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過去の日記

2006年4月の日記
4月29(土)

息子の小学校の三者懇談会の日でした。

本来の担任の先生である銭先生はただいま産休中ですので、
息子の英語の先生である、陳先生が代わりに懇談の相手をしてくれました。

懇談会では先月行われた中間テストの成績表をもらったのです。
成績表を眺めた後、陳先生に「もしかして息子は落第しますかね?」と、
率直な質問をしますと、陳先生は
「うちの学校はほとんど落第はないです。落第すると、クラスの友達とも離れて
しまうし、生徒が自分のことを『loser』だと思ってしまい、子供の心理面にも
良くないのです」と言わはったのです。
『loser』といいますとなんだか「ロックやなぁ」と思い、私はグッときてしまいました。

話は変わりますが、
イングランドのサッカー・プレミアリーグも残り2試合となり、
プレミアリーグから1部リーグへの降格3チームも決定したのです。
(JリーグのJ1からJ2に降格するようなもん)

その、降格3チーム中2チームはどちらも、元マンチェスターユナイテッドの
名キャプテンだった人が監督を務めているチームでして、私はとても悲しい。”
当たり前でしょうが、監督業って自分が実際にプレイするよりもはるかに
大変なのでしょうな。

おまけに、昨晩のマンチェスターユナイテッドの試合では、
ルーニーちゃんが怪我してしまい、担架で運ばれて行ってしまったのです。
ルーニーちゃんはワールドカップまでに治るのだろうか???

今期のプレミアリーグは、なんだか悲しい幕切れですがな。

4月26(水)

イースターホリデーを挟んで3週間ぶりに、バドミントンの練習がありました。

このバドミントンは、幼稚園のお母さんと遊びでやっているものとは別物でして、
来ている奥様方も年季の入ったプレイヤーが多く、みなさま真剣勝負ですので、
2時間ほとんどぶっ通しでダブルスの試合形式をやりますと、
その日は昼寝せずにはおられないくらい、私にはとてもハードなのです。

おまけに今日は、私が心ひそかに「アマゾネス」と呼んで、畏怖の念を
抱いている奥様と、ダブルスのぺアを組まされてしまったのです。
アマゾネスは、私より年上のようですが容姿も端麗、スタイルもバツグンな上、
プレイもすごいのです。
アマゾネスがネット際で次々に羽を打ち返す様は、まるでタコのようです。

私とアマゾネスでは、それでなくても実力の差が激しすぎますので、
めったに対戦することもなく、ペアを組ませてもらうこともないのですが、
今日はなんの因果でしょうか。

このようにペアを組ませてもらったものの、私のミスの連発で
負けてしまい、アマゾネスの顔に泥を塗るようなことになっては大変ですので、
私は粗相のないよういつも以上に緊張しながらも、「私もやる時はやるねん!」と
闘志満々でラケットを構えていたのです。
しかし実際は、アマゾネスがほとんど1人で試合を片付けてくれましたので、
勝って良かったものの、それはそれでちと虚しい気もしました。

4月24(月)

先週の土曜日に息子が散髪してもらった、3人のおばばが営む店へ、
私も散髪に出かけたのです。
呼称が、先日の日記での『おばちゃん』から『おばば』へと変わっていますが、
それはそれなりの理由があるからなのです。あしからず。。。

今日もまた、おばば店員Aに「座り座り」と愛想よく椅子を勧められました
ので入店してみますと、月曜日の午前だというのに結構繁盛しているようで、
椅子が4つしかない狭い店内には、もうすでに頭に青いタオルを巻いた
客のおばばが2人、ちんまりと座っていたのです。
(後ほど目撃してしまったのですが、この青いタオルの下には、
パーマ(電髪)のロットぐるぐる巻きの『おばばヘアー』が隠されていたのです。)

おばば3人で営むこのお店は、若い輩が営む散髪屋が多いこの界隈では
なかなか異色な存在でもあり、おまけに散髪代金も安いからか、
特におばば層の顧客の厚い指示を得ているようで、その後も1人のおばばが
ヘアカラーにやってきました。類はトモを呼ぶ、なのでしょうか。

椅子に座って待つこと数分。
おばば店員Bが、「洗髪するか?」と聞いてきましたので、
私はどちらかといいますと洗髪もブローもして欲しくなく、ささっと切って、
ささっと家に帰して欲しい方なのではありますが、
洗髪しないと売り上げ単価が下がり、3人のおばば店員達に
悪いような気がしましたので、「するする」と返事したのです。

するとおばばBは、1台しかない洗髪台へは私を誘わず、その場で、
つまり私を椅子に座らせたまま、私の髪も湿らさないまま、
私の頭頂部にシャンプーを大量に注いだのです。
一瞬、「これが水の要らないシャンプーというものなのか?」と私は勘違いして
しまいましたが、おばばBはその後おもむろに、シャンプーの空き容器に
入った、水と思しき液体も私の頭にふりかけ、「あんた髪の毛多いなぁ」と、
ひと言率直な感想を述べた後、黙ってシャンプーを泡立てはじめました。
思ったことをすぐ口にしてしまうのは、さすが『おばば』ですな。

おばばBがしばらくゴシゴシ洗ってくれた後、今度はおばばAが
私の肩を叩き、「洗髪台へ来い」とうながし、シャンプーをすすいで
くれたのですが、このおばばAは、しきりに「あんた髪の毛多いなぁ、
多いなぁ」とはやし立て、まるで、こんなに髪の毛多かったら水道代が
もったいないやないか!?どないしてくれる!とでも言われているかの
ようで、私は肩身が狭くなってしまいました。
確かに、私の髪の毛が硬くて太くて多い剛毛なのは事実ですが、
私はこのことを結構コンプレックスに感じておるのです。
何度も何度も言わないで〜って感じなのです。

そして、今度はおばばCが登場し、散髪してくれました。
おばばCが散髪してくれている間も、その傍でおばばAがしつこく
「髪の毛多いなぁ」と騒ぎ立て、しかも、「ほとんど○○やなぁ」とも
言ったのですが、この○○を私は聞き取れなかったのです。
あれは何と言っていたのでしょうか?
「ほとんど普通の人間の2倍の量やなぁ」とか、「ほとんどゴリラやなぁ」
そんな感じのことでしょうか?今でも気になります。

加えて、散髪が最終段階に入った頃におばばAは、
顔の表情もたっぷり込めて、「好難!好難!」(難儀やわぁ、難儀やわぁ、
といったニュアンスでしょうか?)を連発したのです。
おばばAが散髪してくれているわけでもないのに、
よくぞここまで臨場感たっぷりに言えたもんですな。さすが『おばば』ですな。

実際に散髪してくれたおばばCは、黒豹のような目バリを入れており、
3人のおばばの中では一番人相が悪かったものの、それでも、
「髪の毛多いなぁ」なんてひと言も言わなかったのです。
これには救われました。このおばばだけは、接客態度ちゅうものを
一応わきまえている、と言えるのではないでしょうか。

しかしながら、このおばばCの散髪テクは、最悪でもありました。
私の髪の毛が多いのを思ってか、おばばCは「すきバサミ」で
一生懸命すいてくれたのですが、私のような剛毛をあまりの根元ですきますと、
髪の毛が膨れ上がり、ボリューム感増大で、大変なことになってしまうのを、
このおばばCは知らなかったのです。
おまけに、すきバサミの切れが良くなく、髪の毛が中途半端にしか
切れていなかったのでしょうか、家に帰ってブラッシングしますと、
髪の毛がプチプチ切れて落ちるのです。

私は学びました。髪の毛はおばばが営む店で切ってはいけません。
(って私だけですね。。。)

4月22日(土)

息子2人を散髪に連れて行こうと思ったのですが、
どのお店に行くかで死ぬほど迷いました。

といいますのも、我が家の近所には散髪屋が十数件もあるのですが、
いずれも非常に入りにくい雰囲気のお店だからなのです。

入りにくい訳には2通りありまして、その一つは「散髪料金が高い」
なのでして、この場合はこちらも入店するつもりは毛頭ないので
入りにくくてもちっとも構わないのですが、もう一つ、
「若い輩がたむろしているお店」というのが、非常に入りにくくて
困りものなのです。

その「若い輩」というのがお客さんであればいいのですが、
困ったことに彼らはお客さんではなく、散髪屋さんの店員なのです。
散髪屋さんとしてキビキビと働いてくれておれば、まだ入店しやすい
のですが、こういう若造が店員としてたむろしているお店というのは
たいてい、ある種の退廃的な雰囲気をかもし出していますので、
散髪料金はリーズナブルでも、とっても入りにくいのです。

例えば、店員数人が店の前の通路で車座になってタバコを吸っている、
例えば、店員数人が各散髪台を占拠し、出前の麺をすすっている、
例えば、店員が自分のヘアをブローするのに夢中になっている
例えば、店員が洗髪用の寝椅子(?)で横になっている
例えば、入店しようか迷っている客に向かって店員が不穏な視線を投げる、
例えば、店舗の大きさや散髪台・洗髪台の数に比べ、不必要とも
     思える数の人員が、店内でタバコを吸ってぶらついている、

などですが、お店で白昼堂々このようなだらけた態度を取っているのは
私の知る限り、若い輩だけで店員が構成されたお店だけですので、
本日の私は、若い輩の存在しない、気のいいおっちゃんおばちゃんが
ひっそり営んでいるような散髪屋があればいいなぁ、と心で祈りながら
散髪に繰り出したのです。

しかし、我が家の近所はところどころ、数軒おきに散髪屋だったりするの
ですが、おっちゃんだけで営なまれているところなどなさそうで、
さりげなく覗き込んだどの店からも、やる気なさそうな若い輩の
「何やのよん!」的無愛想な視線が痛いほど返って来るだけですので、
私はもう観念しました。

若い輩のお店に行くことに腹を決めたのですが、若い輩の冷たい視線を
チリチリ浴びるにしましても、できるだけ視線の数は少なくしたい・・・・・・・
というわけで、できるだけ店舗の間口も奥行きも狭い、店員の配属が
少なさそうなお店に目星をつけて行くことにしたのです。

そして、目星をつけたお店を遠巻きから眺めますと、やはり店の前に
派手派手な色の服を着た若い輩が3人、半円形に椅子を並べて
ワイワイやっている様子がぼんやりと伺えましたので、
それを見た瞬間、「やっぱりやめとこか?」と、怯む気持ちもあったの
ですが、「ここで諦めてしまったら一生散髪できへん。あかん!」と、
気を取り直し、お店の方向へズンズン進んで行きましたら、
派手派手な服を着た若い輩、と思っていたのは、3人のおばちゃん
だったのです。
服装が派手でしたので、すっかり「若い女子?」と勘違いしてしまったの
ですが、3人が3人とも、顔は『おばちゃん』だったのです。

しかしさすがおばちゃん、我々が近寄り「客が来た!」と感づいた瞬間、
おしゃべりはぴたっと止めササッと立ち上がり、
髪の伸びた息子どもを一瞬見ただけで「ボクの散髪やね?さ、どうぞどうぞ」と、
愛想よく狭い店内へ案内してくれ、しかも私にも椅子を勧めてくれ、
手際よく散髪活動に移ってくれたのです。
さすがおばちゃんだけのことはある、亀の甲より年の劫、だと、
私は関心せずにおられませんでした。

4月16日(日)

お昼を過ぎた頃に義姉から、「明日、一緒にランチビュッフェを
食べに行かへんか?」というお誘いを電話で受けたのですが、
あいにく明日はもう予定が入っており、断ったのです。

すると義姉は、「ほんなら今から一緒にランチせぇへんか?」と
食い下がって来たのですが、我が家は本当に先ほど、
家で昼食を済ませてしまったところですので、これも断りましたら、
気を悪くしたのでしょうか、「ほな、ええわ」と、あっさり切れてしまいました。

しかしながら、一昨日から義姉の誘いを断りっぱなしで
さすがに悪いと思ったのか、昼下がり、うちのだんなが義姉に電話して
みますと、「おばばの家で今からBBQしよう」ということで話がまとまり、
分担して材料を揃え、義姉夫婦と我が家は、おばばの家に結集
することになったのです。

おばばの家の離れに、うちのだんな専用の物置があるのです。
そこには、だんなが「今後の創作活動に使う」という名目で収集した
ものの一向に使わないガラクタやら、昔描いた絵やらが放置されて
久しいのですが、「俺が描いたんや、ええやろ?」と、義姉夫婦に
見せびらかすつもりなのでしょうか、絵を一枚、今日に限って
だんなが物置の奥から引っ張り出して来たのです。

しかし、自慢するつもりで出して来た絵は、フレームもキャンバスも
シロアリに巣食われ、見るも無残な姿になっておったのです。
シロアリ被害は一枚の絵だけで済むはずもなく、だんなはもはや
BBQどころではなくなってしまい、必死の形相で、物置の大掃除を
はじめたのです。

そして我々も、シロアリの館をそばにしてBBQ・・・・・・という
気分でもなくなってしまいましたので、おばばの家から歩いてすぐの、
義弟の家へBBQの場を移すことにしたのです。

義姉夫婦は義弟の家に着くなり、留守中である義弟の家を物色
し始め、BBQの準備を全くしませんので、私がひとりでBBQ材料の
野菜を洗ってアルミホイルでくるんだり、サンマのはらわたを取り
除いたりしたのです。

そして、焼く材料の準備が終わったというのに、
誰もレンガでBBQの炉を作ろうとしませんので、
レンガ20個ほどを組み合わせ、炉の中ほどの高さのところに炭を置く用の
金網も設置し、不恰好ながら、私が四苦八苦の末、炉も組み立てたのです。

そして、BBQの炉もできたというのに、誰も炭火を起こそうとしませんが、
私も炭火を起こすのは得意でありませんので、義姉の夫の明さんに
お願いしたのです。
明さんは、「僕、わからへんねん」と、全く頼りにならないことを言うの
ですが、それでも、炭火を起こそうとアクションを開始してくれました。

しかし、袋から炭を取り出した明さん、その炭を炉の金網の上ではなく、
地面にまんべんなく散りばめ出したのです。直火かい!
直火式でBBQすることも不可能ではないと思いますが、
原始人みたいですし、薪ではなく炭使用なのですし、
通常、現代人ならば炭は金網の上に置き、金網の下側から新聞紙などを
燃やし空気を送り込んで、炭に火をつけるのではないでしょうか?

「この人、どうやって炭火を起こすかが、ほんまにわからへんねんわ・・・」
と悟った私は、「あれ?炭って地面に置くんでしたっけ?それとも
金網の上に置くんでしたっけ?」と質問し、
やんわり「・・・明さん!!!間違ってるで!」と気付いてもらおうと
したのですが、明さんは、「地面や地面」、と言ったきり、黙々と
炭散らばし作業を続けるのです。

このような形態で火を点けられてしまっては困りますので、
「炭は金網の上じゃないでしょうか?」と再度聞いてみますと、
義姉の方が、「そやそや、金網の上やわ」と言ってくれ、
明さんも「そうやったかな?」と気付いたようで、直火の難は逃れたのです。

義姉は、「後は弟(うちのだんな)にやってもらおう」と言うのですが、
奴は今、シロアリ退治でそれどころではないはずです。
この夫婦の言うことは聞かない方が事がスムーズに運ぶであろうことを
理解した私は、もはや誰にも頼るまい、だんなにも泣きつくまい、と
心に決め、金網に炭を並べ、炭の下側から一心不乱に新聞紙を
燃やしましたら、着火剤もあったおかげか、思いがけなく簡単に
炭火が起こせたのです。人間、死ぬ気でやればできるのじゃ。

4月15日(土)

義姉から、「(うちのだんなの)具合が悪いらしい」という連絡を受け、
本日は、一見くず湯のような奇妙なスープ?、もしかして病人食?
のようなものが入った保温ポットを提げたおばばが飛んで来ました。

だんなが元気なのを確認しますとおばばは安心し、
それから、うちの息子2人を連れ、ゲームセンターへ出かけていきました。

ゲームセンターには「ムシキング」のゲーム機があったらしいのです。
ムシキングのゲーム機を目にするなんて、去年の夏の帰省時以来
ですので、息子たちは家に帰って来るなり、「お母さん!ムシキングが
あってんで」と報告してくれ、興奮冷めやらぬ様子だったのですが、
詳しく話を聞きますと、ムシキングのゲームをするには、
ゲーセン指定のコインが一回につき8枚も要ったそうです。
もぐら叩きゲームなら一回につき1コインでできる、というのにです。
高い・・・・・・。
それなのにおばばったら、4回もゲーム(32コイン分=推定40ドル
=600円相当)させてくれたそうです。
私には、5ドルのハンバーガーでさえ買い与えてくれないおばばなのに・・・・。
孫パワーとはすごいものですな。

4月14日(金)

イースター休暇第一日目の本日は、朝の9時半から30分刻みに
義姉からの電話が・・・・・・。

だんながまだ寝ていますので、当初は「後で電話させますから」と
義姉をかわし、電話を切っていたのですが、義姉は30分ごとに
電話をかけ直してきますし(後で電話させるって言うてるやろぉ!!!)
11時半になってもだんなが起きてきませんので、とうとう電話をだんなに
取り次ぎますと、だんなは寝起きで明らかに不機嫌な様子で、
「俺は今日、具合が悪いんや!」(うそをつけ!)などと、
つっけんどんに電話を切ったのです。

実の弟からつれない仕打ちを受けた義姉はこの日、
もうそれ以上電話して来ませんでした。

午後、だんなが急に「映画に行こう」と言いますので、
粉嶺の外れにあります場末の映画館へ「アイスエイジ2」という
動物アニメを観に行ったのですが、子供向けだというのは考慮しましても、
広東語の吹き替えが聞き取れない私が悪い、という点も痛いほど考慮
しましても、登場する獣のどいつもこいつも魅力的に感じられず、
私的にはなんだかつまらん映画でございました。

4月12日(水)

上の息子の小学校も、今日からイースター休暇に入りました。

息子の学校は、毎日の宿題が結構多いので難儀しているのですが、
このような長期休暇になりますと、なぜか宿題は比較的少なく、
最初の3日ほどでガーッとこなし、後はのんびりできていたのです。

しかしこのイースター休暇は訳が違うようです。
息子は現在小学3年でして、今年の7月に、政府が香港の小学3年生を
対象に行う、中国語、英語、算数の学力測定テストがありまして、
その模擬試験のようなプリントの宿題を、いっぱいいっぱい貰って帰って
来たのです。

おまけに、インターネット上でも、試験に向けての練習問題が用意されて
おるようで、それ用のパスワードも2つ、持って帰って来ました。
インターネットを使う勉強は、それ以外にも、今まで毎日やり続けて
来たものが2つありますので、合計4つになり、こちらが気を定かにして
おきませんと、パスワードがゴッチャになって、忘れてしまいそうです。
せっかくの休暇ですのに、なんだかのんびりできなさそうですな。

だいたい、学生の純粋な学力を把握し、学校の今後の学習指導を
改善するために行われるテストなはずですのに、
事前に試験問題を攻略しておくなんて、「それって、ずるいんちゃうんか!」と
思ってしまいますし、学生のためにも、学校のためにもならんではないかと
思うのです。

学校にしてみれば、「自分のところの生徒の学力がよそ様より低い」のは
宜しくない、というのもわかるのですが、テストのための対策練習をして、
仮に、テストだけは出来が良かった、としても、そのような姑息なことをして、
ほんまに意味があるんでしょうか?

と、えらそうなことを書いてしまいましたが、私がどうこうできる問題でも
ないので、とにかく早よ終われ〜。

4月11日(火)

最近、暑い日が続きますので、晩ご飯を食べてから、家族で
近所の公衆プールへ出かけたのです。

確か以前はこんなことではなかったと思うのですが、
全日制の学校に通う学生も、小児と同じ割引料金(平日8ドル)で
入場できることになったらしく、今日行きますと、プールの入り口は、
割引の恩恵にあずかろうとする、ハイティーンと思われる複数の
若者グループであふれかえっておったのです。

入場料の支払いには、小銭かオクトパスカードしか使用できませんが、
このようなすごい人出では、お札を小銭に両替するマシーンにすら
長打の列ができている始末です。

私も小銭をほとんど用意しておらず、仕方が無く若者に混じって
両替機に並んだのですが、あまりの需要の高さゆえ酷使されすぎて、
内蔵されている紙幣感知器(?)の感度が悪くなってしまったのでしょうか、
一番先頭に並んだ若者は、両替に四苦八苦している様子なのです。

彼は20ドル紙幣を表にしたり裏にしたり、左側向きにしたり右側にしたり、
乱暴にグイグイ押し込んだり、そっとやさしく挿入したりと、
色んなパターンを試みながら、紙幣を両替機に入れているのですが、
どれもむなしく却下され、紙幣がビョョョーンと戻ってくるばかりです。
しかも、若者といえどもさすが香港人、自分の後ろに人が並んでいようが
いまいが、そんなことはお構いなしで、自分の気が済むまで、
何度も何度も紙幣の挿入活動を続けるのです。

私の前に並んだ若者各人、どいつもこいつも右表、左表、右裏、左裏という、
紙幣挿入パターンを最低でも3回づつ繰り返しやがりますし、
黙ってひとりで両替活動にはげむならともかく、その友人まで一緒になり、
ワーワーキャーキャーやりますので、私の順番が回って来るまでに、
10分ほどもかかってしまったのです。

そして、周りの若者が注目する中、私の番になりました。
私の紙幣は、比較的新しいバージョンの(数年に一回?、紙幣の模様が
変わるのです)ピン札の20ドルだったのです。
それを両替機にそっと挿入しますと、両替機は数秒間沈黙したあと、
ンガッンンという、お菓子を丸呑みするサザエさんのような音を発し、
ガチャーンバコンバコンジャラジャラジャラ・・・・と、小銭にくだいて
返してくれたのです。
若者たちからは「わ〜!(このおばはんっ!)」というざわめきすら
起こりました。

しかし、私の後ろの若者は、またもや両替に失敗しておりましたので、
新札しか受け付けない、面食いな(?)両替機だったのでしょうか???

両替では調子が良かった私ですが、プールから上がり、
更衣室でシャワーを浴び、さて、着替えて家に帰ろう、と思ったところ、
ブラジャーもパンツも無いことに気がついたのです。
一瞬、「下着ドロボーか???」と、おばはんの身を棚に上げ、
色めき立ってしまった私なのですが、実はそうではなく、
記憶をたどれば、家から水着を着用して来てしまい、
ブラジャーとパンツを持って来るのを忘れただけだったのです。

仕方が無いので、素肌にジーパンを履きノーブラで、
セクシーな気分になりながら帰路に着きました。

4月5日(水)

今日は祭日で、おまけに義姉の誕生日だったのです。

義姉から昼過ぎに、「一緒にランチを食べよう」というお誘いの電話が
あったのですが、我が家はちょうど川遊びに出かけるところでしたので、
断ったのです。

すると昼下がりにまたもや、「アフタヌーンティーを一緒にしよう」という
お誘いがあったのですが、我々は川遊び後でお腹も空いてますし、
「アフタヌーンティーよりは夕飯を食べたい」という感じでしたので、
早めの夕飯を一緒に食べることになりました。

義姉指定のウェスタン式の飯屋に行きますと、義姉とその夫である明さんは
もう着席しておりました。
せっかくの愛妻の誕生日を、ガチャガチャした子連れの我々と一緒に祝う
なんて、明さんが一体どう思っているのかが知りたくて、
私は彼の表情を探ったのですが、明さんはいたって明るい雰囲気で、
我々のことを歓迎してくれているようにしか見えないのです。
ほんまにそれでええんか!?明さん!

会計時、うちのだんなが「今日は姉ちゃんの誕生日やから、俺が払う」と、
滅多にその姿を見せないクレジットカードを取り出したのですが、
その飯屋はカード払いができないようなクラスの店だったのです。
確信犯なのが見え見えで、私は、ちと、恥ずかしかった・・・・・・。

4月4日(火)

今日もゴモス(洗濯機)の修理を頼んでしましました。
去年末に購入してから修理を呼ぶのは、これで2回目です。
なぜ修理を呼んだかといいますと、どこからか水漏れし、洗濯するたびに
床がべチャべチャになってしまうからなのです。
「水浸しにしやがって、くそぅゴモス!」と思いながら日々洗濯に励んでいた
のですが、日を追って、床のべチャべチャ加減がひどくなっていきますので、
とうとう修理を頼んだというわけです。

前回と同じ修理のおっちゃんがやって来ました。
この修理のおっちゃんは前回の修理時、我が家までの道順が
把握できないらしく、何度も我が家に電話をかけて来て、
道路名や最寄の建物名を尋ねるのですが、おっちゃんの現在位置は
電話をかけて来る度に我が家から遠ざかっていくようですので、
一体いつ我が家に到着してくれるのかハラハラさせられたのですが、
今日は2回目ということもあり、「すんなり来れたんやな・・・」と思いきや、
だんなの携帯の方に、何度も道を尋ねる電話があったそうでございます。

こんな地理には疎そうなおっちゃんですが、修理の腕は確かでして、
ものの10分ほどでゴモスを修理して帰っていきました。
といいますか、排水のホースが破れていただけなので、その部分を
取っ払って帰って行ったのです。修理とちゃう!っちゅうねん。

破れていたその排水ホースは、ゴモス指定のものではなく、
ゴモスに付いている排水ホースと排水溝を繫ぐため、実は私が
勝手に設置した、前の洗濯機時代から使用しているパーツだったのです。
私の措置がいけなかったのです。

実は前回の修理も、排水できないからおっちゃんを呼びつけたのですが、
設置の加減で排水ホースが折れ曲がり、排水が妨げられていただけ
だったのです。ゴモス本体には、な〜んも罪がなかったのです。

つのるゴモスへの不信感から、何か異常がありますと、
「やっぱりゴモス!やっぱり台湾製!」と、真っ先にゴモスを疑ってしまう
私なのですが、先入観だけで、人や物の価値を判断してはいけない、
ちゅうことを、私は今回学びました。ありがとう、ゴモス!

4月3日(月)

用事がありホンハムのジャスコまで出かけたのです。

用事を済ませ、KCR(電車)のホンハム駅まで戻ろうとバスに乗り
ホッとしたつもりが、私は間違ったバスに乗ってしまったようなのです。
バスが見慣れない、駅とはおおよそ別方向のルートを辿っていきますので、
どうしょどうしょ・・・と困りながらも、「香港は狭いんだ、もうちょっと乗っていれば、
見覚えのある地域に出るかもしれない、慌てるな」という気持ちと、
「降りるなら乗車地点に近い方がいいに決まっているじゃないか、早く降りろ!」
という、相反した2つの考えが心の中に浮かんでしまい、
そのどちらにも「そうやな」、とうなずける部分がありましたので、
私はどうすべきか迷ってしまったのです。

結局、「早く降りろ!」の後者を尊重し、やっぱりバスを降りたのですが、
どうしようかアウアウ迷っているうちに、乗車地点からかなり遠くまで
来てしまったようです。
バスを降りた地点は、地下鉄や電車の駅、その他有力な目印になるようなものが
何もなく、家内製工業を営むような古ぼけたビルだけが立ち並ぶ、
結構交通量の激しい道路沿いだったのです。

思えば、私は今までホンハムやその周辺地域にはほどんと足を踏み入れた
ことなどなく、土地勘もあろうはずがありませんので、
たとえバスに乗り続けてたとしても、「見覚えのある地域に出るかもしれない」
なんて確率は非常に低く、間違いに気付いた時点でさっさとバスを降りるべき
だったのです。己の判断ミスが悔やまるところです。

そうして現在位置不明のまま、道路を右往左往してみたのですが、
現在位置を認識できるような手がかりは何もなく、どうしていいのやら・・・・。
息子の学校への迎えの時間も迫って来ますし、ここは迅速かつ最短時間で
帰路につけるようなルートを探すしかないのでして、「タクシーを拾って
最寄の電車の駅まで行くしかないな・・・」と観念したところへ、
ああ、なんということでしょうか!
私の目の前を、我が家がある町行きのバスが通過したのです。
夢中でバスを追いかけたのは言うまでもありません。

3月31日(金)

プリンターのインクが固まってしまい、印刷できなくなって久しいのですが、
プリンターが無いと何かと不便ですので、「早く新しいインクを補充してや!」と、
だんなに向かって時に威嚇、時に哀願し続けて来た私ではありましたけれども、
「はいはい、そのうち買うから・・・」とだんなは取り合ってくれず、
ずーっと後回しにされていたのです。

しかし、そんなことではいつまでたってもインクは補充されず。
印刷が必要な時は友達にすがったり、外の印刷屋さんまで走ったりしていた
のですが、日本語の読めない香港人の印刷屋さんとはいえ、赤の他人に
己の個人的な印刷物を見られるちゅうのは結構恥ずかしいものでして、
「家にプリンターがあるのに、なんでこうも恥ずかしく面倒なことを
せなあかんのじゃあ!」と、いい加減腹が立ちまして、
「今日こそはインクを買ってくれ!さもないと息子の宿題ができへんのじゃ(うそ)」と
鬼の形相で迫りますと、だんなも渋々「じゃあ深水渉に行こう」と言い出し、
2人して深水渉にありますコンピュータショップが立ち並ぶビルに行ったのです。

インクを扱う店は何軒もあるのですが、だんなはどの店に入ってもまず
インクの価格を聞き出すのみで、一向に買う気配を見せません。
しかも、我が家のプリンターであるエプソンの正規版インクには見向きもせず、
エプソン対応ではあるけれども、怪しいブランド名の中国製インクを
買うつもりのようです。
その中国製インクにも色々なブランドがあるようでして、
だんなはなかなか心が定まらないようなのです。

そもそも、どうしてインクが固まり印刷できなくなってしまったかといいますと、
正規版インクでない粗悪品を使用したからに違いなく、
同じ過ちを2度も3度も繰り返すようでは人間として低級・低脳ですので、
「エプソンの正規版インクを買ったら?」と進言したのですが、
「インクはどうせ固まるんやから一番安いのを買わな損なんじゃ!」と、
だんな流の理屈で応酬されてしまいました。
それゆえ、このようにコンピュータショップを何十軒も歩きわたって
最安値のインクを捜し求めているようです。

「高価でも正規品でインクが固まらず長持ちするんやったら、
その方が得やんか」と、私は思ったのですが、
それを言ったところでだんなが高価なエプソンインクを買うはずもないのは
明らかですし、私が余計な指図をし、「もう、インクは買わん!」と
へそを曲げられてはかないませんので、黙っておきました。

なんとかインクを購入させ、「さて、用事も済んだし帰ろう」となったのですが、
だんなが突然「靴買ったる」と言い出し、ここ深水渉からは地下鉄で隣の駅に
あたる長沙湾まで歩くことになったのです。
長沙湾に行けば靴を買ってもらえるんだな、でも一駅先にしては、
やたらと長距離だな、でも靴を買ってもらえるんだからな、我慢我慢、などと
思いながら歯を食いしばって歩き続け、到着したのはライチーコクでした。
2駅も歩いていたのです。

これだけ苦労してここまでやって来たのだから、絶対靴を買ってもらおうと、
駅前のショッピングセンターに入りまして、私は色々と試着してみたのですが、
私の足は、女性にしては幅広の大足、男性サイズにしては小足すぎて、
サイズの合う靴がなく、靴を買うのは断念せざるを得なかったのです。
しかし、だんなの方はいつにもなく、激しく心惹かれる靴があったようで、
試着した上、珍しく迷いもせずに、即金でポーンと買ってしまったのです。

私の今日の個人的な買い物は、深水渉の露店での、ゴモス(洗濯機)用
水漏れ防止のビニールテープ(3ドル)、ビニール製の小銭入れ(2ドル)だけ
ですのに、うちのだんなの靴は、私の今日の買い物総額5ドルの
100倍ほどもしたのです。
「殿、ご乱心」としか思えませんが、だんな自身も興奮しているようで、
「買ってしまった・・・買ってしまった・・・」と何度も何度もいいながら、
大事そうに箱を抱えて帰ったのです。

その靴、買ったのだからすぐ履けばいいのに、来年のお正月まで
履かずに取っておくそうな。カビ生えるで。

3月30日(木)

息子の幼稚園の参観日だったのです。

参観が終わり、父兄と校長先生、担任の先生での懇談会がおこなわれた
のですが、その中で、「お子さんのことで気がかりなことはないですか?」と
校長が聞いてきたのです。

息子と同級の父兄は9人しかいませんので、座っている順番に発言の機会が
嫌でも回って来るのですが、正直なところ、下の息子になりますと、
気がかりは無いことも無いのですが、気がかりに真剣に取り組む前に
「ま、ええっか?」となってしまい、私の親としてのやる気も
上の息子に比べますと、半減以下になってしまっているのです。

というわけで、父兄の皆さんと共有しなければならないほどの気がかりは
特に何も思い当たらないのですが、他の父兄の皆さんは順番に色々と
気がかりを述べておられるので、私も述べなあかんなぁ、どうしょうかなぁ・・・・と、
考えもまとまらないところへ、順番が回って来てしまったのです。

そして私の口がつい、「私の息子はよくヨダレを垂らしています・・・」なんて、
「だからどやねん!」と、自分でも突っ込みたくなるような
中途半端な気がかりを告白してしまい、しばし変な間が空いてしまったのです。

すると、「広東語もままならん、この頼りないオカン(私)に助け舟!」とばかりに、
テンテンという女の子のお母さんが、「あんたのとこ、広東語に日本語に、
英語に北京語も話さなあかんのやん。そらヨダレも出るで〜」と、
ちょっとよくわからない理論ながらも、うちの息子を擁護してくれたのです。

テンテンのお母さんという人は、以前、香港在住の日本人お母さんが
子供をスーツケースに詰めて虐待死させたニュースで世間が騒いでいた頃、
全ての日本人は子供をスーツケースに入れて罰を与えている、とでも
思ったのでしょうか、「あんた、子供を叩くならこれで叩き!」と言って、
私のために籐のムチを買って来てくれた、ちょっとエキセントリックですが、
良い人なのです。

多国語をしゃべらなあかんからヨダレが出る・・・という理論は、
「絶対ちゃう・・・・」と思うのですが、なんとか慰めてくれようとする、
その心意気が私は嬉しかったのでした。


3月27日(月)

昨晩、TVでサッカーの生中継を観ておりましたら、
マンチェスターユナイテッドのクリスティアーノ・ロナウド選手(以下、『C朗』と
略)が、敵の選手から骨盤あたりに激しいタックルを食らったかなんかで、
転倒したのです。
C朗は痛そうに左骨盤あたりをさすっていたのですが、転倒の姿勢から
起き上がるなり、履いていたショーツをおもむろにガバーッとずり下げ、
生身の肌を露出させ、骨盤にあたる部位に異常がないかを確認したのです。

そのときのショーツのずり下げっぷりが豪快でして、C朗君の秘所は、
もうほとんど、イチジクの葉一枚分のショーツで隠れているか否かっちゅう
くらいの際どさでしたので、私は、目がTV画面に釘付けになってしまいました。

そして、その晩は夢にC朗君が出てきてしまいました。
イチジクの葉はつけていませんでした。。。 (書かんでええってか?)

以前、実家の姉(おばはん)が「夢にタッキーが出てきてから、
タッキーが気になってしょうがない。特にファンだったわけでもないのに・・・」
と言っていたことがあったのですが、今日の私の心境はまさしく
そんな感じなのです。
おばはんになってから、こんなに胸がときめくのは、久しぶりです。
試合の再放送もチェックしなければっ!

3月23日(木)

今週に入ってから、空気中の湿度がモーレツに高く、98%、99%ほどある
ようなのです。

このような湿度世界ですと洗濯物も一向に乾きませんし、我が家の、
白ペンキを塗っただけの壁が、水分を含んでぶよぶよになり、
剥がれ落ちたりしてしまうのです。(壁にカビが生えていることもあるぞ)

今日も、居間にあるソファの背もたれの角が接触する部分の壁が、
直径2センチほど剥がれ始めているのを発見したのです。
このまま放置しておきますと直径がだんだん大きくなっていきそうですので、
私は思案したあげく、木工ボンド(白くてすっぱい匂いがするボンド、
乾燥すると透明になるやつ)を壁に塗っといたら剥がれ防止になるやろ、
と思いまして、工具箱からさっそく木工ボンドを取り出し、
剥げ落ちた壁2センチ部分にたっぷりと肉厚に塗りこみ、
乾燥するまで放置しておいたのです。

しかし、湿度が高いからでしょうか、木工ボンドはいつまでたっても
乾燥しておらなかったようです。
ボンドを塗ったことさえすっかり忘れてしまっていた夕刻、
「あっ!」と気がつきソファを退けてみますと、ソファカバーは白ボンドで
ベタベタになっており、壁は剥がれ防止どころか、肉厚に塗られたボンドの
重みで、直径2センチよりも下方へバコーン!と、壁の剥がれ落ちが
進出してしまっていたのです。嗚呼!

高湿度のせいでしょうか、冷蔵庫のものも腐るのが早いようで、
今夜のトン汁に使用しようと企んでおりました豚肉の薄切りも、
腐っていたのです。
「やや?こんなに早く腐るとは!」と驚き、購入日を見ますと、月曜日でした。
腐って当たり前ですな。
そういえば月曜日に購入してから今日まで、「早よ使わなあかん早よ使わな
あかん・・・・・・」と、ずっと思っていたのですが、なぜだか使えずにおり、
いざ使おうという段階で腐らせてしまっているとは、自責の念にかられて
やみません。
豚肉は欠かしてしまったものの、トン汁の材料はもうすでに切り刻んでしまった
ので、スパゲッティにでもするか、と思い購入しておいたベーコンで代用し、
ベーコン、こんにゃく、タマネギ、ごぼう等の入った味噌仕立てのトン汁ならぬ、
べーコン汁になってしまいました。なかなか乙な味でした。

3月17日(金)

下の息子は弱視矯正でメガネを常時着用しているのですが、
昨日の検眼でレンズの度数を変えないといけないことが判明したため、
メガネを作り変えることになりました。

これまでにも2度ほどメガネを作り変えたことがあり、その時は、
我が家の階下にあるメガネ屋で作ったり、日本に帰省した折に作ったり
していたのですが、今回だんなが、「俺が学生の時から贔屓にしている
メガネ屋で買おう、俺の兄ちゃんも姉ちゃんも弟も、みんなそこでメガネを
買ってるんや、店主と気心知れてるし買いやすいから」と、
いわば『おばば一族御用達』のメガネ屋で買う、と言い張りますので、
御用達ならではのメリットでもあるんかと思い、だんなに従ったのです。

御用達のお店は、我が家から電車で数駅先の上水というところにありました。
我々が入店しますと、さすが『御用達』というだけのことはあり、
先客の相手をしていた中年小太りの店主が、だんなに向かって、
挨拶代わりの目配せをしてきたのです。

眼科で貰った、息子のメガネレンズの処方箋を渡しますと、
店主は、処方箋にぱっと目を通し、息子が現在使用しているメガネを手に取り、
さも当然、といった様子で、「レンズだけやし200ドルでいいわ、
今のレンズは重いから、薄型レンズにしたるわな」と言うのです。
そしてうちのだんなも、「ほな、月曜日受け取りでお願い」と、簡単に事を済ませ、
息子の使用中メガネを店主に預け、そのまま帰ろうとしますので、
「ちょっと!メガネのフレームは?フレームも買わなあかんやろ!」と、
私が「待った」をかけますと、だんなより先に店主の方が、「今のこのフレーム、
もう一回使ったらええやん」などと、販売精神がいちじるしく欠如した
メガネ屋の店主としてあるまじき発言をしたのです。売る気ないんかいっ!?

私がだんなに向かって、「メガネを預けてしもたら、メガネができて来るまでの
間、どうすんのよ!見えへんやろ!」と言いますと、だんなではなくまたもや
店主から、呆れたような小バカにしたような、失笑するような「はぁ?」という
リアクションが返って来たのですが、私がしつこく「フレームも要ります、
メガネはずっとかけてないといけないんですから、預けて帰るなんてできません。
今度レンズを作り変える時に、今のこのフレームを使ったらいいでしょう」と
主張しますと、だんなも、余計なことを言い出した私への怒りで顔色が青黒い
ながらも、店主の手前だからか私の正論に納得した素振りを見せましたので、
店主もしぶしぶ子供用フレームが入っている箱を取り出してきたのです。

しかし、箱の中にはフレームが何十個も入っていたのですが、
店主はその中からなぜか3つだけ選び出し、箱のフタを素早く閉めてしまいました。
3つとも、一番の安物と思しき、材質は何かよくわかりませんが、
鉄製のような触感で柔軟性に乏しく、重たいフレームで、
しかも、なぜか店主が選び出した3つ、どれもが銀色のフレームなのです。
試しにかけさせて見ましたが、銀縁メガネはどうも息子には似合わないのです。
他にもフレームの色はあるでしょうに、なぜに銀縁ばかりセレクトするのでしょうか?
似合わないことを見越しての、嫌がらせでしょうか?

加えて、この手のフレームは、息子が去年の今頃メガネデビューした時に
近所のメガネ屋で買ったことがあるのですが、フレームの溶接部分が
ポッキリ折れてしまったやつと同種だと思われますので、
私は内心、「これは買いたくないなぁ・・・」と思いながらも値段を聞きますと、
「レンズ込みで330ドル」だというのです。
近所のメガネ屋で買った息子のメガネデビュー時のやつは、
今でもはっきり覚えていますが、レンズ込みで280ドルだったのです。
ふざけてやがる・・・。

店主にフレームを売る気がないことがよ〜くわかり、うちのだんなも
「フレームだけで130ドルもするんやで・・・・」と泣きそうな顔をしますし、
店主もだんなに加勢するかのごとく、「レンズだけなら薄型を用意できるが、
メガネフレーム付きだと薄型は用意できない、ごっついレンズになる」などと、
最後には、全く合点のいかないことをぬかし出すのです。なんでやね〜ん!

とにかく、店主とだんなが以心伝心で結託し、「レンズだけ買わせたい」
「フレームの購入は阻止」、の方向性で合意しているようですので、
「ああ、もう3日くらいメガネ無しでもええか?ええな」と、私ももはや
諦めの境地で、しおしおと折れてしまいました。

このお店が、なぜおばば一族御用達なのかが、わかった気がしますが、
200ドルごときで、本当に薄型レンズを用意してくれるのかが、
今は心配であります。

3月14日(火)

近頃ますます物忘れが激しくなってきたのです。
物忘れといいますか、とにかく思い出せない。
「忘れてしまった」ということは覚えているけど、その内容を思い出せないのです。
天才バカボンのパパがTVで言っていた、「忘れたくても覚えていないのだ〜」
そんな心境なのです。

よくあるのは、人の名前とパスワード系です。
私はどちらかといいますと、人さまから借りたお金も早めにきっちり返すように
心がけておりますし、友人の家までの道順などもすぐ把握できますし、
記憶力は確かな方だと、我ながら自負しているのです。
それに、今よりまだ若い頃なら、瞬時に思い出せなくても後で必ず、
何かのとっかかりを元に、「あっ、そうやそうや〜」と思い出せたものですが、
近頃それができないのです。

今日は久しぶりにインターネットで銀行口座のチェックをしようと思ったのですが、
パスワードをすっかり忘れておりまして、一向にログインできなかったのです。
私自身がいかにも考えそうな、私好み風なパスワードを思いつくだけ
入力してみたのですが、どれもこれも『無効』になってしまうのです。

そのうち、なんとなくおぼろげに、「あ、そうや!几帳面な私のことやから、
忘れたらあかんと思って、どこかに書き留めたはずや!」というのを思い出し、
色んな書類をひっくり返し捜索してみますと、書き留めていたパスワードは
あるにはあったのですが、それは、『じゃらん』という、インターネットで
宿を予約するサイトのパスワードでした。

蛇足ながら、どうして『じゃらん』を使ったかといいますと、去年、
義姉夫婦が日本旅行に行く際、私が代わりに宿を予約したからなのです。
じゃらんのパスワードはメモっているのに、こんなに重要な、銀行口座の
パスワードをメモっていないなんて・・・・・・。
今日まで気付きませんでしたが、私の内面では、己の銀行口座より、
義姉からのミッションの方を、重要事項に捉えていたということでしょうか?

というわけで、銀行口座のパスワードは、銀行まで出向いて再取得しなければ
なりません。ああ面倒くさい。

これを読んで、私の記憶力に異議のある方、例えば、「一緒にワンタン麺を
食べた時の、私が立て替えたあの14ドル返しやがれ、このボケカス」、或いは、
「貸した紅白歌合戦のビデオがいつまでたっても返って来ぇへんやんけ、ワレ」
「オフ会で先に帰りやがって、ビール代ワシがかぶってんのんじゃ、ゴルァ」
なんて、今現在も胸のうちにもやもやしたものを秘めている方がおられましたら、
この際に是非、私まで異議申し立てして下さい。
早急に善処させていただきますよってに。

△   △   △   △   △   △   △   △   △   △

話は変わりますが、エアメールを出しに、郵便局に行ったのです。

小包カウンターにいるはずの親切な郵便局のおっちゃんは(1月19日&
2月27日の日記をご参照下さい)、まるで、私を待ち構えていたかのように
(ちゅうより、単なるローテーションか?)、今日は切手販売のカウンターに
おり、手紙を出しに来た私をみると、明らかに「やや?」という表情を見せ、
しかも、ピリリンと緊張する気配が見られたのです。

おっちゃんは、私のエアメールの重さを量り、代金分の切手を私に
くれた後、私の封筒に、『エアメール』の青いシールを貼ってくれました。
郵便局員の通常のサービスなら、シールはくれたりするものの、
貼ってくれたりはしません。(よね?よね?)

おっちゃんのあのピリリンと緊張した態度は、
単に、「あ、このおばはんには英語しゃべらなあかん。どうしょ・・・」という
焦りから出たものなのか、それとも何か、おっちゃんの心の奥底に秘められた
あつ〜い思いでもあるからなのでしょうかあああああ?


3月12日(日)

昼の12時半ごろ電話が鳴り、「絶対義姉や!」という強い確信が私には
ありましたので、一瞬、居留守を使うかどうか迷ったのですが、
居留守を使っても家まで奇襲をかけられては同じことですので、
観念して電話に出ますと、それはおばばからだったのです。

おばばは最近、ますますパワーダウンといいますか、以前の噛み付くような
ドラ声も、傍若無人な攻撃性もなりを潜め、かなり柔和になってきた感じが
するのです。
今日も、おばばに何を言われるかと電話口で私はやや構えていたのですが、
私に対する注意・禁止・叱責・指令事項は何もなく、
「孫を連れてゲームセンターに行ってええか」という、こちらの承諾を得る内容の
電話だったのです。
以前なら、こんなアポの電話なしにいきなり我が家に押しかけて来て、
強引に孫を連れ去って行くようなおばばだったのに・・・・・・です。

柔和になってくれるのもいいのですが、なんとなく物足りない、胸にぽっかり
穴が開いたような、一抹の寂しさに、私は包まれてしまいました。

しかし、電話を切ってすぐ、今度は義姉が、いきなり玄関まで奇襲して
来たかと思うと我が家に上がりこみ、先日、義姉と明さんで行って来たという
台湾旅行の、「往復4時間かけて山に行き、桜を30分眺めて帰って来た」
ちゅう土産話と、滋賀県での中国人妻による殺人事件に対する、
「日本は物価も高く、日本人は英語もしゃべられないから外国人には
住みにくい所だ!」という義姉の持論、そして、中国人妻の事件から
派生したと思われる、「あんたも香港に居るんやから、そこの言葉を
マスターしないと寂しいで!」(ほっとけ〜!)、「国際結婚は努力や!」など、
一人でしゃべりたい放題したあげく、満足そうに帰っていきました。
世代交代っちゅうことでんな。

3月11日(土)

今日は下の息子が通う幼稚園の親子BBQ遠足の日でした。
だんなは仕事がありますので、我が家は親子3人で参加したのです。
行き先は馬鞍山のBBQ場でして、そこで3組に分かれ、BBQの炉を囲む
ことになったのです。

幼稚園の父兄で、間寛平に似たお母さんがいるのです。
寛平ちゃんは、灰まみれになりながらも、私の組のBBQの炉の火付けを
率先してやってくれましたので、私はてっきり寛平ちゃんも一緒にBBQ
するんだと思っていましたが、寛平ちゃん一家はお弁当持参派で、
BBQするんではなかったのです。
自分もBBQするのに、火を点けたりテーブルをセッティングしたりという
準備段階ではどこかへ姿を消す、ちゃっかり派の父兄もちらほらおりましたのに、
この寛平ちゃんは甲斐甲斐しく働いてくれた上、恩を着せるわけでもなく、
私は「寛平ちゃん似の人は、きっとみんな人が善いんだろうなぁ」と思いました。

4時間ほどBBQしている最中、息子と同級生の丘兆海の姿が見えなくなっており、
丘兆海の両親と先生方とで、しばらく探し回ったのですが、
発見時、丘兆海はトイレで、下痢便まみれだったのです。

なんでも、お腹が痛くパンツにウンチを漏らしてしまったので恥ずかしく、
一人でこっそりトイレに行ったものの、ズボンまで汚れてしまい、
収拾がつかなくなって、トイレから出るに出られなくなったそうです。

その話を聞いて私は、排便の粗相は幼稚園児でも恥ずかしいのやなぁ、と
あらためて気付かされ、たった6歳の丘兆海が親にも言えないほどの
恥ずかしさに包まれ、一人でなんとかしようとトイレに篭っていた瞬間の、
彼の「どうしょどうしょ」という気持ちを想像すると、たまらない気分になりました。

3月10日(金)

だんなが、「山歩きに行くか、『ブロークバックマウンテン』を観に行くか
どっちにする?」という2者択一を迫って来ましたので、
もちろん映画の方にしました。
だんなの方は、今度の日曜日に決行するらしい生徒との山歩きのため、
先日買った布靴の『慣らし履き』をしてみたく、どちらかといいますと
山歩きしたかったようなのですが、「しんどい!」を理由に阻止してやりました。

沙田の映画館に着き、チケットを購入してもなお、上映までに少し時間が
ありましたので、すぐそばのショッピングセンターにふらふらと入った
我々ですが、小腹も空いていることですし、「パンを買って食べよう」と
いうことになったのです。

映画は11時半からでして、私はてっきり「映画を観終わってから、沙田の
どこかでお昼を食べるんやな」と思っていましたので、ランチに差し支えの
ないよう、なるべく安く、小ぶりのパンを買って食べよう・・・・・と
思ったのですが、入ったお店がA−1ベーカリーでしたので、
どれもこれも美味しそうではありますが、一個7ドル(100円以上)も
するようなパンばかりなのです。

「ここで贅沢してしまっては、後のランチの雲行きがあやしくなる・・・・・」と
思った私は、断固「買わない!食べない!」意思を貫こうと思ったのですが、
2時間強の映画の最中に、ひもじい思いをするのもなんですので、
A−1ベーカリーを出て、もうちょっと安いパンが買えるパン屋はなかろうか、
と、辺りを見回しますと、ちょっと先に奇華餅店があったのです。
そこで我々は4ドルの亀パンを一個購入し、半分こして映画に臨んだのです。

映画が終わった後は、お互いに映画の感想を述べながら歩いておりまして、
知らぬ間に我々の足が駅を目指しており、そのまま改札を通り、はっと
気がついた時には、電車に乗って帰路に着いていた我々だったのでした。
(う〜む、うちのだんなは確信犯だったのでしょうか?)

こんなことなら、A−1ベーカリーで贅沢しとけば良かったのですな。

3月8日(水)

ソフィさん、ろらちゃんと私の3人が、3年がかりで作り上げた本
『対決!香港おばば 嫁姑バトル必勝マニュアル』が、
ついに出版の運びとなりました。

この3年間、「もうエエわい!」と思ったことも何度かあり、
くじけそうにもなりましたが、たくさんの方のご協力、ご支援、
励ましをいただけたお陰で、なんとか完成にこぎつけることが
できました。
みなさま、本当にありがとうございました。

そしてこれからは、販売大作戦を開始しなければなりません。
この販売大作戦も、みなさまのご協力を無くしては、
とてもとても遂行できそうにないのです。
まずは、どうかどうか本を買ってください。
そして、ご家族・ご友人にも是非薦めていただけますよう、
心よりお願い申し上げます。

香港では、日系書店での販売と、家から遠くてなかなか書店に
行けない、という方のために、通信販売も承っております。
通信販売に必要な小切手を持っていない、通信販売は心配、
等という方がいらっしゃいましたら、どうぞお気軽に、
メール
にてご相談下さい。

日本では、香港王での限定販売となります。
香港王のサイトの、日本販売書籍のページをご覧ください。

厚かましいお願いの連発になってしまいましたが、
どうぞよろしくお願いします。

2月27日(月)


所用があり、郵便局に行きました。 
小包を送るカウンターには、以前
私が小包を送る際、とても親切に
してくれた郵便局員のおっちゃんがおり (詳しくはこのページのずーっと下、
1月19日の日記を参照してください)、今日もおっちゃんは、
どこかの爺さん婆さん夫婦が持ち運んで来た超デカイ小包のダンボール箱を
前にしてまたもや、『重量VS郵便料金』という、1gの攻防を繰り広げている
様子なのです。

郵便局員のおっちゃんは、爺さん婆さんに対し、「(郵便料金を下げるには)
箱を開けて中身を減らしたらどうか?」と助言しましたので、
爺さん婆さんは言われるがまま、ダンボール箱に貼ったガムテープを
べリベリッとはがし、箱を開け、やや悩んだ挙句、その中からインスタント
ラーメン5袋入りパックを抜粋、箱から除外したのです。

するとおっちゃんは、インスタントラーメン5袋入りパックを除外したことによって
生じた重さの減量額を見、そして、「これなら5袋入り全部を取り出さなくても、
大丈夫やなぁ。中の子袋のいくつかは入れても大丈夫。外袋を開けてみ」
という感じの、まことにプロフェッショナル且つ粋な助言をしてあげたのです。

すると爺さん婆さんは、またもやおっちゃんに言われるがまま、
インスタントラーメンの外袋をハサミでチョキチョキして開封、子袋を数個、
元のダンボール箱に滑り込ませてみましたら、重量超過もなさそうですし、
カナダに住む息子夫婦(←勝手に想像)に美味しいインスタントラーメンも
送ってやれるし万々歳、ちゅうことで、たいそうご満悦な様子です。

郵便局員のおっちゃんは、すかさず爺さん婆さんにガムテープを渡し、
「封をして」とうながしましたので、爺さん婆さんは慣れない手つきながらも
ガムテープを駆使して箱を封じ、小包の郵送手続きは無事に終了した
のでした。

私、郵便局のおっちゃんの行動でふと気がついたのですが、
今日のおっちゃんは、開封・密封などの作業全てを爺さん婆さんにやらせ、
おっちゃんは「中身を減らせ」だの「封を開けろ」だの指令を出すに留まった
のです。
私がお世話になった時にゃ、開封こそは私がしたものの、減量、密封など、
一連の作業は、おっちゃんが、ほとんど、勝手に、やってくれたのに、です。
若さ(?)の勝利か???♥おっちゃ〜ん♥

月24日(金)

だんなが「俺は靴を買わんといかん。」と言うのです。
うちのだんなは日頃、服装などには全く無頓着ですし、
同じ服、同じ靴で最低でも5年は持たせていますので、「靴を買いたい」
だなんて発言をすること自体珍しく、理由を尋ねてみたのです。
すると、

  「来週、生徒連れて山歩きするんや」

  「山歩きやったら、いつも履いてる白い布靴があるやん」

  「あれ、履いたら俺、中国からの違法入境者に見えへん?」

  「見えるかも・・・」

  「山中で警察の尋問受けたら嫌やしなぁ」

  「香港IDカード持ってるねんから、尋問されても構へんやん」

  「っていうても・・・生徒の目の前で尋問されたら恥ずかしいやん・・・」

ちゅうことらしく、「貧乏くさいこの男にも、虚栄心やら羞恥心やらという、
他人の目を気にする、細やかな心の動きが一応あったんやな・・・」と思うと、
結婚生活10年目を迎えながらも、なにやら新鮮でありました。

だんなが、「観塘のアウトレットショップに一緒に来て」、と言いますので、
「お昼に『餃子の大阪王将』を食べさせろ」を交換条件に出してみますと、
難なく交渉が成立しましたので、2人してバスで観塘へ向かいました。

まず、先に腹ごしらえ、ということで、大阪王将が入っている、apmという
ファッションビルのフードコートへ向かったのです。
前回、うちのだんなをこのフードコートに導いた時には、
あまりの値段の高さにだんなが恐れおののき、遠巻きに料理の陳列を
見るだけでその場を去った我々ですが、今日は違います。

今日は、「新しい靴を買うんだ!」、ということで、だんなも希望に満ち溢れ
ているのでしょう、そして財布の紐も緩まっているのでしょう、
大阪王将にズンズン進み、「どれが食べたい?」と聞くのです。
そこで私はダメで元々のつもりで、野菜炒めとマーボー丼に餃子6ヶが
付いた『スペシャルセット』(48ドル=700円ほど)を、一生に一度くらい
食べてみたいがいかがなものか?と尋ねてみたのです。
すると、意外なことに「エエよ〜」という、返事があったのです。

うちのだんなも何にするか激しく迷っているようで、注文がなかなか
決まらないのですが、ちょうどお昼時でフードコートも混み合って来まして、
だんなが、「お前は席取りしてろ」と言いますし、注文はだんなに任せる
ことにしたのです。

そして待つこと5分ほど・・・・・・
だんなが運んで来たトレーには、私のスペシャルセット「だけ」が乗って
いたのです。
もしかしてまだ調理中なのよね?きっとそうよね?と祈りながら、
「あんたの注文は???」と尋ねてみますと、「俺は要らんのや!」
と、だんなは明らかに、やせ我慢している様子なのです。

一人前48ドルのランチなんて、通常の我が家なら、注文前に必ず却下
されている価格ですが、今日は一応事前に約束していましたし、
自分は食べずして、私の要望を聞き入れてくれたのでしょうか?
夫の情愛に心打たれた私は、スペシャルセット一人前をだんなにも
分け与え、2人してピラニア状態でいただきました。
はやく人間になりた〜い!

その後、アウトレットショップが入ったビルで、50ドル(750円)の安靴を
目ざとく見つけただんなは即買いし、19ドル(300円)の短パンを
「バドミントンするのにエエやろ!」と、私には有無を言わさず
買い与えてくれましたが、家に帰って履いてみますと、
お尻食い込みプリプリ状態ですし、しかも、通常の短パンなら
ジッパーが施されている部分がマジックテープ式になっており、
とてもバドミントンなんかで履けそうにないです。
こういうのを安物買いの銭失いっちゅうねんっ!
はやく人間になりた〜い!

2月22日(水)

今日は、おっちゃん(義父)側の遠い親族の結婚披露宴があるらしく、
おばばから、うちの息子2人を披露宴に連れて行きたい、という電話が
前もってあったのです。

香港の結婚披露宴は、ちんたらちんたら人が集まり、食事の開始が
夜の9時を過ぎることもしばしばですが、息子2人とも、明日も学校が
ありますので、私は本当のところは、行かせたくなかったのです。

が、孫を披露宴に連れて行きたがるジジババの、親戚縁者に孫を
見せびらかしたい、或いは、お金を包まんといかんのだから大人数で
食べに出かけた方が得や、或いは、豪勢な宴会料理を孫にも食べさせて
やりたい、なんていう『ジジババ心』は、情状酌量の余地があると
思いましたので、「10時までに帰って来ること」を条件に、
おっちゃん&おばばに息子を託すことにしたのです。

しかし、夜の8時に、「今、ジャスコやから子供連れて来い」という、
おっちゃんからの指令の電話があった後、息子2人と一緒にジャスコへ
行ってみますと、そこにおっちゃん&おばばの姿がないのです。

もしや?と思い、ジャスコの1階にあります中華レストランに出かけて
みますと、確かにおっちゃん側の親族の披露宴が行われる様子では
あるのですが、そこにもジジババの姿はなく、こんなに広いジャスコ店内
なのに、「ジャスコで待ってる・・・」なんて、曖昧な待ち合わせを指定
して来るおっちゃんに対し、詳しい場所を聞かなかった私自身も悪い・・・
というのはもはや棚に上げ、私はものすごーく腹が立って来たのです。

そこで、息子を連れてとっとと家に戻り、だんなに電話して、
「お前の親がジャスコに来い!と指令して来たので子供を連れて
出かけてみたが、どこにもいないじゃないか!レストランにもいない
じゃないか!夜のクソ忙しい時間に呼び出しやがって!だいたい、
お前の親が家まで迎えに来る約束だったのに、なんで私が連れて
行かなあかんのじゃ!私は元々、こんな平日の夜に、子供を外に
出したくなかったんじゃ!どうしてくれるんじゃ!もう出て行かへん
からな、私は!」と八つ当たりし、電話を切ったのです。

すると、1分ほどして電話が鳴り、それはだんなからでして、
「父ちゃんに電話してみたんや。父ちゃん母ちゃんもずっと待ってる
らしいわ。悪いけどもう一回連れてってくれんか?悪い。悪い。」と
哀願しますので、「どこやのん!?」と聞きますと、
「パン屋の前におるらしいわ」と言うのです。それって2階やんけ〜!
披露宴の行われる中華レストランは1階やのに、
私と息子もジャスコへは1階から入店するのに、
ジジババたちもジャスコへ辿り着く経路から推測するに、きっと
1階から入店しているはずなのに、なぜに2階で待つんじゃああああ!?

しゃあないので再度出かけてみますと、ジジババはまだ2階におり、
我々を見つけますと、「ああん、もう〜」という感じで顔をしかめ、
明らかに「お前が悪い!」と言わんばかりの表情ですので、
私はまたもや、すごーく腹が立ってきたのです。
そこで私は、こっちに落ち度がないことを主張すべく、
「1階で待ってました。レストランにも行きました。レストランは1階です。
なんであんたら2階におるのん。」と詰め寄りますと、
おばばの方は、急にエヘエヘしながら「野菜持ってきたで〜」と、
ごまかしてきましたので、まだ可愛げもあったのです。

しかし、おっさんの方は腕時計を指しながら、まず発した言葉が、
「わしら1時間待った!」なのです。
最初に電話をしてきてから、まだ40分ほどしか経っていないクセして、
「1時間も待った!」だなんてサバを読みやがる上に、
おっさんの、その訛りがきつく、大袈裟に聞こえる英語を聞いたとたん、
私の怒りは増し、「こんなところで待ってたらわかるわけないでしょう!
レストランは1階なのに!会えないのなら電話して来なさいよ!」と、
言ってやったのです。
それでもおっさんは少しも怯むことなく、「お前が電話して来い!」と
応酬して来た上に、あくまで「わしは悪ないんやこのボケ嫁!」的な
目つきをしながら、何度もしつこく「1時間も待った!」を繰り返しますので、
憎らしいったらありゃしないのです。

そしておっさんは、「皆を待たしてるからな!1時間も待ったからな!」と
忌々しげに言いながら、1階にある中華レストランとは全く別の方向へ
歩き出しましたので、「レストランは下ですよ!」と言ってやりますと、
なおも、「こっちでええんじゃ!」と捨て台詞を吐き、息子たちを
どこかへ連れ去って行ったのです。
そっちにあるのは和民やろ!じじぃ〜!

行き違いが元で、こんなに怒っている私も大人気ないのですが、
おばばに比べたら扱いやすいと思っていた義父も、なかなか曲者
かもしれません。知らんかった。。。

ちなみにおばばは、怒る私の姿を見て気を遣ったのでしょうか、
夜の10時きっかり、珍しいことに時間厳守で、息子2人を家まで
送り届けてくれたのでした。

2月20日(月)

先週の木曜日に、幼稚園の皆で出かける中国・温泉ツアーの話が
出てしまい、(2月16日の日記を読んで下さい)、本日は息子を幼稚園へ
送っていくのに、とても気が重かったのです。
しかし、いざ幼稚園へ行ってみますと、王太も蘇太も劉太もバドミントンの
用意をして来ていたものの、温泉旅行の話には全く触れようとしないの
です。
先週、旅行の話であれほど盛り上がったことなど、全く覚えていない
のでしょうか?
「旅行のチラシ持って来るわな!」ちゅうセリフは何だったのでしょうか?

私は旅行の話が出て以来、ひたすら断る言い訳を考えており、
断る言い訳の決定版として、「お金が無いから行けない」というのを
考え付きまして、「この理由なら、誰一人とて私に無理強いできないで
あろう。ふっふっふ、かかってこんかい!」と、待ち構えていたのですが、
拍子抜けでんがな。

温泉旅行のことは、このまま闇に葬り去られてくれればそれでいいのですが、
あの日あの場で盛り上がっていた皆も、実は口ではさも楽しそうに
「行こ行こ!皆で行こ!」なんてワーワー言うていただけで、
内心は、「旅行?んなもん誰が行くかいっ!」なんて
思っていたのかもしれませんな。
真に受けていたのは私ばかり・・・なのでしょうか?

2月18日(土)

上の息子の小学校の、担任の先生・息子と私の三者懇談の日でした。

担任の銭先生は、夫ではなく私が出頭したのを見て、ふっと笑い、
「広東語と英語とどっちにする?」と余裕たっぷりに聞きますので、
私は「はは〜ん、銭先生はきっと英語がぺらぺらなのだな?」と安心し、
もちろん「英語でお願い」と答えたのです。

しかし、元々が中国語の先生である銭先生は、実は英語を得意と
していないのでしょうか、先生の陳述のほとんどは広東語で、
その中に英単語が、たまに、まれに、わずかに、ちょびっと、混入している
だけだったのです。

なんとなく「お前の息子は中文があかんから、もっと中文の本を読んで
読解力をつけろ、中文読解は数学、常識の科目にも関係してくるからな!
わかったか!」ちゅうようなことを、銭先生は述べている・・・のは
理解できたので良かったのですが、「広東語と英語とどっちにする?」って
英単語含有率5%ですやんかっ!

2月17日(金)

夫がしつこく誘いますので、本日はリー・リンチェイ主演の映画『霍元甲』を
観に行きました。
劇場に来ている人は様々で、学生から若いアベック、中年夫婦に加え、
脂か何かでベタベタな白髪にカチューシャをつけたお婆さんまで来ていまして、
私は俳優リー・リンチェイのファン層の厚さに、非常に驚かされてしまいました。

リー・リンチェイが出ている映画を観るのは初めてでしたので、
リー・リンチェイの肉声を聞くのも初めてだったのですが、彼の声が
昔ながらの八百屋さんの「奥さん、買うてって買うてって買うてって」的ダミ声
というのでしょうか、なんとなく台湾の大統領・陳水扁を彷彿とさせるような声
でしたので、リー・リンチェイのつぶらな瞳とのギャップに、
私はこれまた驚かされてしまいました。

しかし、映画の後半、リー・リンチェイが改心してからの声色は、
陳水扁ではありませんでしたので、前半のあのダミ声は、
リー・リンチェイの演技だったことに気づかされた私でした。
いや、もしかしたら後半の落ち着いた声が演技なのでしょうか???
リー・リンチェイの本当の声はどっちなのでしょうか?

2月16日(木)

下の息子を幼稚園に送って行きますと、息子よりの一学年上の子供を持ち、
以前一緒にバドミントンをしていた蘇太(蘇さんの奥さん)が
バドミントンのラケット持参で来ており、急遽、園庭で、バドミントンすることに
なったのです。

バドミントンをしている最中、蘇太と同じく以前のバドミントン仲間であり、
しゃべり声がかしましく、やや猪突猛進型のものの見方・考え方をする
王太(王さんの奥さん)、劉太(劉さんの奥さん)も姿を現しましたので、
今日、久しぶりにここで会う、プチ同窓会(?)的なアレンジが、
なされていたのでしょうか?

バドミントンをしている最中、雪の話になり、「私、雪見たことないねん!」と
王太が言えば「私も!」と蘇太が相槌を打ち、劉太は「私は北京で見た!」そう
なのですが、「大阪は雪降るんか?」と話を振って来られましたので、
私は本当は「たまに降る」と答えたかったのですが、「たまに」がわからん
かったので、思いっきり「無!」と答えておきました。
事実に反した情報を流し、すみません。

よせばいいのに私は、雪→冬→温泉という連想から、温泉の話をしてしまい、
「私は温泉に行きたい。あなたがたは温泉に行ったことはあるか?」と皆に
聞いてしまったが最後、「ないねん!あんた行きたいんか!古兜温泉があるで!
綺麗ねん!あんた行きたいんやな!一緒に行こか!みんなで行ったら
安なるで!あんたとこ4人家族でうちは2人、蘇太んとこは3人、劉太も3人やな!
全部で12人やな!旅費が安なるな!土日は高いけど、平日やったら安いで!
平日行こか!あ、平日やったら学校あるか?イースターや!イースターホリデー
やったら平日でも行けるな!そうしよか!じゃあ、来週の月曜に旅行のチラシ
持って来るわな!」
ちゅうことになってしまいました。

今、私の、頭の中は、「行けない」言い訳を、探すことで、いっぱい、です。。。

2月14日(火)

ケーブルTVの映り具合がここ最近悪く、サッカー観戦中に選手が
四角いモザイク状に映ったり、試合の重要な局面で、バキッという不快な
音とともにTV画面がフリーズしてしまったりと、イライラさせられることが
多くなりましたので、技師に来てもらいました。

技師のおっちゃんは、「接続部分の老朽化」をその原因として挙げ、
新しい部品を使って接続し直してくれまして、たったのそれだけで、
我が家のTV画面におけるキュービズムの時代は、終わりを迎えたのです。

最後におっちゃんは、我が家で用を足して帰って行きましたが、
後でトイレに入ってみますと、便器の外の、床上・左右手前に
おしっこが激しく、そしてまんべんなく散らばっており、
私は、トイレにたたずみ、しばし、唖然と、してしまいました。
どんな放水の仕方しとんじゃあ、ゴルァ!

2月12日(日)

お昼ごろ、義姉から「一緒にお昼を食べよう」という電話がかかって
来たのですが、うちのだんなは「出かけるから」と、断ったのです。
そして電話を切るなり、「すぐ家を出なあかん、さもないと姉ちゃんが
やって来るかもしれん」と言いますので、家族4人取る物も取りあえず、
着の身着のまま、ちゅう感じで家を出なくてはなりませんでした。
断ったのに尚、「来るかもしれない」という危惧を抱かないといけないのは、
あの一族ならではのスリルでしょうか。

家を出たものの、これといって行く当てもありませんが、
家の近所をウロウロしていては義姉と遭遇しないとも限りませんし、
必要な物品を市場で買い揃え、新娘譚(←ちょっと漢字が違う)という所へ
BBQしに行くことにしたのです。

そして3時間ほどでBBQを終え、帰りのバスに乗っていますと、
またもや義姉からの電話が!
今度は「夕飯を一緒に食べよう」という誘いのようですが、
うちのだんなは「俺ら、満腹やから」と、断っています。
それから20分ほど経ち、バスから降りて家の方向へ歩いていますと、
義姉が再度、「ご飯食べへんか?」と、電話をかけて来たのです。
さっき断ったとこやのに〜。

日頃は何かにつけ義姉と一緒に出かけたがるうちのだんなですが、
今日は頑なに接触を拒みますので、きっと何かあったに違いなく、
それとなく探りを入れてみますと、先日のマカオ旅行について、義姉から
「行って損した!」「ご飯のお金払うのはいつも私や!」・・・・・等、
散々文句を言われた上、
うちのだんなが「とてつもなくケチだ」(う〜む確かに・・・)ということを
兄弟姉妹に流布されていることがうちのだんなの気に障っているらしく、
「もう姉ちゃんとは関わりたくない」とまで言うのです(ええぞええぞ)。
といっても、来週にはきっと仲良くつるんでいることでしょうが・・・・・・。

それはさておいて、
家に帰り、野外BBQで汚れた子供を風呂に入れた後、
家族ではぁ〜っと一息入れていたところへ、ついに義姉は、いきなり
うちの玄関まで押しかけて来たのです。さすがおばばの娘!
そして、「夕飯食べにいこう」と、しつこくしつこく食い下がるのです。

本当にお腹がいっぱいなので、「食べられません!」と義姉の申し出を
拒否しますと、「ほんなら7時になったら食べられるか?8時はどうや?」と
時間指定で迫って来るのです。
あげくに、「明さん(義姉の夫)が下で待ってるねん、明さんの機嫌が
悪くなるから早く行こ!」と言うのですが、そんなん知らんっちゅうね〜ん!

一緒にご飯を食べに出かけない限り帰りそうにない気配ですし、
夜の8時まで長居されるかと思うと私は恐ろしくなり、
「じゃあ子供だけ連れて行って下さい」と頼みますと、
義姉はうちの息子2人を連れて、すぐに出て行きました。
息子達が帰って来て、何を食べたのか聞きますと、「お粥」ちゅうことでした。

今日は元宵節(チャイニーズ・バレンタインデー)と呼ばれる、
恋人同士やカップルにはスウィートな日なはずなのですが、
義姉はどうして明さんと2人きりで外食しないのでしょうか???
クリスマスだとか、バレンタインデーに、なぜ我が家を誘いたがるのでしょうか?
そして、明さんはそれをどう思っているのでしょうか?大いに謎ですわ。

2月8日(水)

「日記は書き溜めずにおこう」と、いつも思ってはいるのですが、
またもや溜まってしまいました。「なるべく話を簡潔にまとめよう」とも
思ってはいるのですが、ついつい長々となってしまします。
1月25日あたりの日記から、さかのぼって読んで下さると、
もしかしたら、わかりやすいかもしれません。皆様、いつもすみません!

今日はとうとう、ゴモス(洗濯機)の修理を頼まなくてはなりませんでした。
排水しやがらないのです。買ってまだ1ヶ月なのに・・・。ゴモス。

2月7日(火)

日曜日の登山のリベンジで、今日は本当に登山して来ました。
地図を見ますと、登山口が判明したのです。
って、最初から地図を見て出かければ良かったのですな。

今日は先に昼食を済ませ、水だけを持参して行きました。
登山口はいきなり急な階段が続き、私はもうそこでくじけそうでしたが、
息子が「がんばる!」と言いますので、私もゼーゼーいいながらもがんばりました。

最初の小山の頂上に出てからその先は、尾根伝いに山々を越えていくのです。
そして登山開始から2時間ほどで、おばばの家の裏山の頂上にたどり着き、
その後、おばば村目指して下山して行ったのです。

登山するのは高校の修学旅行以来ですが、今回久しぶりにやってみて
下山するのもしんどい、ちゅうことに気がつきました。

頂上を目指す登山は、私的には心臓に悪そうなのですが、
下山は膝に悪そうなのです。
しかしながら、息子などは、登山はしんどそうでしたが、下山になりますと、
それこそ走るようにダーッと軽々下りて行ってしまいますし、
私も子供の頃は下山でしんどい、という気はしなかったように思います。
これはひとえに体重との関係でしょうか???
上半身が重過ぎて、膝に負担がかかり、しんどいのでしょうか?

今日は、下山の途中の、なんでもないところで、私は膝がガクン!となり、
体のバランスを崩したが最後、そのまま前かがみ状態で、
坂道をゴロゴロ2回転ほど転がってしまったのです。
だんなには「お前何しとんじゃあ!」と罵倒されましたが、転がったが最後、
止まれなかったのです。

今度こそ、本当に痩せよう。私は心に決めました。

2月5日(日)

私が子供のころ、うちの親がまだ宗教活動にいそしんでいないころの、
我が家のレジャーといえば、「カップヌードルと湯沸しを持参して山登りし、
頂上で食べて帰って来る」というものだったのです。

今日はだんなが山登りしよう、といいますし、
私も久々に、山でカップヌードルを食べて帰って来る、というのをやってみたく
思い、家族4人で近所の山に登ることにしたのです。

我が家はキャンプで使うような『ポータブル湯沸し』を持っていませんので、
魔法瓶(今では死語か?)に熱湯を入れ、登山口までの道すがら
カップヌードルも2個購入したのです。
なんで家族4人で2個かといいますと、「魔法瓶のお湯の容量が
カップ麺2個分相当しかなかったから」、という理由に他ならず、
『人数÷2』のピラニア法則では決してありません・・・。

しかし、だんなのいう登山口が、どこにもないのです。
だんなが「ここや!」と言う集落で、路地という路地に立ち入り、登山口を
散々探し回ったのですが、それは民家への私道であったり、
行き止まりだったりで、どこにもないのです。

我々はちょっと歩いて右側隣の集落も探したのですが、そこにも登山口はなく、
息子どももぶーぶー言い出しますし、仕方がないので登山は諦め、
バスに乗り、大尾督という、BBQもできて、ボートにも乗れ、
自転車にも乗れるという、我が家の界隈ではレジャーのメッカ、ともいえる
場所に行ったのです。大尾督はやはり、楽しそうな人々で溢れておりました。

BBQにいそしむ老若男女を尻目に、ボートの漕げる入り江の脇に座って、
隠れるようにカップヌードルを食べる、貧乏臭い家族を目撃されましたら、
それは我々です。

2月2日(木)

久しぶりに会う友人が、家に遊びに来てくれましたのです。

夕方、急に玄関の鉄門が、勢いよくガラガラ〜と開く音がしましたので、
一瞬、何が起こったのかわからず、友人ともども、ドア方向に目が釘付けに
なってしまいました。
すると、2枚目の内ドアをボーンと押し開けて、おばばが現れたのです。

さすがにおばばも、「お、おう、友達来とったんか・・・」と、少し恥ずかしそうで、
野菜を置いて、とっとと帰って行きました。

呼び鈴も鳴らさずいきなり侵入して来るところが、いかにもおばば!っちゅう
感じの登場だったです。
友人が爆笑してくれ、おまけに「正月からめでたいかも?」と言ってくれたので、
一安心(何がや?)だったのですが、不躾なおばばですんませんなぁ。

1月31日(火)

マカオ2日目は、フェリー乗り場の横にありますフィッシャーマンズワーフを
観光した後、早めのフェリーで香港に帰る段取りとなりました。

フィッシャーマンズワーフには、遊園地にあるような子供向けの乗り物が
数点あるのです。
乗り物を見てしまえば子供も乗りたがりますし、せっかく来たのだから、
ひとつくらい乗せてやりたい・・・と思うのが親心ではないでしょうか?

しかし、うちのだんなは、一人一回20ドルという乗車賃(?)が「高い!」を
連発し、「マシーンが故障や」だとか「あっちに行ったらもっとおもしろいものが
あるよ」、「後で乗せたる」などと、ヘタなうそをついて、息子どもを
はぐらかしていたのです。

途中、義姉夫婦、李国栄とは別行動を取ることにし、この遊園地が
帰りの待ち合わせ場所となりました。
フィッシャーマンズワーフ内の、我々夫婦には縁がないようなお土産物屋を
ふらふらした後、フィッシャーマンズワーフの外もうろうろしますと、
そろそろ集合時間になりましたので、遊園地に戻ったのですが、
遊園地の乗り物の姿を見てしまった息子たちは、またもや乗りたがるのです。
私が、「せっかく来たのに、そんなにケチケチせんでもええやろ!」と、
嫌味たらしく言ってやりますと、だんなは「もうすぐ集合時間やし、
チケット売り場にも人がいっぱい並んでるやろ!」と言うのですが、
チケット売り場はだんなが言うほど長打の列ということもありませんし、
さっとチケットを買って、さっと空いてる乗り物に乗れば、ものの5分ほどで
遂行できそうなのです。

あまりの言い訳に、「じゃあ、私が買って来るがな!」とチケット売り場に
行こうとしましたら、だんなもさすがに観念したのでしょうか、
「ほんなら俺が買って来るわ・・・」と、いうことになったのです。

チケットはすぐ買え(ほら見ろ!)、ニヤニヤしながら戻って来ただんなは
息子2人を連れて、私が乗せようとしていた、順番待ちしなくても乗れる
乗り物とは別の方向に歩いて行き、雑踏の中に消えてしまいました。
集合場所に来ていた義姉夫婦が「どこに行ったん?」と聞くのですが、
私にもわからん!

その後15分経っても戻ってこないので、イライラしている義姉夫婦に
カバンを預け、様子を見に行ってみますと、すごい人だかりになっている
フライングカーペット様のマシーンに、悠長に並んでいるだんなの姿が
見えたのです。
私が「おっさん!おっさん!」と声をかけますと、先ほどの
チケットを買うのを死ぬほど渋っていたのと同一人物とは思えない、
とても嬉しそうな顔つきでだんなはこちらを振り向き、
「ええのに並んだやろ?」というのです。
「もうすぐ集合時間」って言うてたん、どこのどいつやぁ〜!

「皆待ってるで!どうすんのよ!」と返しますと、「待っててもらえ」と一言、
そして「カメラや!カメラ持って来て!」と、この期に及んで子供のように
はしゃいでいる様子、私は呆れてしまいました。

義姉夫婦のところに戻り、「まだ並んでます、先にお昼を食べて下さい」と
言ったのですが、「どこで食べるんや?後で会われへんかったら困るし、
待ってるわ」と、憮然とした様子ながらも義姉は言い張りますので、
またもや義姉夫婦と私の3人で、気まずい空気に包まれながらも、
じっと待っておったのです。

するとだんなが現れ、あっけらかんと「姉ちゃん、先にフェリー乗り場に
行って先に食べてて」と言い残し、カメラを掴んでまたもや雑踏へと
消えて行きました。
義姉夫婦も、空腹のところを散々待たされた上に、ごめんの一言もない
弟にキレたのか、「はぁぁぁぁ〜っ」と、ため息のような絶叫のような
なんだかよくわからない音を発したあと、黙って去って行きました。

一人でたたずんでいても仕方がありませんので、
私も荷物を抱えてフライングカーペット乗り場に向かいましたら、
まさに息子たちが乗せてもらう番が来ており、おっさんは柵の外で
カメラを構えておりました。

元々来たくなかった旅行に強制的に参加させられ、汚い宿、
道中は義姉夫婦とだんなとの板ばさみで、「もう、絶対マカオなんか
旅行せぇへんからな!」と煮えたぎる思いでいっぱいだった私ですが、
息子たちの喜ぶ姿を見るとさすがに嬉しく、フライングカーペットに
乗せるまでにも色々とセコイ攻防があった道のりだけれども、
乗せてやれて、息子の喜ぶ顔が見れて、良かった〜と思いました。

「これに乗せて良かったやろ?同じ20ドルでも乗ってる時間長いし」と、
うちのだんなは満足そうに何度も何度も言うのですが、
それならもうちょっと、往生際をよくして欲しいものですな。

義姉夫婦には、どうぞこれに懲りて、2度と我が家の旅行に同伴しよう
なんていう画策を練らんようにしていただきたい。よろぴく。

1月30 日(月)

マカオ旅行の日です。
ゴモス(洗濯機)が不調で、朝から回していたのに出発時間の12時になっても
洗濯が終了できず、せっかく洗った洗濯物も、干さないまま家を出なければ
なりませんで、このマカオ旅行はしょっぱなから、気分の悪い幕開けだったのです。

九龍のマカオフェリー乗り場に着きますと、一緒に旅行する義姉夫婦と李国栄は
もうすでに到着していたのですが、皆びっくりするほど軽装なのです。
義姉夫婦などは、一泊旅行だというのに持参品は、夫婦合わせてペロンペロンの
肩掛けカバン一つなのです。李国栄も同様、小型リュック一つです。
お風呂に入らないのでしょうか?寝る時は着替えないのでしょうか?
様々な疑問が私の頭をかすめた後、最後に、「もしや、風呂がない???」という、
半ば結論のような恐ろしい疑問が湧き上がったのですが、聞かずにおきました。

私は大きめリュックに、子供と私の着替えやらバスタオルやら洗面用具やらで、
パンパン状態だったのです。
私の大荷物を見て、義姉は「わ〜、なんでそんなに荷物要るん?」と、
やや嘲るような口調だったのですが、子供おらんお前にはわからんのじゃあ!

今夜の宿泊先である、李国栄の親戚の家は、「タイパ」という地域(島?)にある
静かな港町にあったのです。
家は、常時誰かが住んでいるというわけではなく、一族の別荘にしているようです。
一階は居間と台所、2階の3部屋に2段ベッドが何台も設置されており、
ぼろぎれをベッドカバー代わりにして被せてある下には、
布団がビニール袋に詰められ、きっちり保管されておりました。
最低限でも清潔にしようとする、その努力はうかがえ、電気温水器のシャワーも
一応あるようで、「まぁ、一泊くらいならなんとか泊まれるんちゃう?」、その時は、
私もそんな気がして、すっかり安堵してしまったのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

その後我々は夕食のため、町の中心地へ出て行きました。
義姉の一存で、『パンダ』という、料理屋としてはあまり信用できなさそうな名前の
ポルトガル料理店?ほんとにポルトガル?パンダなのに?って思ってしまう店に、
我々は落ち着いたのです。
義姉が主導権を握る外食は、『人数÷2』の品数しか注文してくれないことが多く、
ピラニア宴になること必至なのですが、今日は李国栄も居るからなのでしょうか?
「何が食べたい?」と、こちらの要望も聞いてくれる姿勢が見られ、しかも、
子供も合わせて総勢7人、通常なら4品程度の注文しかしないところを、
今日は6品も注文してくれましたので、私は目頭が熱くなりました。

イワシの炭火焼を6尾注文したのですが、李国栄は魚アレルギーですし、
義姉夫婦もうちのだんなも、イワシのように小骨の多い魚を、上手に食べられない
ようなのです。
彼らも最初はイワシの小骨を肉がついたままぺっぺっ吐き出し、
「骨多いわぁ」とぼやきながらもなんとか食されていたのですが、
そのうち面倒になったのでしょう、イワシには誰も手をつけなくなったのです。

おかげで、私は、「イワシわな、骨まで食べるもんなんやで〜、いっひっひ」と、
思いながら、2尾もいただくことができました。
そしてもう一つ、アフリカンチキンという料理も頼んだのですが、
これが予想外に辛すぎたらしく、李国栄と私以外、誰も食べられなかったのです。
というわけで、李国栄と二人で、しっかり堪能させていただきました。

今後、義姉との外食時には、
            @小骨の多い魚を頼め
            A激辛なものを頼め      を教訓にしたいと思います。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

夕食は良かったのです・・・。
李国栄の家に戻り、そろそろ寝る用意を始めた私を襲った予想外の出来事が
ありました。それは、布団がカビ臭い、ということです。
布団をビニール袋から出した瞬間、ものすごいカビの臭いが漂いはじめたのです。
祈るような気持ちで、何枚か他の布団も出してみたのですが、
どれもこれもカビ臭い。一泊とはいえこのような布団を使ってしまったら、
病気になってしまうんではなかろうか???そんな気さえします。

誰かがたまに泊まりに来て、布団を使ったあと、干さないでそのまま
ビニール袋に突っ込んで帰ってしまうので、このようなカビくさ布団になる
のでしょう。こんなことなら、昨日まで誰かが寝ていた布団の方が、
よっぽどマシかもしれません。
加えて、義姉夫婦が寝るはずだった部屋に、ネズミの食い散らかした
残骸のようなものがあったそうで、義姉夫婦も、我々『4人=核家族』の
部屋で寝させろ、といって、乱入して来たのです。あ〜、いやいや。

着の身着のままで寝るつもりの義姉も、ベッドの衛生環境には不満足な様子で、
「だから私は他人の家に泊まるの嫌いなんや!」と吐き捨てるように言うのですが、
毎年夏ごとに、私の日本の実家に泊まりたがるのはなぜなのでしょうか???
という疑問はさておき、
義姉が「お前の息子2人だけにはなるべく綺麗な布団を使え」と、
ビニール袋を開けまくり、布団を「これでもかっ!」っちゅうくらい引っ張り出して、
手を尽くしてくれたのは、有難かったのです。
しかし。「布団が体半分しか、被さっていない!」のを見つけては、
首のところまでしっかり布団をずり上げてくれたり(臭いからワザと半分だけに
しとんじゃあ!)、夜中に息子が咳すれば、「のどにメンソレ−タムを塗れ」やら、
要らん世話まで甲斐甲斐しく焼いてくれるのは、さすがおばばの血筋でございます。

文句を言っていても仕方がないので私も寝ることにしたのですが、
カビ臭い布団に蚊が何匹も飛び交う上、誰かのいびき、歯ぎしりがすごくて、
なんぼがんばっても寝られないのです。
私は夜中の4時まで悶々としておりましたが、ふと気がつくとカビ臭い布団に
包まれて朝の7時を迎えておりました。

1月29 日(日)

本日の旧正月一日目は、またもやおばばの家で過ごしました。

義弟が姿を現すなり、「明日からのマカオへは行かれへようになった」と言ったきり、
おばばに向かって「俺行かれへんから母ちゃん代わりに行ってくれ」と、
フェリーチケットの譲渡の話を勝手に始めましたので、
うちのだんなの顔色が、憤りで青黒くなりました(超人ハルクみたいですな)。

おばばは、「孫も行くし、しかも宿代がタダ」ちゅうことで行く気マンマンなのか、
義弟から渡されたフェリーのチケットをすっかり握り締めていたのですが、
うちのだんなが義弟に絡みだし、「姉ちゃんに聞いてから決めろ!」とうるさいので、
義弟も渋々、今日は夫側の家に挨拶に行っている義姉に電話しましたら、
交渉が難航、というより、明らかに電話の向こうで義弟を罵倒する、
義姉の荒々しい声が乱れ飛んでいる様子なのです。
そして次に、うちのだんなと義姉の間で電話での話し合いが行われ、その結果、
「母ちゃんは糖尿病持ちやし、マカオで何かあったら困るから、行ったらあかん」という
結論に達し、おばばは有無を言えぬまま、旅行の権利を剥奪されてしまったのです。

おばばは超不機嫌になり、ぷいっと2階に上がってしまいました。
それはそうでしょう、おばばは糖尿病持ちといいましても、日本旅行にも来たことが
ありますし、4泊5日の中国北京旅行にも行き、旅先で何事もなく帰って来ているのです。
それなのに、フェリーでたった一時間そこいらのマカオがダメ!なんて、
言い草があるでしょうか?

代役が立たないと、自腹を切ったフェリーのチケット代がもったいない義弟は、
今度はおっちゃん(義父)に「行ってくれ」と頼み込んだのですが、
聞き耳を立てていたらしきおばばの、「店があるやろ!店どないすんねん!」ちゅう
悔し紛れのドラ声が2階から飛び、おっちゃん自身もマカオのカジノには
行きたいものの、宿泊はしたくないと言うのです。

私はここぞとばかりに、私と義弟の2人分のチケットで、おばばとおっちゃんに
マカオ旅行をプレゼントしてはどうか?と提案したのですが、うちのだんなは無視、
おっちゃんにも直談判したのですが、おっちゃんも「へ〜へっへっへ〜」という怪しい
笑い声を立てながら、あっちに行ってしまいました。
さては、おばばと一緒には行きたくないのだなっ!?

結局、義弟の代役は誰もおらず、7人で旅行することになるようです。
(って、旅行後に書いているのです。すみません。。。)

うちのだんなの義弟への怒りは収まらず、家に帰ってからもずーっと
「あんな奴知らんわ!見損なったわ!」と語気も荒く言い続けておったのです。
私も「そうやね、一日前にキャンセルなんて、はた迷惑やね」などと、
相槌を打っておったのです。
しかしそのうち、だんなが義弟に対して怒っている内容が、
その、旅行一日前に平気でドタキャンする無責任さではなく、
フェリーチケット往復代金270ドルもの大金がかかった旅行を、
いとも簡単に諦められるその『神経』、その『金銭感覚』はどないなっとんねん!
ちゅうことのようで、私の観点とはちょっとポイントがずれているようなのですが、
まぁいいでしょう。

1月28 日(土)

本日は大晦日。おばばの家で一族揃っての大晩餐会がおこなわれました。

おばばの宴会料理は最近とみに、その品数もボリュームも減っていくような気が
するのですが、今日は本当に少ない!
テーブルに料理が運ばれて来るのを見守る面々の間にも、
「え?料理はほんとにこれだけ???」という、驚きと諦めが入り混じったような、
やるせない空気が、アリアリと流れていたのです。

しかし、宴の開始間際、義兄の嫁が「アワビよ!」といいながら、でかいタッパーを
抱え、颯爽と登場。
一族みんな「おぉ〜、救世主!」と思ったに違いありません。
一同は息をのみ、期待の視線がタッパーに注がれたのです。
そして、義兄の嫁がタッパーを開けますと、小ぶりのアワビを醤油煮したような
もの「だけ」がタッパーの底の方にごろんと4ヶ、無造作に転がっておりました。
この4ヶを13人で!?
ちゅうことで、このアワビの登場は、宴のピラニア化の解消どころか、助長するような
危険も感じましたが、長男の嫁として、手料理を持参する意気込みは買いますぞ。
かくいう私もなんとか、アワビの一切れを、箸に挟むことができました(泣)。

さて、私はといいますと、2日後に控えたマカオ旅行のことが気になっていましたので、
義姉を捕まえ、「あの・・・マカオ、行くんですよね?」と話を切り出しますと、
義姉は「しっ!」と言うなり急にヒソヒソ声になり、「あのな、母ちゃんもマカオに
行きたがってて私にフェリーの切符の手配を頼んでるんやけど、チケット売り切れに
なったことにしてるから、この場でその話はしたらあかん」という主旨を早口で
まくし立てるのです。
「あ、それなら私のチケットをお母さんに差し上げて下さい」と、私もここぞとばかりに
食い下がったのですが、即答で「あかんあかんあかんあかんあかん!」と言われ、
それまで義姉のそばで静かにたたずんでいた義姉の夫にまで激しく首を横に振られ、
私のたくらみは玉砕してしまいました。エーン。

1月25 日(木)

またもや一発かまされてしまいました。

去年末あたりからうちのだんなが、「今度、家族でマカオに連れて行ったるからな」と
言っていたのではあります。
しかし、だんなの言う『家族』というのには、きっと義姉なんかが含まれていると
思われましたので、

私: 「家族ってどういうこと?」

だんな:「うちら家族やん」

私:「うちら、って何人?」

だんな:「4人」

私;「4人って?」

だんな:「俺ら夫婦と子供2人に決まってるやん」

私:「ふーん。今言うたこと、覚えときや」

という周到な確認作業まで行いましたのに、
来週火曜日発の、マカオ行きフェリーのチケットが往復16枚(8人分)もある
ちゅうのは、どういうことやね〜ん!

早速だんなに8人の内訳を問い正しますと、我が家の4人、義弟(げろ〜)と、
義姉夫婦(げろげろ〜)に加え、だんなの友人である李国栄まで来るというのです。
李国栄、旧正月2日から、よその家の家族旅行にくっついて来てええんかい!?
と思いきや、マカオでの宿泊先というのが、その李国栄の親戚の家だと、
だんなが真顔で言うではありまへんか!
私はもう、開いた口がふさがりませんでした。

なんでも、李国栄の親戚は旧正月ということで、全員中国大陸に帰郷するらしく、
家はもぬけの殻になるんだそうですが、それにしても、一晩とはいえ、
李国栄の親戚とはいえ、顔も見たことの無い誰かが眠っていた布団で眠るだなんて、
私にはできませんので、即刻だんなに向かって
「私、行かへんで。理由その1:あんたの姉ちゃんが来るから。理由:その2:布団が
気持ち悪い。理由その3:あんたウソつきやから。」と宣言しますと、

「フェリーのチケット買ってしもたやん」や「お前が来ないと子供がかわいそう」なんて
だんなも当初はうじゃうじゃと、私の情に訴える作戦に出ていたのですが、
そのうち、「俺の厚意を台無しにするんか!」と、半ば脅迫めいたことをぬかし
出しましたので、こちらも半ば「行かなしゃあないなぁ・・・」とは諦めていたのでは
ありますが、表面上は強硬姿勢を貫いて困らせてやろうということで、
「あんたの姉ちゃん来るんやったら嫌!行かへん!私の代わりにあんたのお母さんに
行ってもらったらええやろ!」と、素敵な代替案を提示してやったのです。

するとうちのだんな、「母ちゃんが来たら姉ちゃんが来ぇへんようになるやんか!」
なんて、しゃあしゃあとぬかすではありませんか。
そういう理由がまかり通るならば、「姉ちゃん来るから行かへん!」の私の主張も
まかり通って然るべきなのであって、その矛盾が腹立たしい上に、
姉ちゃんの都合や気持ちはホイホイ汲むクセに、私には我慢しろって、
どういうことやねん、おっさ〜ん!

実はおばばも、このマカオ行きの情報を義弟(しゃべり!)から仕入れたらしく、
しかも、「ワテも行きたい」と言っているらしいのです。
明後日の大晦日には、おばば一族のピラニア宴がありますが、その席でも
このマカオ旅行の話題はきっと上ることでしょう。
私は行けても行けなくてもどちらでもいいので、おばばが本当に行きたそうであれば、
権利を譲ろうと思うのですが、その場合、義姉はどう出るのでしょうか?
マカオへは一体誰が行くことになるんでしょうか???

1月23 日(火)

上の息子の歯科検診がありました。

学校からクラス単位で、政府管轄の学童専用クリニックに出かけ
検診してもらうのです。歯石取りや簡単な治療もここで行ってもらえるようです。

このような学童を対象にした健康検査の類を受けますと、
通常は、検査機関の名前入り定規やシャープペンシルなどの文具類を
お土産にもらえるのです。
息子が今日の歯科検診でもらって来たのは、こんなんでした。

1月21 日(日)

本日は、下の息子の公立小学校への入学願書を提出する日でした。
公立小学校への願書は、2度出すチャンスがあるのです。
第一回目は、去年の11月に合否の発表があったのですが、
これは、願書を提出した学校自らが定員の半分数の生徒を選べるのでして、
うちの息子はこの選に漏れてしまったのです。

そして2回目の今回は、入学を希望する学校を第一志望からずらずら〜と明記した
願書を政府に提出し、それをコンピュータで振り分けしてくれるのでして、
入学できる学校がわかるのは、今年の6月なのです。

上の息子が通う公立小学校は気楽でいいのですが、気楽過ぎて人気がないのか、
第一回目の願書提出では、新入生収容・最低人数の23人が集まらなかった
ようなのです。
新入生が23人に満たない学校は、『殺校』(今後は新入生を受け入れられず、
いずれは学校が閉鎖される)という刑に処せられる運命になるようで、
校長先生も辛い立場に立たされているようです。
校長先生から直々に、「うちの学校に入れてくれへんか?」という電話(選挙みたい)が、
だんなの携帯にかかってきたのです。
といいながら、我が家も、下の息子には、別の小学校を第一志望にしてしまいました。
国語が普通話を駆使しての授業でなかったら、喜んで第一志望にするのじゃが・・・・。

1月19 日(金)

日本へ包装物を出すため、郵便局へ行きました。

専用フォームへの宛名書き等を済ませ、窓口のおっちゃんの所へ行き重量を
計りますと、1,017グラムと、わずかに1kgを超えてしまっていたのです。
おっちゃんに「1kgでいけるよね?」と聞きますと、「あかんね〜ん、1.5kgになるねん」
と非情な回答が返って来てしまいました。

1.5kgですと郵便料金が35ドル(500円程度)も高くなってしまうのです。
100gもオーバーしていたら諦めもつくのですが、たった17gの重量オーバーで
35ドルも高くなってはなんだかものすごく損した気分ですので、その場でしばし
包装物を見つめ、う〜んと考えていますと、窓口のおっちゃんが「その紙の封筒から
出して、これに入れてみ」と、ビニール製の封筒を出してくれたのです。
「おっちゃん、気が利くやん!」と思いながら封筒を入れ替え重量を計ってみますと、
最初の紙封筒よりも、5gも重たくなってしまったではないですか、おっちゃん!

私は、当初、荷物を太い輪ゴムで束ね、その上をビニールのプチプチでくるみ、
そして紙の封筒に入れて郵送しようと思っていたのですが、こうなると仕方が無い、
なんとか1kg以下にするため、思い切って、この過剰包装を外してみることにしました。

まず、プチプチを外してみましたら、思いのほか重量削減にはつながらず、
仕方が無く輪ゴムも外してみたのです。
そのような状態で、荷物を計ってみますとなんと990グラムまで下がり、
おぉ〜やった!と、一人でぬか喜びしているところへ、おっちゃんがすかざず
ビニール封筒を乗っけましたら、いきなり1,010グラムに戻ってしまいました。
ビニール封筒重たすぎじゃ!

荷物はまさに身包みはがした状態でして、もうこれ以上何も外せませんので、
私は半ば観念していますと、おっちゃんが、ビニール封筒に付いた取っ手らしき
部分を、ハサミでいきなりチョキチョキやりだしたのです。
計ってみますと1,007g。もうちょっとだ、おっちゃん!
おっちゃんは今度は、ビニール封筒そのものにハサミを入れ、慣れた手つきで
余分な部分を数センチ単位でカットしては計り、カットしては計る、という作業を
始めました。いいぞ、おっちゃん!

しかし結局、最終的には1,004g止まりで、1kgを下ることはなかったのです。
おっちゃんもついに諦めたようで、無言でコンピュータをパチパチやりだしましたので、
状況がイマイチつかめない私は「1.5kg扱いですか?」とたずねてみますと、
「1kgで入力しといたで」っておっちゃんは言うのです。

おっちゃんがあまりにも一生懸命に重さを減らそうしてくれますので、
私はてっきり、計りとコンピュータが連動しており、自動的に重さが入力されて
しまうシステムなんかと思っておりましたが、手で打ち込むんだったんですな。
それならば最初から・・・・・・・・おっちゃん。と、思ってしまうのは、バチ当たりですね?
おっちゃん、色々手を尽くして下さってどうもありがとうございました。

ちゅうわけで、封筒が切り刻んであったり、封筒の中にいきなり荷物が入っている
状態なのは、そういうわけなのです。あしからず。(って誰に言うとんねん!)

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夜は、日本から香港へ遊びに来ている友人夫婦が、我が家に来てくれました。
会うのは半年振りですが、夫婦ともども、いつ会っても全然変わらない(老けない)
のは何故だ!私と同い年やのに・・・・。

下の息子が秘蔵しているサカナの入れ物があるのですが、ふたを開けて匂うと
とてもクサイのです。
息子はその入れ物を人様に匂わせ「くっさ〜っ!」というリアクションが返って来る
のが楽しいようですが(あほの証拠か?)、それを匂った友人が
「これって肛門のにおい」とつぶやいたのです。
言われてみれば本当にそんな匂いなのですが、それよりも、
「肛門のにおいをなんで知ってるね〜ん!」と、私はすかさず思ったのですが、
聞かずにおきました。変な話ですみません・・・・。

1月16 日(月)

今週は上の息子の小学校も、下の息子の幼稚園も、ダブルで試験期間ですので
我が家にも一応、ピリリン!と、緊張の気配が走ってないこともなかったのです。

下の息子は言葉が拙く、物事に熱中するとよだれを垂らしていたりもしまして、
うちのおばばや幼稚園の父兄の方々から、日頃「あほ」と思われているフシが
ありますので、名誉挽回したい親心で、本日は、明日の英語のテストに備えた
自作の『模擬テスト』を作ってみました。

上の息子も同じ幼稚園に通っていたのですが、彼が受けた同学期の英語テストが
ちょうど残っておりましたので(うっしっし)、それを参考にし、息子にできなさそうな
内容はこの際省き、点が取れそうなものだけを厳選、2時間かけて、イラストも文も
すべて手書きの模擬テストを作り上げた私は、「よっしゃ〜、完璧や!」と
自己満足に浸っておりましたのに、幼稚園から帰ってきた息子が言いますには、
「英語のテストは今日終わった」そうなのです。

明日は私が手も足も出ない中国語のテストだそうで、先ほどまで張り詰めていた
ピリリン!とした糸はプツンと切れてしまい、試験を後4日残し、
もやは私は諦めの境地でございます。「あほ」を名誉挽回できる日は来るのか!?

1月14日(土)

なにげなくテレビのチャンネルをパチパチ変えていましたら、
突然日本語が聞こえて来ましたので注目しますと、そこには上戸彩ちゃんが
映っておりました。
なんとなくその台詞や雰囲気から「はは〜ん、これが『エースをねらえ』であるな・・・」
と察しがつきましたので、しばらくチャンネルをそのままにしていましたら、
画面上に内野聖陽が登場したのです。
その黒い服装からなんとなくコーチの宗方仁であることは理解できたのですが、
それにしてもあの髪型・・・・・・。
宗方仁ちゅうよりも落ち武者みたいですな。
「あれが宗方仁?」ちゅうので、番組放映時に物議をかもしたりは
しなかったのでしょうか?
もうちょっとばかし『仁ルック』が似合いそうな適役はいなかったのでしょうか?
藤木直人とか。(←って個人的見解です、すみません。)
ついでに今頃エースを狙えネタですみません。

1月13日(金)

一昨日の水曜日、久しぶりにバドミントンの練習がありました。
クリスマス休暇を挟んだので、約一ヶ月ぶりでしょうか?

バドミントンは結構ハードでして、しかも、私は基本フォームができておらず、
かなり無理な姿勢・体勢でプレイしておますので、取れないような地点にわざと
羽を飛ばしてくれちゃうような素敵な奥様方から、試合形式の『しごき』を2時間も
受けますと、心身ともにかなり疲れるのです。
一昨日などは、私はもう、夜10時には眠りに落ちずにはおられませんでした。
そして今朝などは、私はもう、這うようにしないと起き上がれないほどに筋肉痛で
ございました。
翌々日に筋肉痛になるとは、どういうこっちゃ?

1月7日(土)

午前中、だんなが珍しく「飲茶に行こう」といいますので、
家族3人(上の息子は登校)で近所の飲茶レストランに出かけました。

レストラン・ロビーのソファで順番待ちしていますと、でかいマスクをかけた
不審なおばはんがやって来て、私の横の席、しかもぴったりと私にくっつくように
座って来まして、しかも、私に向かって「ハロー」と挨拶するのです。
私もとっさに挨拶を返してしまったのですが、「誰やねんお前!」状態でしたので、
きっととても怪訝な顔をしていたのでしょう。

するとおばはんは「私よ!」と言わんばかりにマスクを外してくれたのですが、
それは、私の香港生活の憧れであったEVAさんだったのです。
EVAさんネタは、私の過去の日記に色々とありまして、それを読んでいただければ
EVAさんがどれほど美しい女人であったかが(過去形注意)わかっていただけると
思います。
それはどちらかというと妖艶な美しさであり、そのEVAさんが公園で
フラフープを回す姿を見た日にゃ、興奮で眠れなかったほどです(私はおっさんか?)
EVAさんは以前、我が家と一緒のマンションに住んでいたのですが、3年程前に
引っ越してしまい、もう何年も会っていなかったのです。

本日久しぶりに会ったEVAさんは、やはりEVAさんなりにおばはん化しておりました。

1月6日(金)

ここ最近では一番の冷え込みだと思われる本日は、上の息子の学校の
運動会でした。

息子が「60メートル競走に出る」と言いますので、ゴモス全開で家事も慌てて
済ませた後、運動会が開かれている近所のグラウンドまで足早に行ってみた
のですが、寒さのせいなのでしょうか、生徒と教職員以外、
誰も見に来ていなかったのだ!

プログラムのようなものは無く、息子の60メートル競走も何時におこなわれるのか
見当もつかず、「この寒さの中、一体いつまで待たなければいけないのだろうか?」
と、やや途方に暮れながらも、来ている父兄が私だけですのでちょっと恥ずかしく、
誰にも悟られないよう観客席の後方を徘徊していたのですが、その内に、
「60メートル走に出る者は集まれ!」という召集がかかり、競走が始まったのです。

同じ学年の6人が一組になって走ったのですが、息子は4着でした。
実は私は、うちの息子は割と走りが早いほうである、と思っておりましたが、
そうでもなかったのです、同級生の子たち、皆なかなか走りが速いのです。
1着になった子などは、走るのが速すぎて、頬の肉が空気抵抗でぶるるるるる〜
とさえなっておった程です。

息子の走りは早々に終わってしまいましたし、日本の運動会のように組み体操や
踊りがあるわけでもないですし、「午後の部には一体何をするのだろうか?」と
やや疑問には思いながらも、寒さに耐え兼ね、私は運動場を後にしました。

そして午後、「寒さのせいで、予定より早く終了しているのではないか?」と
思った私は、運動会終了の予定時間より20分ほど早く、息子を迎えに行ったのです。
すると、閉会式が行われておりました。
ちょうど授賞式の真っ最中でして、授賞者が次々前に出ては、校長からトロフィーや
メダルを受け取っているのですが、あまりに受賞者が多すぎて、これがなかなか
終わらないのです。
それもそのはず、例えば息子の60メートル走では、一緒に走った6人中の上位3人
までが授賞され、メダルを貰っていたようです。
3年生の60メートル走でも男女合わせて8組あり、その各組上位3人がそれぞれ
メダルを貰うわけですから、24人が授賞なのです。
それを各種目ごとに、6年生まで全員授与するのですから、終わるわけがありません。
私は音楽を聴きながら待っていたのですが、ズートンズのアルバムが
通しで一枚聴けてしまった程です。

授賞式がやっと終わったと思ったら今度は校長の話が続き、それもやっと終わったと
思ったら、今度は全員起立して、グラウンド前方にあります山の方向をしっかりと
見据え、しかも直立不動ですので、「中国国歌でも流れ出したらどうしよう・・・」と、
私はやや不安になったのですが、生徒・教職員が見つめていたものは校旗が
はためくポールだったのです。
運動会も無事に終わり、最後に校旗を下ろしていたのでした。びびらせやがる。

1月5日(木)

専門学校時代の友人が家族ぐるみで香港へ観光に来ましたので、
一緒に飲茶して来ました。

友人が「最近これに嵌ってるねん、これ無しでは食事できない!」といいながらも、
やや恥ずかしそうにお土産をくれたのですが、それは神宗の塩昆布だったのです。

神宗の塩昆布というのは関西(もしかして全国区?)では有名なのでして、
これまでにも実家の人間が香港に来るたび手土産に持って来たりして、
香港の我が家の冷蔵庫には常備されている物品だったのです。

しかし、私はどちらかというと塩昆布が嫌いでありまして、「塩昆布?けっ!」という
スタンスを長年保っており、邪魔者・塩昆布は、月餅などと一緒に冷蔵庫の
肥やしとなったり、「これ、要らんから貰ってくれ」と、友人に押し付けたりして
おったのです。(無理やり押し付けられた方々、ごめんなさい!)
それが最近、私は37歳・おばはんにして、神宗の塩昆布の美味しさに開眼して
しまったのです。

ある日、私は無性におにぎりが食べたかったのですが、おにぎりの種にできるような
ものが何もなく、本当に仕方がなく、賞味期限をとっくに切れた神宗の塩昆布に
手を伸ばし、「しゃあないなぁ・・・」と思いながら塩昆布を中心に据え、
おにぎりを握ってみたのです。
そしてやはり「しゃあないなぁ・・・」と思いながら、ため息まじりで食べてみますと、
塩昆布とは思えないような、なんともまろやかな味わいの中に、フキや山椒の香りが
懐かしく、私は自分でも意外ながら、「これっておいしいやん!」と思ってしまったのです。

その日以来、我が家での神宗の塩昆布の需要度は急激に高まってしまい、
わざわざお茶をいれて『神宗塩昆布お茶漬け』なんかも作ってしまったりして、
あれ程こんもり入っていた100g入りお徳用パックはもはや底を尽きかけており、
「なくなったらさびしいなぁ、どうしよう・・・」と思っておったところなのです。

そんなところへなんという奇遇なのでしょうか。
友人がお土産に持って来てくれたのです。
しかも、その友人も塩昆布の旨さに魅了されている様子ですし、
人間37歳前後というのは、その手の味覚に開眼するお年頃なのでしょうか?
(味覚の老人化とでも言うべきか?)

1月3日(火)

新年明けましておめでとうございます。

去年中も、私のつたない日記を読んで下さいまして、どうもありがとうございました。
その日記も私の怠慢ゆえ、更新がついつい滞りがちになってしまうのですが、
それでも見放さず読み続けて下さる皆様、掲示板に書き込んで下さる皆様、
本当にありがとうございます。

中でも、去年は日記をきっかけに、義姉夫婦の伊勢旅行のガイド役を名乗り出て
下さったKさんや、私のつぶれかけPC復旧に、とても役立つ知識と
アドバイスを下さった澪佳さんとお知り合いになることができました。
その節はどうもありがとうございました。
ご親切なお二人には色々と助けていただき、嬉しいと同時に、
「日記も書いてみるもんやなぁ・・・書いてて良かった〜」と思った次第です。
(勝手にお名前を出してすみません!)

怠け者の私、何の役にも立たない日記・HPではありますが、
今後もぼちぼち更新して参りますので、本年もなにとぞ宜しくお願いいたします。


本日、排便しながらふとひらめいたのですが、我が家の洗濯機・ゴモスは、
『ゴモス』ではなく、もしや、『ゴマ』と読むんではなかろうか?
いかがでしょうか?

 1225日(日)

今日は家族で映画『キングコング』を観に行きました。

我が家から一番近いと思われる場末の映画館でしたので、上映している映画も
キングコングと、ヒヨコのアニメの
2本だけでした。
ヒヨコのアニメの方は
35ドルなのに、キングコングは40ドルとなっていますので、
「なんで値段が違うのん?」とだんなに聞きますと、「キングコングは上映時間が
長いから高いんや!」という返事だったのですが、ほんとにそうなのでしょうか?

映画中、船が難破する場面があるのですが、横に座った上の息子を見ますと、
どうも気分を悪そうにしているのです。
きっと、激しく揺れる船底、甲板の映像を見て、自分も船酔いしてしまったのに
違いありませんが、そこはものすごくエキサイティングな場面でしたので、
息子の介抱をせず無視していますと(おい!)、その次に、土人が出てくる
恐ろしい場面になってしまったのです。
そこもものすごくエキサイティングな場面でしたので、私は夢中で観ていますと、
息子がとうとう「お母さん、吐きそう」と訴えますので、慌ててトイレに連れて
行きましたら、息子は本当に吐いてしまったのです。

しばらく外で休憩した後、なんとか映画に戻りたい私は、渋る息子を言葉巧みに
座席へ誘導しましたら、その後は難破船も土人も出てこず、大丈夫だったのですが。

実は当初私は、「キングコング!?けっ!」くらいの気持ちで観に来たのですが、
予想外にとても面白かったのです。最後の方では涙ぐんでしまいました。
今年一番の傑作(って
3本しか観てません・・・)と言ってもいいです。
それに、キングコングのちょっとすねたような横顔などを見るにつけ、
「うちのおばばはやっぱしゴリラに似ている・・・」というのを、
この映画は再確認させてくれました。
ピーター・ジャクソン、恐るべし。

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そしてその夜は、義姉夫婦とのクリスマスディナーでした。
珍しいことに、日頃の家族の集まりではうんともすんとも言わず、ただ座っている
だけのアンチソーシャルな義姉の夫が、今夜はご馳走してくれるというのです。

私はてっきり中華料理の皿を皆で突っつくようなお店に入るんだと思って
いましたが、義姉の夫が探しているのは西洋レストランタイプの、クリスマスの
コース料理のようなのです。
私は「コース料理を人数分頼まず、ピラニア宴になるのはいややなぁ・・・」と
暗たんたる気分で皆の後ろをついていっていたのですが、
義姉とその夫は、一人前
138ドルもするクリスマス料理を出す、我が家の界隈では
結構イキったお店の前で、しばし悩んだ挙句、入店してしまったのです。

そしてやはり、大人
4人、子供2人の総勢6人で、注文したのは4人前でした。
はやく人間になりた〜い! (意味不明)

1224日(土)

だんなが朝一番に私を呼びつけ、「とても需要なお知らせがあります」などと
かしこまった様子ですので、クリスマスイブやし、なんかくれるんかいな?と
期待していますと、「お前の
PCのハードディスクを、俺のと間違って初期化
してもうたんや」なんていう、これはもう許しがたい事態が発生しておったので
あります。

私のコンピュータはハードディスクが先月つぶれ、新しいハードディスクで
一から全てをインストールしなくてはいけなかったのです。
友人知人の皆様が色々と助けてくれたおかげで、最近やっと以前の状態に
戻って来たばかりだったのです。それなのに、このあまりの仕打ち・・・。
神はおらん。

1223日(金)

 

とうとう、念願の洗濯機を購入いたしました。

近所の電器屋で、台湾製ですがその安さに引かれ、カタログをチラリと見ただけで
購入を決めてしまいましたので、実物が運ばれて来るまでは新洗濯機への
期待感80%と、台湾製へのやや不信感20%が、私の心を入り乱れる状態
だったのです。

そしていざ現物が運ばれて来て、まずその、洗練されているとは言い難いブランドの
ロゴマークやボディの色を見た瞬間、「やはり・・・」と、私の不信感は50%に上昇
してしまいました。

ロゴマークはどちらかといいますとキュートなタッチのアルファベットで構成されている
のですが、何て書いてあるのかよく読めないのです。
無理して読みますとそれは、「ゴモス」「ゴモット」「ゴモル」のいずれかのようですが、
そのようなブランドは聞いたことがありませんし、「電化製品のクセして
小学生がデザインしたようなロゴつけやがって、一体なんちゅうブランドなんじゃあ!」
と少々腹立たしく思った私は、使用説明書や保証書を手に取りチェックしてみたの
ですが、そこにもやはり、ヘタクソなロゴマークがぺたりと印刷されているだけで、
ブランド名の楷書での記載が一切なかったのです。
なんちゅうブランドなんじゃあ!

しかし、その外観はともかく、中を見てみればピカピカのステンレス槽ですし、
一昔前の日本ブランドのパクリなのでしょうか、『
W滝洗い』機能もついておりまして、
早速に洗濯開始した私は、「デザインは垢抜けてないけど、なかなか実力派ちゃうん、
ゴモス!」と思い直し、とうとう洗濯機を買えた!という嬉しさもあいまって、
期待度は一気に100%へとアップしたのです。

しかし。洗濯最終段階で、ゴモスの致命的欠陥が露になってしまったのです。
それは、脱水力が足りない!ちゅうことだったのです。
もちろん、ゴモスも全自動洗濯機ですから、脱水機能はついているのですが、
きわめて無力といいますか、「ぜんぜん絞れてないや〜ん!!!」ちゅう感じ
なのです。ゴモス、どうするんだ!

最悪の場合湿度98%を誇るここ香港で、この脱水力は絶望的なのです。

1222日(木)

冬至、それは、
「冬が来た!ちゅうことや!」っちゅう日でもなく、「一年で一番夜が長い日」でもなく、
そう、家族が集ってピラニア宴を囲む日・・・・・・(私もパクリました、すまん!)

おばば宅でおっちゃん(義父)、義兄夫婦、
W義姉とその夫たち、義弟(嫁は不在)、
そして我が家の総勢13人が揃って、おばば手作りの夕飯をいただきました。

年々おばばの『飯スピリット』はパワーダウンしているようで、並ぶ皿が年を重ねる
ごとに少なくなり、また『手抜き』の様がありありと伺えるのは寂しいことです。
今日の料理は、焼鴨、蒸し鶏、油鶏、蒸し魚、豚肉とシイタケ・キクラゲの煮込み、
茹でた野菜でした。
これだけ作るのも大変だとは思うのですが、数年前に比べますと、
「海老、貝柱の欠如」など、明らかな内容のグレードダウン、そして品数や量さえも
少なくなっており、この6品目を
13人で取り囲むのですから、
食事前に繰り広げられる椅子取りゲームも含め(各々、目当ての料理に近い座席
を狙う・・・)、毎度毎度の激しいピラニア宴になることは必至なのです。

私がゲットできた席は野菜の真ん前、右横には、品数の少なさをカバーするため
置かれたのでありましょう、おばば特製・薬膳スープの具、という末席中の末席、
焼鴨や蒸し魚ははるか彼方、茹で野菜とスープの具であるぶつ切りレンコン・
ニンジンなどをつまみながら、ご飯を掻きこむなんて、もういやっ!


1219日(月)

朝のジョギング帰りに友人宅に立ち寄らせてもらいました。

友人手製のチーズケーキセットをいただきながら(ダイエット中とちゃうんかいっ!?)、
私のダイエット問題と飲酢について話題が及び、「本当は黒酢を飲んだ方がいい
みたいだけれど、高価で買えないのだ、だから穀物酢を飲んでいるのだ」と
私が洩らしたのです。

すると友人が、「日本の黒酢は高価だけど、中国製のは安いんじゃない?」だなんて
素晴らしい助言をくれまして、私は目からウロコが落ちるような心境でありました。

そこで、帰りに早速『中国製・黒酢』を買って帰るべく、意気込んで
スーパーマーケットに立ち寄ったのですが、夕飯のおかずを物色しているうちに、
『酢』売り場に行くのをすっかり忘れて帰って来てしまいました。
私、何しに行ったんや!?

1218日(日)

夜の部

義姉夫婦とうちの子供らがオーシャンパークから帰って来た後、義姉夫婦と共に
我が家で鍋を囲みました。

今週
22日の木曜日は『冬至』でして、香港では家族が揃ってご飯を食べる慣わしが
あり、香港人にとって重要な節句ですので、私は話の種に、「今年の冬至も
(おばばの)家で集まるんですよね?」と義姉にたずねてみたのです。

すると義姉は私が『冬至』という言葉を知っていたのが意外だったらしく、
「日本にも冬至があるんか?」と聞き返してきましたので、

私   「あります。日本でも『冬至』っていいますよ」

義姉  「えぇ〜っ、日本にもあるんか!日本でも家族が集まる日なんか?」

私   「あ・・・いや、そうではなくって。冬至って夜の時間が一番長い日ですよね?」

義姉&義姉夫 「ちゃうちゃう〜!」

私    「え?」

義姉  「『冬至』っていうのは、一族が集まってご飯を食べる日なんや」

私    (おら!それはあんたらだけとちゃうんか〜!?と内心思いながら)
      「あの、ご飯はともかく、夜の時間が一番長いから『冬至』ですよね?」

義姉夫 「ちゃうちゃう!『冬至』っていうのは、「冬が来た!」ちゅうことや」

義姉  「そや!冬が来たから家族で集まるんや、『冬至』ってそういう日なんや」

私   「・・・・・・・・」

と、なんとなく噛み合っていそうで実はちっとも噛み合っていない会話が
しばし繰り広げられたのです。

大人
2人から『冬至』のなんたるかを力説されてしまいましたので、
私もてっきり自分自身が間違えたんだと思いまして、その後はひたすら
「あれ〜?そしたら、『一年で一番夜が長い日』のことは何と呼ぶんだったけ???」と
考え続けたのですが、答えが出ずすっきりしないのです。
そこで、義姉夫婦が帰ってからインターネットで『冬至』を検索しましたら、
ワシの答えで合うとるやないけ!ゴルァ〜!!

「一年で一番、夜の時間が長い日が冬至」っちゅう事実を知らん!ちゅうのはさておき、
おばば一族では、「皆でご飯を食べる日」が絶対的・圧倒的第一優先として
『冬至』が認識されているっちゅうことが、嫁いで
9年の今更ながら、私にはちょっと
カルチャーショックでありました。
「季節感」ではなく「家族メシ=ピラニア宴」を中心にして、暦が回っておるんか!?

う〜む、きっと義姉たちは、子供の頃からそのように刷り込まれて来たんでしょうな。
夜が長い日?そんなこと知るか!メシじゃメシ!なんでしょうな。

1218日(日)

義姉夫婦が友人家族とオーシャンパークに行くらしく、うちの息子2人も一緒に
連れて行ってくれました。ありがたい!
その代わり、夕食を作っておかねばなりませんが。
だんなも旅行でいませんし、階下ではマンション管理団体のクリスマス会が行われて
おり、ちょうど現在中国歌謡のカラオケがけたたましく鳴り響いておりますので、
(って、どこがクリスマスやね〜ん!)、私も日ごろは隣近所に遠慮しておるのですが、
今日は久しぶりに大きめのボリュームで音楽でも聴いて、夕方までゆっくりしようと
思います。

洗濯機は相変わらず不調なのですが、『洗い』ではなく『すすぎ』の低水量レベルに
ボタンをセットし運転しますと、運が良ければ水がピタッと止まり、
ドラムが回転する『すすぎ』活動に入ってくれることが判明しましたので、
手動で『すすぎ』と『脱水』を何度も繰り返し、従来の洗濯活動のようなことを
なんとか行っておるのです。

しかしこれはあくまで「運が良ければ」の場合なのであり、洗濯機ちゃんがほんの
気まぐれで作動しているのに気を許し、つい他の用事にかかってしまいますと、
そういう時に限って延々と水が流れっぱなし状態になってしまったりするのです。
まったく目が離せない洗濯機ちゃんなのです。
洗濯中は外出はおろか他の家事すらままならず、洗濯機にへばりつくように
していなければなりません。

いつまでもこんなことを続けてもいられませんので、この木曜に近所の
『なんでも直す屋』さんに出張してもらい、洗濯機を点検してもらったのですが、
何でも直す屋の兄ちゃん(結構私好みな風貌 
ってどうでもいいですね?)は
洗濯機から水をわざと溢れさせ、我が家の洗面所の床をびしゃびしゃにしたあげく、
「マイコン部分を交換せなあかんので修理するには800ドルはかかる、
買い換えた方がいい」と言わはるのです。
1300ドルで買った洗濯機の修理に800ドルも出せませんので、
兄ちゃんには出張費の
80ドルだけ払って帰ってもらいました。

そういうわけで、たったの一年半使っただけの洗濯機は買い替えることで心を決め、
今日は息子たちを駅まで送り届けた後、電器店へ洗濯機を物色しに行ったのですが、
店に置いてある商品のどれもが5〜6KGほど洗えるタイプでして、
我が家の洗面所に置けそうにないのです。
なぜ置けないかといいますと、もちろん洗面所が狭いというのもありますが、
そもそも「洗面所のドア幅より洗濯機の幅の方が大きい」からのです。
ドア部分を洗濯機が通過できないので設置できないのですな。

日本に居る時は、電化製品を買うにあたり、「部屋に入らない」なんていう制約を
受けたことが全くありませんでしたので、この事実を初めて知った時はいささか
ショックでございましたが、慣れればなんということもないですね。
現在の我が家の洗面所も、洗濯機ちゃんのすぐ10cm横が便座ちゃん、
「洗濯機にもたれながら用を足せる・・・」という強烈な狭さなのですが、
今では「洗濯機の上に本が置け、時間のかかる排便に好都合!!!」とさえ、
思えるようになりましたのよ(・・・しくしく)。

1217日(土)

今日は友人家族と一緒に公園で遊んで来ました。
友人のお子様
2人に会うのは1ヶ月ぶりだったのですが、たった1ヶ月会わないうちに、
どちらもものすごく大きくなったように感じられ、特にお姉ちゃんの方が、
とても大人びた佇まいを醸し出しており、私はびっくりしてしまいました。

ところで、「ダイエットに有効」と掲示板で教えてもらったので、私は最近『酢』を
飲んでいるのです。
そのことを友人に話しますと、友人のご家族の中にも、食事制限するわけでなく
ただただ『黒酢』を飲むだけで、5kgの減量に成功された方がいらっしゃるそうで、
私の『酢』への期待はますます高まるばかりです。
『黒酢』という点がちと気になるのですが、黒酢じゃないといけないのでしょうか?
といいますのも、黒酢はなかなか高価ですのでとても手が出ず、私が飲んでいるのは
普通の穀物酢なのです。あかんやろか?

1216日(金)

今日からだんなが旅行に行きました。

先月、だんなが10日間旅行に出かけた時は、私が
PCを壊してしまい、
だんな不在中にやろうと思っていたHPの整理整頓など、溜まりに溜まった作業が
全くできませんでしたので、今回はその雪辱を晴らすべく、徹夜覚悟で臨んだのです。

PCの調子もすこぶる良く、今夜は夜10時から、ある重要な作業をしていたのですが、
なぜかアップロードすると文字化けしてしまうのです。何もやり直しても同じです。
今はもう夜中の3時です。一生懸命作業したのに、報われないのはなぜでしょうか?
今夜の奮闘5時間は一体なんだったのでしょうか?もう寝ます。ちくしょ〜。

1211日(土)

今週の始めから洗濯機の様子がおかしいのです。 

月曜日、いつものように『全自動運転』で洗濯機を操作したのですが、
いつまでたってもジャーッという注水音が止みませんので不審に思い、
洗濯機の様子を見にいってみますと、洗濯機が最高水位を超えるほど
水をためており、しかもまだ勢いよく注水が続行中な上、
最高水位からあふれた水もゴボゴボ排水されていっているという、
おそろしい事が起こっていたのです。
 

慌てて洗濯機を止め、もう一度『全自動運転』のボタンを押しましたら、水が満タンに
なっているにもかかわらず、またもや注水開始になってしまったのです。
そこで今度は『洗い』だけのボタンを押してみたり、水位のボタンを高・中・低と
色々変えてみたりもしたのですが、またもやダーッと注水が開始されるのみでして、
ドラムが回転する「洗い活動」を一向に開始しようとしないのです。
どうやら、洗濯機が「注水完了」と認識するまで、ドラムはうんともすんとも動かない
仕組みになっているようですが、注水完了の認識が洗濯機にできていないからこそ、
このような水垂れ流しが起こっているわけでして、洗濯機内部の水位を感知する
センサーが故障してしまっているようなのです。
これでは全く洗えないのですが、脱水機能だけは正常に運転してくれるのが、
不幸中の幸いではありました。
 

月曜日は気温が12度くらいに下がっており、香港では「めちゃくちゃ寒い!」レベルに
値する日
でしたので、私は、この洗濯機の不調を「きっと寒さのせいなのよ、
暖かくなれば直るのよ」と信じ、この5日間ほどは洗濯機に協力し、
まず洗濯機に水を張り、洗剤を入れたのち、私が冷水に腕をつっこみ洗濯物を
ぐるぐるかき回して洗う、そして洗濯機が脱水する、水を張る、私がぐるぐるすすぐ、
洗濯機が脱水するっちゅう、人間と機械の涙ぐましい合作によって洗濯活動を
行っておったのです。

しかしながら、注水中にうっかり他の用事にうつつを抜かしてしまいますと、
はっと気がついたころには水がワンワンあふれており、莫大な量の水の浪費が
なされてしまうのがこれまた悔しく、洗濯中は全く気が抜けない有り様なのです。

そして、寒さがやわらいだ今日現在も、洗濯機ちゃんはいっこうに正常運転に戻って
くれません。
買ってまだ一年半なのに・・・。
この洗濯機は、保証期間の一年を過ぎると壊れるようにできとんちゃうか、ワレ〜!と
勘ぐってしまいます。

 

1210日(金)

昨日、上の息子が学校から帰って来るなり私に向かって唐突に、
「そんなに太って大丈夫?」と言った後、「お母さん、死んだらいや〜」と泣いて
すがるのです。
息子はいったい学校で何を学習してきたのでしょうか?
 

そのことが少々ショッキングでありまして私なりに色々考えたあげく、
やはり「ちょっとは痩せなあかんな」という結論に達しましたので、
本日からジョギングを始めてみました。いつまで続くかは謎ですが・・・。
 

話は変わりまして、本日もおばばに奇襲されてしまいました。
奇襲した上、ふわふわぁ〜とあくびして非常に眠そうにしており、
もうこれは寝るつもりで我が家にやって来たのは明白なのですが、
「ワテ、今日は朝
5時半起きやったんや、山歩きしたんやで」というのです。
香港の山にはたまに賊が出没したりしますが、おばばを見たら賊も逃げていく
だろうとは思うが、早朝ですし一応おばばも女性ですし、念のため
「一人で山歩きですか?」と聞きますと、「友達と一緒や」という、
とても意外な答えが返ってきました。

おばばにも友達おってんな・・・・・。

126日(月)

更新が滞っておりまして、ごめんなさい。

コンピュータのハードディスクはだんなに新しくしてもらったのですが、
いつも使っていたホームページ作成のソフトがなくなってしまったので、どうしようか
思案しておる最中なのです。今日は実験的に、『ワード』で更新してみました。
いつもより見づらい(「いつも見づらい」とか言うのは無しよん)かもしれませんが、
私にでき得る最大限の技術を駆使して作成しましたので、
みなさま、どうぞ読んでやってください。

PCが壊れてから、警察沙汰になるし、自転車こわれるし、ロイ・キーンはクビになるし、
なにやら運の悪いことばかりが私を襲うような気がするのですが、思い過ごしでしょうか? 

それにしても今日は寒いー(推定13度)。
ベッドの下に埋蔵している電気ヒーターを出すかどうかだんなに聞いてみたところ、
電気代を心配したんでしょうが「出さんでエエ!」ちゅう返事がかえってきたのですが、
出しちゃおう。