首を回してみぃ」と言うのでその通りにしたら、痛むことなく回せるではないですか!
   と感動していたのですが、治療が終わって首をまわしてみると、いつも通りの、寝違いのような痛みがあったのです。さっきは感動してしまったが、単に横になった状態で首を回したから動いただけ、なのかもしれません。それとも、鍼を刺している時だけは効いていたのでしょうか。とにかく、一回くらいで効果は認められなかったのでした。
   
   その後、首が動かなくなった扇風機を修理に出すためチュン湾に出たのです。
   修理請負い先の会社はパンダホテルの裏にあると聞いてきたのですが、なかなか見つからず、さんざん探しまわったあげくなんとか修理に出し、疲れ果てて、仁済病院のあたりをうろついていますと、立派な店構えの北京スタイルの麺屋があったので、すぐに飛び込んだのですが、お昼時だというのに、お客さんがいなかったのです。
   そしてやっぱり美味しくなかったのです。ぬるい料理、椅子にずーっと座っているやる気のない従業員、おまけに、10%のサービス料を徴収されたのです。そら、客が寄り付かへんちゅうねん。
   おっさんに言わせると、「ここは香港とちゃうねん、中華街の店やねん」だそうですが、玄関に大太鼓が置いてあったりするところや赤を基調とした店構えといい、味付けといい、なにか惰性でお店をやっているような感じといい、本当に中華街な感じだったのです。おっさんなかなかうまいこと言う。
   ちゅん湾は美味しい店が多いのに、疲れて歩くのが億劫だったばっかりに、このような不覚を取るとは口惜しいですのう。

9月16日(水)

   下の息子が通う小学校から、転校措置の件で、臨時召集がかかりました。(ちゅうても先週末のことなのですが。今ごろ書いて申し訳ない!)
   息子の学校の4年生と5年生は、来年8月の廃校に伴い、別の小学校へ転校しないといけないのですが、受け入れてくれる小学校がいくつか見つかったようなのです。
   できればクラス全員で転校したいという希望を持つ父兄が多かったので、その意向に沿ってもらえるよう、学校側から教育局に訴えたところ、うちの息子の在籍する4年級では、2つの小学校から受け入れ可能の返事があったそうです。しかも、どちらの小学校にするかを我々で選べ、選んだ後は教育局の方で席を必ず確保しておいてくれる、ということのようです。今度こそ本当の話であればいいが!!!
   
   受け入れてくれるというその2つの小学校のことはあまりよく知らないのですが、そのうちのひとつは、南京に視察団(交流団?)を派遣したことが学校案内に載っていた小学校で、こちらはちょっとパスしたく、もうひとつの方の、キリスト教系列の学校への転校を希望しようかと思っているのです。キリスト教系といっても今の小学校とは宗派(?)が違うので、ころっと変えて節操のない気もしますが、ま、しかたがあるまい。
   うちとしてはクラスのみんなで転校できればそれでいいのですが、他の父兄の反応が、いまいち満足気でなさそうなのが気になりました。彼らはどうも、一昨年に「みんなで一緒に転校できる」と前の校長から約束されていた(けどガセネタであった)別の小学校に未練があるらしく、集まりの最中も、「そっちには転校できませんのん?」と、現校長にしつこく食い下がっていたのですが、そこは人気校なので、十分な空きが無いようなのです。そこに入るためには、自力でその小学校に連絡を取り、恐らく激しい競争率の中を勝ち抜いて席をゲットするしかないようですが、それに賭けるつもりの人もいるような気配なのです。みんなで一緒に転校するんとちゃうんかーい!   

9月9日(水)

   昨日の晩、寝室のエアコンを稼動しますと、エアコンの中のファンに何かちょっとした物があたっているような、ペキペキペキペキ……という連続音が鳴り出したのです。
   やや?と思い、運転を続けたまま、エアコンの冷たい風が出てくる部分を覗き込んでいますと、風に乗って中から突然ゴミが飛んで出てきて、私の頬にかすった後、床に落ちたのですが、よく見てみますと、それはゴキブリの後ろ足だったのです。とげとげがいっぱいついた立派な足でした。
   ゴキブリの足が私の頬に………と暗い気持ちになりながらも、中にいるらしいゴキブリをどないかせなあかんので、ファンを強風にセットして高速回転させた後、今度は風の当たらない場所に待機していますと、ほどなくして、もう片方の後ろ足も飛んで出てきたのです。そしてもうしばらく高速回転を続けていましたら、音が止んだのでした。音が止んだのは良いけれども、残りのパーツはいったい???
   我々が寝ている最中に、木っ端微塵ゴキブリの破片が風に乗って出てきては気色悪いので、冷風が出てくる部分にも、エアコンの空気清浄フィルターを貼り付けて一晩明かし、今朝、おそるおそるフィルターを剥がしてみますと、ゴキの尻尾の残骸らしき、角のようなものが生えた茶色いパーツだけ、ころんと出てきたのです。残りのパーツはいったい???  

9月5日(土)

    今日は某・大手本屋でファイア〜(激怒)したのでした。
    上の息子の学校の教科書で一冊だけ、夏休み初頭から「在庫切れ」でずっと買えずにいた洋書の読み物があったのですが、今日、英語塾の帰りに寄った、香港でチェーン展開している某・大手本屋のとある支店で本の在庫をたずねますと、本屋の姉ちゃんがコンピュータのデータベースを調べた上で、「この支店には無いけど、別の支店に在庫があるようだ」と教えてくれたのです。
   在庫があるという支店は、我が家の最寄駅からもう一駅先に行った所にあるので、私は「買えるのなら一駅くらい……」と思い、その足で本屋に向かったのです。
   そして、店内で洋書を扱っているセクションに一番近い所で事務をしているカウンター(レジではない)で、学校からもらった教科書リストを見せ、「この本はありますか?」と尋ねますと、「教科書は(店内の)教科書専用カウンターで聞いてくれ」と言われたのです。
   息子が必要としている本は、教科書指定にはなっているものの、教科書というよりは単なる英語の読み物であるし、さっきの支店でも教科書カウンターで聞いたら即「無い」と言われ埒があかんかって、データベースで調べてくれたのは洋書セクションの姉ちゃんであったので、「教科書専用カウンターではあかんやろ」と思ったものの、「そこで聞け」と言わはるのでまずは素直に従い、教科書を買い求める人々がもうすでに20人ほど並んでおる教科書専用のカウンターに列を成し、順番を待ったのです。
   
   しかしやはり教科書専用カウンターでは、若い姉ちゃんがリストを見るなりいともあっさり「これは無い」と言うので、「別の支店でここにあると言われて来たのや」と食い下がりますと、別の男店員が姉ちゃんに加勢してきて「うちに電話して取り置きしたんか?」と聞くので、「してへんけど、ほんの30分も前に、別の支店のコンピュータで調べてもらって『ここにある』と言うのに無いの?」「無いものは無い」「ほんじゃあ在庫はあったんか」「無かった、そんな本は知らん」と言いよるのです。
   そこにもコンピュータがあるのに調べようともせずに「無い」という態度に、もうすでにかなり腹が立っておったのですが、「教科書カウンターで聞いてもしゃあないわ」と思ったので、その場は去り、洋書のコーナーで自力で探してみたが見当たらないので、もう一回、最初に聞いた所とは別の事務カウンターで尋ねてみますと、そこのおばはんから、「それは教科書やから教科書カウンターで聞いてくれ」というそっけない返事が返ってき、それを聞いた途端、「まだ言うか!」とめちゃくちゃ腹が立った私は「そこではもう聞いたんや!沙田の支店ではここに本があるって言うたから来たんや!あんたの目の前にコンピュータあるやろ!それで調べられへんのか!」と言い返してやったのです。
   ほんならおばはんは、「ちょっと待ってください」と言って、おばはん自ら教科書カウンターのところに出向き、また戻って来て、今度は店の奥の方へ行くので付いて行きますと、そこには倉庫に続く別の事務カウンターがあり、おばはんがそこに居た別のおばはんAに私の怒りの事情を説明しつつ、2人して半笑い(半笑いしてたやろおまえら〜!)で倉庫に入って行ったかと思うと、1分もしないうちにおばはんAが、私の欲しい本を持って出てきたのでした。あるやないかごるぁ〜!
   私はもう震えるほど怒っていたので、おばはんAもびびったのか「すんませんすんませーん」と何度も言いながら、在庫あるのに無かった理由を説明してはったみたいなのですが、広東語だったので「因為」しか聞き取れなかったのでした(お粗末。。。)
   私はどちらかというと温厚な性格なので、嫁ぐまでは他人に対して怒ったりアグレッシブにシャウトしたりしたことなど無かったのですが、香港に来てから何度かありますなー。ほんま腹の立つ。

   しかし分業もええのですが、他人の仕事には介入せんのもええのですが、本のデータベース化徹底してよー。コンピュータあんねんから一応調べろ。支店内でさえも「ある」とか「ない」とかどうなってまんのや?ほんまに腹の立つ。
   別の日に同じチェーン本屋で本を探していた時にゃ、そこの本屋の支店リストの紙切れをくれて、「ほかの支店に在庫があるかどうか電話で聞いてみてください」とも言われたのです。なんで客がそんなことせなあかんのや???アンディ・ラウに言いつけるど!(古いCM過ぎ?)コンピュータで調べたらすぐ在庫の有無がわかって・・・ってできませんのんか?

9月2日(水)

    下の息子がクラスの班長(級長)に選ばれたのです。
    班長というのは、先生の補佐として、宿題を集めたり、プリントを配ったり、ふざけていたり暴れていたりする行いの悪い生徒がいれば先生に代わって注意したりせなあかんらしい、息子の通う学校においては、まぁ言うたら「良い子」が選ばれて当然の役割なのです。
   上の息子にそのことを伝えると「ええ〜〜っこの子が班長ぉぉぉ???」という驚きの言葉が返ってきました。私もまったく同感なのですが、それでも、息子がこのような名誉ある役に選ばれるのは、私の人生上で初めてのことであり、石の上にも三年といいますか、「栄光の瞬間がついに私の身に?この学校に残っていて良かった!」と、ひとしきり感動してしまったのですが、担任のコン先生が単に、出席番号の1番と2番(息子)を班長に指名したらしいことがあとで判明、またもやぬか喜びさせられてしまったではないですか。
   結局、夏休み中に、11人の(賢い)クラスメートは学校を去っていき、(出来の良くない)10人が残ってプラス、留年生が1人、息子のクラスは、11人の生徒がいるようです。コン先生も、そのような顔ぶれの中からは、班長を誰にするか決めかねて、苦肉の策で出席番号順にした、と見た。しかも、11人もいてたら学年主席は狙えない模様。。。がっくし。

8月31日(月)

   学校が始まる明日からは早起きせなあかん、と思ったので、今日は寝納めとばかりに朝11時ごろまで寝ておったのですが、起きてみたら断水になっていたのでした。顔も洗えやしない。 

   しゃあないので、家族で一番近くのショッピングセンターまで自転車で行って、顔を洗い、お昼を食べたのでした。今日は、明日に備えて息子の通学バッグを洗ったりせなあかんと思っておりましたのに、すっかり予定が狂ってしまったのです。
   断水予告のビラは入っていたのですが、それは先々週のことだったので、すっかり忘却の彼方でしたな。ああいうビラは断水の数日前に入れてくれないものでしょうか。

 

   下の息子の通う小学校のコン先生から電話があり、「4年生クラスの担任になりました」とのことだったのです。コン先生は、昨年度は勉強オチこぼれ組の特別学級を担当して下さった先生なのですが、とても良い先生なのです。
   この先生の言うことなら息子も聞くので、夏休みの間にコン先生がよその学校に転任してしまわないか心配であったのですが、もう1年お世話になれ、しかも担任であるとは、よかったよかった。
   しかしながら、特別学級担当の先生が担任を持つちゅうことは、息子のクラスにはそういう生徒しか残ってないちゅうことでしょうな。うーむ、明日が楽しみなような、そうでないような。

8月30日(日)

   おばば宅で盂蘭盆大晩餐会が行われました。といっても、帰って来たのは我が家と義姉&明さんコンビだけでした。
   義弟のところの嫁&赤ちゃんは、中国・シンセンのちょっと奥あたりに居るのですが、おばばは時々押しかけておるようです。シンセン嫌いなおばばだったのに、すごいことです。
   嫁が赤ちゃんの頭の毛を生えたそばから剃ってしまい、絶えずつるつる状態にしているのをおばばは気に要らんらしく、「女の子やのに!」なんて食事の席でドラ声でわめいてはりましたが、うちの息子が小さい時分に私は、この文句垂れてるおばばから、「頭の毛ぇ剃ってしまえ」って言われたんですけどなぁ。ま、男児と女児の違いもあるんでしょうが。
   赤ちゃんの頭を剃っているのはきっとあっちのおばば(嫁っ子ばば)なんでしょうから、内地VS本地のおばば対決の炎が静かに揺れている、そんなところでしょうか。

8月25日(金)

   夕刻から上の息子の中学校で劇の発表会がありました。
   この月曜日から始まった息子の中学校生活ですが、今週はオリエンテーション週間であり、その過程で劇の練習をしたようなのです。
   劇といっても、学校を舞台にした5分くらいの寸劇みたいなもので、どれもこれも生徒達の自作自演であるものが8作品披露されたのですが、驚くべきことに、先生が校内で殺される内容のものが3作品ほどあったのです。
   息子の出演した劇というのも、先生達が次々とモンスターに殺され学校から消えていき、最後にモンスターが生徒に向かって「君達、今日から宿題しなくていいよ」と告げるという、オチがついておったのです。息子は先生の役でありましたが。
   校内に不審者が潜入してガンを打ちまくり先生を射殺、ちゅう作品もありました。いまどきの中学生はいったい何を考えておるのじゃ!
   新学期早々、思春期を迎えようとするローティーンの心の闇を垣間見た、そんな気がするのです。

8月21日(月)

   8月も残すところ後1週間、上の息子は今日から中学校へ通い出しました。クラス名簿に日本人らしき名前の生徒を一人発見。今までそういうことは一度も無かったので少し感動。香港人が日本人風のイングリッシュネームをつけているだけかもしれないが・・・。
   
   夏休み中に、新しい制服の裾上げ、やら、中古教科書の落書き消し、やら、ホームページの引越し先探し、やら、パン作り、やら、色々とやったろと思っていたのですが、「まだ2ヶ月ある」とか「まだ1ヶ月ある」と思ってついつい後回しにしていたら、とうとう夏休み最終週になってしまったので、ついに重い腰を上げたのです。
   中古教科書の落書き消し、というのは、上の息子のために中学校の中古教科書をいただいたり買ったりしたのですが、なんせ使い古しで教科書内の書き込みがものすごいので、そういうのを全て消しゴムや修正液で消去せなあかんのです。全教科で10冊以上あるので、結構手間と時間がかかるのでんがな〜。
   パン作りは昨日から開始したのです。昨日作ったレーズンロールは、味もキメも発酵具合も、そんなに悪くはなかったと思うのですが、固い!息子に出したら「お母さん、これはスコーン?」と、屈託ない表情で言われてしまったのです。
   なんでこんなに固なったのや?と思い、ネットで調べてみましたら、「やわらかくするには薄力粉を混ぜるとええ」というアドバイスがあったので、朝からジャスコに向かい、粉売り場のところで、中国製の薄力粉か、日清の薄力粉・バイオレットのどちらにするかさんざん迷ったあげく、震える手で、価格が倍以上もする日清の薄力粉バイオレットをつかんで帰ってきたのです。
   そうして、強力粉と薄力粉を同じ分量にし、水分多め、かつ、高温で焼く時間短め、にしてみたら、ふわふわの白パンっぽいのが出来上がったのです。あれほど迷ったが、やはりバイオレットにしておいて良かった。
   ホームページの引越し先ですが、まだ見つけてないのです。10月に閉鎖になるようですが。閉鎖直前に慌てている自分が見えるようです。

8月14日(金)

   以前我が家が住んでいたタイポーのフラット(おばばが持ち主)の借主(香港人のおばはん)が契約満了で数日前に引っ越して行き、空き部屋になったので、おばばから「見に行ってくれんか?(掃除してくれの意味だと思われます)」と頼まれたのですが、いやーもうすごいカビカビどろどろのボロ部屋に成り果てておったのです。

   築15年くらいのフラットなので元々ボロといえばそうなのですが、2年前、我が家がそこを引き払う時に、ガタガタだった床やら扉は一応リフォームしておいたのです。

   が、今日部屋に入ってみたところ、まず鼻につくカビの臭い、続いて目に入って来たのが、玄関以外の扉という扉の、合板の表面部分がばりばりと剥がされ、取っ手も外され丸い穴が開いたまま、という無残な姿でした。唖然としました。どうやったらあんな風になるのや。
   窓という窓には目隠し用に包装紙やら新聞紙やらを貼り付けた両面テープの跡、風呂場はもちろん黒カビの温床と成り果て、蛇口は壊され、風呂桶は水垢で灰色、おそるおそる蓋を開けてみたトイレだけは、なぜか結構きれいなまま残っておりました。
   台所も壁いちめんが油コテコテの上に、ガスコンロ周辺も2年来一度も拭いたことないんちゃうかと思う程、焦げやなんだかよくわからないゴミなどが蓄積し、大理石調だけど合成樹脂の流し台の板自体にも油が浸透しどす黒く変色、戸棚の開き戸も外れたりガタガタになった状態だったのです。
   日本人に部屋を貸したがるオーナーさんも多いと聞きますが、激しく納得です。もちろん掃除の好き嫌いなどの個人差もあるでしょうが、日本人やったらあそこまでにはならんはずです。オーナーの日ごろの行い次第で、そこにふさわしい借主を神様が割り当てているのかな?と私は少し思ってしまいました。
   もうこれは掃除する以前に、色々な部位を取り壊さなあかんレベルだと思われたので(を言い訳に)、何もせず部屋を後にしたのでした。

8月8日(土)

   英語塾に行きますと、先生が「まーた白あざが大きくなってる!」と、すっとんきょうな声を上げて言うのです。
   先生のアシスタントの姉ちゃんも同調して「細かいあざが増えてる、ほらここに!」と息子の首を指差して言うので、私もいい加減むかついて「それは前からそこにあった」と言い返し「日焼けで目立ってるけど増えてるとは思わん」と付け加えますと、先生の方も「私がこれだけ言うてるのにわからん奴やのこいつ!」とでも思ったのがエキサイトし、ほかの生徒も居るというのに「いや、増えてる」「増えてない」の押し問答のような形となってしまい、今日のこのあざの姿を写真に取り、3週間後にもう一回写真に取って、1回目の写真と比べることで話がついたのである。
   あんまり気ぃ悪いので帰りにジャスコに寄り、我が家の夕食費・2日分に相当する、中島水産の握り寿司1パックを購入してしまったのである。今から食べようとしているところである。どわ〜はっはっは〜〜〜

8月7日(金)

   白あざの件で、この火曜日に行った政府のクリニックから紹介してもらった、深水ぽ−にある某私立病院の皮膚科で、息子を診てもらったのです。
   私の英語力では皮膚科の専門用語で症状や治療法などを説明されても絶対わからへんので、受診時の息子の付き添いはおっさんにしてもらったのです。
   その皮膚科専門のお医者さんはセントラルで開業しているという、けっこう高名な先生のようですが、その先生にしても、息子の白あざが「広がるタイプかそうでないのかわからん」そうで、「確実な治療方法も無い」のだそうです。
   ま、そこまではいいとして、おっさんが医者に推奨されたこととして、1、外出時に顔と首にサンオイルを塗る、2、寝る前にステロイド剤を塗る、3、顔を洗う、があり、クリームのステロイド剤1本と、敏感肌用のクレンザーを処方され、診察代200ドルに、薬代130ドルを払って出てきたのです。
   敏感肌用のクレンザーって、白あざに何か関係ありまんのか?しかもこんなんその辺のドラッグストアで買えそうでんがな。
   それに、サンオイル。白あざにサンオイルつける、ちゅう推奨も初耳で???なんですが、サンオイルちゅうからには、日焼けを増進させるタイプのサンオイルなのでしょうな?サンオイルつけて白あざ部分のメラニンを活性化させるという意味なのでしょうか?
   なんだかよくわからないのでおっさんに、「日焼けさせるんか日焼け止めなんか、どっちやのん?」と問い詰めても「わからん・・・」と言いますし、おまけにクレンザーだ!
   このような説明では医者にもおっさんにも不信感しか抱けませんし、おっさんをどやしつけ、「今から粉嶺にある政府の皮膚科行って予約取って来い!」と指令を出しましたら、本当に行ったのですが、初診予約が3ヵ月後の11月でした。ま、政府だから仕方があるまい。

8月4日(火)

   上の息子の首には、生まれた時から白あざがあるのです。
   この白あざについては、息子がまだ小さい時分に、大阪の皮膚科の先生2人に診てもらっており、どちらの先生も、「これは治らへん、あざのサイズも大きくなってへんのやったら放っておいて良い」と言わはったので、ずっとそのままにしていたのです。が、毎週土曜日に通ってる英語塾の先生から先週、「あざが広がってきている、ぜったい医者に診てもらえ」と言われたのです。
   息子はこの夏休みに水泳教室に通っており、かなり日焼けしているので、白あざの部分が目立つようになっておりますし、体の成長と共にあざ自体も大きくなっているのは事実なのですが、首に於けるあざの占める割合が、以前は5%だったのが、今では10%になった・・・ということは無いので、広がっているという様子は見受けられないと私は思うのですが、英語の先生が、「いんや、広がってる。毎週見ているから私にはわかるのだ。顔まで広がったらどないするのや」とまで言われますし、息子の足の裏にちょうどイボができてしまった事もあるので、医者に行くことにしたのです。
   
   うちの近所には皮膚科の個人クリニックが無いので、おっさんと協議の末、どんな症状でも診てもらえる政府の普通科クリニックにまず診てもらってから皮膚科に回してもらおう、ということになり、普通科の電話予約サービスに、昨日から何度も電話を試みたのですが、「24時間以内の予約はいっぱいです、後で電話かけ直せ」というコンピュータの虚しい音声が流れるばかりですのです。
   おっさんに予約が全く取れないことを告げますと、「ああいう所は電話するより、直接行って並んだ方がええのや」と言うのです。確かに以前は電話予約サービスなど無く、クリニックの受付に並んで予約番号をもらう掟になっておったのです。しかも、普通科クリニックは一日に診察する患者数が決まっているので、あまり遅く行くと診てもらえないこともあるのでした。
   そこで私は今朝とても早起きし、もう一度電話予約サービスに電話してして玉砕した後に、番号札をもらうため朝8時にクリニックに出かけたのです。そうしましたらやはり、じじばば6人がまだ開いていないクリニック前に並んでおりまして、「この人数やったら楽勝で診てもらえるなぁ」と思いながら、私も列に加わったのです。
   そうしているうちに8時半ごろ、受付開始でクリニックの扉が開き、入り口で検温してもらってから、じじばばに続いて受付まで行進、となるはずが、検温のところで、「電話予約してないの?今は電話予約した患者しか受け付けてないから、まず電話して予約しなさい」と言われてしまいました。おっさんのうそつき!
   電話予約できへんから並びに来たんやーん、と理不尽な思いにかられながらもクリニックの前のベンチから再度、予約サービスに電話をかけてみましたら、その日の昼前の診察の予約が、なぜかぽろっと取れたのでした。まぬけである。

8月1日(土)

   下の息子が通う小学校のソーシャルワーカ−であるミシェルさんから電話がありました。ミシェルさんは別の小学校に異動(栄転)するらしく、お別れの電話をかけて来てくださったのです。
   うちは息子の読み書き障害などで、ミシェルさんに大変お世話になっておりましたが、ミシェルさんの後任(学校駐在のソーシャルワーカー)はもはややって来ず、教育局から週に一回程度、見回りのソーシャルワーカ−的な人が派遣されてくるだけ、なんだそうです。
   そもそも、ミシェルさんが息子の通う小学校を辞められる理由は、9月からの学校最終年度(来年8月に廃校になるため9月からの1年間が最終)、学校駐在のソーシャルワーカーを雇う予算が下りなかったからだ、とミシェルさんが嘆いておられました。
   ソーシャルワーカーだけでなく、先生の数もかなり削られたらしく、校長先生を含め8人の先生が残られるだけだそうです。
   この夏休み中に、かなりの数の生徒が自力で転校していったようで、息子の学年(4年生)の在籍者数を恐る恐る尋ねてみますと、「8人」だそうでんがな。夏休み前は21人おったんでっせ。それが8人になるとは!
   うちの息子は3年生最終の成績表で後ろからちょうど7番目の成績でしたが、現在も学校に残っているのは、おそらく息子より成績が悪い、もしくは、どっこいどっこいの子供たちだけだと思われますので、4年生では学年主席狙えるかも・・・なんて、ほのかな期待を抱いております。(ま、息子次第なんであるが)
   しかしながら、成績の悪い子供こそソーシャルワーカーや先生の助けが必要であるのに、その予算も削られてしまうとは、あんまりなのよ殺校って。

7月26日(日)

   息子2人が義姉の家に泊まりに行ったので、昨日の夜から今日にかけて、おっさんと2人きりだったのです。
   昨日、おっさんが出勤する前になにげなく「何時に帰ってくるん?」とたずねましたら、それを、早く帰ってきてねダーリン!という意味とでも勘違いしたのか、「土曜日は早く終わろうと思ったら終われるねん」と不吉なことを言うので、腹の中で「いつもの土曜日のように遅く帰ってきますように・・・」と祈っておりましたのに、ほんまにすごーく早く帰って来てしまったので、せっかく子供がおらんというのに自分の時間が持てず、非常にがっかり致した次第。
   土曜日にそんなに早く帰って来れるとは!いつも深夜12時ごろにならないと帰って来ないのに。いつも何しとるんじゃ!
   

   そして今日はおっさんとモンコックに出かけました。
   おっさんがプラモデルの店を見たいとぬかすのですが、そんなおっさんに付いて行きますと、店という店の価格を比べ歩き、振り回され、非常に疲れるだけであるため、おっさんとはきっぱり別行動を取ることにし、私は信和中心のCD屋さんを見に行ったのです。
   CD屋さんはたくさんあるのですが、その中に一軒、宇宙一素晴らしいシンガーであるモリシーのCDをやたらと丁寧に飾って、店主自筆と思われる手書きの宣伝文句も付け、販売促進にいそしんでいるお店があったのです。
   いつぞやモリシーの素晴らしいCDが、HMVで「3枚100ドル」のシールを貼り付けられて、投売りのようにされていることがあり、私は卒倒しそうになりましたが、そういう扱いは受けても、モリシーのCDに愛情を注いで販売されていることは非常に珍しいのです。   
   そういうお店を香港では見たことがありませんので(日本にはあります)、私がCDを1枚手にとって見つめていますと、店主が「ファンなんですか?」とたずねてきはったので、「20年以上ファンです」と返事しますと、「実は私の嫁がすごいモリシーファンなんです」だそうで、その後、接客もそっちのけで、すごい勢いでしゃべって来はったのです。30分くらい話を聞かされました。
   香港でモリシー(スミス)ファンに会うのは2人目なので、うれしいことです。   

7月22日(水)

   日食の時間に起床しているとは思っていなかったので、なんの準備もしていなかったのですが、偶然起きてしまったのです。そうなると無性に鑑賞したくなり、薬が入っていた茶色のガラス瓶に太陽を透かしてみたりしましたが、めっちゃまぶしいやーん!瓶では全く使い物になりませんので、仕方がなく、テレビニュースの日食生中継をおとなしく鑑賞することにしたのです。
   が、テレビは中国の各地区と香港の日食の、それぞれ違った満ち欠けの様子を、テレビ画面をいくつにも分割して放送したりしておるのです。時たま、どこか特定の地区の日食アップ映像もあったりしたのですが、今は重慶の様子と思ったら突然四川に変わり、四川と思ったら武漢に変わり、といった風に忙しいことこの上なかったのです。
   特に「こんなん殺生やーん!」と思わずにおれなかったのは、どこの地区かは忘れましたが、太陽がだんだん欠けていき、いよいよ真っ暗に近くなってきて、さぁもうすく金環食だっ!という場面が画面いっぱいに映し出されていたところ、突然場面が切り替わり、ひとあし先に金環食になっていた重慶の模様が映し出された時でした。金環食になる瞬間が観たかったのに〜!太陽は一個なのに、なぜあのように画面がぐるぐる切り変わるのじゃ。雨で濡れた上海の様子なんか画面分割して見せてくれんでええのんじゃ。
   チャンネルを2つほど変えて別のニュース報道も観てみたのですが、どこも似たり寄ったりの報道の様子であり、なんだか嫌になってしまったので観るのを止めたのです。夕方のニュースでの報道の方が、よっぽどじっくりと日食の様子を見せてくれていました。
   オリンピックの生放送などでもそうですが、競技の途中で急に別の競技に画面が変わったりするのは何とかならないものでしょうかの?市民の要求なのでしょうかの?私は嫌だ。
   
   話は逸れますが、私が子供の頃は、日食は白い下敷きをかざして鑑賞した記憶があるのです。というのも、いつぞや日食のある日に、小学校から生徒全員が白い下敷きをもらったのですが、その時に、「この下敷きは校長先生がポケットマネーで買って下さったものなので御礼を言いましょう」と先生が言わはり、「ポケットマネーって何?」というのが子供心に強烈に印象づけられたから、今でも覚えておるのです。
   が、今日、白い下敷きっぽいものも使用して太陽を観てみたのですが、全然だめであった。私の勘違いでしょうか?

7月20日(月)

   半月ほども更新が滞り、申し訳ありませんでした。新しいPCがやってきました。
   一昨日夜から昨日午前にかけて、台風が香港近辺を通過して、風雨がすごかったのです。我が家は周囲に建物がほとんど何も無いところだからか、風雨がダイレクトに家に当たるさまがすさまじく、窓ガラスが割れるんちゃうかと思うくらいでした。
   私と子供の寝室の冷房機(室外機・室内機一体型)ですが、やっぱり水漏れしやがったのです。この4月に修理してもらったはずなのに(4月21日の日記を参照してください)。ちゃんと直ってへんやんかケーシー!
   私はその冷房機の真下を頭にして寝ていたのですが、夜中2時ごろ、水しぶきがいきなり顔にかかったのを皮切りに、冷房機と壁の隙間から雨水がとめどなく室内に流れ込んで来て、始末が大変だったのです。パテみたいなやつで隙間を埋める応急処置を施したら、なんとか水漏れは止まりましたが。
   寝つく前、あまりの風雨の激しさに、「この風雨で冷房機が飛ばされ家の中に落ちてきたら私死ぬやろな・・・」なんて思っておったので、水しぶき程度で済んで良かったといえばそうであろうが。
   
   《まむこんクイズ》

   中学校の派位(合格発表みたいなやつ)が出たら、さっそく電話がかかってきた。さて、誰からでしょう。

7月16日(木)

    おっさんが下の息子をスイミングプールに連れて行ってくれました。
   彼らが帰ってきてすぐ、使用済みバスタオルや水着を洗濯機に放り込んでいたのですが、おっさんの水着が見当たらないのです。
   おっさんの水着が行方不明になったのは今日が最初ではなく、もうすでに3回くらいどっかにやってしまったのですが、その度に「お前が(洗濯物をしまう時に)どっかにやったんやろ!?」と、いつも私が疑われていたのです。しかしこれで、おっさんがプールから持って帰って来るのを忘れているだけ!ちゅうことが、はっきりとわかりました。
   
    上の息子が同じスイミングプールで行われている水泳教室にちょうど出かけていたので、彼の携帯に電話をし、「お父さんが水着を忘れてきたみたいやから、プールの人に聞いてみてくれんか?」と頼んだところ、彼は「水着」という語句がわからなかったらしく、「何?何?」と聞き返しますので、「海水パンツやがな、お父さんの」と説明しますと、「ああわかった」と言って、息子は電話を切ったのです。
   そして数分後に電話をかけ直してきて、「パンツって灰色のやつ?プールのおばちゃんに聞いたら、灰色のやつやったら着替える所に落ちてたのがあるねんて」と言うのです。
   おっさんの海水パンツは灰色と言えばそうでもあるが、紫がかったグレイ、みたいな色目ですので、私はそこでちょっと???とは思ったのですが、海水パンツを忘れてくる人なんてそんなにおるまいし、ま、それに違いない!と思い直して、「それやそれ、持って帰ってきて」と頼んだのです。
  
    家に帰って来た息子が、「お母さんこれやろ?」と差し出したのは、下着のパンツでありました。
    くるくるっと丸まって脱いだ形跡も生なましいそれは、確かに灰色ではあったが、水着では無かったのです。
    「水着」という語句がわからん人に「海水パンツ」と説明してしまったのが間違いであった。「パンツ」という聞き慣れた響きだけが、電話口からしっかりとインプットされてしまったのでありましょう。
 
   うちが間違えたばっかりに、パンツ履かんと帰路に着かれた方がいらっしゃるんでしょうな。すんませんすんません。明日返しに行かせますさかい。

7月9(木)

   今日は、上の息子が入学する中学校での書類手続きや制服採寸諸々の後、小学校の卒業式にも出席するという特別な日であったため、私は、いつもよりは小奇麗な服装をしておったのです。
   通常ならば財布に盗難防止のためのチェーン&家・自転車の鍵を装着し、それをジーパンのベルト通しに繋げているところですが、学校内でチェーン&鍵をじゃらじゃらさせながら金銭のやり取りをしていたら、学校関係者の息子への心象を悪くするんちゃうかと気が引けたので、チェーン&鍵は財布から外し、財布をズボンの後ろポケットに入れることも今日は止め、普通の奥様たちがやるように、手提げカバンに財布を収納して、私はしっとりと場に臨んでおりました。

   中学校で書類手続きを済ませ、次に、制服の採寸や給食費の支払いを終え、最後に、学校の購買部に学校専用ベストを購入に行き、そこで支払おうとカバンに手を入れますと、財布が無いのです。
   カバン内を引っ掻き回しても無い、履いているズボンのポケットにも無い、辺りを見渡しても無い、本当に無いので、頭の中が真っ白になりながらも購買部のお姉さんに「財布が無くなりました!」と言うと、お姉さんが、「あなた、今来たところをもう一回見て来れば」と助言をくれたので、そうしようと思い、くるっと回って3歩ほど足を動かせたところで、ズボンの右前ポケットに塊が入っていることに気がついたのです。財布でした。
   
   いつものクセでいつの間にかズボンのポケットに財布を入れていたのですな。なぜ気がつかなかったかといいますと、今日はガードルを履いていたからなのだ。きっついガードルの締め付けのせいで、皮膚の感覚が麻痺し、財布が入っていることを感知できなかったのです。ガードルはあかん。以上。

7月2日(木)

   宿題やら成績表やらを学校へもらいに行く日が、上の息子と下の息子とで別々の日に設定されており、今週は毎日のように登校しております。
   上の息子の卒業式も、なんやかんやの末、来週とりおこなわれることになったようです。式の後に卒業生と先生での昼食会もあるそうですが、これがオーシャンパークの代わりの、冷房費の余剰金の使い道、ちゅうわけですな。
   卒業式以外にも、14日に行われる「中学入学前試験」の、対策勉強をする日も2日間行われることになったようで、学校の日々はまだもうちょっと続くのであります。

6月27 日(土)

   来週火曜日に、1週間分の学校の宿題を提出しに行かねばなりませんので、下の息子の宿題にやり残しが無いかチェック入れていましたら、彼の中文の随筆の宿題内容に目が留まってしまいました。
   タイトルは、「ママへの手紙」というものでしたが、「ママが家事をしている時は、いつも顔一杯に大汗をかいているけど、それでも手を休めることがないね」と書かれてあったのです。ごるぁボビー!いつ見たんやぁ〜!
   6月17日の日記のことに違いありません。

6月26 日(金)

   友達宅にお邪魔している時に、おっさんから電話があり、「家の裏に置いてあった自転車知らんか?」と聞くのです。その自転車については、おっさんがどこからか運んできて、ガンプラ用の塗料でボディを青くしていたのは知っているのですが、家族の誰かが日常的に乗っているものでもなく、裏に放置しっぱなしであったため、特に気にも留めることなかったのですが、いつの間にか無くなっておったようです。
   おっさんは、「俺の旅行中に自転車の存在をチェックしたんか?」と聞きますので、「してへん、だって家の裏なんか行くことないもん」と返しますと、おっさんは不服そうに、「うちの所有物やのにチェックもしてへんのかお前は!」と言うてきたのですが、そういう貴様も月曜に帰って来て、自転車の不在に気付いたんは4日後の今日ではないか!

 

   ま、それは置いといて、おっさんと会話しているうちに、我が家の表、裏を毎日くまなく巡回点検している人物が、ふと思い当たったのです。それは、家主の弟であり、我が家の管理を任されており、うちの郵便物もチェックしてくれ、葉書の内容を読み上げてもくれるケーシーなのです。
   そこで「家の裏のことはケーシーに聞いてみ。ケーシーやったら毎日巡回してるから、自転車のこと知ってるはずやで」と電話を切ったのです。
   果てして、自転車はケーシー宅の納屋に格納されてあったそうな。ボディを黒に塗り替えられて。おっさんの青い塗装より、ケーシーの方が数段上手であった。プロかもしれない。(何の?)

6月24 日(水)

   政府ならびに教育局の取り決めの結果、小学校は休校措置続行のまま夏休みに突入することになり、期末テストも取消し(これはええんだが)、冷房費の余剰金で賄われることになっていた、卒業生だけが対象の、小学校生活最後の思い出作りの、オーシャンパークへの卒業旅行や料理教室などの楽しい活動も、全て取り消しになったのです。余剰金はどうなるのでしょうか???
   卒業式も取り消しなので、卒業証書や7月7日にもらえる中学校の学籍票みたいなやつも、親が受け取りに行くことになりまちんた。
   
   康楽文化事務署の水泳教室に申し込んだら、上の息子は「少年クロール班」の夕方4時からの部に「補欠」で選ばれたのです。(下の息子は申し込んだコースの全部に外れた)
   補欠というのは、当選者の人たちが一定期間の内に「少年クロール班4時の部」に申し込まず、まだ定員に空きがあれば、優先的に申し込めることになっておるのです。といっても早い者勝ちなのですが。
   補欠の人が申し込める日が今日だったのですが、少年クロール班4時の部の空き具合をネットでチェックしてみますと、定員16名のところ空きが1名、補欠人員は息子を含めて5人、という状況になっておったのです。
   倍率5倍ですが、私はクジ引きとか早い者勝ちにはまったく運が無いので、このためにわざわざ早起きして申し込みに行くかどうかかなり迷ったのですが、長い夏休み中にダラダラされても困るし、「だめで元々やー」と思い直し、申し込み開始時刻の朝8時半きっかりに、申し込み地点に赴きましたら、辺りはまだ閑散としており、あっさりと受理されたのでした。だめで元々やーといいながら、実は闘志まんまんなのであった。この気迫。

6月22日(月)

   我が家全員まだ寝静まっている早朝7時すぎに、上の息子の同級生である、ユンチーロンくん(チーロン母の息子とは別人)から電話がありましたが、私が「彼(息子)はまだ起きてないねん」と応答しますと、チーロンくんは「じゃあおばさん、お尋ねしますが、学校の宿題は今日提出するのか明日なのか、知ってますか?」と聞いてきたので、「今日やで今日」と言って電話を切ったのです。
   上の息子が10時ごろ目を覚ましたので、「あんた、チーロンは朝7時に電話してきたで〜、学校休みでも早起きやなぁ」と、自分(私)もまだ布団でごろごろしていることは棚に上げ、嫌味まじりで言ってやりましたら、チーロンくんの性格をよく知っている息子はすかさず「まだ宿題終わってないねんで〜。だから早朝から慌ててやってるねん、お母さん」ですと。そうかもしれない。
  ということは、チーロン同学は、宿題の提出期限が今日だということは承知していたにもかかわらず、「ひょっとしたら・・・」なんて祈るような気持ちで、我が家に電話してきたんかもしれませんな。「今日やで今日」と私が返した時のチーロンくんのリアクションが、心なしが悲しげに聞こえましたからの。提出は間に合ったのか?
   おっさんがあと2時間ほどで帰ってきます。。。

6月21日(日)

   日本から来た友達夫婦に、日曜限定ティーブッフェに連れていってもらいました。この友達夫婦は香港のことに異様に(失礼!)詳しいのです。
   ティーブッフェというものには初めて行ったのですが、デザート中心かと思っていたらそうでもなく、サラダやピザパスタ、インド料理タイ料理、寿司、麺類なども用意されており、息子らも大喜びでした。連れて行ってくれてありがとうありがとう。
   ハーゲンダッツのアイスも8種類用意されてあり、スクープで自由に採取できるようになっていたのですが、アイスが固すぎて、なかなかうまく丸い形にすくえないのです。「すくう」というよりは、アイスの表面を「けずる」要領で、一心不乱にかき集めないといけません。ハーゲンダッツのアイス食べたいと思ったら最後、結構な労力を費やさないといけないのでした。今、肘が痛いです。(編み物の次は、アイスクリームでテニス肘か!?)
   あれはわざと保存温度を低く設定してガチガチに固め、たくさん取れないようにしているに違いない。

6月20日(土)

   義姉から昼頃電話があったようですが、応対した息子が言いますには、
   「そっちに行きたいけど、お前のマミー(私)が来たらあかんって言うてるから行かへんわ」と言って、早々に切れてしまったそうです。
   来たらあかんなんて言うてへんで〜。思ってるけど。 
   なんかよくわからんのですが。月曜日に義姉から電話があった時、「日曜(明日のこと)に行くわー」と言うてきはったのですが、その日は友達と会う約束があるので、ひと言「あかん」と断ったのです。それと混同してるのでしょうかの。
   どう誤解してようといいのですが、まるで私がイケズしているかのような言い草の電話を、わざわざよこして来るのがいまいましいやおまへんか。

6月19日(金)

   きた!
   夕刻、ふと見ますと、網戸(しかも内側)に、2代目ぴょんちゃんが、へばりついておったのです。

     2代目ぴょんちゃんは、種類がわからないのですが、クワガタのメスのようです。つるつるの漆黒ボディに赤茶色の紋様があり、漆器のように美しいです。
   冷蔵庫のスイカを入れてやりますと、スイカが常温に戻ったころ、土から出てきて、チューチュー吸いにきました。

   去年、一代目ぴょんちゃんに非業を死を遂げさせてしまったので、息子らからは飼うのを止められたのですが、体調1.5cmほどでめちゃくちゃかわいいので、手放せそうにありません。今年は帰省しないので、死なせるもんか。

6月18日(木)

   学校のPTA副会長さんから「学校まで署名しに来てくれませんか?」という依頼があったので行ってきたのです。
   なんのための署名かといいますと、来年の廃校措置で、今の3年生4年生が別の学校に転校するに当たって、「クラス皆まとまって1つの学校に転校したいので、そのような手配を望む」という、教育局への嘆願書のための署名なのです。
   6月初めに学校で行われたアンケートでは、転校対象者の6割強が「クラス一緒に転校したい」に賛成しており、それゆえの嘆願書なのですが、6割強といっても、3、4年各1クラス分の6割ですから、合わせても35人程度なのです。そんな少数の願いがどこまで届くのかはわかりませんが、息子もそれを希望していますし、私も息子については、学力が低い→からかわれる→息子発狂、というのが転校するに当たっての一番の気がかりなのです。勉強できへん&怒りんぼの息子でも受け入れてくれている今の同級生ごと転校できればそれに越したことないので、署名してきました。
   PTAの副会長ならびに幹部の人たちは、お子さんがみな今年卒業なので、転校のことは関係ないといえばそうであるのに、一生懸命やって下さっているのがありがたいことです。

6月17日(水)

   おっさんの留守中は、家庭教師のボビーさんはやって来ないとすっかり思い込んでおりました。といいますのも、おっさんとボビーさんは、おっさんがボビーさんに絵を教え、ボビーさんがうちの子供に勉強を教える、という風な、交換授業を週に2回行っているからで、おっさんが教えられない時にボビーさんも教えに来なかったことが過去にもありましたので、今日はすっかり油断しておりましたら、3時きっかりにボビーさんがやってきたのです。
   その時私は、我が家のあっつい台所で、真っ赤なTシャツにエンジのショートパンツというものすごい色彩の服装で、首にタオルを巻き汗だくで、熱中症になりそ〜と思いながら製餡しておったのですが、製餡作業は佳境に入っており手が離せなかったので、ボビーさんが階下から我が家に入ってくるまでに、ぱぱっと着替えることもできんかったのです。
   ボビーさんは礼儀正しい若者ですので、家に入ってくるなりまず私の姿を探し、いつものように「ミセスヤーン」と言いながら丁寧な会釈をしてきたのですが、挨拶した先は、汗だくへろへろの太ったおっさんでしたので、日本人のイメージダウンになっていなければよいが。後ほど鏡で自分の姿を見たら、Tシャツの首のところに塩が吹いてましたが。
   話はそれますが、ボビーさんはいつうちに来ても、玄関の外で、靴をきちんと帰る方向に揃えて脱いであるので、私はこれを見ていつも「日本人みたいや〜」と感動してしまうのです。脱いだ後ちゃんと揃えて置いてある人はもちろんいますが、帰る方向に揃えてある香港人はボビー以外に私は知りません。義姉と明なんぞは夫婦揃って、歩きながら片足づつ脱いだまんまの形で、通路に放置してあるど。どっちが香港スタンダードなんや?

6月16日(火)

   おばばが朝から家にやってきました。義弟の赤ちゃんが大陸に帰ってしまったらしい。大変わかりやすいですな。
   おばばは我が家に着くなりソファに陣取って、「亞州電視をつけろ」といいますので、私は、世間で何か事故でも起こったんかいな?と気がはやったのですが、そうではなく、単に韓国ドラマの再放送が観たかったようです。うち来て観んでも・・・。そして、番組が終わった12時15分に、満足そうに帰っていかれました。
   おばばを夢中にさせるほど面白い内容なのか?朱蒙。だけどやっぱりうち来て観んでも・・・。
   
   香港行政長官、政務司長、財政司長をはじめとする、局やら署やらなんやらのトップに立つ高級公務員と呼ばれる人々が、月給を、自主的に、約5%カット、することにしたらしい。行政長官は先月、天安門事件のことで大失言してはるので、その罪滅ぼし、というか、ええとこ見せたろ、というか、高感度アップを狙っているのかもしれないが、約5%じゃなぁ。カットしたところで約35万香港ドル(約530万円???)という行政長官の月給で、市民と同じ舟に乗ったつもりで、のようなことを言うても、かえって神経逆なでとちゃうますかな。カットされた5%の額だけでも我が家は1ヶ月、じゅうぶん暮らしていけますでのう。
   失言といい、一般市民とは根本から感覚ずれてるんでしょうけど、本人にその自覚があるんかないんかそれがわからん。

6月15日(月)

   子供と一緒に学校へ宿題を取りにいってから、そのままおかずの買い物に出かけ、麺屋で昼食を取って家に戻りますと、家主の弟で、うちの管理を任されているケーシーが、うちの家のポストでごそごそやっているのです。
   我々は運動も兼ねて徒歩で外出していたため、ケーシーは我々が帰ってきていることに気がつかんかったらしく、我々がケーシーにかなり近づいた頃ハッと振り向き、慌ててポストのそばを離れたのですが、我々がポストのところに差し掛かりますと、また近づいてきて、言わずにおれない、といった様子で、「あんたに手紙が来てるで、息子からや」と言うのです。読んでいやがる。
   それは上の息子が授業の一環で投函した、私への謝意を書き綴った葉書だったのですが、私が葉書をポストから取り出し眺めていますと、ケーシーはますます図に乗り、「マミー(私)は中文わからんからワシが読んだるわ」と息子に言いきかせるようにして、葉書の文面を広東語で朗々と読み上げたのです。中文わからんのやったら広東語で読み上げても無意味じゃが。
   あとで息子が、「人の手紙を読んでやらしいなぁ」と言うておりました。そうや、やらしいのや。こっそり読んで黙っているならまだしも、こっそり読んでから悪びれもせずに内容を読み上げる気が知れませんの。

6月14日(日)

   通常、日曜日となりますと、義姉&明夫妻に押しかけられたり、おばばから、「(うちの息子のために)スープ作ったから帰ってこい」コールがあったりするのですが、今日は無かったのだ。それはなせかといいますと、義姉は格安チケットが手に入ったからとタイ旅行、そして、おばばん家には、義弟の赤ん坊が帰ってきているからなのだ。おばば、わかり易すぎ。おっさんは無事に現地へ到着した模様。

6月13日(土)

   うちのおっさんは先ほど、イギリスへと旅立っていきました。
   今回は、おさんが学生時代の約4年間に渡ってルームメートだったスチーブ・ガノンという人に、10数年ぶりの再開を果たせるらしく、期待に胸を高鳴らせて、イギリスへと出かけていったうちのおっさんなのです。校門戸締り注意。

   おっさんの留守中はインターネットする時間があるので、このホームページの引越し先を見つけなあかんなと思っております。今借りているgeocitiesの無料ホームページスペースが閉鎖になるようなのです。
   現在は、ホームページ製作ソフトを使ってこの日記等を作成しているのですが、ブログを借りた方が便利でいいんかもしれませんな。無料ブログとなると、どこの会社のやつがいいとかあるのでしょうか?
   
   最後に、携帯電話は新しいのを買いました。ボタン操作がうそのように軽いのです。2つ折りにできるやつなので、ポケットにも安心して入れられる模様。それに数独とテトリスのゲーム機能がついているのです。前の携帯にもゲーム機能があったのですが、ビリヤードやら、上から降ってくるバナナを猿に拾わせなあかんゲームやらで、私には操作が非常に難解であったのです。テトリスくらいなら私にもできるど。

6月11日(木)

   私の携帯電話が、とうとうつぶれてしまったようなのです。
   電話やメッセージを着信をしても、応答できないのです。ボタンを押しても押しても応答できないのですが、時々、ぴっぴぴっぴと勝手に動いて、電話がかかっていたりすることもあるので、これはほんまに逝ってしまうのであろう。ズボンのポケットに入れたまま自転車をこいだりして、肉ばさみの刑に処していたりしたからのう。
   ということで、しばらく携帯電話で応答できませんが、決してシカトしているわけではありませんので、悪しからずご了解くださいませ。私の番号で不審な電話がかかっていたら、それもごめんなさいませ。


   新型インフルエンザの蔓延予防のため、学校が明日から2週間の休校になってしまったのです。
   来週からおっさんがイギリス旅行に出かけるので、昼間買い物に出かけたりする計画を私は密かに立てていたのですが、子供が家にいるとなれば、それも許されず。買い物はおろかバドミントンに出かけることも許されず、アマゾネスバドミントンの学期末の昼食会に参加することも許されないのです。不謹慎かもしれんが、ええことあらへんやーん。と思ってしまうのです。
   たったひとつだけ、ええことを思いつくとしたら、TSAがキャンセルになったのです。TSAというのは、香港の小学3年生(下の息子の学年)が受けなあかん、国語、算数、英語の学力を測定するための実力テストみたいなやつなのです。
   TSAは来週中の2日間に渡って行われるはずでありましたが、休校措置のためキャンセルとなったのです。期日変更というのではなく、今年は行わないらしい。取り消し、ちゅうことのようです(よね?)。

   テストが無くなったので息子は喜んではおりますが。TSAのために、息子の学校は毎週木曜日に朝練を行っていたが、その努力も水の泡。といいますか、学力測定テストのために対策の勉強やら模擬試験したりすること自体、それってどうなん?と思っていたので、これはつまり、無意味なことをしても無意味に終わる、ちゅうことであろう。  
   C朗 さようなら。これからはルーニーが光り輝くのじゃ。

6月10日(水)

   現在、息子たちの学校は期末試験中なのですが、午前中にアマゾネスのバドミントンがあったため、私はたいへん疲れており、午後のボビー先生が来ているすきに爆睡し、夕方からテスト勉強でもさせようと思ってテレビスイッチオンしたところ、テニスの王子様がやっていたのですが、画面の端っこに「香港内感染の新型インフルエンザ患者一人目が出る」というニュース速報的テロップが出ていたため、「明日から学校が休校になるんかいな」とまず思い、「ほんなら試験勉強せんでええんかいな」とも思ったので、そのままテレビに注目していますと、衛生防護中心のお兄さん(おっさん?年齢不詳、私より若いんか?)の記者会見がほどなく始まったので、やはりそのままテレビに注目していますと、香港内感染の一人目の人は、外国から帰ってきた新型インフルエンザの患者さんとカクテルパーティーで接触していた、と感染経路がはっきりしており、しかも中年の人であるため、今の段階では学校の休校措置はとらへん、ということのようですが、新型インフル感染が疑わしい2人目(中学生)も出ており、その人が陽性かどうかの結果が2時間後くらいにわかるらしく、その結果次第では休校になるかも・・・という含みがあったため、「学生が患者やったら休校になるかもなぁ」とますます気になりながら、とりあえず夕食を作って、食べ終わりふーっとしていますと、衛生防護中心の兄ちゃんの記者会見の第2弾が始まり、その中学生も新型インフルの陽性であることが判明したが、感染経路がわかっておらず、クラスメートの8人も流感のような症状で学校を休んでおり、その人たちが新型インフルエンザの陽性かどうかの結果もまだ出ておらんので、とりあえずやはり、今の時点では香港の全校が休校にはならん、ちゅうことのようですが、そのニュースに3時間あまり釘付けになっておったせいで、試験勉強ができんかった。。。
   中学生の件について香港内で感染しているようであれば、幼稚園と小学校は2週間の休校になるみたいですが、来週からおっさんが旅行に出かけるし、友達も香港にやってきますので、休校になったりしたら困りますがな。

6月9日(火)

   先週末、おっさんが、上の息子のために、自転車を買ってきたのですが。
   上の息子も9月から中学生ですし、身長も150cmくらいありますので、中学校への通学用に、大人が乗るサイズの新しい自転車を買おう、そして、上の息子が今乗っている子供用自転車は、下の息子に使わせよう、ということで、おっさんと話ができあがっていたのです。
   しかし、おっさんが先週末、公衆プールにふらりと泳ぎにいった帰り、衝動買いしてきた自転車は、息子が今乗っているのと全く同じサイズの、子供用ではないですか。
   「あんた、大人用買うって言うてたやん!」と詰め寄ったのですが、私が怒っていることは気にも留めず、「安かったんや〜!」と嬉しそうなのです。安かったら許される、と思うところがあほですな。安くても要らんもんは要らんのじゃ。なんでいつまでたっても目先の得しか見えないのか。

6月3日(水)

   バドミントンに行った際ついでに、子供のための、夏休みの水泳教室の申し込み書を提出するはずであったが、申込書を持って出るのをすっかり忘れておった。締め切りは明日なので、提出のためだけにわざわざもう一回、体育館まで行かねばならない。また忘れてしまいそうだ。
   
   『天水圍的日與夜』という香港映画を観ました。佳作でありました。
   「家姐」と「阿婆」という、香港人社会においては結構重要(ちゅうか立場の強いといいましょうか)な地位にある女人2人が話の中心人物でありましたが、映画の「家姐」(貴姐と呼ばれている)には、うちのおっさん家の家姐(義姉)のようなど厚かましさやけたたましさ、あるいは偉そうに振舞うような態度は微塵もなく、弟や一人息子のためだけに滅私奉公粉骨砕身で長年働いてきた、しかしその恩を売るでもなく威張るでもない、控えめなとてもできたお人なのです。そんな家姐と一人息子の、天水圍の公屋でのつつましい日常生活が主な舞台として、ひたすら淡々と、そしてリアリスティックに描かれている映画でありました。
   おっさんと一緒に観たのですが、おっさんが要所要所で泣いているのだ。
   人に物をあげる場面が結構キーポイントなのですが、そこで泣くんだおっさんが。電器店で買ったテレビを家姐の息子に家まで運んでもらった阿婆が、そのお礼にと、長らく埋蔵してホコリをかぶった干しシイタケ一袋を引っ張り出して来て、値札を剥がした上で、家姐に(ごり押しで)贈呈すると、家姐は「阿婆、自分で食べればいいじゃないか・・・」などといいながらも、その厚意を受け入れるのです。その場面でおっさんはもうすでに涙を流しており、その後、阿婆が長いこと会っていない孫のために、黄金のアクセサリーを嬉しそうに選んでいる場面でも涙、アクセサリーを娘婿に拒否されて涙、受け取り拒否され阿婆が持て余しているアクセサリーを家姐が「私が持っておくわね」とカバンにしまうバスの中の場面でも涙涙だったのです。いったい何がおっさんの心の琴線にふれたのでしょうか?おっさんは日ごろ、人にお礼で物をあげたりもしませんし、もらっても文句こそ言うものの(おばば譲り)感謝の意はあんまりなさげですし、生徒や友達を結構こき使っていたりするので、ざんげの涙でしょうか?
   家姐の息子が引っ張り出してきた、家姐の死んだ夫のズボンを、サイズが合わなくて履けないからと、家姐が各階のゴミ収集所のゴミ箱にぽーんと投げ捨てる場面があるのですが、「あ〜あ〜形見の品をそんな風に捨てるんか???」と私が思った瞬間、家姐が我に返ったようにズボンをゴミ箱から拾い出し、丁寧にたたんだ場面は私も心かきむしられましたが、おっさんがあまりに泣いておるので、「あんたこんなんで泣いて・・・」ちゅうコントラストを出すため、奥歯を噛みしめ涙をこらえたのです。ネタバレ的に書きまくってすみません。佳作ちゅうことで。

5月29日(金)

   28日未明の、サッカー・チャンピオンズリーグにおけるマンチェスターユナイテッドの決勝敗退、そして同日夕刻端午節の肉だらけ晩餐のせいで、日ごろは丈夫な私の胃腸の調子がおかしくなってしまい、胃部不快感やゲップにあわせて、くさい屁が出る、という症状も出てきたところ、もうひとつ、衝撃的なニュースが舞い込んで来たのです。
   それは、今日の夕方、学校から緊急召集された殺校説明会で、校長先生からなされた話なのです。
   息子たちの通う小学校は、来年の8月で廃校になり、下の息子は、来年9月の5年生から別の小学校へ転校せなあかんことになっておりますが、「22人というクラス全員が同じ区域の別の小学校へ揃って転校できることで話がまとまった」と、去年の今ごろに担任の先生から聞かされたのです。が、校長先生は今日の説明会の席で、「その話は白紙に戻ってしまった」と言うたのです。
   今の校長先生は、今期(去年の9月)からやって来た人なのですが、彼がいうには、「クラス全員一緒に同じ学校へ転校」という話は、元々がうちの前校長(現在は同じ宗教団体の別の小学校校長に就任)と転校先の校長との間で交わされただけの、殺校令を出した当の教育局を全く通していない勝手な取引、ちゅうか単なる口約束のようなもんであったらしいのです。
   転校先の現在の態度は、うちの生徒全員は受け入れられない、受け入れるとしても面接して選抜する、というものであるようです。そして、現校長としては、「(私のコネを使って)全力で別の転校先を探す、けど、(私にはあんましコネが無いので)全員一緒に転校というのは厳しいのでそこんとこよろしく。」ちゅうことであり、我々父兄ができることは、各自で転校先を探すか、教育局の転校措置を待つ、の2つであるようです。
   
   前校長が嘘つきだったのか、転校先の校長がはずみで安請け合いしただけなのか、内部事情は誰にもわからないし、もしかしたら現校長が転校話をふいにした張本人かもしれず、今日の現校長の話もどこまでほんまかどうかわからないですが、私個人の感想としては、父兄には「全員一緒に転校できる」なんていい話だけしてさっさと去っていった前校長がどうも臭いし、そんなところに、校長職初任でやって来た現校長もはめられたんちゃうか、という気がします。
   うちは下の息子がそもそも学習意欲のあんまり無い人間でありますし、親としても学校教育には期待していないので、転校先がどの学校に落ち着こうと基本的には構わないのですが、決まった話がふいになるとやはり落胆するわけで。
   あと、転校先はそれでなくても生徒数が定員いっぱいの人気校なのに、そこにクラスみんなで転校できる、なんてうますぎる話を、あっさりと信じてしまった自分も甘い!甘いな!と思えて、それも悔しいのでんがな。うまい話はおまへん。

   転校先が決まってぬか喜びしている去年の日記はコレ。

5月28日(木)

   おばば宅で端午節の晩餐会がありました。
   おばばもすっかり老け込んで、料理を作るのが億劫になったらしく、ここ最近の晩餐会では兄弟姉妹で食べ物を持ち寄るのが暗黙の了解となっており、義兄は焼鴨2羽分、義姉が白切鶏、油鶏各1羽分、我が家は焼肉1斤を持って帰ったのです。
   食卓が肉だらけであった。野菜はおばばが用意したキウリの炒め物しかなかったのだ。肉だらけ。おかげでピラニアの宴にはならんかったが。肉だらけ。
   野菜料理を何か作って持っていったらええやん、と思うお人もおられるかもしれませんが、出すぎたことをすると面白く思わない親族もおったりして、これまた厄介なのでございますよ〜。
   
   義姉は、先月のイースター休暇にイギリス在住の友人の家へ遊びに行ってきたのですが、その友達が「来年の夏も来てね来てね」と言っているんだ、という話を、私に向かって、やたらと熱心に話しかけてくるのです。
   なんでも、友達がイギリスのどっかの保養所の会員であり、格安料金でヴィラに宿泊したりもできるらしいのです。各ヴィラにはベッドルームが3つあって一家族ではもったいないくらいやし、敷地内には子供の喜びそうなスポーツ施設や乗馬施設に釣り掘、レストランなどがあり、自炊もできる上に、利用料金がこれまた安いねん!ちゅうことを、まるでもうすでに泊まったかのごとく、情景豊かに話してくるのですが、これはきっと、来夏のその旅行のためにうちの上の息子強奪、ちゅう話がぶり返すに違いないので、これは義姉の罠なんや〜、いいなぁ〜羨ましいなぁ〜って言うてしもたらおしまいや〜、と思った私は、ひたすらふーんほぉーふーん、と聞き流すことに徹したのでした。そんなに素敵な旅行やったら愛する明さんと2人で行くのが一番。

5月26日(火)

   おっさんが、新聞から切り取ったらしき、某チキンフライ店の朝食割引クーポンを持って寝室から出てきて、「食べに行こう」と言いますので、出かけて来たのです。
  クロワッサン2個に熱いコーヒーか紅茶が付いたセットが、クーポン使用ですと10ドルで食べられるのですが、おっさんが運んできたクロワッサンの実物は、紙のようにぺったんこで、なんかこう、皿にへばりついている感じであったため、思わず失笑してしまうほどでした。クーポンの見本写真と違いすぎだっ!所詮10ドルは10ドルであった。

5月23日(土)

   英語塾の帰りはすごい大雨だったのです。
   我が家の近くまでタクシーで乗りつけ、小川のそばの小道を通って家に向かったのですが、最近、この辺りでは、豪邸開発のための工事しており、小道の一部がセメント半乾きのまま放置されていたようなのです。
   ぐじゃ〜って思い切り踏みましたがな。靴の半分くらいがセメントに埋まってしまうほどだったのです。靴がお釈迦ではないですか!セメント使たんやったらちゃんと囲いしとけっちゅうねん!
   外出用にたった一足持っていたカジュアルシューズだったのに。私は李嘉誠を訴えたい。

5月22日(金)

   子宮頸がんの検査に行ってきたのです。
   検査の予約時間は9時だったのですが、検査をしてくれる母嬰健康院までは自転車で10分くらいで行ける距離だったので、ちょっと余裕をみて、8時40分ごろに家を出たのです。
   が、途中で自転車が釘を踏んでパンクし、一瞬にしてタイヤがぺちゃんこになってしまったのです。その時私は自転車専用道を走っており(なんで自転車専用道に釘が落ちておるのじゃ!)、タクシーが拾える一般道に出るのには柵を越えたりせなならず大変だったため、しかし、自転車は使い物にならない&予約の時間が迫っておったので、自転車をその場に乗り捨て、自転車専用道を刑事のように力走して(自分が自転車道を走っている時に他人がこれをやっているととても迷惑であるが・・・)、健康院にかけつけたのです。
   健康院に入りますと、インフル対策のため、まず額の部分での検温があったのですが、顔面すごい滝汗であったため、検温係のおばちゃんに「えらい汗かいてはりまんなぁ」のようなことを言われ、ものすごく恥ずかしかったです。
   次に、受付をしたのですが、私が広東語をできないためか、「あなたはセックスをしたことがありますか?」と英語で書かれた紙をおもむろに見せられ、それも恥ずかしく、受付でも滝汗になってしまいました。

   しかし、さすがに予約制だけあって、受付を済ませると少し待たされただけで名前が呼ばれ、検査が終わっても9時半前でした。結果は郵送されてくるらしい。

5月21日(木)

   息子の学校は約1年後に殺校(廃校)になるのですが、これまで年に2回、全生徒から徴収してきた冷房費(1回70ドル)にかなりの額の余剰金ができているため、廃校になるまでの今後3回分の徴収は免除、かつ、上の息子が在籍する6年級全員をオーシャンパークへ卒業遠足に連れて行ってくれるらしいのです。ビバ!殺校。(と思わなやってられん)
   
   最近の新聞記事で驚いたのがこれなのです。
   豪華な配役ではないですか!
   地獄大使はツタンカーメン調の被り物でないのがちと残念ですが、目張りも効いて、昔の地獄大使ぽい雰囲気は結構出ておりますな。死神博士の方が何かすっきりしすぎて違和感がある気がするのですが、一番の原因はやはりヘアスタイルでしょうか。石橋レンジは地毛のままやらはった方が死神博士という気がしますけんど。こんな記事で驚くな、ですか?
   
   サッカーですがUEFAカップの決勝戦は、我が家のテレビでは見ることができなかったのですが、夜中に行われていた試合の結果が気になってしゃあなく、1時間ごとに目が覚めて、私が贔屓にしておるベルダーブレーメンというチームが8−0というブッちぎりのスコアで勝っている夢まで見たのですが、朝起きてニュースを見ますと、1−2で敗戦しておりました。くーっ

5月19日(火)

   テレビでのサッカーとテニスの観戦のため更新をさぼっておりました。また来週もさぼる予定。申し訳ない。
   
   ここのところ、「それってなんだんねん」と思うことが2つあったのです。
   バドミントンのババシャツ軍団に、かしましい他のババシャツ達には似ても似つかない、いつも物静かな古太(古さんの奥さん)という方がいるのです。
   古太と私は息子の幼稚園時代からの知り合いではなかったので、バドミントンの際も、挨拶を交わすくらいでほとんど直接会話することがなかったのですが、その古太が今日のバドミントンの際に、とつぜん私に近寄ってきて、英語できっぱりと、「we are fat」と言うたのです。
   確かにwe are fatで間違いございませんが、何の脈絡もなく唐突に言われると、面食らいまんがな。どういう意味だんねん?「わたいら仲間仲間〜」ちゅうことが言いたかったのか? 
   もうひとつは、うちのおっさんが、絵を教えている生徒さんから、上の息子が中学校で使用する教科書を、いただいて帰ってきたのです。その生徒さんの息子さんが、その学校の2年生であり、要らなくなった1年生用の教科書をうちにくださった、ちゅうわけです。
   中学校の教科書は非常に高価ですので、それはありがたい。非常にありがたい。のですが、教科書に混じって、清楚な和服姿の古手川祐子がフィーチャーされた、6枚つづりの壁掛けカレンダーの使い古し(1996年版、カレンダーの部分が切り取られてあるので古手川祐子の和装写真のみ)が、筒状にぐるぐるっと巻かれた状態で、こっそり入っておったのです。古手川祐子を久しぶりに見ましたな。このようなものを10年以上も埋蔵した末に、うちにくださるとは。ほんまこれってなんだんねん。

5月9日(土)

   恥ずかしいことで、書くのもためらってしまうのですが(書いてるけど)、おしっこを漏らしてしまったのです。
   駅の近くの公衆トイレの個室は、入室してから気がついたのですが、ドアのロックがつぶれておったのです。内側から押さえていないと、ドアが自然に開いてくるではないですか。
   しかし便座を見たとたん、急に猛烈な尿意が私を襲ってきて、体をくの字にしないと我慢できないほどでしたので、その状態で個室から別の個室へ移動・・・というのは不可能であり、ドアと便座が少し離れておったのが気になったのですが、片手でドアを押さえながら用を足す、ちゅう作戦を取ることにしたのです。
   が、しかし、都合の悪いことに、私の履いていたズボンというのが、ジッパーの部分がボタン式、それもかなりきっついボタンを4個も外さなあかん様式のズボンであったので、そのような難儀なボタンを片手で素早くぽろっぽろっと外す、などという芸当はとうてい無理であり、仕方がないので私は、体をくの字に曲げたまま、ドアには頭突きをかますことにして、両手を使える状態にし、ボタンを外すことに成功したのです。
   そしてズボンを下ろした後、もう一度片手でドアを押さえ、尻をできるだけ突き出して、うーんと便座に近づいた状態で用を足した私ですが、「間に合ったー」と安堵したのもつかの間、自分の足元に、みるみる水溜りができてしまったのです。尻が便座からずれていたのじゃ。

   水溜りはちゃんと拭きましたよーん。以上。

5月8日(金)

   テコンドーの昇級試験が行われたようで、下校時に迎えに行きますと、下の息子が真新しい黄色い帯を腰に巻いて、学校から出てきたのです。
   今まで使っていた9級の帯というのが、習い始めの最初に貰った10級用の白帯の端っこに、電気工事に使うような黄色いビニールテープを2本巻いただけの、洗うに洗えないブツだったので、無事に8級へ昇級でき、ちゃんとした黄色い帯を取得できたことはまことに喜ばしいのですが、昇級試験は今日行われたのです。
   合格したその日その場でいきなり帯が授与されている、というのが、なんだかちょっと腑に落ちんのでんがな。昇級試験とは名ばかりで、200ドルの受験料さえ払ったら昇級できるシステムになってる、ちゅう感じもしますな。200ドル払って帯にビニールテープを巻かれて帰ってくるよりは、はるかにマシではあるが・・・。

5月5日(火)

   同年代の友人たちと、「わてらもそろそろ健康管理には気をつけなあかんな」「そやな」「子宮頸がん検査も全然受けてないな」「そやな」「受けなあかんな」「そやな」「検査の予約を入れよ入れよと思いながら億劫でできへんねん」「そやな」「ここで話題に上がったのがいい機会やさかい、みんなそれぞれ予約入れて検査受けよか」「そうしよ」ということで話がまとまり、母嬰健康院へ各自で予約を入れ、子宮頸がん検査を受けることにしたのです。
   で、私、早速予約いれましたで〜。子宮頸がんの検査記録カードを見ますと、前回検査を受けたのが2002年、となっていますので、香港ではもうかれこれ7年も検査を受けていない私ですが、昨今では、子宮頸がん検査専用ライン(リンク先はpdfです)で、情報をぴっぴっとインプットして電話予約できることになったのですな。いや〜便利便利。インプット次第では、予約日の一日前にお知らせの電話もかけてきて下さるらしいので、加齢による記憶力の低下に悩む奥様(だれやっ!?)でもきっと大丈夫。

5月4日(月)

   A型H1N1インフルエンザの患者が出た香港ですが、結局、先週末の教育局の発表では、学校は休校にはせず、マスクを着用するかどうかも個人の判断に任せる、ということでありました。
   今日、通学させるに当たって、マスクをさせて登校させるかどうか非常に悩みましたので、子供らに聞いてみたところ、上の息子、「どうせ誰もして来ないし、(からかわれたりして)恥ずかしいから要らん」、下の息子、「いいで、いいで(OKの意味)」という回答が得られましたので、彼らの意向通り、下の息子だけマスク着用で登校させたのですが、やっぱり誰も着用してきていなかった。
   
   ところで、わが家の周囲は雑草が生い茂る空き地がたくさんあったのですが、そこの開拓工事が、最近とみに激しくなってきているのです。
   我が家の横手はもうかなり以前から、何度かブルドーザーが入り込んで更地にしては放置、しては放置、を繰り返されていたのですが、先週くらいから再びその空き地の整備が始まり、いよいよ何か建てるんか?と思ってたら、ブルドーザーは横っちょから、我が家の目の前にある空き地にまでどんどん侵略してきよって、我が家のバルコニーからの景観をぶちこわすにまで及んできよったのです。
   前に新聞で読んだところ、李嘉誠の会社が開発して、豪邸群を建てる話でまとまっているらしいのですが、うちからちょっと山手に行ったところには、蝶の保育区域があり、さまざまな蝶が乱れ飛んでおったりもしますし、うちのごく近所を流れる小川(私が足を踏み外して爪を剥がした地点でもある)にはホタルが飛んでおったりもするので、なんもそんなところを破壊して家を建てんでもええやん、と思うのが人情であり、ブルドーザーがバリバリガリガリやっているのは、とても悲しいです。豪邸群が建ったら、どんな名前になるのでしょうか?無難なところで、バタフライガーデンでしょうか?バタフライヴィラ、とかもありそうでんな。バタフライテラス、とか、バタフライロッジ、とかか?カーサMバタフライで、どや? とか言うてる場合ではなく、建てないで。 

4月27日(月)

   うちの息子は参加しないはずの、中学校入学のための統一派位ですが、小学校の担任のユン先生から、「あんたの息子の名前が、教育局からもらった統一派位の参加者リストにまだ載ってるで。入学手続きしたっていう中学校に、ほんまに入学できることになってるんか確認した方がええで」という電話がかかって来たのです。 

   リストを見て驚いたユン先生は慌てて電話してきた様子ですが、中学校への入学手続きをしたのは他でもない私ですので、自分の行った手続きに不備があったんちゃうんかと私も非常に心配になり、おっさんをたたき起こして息子が入学することになっている(はずの)中学校へ電話をかけさせたのです。
   
   息子の行く中学校は、直接資助という、政府から補助を少ししかもらわない(つまり、生徒が学費を払わなあかん)運営方針の学校ですので、統一派位にも参加しなくて良い(学校が自由に生徒を選んで良い)のです。直接資助校に入学手続きをした者は、統一派位に参加したらあかん決まりにもなっており、直接資助の中学校に手続きがなされた段階で、中学校の方から教育局に報告がいってるはずなのです。

   おっさんが電話した中学校の方では、「ちゃんと入学手続き完了されてますし、教育局への報告も2月に済んでますよ」という返事であったので、まずはほっと胸を撫で下ろしたのですが、2月に報告済みやのに、4月末の今、まだ統一派位の参加者リストに載ってるってどういうこっちゃねーん。
  リストに載っているっちゅうことは、このまましらーっと統一派位にも参加しちゃって、もしも、万が一、すごくいい中学校に当選した場合、「お前らがリストに載せて、参加フォームまでくれるから、間違えて参加してもたんや!ゴルァ」などとゴリ押しして、そこにしーちゃお!ってこともできそうですよな。

   「直接資助校に入学手続きをした者は、統一派位に参加すんなよ!」って散々言うといて、ちゃんと事務処理してへんってどういうことやねん、え!教育局!だいたい、統一派位って不公平なんじゃ!(と、くじ運が悪い我が家は思うのであった)

4月26日(日)

   おっさんの誕生日なので、おっさんの生徒さんが十数人集まって、ホテルのディナービュフェレストランで誕生会を開いてくれたのです。(ありがとうありがとう)
   縦に2つ切りされた茹でロブスター(ザリガニではない)が、あんなにたくさん盛られている光景を、私は(おっさんも)初めて見ました。そして2度と目にすることもあるまい。

4月21日(火)

   寝室の冷房(窓に填め込み式の、室外機一体型のやつ)から水が漏れてくるようになり、雨が降った時には、冷房機から壁つたいに水が流れ、床に水溜りができるほど事態は悪化する一方ですので、家の管理人であるケーシーに相談したところ、ケーシーは「わしが直したる直したるいますぐに!」という勢いであったのですが、これまでにケーシーに修理をしてもらった我が家の水漏れ部位、たとえば、台所の流しのステンレスと台の継ぎ目、とか、テレビ線が屋外から屋内に入る地点、などは、修理してもらった当座は良いけど時間が経つとまた同じ、という、中途半端な修理しかしてくれへんので、今回は、ちゃんとした業者に頼んでもらえるよう懇願したところ、本当に修理業者が来てくれることになったのです。
   しかしやって来た修理業者は、明らかにケーシーの連れ、といった感じの初老のおっさんで、一応工具箱を提げてはおったのですが、そこにはドライバーやらカッターナイフやらという、修理の基本ツールが入っておらず、おっさんは、我が家のツールをいちいち借りながら修理しはったのです。白い冷房機と白い壁の継ぎ目にも、茶色いシリコンを注入、「白いシリコン持ってきてまへんねーん」ちゅう、なんとも信じられないエエ加減な仕事ぶりでした。さすがケーシーの連れ。
   
   ま、そんなことはどうでもいいのですが、とても驚いたことがあったのです。
   冷房機を填め込んでいる外枠の修理のため、修理のおっさんとケーシーが冷房機を窓からいったん下ろして、冷房機の鉄のカバー(?)を外してみますと、中に、鳥が巣を作っておった形跡があったのです。
   できてから時間が経過しているためか、形はかなり崩れてはいたものの、爪楊枝くらいの木の小枝を大量に集めて巣はできておりました。そういえば去年のいつぞや、この冷房の室外機に相当する部分で、親鳥の餌を待つツバメの雛数羽がぴーひゃーしているのを見た記憶があるのですが、あれやったんか?
   しかし巣まで作っていたとは露知らず。何もそのような暗くてファンがぶんぶん回るうるさい場所に作らんでも・・・。バードストライクで雛が死去、同時にうちの冷房も死去、なんて事故がなくって良かったですが、だいたい、冷房機の中にどうやって入ったのでしょうか?
   
   話が変わってもうひとつ。

   小学6年になるうちの上の息子は、政府の管轄下に置かれていない入学システムを取る中学校で入学手続きをしたので、来月に願書を出さなあかん『統一派位』と呼ばれる、政府・教育署のコンピュータによるくじ引き(みたいなもん)には参加しないのですが、それに参加する人は、現在、中学選びの最終段階に入っていると思われ、中学校によっては、最終見学会やオープンデイを行ったりしておる所もあるのです。
   今日も、上の息子は学校の先生に引率されて、校区内にある、とある中学校の見学に行ってきたのですが、そこでお菓子をたくさんもらって帰ってきたのです。ポテトチップスやメントス、M&M's、せんべいや乳ボーロなどを10点ちかく、店でそれだけ買うと結構お金がかさみそうなお菓子を、まるで遠足お楽しみパックのごとく、その学校の不織布製の手提げ袋に入れて、もらって帰ってきたのです。行った生徒みんなが、同じような量のお菓子をもらったそうです。
   中学校の見学で、お菓子を配るとは。その学校はあんまり評判の良くない所なので、生徒集めのための苦肉の策、という風にも感じられなくもないですが、普通、お菓子に釣られて中学校を選んだりするとは思われへんし、そういうわけではないのでしょう。学校側がまじめにお菓子で生徒を釣ろうとしているのなら、すごいことです。お菓子で釣る、というつもりでなかったら、見学会でそれだけの量のお菓子をばらまく意味がわからん。

4月16日(木)

   いま住んでいる村屋は2年の契約期間が来月で満了するのですが、後もう2年の契約延長をすることで家主と話がまとまり、今日うちのおっさんが、佐野浅夫似の家主(お爺さん)と、書類を交わしてきたのです。
   今から2週間ほど前に、うちの近所に住んでいる家主の弟で、我が家の家賃徴収を任されているケーシー高峰似のおっさんがうちにやって来て、「兄ちゃん(家主)が家賃を上げたがっている、階上に住んでいるサイジョー夫婦んとことも300ドルの値上げで話がまとまったので、お前んところもそれでいいか?」と言うたので、300ドルやったらしゃあないなぁと私は思ったのですが、うちのおっさんは、「こんな景気の悪い時期に家賃値上げなんてありえへん、俺ら家賃を毎月指定日にきっちり払ってる善良な借主やのに、家賃上げる言うんやったら出て行くど」と強気な姿勢を見せますと、前の借主の家賃徴収で散々難儀したあげく、3ヶ月分踏み倒されたというケーシーは怯んだんか、「兄ちゃんに聞いとくわ〜」と去っていったのです。そしてものの5分後におっさんに電話をよこし、「家賃の値上げはせんでええことになったわ」ということで落ち着いたのです。
   そして今日、家主の佐野浅夫とうちのおっさんが面会しましたが、いつもニコニコ善人そうな佐野本人からは、家賃を値上げしたかった雰囲気などまったく感じられず、むしろ、「古い家やのに住んでくれてありがとね」とか「あんたらとサイジョーに長く住んでもらえるといいなぁ」とも言うていたそうなので、300ドル値上げ云々というのはケーシーの勝手な策略であり、まんまと値上げに成功したあかつきには、家主の兄ちゃんにはもちろん内緒で、300ドルを己のふところにせしめるつもりであったのでありましょう。あくどいおっさんや〜。

4月9日(木)

   初泳ぎに行ってきました。
   近所の公衆プールなのですが、めちゃくちゃ寒かったです。

   元はといえば、うちのおっさんが、気候や気温のことなど何も考慮せんまま、軽々しく、「イースターホリデーに入ったらプールに連れたる」と息子らに言うてしまったのが発端なのです。いつまでたっても脳みそ無いんか?

   息子の学校は、今週火曜からイースターホリデーに突入したので、その日以来、毎日「プールに行こう行こう」と、息子どもに催促されておったのですが、ずっと天気が曇りがちであったため、おっさんが苦し紛れの言い逃れで、今度は、「晴れたら連れていったる」と言うたのです。
   今日はやっと晴れるには晴れたのですが、風吹いて肌寒いやんか。しかし、「晴れたら連れて行く」という約束であったし、明日からはイースターの4連休になってしまい、祝日にプールに行くとえらいぎょうさん人が泳ぎに来て嫌、ということで、今日行くことになってしまったのです。
   私は、「プールに連れていったる」とは一言も約束していなかったので、プールには、おっさん一人で息子2人を連れて行かせ、私自身は行かないつもりだったのですが、「一緒に来て」とおっさんに泣きつかれ、行ったら行ったでおっさんは、「じゃあ俺はちょっと泳いで来るわー」と、一人で50mプールに行ったきり、しばらく戻ってこなかったので、結局、私一人で、暴れまわる息子2人を見なならん、寒い、腹立つ、という理不尽な思いにかられる昼下がり、を過ごしたのでした。まぁうちのおっさんはこんなもんや。

4月6日(月)

   3月19日(木)の日記に書いた、日系お食事処で働く、日本語を話すお兄さんは、やはり、たいへん流暢な日本語を話すことのできる香港人であった。私の勝ち!
   と思いきや、お兄さんが「4月○日からメニューが変わりますので・・・」と言うた部分の期日は、友人のヒヤリングの方が正しかったのでした。一勝一敗である。

4月3日(金)

   連日連夜のタミヤのモデル作りで肩を凝らせたうちのおっさんが、マッサージに行きたいと言いますので、一緒にシンセンのマッサージ屋に出かけたのです。
   前回、ここのマッサージで首が回らない状態が治った私だったのですが、今日私のマッサージを担当してくれたおばちゃんは、指圧ではなく、やたらとエルボーを駆使するおばちゃんだったのです。
   エルボー責めはそれでなくても痛いのですが、おばちゃんのエルボーは、長年の酷使で痛んで、ぐりぐりになっておるのか、マッサージするたびに「ゴリゴリ・・・」という奇怪な音と触感がありますので、気持ちいいはずのマッサージが、痛い上に、ゴリゴリ音のせいでちょっと気味悪く感じられてしまったのです。
   しかしおっさんの方は上手い人に当たったらしく、当初は1時間のマッサージだったのですが、途中で私に「もう1時間延長していいか?」と言ってくるほどだったのです。
   私担当のおばちゃんは、2時間目に突入すると、マッサージの策が尽きたんか、エルボーが疲れたんかわかりませんが、おそるおそる私の背中に馬乗りになり、「痛いか?痛ないか?」と聞いてきたので、私が「痛ない」と応えますと、今度は立ち上がり、そこでまた「痛いか?痛ないか?」と聞いた上、足踏みし出したのです。
   おばちゃんは、私の背中から尻にかけてを実に20分くらい、ずっと足踏みしてはったのです。全然痛くはなく、おばちゃんのゴリゴリエルボー攻撃よりはよっぽど心地よいくらいだったのですが、大人のおばはんに背中で足踏みされて大丈夫な私ってどないやねーん!と少し思いました。その後おばちゃんは、私に頭皮マッサージをした後、またもやエルボーで頭のつぼをゴリゴリし(頭にエルボーは痛いんじゃ〜)、2時間が終わったのでした。
   おっさんはその後、なぜか、北京ダックを食べに連れて行ってくれたのでした。
   他のお客さんはみな、お昼の飲茶をしている中、うちら夫婦は2人で北京ダック1羽丸々の注文「だけ」+お茶、だったので、私はちょっと恥ずかしかったのです。あんまり何度も食べた経験がないのでわからないのですが、北京ダックって、こういう注文の仕方をするものなのでしょうか?
   おっさんに、「北京ダックしか注文せぇへんのん?(他にも注文しろ)」と言ってみたのですが、北京ダックの肉の部分とにがうりを炒めた料理も出てくるから、それでいいやろ?」と取り合ってくれる気配がなく、それに、おっさんはむしろ、自分の注文の仕方を「粋やろ俺?」と思っている風でもあったので、もうそれ以上は何も言わず、黙って食べておきました。以上。

4月2日(木)

   2日の今日はジャスコの食料品が5%割引の日なので、冷やしソーメン用のめんつゆを買うために出かけてきたのです。
   ところが、いつも買っているジャスコブランドの廉価品めんつゆはもうすでに売り切れており、有名ブランドの高価なめんつゆしか棚に残っていなかったのです。高価なやつはよう買わんので、同じくジャスコブランドの和風つゆという、5倍に薄めたらめんつゆにもなるけど、めんつゆ以外にも用途がある商品を買うことにし、そこの棚にある商品を1本掴んでレジへと向かったのです。
   会計を済ませて帰り道すがらレシートをチェックしますと、確か25ドル程度のはずの和風つゆに、33ドル弱もの徴収がなされており、しかも、レシートの商品名が「白魚露」となっておるではありませんか。魚露ってナンプラーやんけ〜!間違ってるやんけ〜!と思った私は、文句言いに行くためレジへと戻ったのです。
    が、文句を言う前に念のため、自分の持っている商品を確認してみますと、ボトルには「白だし」と書かれておったのです。そのような物を買ったつもりはなかったが。。。
   33ドルという価格にも「そんなに高いのん?」という疑問が残っておりましたので、商品棚の所へ戻って確認しましたら、白だしは確かにそのような価格設定だったのです。そして、棚に大量に並ぶ白だしのすぐ横には、私の欲しかった和風つゆが、最後の一本だけ、ラベル後ろ向きになって残っておったのです。
   よく確認しなかった私が悪いのですが、白だしという商品がその棚に並んでいるのを、今まで見たことがなかったので、それをすっかり和風つゆだと思い込み、手に取ってしまったのですな。今後の我が家のそーめんつゆはいったいどうすればいいのだ。白だしでは手軽にそーめん食べられへんがな。

4月1日(水)

   土日を挟んで4日間の、息子の学校の中間テストが昨日終わったのですが、今日の放課後、学校へ息子を迎えに行きますと、下の息子が加わっている(学習脱落者のための)特別クラスを担任するコン先生が、テストの答案用紙らしきわら半紙を右手に、仁王立ちで私を待ち構えておったのです。
   厳しい表情をしたコン先生のただならぬ雰囲気に、「カンニングしたんやろか?」と思ったので、事情がわからぬうちから、私は「えらいすんまへんすんまへん」の姿勢でコン先生の元へと向かったのですが、コン先生の話を聞いてみますと、カンニングではなかったのです。
   算数のテストの解答用紙の答え合わせしている時、うちの息子が、不正解の一つを消しゴムで消してしまい、そこに正しい解答をボールペンで書き加えてしまったので、この箇所は一見すると「正解なのに不正解になっている」ようになってしまったが、実はそれは、本当に間違った解答だったところを消しゴムで消してしまった上に、正解を書き込んでそのようになってしまっただけなので、正しい採点がなされているのです、誤解があったらあかんと思いましてお呼びしました、ちゅうような内容でありました。まったくびびらせやがる。
   息子の答案用紙は、正解より不正解の方が多かったので、コン先生が、たった一箇所の不正解ために、わざわざ私を呼び出して、そのような誤解を解く弁明をしてくれなくっても、私はまったく疑問を抱いたりしなかったとは思いますけんど。

3月26日(木)

   今日はババシャツ軍団とのバドミントンがあったのです。
   ちっとも似合っていない私の負離子直髪を、「笑われへんやろか?」なんて心配しながら、恐る恐る出席してきたのですが、意外なことに、髪型へは「綺麗になってるやん」てな好意的な反応が返ってきたのです。が、私が支払った料金を聞いて、一同爆笑。248ドルのつもりで行ったのに458ドル払わされてたら、そりゃ「あんた騙されて!もう!」って思いますわよなぁ。
   しかし、私が常日頃、「ババシャツ軍団の中で、こいつ(だけ)はまとも(な人間)や」と思っている蘇太(蘇さんの奥さん)だけは、「安いのはあかんねん、安いのはすぐ取れるねん、安いの2回するのと、高いのを1回するのと、結局一緒や」ちゅうような、滋味深い、慰めのお言葉を、私に、かけてくだすったのでした。蘇太はええやっちゃ。
   
   ところで、うちの掲示板でろらちゃんが気付かせてくれたんですけどね、あの日、散髪屋さんの鏡の中に映った自分をみた瞬間の、「めちゃくちゃ違和感」だとか「不細工な顔がもっと不細工」「顔とマッチしてない」とかいう、言葉ではなかなか言い尽くせなかった私の気持ち、それを、いとも端的に、たった一言で表現できる、まさにうってつけの、これしかない!という言葉を見つけることができたのです。
   それは、「キモい」。ろらちゃん、ありがとうありがとう(号泣)

3月24日(火)

   昨日、負離子直髪にしてきました。
   負離子直髪「248ドル」という価格は、完全な釣りであった。
   入店し着席しますと、先週訪れた時に応対してくれた、英語を話すお姉さんが、直髪のリストを私に見せながら、「248ドルは台湾製のパーマ剤で、あかんねん、358ドルのんも長持ちせぇへんねん、お薦めはパーマ剤が日本製の458ドルか、アメリカ製558ドルや、それならあなたの髪質でも大丈夫」と言うのです。
   できるだけ散髪に行く回数を少なくしたい私としては、長持ちせぇへん、と言われてしまえば、もう落ちるしかないので、泣く泣く、日本製のやつを選んでしてしまいました。予想外の出費であった。これならマーゴーの店の方が安いではないか。
   
   洗髪しながら姉ちゃんが、「なんでアメリカ製のにせぇへんのん?髪がつやつやになるのに」と、しつこく薦めてくるので、「いま私は500ドルしかお金を持ってないのです」と正直に言うと、「さよか」という感じで、あっさりと引き下がっていったので、「こんなことなら300ドルしか持ってないねん、と言い張って、248ドルのにすれば良かったかなぁ?」と、その店に滞在の4時間もの間、ずっと後悔していたせこい私だったのです。
   
   洗う、乾かす、塗る、加熱、洗う、乾かす、電気コテ(?)、塗る、洗う、乾かす、という、3時間半かけての、死ぬほど辛い、剛毛への負離子直髪の全工程がやっと終わり、次は散髪になりました。
   鏡に映る自分の姿は、顔の輪郭にべったり張り付くような、妙にぺったんこのロングヘアーで、なんといいましょうか、紫式部といいますか、平安時代のお姫様みたいな髪型になってました。
   直髪パーマにしたら当分は扱いやすくなるので、私は夏に向けて短く切るつもりだったのです。ごつい顔に長い髪がべったりと張り付いておる鏡の中の私には、めちゃくちゃ違和感が有りましたし、はっきり言ってそれは、私の不細工な顔がもっと不細工に見えるヘアスタイルであったので、一刻も早く短く切ってくれ〜と願って止まなかったのですが、しかし、散髪係の兄ちゃんは、切ってくれようとしないのです。
   店員の中では一番偉いポジションにいると思われる、散髪係のその兄ちゃんは、「せっかく綺麗な長髪になったのに切るのはもったいない」と、通訳の姉ちゃんを通じて言い張るのです。もちろん私の方も、「切りたいねん」と主張したのですが、兄ちゃんはそれでも、「長い方が綺麗や、おさまりもいいし、長いままでいい。切らん方がいい」と渋り、私の意を汲んで切ろうとはしてくれないのです。確かに髪の毛だけ見たらさらさらしてとても綺麗であるが、おばはん顔とマッチしてへんやろ!
   兄ちゃんもまったく譲りませんし、ヘアスタイリストとしての兄ちゃんのプライドを傷つけたらあかんかなと思えてきたので、情けないことですが、結局私が根負けし、長さはそのまま放置しておくことになりました。
   「私の剛毛を切るんがそんなに面倒なんか兄ちゃん!?」とも思われたのですが、髪をすく作業はものすごく丁寧にやってくれ、今まで行った香港の散髪屋の中では、この兄ちゃんが一番上手やなぁ(ちゅうか、よく切れるハサミをお持ちであった、とも言える)と思われたのです。
   そんな兄ちゃんだから、ほんまに「長い髪の方が綺麗やでおばはんよ」、と思って、善意で薦めてくれていたのかもしれません。でもちっとも私に似合っていないのですが。せっかくのお姫様ヘアーなので、十二単でも着ようかしらん。

3月20日(金)

   去年の夏に日本に帰って以来、散髪をしていない私なのですが、ここ最近の高湿度の気候のせいで、1960年代後半のヨーコオノみたいな髪型になってしまっておるのです。
   束ねて後ろでピンで留めてなんとか髪のふくらみを抑えてはいるのですが、そうすると磯野舟風であり、もともとの老け顔がますます婆さんっぽくなってしまうので、そろそろ散髪せなあかんなぁという気にはなってきました。

   香港で散髪に行くのが苦痛でたまらないのは、散髪屋に行くと必ず、「うわぁ〜髪多いなぁ」と言われるからなのです。「髪が多いですね」程度のニュアンスならまだ我慢もできますが、香港人のおばはんがそれを言うと「うっわぁ〜〜〜〜〜〜」ちゅう苦渋の形相付きになるので、それがたまらなく嫌なのです。それは客に対する態度とちゃうどおばはん!
   確かに私の髪は多くて剛毛なのですが、「難儀やわぁ」とか「あんた髪多いから、パーマ剤がチューブ2本要ったわ」とかいう心無い一言を、どうして散髪屋のおばはんに吐かれないといけないのでしょうか?それなら、「カット、頭髪10万本までは60ドル、10万本以上、加20ドル」にするとか、「パーマ剤チューブ1本100ドル」とか明記しておきやがれ!
   しかしとにかく、今年の夏は日本に帰らないつもりなので、日本で散髪する日まで放置、というわけにもいかないし、どうぜ香港で散髪屋に行かならんのなら、思い切って、負離子直髪(マイナスイオンストレートパーマ)にして、数ヶ月間だけでもすっきりさらさらヘアにしたろ、と思っているのです。
   
   そこで今朝、ババシャツ軍団のバドミントンに参加した折に、「負離子直髪にしたいがどこか良い店を知らないか?」と、ババシャツに尋ねてみますと、王太(王さんの奥さん)がすかさず、「マーゴーや。マーゴーのところがええ。なぁ?」と、隣にいた劉太(劉さんの奥さん)に話を振るのです。話を振られた劉太も「そうや、マーゴーがええ」と言いますし、マーゴーは巷では有名な、もしかしたらカリスマ美容師的な存在なのでしょうか?
   マーゴーのゴーは兄さんの「哥」であることは想像できたのですが、マーがわからん、いや、そんなことよりも、マーゴーの施術料金が気になりますので、「いくらするん?」と尋ねてみますと、「私も知らんねーん」という無責任な言葉が返ってきました。「知らんのやったら推薦すな!」と心で思っていますと、王太は「今からマーゴーのところに行こう!私が値段聞いたるし。すぐそこやから」と言ってくれますし、王太のような押しの強い香港婦人が付いて来てくれると私も心強いので、バドミントンの帰りに、王太&劉太にマーゴーの店に連れて行ってもらいました。
   
   マーゴーは、店の前の椅子に、へろへろ、ちゅうか、朦朧とした様子で座っておりました。マーゴーは香港人の、まだ「おっさん」とは呼べないくらいの年齢層の兄ちゃんだったですが、ガリガリに痩せており、年不相応なくらいに顔がしわしわでありました。マーゴーは、王太の世間話にもろくに応えず、薄ら笑いを浮かべるだけなのですが、笑ったすきに見えた歯もボロボロで、どうも私には吸毒でもしていそうな感じにみえたのです。
   王太が「負離子直髪はいくら?」と聞きますと、マーゴーはその瞬間だけやけに意識がはっきりと戻り、「400ドル」とすかさず答え、またもやへろへろの状態に戻ってしまいました。ほんまに美容師なんかマーゴー?
   王太が「400ドルやて、どう思う?」と聞いてきたので、私が「高い」と答えますと、王太はささっと私の手を引き「行こ行こ」とうながしてくれたので、マーゴーの世話にはならずに済んだのです。
   
   もうこれ以上、王太たちを煩わせるのも悪い(し、マーゴーみたいな人を紹介されてもちと困る)ので、「私自分で探すから、もういいよいいよ」と私が言いますと、王太が「あんた香港人とちゃうから、店に騙さへんか、それが私は心配やねん。そこにもう一軒あるから行ってみよう」と言ってくれ、幸い、そのもう一軒先に、英語を話せる上に、接客態度といいますか、客に言っていいことと悪いことをわきまえていそうな、比較的感じの良いお姉さんがおったのです。
   そこのお店には負離子直髪の料金が3種類ありましたが、一番安い台湾製のパーマ剤使用のやつはカットブローサービス込みで248ドル、ちゅうことになっておるようですし、お姉さんにも好感がもてましたので、「予約はせんでええ」とか言われたものの、強引に「月曜の朝一番に来るから」と口頭予約して、帰ってきたのです。
   散髪屋に行って2、3時間過ごさなあかんと思うと、今から苦痛なのですが、がんばってきます。

3月19日(木)

   日系の大衆食事処にて。
   入店時、席に案内してもらう折に、超たどたどしい広東語で私が「2人」といいますと、お店のお兄さん店員が、「お二人様ですね?」と丁寧な日本語で返答してきたので、私は、日本語の上手な香港人やなぁ、と思いつつ、着席したのです。
   その後、私はすぐトイレに立ったのですが、開店してすぐであったため、トイレにカギがかかっておりまして、仕方がなく店内に戻り、カギをもらおうと女性店員の姿を探したのです。しかし、開店してすぐで、店内に客がまったくいなかったため、店員さんもどこにも見当たりませんので、途方に暮れておったところ、さっきのお兄さん店員が現れたのです。
   私はトイレのことなのでちょっと恥ずかしいけれど、他に店員さんがいなくて仕方がないので、再び果敢にもそのお兄さん店員に、超たどたどしい広東語で、「トイレ開かへん、くれ、私に、カギ」と言いましたら、またそこで「お手洗いのカギが開いてないんですね?少々お待ちください」と流暢な日本語が、お兄さん店員の口から発せられましたので、私は「日本語で言えばよかったんや・・・」と後悔しつつも、お兄さんがぱぱっとカギを持ってきて、ぱぱっとトイレの戸を開けてくれたので、彼の機転と日本語力に、ものすごく感心してしまいました。
   
   無事にトイレを済ませ席に戻りますと、友人(東京出身者)が、「さっきのお兄さん、日本人だよね?」と言うのですが、私はてっきり日本語が素晴らしく上手な香港人だと信じ込んでおったので、友人には、「日本人?そうとは知らず、カギをもらおうと一生懸命広東語でしゃべったら、どうりで流暢な日本語が返ってきてなぁ恥かいたわははは」と、照れ隠しで一応言うておいたのですが、香港において日本人の店員さんがいるような飲食店に行くことがめったにない私には、日本語で注文できること自体がいわばミラクルであり、お兄さん店員が日本人であることに、まだ半信半疑だったのです。
  
   そのうち、そのお兄さん店員が、我々が座っている席の近くのお客さんのところへ注文を取りにきたので、私と友人は、お兄さんがいったい何人であるか確かめたくて、あからさまにそっちの方向に視線を注ぐことは避けつつも、耳をダンボ(死語か?)にしながら、お兄さんとお客さんのやりとりに神経を集中してみました。
   すると、お兄さん店員は、広東語をまったく使用していないではないですか。かといって、日本語を使用するわけでもなく、お兄さんは一言も口をきかず、香港人3人組のお客さんの広東語での注文を、黙ったまま聞いているようなのです。そのうちお客さんの方が、メニューを指しながら「(これを)ワン」とか「ツー」とか英語を使って注文しだしたので、そこで、お兄さんはやっぱり日本人か???という確信が強くなったのです。
   
   我々が食べ終わった時に、「お皿をお下げしてよろしいでしょうか?」と、流暢な日本語でアプローチしてきたのがまたそのお兄さん店員であったため、その段階では私も観念し、この人は日本人なんやなぁ、この店には日本人がおるねんなぁほほ〜、と、友人の「日本人だよね?」説に、ほとんどうなずかざるを得なかったのです。
   しかし、支払いを終えて店を出ようという時に、お兄さん店員が、我々をやや追いかけてくるようにしながら、「4月○日からメニューが変わりますので、また来てくださいね」と言ったそのセリフは、私にはちょっと抑揚の変な日本語に聞こえたので、お店を出た瞬間すかさず友人に、「ほら、やっぱり香港人や〜ん!」と言ってしまったのに対し、友人はほぼ同時に、「ほら、やっぱり日本人でしょ?」と言ったのは、いったいどういうわけか?大阪弁と東京弁のイントネーションの違い故か???こりはもう一回確かめに行かなあきまへんな。

3月17日(火)

   下の息子が参加している、読み書き障害を持つ生徒向けの「読み書き訓練班」の、父兄講座が、午前9時から学校で行われたのです。
   参加父兄は6人である、と、学校付のソーシャルワーカーであるミシェルさんから事前に聞いておったのですが、9時に私が行きますと誰も来ておらず。10分経過でようやく1人現れ、その時点で、ミシェルさんが、「まだ4人来るのでもう少し待ってね、ソーリーソーリー」と言いながら、まだ来ていない父兄に電話をしに行ったのです。そうしたらもう一人、息子と同級生のお母ちゃん(家は学校の目の前)がやっと現れたのです。
   結局、あと3人は来なかったのです。このせいで、最初の30分をロスしたではないか。来るのならちゃんと来い!来ぇへんのやったら来る言うな!
   
   講師は、どっかの団体から来たおばちゃん専門家だったのですが、ミシェルさんが私の隣の席について、英語で即訳(素晴らしい!)してくださったので、だいたい話がわかったのです。
   そのおばちゃん専門家が言うには、学習障害者への読み書きの訓練は、楽しい雰囲気、20分で5分休憩、1日1文字程度、を、正しい書き順で、反復しながら、毎日練習すると効果が期待できるが、香港で生活する上で認識できないと困る文字数は、最低でも3000文字あるので、1日1文字なんて言うてると、とてつもなく先の長い話である、元々読み書き障害の子供は記憶力が低い、持続力が無い、忍耐がない、などの面があるので、訓練は、強制的にやったら絶対あかん、長時間やったらあかん、食べながら、泣きながら、登校しながらやったらあかん、家でできたことが学校でできるとは限らないので点数を期待したらあかん、でもあり、それでもまぁ、諦めずこつこつと努力するしかないのだ、ちゅうような、希望を与えるようなそうでないような内容でありました。
   
   香港のローカル校に通う限り、読み書き障害があってもそれは免罪符にはならず、結局はみんながやってるのと同じ勉強のレベルについていくことが求められるので、「楽しい雰囲気、20分で5分休憩、1日1文字」というような理想の訓練は、学校教育内ではとうてい無理な話であり、やっぱり親がやるしかない、という結論ではありますが、今日のおばちゃん専門家の話は、比較的親側目線であり、「できへんもんはできへんから」と専門家が言うてくれるのは親にとっては救いでもあるし、「いつでも相談に乗りますから」というおばちゃんの姿勢は、とてもありがたく、出席して良かったと思いました。

3月14日(土)

   息子を連れて英語塾へ出かけておったところ、義姉から電話がかかってきたのです。
   その電話で、ちょっとだけ義姉に関心してしまったことには、今日の義姉は、単刀直入に、「今晩、あんたの家に、(テレビの)サッカー生中継を見に行っていいか?」と聞いてきたのです。今夜9時ごろから、イングランドプレミアリーグの「マンチェスターユナイテッドVSリバプール戦」という、今期のリーグ優勝の行方を決める大事な一戦があったのです。
   
   義姉は、うちに遊びに来たい時には、かならず、「おばば野菜を持っていったる」だの、「友達からもらった土産があるんや」だの、「おまえの息子にケーキ買っていったる」だの、何かしら我が家に恩を着せるような言い訳をしてやって来て、夫婦でだらだらと、ケーブルテレビで放映している台湾の番組やサッカー中継を見て帰る、時には夕食目当て、というのがパターン化しており、私はそれが憎たらしかったのです。テレビ見たいんなら、正直に言いやがれ。
   しかし、今日の義姉は、相変わらず口調はえらそうではあったものの、正直に、「明さんがサッカーを見たいので、見に行っていいか?」と言ってきたので、私は「いいよ」と返事し、しかし、こっちの夕食時から来られてはめちゃくちゃ迷惑ですので、「じゃあ8時半に来ていいよ」と時間指定もして、電話を切ったのです。
  
   しかしながら、今日のマンチェスターユナイテッドは、ホームゲームで、ここ最近類を見ないほどのボロ負けを喫してしまったのです。もちろんボロ負けもたまにあるのですが、選手が慌てふためくあのような悲しい試合展開は、今期初めて見た気がします。
  なので私は真剣に思っているのです。義姉と明が生放送で試合を見たから負けたんや!と。やっぱり来るな〜!

3月11日(水)

   レシートがいっぱいで(紙幣は無い)ぐちゃぐちゃになった財布を整理していますと、数々のレシートに混じって、マクドナルドの割引クーポンが28枚綴りになったやつが出てきたのです。
   使わな使わな、と思いながらすっかり忘れており、28枚全部、期限が切れてしまっておりました。他にも吉野家のクーポン、大快活のクーポンも出てきたのですが、ぜんぶ期限が切れておりました。
   が、それらのいずれも、30ドルくらいのランチメニューから4ドル引き、だとか、牛丼セット2つ買ったら10ドル引き、程度の割引率ですので、あんまり行く気がしませんな。「クーポン使用だと半額」くらいにしてもらわないと、もはや行く気がしません。

3月10日(火)

   義姉と明さんは、来月のイースター休暇に、イギリス旅行に出かけるらしいのですが、 その旅行にうちの上の息子も一緒に連れて行く計画を、水面下で立てておったようなのです。
     もちろん、そのような、無謀で、無茶で、けしからん計画は、即、握りつぶしてやりましたが、気ぃ悪いったらありゃしないのです。勝手に計画すな!
   
     昨晩、うちのおっさんが急に、「姉ちゃんがイースターにイギリス旅行に行くらしいけど、○○(上の息子)も連れていってくれるって言うてるねん、どうする?」と聞いてきましたので、「そんなんあかんに決まってるやろ!」と私は即答し、「行かせてもええと思ってるんか?」とおっさんに反問しますと、おっさんも「あかんと思う」と言いますので、すぐに断りの電話を入れさせたのですが、電話口から漏れ伝わってきた義姉の声(デカイから筒抜けなんじゃ!)からは「えぇ〜行かへんのん!?なんで〜?」という不満なニュアンスがありありと聞いて取れ、しかも呆れることに、息子の分の飛行機券(もちろん我が家の負担)ももう押さえてしまった、ちゅうところまで、話が進行しておったようなのです。勝手に進行さすな!
   その旅行の話は、きっと先の日曜日の午後に、おっさんが義姉とお茶しに行った時になされたのに違いありませんが、うちのおっさんも私の前では「あかん」などと言いながらも、すっかり息子を連れて行かせるつもりになって、調子のいい返事を義姉にしていたのに違いありません。そういう奴なのだ。
   
   すぱっと断ればいいものを、うちのおっさんはなんだか歯切れが悪く、きゃつらの電話のやりとりを聞いているうちに猛烈に腹が立ってきましたので、義姉との電話を終えたおっさんを即つかまえて、「行かせていいわけないやろう!まだ11歳や。海外で、自分一人で行動できる年とちゃうやろ。なんかあったらどないしてくれるんや!あんたの姉ちゃんには、『他人の子供を預かる』ちゅう自覚があんのんか?他人の子供を預かって連れて行くからには、最悪の事態を色々想定して、それでも『大丈夫や!』と思えて初めて、計画しろ!私やったら他人の子供を預かって、イギリス旅行なんか怖くてよう行けへんわ!それにツアー旅行やったらまだしも、実の親でもないおばさん夫婦に子供が連れられて個人旅行やなんて、めちゃくちゃ不自然と思わんか?そんなんイミグレで絶対尋問されるに決まってるわ!イミグレでなんかあって、○○だけ別室に連れて行かれたりしたらどないしてくれるんや!とにかく、私はあんたの姉ちゃんに10日間も子供をよう託さんわ。信用できへんねん。もっと熟慮して、私にも説明して、了解を得てから飛行機券、ちゅうのが筋とちゃうんか!母親の私の了解も取らんと、勝手に軽々しく計画立てるような人間は信用できへん、ってことや!なにかあったらどないしてくれるんじゃ!だいたいな、○○だけ連れて行くなんて不公平やんか!それやったら△△(下の息子)も連れて行け!あんたら一族、いつも○○ばっかり優遇するけど、△△がかわいそうやろ!クリスマスディナーの日も、△△は『自分は連れて行ってもらわれへん』って泣いとったんや。もっと頭で考えて、私や△△の気持ちも考えてから計画しろボケ」など、思いの丈をぶちまけてやったのです。

   が、しかし、まだなんだか釈然としないのですが。
   おそらく、母親の私の言い分が世間一般的には常識的、いわば正論であって、非常識なのは義姉の方だと思うのですが、義姉の電話での不満な口ぶりはいったいなんでありましょうか。他人の子供を母親の承諾なしに、10日間も、母国語圏でない、遠い国に、旅行に連れていく計画を、勝手に立てておいて、それを断られたら気ぃ悪い、ちゅうのはどういうこっちゃ。気ぃ悪いのはこっちのほうやがな!感覚の違いというものかもしれませんが、私には、そんな勝手な計画がまかり通ると思って、飛行機券まで押さえてる気が知れませんわ。
   
   
   そのイギリス旅行というのも、ホテルに宿泊するのではなく、10日間ずっと義姉の友達の家にやっかいになるらしいのです。
   そこは持ち帰り用の中華料理店を営む家庭らしいので、きっとお金持ちで、ゲストルームもあるような大きい家をお持ちなのでしょうが、それにしても、そこに夫+甥まで連れて行こうとするとは、どあつかましいんじゃあああ!と、義姉の友人に代わり、吼えておきます。

3月7日(土)

   英語塾のため子供を連れてタイポー駅の改札に向かっておりますと、うちのおっさんの友人で、マカオに素敵な別荘をお持ちの李国栄先生が向こうからやってきて来るではありませんか。
   我々を見つけた李国栄先生は、うれしそうに近づいてきて、「深水埗でPK(うちのおっさん)と待ち合わせてるから、今から行くねん」と言い残し、颯爽と去って行ったのでした。
   仕事行ったんとちゃうんかゴルァおっさん!

3月6日(金)

   おっさんの買い物のお供でシンセンに行ってきたのです。
   お供で行きますと重たい荷物を提げて帰ってこなくてはいけませんので、その報酬ということで、買い物する前に、1時間だけマッサージに連れてもらったのです。
   もうかなり前から私の首は左方向に回らなくなっており、無理して回すと寝違いのような痛みが走りますので、今日は「首と肩だけ揉んでくれ」と指定して、1時間集中的にマッサージしてもらいました。
   揉みにやってきたのはとても小柄なおばちゃんだったので、私はあまり期待していなかったのですが、おばちゃんはとても一生懸命揉んでくれ、1時間後にマッサージ店を出ますと、なんと首が回るようになっておったのです。
   あんまり長いこと首が回らないので、何か病気ちゃうかと少し心配になっておったのですが、マッサージで改善されたということは、単なる凝りだったのでしょうな。

3月5日(木)

    トップ賞の賞金額が、3800万香港ドル(4億円くらいか???計算間違ってるか?)なんてえらい額になっておったので、本日抽選のマーク6(日本のロト6みたいなやつ)を20ドル分(4クジ)買ってみたのです。
   マーク6を買うときは、コンピュータに番号をあてがってもらう電脳票というのが手っ取り早いので、それを購入するのが常なのですが、今日は賞金額も額ですので、初めて自分で「これや!」と思う番号を選び、マークシートに記入して購入してみたのです。が、4クジ分、計24個の番号の、どれひとつも当たっておまへんでした。私の第六感はコンピュータより劣るのですな。
   電脳票の時は、各クジ2個くらいは当たっているんですけどね。2個だけ当たっても配当が無いので、それも悔しいですがの。

3月3日(火)

   「閉めたら怖いねん」と言って、シャワー室(兼トイレ)の戸を開けたままシャワーを浴びていた上の息子が、今日はなぜか「戸を絶対開けないでね」と私に念を押し、バタンとしっかり戸を閉めて、風呂に入っていったのです。
   「開けるな」と言われると開けてみたくなるのが人情ですが、そこをぐっと我慢して成り行きを見守っていますと、やがて息子はシャワーを終え、着替えのパンツだけ着用してから出てきたのです。昨日までは「おかあさん、タオルちょうだい〜」とか言いながら、素っ裸で出てきていたんですがね。
   うちのシャワー室は狭いゆえ、シャワーを浴びると床全面がぼとぼとになり着替えるのに不便ですので、シャワーを浴びたら私もついつい素っ裸で居間まで出てきて、そこで着替えていたりするのですが、ええ加減止めなあきませんでしょうか。

2月28日(土)

   上の息子が2年間に渡り参加していた学校のサークル(通称:更正塾)の終了式が午後からあり、「親も出席せぃ」というお達しが、学校付のソーシャルワーカーであるミシェルさんからありましたので、本来ならば土曜日は、英語塾に行かなあかん日なのですが、そっちは休みにさせていただいて、ミシェルさんの方へ行ってきたのです。更正塾の構成員は学校の5年と6年生合わせて20名ほどですが、親はほとんど誰も来ていませんでした。また騙されたっ。。。
   終了式の内容は、サークルで行ったデイキャンプや一人暮らしの老人宅への掃除ボランティアなどイベントの総括と、構成員一人一人が前に立って、自分や他の構成員への賛辞、あるいは親への感謝の言葉を述べる、というものだったのですが、その中の1構成員(6年生)は、親への感謝の言葉をミシェルさんに聞かれて、当初は「・・・・・・・・・・」と無表情の無言状態であったのですが、ミシェルさんに「何かあるでしょう?」と粘られますと、「・・・・・・カモーンベイベー!」と唐突に発したのでした。この「カモーンベイベー」ちゅうのは、ドアーズの歌とかではなく、ウォンウォンという名前のせんべい会社のテレビコマーシャルから影響を受けたものだと思われますが、このような方々が構成員であった更正塾も、とにかく今日で無事に終了。

   おばば宅での夕食が終わった後、おばばが、わての可愛い孫にとっておきのええもんあるんやでぇ今日は、てな風に、冷蔵庫からパック入りイチゴを取り出してきたのです。
   うちの息子に食べさせたろうと思ってよっぽど長期間埋蔵してあったのでしょうか、イチゴはもうずるずるのカビカビになっており、残念なことに、食べられたものでは無かったのですが。
   そのイチゴパックは、おばばにとっては義理の姉さんに当たる、おっちゃんの姐ちゃん(英国在住)が「英国から土産に持って帰ってきたもん」らしいのですが、パックのビニール包装には日本の文字で「JAかおふく八女」と、へんてこなことが書かれてあったのです。英国土産というのは嘘でありましょう。日本産というのも嘘でんな。「かおふく」って一体どこやねーん!
   そこで義姉が「なんで英国土産がイチゴやねーん、しかも日本語で書いてあるしー。こんなん街市(香港の市場)で買ったんや!」と鋭くつっこみましたが、それでもおばばは、「だってほんまに『英国で買った』って言うたんやもーん」と真顔のドラ声で言い張るので、一途でいじらしいおばばの姿に一同爆笑してしまいました。おっちゃんの姐ちゃんは、ほんまにそのようにはったりをかましたのでしょう。
   信じる方も信じる方ですが、英国で、日本産(を偽った)イチゴを買い、12時間以上の過酷なフライトを経て、土産として、香港まで持って帰って来た、というのはあまりに非現実的な行いであり、ちょっと考えればバレてしまいそうな嘘ではおまへんか。嘘はもっと上手につきなはれ〜。

2月20日(金)

   沙田のスヌーピーワールドで目撃した香港おばばの話ですが。
   スヌーピーワールドには、スヌーピーキャラがかたどられた可愛い小舟で、園内の小さなプールを1周できる乗り物があるのです。その乗り物に1回乗るには、スヌーピーワールドが入っているショッピングセンターで100ドル以上消費した、その当日のレシートが1枚必要になるのですが、レシート1枚1回限りで、小舟2艘、合計4人までが乗ることができるのです。
   友人の子供を乗せるために小舟の乗船口に我々が行きますと、オールバック白髪のオババがちょこんと一人乗った小舟が、クルーズを終えて、乗船・下船地点に戻ってきたのです。「こんなええ年したオババが一人で子供向けの乗り物に乗ってるんやな……」と、その時私はすこし変に思ったのですが、その後、そのオババを観察していますと、もっと変であることが判明したのです。
   まず、そのオババには同行者がいなかったのです。私はてっきり、オババの孫か誰だかとにかく同行者が2人おるため、2艘の舟に2人と1人で分かれて乗船したので、その結果、オババが1人で舟に乗っておったんやな、と理解していたのですが、そうではなかったのだ。
   しかも、オババは、絶えず小舟のアトラクションがある辺りをうろうろしており、行き交う人にすりよって行っては、「舟あるで〜、レシートあったらただで乗れるで〜、子供喜ぶがな〜、乗りや〜乗りや〜」と、斡旋している風であったのです。斡旋しているオババの声が聞こえたわけではありませんが、ぜったいそのような台詞を言っていたのに違いありません。
   なぜそのような斡旋をしているかといいますと、小舟の存在と利用方法を人々に知らしめ、みんなを楽しませてあげようという善意、でははなく、オババには目的があったからなのです。
   1枚のレシートで2艘まで乗せてもらえますが、オババはその2艘目を狙っていたのです。「あんたら2人ラブラブで1艘乗ったらええがな〜、しかしな〜レシートは1回きりしか使われへんさかい、2艘目が無駄やろう?だからわてが乗ったるがな〜がっはっは〜」ちゅう、オババの腹黒い目論見があったわけでんがな。

   そして実際、オババが2人連れの人々に寄っていったあと、ポン引きのように乗船口に誘導し、彼らと一緒に乗船の順番待ちしているオババの姿を、私と友人は見届けてしまったのです。
   
   スーパーのレジ横に立ちはだかって、「姐ちゃん、あんた今もらったそのクーポン、要らんのやったらわてにくれへん?」とか、「姐ちゃん、この商品、買一送一(1個買ったら1個タダ)やねんけど、わて、1個でええねん。あんたも1個買いや。一緒に買ってお金折半しよや」とか言うてくる厚かまオババには何度も遭遇したことがありますが、このような子供向けアトラクションでの、乗り物を狙うのは初めて見ました。
   と書きながら、私も実は、同行していた美人セレブ奥様と一緒に、舟に乗ってしまったのです。別の友人が買い物したレシートで。私も厚かまオババですかのう? 
   とにかく、思いがけなくええネタを拾わせていただきオババに感謝感謝。そして、小舟クルーズ楽しかったね、また乗ろうね奥様。

2月17日(火)

   携帯電話がつぶれてしまいました。
   厳密にいいますと、つぶれてはいなくて、電源はちゃんと入り、電波もちゃんとキャッチできており、ベルも鳴るのですが、応答できないのです。応答するボタンを押しても押しても反応しないので、電話にでることができないのです。
   電話のカバーを外してボタン部分を分解&掃除してもみたのですが、あかんのです。携帯をぎゅーーーっと握りしめながら応答ボタンを押しますと、たまに運良く応答できる場合もあるのですが、「運良く」応答できてもね・・・。
   私は携帯電話をいつもたいだい持ち歩いていないので、我ながら「携帯の意味あらへん」と思っていたのですが、応答できないとなりますと、電話の意味もあらへんではないですか。
 
   話はかわって先週の金曜日から、息子が習っているテコンドーの下学期のレッスンが再開されたのです。
   胴着の帯のことが気になっておったのですが(1月21日の日記を参照してください)、レッスンを終えて戻って来た息子の帯は、やっぱり古いままの帯に黄色い電気工事用のビニールテープが巻かれたままになっておりますので、いったいどうなってるんか息子に問いただしたところ、「次の試験で昇級できたら黄色い帯がもらえるねんて」ちゅう、ますます謎な返事だったのです。
   ほんならビニールテープ貼ったまま、下学期の最後までいくんですかの?試験代の200ドルは何処へ?帯代込み、って書いてあったはずですがの?次の試験でまた200ドル徴収されるんですかいの?
   上学期の終わりに息子がテコンドーのレッスンでもらってきた紙切れには、「黄色いストライプ帯、9級」と書かれてあったのですが、他にテコンドーを習っている子の中に黄色いストライプ帯を着用した子、というのは見かけたことがないのです。ストライプではなく、全面が黄色い帯の子は見かけたことがあるのですが。黄色いストライプの帯というのは実は存在しなくて、全面黄色の帯(おそらく8級?)へ王手がかかった状態、と理解すればいいのでしょうか?それにしても試験代200ドルがっ!んがんん。

2月12日(木)

   上の息子が金縛りにあったようなのです。
   朝おきてくるなり、「夜中にけいれんしてん」と訴えるのですが、それは金縛りに違いありません。
   息子が言うには「夜中に目が覚めたら脳の中で『イ〜〜〜〜〜』と音がして、それから体が動かなくなった、手足を動かそうとしたけど全然動けなかった。そのうちつま先から解除されていった。めちゃくちゃこわかった」そうなのです。
   上の息子は怖がりなので、金縛りに関して「霊がのしかかってるんかもしれん」などという変な情報を植えつけてしまいますと、今後の眠れない夜などに、「お母さん、こわいー」と、しくしく泣き出したりしそうですので、「それは金縛りというものや、みんななるんや、こわいことあらへん、大丈夫や」と返事しておいたのですが、実は私は金縛りにあったことがないのです。息子の状態は金縛りだったのでしょうか?

2月11日(水)

   旧正月休暇もやっと明け、今週から学校の下学期が始まりました。
   息子の通う学校は元々のんびりした学校であり、廃校になると決定してからはその雰囲気にますます拍車がかかり、のんびり、というよりはやる気のない気配が全校に漂っておったのですが、下学期になって、急に(今頃)先生がこれではあかん!と目覚めたのか、はたまた、どこからかクレームがついたんかわかりませんが、急に厳しく方針を換えることになったようなのです。
   で、この月曜日から毎日立て続けに今後の指針表明や予定などの通達プリントをもらって帰ってきたのですが、それによりますと、本来は毎朝8時15分までに登校すれば良かったのが、月、水、金は全生徒が毎朝8時までに登校して15分間読書せなあかん、火曜日の放課後は下の息子が4時15分まで読み書き訓練、上の息子は4時まで英語の本読み訓練、木曜日は下の息子が朝の7時45分から、5月に行われるTSAという香港統一の学力テストのためのテスト勉強、それに加えて、上の息子は全般的な学力アップのための補習授業で土曜日まで登校せなあかん、ということになったらしいのです。
   日替わりで登校時間が変わるのと、上の息子と下の息子で登校時間や下校時間が違いますので非常に把握しづらいのですが、下学期からは遅刻にも罰を与えられることになったようですので、「曜日を勘違いして遅刻しましてん〜」というわけにもいかなくなりそうなのです。
   一年半後には廃校になり、下の息子は別の小学校へ転校しなくてはいけませんので、転校先に適応できるよう「慣らし」の意味合いもあるのでしょうが、それならば、後一年半も、せいぜいのんびりさせてやりたいのが親心だったりします(ちゅうか私がのんびりしたい)。のんびりええ加減なところが、この学校の良さであったのに。
   この劇的な方針変換では、先生の方も大変なのではないでしょうか。うちの学校の先生は4時半ごろにはみんな帰ってしまっているのですが、友達の子供が通う学校では、先生は夜の7時ごろまで学校で仕事をしているらしいので、今までが異常で、普通モードになっただけ、ということかもしれませんが。先生も「あと一年半のんびりしたかったのに!もう〜」とか思ってたら素敵でんな。

2月5日(木)

   昨日の約束どおり、朝8時に下の息子にたたき起こされ、急いでご飯と洗濯を済ませ、9時半前に家を出て、太空館に着いたら10時半だったのですが、閉まってまんがな〜。
   「今日の開館は午後1時」と、閉ざされた入り口に案内が出ていましたが、現在10時半で午後1時まで、2時間半も待つ気がしませんし、1時まで待ったところで2時には帰路に着かないと家庭教師のボビーさんがやって来る時間に合いませんので、ゆっくり参観する時間がないではないですか。
   そこで、近辺にある科学館か美術館に息子を連れて行ってお茶を濁したろ、と思ったのですが、同じ案内板に、科学館も美術館も今日は定休日や〜、と書かれてあったのです。殺生な。
   「しゃあないから帰ろうか」と息子を促しますと、「1時から2時まで見て、帰ったらええやんかええやんか」と懇願しますので、「2時間半も待たなあかんけど、文句言うなよ贅沢言うなよ我がまま言うなよ」と息子に約束させ、1時まで待つことにしたのです。
   太空館がある辺りはショッピングセンターだらけの繁華街なので、こんな地域で2時間半も時間を潰すのはとっても苦痛でしたが、たこやきを食べたり、CD屋に行ったり、マクドナルドに入ったりして、なんとか1時まで時間を潰し、太空館を2時まで参観して帰ってきたのです。
   あそこの参観には1時間でじゅうぶんであった。(めちゃくちゃ狭いので)

2月4日(水)

   バドミントンから戻りますと、「上の息子が今日の午後、同級生の友達と2人きりで太空館(スペースミュージアム)に行きたがっているが、行かせてええか?」と、おっさんが聞いてきたのです。
   息子の学校は今週末まで旧正月の休暇ですので、午前中に行かせている宿題塾が終わると、午後は特に何も予定がないのですが、我が家から太空館へは、自転車5分→バス5分→電車30分、と乗り継いで行かねばならず、そんな遠いところに子供だけで遊びに行かせたこともないので、「そんなんあかんわ!」と即答しましたら、おっさんも、「そうやろう?あかんわなぁ、あかんあかん」論外!と言わんばかりの様子でしたので、それきり話が終わったのです。
  
   お昼になって宿題塾から戻ってきた息子が、開口一番「太空館行っていい?」と聞いてきましたので、やはり「そんなんあかんわ!」と返事しますと、「え〜〜っ?お父さんが『行っていい』って言ったから、友達ともう約束してしまった」と言うではないですか。
   なんでも、クラスで一番仲の良い黄君から今朝電話がかかってきて、水曜日の今日は博物館の入場料がタダやし、一緒に行こうや、と誘われたらしく、そこでおっさんに聞いたら「行ってええ」と言うたので、待ち合わせ時間ももう決めてしまった、と言うのです。話がちがうではないですか。
   私と息子が揉めている気配を察知したおっさんは、バルコニーの隅っこにこっそり隠れていたようなのですが、狭い家なのですぐわかるんじゃ!「あんた、行っていいって言うたんか!?」と問いただしますと、さっきは「あかんわなー」なんて私に同調したくせに、もじもじして口をにごしながらも「俺は行っていいと思ってーん、だって今日は入場料タダやねんて」と、嬉しそうに言うのです。うちのおっさんにとっては、子供の「安全」と「タダ」を天秤にかけたら、タダが勝つのですな。
   しかしそもそも、我が家は香港の全博物館共通の年間パスを購入しているので、パスを提示すれば何曜日でも入場料が要らないのです。それなのに「今日はタダやねんて〜」と嬉しそうに言うので腹が立って、「うちは年間パスあるねんから入場料払わんでええのや!タダの日なんかに行ったら、人多いやんか!だいたいな、年間パス、あんたが買うたんやろ!」と罵倒してやったのです。ほんまに「タダ」という言葉に弱いおっさんであります。

   
   黄君と約束してしまったというし、黄君はしっかりした子供なので黄くんと一緒なら大丈夫かなとも思い、結局、上の息子には6時までに帰って来ることを約束させて、太空館に行かせることにしたのですが、今度は下の息子が黙っておらず、「兄ちゃんだけずるい、僕も一緒に行く行く〜」という事態になってしまいました。
   そうなると私も行かざるを得ないのですが、バドミントンでアマゾネスにしごかれた後なので私は疲労困憊しており、どう考えても今日は行く元気がないので、「じゃあ明日行こうね」と下の息子に言い聞かせて話をまとめようとしたものの、よく考えると明日の午後は家庭教師のボビーさんが来ることになっておるのです。
   「ほんならボビーを断るしかないな」と思ったので、おっさんに「明日のボビーをキャンセルせい」と指示しますと、おっさんは「それはボビーが可哀想。(ボビーとおっさんは交換レッスンしているので)ボビーが俺のレッスンを受けられなくなっちゃうー」とか言うのです。ほんじゃあかんなーと思い、下の息子に、「明日もあかんねん、また今度な」と告げますと、彼は泣き出してしまったのです。私は下の息子にはどうしても甘くなってしまいがちで、特に泣かれると弱いのです。
   そんなこんなで明日の朝一番で、下の息子を太空館に連れて行き、ボビーが来る午後3時までに帰って来なくてはいけなくなったのです。一番可哀想なのは私でんがな。

2月3日(火)

   旧正月も今日で九日目を向かえ、おっさんも仕事に出かけ、普通の生活に戻りつつあります。色々とあったのですが、またもや忘却の彼方に飛んでいってしまったので、思い出せるだけ書いておきます。
   
   大晦日の日はおばばの家で晩餐会だったのですが、義弟の嫁と赤子が中国から1週間だけ香港に戻って来ており、しかも今回は大ばば小ばば(嫁側のお母さま&お姐さま)同伴ではなかったのです。赤子にちょっかいを出したいおばばの野望を阻止する者が誰もおらんかったため、背中に布で赤子をくくりつけ、おんぶしながらご飯を作ったり、得体のしれない液体を飲ませたりと、おばばのやりたい放題な旧正月でありました。
   義弟の嫁は、おばばのちょっかいをやはりちょっと迷惑そうにしており、小さな声で「要りません要りません」と一応阻止を試みるものの、さすがに孤軍ではどうにもならず、おばばに強引に押し切られ、赤子はされるがままになっておりました。
   幸い、といいましょうか、残念なことに、といいましょうか、生後3ヶ月の赤子はものすごく気散じな性格をお持ちのようで、おばばに抱っこされてもいっこうに泣かないので、外野としては、あんまりおもしろくなかったのでした。号泣してくれればいいものを。
   晩餐の食卓を囲む際も、右側の席にうちの上の息子、左側に赤ちゃん(を嫁に抱っこさせて)のおばばフェイバリットをはべらせて、真ん中に陣取ったおばばは目尻下がりっぱなしのなんともご満悦な様子だったのでした。

   正月二日もおばば宅で宴会だったのです。翌日(正月三日)におっさんの生徒がぎょうさん我が家に来ることになっており、おでんを大量に作らなあかんのでデカ鍋をおばばばから借り、おばば菜園から大根も引っこ抜かせてもらって、持って帰るべく梱包しておったところ、目ざとく義姉に見つかってしまったのです。「そんな鍋で何すんの?」と聞かれてしまったので、事情を正直に説明したところ、「じゃあ私も行くわ!」と即、言われてしまったのでした。なんでそうなるのや!あんた生徒とちゃうやろ。
   そして翌日、生徒がみな帰った頃合をまるで見計らったかのように、義姉と明夫妻はほんまにやって来たのでした。しかし鍋には大量のこんにゃくとその他の具の端切れしか残っていなかったのです。(おでんの汁も鍋底にしか残っていなかったのだ。飲んだんか???)
   どうでもいいことですが、私的にはおでんといえばこんにゃくなので、去年末のうちにジャスコでこんにゃくを大量に買占めておいた私(品切れさせてしまってすみません)なのですが、そのこんにゃくだけがなぜか大量に残ってしまうとは、香港人はこんにゃくは苦手なのですかな。

   正月四日はおっさんの先輩であるおっさんの絵描きスタジオにお呼ばれしたのです。そのスタジオに、うちのおっさんよりも10歳以上は年上の、年季の入ったおっさん画家数名が集まり、お茶を飲んで、政治家の悪口、嫁の悪口、ここにいない同業者のうわさ話などをしゃべってばかりですので、「あんた退屈やろうから、別の部屋で音楽でも聴いていなさい」ということになり、おっさん先輩が寝泊りに使っているらしき私室の小部屋で、私だけ一人、ゆっくりさせてもらったのです。
   小部屋といいましても、工業ビルの3室をぶち抜いて一個のスタジオにした、そのうちの1部屋ですので、畳12畳はあるほどの広さだったのですが、その私室は、ボロ事務用椅子、古ぼけたバーのカウンター用椅子、横っちょについた車のハンドルみたいなやつで揉み棒(?)を上下させる超旧式あんま椅子、汚い応接テーブル、穴の開いた籐のソファ、ボロ木馬、そしてなぜかヨガボール、など、どこからか拾ってきたに違いないボロボロの物品で埋め尽くされておったのでした。
   応接間でもあるメインのスタジオの方は、多数の渋いアンティーク家具や茶道に使う家具や茶器、立派な音響機器などが置かれてあり、壁にはおっさん先輩の作品がいくつか掛けられてありますので、格調高い雰囲気が醸し出されているのですが、私室がこの有様とは……。
   拾ってきても見栄体裁のためメインスタジオには絶対置けないので、私室の方でコレクションしておるとみた。廃品回収癖は、芸術家の性なのでしょうかの。悲しいですのう。

1月21日(水)

   一週間ほど更新ができなかったのには理由があるのです。
   先月に引き続き、またもやコンピュータウィルスに感染してしまったのです。
   今回の感染の引き金もエッチなサイトを閲覧していたわけではなくって、テコンドーのサイトが原因なのです。そのサイトを開けた瞬間に、ぴひゃっ!という音とともに、「ウィルス検出しました!」というアラートが出たのです。そのアラート(というかウィルスアタック?)はとてもしつこく、消しても消しても同じものが新たに出続け、20回以上は出続け、私はPCの前で狼狽してしまったのですが、それでもその時はなんとか消しとめることができたのです。
   しかし、翌日になってPCを立ち上げようとしましたら、もうちょっとで完全に立ち上がるど!という段階で、勝手にリスタートを繰り返すという、まったく使えない物体に成り果てておったのでした。
   そもそも、なんでテコンドーのサイトを見ようとしていたかといいますと、下の息子が先週の金曜日に、テコンドーの昇級試験を受けて帰ってきたのですが、帯の2箇所に、電気工事に使うような黄色いビニールテープが巻かれておったのを、いぶかしく思ったからなのです。息子は一緒に紙切れももらってきており、それには「黄色いストライプ帯、9級合格」と書かれてありました。
   受験に際しては200ドルを徴収されましたが、それには「帯代込み」と書かれてあったのです。けれども息子の帯は古いままで、そこにビニールテープが巻かれているだけですし、テコンドーのレッスンは、その日で前半期最終であり、後半期は開講されるかどうかもまだわからん状態であったため、「後日、新しい帯を授与」という段取りになっておるんかも不明であり、「もしやこれが黄色いストライプ帯?これで200ドル?」と不安になった私は、「何かわかるかもしれん。」と思い、すぐさま、テコンドー団体のウェブサイトにアクセスしたのです。そしたらこのような仕打ちに遭ってしまったのです。
   そして帯のなぞはわからんままなのでした。

1月13日(火)

   上の息子が昨日から、2泊3日の修学旅行に出かけておるのです。
   修学旅行といいましても、香港は狭いので、日本のような古跡名勝に出かける修学旅行とは違い、息子の学校の場合は、学校からバスで30分程度のキリスト教系の保養所みたいなところで、3日間の集団生活を行うだけなのですが。
   折りしも香港はこの冬一番の冷え込み中なのですが、そんな時期に、「最低気温が5℃」とニュースで報道されておった打鼓嶺という地域の近くにある保養所に宿泊せなあかんとは、間が悪いというか運が悪いというか、殺校になる学校はちゃうなぁと思わずにおれまへん。
   それにしても静かなのです。いかに常日頃、兄弟喧嘩が絶えないか、ということを、しみじみと感じ入っております。
   
   それともうひとつ、上の息子が入学を希望する中学校への、入学願書を作成し、今週中に提出しておきたいところなのですが、まだ全然手付かずになっております。といいますのも、願書と一緒に、親からの推薦状(?志願書?)のようなものを添付した方が良いらしく、しかも、願書にも、本人の長所と短所をそれぞれ3個以内で書き出せ、という項目がありまして、どう書いたらええもんか考えるだけで一日が終わってしまうのであります。今夜中にはどうにか構想だけでも練らなくては間に合わなーい。

1月7日(水)

   ご挨拶が遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。
   なんやら忙しいのとおっさんが頻繁に家にいるのとで、日記の更新も滞りがちだった去年中ですが、このホームページを根気よく訪問して下さった方、掲示板へ書き込みして下さった方、どうもありがとうございました。毎年書いてますが、今年こそはもうちょっとマメに更新して、『日記』っぽいものにできれば・・・と思います。
   それから、年賀状も送らんような不義理で筆不精の私のことを見捨てず、変わらぬ態度で接してくれる日本の友達、気の利いた話もできん寡黙なおっさんの私とでも、バドミントンしたり、一緒にご飯を食べたりと、お付き合いしてくれる香港の友達、みなさまには大変お世話になっております。みんなのお陰でやっていけています。ありがとうありがとう。
   本年もどうぞよろしくお願いいたします。

  88888888888888888888888888888888888888   
   大晦日の夜に、我が家での鍋大会を勝手に計画していた義姉ですが(誰の家やねーんっ!)、うちの息子が2人とも病み上がりであったため、この計画は、おっさんが内々に握りつぶしたそうなのです。それでエエんや!
   私の耳に入ったら喧嘩ですさかいの。これからもそうしてくれたまえ。
   
   翌日の元旦は、またもや義姉が、義弟の家でBBQを計画(なんと他人の家ばかりを当てにするオバ半であろうか?)、我が家は「子供の病み上がりにBBQなんて食べさせるとおばばに怒られるし〜」を口実に参加拒否を試みたのですが、誘いがあんまりしつこいので、しゃあないので参加したのです。
   我々が約束の時間より1時間ほど遅れて参加した時、義姉夫婦はもうすでに義弟の家前に来ておりましたが、BBQはまだ始まっていなかったのです。といいますか、自力では炭火を起こせないので、我々が来るのをひたすら待っていた、そんな様子の義姉と明だったのです。BBQ食べたいけど炭火が起こせないから我々を誘った、ちゅうことですな?
   しかも、てっきりBBQに参加するものと思っていた義弟が、台所とトイレは我々のために開放してくれたものの、部屋から全く出てこず、夕食時になってぷいっとおばばの家に夕食を食べに出て行ってしまったのです。「誰の家やねーんっ!」なんて、内心怒っていたのかもしれませんな。
   BBQ半ばには、焼いた肉の食べすぎによる熱気をさますための、自家製涼茶の入ったヤカンを手に提げたゴリラ、じゃなかった、おばばが案の定登場し、涼茶をマグカップにぐびぐび注いでうちの息子に強制的に飲ませ、満足そうに帰って行ったのでした。 
   元旦からこの様子ですと、今年もまた、義姉とおばばに悩まされる一年になるのでしょうかの???
   

8月30日(土)

   更新がおそくなってしまいました。
   今日土曜日は、本来ならば、子供をつれて英語塾に行くはずの日なのですが、英語の先生からレッスン確約の知らせが無いままなので、どうしたものかと家で待機しておりましたところ、電話が鳴りましたので、先生からや!と確信に満ちて応対しましたが、義姉でしたわ。襲撃の。うちのソファで寝て帰った明さん。おばば化してるがな。
   

   カラカラに乾燥したぴょんちゃんの亡骸が、ソファの下から出てきました。
   香港に戻ってきてすぐに掃除した時には、ぴょんちゃんの姿はなかったので、まだしばらく生きていたのかもしれません。食べ物も水もなにもないタイルの床を、小さなぴょんちゃんがあてもなく徘徊してたんかと思うと、かわいそうでかわいそうで、もっと早く見つけてあげてたら生きてたかもしれんな、と思うと、その後数日間はたまらん気持ちになっていたのですが、今では癒えてしまいました。ほんま人間って勝手やなぁと思う次第。
   
   ところで、香港に戻ってほどなく、息子の喘息がぶりかえしてしまったのです。さほどひどくはないのですが、息切れが続くようになってしまいました。やっぱり家の中の何かがあかんのやろうと思います。もうこうなったら、一番疑わしいハムスター(3月にハムスターが来てから、喘息の発作が顕著に見られるようになった気がするのです)を諦めなあかんかなぁと思っております。
   そこで、みなさんにお願いがあるのです。香港にお住まいの方で、ハムスター(ドワーフハムスター、オス、色は白系)を飼って下さる方、どなたかおられないでしょうか?
   もし、おられましたら、メールにてご連絡くださいますでしょうか。お問い合わせだけでも歓迎ですのでご遠慮なく。どうぞよろしくお願いします。

8月19日(火)

   帰ってきました。
   香港ではここのところ快晴の天気が続いているからでしょうか、私の不在中もカビの発生は免れておったようで、足を一歩踏み入れるとそこは臭〜い我が家、という状況を免れることができたのは幸いですが、可愛がっていたクワガタムシのぴょんちゃんがカゴからいなくなっておったのです。
   ぴょんちゃんやハムスターの世話のことは留守中の一番の懸念事項でしたので、おっさんにはエサやり・霧吹きを欠かさず、カゴの戸締りもちゃんとしておくよう、重々言い聞かせておったのですが、このありさま。もしかして土中にもぐってるんちゃうか?と調べてもみましたが、おらんのです。ぴょんちゃんの死亡説は頑なに否定するおっさんですので、私の手製のカゴから逃亡してしまったのでしょうか。
   しかも、粗相を私に怒られると思ったおっさん、ぴょんちゃんの代わりとして別のクワガタムシ(オスとメス一匹づつ)を、私が香港に戻る2日前に慌てて購入し、ぴょんちゃんのカゴに放っておいたようですが、それも死んでるがな。

   おっさんが怒りまじりに電話した購入先のペットショップによりますと、「交尾して卵を産んだから死んだんや」とのことだそうです。メスはわからんでもないが、クワガタムシってオスも交尾すると死んでしまうものなのでしょうかの?
   買ってほんの2日ばかりで2匹とも死んでしまうなんて割に合わん!とおっさんは嘆いておりましたが、姑息なことをするからそういう目に遭うのじゃ。
 

 さようなら、ぴょんちゃん。どこかで元気で。

5月9日(金)

   今日は、息子たちの学校の個人面談の日だったのです。
   一番気になるのは、息子の学校が、(生徒が集まらなかったので)来年度いっぱいで廃校になってしまうことでした。
   廃校後、どの小学校に行けるのか?自分で学校を探さなあかんのか?といった疑問があったのですが、今日、下の息子の担任の先生から、同じ住宅地域にあるキリスト教系の小学校に、生徒全員吸収されることで話がまとまったという、非常に嬉しい話があったのです。
   吸収してくれるという学校は、毎年150人という定員いっぱいの生徒数が集まる人気校でして、吸収合併という話があったとしても、まさかそのような定員いっぱいの人気校に吸収してもらえるとは夢にも思っていなかったので、驚きでした。
  しかも、人気校といっても、区域でトップクラスの勉強が大変な学校というわけでもないようなので、その点でもほっとさせられたのです。
   その学校のウェブサイトに載っている『日々の宿題の記録』を見てみましても、1学年AからEの5クラスがあるところ、クラスAとクラスBはとても大変そうな内容の宿題だったのですが、クラスDとクラスEになりますと、「今の学校の内容とあんまり変わらんなぁ」という様子であり、「Eクラスだったら、うちの息子でもいけるかも・・・」と、ほのかな期待を抱かせてくれるような宿題の内容だったのです。
   入学したら私の思っていたのと事情が違うかもしれないので、このような時期にこのようなことで勝手に希望を抱いていてもあかんのかもしれませんが、息子は成績がとても悪いので、受け入れてくれる学校があらへんかったらどうしよう?とか、ものすごく厳しい学校に振り分けられたらどうしよう?、振り分けられたもののそこは不人気校で、またもや廃校になってしまったらどうしよう?などと、心配が尽きなかったので、ちょっと一安心してしまったのです。
   しかしながら今の学校よりはレベルが高いことは間違いないので、編入する時期までに、なんとか中国語の教科書くらいは読めるように(今、読めない)しとかなあかんので、家庭教師のボビーさんに手伝ってもらわないといかんなぁ。(なんでうちのおっさんに手伝ってもらわないのかというと、おっさんは読めないからなのです。私も読めないですが。。。)