BACK 2003年6月の日記
過去の日記をまとめました
   
6月25日(水) 息子の幼稚園が断水で臨時休園になりまして、「このように民衆が休みでない日こそ
どこかに出かけるべきや」とだんなが申しますので、「オーシャンパークに行こ!
きっと平日やから空いてるで、乗り物乗り放題やで」と提案してみたのですが、案の定、
入場料などにかかる出費が痛いらしく渋る様子ですので、結局、海水浴に行くことに
なりました。
どこに海水浴に行くかということでも揉めまして、私は水のキレイな西貢を一押ししたの
ですが、だんなは「西貢は遠い、チュン湾の方にしよう」といいます。
「チュン湾は水が汚いのでは・・・」と心で思いながらも、折角行く気になっているのに
ここで無下に反対し、だんなの機嫌を損ね「もう止めじゃ」ということになっては
元も子もありませんので、私の方が譲渡したのです。
そして水着やらをいろいろ用意していたのですが、海水浴場で着替えるのも面倒臭い、
ということが頭を過ぎり、あまりよく考えずにそのまま家で水着を装着し、上にジーパンと
Tシャツを来ていくことにしたのです。

それからバスでチュン湾まで出まして、海水浴場に行く前に、何か食べて行こうと
いうことになりまして、繁華街にあります手打ち麺屋に入りました。
ここの坦々面はなかなか美味しいのです。
美味しい上に久しぶりですので、麺を食べ終わり名残惜しく汁もすすっていますと、
レンゲの中に8mmくらいの黒い物体が登場しました。
よく見ますとやはりゴキの子供でしたが、皆で取り分けしてもうすっかり食べてしまった
上に、だんなも子供も満足げな顔をしているのです、ここで私がぎゃあぎゃあ騒いでは、
これから起こるであろう楽しい海水浴のひとときがぶち壊しになってしまう・・・それが
怖くて、レンゲにすくったゴキを何もなかったかのようにどんぶり鉢に戻し、
グルグルかき混ぜ埋没させ、見なかったことにしたのでした。
その後店のトイレを借りておこうと思い、ます息子2人に用を足させ、次に私もしておこうと
パンツを下ろす段階で、水着を着ていることを思い出したのです。
ここはなかなか小汚い上に狭いトイレですので、ここで服を脱いで水着を下ろすという
行為は恐ろしく面倒でして、水着を下ろさず股の部分を横にめくって用を足す、という思案も
したのですが、Gパンを半下ろしにしながら水着の股を開放するのも難しそうでして、
仮に用を足す方向に失敗しましたら取り返しのつかない事態が発生しそうな気配ですので、
「海中でしよ」と思い直し、ここは我慢することにました。

さて、ちゅん湾の繁華街からバスで海岸線沿いに走りまして、龍井の海水浴場に
着いたのですが、私が危惧した通り水がちょっと濁っているのです。
こんな水では海水浴はおろか、用を足す気にもなりません。
だんなに「やっぱり水、汚いやんか!」と文句をいいますと、「船で対岸に渡ろう、
あそこはキレイやから」と向かいの島を指差すのです。
ちょうど近くに島に渡る船着場がありまして、もうすぐ船出でしたので、料金確認した後、
飛び乗ってしまったのですが、「ああ、やっぱり麺屋でトイレしといたら良かったなぁ」と
後悔したことはいうまでもありません。船の心地よい振動が心地良くなくなり、
膀胱が緊迫した感じになって来ました。
しかしなんとか10分ほどでひなびた小島に着いたのですが、ここも水が汚いやんか!
考えてみましたら、対岸といえども同じ湾内ですので、水の透明度に差があるはずも
ないのでした。
「こんな水に浸かるの嫌やなぁ」と思いながらも、今や海水浴以上に大事な課題を
抱えておりますので、決死の覚悟で入水し、おしっこさせていただきました。すみません。
6月17日(火) 本日は、先週お流れになった私のビザの件で、湾仔のイミグレーションオフィスに
行って来ました。
私は香港に来て7年を経過しましたので、香港永久居民身分というのが取得できるらしい
のです。しかしあんまり申請の実体がよくわかりませんので、おばばに子守を頼み
だんなに一緒に来てもらいました。

案内所で聞いてみますと、所定の申請書に記入して必要書類のコピーを添付し提出しろ、
といいますので、私のパスポートの出入国のスタンプやらのコピーをしなくていけません。
そのオフィスにはコピー機とコピーを撮ってくれるおばちゃんがおりますので、そこで
頼めばいいものを、うちのだんなは「あかん!こんなところでコピーすると30ドルは
取られる。それでは政府の思うツボや」と言い出し、「俺はアートセンターに顔が効くから
そこでタダでコピーして来るわ」と固持するのです。
「アートセンターって遠いやんか」「遠ない!」「行って帰って来る時間がもったいないやんか」
「すぐ帰って来るって」などと押し問答の末、「お前はここで待ってたらええから」というのに
押し切られ、だんなは行ってしまい、それからやはり長い時間戻って来ませんでした。
申請が早く終わったら、久しぶりにそごう百貨店でも行ったろか、と思っていましたのに、
えらい時間のロスです。

そうして申請書に記入し終わり、必要書類を整理していますと、なんと香港IDカードの
コピーを撮るのを忘れていたのです。香港では日本人パスポートよりも、このカードの方が
重要ですので、これのコピーがないと申請にケチがつくに決まっています。
それをだんなに言いますと、しばし迷いながらも、ここでコピーして法外なチャージを
取られるよりは書類不備で再申請というド阿呆な道を選んだようで、「コピー1枚くらい
無くても大丈夫やで」といい加減なことを言いますので、先ほどのアートセンターの件で
私もいい加減腹が立っており、この期に及んで奴のこのナンセンスぶりに「こっちは
永久居民なんか取れへんでもええねんど!後で困るのはお前やねんど!」と内心
飽きれるやらムカムカするやら、ヤケクソでそのまま書類を提出してしまったのです。
提出の窓口には事務のおばちゃんがいるだけで、書類のチェックをしてくれるでもなく、
あっさり受理されてしまい、これなら別にわざわざ湾仔まで来ることなかったんちゃうんか!
家で書類を揃えて郵送したら良かったんちゃうんか!、心の叫びは尽きないのであります。
6月13日(金) 先ほどから何度か北京語で、男から電話があったのです。
私は広東語もほとんどできないのに、北京語なんぞシーシー聞こえるだけでさっぱり訳が
わかりませんので、英語で「あんた、間違い電話と思うで」と答えるのですが、
それでも奴はシーシー言うて来ますので、エエ加減なところでガチャリと電話を切って
やったのです。
これを2度繰り返した後、それでも奴はしつこくかけ直して食い下がりますので、
シーシーを少し落ちついて聞いてみますと、奴もゆっくり「楊○○さんですよね?」と
いっているような感じです。
ひょっとしたら○○というのはだんなの名前の北京語読み?と今更ながら気付きまして
「あー、はいはい」と返事しますと「ファックス、ファックス」と言っているようなのです。
合点がいきましたので「あぁーファックス?」と聞き返しますと、相変わらず北京語ですが
「そうよぉ〜、ファックス送りたいのよぉ〜」というニュアンスが汲み取れましたので、
こちらも「あぁはぁ。OK〜、ファックスね〜」と、一体何語しゃべってんねんということは
さておき、ファックスファックス〜といいながらそのままファックスに切り変えますと、
すぐに北京からと思しきファックスが流れて来ました。
困難を極めば極めるほど、意志疎通の感動は大きいのでございますね。北京の彼も
きっと涙を流していることでしょう。
6月12日(木) 本日も上の息子は朝からややピーピー気味で、やはり幼稚園は休ませることにしました。
だんなが幼稚園に電話を入れますと「医者には行ったか?」などと聞かれたらしく、
それはどうやら息子の心配をしているといいますよりも、息子の病気がSARSではない
証明を医者でもらって来い、集団生活のエチケットだかんな!ということを意味しているよう
でしたので、医者に行って参りました。
下痢とそれに伴う腹痛以外にこれといって症状がありませんので、医者も「変なものを
食べたのではないですか?」ということで、ヤクルトが適当なところで再び悪者にされ
一件落着でした。
6月11日(水) 夜中に上の息子がむっくり起きまして「お母さん、うんちゃん出る」といいますので、
トイレまで付き添っていきましたら、すごい下り腹のピーピーなのです。
お腹はさほど痛そうでもなく、事を済ませると再び眠りに戻っていったのですが、1時間後
また、「お母さん、うんちゃん・・・」でトイレに行き、そのまた1時間後に再度「うんちゃん」の
洗礼を受けにトイレに行き、やがて朝になってしまいました。
こんなうんちゃんでは幼稚園にも行けそうにありませんし、息子も「幼稚園でうんちゃん
できへん。恥ずかしい。」と忍びないことをいいますので、休ませることにしました。
なんでこんなうんちゃんになってしまったのでしょうか?昨夜のラム肉?グラタン?
と色々考えてみたのですが、昨日おばばが持って来たヤクルトが原因ではないか?と
いう気がしてきました。
うちは普段、ヤクルトは一切買わない家なので、おばばが手土産に持って来るたびに、
息子たちは小躍りし喜んで飲みますので、おばばも嬉しいのでしょう。
私の知らない間に2本3本飲ませているようなのです。
息子に「昨日ヤクルト何本飲んだん?」と問いただしてみますと、しばし「怒られる・・・」という
ような暗い目をした後に、意を決したように「2本飲んでね〜、○ちゃん(弟)の飲まなかった
のを飲んだ」と答えましたので、3本くらい一気に飲んだようです。
ヤクルト3本でピーピーになるかどうかはわかりませんが、おばばへの当てつけということで
ヤクルトのせいにしておきましょう。濡れ衣だったらすまん、ヤクルト。
6月10日(火) 本日は私のビザのことで湾仔のイミグレーションに行く予定をしてましたので、
昼から子守のためおばばに来てもらう予定にしておったのです。
しかし、下の息子が昨晩から熱を出しまして今日もちょっと元気がないので、朝、
子守はキャンセルという主旨の電話を、だんなからおばばに入れてもらったのです。
しかしさすがおばばですな、心はすでに我が家に飛んでいたらしく、昼から「水道代を
払わなあかんかったのや〜」というのにかこつけて、予定通りやって来てしまったのです。
子供が病気の時におばばに来られますと、過剰に心配した上「すぐ医者に行け」だの
「なんで解熱剤を飲まさへんねん」「なんで粥を食わさへんねん、あぽぽ(おばば)が
作ったろか?」など、やいやいやいやい言うて来るのでいつも辟易しているのですが、
下の息子の状態も普通に起きあがって遊んでいますし、それほど悪く見えませんので、
今回は一切無視していますと、おばばもそのうち黙ってしまいました。
そしてうちでワンタンメンを食べて、帰っていきました。

夕食はだんなが不在と思っておりましたので、子供の好物のラムチョップを焼いて
食べようと思い用意してあったのですが、だんなから電話がありまして「今元朗におる。
今から帰るから」といいますので、う〜む、こうなるとラムチョップは明日に順延やなと
思ったのです。
なぜかといいますと、ラムチョップはうちの家計からしますとなかなかに高価なので
家族4人にあたるほど買えないのです。今日も息子の分を2本だけ買っておりまして、
そこにだんなが帰って来ますと、1本は譲り合いの精神がないだんなの胃袋に必然的に
行ってしまい、もう1本を2人の息子で奪い合いになり、骨までしゃぶる醜い争いになること
必至なのです。
というわけで、ラムチョップはいつもだんなが不在の時に隠れて食べていたのです。
しかしふと、だんなの居ます元朗からうちまでは最短でもバスで45分、ラムを焼くのに
10分かかりましても残り35分で十分食べられるやん!ということに気付きまして
決行と相成り、だんなの帰って来るまでに、なんとか無事に食べ終え皿洗いも終わる
ことができたのです。
しかし夜、寝る時間になりまして下の息子がやたらと咳き込み出し、
挙句に吐いてしまったのです。
いつもの如く、私は咄嗟に息子のゲロを両手を杓にして受けとめてしまいまして、
見動きが取れませんので、慌ててだんなに「ゴミ箱持って来て〜!」と叫びました。
ゴミ箱を持って来てくれただんな、ゲロを見て「なんやこれ?何食べたん?」と問いただす
のです。私の両手には、きっと鵜呑みされていたのでしょう、ラム肉1cm角がほとんど
消化されずにゴロゴロしていたのです。おまけにラム肉はひとたびお腹に入っても、
いかにも「ラム肉〜」という、すごい存在感がある臭いを発しているものなのですね。
「しまった!バレてしまう〜」と焦りながらも場を取り繕うべく、「わ〜、すごいソーセージの
数やなぁ」と私が白々しくいいますと、だんなはすっかり信じておるようです。
味覚音痴のだんなを持った利点とは、こういうところにあるのですね。
6月8日(日) 上の息子がどの小学校に入学できるかがわかる、くじ引きの発表があったのです。
今年の3月に、校区内の小学校、といっても15校くらいあるのですが、入学したい学校の
第1志望から書き込んだ願書を政府の教育署に提出しまして、それをコンピュータが
無作為に割り当てるのです、それの結果発表だったのです。
子連れで行くのも面倒なので、だんなに近くの小学校まで結果を見に行ってもらったので
すが、すぐ電話がかかって来まして「基正小学やったわ」というのです。
そしてそれは、とっさに「へ?そんな学校、志望したっけ???」と思ってしまうくらい、
全然思いもよらない結果でございました。
うちは第7志望まで書き込んであったのですが、願書の控えを見てみますと、それは
なんと第6志望の学校だったのです。

思えば願書を出しに行った当日、我々夫婦には第1志望の小学校がとりあえずあったの
ですが、願書に記入している最中に、だんなの知り合いのおばはんがやってきて、
我々の第1志望を聞くなり「あかんあかん、そこはあかん!」といいよったのです。
そして我々はそれで怯んでしまい、書き込んでいた願書の、第1志望からごっそり
書き換え、訂正印でぐちゃぐちゃの願書を提出してもうたのでした。
まさに我々はその瞬間から負け戦だったのです。

しかし、いくらクジ運及び金運のよろしくない我々夫婦も、内心は「いくらなんでも第3志望
には引っかかるであろう」とタカをくくっておったのですが、ほとんどもう「どうでもいいわぁ」
と思いながら書き込んだ第4第5志望にすら拾ってもらえず、第6志望とは!
皆が渇望する人気校に決まるよりこういう結果の方が我々らしいのじゃ、
残りものには福があるのじゃ、と負け惜しみで締め括りたいと思います。とほほ。
6月4日(水) 本日は端午の節句でありまして、香港は祭日なのです。
そしてまたもやおばばの家で晩餐会がありまして、だんなの2番目の姉さん夫婦だけは
帰って来なかったものの、いつもは妻の家の行事優先なので欠席することが多い長兄夫婦
が帰って来まして、うちの家族を入れますと総勢11人集合の飯バトルでございました。

いつもはほとんどの惣菜が糖尿病持ちのおばばの手によるもので、作ってもらっておきな
がら何ですが、毎回油だけはギトギトなものの恐ろしく薄味な同じメニューの応酬です
ので、ちょっとなんだか物足りないなーと思っておったのですが、そう思っているのは私だけ
ではなかったようなのです。
今回はおばばに混じって長兄の嫁も2品ほど作っておりまして、この作品が「おばばに
喧嘩売ってるんかい!」以外の何ものでもないというのでしょうか、すさまじくコテコテで
甘ったるいお味付けだったのであります。
そのうちの1品は、蒸し鶏に日本の焼き鳥のタレのようなものをからめただけでして、
これはまぁまぁよろしかったのですが、もう一つはボラか何かの魚のすり身だんごを
焼きまして、そこにマンゴーの甘酸っぱい濃厚なソースをかけているものだったのです。
香港の昼下がりの主婦番組を見ていたら紹介していそうなメニューではありますが、
多分長兄の嫁以外のそこにいた皆「マンゴーだけデザートで食べたらええやんか・・・」と
思っていたのでは?と推測いたします。
ほんならお前(私)が作れ〜でございますね、すみません!
6月1日(日) 帰って来て2日目ですが、昨日から掃除洗濯三昧なのです。
通常、日本に里帰りする前は、だんなに使われたくない鍋や皿などは隠してしまったり、
布団のカバーなども、いつも使っていますお気に入りのものから、ボロボロのどうでもいい
カバーに変えて準備万端で家を出てくるのですが、今回は急に里帰りしましたので、
部屋の中は出るもの出っぱなしの、かなり悲惨な状態でございました。
幸い、湿度70%くらいの香港にしてはカラッと良い天気ですので、朝からソファカバーやら
カーテンやらを洗濯しまくり、物干しが塞がると出窓に引っ掛けて干したりしておるのです。

部屋の壁が黒くカビていたり、台所がヌルヌルしていたり、床がザラザラでワタボコリが
溜まっているのは想像できる事態だったのですが、なんとなく人妻の立場からいたしますと
不審不可解な気持ちになってしまいます事柄としまして、陰毛というのでしょうか、
あそこの毛と呼べばいいでしょうか、あまりこういう表現はしたくないのではありますが、
いわゆるチン毛が、うちのいたるところで無数に検出されたのであります。
トイレに落ちているのはわかります、布団を剥ぐとひょろひょろ出てくるのもわからないでも
ありませんが、これが台所にも結構な数で落ちていたのです。
これは一体どういう可能性を物語っているのでしょうか?台所で個人、もしくは複数での
何かハプニングがあったとでもいうのでしょうか?
まずはこれらの毛が同一人物のものであるかどうかの、DNA鑑定を急がなくてはならない、
そう思う次第です。
5月31日(土) ちょうど台風が関西方面に来てましたのと、SARSの特別措置ということで乗っけて
もらえるらしいとはいうものの、持っていた航空券が有効期限切れでしたので、チェックイン
するまでは「ほんとに飛ぶんかな?」と不安だったのですが、搭乗手続きはつつがなく
終了しました。
前の夜「台風で飛ばへんかもしれへん」とだんなには伝えてましたので、定刻通り飛ぶ
ことをしらせるべく、出発前に空港から電話をいれたのです。
そして搭乗まで時間もありましたので、根っからの善人であります私の仏心が、
一日千秋で孫の帰りを待っているでありましょうおばばにも、「今から帰るから」と上の
息子に電話させてしまうという間違いを、起こしてしまったのです。ほんとに軽い気持ち
だったのですが、それがあだになるとはその時は思ってもおりませんでした。
とにかく私と息子2人は、午後2時ごろ2ヶ月ぶりに香港に戻って来ました。

香港の空港には予定時間よりもかなり早く着いてしまい、友達の運転するタクシーに
乗って空港まで迎えに来てくれるはずのだんなもまだ到着していませんでしたので、
とりあえずだんなの携帯電話にダイヤルしてみたのです。
「もう到着ロビーに出て来たんやけど、どこでタクシーを待ってたらええのん?」とだんなに
聞きますと、隣で運転していると思しき友達になにか聞いている様子が伺えました。
そしてあろうことか電話口のだんなの声の奥で、なにやら聞き覚えのあるドラ声の
「ぅわんぅわんぅわぁでぃぎゃぎゃま〜」などという、不快なノイズが存在するような気が
してしまったのです。
しかしこの時は「まさか・・」という思いの方が圧倒的に強かったので、すぐさま
「これは空耳や、きっと空耳や、そういう気がするだけや」と私の心が打ち消してしまい、
敢えてだんなには問いただせなかったのです。
電話を切った後も、心は半ば祈るような気持ちではありましたがあくまでポジティブに、
「いくらなんでも空港まではなぁ」と思おう思おうと必死に努力したのです。
顔を見もせぬうちから不愉快な思いを抱くのは損や、とも思えて来ました。

そうしてうろうろする子供らをどやしながら、だんな指定の場所にたたずんでおりますと、
しばらくして「これかな?」という緑色のタクシーがすーっとやって来るのが見えたのです。
助手席にはだんな、運転席には友達のごっつい姿が見え、それに嗚呼!だんなと友達の
背後に黒くぼやけた物体が、なんとなくいるような、いないような、いるような、いるような、
いるやん!
やはり後部座席には、孫への募る思いを押さえきれなかったのでしょう、おばばの姿が
ございました。空港から電話してしまったがため、おばばを刺激してしまったに違いあり
ません。
いつもなら空港バスで帰って来るものの、今回だけはタクシーにしてしまったというのも、
災いしてしまったようです。

ほどなくタクシーが止まり、目付きの悪さは相変わらずですが、視線をやや下方に傾かせ、
孫以外は何も見えていなさそうなおばばがいそいそと出て来まして、ドラ声を弾ませて
「ろっぴーん!」と上の息子の名前を呼びました。
そしてしばらく上の息子といちゃいちゃしちゃ後、やや上目遣いに私を見まして、
「お、おおぅ」となんだか恥ずかしそうにいったのです。
帰りの道中は、気を利かせておばばが助手席に乗ってくれればいいものを、孫と触れ
合いたいがためかなんの躊躇もなく、私と息子2人の乗る後部座席に乗って来まして、
ドラ声を炸裂させっぱなしだったのです。
頼みの下の息子も、成長したのか人見知りするどころかおばばを見ても平気な様子で、
泣き言一つ上げませんでしたので、久しぶりにやりきれないひとときを過ごさせて
いただきました。
さて、おばばは手土産に、6月4日の端午の節句のためのおばば手作り中華チマキ
4個と、あれはささげと呼ぶのでしょうか、長さ60cmほどもあります自家製の豆1束を、
わざわざ空港まで持って来てくださいました、ありがたいことです。
タクシーが到着しましたら、これまたなんの躊躇もなく、当たり前のように我が家まで
着いて来まして、荒れ放題の部屋にもかかわらず1時間も居座って下さったことも、
ありがたいことです。

自分がこうだと思うことがあれば、回りの迷惑など微塵も省みず、己の信念だけを
貫き通すことの潔さ、これは私も学ばせていただかなくては、と思った次第です。合掌
4月1日(火) うちのだんなは一応仕事が教職ですので、肺炎騒ぎで学校が臨時休みに入ってから
仕事に行くことがないのです。
それで昼間は家族揃って自転車に乗り、新鮮な空気を求め人里離れた公園に
食べ物持参で出かけていたのです。
そうして本日も自転車に乗って、海沿いの自転車道を走っていたのですが、皆学校が
休みで暇な上に、この肺炎騒ぎなので体を鍛えて抵抗力をつけようと思っているのか、
自転車に乗って家族や友達同士集団で走っている輩が非常に多いのです。
そして香港人は自転車に乗るのが上手でありませんので、道のあちこちで玉砕している
わけです、こういうのは不思議なことに連鎖反応というのでしょうか、一人が転倒しますと
必ずそのそばで他のクラッシュも発生するのでしたが、こやつらはブレーキのかけ方の
知らないらしく、自転車で前輪がブロックされて前のめりに転倒するのは、
見ていてなんとも恐ろしい光景です。

私は自転車の操作にはかなり自信がありましたので、少々おごっておりまして、本日も
玉砕する人々を尻目に景気良く走らせていたのですが、転倒していた自転車を右に
ヒョイと避けた瞬間、自ら連鎖反応を起してしまったのです。
ガガガガガガ・・・というすごい音と共に、前に乗せていた次男の恐ろしい泣き声がし、
何が何だかわからないままに自転車ごと、次男が座ったごと、派手に右側に転倒して
しまったのです。
気がつくと右の体を下にして私が横たわっており、そのごっつい体の上に次男と自転車が
重なっておったのです。次男は座席に座ったまま、横になっておりました。
とにかく息子を抱き寄せるのが精一杯で、しばらく呆然としてしまったのですが、
息子の右足の靴が飛んでおり、履いていた靴下もボロボロになっていたのを見たとき、
ようやく、息子の右足を車輪に巻きこんでしまい、ガガガガガというすごい音を発していた
ことを悟りました。そして「えらいことになってしまった・・・」と思いました。

そこへ何人か香港人の若者が駆け寄って来てくれまして、「大丈夫か〜?」と広東語で
聞いてきたのですが、私が外国人だと判りますと、すぐ英語で対応してくれまして、
それからものすごく段取りよく自転車を端に寄せてくれたり、救急車を呼んだりしてくれた
のです。
その若者たちだけでなく、おばはんおっさんなどギャラリーはたくさんおったのですが、
彼らは単に見物しているだけでして、どうも視線が私の足元に注がれているのです。
ふと気がつきますと、私が履いていたサンダルも吹っ飛んでおり、5本指ソックスを履いた
足に皆注目していたようなのです。足臭人間だと思われたでしょうか?

恐る恐る息子をチェックしますと、どうもくるぶしの皮がズル剥けなようですが、骨には
異常がないようです。
そこでやっと、一緒に走っていたはずの、だんなと上の息子がいないことに気づきました。
私が転倒したことに気がつかなかったのでしょうか?走り去ってしまったようです。
付き添ってくれていた若者に電話を借りましてだんなに電話しますと、慌てて戻って
来ました。それと同時に救急バイクがやって来まして、おじさんが慣れた手つきで
応急手当をしてくれまして、この程度やったら医者にいかんでもええかも、とアドバイスを
くれ去って行き、ギャラリーも、助けてくれた若者たちも去って行きました。
そうして、帰ろうとしていると、そこで突如ポリスマンが現れたのです。
私は以前、息子を乗せて自転車に乗っているのを別のポリスマンに捕まって、
「自転車に子供を乗せたらあかんよ、今度やったら罰金よ」という警告を受けたことが
ありますので、「やばい!罰金や!」ということが瞬時に頭をかすめ、シラを切って逃げ
ようと思っていたのですが、ポリスが「通報したのはあんたらか?」と聞いてきまして、
「通報はしてへん、してへんで〜」と反論したものの、結局シラは切れなかったのです。
その場で一部始終を報告すると、名前と身分証明書の番号は控えられたのですが、
怪我をさせたのが息子ですし怪我もひどくないので、とりあえず罰金刑は
「もうええわ〜、あんたも泣いてるし。早よ帰り〜」という感じで免除してくれました。
涙は女の武器よ。

本日は、思いがけず香港人に助けられ親切にしてもらい、ポリスマンにも情状酌量して
もらい、日頃「カネが命」などと悪口ばかり言って非常に反省しております。
すまん、香港人!

3月26日(木) 下の息子が昨日の夜から「キョ−ンキョ−ン」という実に怪しい咳をしだし、
夜中は呼吸困難でどう見てもおかしいので、医者に行ってまいりました。
今日あたりからマスク人口が増えておりまして、マスク着用もへんな目付きで見られる
こともなくなって来ましたのは嬉しい限りですが、いつになったらマスクせずに外出できる
のかと考えますと、気が遠くなりそうです。
マスク以外にも
こんな人もいるようです。

医者はいつ行っても患者のいない不人気クリニックにしたのですが、さすがに
この肺炎騒ぎで2人ほど、待ち人がありました。
医者が聴診器を当てていうには「これは咽頭の炎症です、肺の音はクリアです」という
ことですが、「SARSのウィルスが肺ではなく喉で炎症を起しているのではないか?」と
心配しだすとキリがありません。きっと色々あほなことを聞いて迷惑な患者の親だったで
しょうが、早くウィルスの確定とワクチンの開発がなされない限り、心配は募るばかりです。
ウィルスも、先日は中文大学が「パラミクソウィルスだ」と嬉しそうに発表したにもかからわず
数日前にはWHOが「これはコロナウィルスである」と発表してから香港大学も「コロナだ」と
発表しましたので、大学の間で追い越せ追い抜けの、熾烈な研究バトルもあるのかも
しれません。とにかく研究がんばって欲しいですわ。
3月24日(月) 上の息子が幼稚園でえらく咳き込んだらしく、途中で先生から電話がかかって来て、
帰らされてしまいました。
ちょうど先週の土曜日に、うちのマンションのショッピングセンターにあるクリニックの
お医者さんがSARSに感染しているのが判明しましたので、先生も心配で「とにかく
医者に行ってくれ」ということでした。
しかし,咳以外には熱もありませんし本人も元気なので、肺炎騒ぎでごった返している
医者に行って感染してしまうのでは?という心配もありまして、とりあえず医者には
行かず、咳が出ている間は幼稚園を休ませることにしたのです。
咳が出ていると肩身が狭いです。
息子も常に咳しているわけではないです が、、時々何かの拍子で咳き込んでしまったり
するのが、激しく遊んでいる公園だったりする場合が多いですので、皆が集う遊具のある
公園にも連れて行けません。
だだ広い公園の、人気のない方へない方へ連れて行き、そこで遊ばせるしかなさそうです。
マスクを着用したらしたで、元々人のことを平気でじろじろ見る習性のある通りすがりの
香港人から、「病気持ち?」とでもいいた気な、よりいっそうヘンな目付きで見られますし、
こういう疑心暗鬼な状態も困ったものです。
政庁の対応の悪さこそ責められるべきなのに、病人がヘンな目付きで見られ、犯罪者の
ような取り扱いを受ける世の中はおかしいですね。
それよりこれを機に、人前で平気で痰を吐いたり、手鼻をかんだり、咳くしゃみする香港人の
衛生観念が少しでも変わることを希望します。(多分騒動が収まったら一緒であろう)
3月22日(土) 日本のJリーグにあたりますイングランド・プレミアリーグでの、ゴール最年少記録を
塗り替えたルーニ−君という、ずんぐりむっくりでやや動物的な少年がおるのです。
今日はそのルーニ−君所属のチームと、プレミアリーグで首位をばく進中のアーセナルと
いうチームの試合があったのです。
アーセナルは監督もフランス人なのですが、選手にもフランス人が6人おり、「英米の
イラク攻撃に反対の意を込めて、フランス人選手が試合をボイコット?」という新聞記事が
載っておりましたので、どうなることかと思っておりましたが皆ちゃんと出場しておりました。
試合はアーセナルが2−1で勝ったのではありますが、アーセナルが一点を先取した後
ルーニ−君がすごい角度のシュートで1点を返しまして、劇的な展開になったのです。
ゴールを決めて興奮したルーニ−君、ユニフォームを脱ぎ捨てたのですが、ワキから
馬のたてがみが生えているかもごとき、赤毛の腋毛がボーボーだったのです。
それまでルーニ−君には少年のイメージしか抱いておりませんでしたので、
ちょっとびっくりしてしまいました。17歳だからボーボーで当たり前ですね?
3月21日(金) 下の息子の右目にめばちこらしきものができてしまったので、しかたがなく医者に
連れて行って来ました。
息子は医者の玄関が見えただけで泣いてしまうので、本日はいつもとは違うルートで
クリニックに接近し、息子を抱っこしてウルトラの歌を一緒に歌いながら、あくまでも楽しい
雰囲気でクリニック進入しましたら、今回はご機嫌なままだったのです。
と思いきや、診察が始まったとたん、火がついたように泣きだしてしまい、目もしっかりと
閉じて診察させませんので、「これで効くだろう」という目薬だけいただいて帰って来ました。
いつになったら泣かずに診察できるのでしょうか。ほんとにもう。
3月20日(木) 香港へ着て3ヶ月余りであります高校時代の友人Nちゃんに、夜電話しました。
会話は当然、香港でじわじわと患者を増やしているウィルス性の肺炎のことになったの
です。
Nちゃんは外資系の会社で働いているのですが、そこでは全社員に注意喚起のビラが
配られたそうなのです。
そして、そこには予防法として「咳、くしゃみした後は手洗い」に続き、「鼻糞をほじくったら
手洗い」というのもあったそうです。
Nちゃんは香港に来た当初から、香港人が公衆の面前で臆面もなくゲップしたり、
堂々と鼻糞をほじくったりしているのを「あんなん国際規格とちゃう」と断言して
たいそう嫌っていましたので、「自分の鼻糞はしゃあないけど、全然知らんおっさんが
鼻ほじった指でエレベーターのボタンを押したりしてるかもしれへんから、ボタン押す時は、
爪先で素早くおさなあかんで〜」とアドバイスをくれたのでした。
そうして「他人の鼻糞が原因で死にたないなぁ」という結論で終わったのでした。
3月19日(水) 昼からおばばがうちにやって来ました。
村の代表選挙があるらしいのです。おばばには己の利害関係上、当選して欲しい人が
いるらしく、うちら夫婦の名義を借りてまでも当選させたいらしいのです。
そこで私にも「選挙権を取ってくれる?」というよりは「なんでもええから、取れ!」という
強引なアプローチで迫って来ましたので、私は断りました。
だってそもそも、そんな村に住んでいないんだも〜ん。

それはどうでもいいのですが、今日はうちのだんなも在宅だったのです。
おばばは昼から来るときは、たいていマクドナルドのアップルパイかハンバーガーが
手土産なのです。だんなが不在の時は、アップルパイ2個、もしくはハンバーガー2個を
買って来るのです。
下の息子は食欲ぶっちぎりで、丸々1個はぺろりんこなのはおばばも重々承知なのに、
子供に1個づつしか買って来よらんのです。
そうです、故意か偶然かはわかりませんが、どう考えてもおばばの頭の中には私の分を
買う、というコンセプトが無いようなのです。
しかし!本日はだんなが在宅だと知るや、ハンバーガーを3つ買って来やがったのです。
やっぱりワザとやっていたのだな。ばばぁ、胸糞悪いんじゃ〜!(心の叫び)
3月18日(火) ず〜っと親子共々で鼻がグズグズしていたのです。
息子の方は治ったのですが、私の方が治るどころか右眉毛あたりに頭痛がするように
なりましたので、今朝、近所の医者に行って来たのです。
黄緑色の鼻水に頭が重苦しいという症状が、幼少の頃にずっと患っておりました鼻たれ
(蓄膿症)にそっくりだったので、きっとそうであろうと思っておりましたが、やはり診断も
そうでした。
ただ、子供の頃には通院したことがなかったのです。本や『モリ蓄膿錠』のTVCMを見たり
した上で、勝手に蓄膿症だと思っていただけだったのです。
今回診断されて初めて病状や、治療の方法がわかったのですが、これは放っておいて
悪化させるとレントゲンを撮って手術しないといけないらしいのです。
とりあえずしばらくは、抗生物質で菌をやっつけよう、ということになりまして、これで
良くなるといいのですが。
処方された薬ですが、医者がいいいますには「ものすご〜く眠たくなる」ということで、
「眠くなるかもしれません」程度の薬ではこれっぽっちも眠くならない私としては、
どのようなまどろみ感が襲ってくるのかワクワクしているのですが、今のところ何ともない
のです。どないなっとるのや?
3月17日(月) 夜遅くにだんなが仕事から帰って来ましたので玄関を開けてやりますと、嬉々とした
様子で、かなり大きいボックス型の音響スピーカーを1台抱えているのです。
いかにも開口一番「ええやろ?これ」といいたげな表情ですし、ブツがブツなので
私も通常なら搬入を許可しているところなのですが、最近肺炎も流行っていますし、
炭素菌などバイオテロ等の恐れも無きにしも有らずなので、「スピーカーに変なウィルスが
ついてたらどないしてくれるのや!このご時世に非常識な!今すぐ捨てて来い」と
一喝してやりましたら、すごすごと捨てに行ったようですが、ひょっとしたら捨てたフリだけ
して、夜中にまた拾いに行っているかもしれません。
3月15日(土) 今日は息子の幼稚園の創立15周年の記念祭の日だったのです。
記念祭といいましても、キリスト教の幼稚園なので最初に礼拝堂でお祈りや説教、歌が

長々とあるのですが、下の息子は何故かいつもこの礼拝堂に入るのを嫌がるのです。
なだめすかし、おんぶに抱っこで誘惑しても、泣きわめいて入室を拒みますので、
上の息子は同級生のチーロン君のお母さんに託し、下の息子を連れて階下の遊具場に
行ったのです。しかし、そこは本日の記念祭の各アトラクションゲームで得たポイントを
景品に引きかえる場所と化していまして、遊具一切は使用不可だったのです。
そんなことはお構いなしに息子は遊具で遊ぼうとするのですが、『会場秩序』を担当
している、どこかのボーイスカウトの子供たちがしっかりと見張っているので、息子を
遊具から引き離すのも一苦労で、それだけで疲れ果て、礼拝だけ済んだらゲームは
させずに帰ろうと心に決めたのです。

しかし、いつの間にやら礼拝が終わっており、上の息子もチーロン親子の姿も礼拝堂から
消えているのです。
顔見知りのお母さんに聞きますと、「ゲームしに行ったで」ということで、慌てて
ゲーム会場である校舎の裏の広場に行きますと、こんなにいっぱいの人々はどこから
涌いたのでしょうか、礼拝堂にちんまり座ってた人数のおおよそ3倍はおったと思われ
ますが、大人も子供もきゃあきゃあいいながら、金魚すくいやら輪投げやら、ゲームに
高じ、景品交換のポイントをゲットするために躍起になっているのでした。

息子もチーロン母に腕を組まれ、色々なゲームに連れていかれ挑戦しているようです。
この人だかりの中を、子供二人連れてゲームに高ずる気力は私にはありませんので、
もう帰ろうと、上の息子を奪回すべくチーロン母に説明すると、「ゲームでポイント稼いで
エエ景品と交換せな損やで!あんたは下の子だけ見てたらええから」ということなので、
もはやチーロン母には「疲れたから帰りたい」より「中国製の安物景品」の方が、
重要な問題と化しているようで、チーロン母に全てを委ねることにしました。

しかし、やはりこういう場合、チーロン母は強い、といましょうか、ものすごい要領の良さで
数々のアトラクションをこなして行くのです。
アトラクションに並びながら、子供2人にゲームのやり方を説明するかたわら、並んでいる
人数の少なそうな違うアトラクションの目星もつけておき、ゲームが終了すると2人を抱えて
そこへと走るのです。そうして次から次へとポイントをゲットしているのです。
それに加え、チーロンとうちの息子二人を抱えてなお、自分もゲームを楽しめるこの余裕。
これはひとえに,日常生活で起こる数々の『香港人早い者勝ちバトル』という修羅場を
くぐり抜けて来た成果なのでしょうか。私は感服してしまいました。

蛇足ですが金魚すくいも、日本なら小振りの金魚が使われていますが、このアトラクション
で泳いでいる金魚は、結構大きいやつなのです。赤地に白い模様が入って長い綺麗な
尾びれをもった、どう考えても鑑賞用の金魚なのです。
あんな大きい金魚を、あのような薄紙ですくえるものか!と思っていましたが、さすが
香港人、しっかり5匹以上すくって、金魚を1匹ゲットしている人もおったのです。

チーロン母は、1時間ほどで上の息子にジュースを飲ませ、スナックの魚タン、ソーセージ
も食べさせ、ポイントも11点ゲットさせてくれまして、見事『中賞』という名のフリスビーやら、
パズルやら、すぐ破れそうなエコバッグやら、プラッチックのミニカーというガラクタの数々を
いただくことができました。ありがとう、チーロン母!ありがとう、天父!

3月11日(火) 上の息子の日本国パスポートが期限切れになっていたのを、すっかり忘れておったのです
が昨晩急に思い出し、いつ何時非常事態が発生し、国外脱出しないといけなくなるかも
しれないと思うといても立ってもおられなくなり、本日慌てて領事館まで申請に行って
まいりました。

午前中に行ったのですが、最近文字を書くことが滅多にないので、申請用紙3枚に記入
するだけで30分もかかってしまいました。それに息子のパスポートなので母親が代筆と
いうことになり、色んな箇所に(母・代筆)というのを記入しなくてはいけないのですが、
3枚も一生懸命書いている最中に、どこに(母・代筆)を記入するのだったか
忘れてしまうのです。
わからない箇所が発生する都度、奥で仕事中の香港人姉ちゃんを窓口に呼びつけ、
聞きながら記入していたので、しまいには物覚えの悪さを呆れられてしまったのでしょうか、
「もうココ(窓口)で記入してていいですよ」とおっしゃってくれました。

そうして無事に申請し終わり、子守をしているだんなに電話すると、「お昼食べて帰って
来たら?」というので、最初から密かにそのつもりではあったのですが、一応「え〜?
いいのぉ?帰ろうと思ったらすぐ帰れるで〜」と心にもないことを誠意の標として言って
おきました。
そうしてワクワクしながら領事館のある界隈を「何食べよかな?」とぶらぶらしてますと、

日本式のラーメン屋が何軒も目に付くのです。ラーメンもええなぁと思いながらも、
子供がおらん時こそ辛いものを食べなアカンと考えなおし、なにかエエとこないかな?

とさらにウロウロして迷っておりますと、かなり時間をロスしてしまったのです。
こうなると思い当たるのは、九龍側に戻り、シティスーパーのフードコートで食べる、という
ことしかありません。
そこですぐさまフェリーに乗り、フードコートに到着しましたが、韓国にするかタイにするか
インドにするか、またもや迷ってしまいました。
そして勧誘がしつこかったインド・カウンターのラムカレーランチを、なんとなく購入して
しまいました。
インドのカレーも久しぶりだったので腹にもたれ、家路につくバスの中で、
ものすごく気分が悪くなりましたが、喉で堰き止めました。
3月10日(月) 昨晩はおばばの家でまたもや晩餐の召集がかかっておったのですが、私が「行かへん」と
いうと上の息子も「行かへん」といい出し、立場のないだんなは下の息子だけ連れて帰った
のです。
しかし、うちのおばばにすれば「孫=上の息子」ですので、これはきっと今日あたり
押しかけて来るやろうなぁと思っておりましたら、案の定、12時きっかりに来られました。

毎度のことながら手土産は、上の息子が大好きだとおばばが信じて止まない
牛肉シュウマイと豚肉蟹子シュウマイで、自家製の菜っ葉も下げておられました。
シュウマイを温めるのも電子レンジを使うと「放射能が出るから使うな!」(電磁波と勘違い
しているおばば)ということでひと悶着あること必至なので、蒸し器で蒸し直さなければ
いけませんで、「ほ〜んま面倒やのう」と思っておりましたら、上の息子のお迎えを
おばばが行ってくれましたので、息子が帰って来るちょっと前に電子レンジで温め、
「蒸しましたよ」とウソついて出しておきました。

おばばは下の息子にはな〜んにもしてくれないのに、上の息子の世話はやたらめったら
焼きたがるのですが、これには上の息子も迷惑がっており、この頃ではきちんと
「自分でするから」と意思表示しますので、おばばも少し寂しそうなのです。
でも人の嫌がることを押しつけると結局は嫌われ疎まれるのだ!というのもちょっとは
学習したようで、以前のようにはゴリ押ししなくなり、私も喜ばしいけど、なんだか
ちょっと物足りなくって悲しむべきか複雑な心境なのでした。
3月9日(日) 本日は上の息子の小学校の入学願書を提出する日でした。
去年末の『自行分配』と呼ばれる、各自の好きな学校1校だけに願書出せる方式では、
各小学校の定員の50%が選ばれたのですが、うちは落選してしまったので、
今回、この『統一派位』と呼ばれる政府のコンピュータによる学校振り分け方式に
参加しなくてはいけなかったのです。
振り分けといっても一応第一志望から第二第三・・・・と校区内の学校の名前を果てしなく
願書に書き入れておきまして、それをコンピュータが第一志望の学校から順番に定員を
埋めていくようなのです。
志望者の多い学校は当然くじ引きといいましょうか、コンピュータがランダムに願書の
番号を選び出し振り分けるらしいのです。
そして漏れた者は第二志望へと引き継がれていくようなのです。

というわけで、うちら夫婦も願書を提出しに近くの小学校まで行ったのですが、
その場で願書をもらい記入しておりますと、だんなが絵を教えている生徒のお母さんなの
ですが、どっちかというとお婆さんにカテゴライズされるような風情のおばはんも
願書を出しに来たようなのです。
そしてうちら夫婦が第一志望をどこにするのか興味津々な様子がありありなのです、
別に隠すことでもないので「ここにした」と第一志望の名前を教えますと、おばはん急に
険しい顔つきになり、しかもごっつい顔をまるで接吻するかのごとくだんなに近づけて、
「あぁ〜、そこはあかん!あかんて!生徒が悪ガキばっかりや」という内容のことを、
一応ひそひそ声ですが、回りに丸聞こえなデシベルで教えてくれたのです。

第一志望にしていた学校は、近所のお母さんが息子さん二人をそこに通わせてまして、
「あこそは宿題が少ない」という情報を得ており、しかもその兄弟もうちの我が侭息子と
辛抱強く遊んでくれたりするのでなかなかエエ息子に育っているのではないかという、
単にそれだけの理由だったので、「悪ガキばっかりや!」と言われてしまうと、
私も心がグラグラしてしまったのです。
それに「そんなところ評判悪いから第一志望にせんでも入れるで」というおばはんの
トドメの一言がうちのだんなの心を奪ってしまったらしく、
急に「変えよ、俺、願書もう一枚もらってくるわ」と席を立ちました。
しかし、願書は一枚限りなようで、変更ならその箇所を訂正してサインするらしいのです。
しかし第一志望を変えるとなると、第二志望の学校が繰り上げとなり、それに続き
第三第四と順繰りになってしまうので、訂正サインだらけの願書になってしまい、
コンピュータがちゃんと読みとってくれるか心配なのです。
3月4日(火) 朝、息子を幼稚園に送ってから買い物をしていますと、幼稚園で息子と同級生であります
チーロン君のお母さんが向こうからやって来たのが見えたのです。
チーロン母には去年末、「一緒に中国に行かへんか?」と誘われたのを社交辞令と
察知できずにバツの悪い思いをしたことがありましたので、「あ!チーロン母や、逃げな」と
思っているところへチーロン母が走り寄って来まして、立ち話する羽目になってしまい、
いつの間にか、今からうちに来る設定になってしまったのです。

チーロン母はなかなかに子供の教育に熱心らしく、危険なTV番組は子供に見せない、
というようなことを以前私に言ってたことがあるのですが、一緒にうちに戻ろうと
エレベーターでうちの階についた途端、仮面ライダーのテーマ曲がうちの部屋の方から
大音響で聞こえてきたので、とても恥ずかしかったです。
部屋に入ると、やはり下の息子が仮面ライダーのビデオを観ながら右手に仮面ライダー、
左手にウルトラの怪獣の人形を持って「はぁ〜あぁ〜」と叩き合いしておりまして、
それもすごく恥ずかしかったです。

それから、チーロン母に「何か飲む?」と聞きますと、「温水」と言われたのです。
香港人を家に招くと「温水(白湯)をくれ」と頼む人が結構多いのですが、
うちは普通の香港人家庭にように保温ポットに随時お湯を保存している家ではないので、
白湯と言われると実は非常に困るのです。やかんにお湯を沸かしてから飲める温度まで
冷まさなくてはいけないからです。
「遠慮してるのかな?」と思い、もう一度「紅茶かコーヒーでもどう?」と聞くと、
それでも「ほんとに白湯でええの」といいますので、まず熱湯を沸かし、なんまり熱いまま
出すのも何なのでコップに注いでおき、「ちょっと冷めたかな?」と思ったころに、
突然「じゃあ帰るわ」と言って帰って行かれました。何か粗相でもあったか?
3月2日(日) 私の寝室の隅っこに、何が入ってるのだかわからない怪しいダンボール箱が
ずーっと置かれてあるのが気になりながら、なかなか手付かずになっておったのです。
幸い今日はだんなが息子2人を連れてオババちゃんの家に帰ってくれたので、
一人CDを聞きながら、冬服の入れ替えと不用品の在庫一掃処分をすることにしました。

下の息子のベッドを設置したために開かずの引き出しになっている箇所が3つありまして、
そこの奥に問題のダンボールも隠すように置かれてあるのです。
置いたのは、うちのだんな以外の何者でもないのですが、さて、中身は何なのでしょう。
ベッドを退け、ホコリをかぶったダンボールを引きずり出し開けてみますと、
まず週刊のゲーム攻略雑誌が100冊ほど出て来たのです。これは1冊10ドルなのですが、
よくもまぁ、こんなに買っているものです。
そしてその下にはレンタルしたDVDや、手持ちの音楽CDを予備(?)のために焼きつけた
CDロム群が、カタログ台帳のようなのに1冊。
そして一番底に、かなり昔に買いかえて、不用になったVCDのプレイヤーが1台
入っていたのです。
まさに箱には不用品がぎっしり詰まっている上に、自分の部屋ではなく人の部屋に
ひっそりこっそりと置いておくとは腹立たしい限りです。
ゲーム雑誌はまとめて括り、ゴミ置き場に持っていきました。VCDプレイヤーと
CDロム台帳は、これ見よがしにだんなのベッドの上に置いておきました。

次は開かずの引き出しをチェックする番です。
開けてみると、そこにも不用の赤子用品がぎっしりなのでした。
これらは自分で購入したのではなく、全部いただきものばかりなのですが、
哺乳ビンやらシッカロール、赤ちゃんシャンプー・ソープ、ベビーオイル、化繊のおくるみや
帽子、冬用のごっつい赤子用寝袋のようなもの、寝返りできた頃の赤子がベッドから
落ちないようにするストッパーのようなものまでありました。
思えばこれらほとんどは、義姉が良かれと思ったのか勝手に買って来たもんなのですが、
使用者のニーズに応えず勝手なことをするとお蔵入りとなり、結局は無駄な買い物になる
なるのじゃ!ということを、いつの日か学んでいただきたい。

それからだんなが帰って来まして、自分のベッド上のものを一目見るなりすぐ気が
ついたのか、「雑誌は?」と聞きましたので、「捨てた」というと慌てふためき急いで
拾いに行きました。
2月27日(木) ちょっと前までは、うちの上の息子のことを「この子小食や、どこぞ悪いんちゃうか?」と
聞く耳もたん式に勝手に心配し、虫下しを飲ませようとしたり、「医者に連れて行け」と
ぎゃあぎゃあ騒いでいたオババなのですが、今度は下の息子の言葉数が少ないのが
発作的に心配になって来たらしく、「医者に連れて行け」の騒ぎになっており、毎晩の
ように電話がかかって来るのです。

下の息子の言葉が遅いのは今始まったことではないので、前からオババは「この子、
知恵遅れてるんちゃうか?」とか「耳聞こえてへんのちゃうか?」など色んな推測をして、
一人で勝手にぎゃあぎゃあしていたのですが、今度言って来た新たな推測というのが、
「この子、舌が短いんとちゃうか?手術せなあかんのちゃうか」なのです。
「舌の裏側についている舌下帯が舌の先までついてるから、舌が回らんでしゃべられ
へんのや」ということが言いたいらしいのですが、それやったらもっと発音できてないやろ?
ラ行の「ライダー」とかも言うとるぞ。私の見る限り、舌は長くはなさそうですが、
とにかく舌足らずで話せないというのでは、なさそうです。
それにそれやったらおっぱいを飲ませているくらいの頃に、上手に飲めなかったりして
すでに発覚していると思うのです。

だいたい今回なんで舌下帯を心配して来たかというと、店に来る村人が世間話で
そのようなことを言っておったかららしいのです。
それを聞いて即座にうちに電話してぎゃあぎゃあ言うて来るのが、オババの思考回路が
きわめてシンプルである、ということを証明いたしております。
うちの息子を見たこともないであろう村人と、毎日見てる母親とどっちを信用すんのや!
だいたいオババも週に1回は会ってるのですから、舌が回ってるかどうかなんて
わかっても良さそうですがな。
とりあえず「村人の言うことなんか聞かんとけ!無責任な情報に惑わされるな!」と
ばばぁに言っとけ!、とだんなには伝えたのですが、多分その部分は割愛していること
でしょう。
2月24日(月) 昼下がりに舌の息子と寝室でまどろんでいますと突如、居間からオババのドラ声が
響いて来たのであります。
どうやら上の息子がドアを開けてしまったようです。も〜う、あれほど勝手に玄関を
開けるなと言うてあるのにぃー。
2月23日(日) 息子のトゲですが、朝一番にだんなと相談して、やはりお医者に連れて行くことに
なりました。しかし,誰が連れていくかで揉めてしまったのであります。
以前、同じく息子が鼻の穴に爪楊枝を詰めてしまった時に、救急病院に連れて行ったのは
私だったのですが、その時に「お母さんも押さえてください」と医者に言われ、身動き
できないようにシーツで体を包まれた息子にのしかかり、泣き叫ぶ彼を必死で押えた
たまらない経験がありますので、今回もその役目をさせられるのは勘弁して欲しいと
だんなに訴えますと、だんなは息子を連れて渋々近所の医者に出かけて行きました。
しかし、すぐ帰って来たのです。やはり医者の前でも泣き叫び、処置できなかったそうで
やはり家でなんとかするしかなさそうです。
とりあえず、気分転換でお昼を食べに出かけることにしました。その後、だんなが急に
「大尾篤に行こう」と言い出したので、バスに乗せたら息子の気分も晴れて、トゲも取らせ
てくれるのでは?という望みにかけ、行ってみることにしました。

大尾篤という所には海沿いに人口の淡水湖がありまして、その淡水湖畔はサイクリング
コースになっているのです。貸し自転車屋も軒を連ねておりますので、自転車が2台
横に並んだような,湖で良く見かける白鳥型のボートの自転車版といった感じの
4輪自転車を借りて、親子4人でサイクリングしようということになりました。
前部座席に子供2人を乗せ、後部座席ではだんなと私でペダルを漕ぐのですが、
借りた自転車が最後の1台だったので、ポンコツしか残っていなかったのでしょうか、
左前輪が変形していてガタガタする上になんだか外れそうなのです、雰囲気としては
アニメのルパン三世で、ルパンの乗っている車の前輪が外れ、後輪も外れてガタガタに
なっていく・・・そんなイメージなのです。
おまけにサイクリングを楽しむ輩がすでにコース中に溢れており、また、香港人は自転車が
上手に漕げないくせに無秩序に走りまわるので、ガタガタドドドドド〜ッと、前を走っている
自転車の横ギリギリに追い越し追い越されていく様は、映画・ベンハーのようでも
あり、なかなかにスリリングでありました。
ぶつかっても謝罪の言葉もなく走り去っていく奴もありましたし、ヘタクソ操縦ゆえに
自分からふらふら〜と近寄って来てぶつかる直前で慌てて止まり、さもこちらの過失とでも
言いたげに「チッ」と舌打ちしていく子供もあり、追い越し間際に人の顔をまじまじと
眺めた挙句、「いやぁ、下の子はお母さんにそっくり!」と言い残して去っていく無礼者も
ありまして、全くどいつもこいつも・・・という感じでありましたが、なかなかに楽しかったです。
さて、夜になり、もはや楽しいひとときもこれまで、今宵こそはトゲを抜いてしまわないと
いけません。
私はうまくできる自信がなかったので、だんなに委ねました。
だんなははさみで爪をトゲ沿いに少し切り、そこから針でトゲをかき出そうとしている
ようですが、そこまでするにももう大変な騒ぎでした。
あんまり息子が怖がって埒が開かないので、私が見たところ、はさみで結構切りこみが
深く入っていましたので、そこから毛抜きで摘んだ方がやりやすそうなのです。
しかしだんなはあくまで「針派」で、「毛抜きなんかあかんわ」と馬鹿にしている
様子ですので、ここは母親のど根性を見せてやらねばなりません。
心の中でお経を唱えながら、爪をやや剥き出しにしましたら、トゲが見えたので、
昨日の失敗を教訓に今度はサッと引っこ抜いたら、あっさりと全部出てきました。
2月22日(土) 昼過ぎに一人で遊んでいた上の息子が「ひぃ〜っ!」と悲鳴を上げたので、慌てて
そばに寄ってみますと指にトゲが刺さっておるのです。しかもちょうど爪と肉の間に刺さって
いるようで、半透明の爪越しに、長さ8mm幅1mmくらいの木くずのトゲがすーっと爪に
沿って貫通しているのが見えているのです。
「痛そうや・・・」と思いながらもなんとかしないといけないのですが、上の息子はこういう時
ものすごく怖がりなので、悶えながら指を抱えてしまい見せてくれないのです。
しかしなんとか「ばい菌が入ったらあかんから、今お母さんがトゲを取ったる」と説き伏せ、
その他脅しすかしながらも、毛抜きでトゲを引っこ抜くところまでこぎ着けたのです。

ところが、いざ引っこ抜くという瞬間に息子は「いったぁ〜〜〜」と叫び暴れたので、
トゲがほんの先っぽ1mmくらいで折れてしまったのでありました。
爪にはまだ残り7mmほどのトゲが残っている上に、トゲを抜く取っ掛かりも無くなって
爪中に埋没している状態なのです。これはどう考えても爪を切開するか、肉をほじるか
しないとトゲに触れそうにもありません。
「もはやこれは家庭で処置できる範囲ではない」と思いましたが、下の息子まで一緒に
医者に連れて行くと足手まといな上に風邪菌でも貰うとこれまた難儀なので、
だんなに電話し「医者に行きたいから早く帰って子守しろ」と言いました。
するとだんなは「あほ、トゲで医者に行く奴がおるか!俺が取ったる」と自信マンマンに
言い放ち、一応すぐ帰って来たのです。
しかし、トゲの状態を見ただんなは爪を切開しようとはさみをちらつかせ、散々息子を
おびえさせた上に結局1時間経っても取れなかったのです。
そうして、「明日朝一番で医者に行け」と言ったのでした。
2月20日(木) インターネットができないと不便でありますので、朝からだんなにモニターを買うよう
お願いすると、あっさり心を決め、早速近所に買いに出かけていったのです。
しかし1時間しても帰って来ないので携帯に電話すると「迷ってるのだ」と言うのです、
奴が迷っていると買うのを諦めてしまう公算が強いので、ここは私が押して押して
押しまくり、何でもいいから買わさないといけません。
「私も見に行くから、その場を離れるな」と言い残し、慌てて電気屋に向かいました。

奴は三星電気の液晶モニターに心奪われているようですが、それは現品限りのようで、
迷っているらしいのです。何でもいいから買わせたい私は、あんまりこういう品のことは
わからないのですが、ひたすら「綺麗な画面や〜ん、現品でもこれはお値打ちやで〜」
などと褒めまくり、だんなの購買意識を高めようとしたのですが、なかなかうんと言いません。
何でもいいから買わせたい私は、安かったら買うかもしれないと思い、つぎにその売り場で
一番安かった台湾製のモニターのところにだんなを呼びつけ、「これこれ!これやで〜、
この画面の質でこの価格、2年保証やし!」とセールスマン以上に褒めまくり、暗に
買え!と言ったのですが、台湾製は嫌なようです。
そして、違う電気屋に見に行くことになりました。
そこでは台湾製のもの以外ではシャープのものが一番安かったので、ひたすら
「やっぱりシャープやで、シャープやったら安心やし」などと自分でもわけのわからんことを
連発してとにかく買わせようとしたのですが、「やっぱり三星のが良かった・・・」と、
この期に及んでのたまうのです。「ぼけ〜!早よ買え〜、こっちは子連れでうろうろ付いて
来とるんじゃ〜!」と心で思いながらも、ここでご機嫌を損ねては、今までの苦労が
水の泡なので、あくまで和やかにさっきの店に戻り、「三星、やっぱりこれやな、
三星もがんばってるもんね、もう買いや、コレ、早く買わな売れてまうで」ととどめをさした
にもかかわらず、今度はフィリップスに心が傾きだしたようなので、私ももはや諦めて
「何でもいいから買って来てよ」という哀願するような視線を送りつつ、
だんなを売り場に残し帰って来ました。

そうして30分ほどして買ってきたのはやはり三星電気のものでしたが、何?
ディスプレイ品やから保証が無いやと?
2月19日(水) 朝、うちのだんなが突然に、「昼からこのPCのモニターを売るからな」と言い出すのです。
替えのモニターも無いのに持って行かれてはネットができまへんので、「替えを買って
からにしてや」と食い下がったのですが、もうその時点でモニターを買ってくれるらしい
友人が昼からブツを取りに来る、という段取りもすでに出来上がっていたのです。
うちのだんなの嫌なところは、予定を直前になってからしか教えてくれない、というのも
あるのですが、この『友人に中古品を売りつける』というのが、私は一番嫌なのです。
今回友人に売りつけるのは、直前まで使っていたソニーのおんぼろPCモニターと、
かなり昔にだんなが友人から無料で譲り受けたPC本体及び、これまたおんぼろな上に
滅茶苦茶型の古いエプソンプリンターの3点セットなのですが、これを4000ドルで
売りつけるらしいのです。
売る方も売る方ですが、こんな中古をこのような価格で買う酔狂な人もいてるのですね。

PC本体は、どこからか譲り受けながらも使っていないのがうちには2台もありまして、
多分このようにタダで貰ったものを売って利益を得るために、だんなはずっと保管していた
のでしょう。この辺りの収集癖も、使わないのに譲り受けた中古の洗濯機を4台も
所有しているおばばの貧乏性生き写しといった感じで私は好かんのですが、
友人で儲けてしまう根性はなんとかならんのでしょうか。

PC以外にも、自分で散々使ったデジタルカメラや、ひどいことには友人から借りて返さない
コンピュータゲームや漫画本シリーズを別の友人に売り飛ばしているので
「なんで返さへんのん?」と聞くと「もう友達とちゃうから」と答えるのですが、返さへんから
絶交されたんと違うんでしょうか?
どっちにしても友人なのですから、「売るよりいっそあげたらええのに」と何度も進言は
しているのですが、「あほ!家がビンボーやったから、俺は子供の時からこうやって
自分でお金を作る方法を考えて来たのや」とむしろ誇らしく思っている様子でさえあります。
もう何も言うまい。
2月16日(日) 狭い部屋ゆえに、子供のおもちゃ箱やら衣装ケースやらが居間に雑然と置かれ、
狭苦しさ倍増なので、今日はだんなに息子2人をおばばの家に連れて帰ってもらい、
一人で片付けしようと思たのです。
おもちゃと衣装ケースを合体させるべく、タンスを買いに私一人で外出したかったのもある
ので、私の片付け構想をだんなに話すと「そうやな、ほんなら皆でタンスを一緒に見に
行こう」ということになってしまい、手早く片付け&買い物を済ませ、あわよくば一人で
のんびりしたろうと思っていた私のささやかな夢は打ち砕かれてしまいました。

そういうわけで、家具屋街のある上水にタンスを見に行くことになったのですが、
上水に行くにはおばばの家が通り道ですし、どっちみち今晩はおばばディナーの約束を
してしまっているので、おばばの家に立ち寄り子供を預けてからタンスを買いに行くことに
なりました。
そしてこれ幸いに、先日、流感性の肺炎に効くと噂が流れ、飛ぶように売れたらしい
白酢がおばばの店では一体いくらで売られているか、こっそり見てやろうと思ったのです。

とりあえず子供を置いてすぐ、家具を物色しに行ったのですが、4段程度の引き出し付き
タンスもなかなかにエエ値段しとるのです。値段と質とに満足できるものが無く、結局
買えずに戻りまして、いよいよ白酢の価格をチェックしなければいけません。

私は下の息子を店で遊ばせるフリをして店内をうろつき、スパイ行為にいそしもうと
陳列棚を見ていますと、蒸留酒の間に、なんの変哲も無い中国中山製白酢が一本。
そして、隣の棚にはいかにも闇で買ったと思しき、使い古しのペットボトルにマジックペンで
『白酢』と書かれたものが2本鎮座しておりました。
ところが、値札がキャップの上に貼られてあり、それらは私の目上の高さに陳列されている
ので、見えないのです。しかも、店番のおっちゃん(義父)がず〜〜っといるので、なかなか
手を伸ばせません。しかし「おっさん!あっち行け!」と心で叫ぶと、それまで下の息子を
眺めながらミカンを食べていたおっちゃんが本当にあっちに行き、母屋に入って行ったの
です。
ここぞとばかりにまず、正規の白酢の瓶を手に取り斜めにして確認しますと、
「35ドル」の値札が。ぐぐっ!標準価格の6、7倍ほどでしょうか?「さすが強欲や〜」と
感心する反面、白酢ブームのさなかでは1瓶100ドルの値段がついた、というのも
聞きましたので、ちょっとインパクトに欠ける値段設定やなとも思いました。
今度はペットボトルの方を見ますと「20ドル」。さすがに闇商品なので強気の価格設定は
できへんかったと見ましたが、肝心のバイヤーはいたのでしょうか?

だんなにそれとなく、「白酢ってこの辺りでも買った人いてるのかなぁ?」とあくまでも
世間話風に探りを入れますと、すぐさまおばばに聞いている様子です。
なんでも白酢が脚光を浴びた日は店に在庫が1本しか無く、それは16ドルという3倍の
値段でもあっさり売れてしまったらしいのです。
そこで「高くても売れる」と確信したおばばは市場へ向かい、1瓶30ドルも出して正規の
白酢を買ってしまったのです。おまけにペットボトルのも2本買ってしまったのです。
しかしそれっきり、おばばの店で白酢を買う村人は現れなかったのです。
だんなによりますと、白酢の件についてはあまり話したがらない風なおばばだったそうで、
己の誤算がよっぽど悔しかったのではないでしょうか。
ここからは私の推測ですが、30ドルも出して買ったものを儲けナシで売るのも忍びなく、
少しだけ色をつけて35ドルで売っているものと思われますが、銭こそすべてのおばばが
損してる〜と思うと、くっくっく〜と笑いが込み上げてしまうのでありました。
2月14日(金)


  夜の部
夜の10時半きっかりに電話が鳴ったら、それはおばばからなのです。
今日も鳴ったのでだんなが応答すると、2mくらい離れている私にさえ聞こえるほどの
馬鹿でかいドラ声が受話器から漏れて来たので、やはりおばばからなのでした。
会話に聞き耳を立てていますと、最近ガールフレンドに夢中で家に寄り付かない義弟の
ことを話しているようであります。どうも「どこに行ったんや?」というおばばの問いに、
「そんなん知るか!俺に聞かんといてくれ!」とだんなが苛立って返事しているようです。
それからどうも「明日、うちに来たいのやけど、誰か居るのか?」という会話の展開に
なっているようですので、鼻の穴を広げ目玉を剥き出しにして首を横に振り
「あかんであかんで!絶対あかんで!」というサインを送りますと、だんなの方が
「俺、明日仕事やしなぁ」という機転の利かない返事をしておるのです。
だんながいようがいまいが、孫さえおったら嬉々としてやって来るに違いないのですから、
その返事はアウトです。来られてはかなわんので、「私も外出するからって言え!」と
ひそひそ声で指令を出すと、だんなもそのままおばばに告げたようなのですが、
「どこ行くのや?何時に行くのや?」などとまだ食い下がっている様子なのです。
あまりにしつこいのでついにだんな、「日曜に子供連れて帰るから」と約束されてしまい
ましたがな。
2月14日(金) 本日は息子の幼稚園の個人懇談会がありまして、私は広東語がわからないので
だんなに行ってもらいました。
予定は10分間だったので、すぐ帰って来ると思っていたのですが、それがなかなか
帰って来ないのです。
息子は年長クラスで、この先生が『おばば世代の最後の現役』とでもいいましょうか、
はっきりいうと目つきの悪さもうちのおばばにそっくりな、すごいおばちゃん先生なので
なかなかに口うるさく、「靴を洗っておけ」や「字をもっと綺麗にかかせろ」
「宿題はちゃんと親が見てやらせ」など、今までにも電話で色々な指令が飛んで来ていた
ので、きっと何かくどくど言われているのだろうなぁと思っておりましたが、やはり
そのようでした。

だんなは帰って来ると滅茶苦茶機嫌が悪く、ドアの内カギを開けるのが少し遅かった
ことに腹を立て、「なんですぐに開けへんねん!」と怒っているので、私も激昂し
「聞えたらすぐ開けてるがな!」と怒鳴ってやったら「先生(だんなは自分のことを先生を
呼んでいるのです)にシャウトするんか?」といったきり、そのままバタンと自分の部屋に
篭ってしまいました。

そこで腹が立つので子供を連れて公園に出かけ、そのまま外でご飯も食べて夕方まで
帰ってやらんことにしたのです。
しかし、公園で1時間ほど過ぎた頃でしょうか、「走りまわったし糖分補給を・・・」と思い、
売店で飴を買って食べさせておりますと、案の定息子2人とも手がベッタベタになりました
ので、トイレに行かなあかんなぁと思った矢先、上の息子が「僕が手を洗いに連れて行って
あげるわ」と言って下の息子と手をつないだのです。
私はてっきりトイレに行くもんだと思い、飴のゴミを捨ててから2人を追いかけようと
思っていますと、息子はトイレと逆方向、それも公園の人工川が流れている方向に
歩いて行っていったのです。あっ!と思い、慌てて追いかけたのですが、2人はおもむろに
しゃがんだかと思うと、もうそこからはスローモーションのように見えました、
下の息子がす〜っと顔から静かに川に突っ込んでいったのです。
あんなに必死な息子の顔を見たのはこれで2度目なのですが
(ちなみに1度目は、だんなが室内で電気ドリルを稼動させた時でしたな)、
息子は一生懸命這い上がろうと水中でもがいており、そこを私が救い上げました。

もうそれからは半日家出どころではなくなってしまったのですが、元来用意の悪い母親の
私は息子の着替えなど持って来ていなかったので、とりあえずずぶ濡れ服を全部脱がせ
上の息子のフリースジャンパーで包み、息子を抱っこして自転車置き場まで走り走らせ、
自転車に飛び乗って秒速5mの勢いで車輪を転がして帰って来ました。
水を飲んだようなので、なにか病気にかからぬか心配なのですが。

ところで肝心の懇談の内容ですが、広東語の意思疎通があまりできていないということで
「あんた(だんな)がもっと子供と遊んでやらな」と先生にどやされたそうです。
それで機嫌が悪かったようですが、なぜ遊んでやっていないのがわかったのだ!?
おばば恐るべし。
2月10日(月) おばばから電話があって、「花塔糖は子供に食べさせてるか?」と聞かれたので、
一瞬何のことだか全くわからなかったのですが、とりあえず「はいは〜い、食べてる
食べてる」と返事しておきました。
電話の後で「な〜に言うとんねん?おばば」としばし思案しましたら、先日おばばの家に
行った折に「これを子供に食べさせ」と、薬のようなものをもらったのを思いだしたのです。
昔ならこういうわけのわからん薬は「いらん!」と言うていたのですが、それでもへこたれる
おばばではないのがわかったので、この頃では返事だけ快くいただいておき、一応しばらく
保管した後、おばばが忘れたころに捨てておるのです。
その薬も、カバンに入れたままだったのです。出して見てみますとやはり『花塔糖』という
ラベルが貼られており、おまけにこれ見よがしに「128ドル」の値札もついているのです。
この薬は薬局のカウンターの隅っこに山積みされているのをよく見かけますし、そんなに
高い薬を香港の薬屋がそのような「万引きして〜」といわんばかりの場所に積むとは
とうてい思えないので、このラベルはきっと思惑があって、おばばが自分の店の値札貼り
で貼ったものだと思います。
ところでその薬ですが、色、形態から、私はてっきり子供のビタミン剤だと今日まで
思っていたのでしたが、ラベルの説明書きを読んでみると、なんと虫下しだったのです。
私が食べておきましょう。
2月9日(日) 昨日から具合が良くなかった下の息子が、朝ヨーグルトを食べたらそのままソファの上に
吐いてしまいました。水をやったりしても即座に吐いてしまうので、医者に連れて行き
ました。
この医者はいつ行っても誰も患者がいてなく、すぐ診てもらえるので最近お世話に
なっているのです。しかしここの薬は毒々しい色のシロップで、子供は絶対飲まないので
医者に「シロップは吐いてしまうので錠剤はないんか?」と聞くと、「錠剤は砕かなあかん
からこの子の年齢にはあかん」という、単に使用量を計算するのが面倒くさいということの
ようでしたが、それでも「シロップを美味しくしとくから」と言うので、あんなもん
美味しくなんかできるんかな?と心で疑いながらも、シロップを出してもらいました。

シロップを飲ませてみますと、かなりシロップの濃度が薄いのです。これが「美味しくしとく
から」なのでしょうか?でもやはり飲みませんでした、が、なんとなく治りました。
2月6日(木) 日記をなかなか更新できなかったので、何があったか忘れてしまっております。

だんなが一緒に中国経済特区(?)のシンセンに行こうというので、子供はおばばに
預け、半日外出させてもらうことにしました。
ほんとは我が家で子守りしてもらうはずだったのですが、掲示板で「香港の人は正月
7日間は頭を洗わない」という情報を得まして、おばばにうちのベッドで子供と一緒に
昼寝されてはかなわんので、急遽、おばばの家で子守りしてもらうということに設定しま
した。

さてシンセン行きですが、正月の三が日も外したし、今日は平日ということもあって
シンセンの入り口である羅湖駅はそんなに混乱していないだろうとたかをくくっておったの
ですが、電車を下りるなりいきなり改札を出るのを制限してるらしく、かなり足止めを
食ってしまいました。
香港の出国カウンターもかなりの混雑で、この分だと中国側の入国は大変だろうなぁと
思っていましたら、長く来ない間にシステムが変わっておりまして、ビザ発給もスムースで
入国も難なく、電車に乗ってから1時間で無事に街に出ることができました。
人の多さに対応できてないのは香港側のようでした。

そして早速だんなのシンセン行きの目的である、DVDソフトを買いに行きまして、色々
物色していると1時間も過ぎてしまい、次に昼ご飯を食べていたりしたらあっという間に
夕方になってしまいました。
私の目的は全身マッサーヅだったので駅前のビルに向かうと、その時点で明らかに
家路を急ぐ香港人の連隊が大挙して駅に向かっておる雰囲気が読めたのです。
その段階で、マッサーヅは痛い上にチップをやらないといけないのも痛いだんなは
「もう帰ろ」と急かしますし、私も脳裏に子供の顔がちらちらしたのでしたが、やはり、
せっかく来たのに目的を遂行せずに帰ると後悔しそうなので、我が侭を通しました。
マッサ―ヅを終え、中国の出国カウンターに向かいますと、今度はエライ要領の悪さと
いいますか、外国人用のカウンターだけすごい列なのです。あまりの「行きはよいよい
帰りはこわい」状態に唖然としましたが、ここを通らないわけにかいかないのでやっとの
ことで突破し、香港側に向かうとこれまた入場制限なのでした。
そうして「怒ってるかなぁ」と思いながらおばばの家に着きますと、門は閉ざされ奥から
目が笑っていないおっちゃん(義父)が出てきたので、ここぞとばかりに、免税店で買った
おばばの店で売る用のタバコのカートンを渡しますと、急に「えっへっへっへ・・・」と
木村進のような笑いを発したのでたまげました。こうもたやすく物で釣られるとは!
2月4日(火) 朝、排便しましたらやけに漆黒の便なので「やや?」と思い、拭いて見てみましたら
ひたすら細く長い半透明のアオミドロのような物質が紙に付着していたのです。
連日のおばばの家での食事で「これは!とうとう腹に虫が湧いたか!?」と思いきや、
よくよく観察してみますと髪菜なのでした。
髪菜というのは見た目はもずくに近いでしょうか、藻なのですが、『発財』と発音が
一緒なので、縁起担ぎで正月に好んで食べられるものなのです。
しかし、新年早々尻から発財してしまいましたがな。

それはそうと、本日は義姉夫婦からディナーバイキングのお誘いがありまして、家族で
チムサァチョイまで出かけました。
ディナーバイキングで98ドルというお値打ち価格だったので、実は少し訝しく思いながら
出かけてしまったのであります。
といいますのは、普通のディナーバイキングなら、相場は安くても180ドルくらいするもの
なのです、ランチのバンキングでも98ドルというのは妥当な価格なので、
この『ディナーバイキング98ドル』というのは、行く前から「きっと大したことない」のと
「激しい争奪戦が繰り広げられるであろう」ことは安易に想像できるのでありました。
もう1つ付け加えるならば、「こんな安いの、よう探して来たなぁ」というところですか。
とにかくバイキングというのは、その価格が下がれば下がるほど、優雅さからどんどん
かけ離れて行くに決まっているのです。

そこで我々は少しでも混乱を避けるため、バイキング開始時刻の6時ちょうどに
乗り込んだのですが、もうすでに皿にバルタン星人のようなエビを5匹も乗せたおばんやら
しゃけ刺身てんこ盛りの若人が徘徊する、阿鼻叫喚のバトルフィールドと化していたのです。
我々もすぐさま参戦したのですが、料理トングを掴んだ者はまず自分の皿にてんこ盛り、
そして子供や連れの皿にまでてんこ盛りしてしまいますので、その時点でほとんど
料理は無くなってしまうのです。補充も来るのですが、それも一瞬で姿を消してしまう
のです。丸ごと置いてあるローストビーフは普通切り分けてくれるものなのですが、
給仕担当の人がいないのをいいことに、自ら切って持って行く輩もおります。
美味しそうなものを見つけると、食べられるかどうかなんてお構いなしに、とにかく
てんこ盛りしてキープするのがここでは流儀なようです。
私ではもはや歯が立たないので、だんなに色々指令を出して取って来させたのですが、
「サラダを取って来い」と指令すると、マヨネーズべチャべチャの果物の缶詰サラダを
取って来たり、寿司の指令を出すとしんこ巻きを取って来たりと、なかなか思うように
動いてくれない野郎なのでした。
息子は息子で、欲しがるものといえばゼリーだのスイカなので「もっと原価の高いものを
取れ!」と義姉にどやされる有り様です。

一通り食べ終わり、「そろそろコーヒーでも・・」となったのですが、さすが98ドル、飲み物は
別料金だったのです。それがわかるとウェイターを呼びつけたにもかかわらず、
義姉もだんなもオーダーするのを止めてしまい、水でケーキを食べて帰って来ました。
しょぼいひとときでしたな。

2月2日(日) 毎年この日はおばばの家でランチなのです。
例年ならおっちゃん(義父)の兄弟姉妹も集まったりするのですが、今日は誰も来なかった
のです。だんなの兄弟で集まったのも、足の臭い義弟だけだったのです。
しかし、義弟にもとうとう彼女ができたらしく、ご飯を掻き込むなりお洒落して出て行って
しまい、かなり拍子抜けの展開でした。

おばばの家には犬の大きいのが3匹と子犬が1匹いたのですが、今日見ると大きい3匹
しかいないのです。「子犬はどうした?」とおばばに聞くと、なんと一番大きいけどガリガリ
な上に情けない顔をしているので一番弱そうに見える犬に、頭を食われて死んでしまった
そうなのです。
この一番大きいけどガリガリな上に情けない顔をしているので一番弱そうに見える犬は、
その昔おばばとの同居時代に私に一番なついていた汚らしい犬がありまして、
捨吉と名づけておったのですが、その捨吉をも噛み殺した奴なのです。
「こんな狂暴な犬をなんで置いておくのだ」とだんな経由で聞きますと、
「強い奴が生き残るのや」という、いかにもおばばらしいコメントが返って来ました。
こういう狂暴な犬の方が、盗賊が侵入してきた時に、役立つと思っているのでしょう。
しかし、もうちょっとエサあげた方がええんとちゃうでしょうか。あまりにガリガリなのです。
1月31日(金) 本日は大晦日なので、おばばの家で大集合の晩餐会だったのですが、
おばばの長男夫婦はオーストラリアに逃亡を計り欠席でございました。
この夫婦は毎年、正月には嫁の家族と海外旅行に行くのが慣わしのようですし、
この嫁とおばばは仲が悪く、嫁は「おばばの家で食事するのは不潔で嫌だ」と公言
しているので、こういう場にはほとんど帰って来ないのです。
嫁のいう通り、おばばの台所は確かに唸ってしまうほど不潔なのですが、今はお手伝い
さんがいてくれるので、マシなのです。
夏場などはまな板にアリが黒だかりになっていたりするのでした。

この嫁は口が立つので、おばばに会って「早よ子供を産め」などと言われると
「それはお前に指図されることではない」などとぴしゃりと言い放ち、おばばもひ〜っと
なっているので、見ていると結構面白いのですが、憎まれ役を一手に引き受けている
ので、叩かれる陰口もそんじょそこらの量ではありません。
本日の晩餐中の話題は、この夫婦と嫁の一族のことが中心で、過去にあった事の
一部始終が語られ、正月に夫の一族も出費も省みず遊びに行ってしまうのは、
ひとえにあの嫁のせいである、ということになっておりました。
というわけで、おばばは長男夫婦に子供を作れと催促するのを諦めたのか、最近やたらと
私に「次は女の子もええなぁ」「女の子は手伝いするで」などと、一人ごとのフリをした
催促をしてくるですが、そんなに欲しいのなら自分で産みなはれ。

ところで本日のご飯は、庭に簡易テーブルを出して食べたので席が足りなく、私と息子は
皿におかずだけ取って来てもらい居間でゆっくり食べることができました。
1月26日(月) いつも子供の散髪は、私が切って美川憲一のようになってしまうか、それを見かねた
うちのだんなが散髪屋に連れて行くかのどちらかだったのですが、本日は上の息子を
自ら散髪屋に連れて行って参りました。

近所に「小童カット25ドル」のところがあったので、そこにしたのです。
散髪担当のおっさんは歯がボロボロながらも、なかなか器用にカットしていきます、
息子の肩に溜まった髪の切れ端を、時々ぷっと息で吹き一瞬で散らす技には見惚れて
しまいました。
そしてつつがなく散髪は終わり、100ドル出しましたらば、おっさんがくれたお釣りが
65ドルなのです。瞬時に「あ、中童の料金を取られてる」と気がついたのですが、
10ドルくらいでぎゃあぎゃあ騒ぐのもどうしたものかと思い、2秒くらいじっと考えたのです。
やはり結論として「ここで言わないと1日中後悔するに違いない」と思い、そこで白々しく
ハッとした顔つきをして「25ドルじゃないの?」と聞いてみますと、おっさんが
「何歳なのだ?」と返してきたので、「5歳ラー」と言ってみますと、「大きいなぁ」で
おっさんの発言は終わり、私もどのような広東語で返してええものやら分からずに
変な間が開いてしまったので、そのまますごすごと帰って来てしまいました。
やはり穏便に済ませようとすると、戻って来るモンも戻って来ないものなのですね。
1月25日(日) 日曜はたいてい子供をバスに乗せてどこかに連れて行くのです。
今日は比較的のんびりした北の方角に向かって行くことにしたのですが、
特に行くあても無いので、いつもの如く、とにかく最初に来たバスに乗ろうということに
したのです。
そうすると、あろうことか真っ先に来たのが、おばばの家の玄関先まで行くミニバスだった
のです。私は己の運の悪さを呪いました。
このバスはおばばがチャーターしたわけではないのですが(当たり前だ!)、
おばばの家前からうちのマンションの側を通過して駅前まで行くという、何故かおばばに
とっても都合良くできている路線なのです。
おばばが村出身の市会議員を威嚇して就航させたのでしょうか。

というわけで、しゃあないのでおばばの家に行ってしまいました。
おばばは突然の孫の訪問に大喜びです、それに孫以外は見えていないかのようです。
ちょうどその場に居合わせた村人にも、「なんにも(行事の)無い日でも、こうやって
帰って来てくれるのや〜、それに日本語が話せるのやで〜、ワテの孫は!」なんて
自慢しているようでもあります。
下の息子は最近まで日本語さえほとんどしゃべられなかったのですが、ここのところ
何やらうじゃうじゃ一人でしべっているので、それを聞いたおばばが「えっ?好痛?
好痛って言うてるんか?」と半信半疑の末、己に都合良く確信してしまったらしく
「ちょっと!この子『好痛』ってしゃべってるで〜、広東話いうてるで〜」と、村中に響き
渡るかのようなドラ声で吹聴し、涙を流さんばかりに喜んでいらっしゃったのですが、
それは「ウルトラ」って言うてるんじゃぁ〜!
だいたい、昔おばばはなぜだか「日本人は皆オウム信者や」と疑っていたようで、
私との結婚に猛烈反対やったクセして、今ではてのひらを返すように自慢に高じている
ポリシーの無い姿勢はなんとかならんもんでしょうか。

それに、何度も何度も「もう食べた」と返事しているのにかかわらず、何度も何度も
「昼飯は食ったのか?」と聞いてくるのです。昼飯がダメなら「じゃ、夕飯食ってけ」作戦
です。孫を少しでも長く引き留めたいようです。1時間ほどすると、インスタントラーメンを
3袋も作って我々4人家族に「食え」というあり様です。
畑の野菜まで摘んで来て、茹でてラーメンに乗っけてあるのでなんだか食わないと
バチ当たりな気もしてしまい、また、食べない限り帰してもらえそうにないので、
美味しくいただきましたが。
帰り際にだんなの古い友人がやって来て、我々の家族写真を撮ってくれるというので
家族で並ぶと、誰も誘っていないのにおばばもしっかりフレームに収まって来たのです。
そういえばおばばの家のTVの横は、天使のような孫と人相の悪い強欲おばばの
コントラストも鮮やかなツーショット写真がベッタベタなのです。
どんな写真ができてるか楽しみですな。
1月24日(土) 先日、マンションの廊下の、ちょうどうちの玄関横に位置する壁タイルがすごい音を
立てて突然崩れたのです。
そして今日は土曜だというのに、朝の9時からタイルの貼替え職人が来たらしく、
崩れた1m四方の回りを、ものすごい音のする電気カッターで削り落とし始めたのです。
しかしタイル壁にカッターを入れると、元々の貼り付けが悪かったのか、その振動で回りの
タイルまでもガラガラと崩れていっているようなのです。最初は崩れた1m四方だけだった
のが1m50cm四方になり2m四方になるという具合にどんどん広がって、最後には
とうとううちの玄関外側にある鉄の扉と内側の木の扉の間25cmほどの隙間にある
タイルまで崩れてしまったのであります。
そうなるとうちの玄関を開放しないと作業できないし、廊下もすごい状態になっているので
半日軟禁状態になってしまったのであります。おら!
うちの家というのは、毎日ご前中に買い物に行く慣わしになっているので、朝一番は
冷蔵庫にほとんど何も無い状態なのでありまして、朝は残っていた食パン関係、昼は
職人が昼を食べに行った隙に、だんなに弁当を買いに行かせました。まぁ楽チンできた
から許してあげよう。

と思いきや、職人が作業を済ませ帰ってしまった後、廊下をチェックするとうちの玄関の
呼び鈴のボタン部分がタイル貼りのセメントで固まってしまったのか、埋没したままに
なっているのです。呼び鈴を押したままの状態になっていて、音が出ないのです。
この呼び鈴を使うのは、突然うちの玄関まで不意討ちをかけて来るおばばくらいなもの
なので、私にとっては「ふっふっふ、居留守の口実ができたわい」という風に、
いわば『これ幸い』だったのですが、だんなはうちの敷地内のタイルまで壊された挙句に、
お母様愛用の呼び鈴まで潰されたことにたいそうご立腹で、すぐさま管理事務所に
ガラの悪い声色で苦情の電話をかけ、前からセメントが取れてグラグラになっていた
玄関の敷居まで「タイル替えの振動で外れた」などと、結構ないちゃもんをつけており
ました。
1月23日(木) もうすぐ旧正月なので、新年に備えて頭髪を不自然なくらい真っ黒に染めたおっちゃんを
よく見かけるこの頃です。ちょっと真っ黒すぎへんか、キミたち。

うちも新年の、親戚への挨拶回りにもって行く手土産と、うちに来られた時に出すお菓子
系列を買っておかねばなりません。
しかし、今買うと、店頭でゆっくりラッピングしてもらえるのはいいのですが、価格が安く
なっていないのです。新年直前になると、敵対スーパー同士で価格の下げ合いっ子に
なるのは毎年のことで、もうちょっと待った方がいいかも?などど考えると、何も買えずに
今日も終わってしまいました。
1月22日(水) 本日は、うちのだんなが昼間は仕事の無い日なので、子供を置いて買い物に行って来て
いいよということで、昼から沙田に行くことにしました。
しかし、だんながこのように快く言ってくれた日には、夕方家に戻ると必ずおばばが
ソファで寝ている羽目になるので、今日は「おばば呼ぶんやったら行かへんで〜」と
釘を刺しますと、「ああ、今日は俺1人で面倒見るわ」と言い切ったので、半信半疑ながら
出かけました。

沙田に行ったのにはワケがあるのです。西田(西友?)で天カスを買いたかったのです。
うちの近所にはジャスコがあるのですが、品揃えはあまり豊富でないので、天カスが
売っていないのであります。前に一度だけ、お菓子売り場の衛生ボーロの横に、
日本での売れ残りと思しき、消費期限が差し迫って「しゃあない、香港に回してまえ〜!
こんなもんでも安かったら買う奴居てるやろ」という根性丸見えの天カスが、投売り価格で
並んでいたのですが、それ以来売っていないのです。
それに、天カス抜きでたこ焼きを焼いても全然美味しくないということを最近、自分で
やってみて思い知らされたので、どうしても天カスが欲しかったのです。

というわけで沙田にやって来たのですが、まず最初にCD屋を覗きますと、ここ1ヶ月ばかり
ずっと欲しいと思っていたストロークスというバンドのCDが98ドルという、まぁ妥当な価格で
売っていたのです。それにはボーナストラックが5曲も入っています。
他にもいいのがないか探していると、ラーズというバンドの名盤CDが68ドルだったのです。
これのレコードは持っているのですが、悔しいことにこのCDにもボーナストラックが
入っているので、なんとも捨てがたいのです。
「両方欲しい!」と思うのですが、財布には100ドル程しか入って無いので、どっちに
しようか吟味していると、ストロークスの方は、5曲のボーナストラックが、なんとDVD化
されているらしいことに、はたと気がついたのです。CDとDVDと2枚入っているのです。
こういうのは初めて見たのですが、最近はDVDがおまけに付いているというのはよくある
戦略なのでしょうか。
それで、音楽がどうのこうのというよりも、CDが2枚入っているからこっちの方が得や!
という、ほとんど香港人おばば的思考に負け、ストロークスを買ってしまいました。

それから天カスを買うと、お金が5ドルほどの小銭しか無くなったので、何も飲み食い
できずに帰ってきました。
早く帰ったので、おばばの姿は見えませんでしたが、もうちょっと遅く帰っていたら、
きっと出没してたのに違いないでしょう。
1月17日(金) 息子の幼稚園は、来週が筆記テスト期間なのです。
日頃の宿題も、書き取りの字が枠からはみ出ていたりと、あんまり真剣にさせていないと
思われているらしく、担任のおばちゃん先生からだんなに電話がありました。
ちゃんと予習させておけ、字も綺麗に書かせるように指導しろ、ということのようです。

うちは私もだんなの方も字がヘタクソなのです。
私も少女時代は、己の象形文字を少なからず恥に思っておりまして、日ペンの美子ちゃん
でも受講しよかな?と真剣に悩んだこともあったのですが、字がヘタクソだというので
卒業文集や年賀状、披露宴の記帳などでは少々悲しく思うことはあれども、生活自体に
影響もなければ困ったこともないので、今では「字なんか識別できればエエのや!」と
胸を張って言えます。
だんなもだんなで、「俺は味のあるエエ字を書く」と自己陶酔しているようですので、
こういう状況で育つ息子も字がヘタクソなのです。でも、一応読めます。
ああ、早よ終われ、テスト期間。
1月15日(水) 下の息子がしきりに鼻をフガフガしているので直感が走り、慌てて穴を見てみると、
やはり異物が詰まっておりました。服を買った時によく値札を付けている白っぽい
プラスティックの留めの、幅5mm長さ10mmくらいの頭の部分がすっぽり納まって
おりました。
実は上の息子もちょうど同じくらいの歳のころに、爪楊枝の頭の部分1cmくらいを
鼻に詰め、フガフガしていたのですが私が気付くのが遅く、鼻の穴の奥で見え隠れする
ところまで入りこんでしまい、夜の11時に救急病院に走り、取ってもらったことがあった
のでした。
今回の異物は、家で難なく取れたのですが、ほんま冷やっとしました。
子供って、やることが一緒ですなぁ。
1月12日(日)
 夜の部
夜はだんなの従兄の結婚披露宴なので、家族総出で美心レストランまで行かなくては
いけなかったのです。
レストランまで一緒に行こうと、義弟がうちまでやって来ました。
義弟はなかなか外見には気を遣う野郎なので、そこそこの正装でやって来ました。
しかし靴を脱いだら最後、奴の足元からものすごい異臭が発せられたのです。
「外見ばっかり気ぃ遣わんと、その足をなんとかせぃよ」と心では思いながらも、私は
最初は我慢していたのですが、義弟が部屋を歩くたびに足の臭さが床に伝染し、
キッチンマットにさえ残り香が付くほどだったので、足だけ洗うように言ってやろうと
思いました。
すると、うちのだんなも「足臭で目が痛い」と言い出し、上の息子は臭いにすごく敏感で
異臭ですぐ気分が悪くなるタイプなので、「うぇ〜っ」となってしまったのです。
そういうわけで、皆から「風呂場で足洗え!」と言われ、義弟は風呂場へ向かいました。

私は足だけ洗うもんだと思っていたのですが、義弟はなかなか出て来ません。それに
なんだか湯船にお湯を張っている気配がするのです。そしてやはりバシャバシャ〜と
湯船に浸かっておる音がしだしたのです。義弟の家には湯船がないので、発作的に
風呂に入りたくなったのでしょうか。今から披露宴に行くというのに!
湯船に浸かってゆっくりした後、シャワーを使い体まで洗っている様子なので、
だんなに「ちょっと!どういうことよ!」と目で訴えたのですが、だんなは「はっはっは・・・」
と苦笑いでごまかそうとするだけです。
しばらくすると、義弟が風呂場からドア越しに「バスタオルある?」と聞いてきたので
聞こえないフリしていると、今度はだんなが「おい、バスタオル出したってーや」と
さも当然のよう命令して来たので、「バスタオルの替えなんか無い!あんたのバスタオル
貸したりーや」と冷たくあしらってやりました。
義弟は洗髪までしたようで、それからも「ドライヤー使っていい?」「ヘアブラシある?」
「靴下の替え貸して」などと、図々しさ満開でございました。

そうして披露宴に行くことになったのですが、下の息子が寝てしまったのです。
内部事情をちょっと説明しますと、披露宴を開いた従兄はおばばの夫の実姉の長男で、
おばばは親戚ながらも常に、この義理姉一族に対抗意識を燃やしているようなのです。
そして、義理姉一族にはいまだ孫がいないので、おばばにしては「わてには孫が2人も
いるんやでぇ〜」と自慢するべく、披露宴で見せびらかしたいようなので、「絶対連れて
来い!」と前から言われていたのです。
しかし。こういう時に下の息子を連れ出すとご機嫌斜めで泣き喚き、暴れまくって披露宴を
ぶち壊すこと間違いなく、自慢どころかおばばの顔に泥を塗る結果になりかねないことが
想像に難くないので、おばばの携帯に電話してお伺いをたてると「ほんなら下は連れて
来んでエエ」ということになり、私も行かなくて良くなりました。
すると上の息子も「行かへん」モードになってしまい、結局おばばの孫は誰も出席しません
でした。ふっふっふ。
1月12日(日)
 昼の部
昨晩から日本の友人夫婦が香港に来ているはずで、今日は一緒にお昼ご飯を食べる
段取りになっていたのですが、一向に友人夫婦から電話がかかって来ないのです。
昼も1時過ぎになり、ひょっとして日にちを勘違いしていたか???と思っていたころ、
うちの玄関のベルが鳴りましたので、もしやおばば?もしや夫婦?と思いながら
恐る恐るドアの穴から覗きますと、やはりその夫婦が、過去に一度来た時の記憶だけを
頼りに、自力でやって来たのでした。こんな田舎まで来ちゃうとはすごいです。
なんでも、うちの電話番号を書いた紙を日本に忘れて来たそうなのです。

そうして、皆で先日うちの家族で行った、日本で修行を積んだという上海料理の
おっちゃんのお店に行くことにしました。
色々食べて一息ついていると、料理人のおっちゃんがまたもや「これサービスね」といって、
今日はマシュマロかメレンゲか、正体がいまだによくわからないのですが、そういう皮に
餡子を包んで揚げてあるお菓子を持って来てくれました。ついでに、前歯に青海苔の
ようなものを付着させている女の人をぴたっと横にはべらせ、「奥さんね」といって紹介も
してくれました。紹介されなくとも、前から「この人が奥さんやろうなぁ」と察しはついては
いたのですが。なぜならば二人ともなんとなく顔が似ているのです。

おっちゃんはかなりのおしゃべりなのです。うちの席に来て、仕事そっちのけで
延々10分はしゃべっていたと思います。
しかし、そのおかげで京都のどこで働いていたかとか、日本でいくら給料を貰っていたとか
色々な情報を得ることができました。
ただ、前回行った時は、「去年の11月に香港に帰って来た」といっていたのに、今日は、
「3年前に帰って来たね」といい、しばらく別の話に反れてしまったのですが、再び話が
そういう関連のことになると、今度は「私6ヶ月前に帰って来たね」というのです。謎です。
また行って、探りをいれなければいけません。

そうしてレジでお金を払ったのですが、500ドルを出して、なんとお釣りが450ドルも
帰って来たのです。大人4人で飲み食いして、この金額のはずがありません。
普通の私ならばこういう釣り銭が多い時は、素早く受け取って隼のように立ち去るのが
常ですが、このおっちゃんの店にはまた来たいし、サービスもあったし心が苦しくて、
「1枚多いよ」と正直に申告してしまったのです。
それを一部始終見ていただんなに、家に帰ってから罵倒されたのはいうまでもありません。
1月12日(日) 電話が結構頻繁にかかってくるのです。
1日に一度くらいはかかってくるのです。そして、毎度のことながら香港人の無礼さに
腹を立ててしまう自分がいるのであります。

私はたいてい「ハロー?」と言って電話に出るのですが、その段階で間違いと気付くのか
何もいわずにガチャリと電話を切ってしまう無礼な野郎が、少なからず存在するのです。
また、こっちが「ハロー?」と言っているにもかかわらず、延々と「ワイ?(もしもし)」
「ワイ?」とうるさく呼び続ける野郎もいるので、こっちも延々と「ハロー?」「ハロー?」
「ハロー?」とドレミの調べのように、一音階づつ上がりながら呼び続けますと、
またもやガチャリと切りやがるのです。
または、「○○先生はいるか?」と、明らかにうちの家族にはいない名前を言うので、
こちらも「間違い電話ですよ」と丁寧に応対してやったのに、詫びの一言もなく、そこで
ガチャリと切ってしまう輩も非常に多いのです。
中には、こちらが英語で応対したので、焦って広東語からたどたどしい英語に切り替えて
一生懸命話してくる良い人もいますので、皆が皆無礼というわけでもないのですが、
十中八九は「シバいたろか!」と思ってしまう輩なのです。

ですので最近は目には目をということで、明らかに間違い電話と思えるものには、
おばばの声色を真似てのどにタンをからませたようなドラ声を搾り出し、
一言「打錯電話!」と叫んで、こちらからガチャリと切ってやることにしています。
先ほども「楊老師をお願いします」という女の声だったので、結構無礼に「打錯アー!」と
叫んで切ってやり、「な〜にが老師やねん!ここは学校とちゃうねんど!」とプリプリして
いたのですが、よく考えると「楊老師」というのは自分のだんなのことだとハッとしまして、
だんなの評判に傷がつかないかちょっと今、心配なのです。あれはきっと父兄からですわ。
1月8日(水) 今日はだんなが昼間は仕事がないので、お昼ご飯を近所の上海料理ベースの
大衆食堂で食べることにしました。
この店は最近できたのですが、うちの住んでる地域で発行されている新聞に、お薦めの
店として載っていたのです。
それによると「料理人は日本で7年修行して・・・」と書いてあったのですが、
日本で修行してたのに、なんでこんな田舎で大衆食堂を・・・・という疑問があったので
嘘であろうと思っていたのです。
すると途中で料理人らしきおっちゃん自らが、酸ラ湯というスープをお椀に持って来て、
「これサービスね」と流暢な日本語で言ったのです、そして少し話を聞くとほんとに
京都に7年いて、去年の11月に香港に帰って来たそうなのです。11月に帰って来て、
もう自分の店を出しているというのもすごいですが、髪ボサボサですっぴん、しかも
ヨレヨレの服装の私を日本人だと判ったおっちゃんの眼力が、一番すごいと思います。
1月7日(火) うちのだんなが中国製の大根の漬物を夜食に食べようと、レンジにかけ温めますと、
いきなりレンジ内でパチパチと火花が散ったのです。
だんなが慌てて取り出し「このお皿、あかんわ」と、ガラスの皿に移し替え、再度レンジに
かけますとまたもやバチバチとなったのですが、観察しますと火花バチバチが、
どうも皿からではなく、大根から発せられているようなのです。
再度取り出すと、大根のところどころが黒焦げになってしまっているのです。
だんないわく、「これはきっと大根に水銀が混じっているのや、日保ちさせるために入ってる
のや」ということなのですが、ほんとにそうなのでしょうか。
うちのだんなはこういう毒性を含有している食品について語る場合、いつも「水銀が
入っているに違いない」というので、水銀かどうかその根拠は果たして怪しいものなの
ですが、レンジの反応からして、きっと何か金属が含まれていることは間違いなさそうな
気もします。
そういえば、日曜の新聞にも、たけのこの水煮かなにかを作る工程で硫黄を入れている
業者があるから気をつけろ、というような記事が載っていたのです。
う〜、大根もメンマもこの7年で結構いっぱい食べてますなぁ。

その反面、市場で2パック10ドルで買った中国製と思しきイチゴは、大した期待もして
いなかったのですが、結構なかなかのお味だったのです。
香港ではアメリカ産、ニュージーランド産のイチゴがよく出まわっているのですが、どれも
「これを木イチゴと呼ぶのか?」とつまらないシャレでも言いたくなるほど、硬いのです。
りんごのような噛みごたえなのです。
しかし、中国製イチゴはふわりとした触感で、甘味もテキトーによろしかったのです。
こういうのも、化学肥料たっぷりで農薬がいっぱい降りかかっているのでしょうか。
食品の毒性なんて見た目でわからないし、買えるものを買うしかないので仕方がない
のですが。
1月6日(月) またもや急に寒くなったので、いぼ痔になってしまいました。
いぼ痔といいましても、肛門の外にできる外痔核というやつなので、肛門部に絶えず何か
物を挟んでいるような異物感もありますし、神経が敏感な部分ですので非常に痛いのです。
痔になる原因は色々あるようなのですが、私の場合、冬場に辛いものを続けて食べた時に
ウンコのキレが悪い状態も併発しているのに、何か急かされる状態におかれており、
拭きが甘かったりしたら、なり易いようなのです。わかってはいるのですが、教訓を忘れた
ころに再発してしまうのであります。
しかし基本的には血行を良くすると3日くらいで引っ込むので、患部にカイロを当てて
おくことにします。寒いので体も温まるし痔も治るで、一石二鳥ですな。
1月5日(日) 明日から幼稚園が再開されるので、夜更かしの朝寝坊クセがついた息子を、
今晩は何が何でも早く寝かしつけようと努力した1日でした。
昼間はバスに乗って上水というところまで行き、公園でたっぷり遊ばせて帰りのバスで
ウトウト寝そうになるのを叩き起こし、家に着くとすぐ風呂に入れ、晩御飯を食べさせ
もういつ寝てもええど!というくらい万全の体制を整えたのです。
そして明日の幼稚園の用意をしていると、なんと履いていく運動靴を洗っていないことに
気がついたのです。冬休みは2週間ほどあったのですが、最後の日、しかも日が暮れて
から気付くなんて!
慌てて洗って、ヒーターの上にかざしたのでなんとか乾きそうですが。
それから次は、宿題をやっていないことに気付いたのです。
宿題のワークブック1冊は、冬休み早々にスパルタ式で全部終わらせていたので
すっかり油断してしまったのです。
うちの息子はのろのろしているので、授業中にこなせなかった課題がそのまま冬休みの
宿題として出されていたようなのです、その塗り絵が数ページ残っていたのです。
これも慌ててさせて、なんとか間に合ったのです。
しかし、全部やり終えたと思っていたワークブックをペラペラとめくっていますと、ほんとに
最後の最後のページに「冬休みの思い出」という欄があり、そこに「冬休み中に撮った
思い出の写真を貼れ」と書いてあるのです。
冬休みは終わってしまったぞ!写真もないぞ!どないしよ。
1月2日(木) TVでFIFAの年間ベストプレイヤーの受賞式がやっていたので、観てしまいました。
普段ユニフォーム姿しか見る機会のないサッカ−選手の私服姿を拝めるのは、新鮮で
嬉しいものです。
しかしこういう場では、服のセンスのいい選手と、あまりよろしくない選手の差もはっきり
出てしまうものですね。
ドイツのクローゼなどは、スーツが黒っぽいものだったのに、靴がタン色と呼ぶのでしょうか、
明るい茶色だったので、なんだか野暮ったく違和感がありました。

日本はワールドカップが開催されたせいか、ベストサポーター賞というのを受賞したよう
なのですが、式に来ていたのが日本サッカー協会(?)の岡野俊一郎翁だったのです。
プレゼンターから受賞が告げられ、まだステージに上がる前の、半分尻をずらせて
あたかも終電車に座っているかのようなだらしのないたたずまいの岡野氏が
全身アップで映ったのですが、彼の足元が、日本のおっさんがよく履いている
黒いストッキング姿で、しかもズボンの裾がまくれ上がって丸見えになっていたので、
TV越しにその酸っぱい臭いまで漂ってきそうで、これも「格好わるー」と思ってしまいました。
とにかく、私が思うところ、一番のおしゃれさんはフランスのジダンでした。
ヤーさんみたいなコテコテの服装の選手もいたのに、ジダンはさりげなくおしゃれでした。
上等のスーツを買うお金があるのに、着こなせる器量も風格もあるのに、頭には堂々と
かっぱ禿げを乗せているところも、カッコイイと思ってしまいました。
禿げのカムフラージュの為にスキンヘッドにする人も多いのに。

それにしても、この授賞式でも何故か、どこぞの綺麗な姉ちゃん歌手3人組みの腰クネクネ
ダンス付きショータイムがあったのですが、授賞式を企画構成した人々は、歌が受賞式に
華を添えるとでも、真剣に思っているのですね?
それなら選手に歌わせて歌合戦の方が、おめでたいし観てみたい気もしますけれど。
12月28日(土) だんなが子守りをしてくれるというので、昨晩日本から来た姉と一緒に買い物に行かせて
もらいました。
姉が女人街に行きたいというのでバスでモンコックまで出ますと、バス停からちょうど
見えた『華潤百貨』という中華系の百貨店が店じまいセールをやっているらしく、「残り3日」
などという張り紙がそこら中になされ、店内がごった返している様が見えたので、とたんに
血が騒ぎ、信号待ちももどかしく、吸い込まれるように入店してしまいました。

姉は天珠と呼ばれるビーズの大型のような、チベットのお守り収集に凝っているのですが、
以前香港で結構な値段で買ったものを日本で鑑定してもらうと、実は骨董品ではなく、
オーブンで焼いただけの偽物だったらしく、悔しがっていたのです。
それで今回は「本物を売っている店はないか?」と聞かれていたのですが、私は元来
宝石貴金属とか骨董品とかお守り願掛け、呪術祈祷などに全く興味がないので、
そんなことは知る由もありません。

そうして華潤百貨を、何かお買い得品がないものか1階から見回して行ったのですが、
店じまいというほどにはビッグな割引がなされておらず、ちとがっかりしながら3階まで
上がりますと、そこはなんと天珠天国だったのであります。
宝石売り場の1画に天珠だけを扱うすごい品揃えのカウンターが2軒もあり、しかも
「全品7割引の上、更に1割引」になっているのです。
そこはオーブン焼きと思われる、1個数百ドルの品から、いかにも年季の入っていそうな
1万ドルを超える骨董天珠らしきものまであったのですが、ほとんど8割引きという価格に
してもお店はまだ利潤があるはずですから、最初の価格設定って一体どういうことなの
でしょう?
大枚はたいて買った本人だけが持ち得ることができる、「ええもん買ったわ〜」という
自己満足に基づくプライスなのでしょうか?(余計なお世話ですね)
12月27日(金) 今日は寒いですね。街中に「スキーに行くのか?えっ?」と声をかけたくなるような完璧な
モコモコルックの人々が溢れております。
朝、ニュースを見てたら最低気温が4度になっていましたが、4度ってことはないですよね?
そこまで寒くはないぞ!私はシャツ2枚でしのいでいるぞ!
しかしよく考えたら、これは単に私の皮下に入っている分厚い断熱材のおかげで寒くない
だけなのかもしれません・・・。
そして今晩、日本の姉が香港にやって来るので空港まで迎えに行かなくてはいけません。
あまりの寒さに、デロンギヒーターをベッドの下から引っ張り出し、寝袋で寝させようと
思っていた姉の分も、慌てて布団も買いに走りました。そして今晩は鍋です。寒い寒い。
12月25日(水) 毎年、クリスマスだけはがんばって中華鍋で鶏の丸焼きを作っていたのですが、
今年も鶏のインフルエンザがぼちぼち出ているようなので鶏は止めて、羊にしました。
羊といいましても骨付きロースの切り身を買って来て魚焼き器であぶり焼くだけなのですが、
いつもはもったいないので親子3人(だんなの不在時に食べている)で2本しか買えない
ところを、今日は奮発して家族4人に1本づつ当たるように、4本買って来たのです。
そして夕方、ご飯の用意に取り掛かっていますと、突如玄関のベルが鳴り、嗚呼、神様!
そこには、足の臭い義弟が図々しくも立っていたのです。
義弟は部屋に入るなり、「メリークリスマス!」と挨拶したので、今日が何の日か
わかっているようです。わかっているのに来たということは、これはきっと見栄を張って家を
出て来てしまったけれど、行く宛がないので仕方がなく、うちに来たのに違いありません。
私はちょうど、これまた滅多に買えないスモークサーモンでサラダを作っている最中で、
義弟の目がまな板の上のサーモンに釘付けになったのを目撃してしまったので、
「これはご飯を出さへん限り帰らへんやろうな」と観念しました。
そして義弟はうちのだんなとプレイステーション2で遊び出したのです。
うちのだんなは突然の来客が嫌いな私の性分を知っているらしく、へらへら〜と笑いながら
私のご機嫌を取るべく台所にやって来ましたので、「あんたのラムチョップを弟にあげや!」
ときつく言い放ちますと、焦って「ご飯時には帰らせるから」とのたまったのですが、やはり
そのままずるずると夕食になってしまいました。
食事でおばばの家のようなバトルになるのは嫌なので、1人1人取り分けにし、だんなの
皿には嫁の情で一番小さいラムチョップを乗せてやり、子供2人にも1本づつで、
やはり私の分が無い状態になったのです。
私は罪の意識にかられただんなが「俺はいらんからお前が食べろ」とラムを差し出す
ものと期待していたのですが、それは幻想にすぎませんでした。だんなは真っ先に肉に
かぶり付き、数十秒で骨だけの姿になっておりました。
お前には夫婦の情愛は無いのか!き〜〜っ!
12月24日(火) クリスマスイブではありますが、な〜んもしてません。
息子たちへのプレゼントも、義兄義姉たちから毎年貰うので、去年も今年も私からは
買っていません。買ったところで、子供2人で醜い取り合いになるし、すぐ壊してしまうの
です。香港は暑いから、サンタは来なかったことにしておきましょう。
しかし実は、キーボード楽器が欲しい(私が)ので、買うか買うまいが非常に迷っている
最中なのですが、どうしましょう。ジャスコで54鍵盤のやつが249ドルで売ってるのです。
色々なドラムの音になったりバイオリンの音になったりと色々な機能も付いてるようで、
心奪われしまっているのです。どうすればいいのだ!
12月22日(日) 本日は冬至であります。
家族揃って美味しいものを食べて寒い冬を乗りきろう・・・ということだっかと思いますが、
とにかく冬至には一族結集して夕食を食べるのが慣わしになっているようなのです。
おばばの家でも御多分に洩れず、おばばと仲のよろしくない義兄の奥様以外は
皆勢ぞろいの、おばばの手料理晩餐会でした。
今日のメニューは買って来た焼鴨に子豚の丸焼き、おばばの庭で育った鶏を〆た
手製の油鶏に白切鶏、蒸し魚、豚バラとクワイの煮込みに、おばばが作ったらしく
こやしが足りなくてスジばったガイランという野菜炒めにスープでした。肉ばっかりですな。
エビ関係がなかったのがちょっと残念でした。

もう毎度のことなのですが、この一族と一緒にご飯を食べると、料理獲得の競争が
身内とは思えんほど激しく、恥も外聞も捨ててバトルに加わるか、1人静かに傍観者に徹し
他人様の残り物を細々と噛みしだくか、私は大いに迷ってしまうのです。
皆、自分の嫁はんも婿も、目上の立場であるはずのジジババの存在もお構いなしで
ひたすら我先に食べるのです。無慈悲なのです。普通はまず、義兄あたりがジジババに、
料理の一番ええところを取って差し上げるのが、儒教の教えではないでしょうか?
私のような控えめなよそ者嫁には、だんながそっと焼鴨の一切れ二切れでも、ご飯茶碗に
取ってくれるのが、夫婦の情愛というものではないでしょうか?

それに、これは陰謀なのかもしれないですが、「さて、食べるぞ」という段階になって
皆お目当ての料理に近いポジションにそろそろと着席しますと、必ず1つ2つ椅子が
足りないのです。慌てて椅子を持って来て再び「さぁ、食べるぞ」となっても、今度は
ご飯とお箸が足りないので、自分で台所に行って取って来ないといけません。
そうこうしているうちに、皆はどんどん料理の良いところから食べ出しているので、
かなりの出遅れなのです。
そうして今回も、椅子取りゲームに負けた私がなんとか座れた場所は、噛みきれないほど
硬い野菜炒めの前で、蒸し魚にも箸が届かず、焼鴨のええところもとっくのとうに無くなって
おり、野菜の繊維で喉を詰まらせ、はらわたが煮え繰り返る思いでした。
正月はもう帰ったらへんからな!
12月21日(土) 朝11時に誰かが玄関のベルを鳴らすので、嫌な予感をさせながらドア穴を覗きますと、
やはりおばばでした。今週はこれで3回目の登場です。
今日は朝から布団を買って来てくれたようです。下の息子の掛け布団が薄すぎるから
これを使え、ということのようです。こういう物は、ありがたく戴いておきました。
おばばは一昨日来た時は直毛オールバックだったのに、今日はなんだか緩いパーマが
あたっていたような感じだったのです。さすがにやっさんヘアでは年越しできないのか、
昨日再びパーマをあてたのでしょうか?それともやっさんはスプレイのせいだったので
しょうか?よくわかりません。
12月20日(金) 今日はオジジ(義理父)に襲撃されました。なんて書きますと聞こえが悪いんで、的確に
状況を説明しますと、馬券を買いにうちの近所まで来たオジジが、ついでにうちに寄って
帰ったというわけです。来たのがほとんど5時ごろだったのに、ハトの丸揚げを買って来て
「今すぐ食べろ食べろ」とうるさく、親子3人でムシャボリついたので夕ご飯を食べる気が
しません。

それはそうと、今日は息子の幼稚園のクリスマス会だったので、下の息子も連れて行って
来たのです。
クリスマス会や終業式では各学年歌を歌ったり寸劇をしたりと、色々出し物があるのが常
なのですが、うちの息子はそういうのに順応できないのか毎回メンバーから除外されて
来たのです。
しかし、今回は寸劇で羊の役がついたらしく、先生から前もって「白いシャツで来させろ」と
いうお達しがあったので、それはそれは楽しみで、内心小躍りしながら出かけたのです。
しかし、幼稚園に着いたとたん、下の息子が場所見知り&人見知りで会場である遊戯室に
入ろうとしないのです。そして小雨にもかかわらず、園庭の遊具に逃亡を図るのです。
連れ戻そうとすると、地べたにふんぞり返って大泣きするし、他のお母様方が気を遣って
あやそうとしてくれるのですが、それも逆効果でますます泣き喚く状態なのです。
「ズボンが濡れてるよ」とお母様方は言ってくれるのですが、予見の悪い私は着替えを
持って来ていなかったので、皆大騒ぎで幼稚園の体操服を借りられるよう手配してくれ、
皆が見守る中なんとか押え付けて着替えさせたのですが、なんとおむつにうんこしていた
のです。ずっと遊んでいたのでうんこがぺったんこで皆「あいやー」と再び大騒ぎになり、
見世物もいいところでしたな、情けない。
それから校長が気を利かせて下さり、教室を開放しておもちゃで息子を遊ばせてくれた
ので、見慣れないおもちゃの数々に、しばらくはなんとか息子1人で遊んでくれ、時々
息子の様子を覗きに行っても、よだれを垂らしながら一所懸命遊んでいるので、触らぬ神に
祟りなしということで、私は安心して遊戯室で出し物を観ることができました。

さて、肝心の上の息子の出し物ですが、キリストの生誕を歌謡劇タッチに仕立てたもの
だったのです。歌のところどころにセリフが入っていて、どの子もしっかり言えていたので
息子が心配で、ちゃんとセリフを言えるのかな?と心臓バクバクさせていたのですが、
バクバクさせているうちに終わってしまいました。
息子はセリフの1つも無く、羊らしく床に三つ指ついて座っていただけなのでした。
あ、羊はしゃべられへんもんね?
12月18日(水) 今日はだんなが昼間子供の面倒を見てくれるというので、1人で買い物に行くことに
しました。
久々にどこか大きなショッピングセンターに行こうと思い、とにかく最初に来たバスに乗ろうと
待っていると九龍行きのバスが来たので、九龍塘で途中下車して叉一城というショッピング
センターに行くことにしました。
まず自分の服を物色したのですが、「いいなぁ」と思うものは定価のままだったり、値下げして
ても20%オフ程度だったので、「来週には50%オフになっているのではないか?」と思うと
なんだか悔しいので、結局買えず終いでした。
それでも購買意欲を満たしたいので、エスプリという店でスウェットシャツを手にとっていると
香港人には珍しく不気味なくらい愛想の良い店員に捕まってしまい、「試着してみろ」と
しつこく迫られてしまったので一応着てみましたら、レディースのLサイズのトレーナーっぽい
ものな筈なのに、私が着ると腕も胴回りもピチピチで、まるでインナーシャツのようなのでした。
しかし試着室を出ると、その店員が待ち伏せしてて「いかがでしたか?2枚買うと割り引き
しますよ」と詰め寄って来たので、店員の口車にまんまと乗せられ、ピチピチにもかかわらず
結局色違いで2枚も買ってしまったのでした。

その後、子供の服を1枚だけ買い、折り紙を買い、貼れるカイロを買い、エルシドあたりで
優雅にランチを食べようと目論んでいたのですが、結局最上階のフードコートで20ドルの
上海排骨湯麺と豆乳を食べただけで帰って来てしまったのでした。
自分のデブさ加減と貧乏性を再確認した1日でございました。

そうして帰って来ると、だんなは「買い物に行かせたったんやから文句は言わせへんで〜」と
いわんばかりに、子供は放ったらかしで堂々とプレイステーション2で遊んでいたのです。
おまけに女まで連れこんでいたのです。その女は最初居間のソファでだらしなく寝そべって
いたのですが、私が帰って来たとたん飛び起きて、いつものドラ声で「おう」と照れくさそうに
挨拶しよったのです。髪は昨日から洗っていないらく、スプレイでカチカチのオールバックが
バリバリに乱れておりましたが、そういう乱れ髪の方がお似合いでした。

12月17日(火) 夕方5時に玄関のベルが鳴ったので、イヤな予感を抱きつつもドアの穴から誰が来たのか
確認したら、横山のやっさんみたいにカチカチに固まったオールバック頭見えたのです。
うちの玄関はドアの外側にもう1枚、鉄の防犯扉がついていて、その扉の上半分は格子に
なっているのですが下半分は鉄板が張られていますし、オールバック野郎はよっぽど鉄の
扉に貼り付くように立っているのか、こちらからはオールバックしか見えないのです。
どこのおっさんが来たんやろう?と恐る恐るドアを開けてみると、「おう!」という聞き慣れた
ドラ声がして、そこには定番のアフロヘアをオールバックにチェンジした、おばばが立っていた
のでした。
うちのマンションの階下のショッピングアーケードには『髪廊』と看板に書かれた美容院
が多く、これから冬至、クリスマスに正月及び親戚の結婚披露宴も1つ控えておりまして、
一族大結集のイベントが目白押しなので、おばばなりにお洒落心をくすぐられたのでしょう。
どうも髪廊でストレートパーマをあて、短髪にしたようなのです。
しかし、剛毛を無理からにオールバックにするには美容師も苦労したのか、ヘアスプレイで
カチカチに固まっているようです、しかもそのヘアスプレイが、ハエ蚊キンチョ―ルの匂い
なのです。実は好きな匂いなのですが。
おばば自身もニューヘアスタイルに戸惑いがあるのか、何度もうちの洗面所でチェックしたり、
息子に何度も何度も「きれいか?きれいか?」と確認したりしています。そして息子は
「好レンアー」などと、調子のいいいことを言っておるようです。
しかし普通、女の客の頭を、あのようなカチカチのオールバックにセットするものなので
しょうか?おばばの注文だったのでしょうか?それとも美容師がおばばのことをおっさんだと
思っていたのでしょうか?
12月14日(土) 今日はブライアンの会のマンゴーさん、ジュンペイさんと娘さん、さえちゃんとだんな様に
3歳の息子さん、それに最近お知り合いになれたジャスミンさんがうちに遊びに来て下さい
ました。
うちの6畳ほどの狭い部屋に、うちの息子も合わせると10人が詰め込まれた形になり、
人見知り野郎の下の息子が泣き喚いたせいもあって、ゆったりくつろいでいただく、という
次元からは百万光年かけ離れた場になってしまいました。

さえちゃんの息子さんとうちの上の息子は、最初手を繋いだりして仲良くしていたので
ほっとしていたのもつかの間、やがてうちの息子がいじわるモードになり、さえちゃんの
息子さんの遊んでるおもちゃを取り上げたり、つぶしたりの横暴を始めたのですが、
それでもさえちゃんの息子さんは泣くことも怒ることもなく、のんびりマイペースだったのです。
うちの上の息子みたいな性格の子供がもう1人いたなら、修羅場と化していたでしょう。
さえちゃんの息子さんの朗らかな性格のおかげで、大事にならずに済んだというものです。

子供にも色んな性格があるのは当たり前ですが、性格もある程度、親の遺伝によるものが
あるのかなぁと思いました。上の息子はだんなに似ている気がするのです。そして下の
執念深く文句言いなところは私ですな。上の息子のお古を着せたりしているのも、多分
一生恨みに思っていることでしょう。
しかし、どうしてうちの息子は2人揃いも揃って、分からず屋なのだ!

それから、上の息子は公園などでもお姉さん好きなのですが、ジュンペイさんにトイレに
連れて行ってもらったところ、いつもは自分でオチンチンを手で支えておしっこできるのに、
ジュンペイさんの前では手で支えなかったため、回りに飛び散らせたらしいのです。
これはきっと、ジュンペイさんにそっと支えてもらいたかったに違いありません。

来て下さった方々、どうもありがとう!これに凝りずにまたのお越しをお待ちしてます。
12月13日(金) 朝、下の息子を公園に連れて帰った帰りに、幼稚園で息子と同級生であるチーロン君の
お母さんにばったり会いました。うちはバス通園させているため、お母様方には滅多に
会うことがないのです。
チーロン母は英語がぺラペラで、参観日などにはいつも私のナビゲーターをしてくれ色々
教えてくれる非常にありがたい人なので、もう出遅れているのですが、ここぞとばかりに
小学校の情報を仕入れなくてはと、少し立ち話したのです。
そして帰り際、チーロン母が「クリスマスに一緒に中国に来ないか?家があるのよ」と
誘ってくれたのです。
私は元来誘われるとホイホイ付いて行ってしまう性格なのですが、息子とチーロンは仲が
良いにしても、チーロン母と私はそんなに親しいわけでもないので、口篭もってしまったの
ですが、普通は即答で体裁良く断るものなのでしょうか?
私はいまだにこの辺りの察しが悪くて、相手が単なる社交辞令で言っているだけなのか、
まじめに誘ってくれているのがが、よくわからないのです。
というのは、その後チーロン母が、口篭ってまじめに思案してる私を見て、「あ、でもあんた、
ビザがいるから不便よね?」と急に否定的な態度に転じたからなのです。
「ビザがいるから」云々は、行けない言い訳にするのに私が使うべき文句なはずなのに、
それをチーロン母に言わせてしまって、なんだか己の察しの悪さを呪いたい気分なのです。
その後チーロン母は、足早に去って行きました。
12月12日(木) 私は怒っているのです。
夕方、慢性足臭の義弟が、うちのだんなもいないのにかかわらず、急にやって来たのです。
足が臭いのも、ご飯時に突然やって来るのも、勝手に冷蔵庫を開けたりするのも今日は
許してあげましょう。なぜなら、だんなのとっておきの秘密をバラしてくれたのですから。
秘密というのは、だんながこっそりプレイステーション2を買っていたらしいのです。
しかも、秘密のバレ方がですね、うちにいきなりやって来て「プレイステーション2はどこ?」と
聞きやがったからなのです。きっとだんなのいない間にこっそり拝んで、あわよくば遊んで
帰ろうとでも思っていたのでしょう。
「そんなの買ったの?」という私の引きつった反応を見て、義弟は「しまった・・・」という顔を
しましたが、もう遅いです。きっと仕事場で遊んでいるのに違いありません。
そういうものを買うお金が捻出できるのなら、正月に日本に帰らせてくれや!
12月10日(火) 今日は子宮頚ガンの検査を受けに、母嬰健康院と呼ばれる香港の保健所のようなところに
行って、コンドームをワンサカ頂戴して来ました。
この母嬰健康院という所では、産前産後の母体の検診や、赤子の予防接種や発育検査は
無料で、家族計画のいわゆる避妊指導は1ドルでやってくれるのです。
避妊指導では、卵管を結ぶ手術なんかも望めばやってくれるようなのですが、私はいまだに
手術を一切したことがなく、体を切るのに抵抗がありますし、私の性格からして、結んでから
「やっぱりもう1人欲しかったのに・・・」と後悔しそうな気もするので、この方法はできそうに
ありません。ピルを飲むのも面倒臭いので、いつもコンドームをもらって帰って来るのです。
コンドームも、指導をしてくれる看護婦さんが、「ほれほれ、好きなだけ持って帰れ」と
いわんばかりに、わしづかみにして持たせてくれるのですが、今日は27個ありました。
看護婦さんの指導が終わると、今度は隣の部屋にいるお医者様に面会して、子宮頚ガンの
検査をしてもらうのです。これは最初の2年間は1年に1回づつ検査をし、それで異常無し
だと今度は3年に1回づつ検査をすることになるのです。
私は、今日で2回目の検査なのですが、ズボラな性格なので、1年前の結果も今日初めて
聞いたのです。異常はなかったのでよかったのですが。
子宮の入り口から細胞を取る検査と、乳がんの早期発見のための乳の触診もしてもらい、
ジーパンのポケットをコンドームの束でボコッと膨らませ、誰にも悟られぬよう、
そそくさと帰って来ました。
12月8日(日) 朝から足に赤いポツポツが出て、それが痒くて痒くておかしいなぁと思っていたら、
次第にお尻もたまらないくらい痒くなってきたので、洗面所に行ってパンツをめくって見て
鏡で見ましたら、お尻も一面、赤いポツポツだらけだったのです。
しかし不思議と下半身だけに症状が出て、上半身は異常無しだったのです。
私は顔面だけ脂性なのですが、体は少し乾燥肌なので、昨晩から急に寒くなったせい
かな?とか、パンツにかぶれたのかな?と思い、新しいパンツとGパンに履き替えたりして、
しばらくは我慢していたのですが、お昼を食べに家族で外出してブラブラしてますと、
だんだん体が温まって来たのか、もうどうにもこうにも痒くて、今すぐ「身包み脱いで
掻き毟りたい」という心境にかられたので、慌てて家に戻ってきました。
そして再び見てみると、さっきよりもポツポツも増え、それになんだかポツポツ同士が
くっついて、地図のようになっているのです。
この様相には、見覚えがあります。きっとじんましんです。高校の時に一度なったことが
あるのです。
そうして、じんましんの出たわけを考えてみると、どうやら昨晩食べた、「さばのへしこ漬け」
ではないかという気がするのです。このへしこ漬けは、さばを塩・酒粕などで漬けこんで
発酵させたものですが、今年の夏に日本に帰った時に購入し、香港に持って帰って来たの
です。賞味期限は先月切れたのですが、こういうものは腐れば腐るほどエエ!ような気が
したので、晩御飯がちょっと物足りない時に、少しづつあぶって食べていたのです。
思えば、高校の時のじんましんの原因もお弁当に入っていたさばだったのです。
ただ、高校の時は、お昼に食べて、午後に速攻でじんましんが出たのですが、今回は
昨晩食べて12時間以上経過してやっと症状が出たのです。これはやはり年の功ですか。
12月4日(水) 私の可愛がっていたサボテンの根元がとうとう腐って倒れてしまいました。
うちは狭いマンション暮らしで、庭もなければベランダもないのですが、その代わりに
一番日当たりの良い窓の外側にはちょっとした鉢植えを置けるスペースがあるのです。
サボテンはそこでもう3年くらい育てていまして、高さも70cmほどになっていたのですが。
根元が腐ったのは、おばばのせいなのです。おばばがうちに来る度に、せっせと水をやった
からなのです。水をやっているのを見かける度に、「サボテンには水やらんでええのよ」と、
説明しておいたのですが、通じていなかったのでしょうか?

なぜおばばは水をやっていたかというと、おばばが家から持参して勝手に植えつけていった
金のなるんだか、幸福を呼ぶんだか忘れてしまいましたが、とにかくそういうめでたい竹も、
6本ほど一緒に植わっていたからなのです。
その竹は私の家にもかかわらず私の了解もなく植え付けられたうえに、植えた人間の性格に
似たのか、やたらと図々しくどんどん大きくなって窓が開かなくなってしまう弊害もあり、
全くいまいましいので私は絶対水をやらず、何度か枯らしてやったこともあるのです。
しかしその都度、おばばがまた別の竹の苗を持って来て勝手に植えつけて帰るという、
まさにいたちごっこを繰り返していたのであります。

私のサボテンは、隣人の窓の方に倒れて迷惑をかけそうだったので、菜箸で引っ掛けて
なんとかうちの窓側にもたれさせようと奮闘していますと、上の息子がやって来て、
「お母さん、痛くないの?がんばってね」などと可愛いことをぬかすので、
「これは水をやり過ぎて倒れてしまったんや、サボテンにはあんまり水をやったらあかん
ねんで」と、名指しはしませんが、暗におばばが間違ってるんじゃ〜ということを示唆しますと、
息子も思うことがあったのか、ふと 「あぽぽ(おばば)がねぇ、このサボテンのこと
『モウヨンアー(無用)』て言うてたで〜」と耳寄りな情報を教えてくれたのです。
モウヨンというのは、時として「この役立たず!」的罵り言葉としても有効なのです。
「そんなんいつ言うてたん?」と聞き帰すと、「水をやりながら言ってた」そうなのです。

ナロ〜、枯らすつもりで水をやっていたのだな!きき〜っ!
12月2日(月) うちの息子は来年度から小学生で、この9月に公立小学校に 願書を出していたのですが、
今日、その合格発表があったのです。そしてハズレていたのです。
発表はその小学校に張り出されているのですが、入れ替わり立ち替わり、父兄がやって
来ました。
壁には合格者50人の名前リストが張り出されており、私がそこに居た5分間くらいに、
7人ほど父兄が結果を見にやって来たのですが、皆ハズレだったようなのです。
なぜかといいますと、皆何度も何度も舐めるようにリストを見返していたからなのです。
同じ境遇(ハズレ)の私にはわかるのです。
50人の名前の中から自分の息子の名前の1つくらい探し出すのは、結構簡単なのです。
私なんぞもそのリストを一目見ただけで「ない・・・」というのがわかったのですが、心の中の
「こんなのうそようそよ、見落としているのよ」という気持ちを打ち消すことができずに、
未練がましく何度も何度もリストを見返してしまったからなのです。
そうして、どうやら今日わざわざ見に来た父兄の子供は全員、ハズレなのではないかという
気もしてきました。よく考えれば合格者には、もうすでに通知がいっているに決まっています。
なぜならば、皆コネがあるのだから。

というわけで、うちの息子が行ける学校の決定は、今度は政府のコンピュータに委ねられる
ことになるようです。これは来年3月に、一応希望校3校を記入して政府に願書を提出し、
コンピュータで無作為に空きのある学校に割り当てられるようなのですが、どうなのでしょう?
まぁ、なるようになると思っているので、どこでもいいんですけど、結果がわかるのが来年6月
っていうのが、なんだかなぁ。