BACK 2003年12月の日記
   
12月5日(金) 先週、だんなが一人でプリプリ怒っているのが数日続きましたので、理由を聞いて
みますと、どうやら私がだんなの帰りを待たずに寝てしまっていることが、
気に食わないらしいのです。
だんなは近頃夜間学校で教える仕事が多く、帰宅するのは夜の12時前なのです。
子供を学校に送り出した午前中は割に時間がありますが、その時だんなはまだ寝て
いますし、昼間は子供の世話に追われ何かと忙しい私は、夜は子供と一緒に布団に
入るとそのまま寝てしまいますので、思えば最近だんなと無駄話に高じる機会が
なかったのです。どうもそれがいけなかったようです。

「俺は一生懸命遅くまで外で働いているのに、お前はなんだ!とっとと寝やがって!
起きて俺の帰りを待ってるくらいできないのか!」ということらしいのです。
しかも「サッカーのTV中継がある日だけは夜中まで起きてるくせに、俺の帰りは
待てないというのか?サッカーの方が大事なのだな、お前は、えっ!?」などと、
幼稚なことにサッカーと『俺』とを天秤にかけ、難癖をつけ絡み出したのです。
こういう場合、だんなの恨み言はネチネチと続き、放置しておきますと面倒なことに
なりますので、建設的ではありませんが解決方法はただ1つ、ウソ泣きなのです。
女の涙でだんなの良心を咎めさせ、攻撃を封じ込めるのです。
この日もウソ泣きで、だんなの怒りの炎をあっさり鎮火した私だったのですが、
その後一応なんとかがんばって、だんなの帰りを寝ずに待つ日々を送っているのです。
そうしましたらなんと、だんなの機嫌がすこぶる良いではないですか。
大の大人がこんな単純なことでいいのでしょうか。嗚呼!

そういえばこれも先日のことですが、臨時収入のあっただんなが私に隠れて
『コンバトラーV』というロボットアニメの日本製超合金モデル・12,000円相当を購入
して来よったのです。
しかし日頃「金が無い!無駄遣いすなよ!」と私に倹約令を布いている手前、
内緒にせなあかんとはわかってる反面、やはり誰かに自慢したい、これほどの
買い物を、ベッドの下の引き出しの奥に隠しておくのは忍びない、とでも思ったので
しょか、とうとう購入したことを白状し、息子たちには見つからないようこっそり私に
見せてくれたのです。
その外箱には、『少年の心を持った大人たちへ・・・』というキャッチコピーが、
しっとりと印刷されてありました。

少年の心を持った大人とは、そりゃ結構でございますね。
しかしその影で回りの者がどれだけの犠牲と奉仕を強いられているか、
わかっていただきたい。
少年の心は罪な奴なんであります。美談でも何でも無いのであります。

(マジンガ-Zと思っていたのですが、キャッチコピーを確認するため再度箱をチェック
しましたら、実はコンバトラーVでございました。先日この愚痴を聞いて下さった方々、
誤情報をすみまへん!)

11月14日(金) またもや腰をいわせてしまいました。
先週もバドミントンをしている最中に、なにやらピキッと腰に走るものがあったのですが、
それは2,3日で治ったのです。
しかし一昨日の朝、横着したいがために、子供の掛け布団を足の指でつまんで
拾い上げようとしてまして、布団を手にパスしようと足をクイッとさせたまさにその瞬間、
思いっきり腰がギクッとなり、そのままへなへな状態になってしまったのです。

腰と足の付け根辺りがこわばってしまい、まっすぐ伸びないのです。
そのせいで、歩けることは歩けるのですが、上半身は前かがみなのに、
下半身はがに股で前のめりにならざるを得ないのです。
物理的にはバランスがとれにくそうで変ですが、本当にそんな感じなのです。
太平サブローが、横山のやっさんの物まねをして、大袈裟に肩と足をいからせ
「頼むで、しかし〜」と言っているようなポーズで歩いているのです。

一昨日と昨日は、トイレの用足しもままならず、一生懸命パンツを下げている段階で、
何度もチビってしまったりもしました。
大便の方には手が届かなかったりもしましたので、だんなを呼びつけ、さすがに
いきなり「拭け!」と命令し、非常識呼ばわりされても悔しいですので、
「私の願いを聞いてくれる?」と前置きしてから、丁重にお願いした次第です。
今日は自分で拭けました。
腰の大切さも久々に痛感しましたが、「私には、拭いてくれる誰かがいる」という
ことも認識できました。人生って素晴らしいなぁ。
11月9日(日) 本日は、義弟の愛しい彼女であります浜村淳視察の命を、おばば一族首領より
言い渡されましたので、だんなと一緒にシンセン経済特区まで赴いたのです。
子供は、もうすでに浜村体験済みな義姉が預かってくれると申し出てくれましたので、
お言葉に甘え、上水の駅で子供だけ改札をくぐらせ義姉夫婦に託し、我々は
そのまま電車でシンセンの玄関口であります羅湖の駅へと向かいました。

シンセンは東門という繁華街で、義弟たちと落ち合うことになっていたのですが、
時間になっても現れず、私は朝から何も食べておりませんで非常に空腹でして、
「レストランで何か食べながら待ちたい」と訴えますと、「初対面の人に会うのに、
食べながら待つなんて非常識や!」と一喝され、日頃は「お前、非常識やのう」と
思っているだんなから非常識呼ばわりされ、心がどんよりと暗くなってしまいました。
しかし、1時間待てども現れず、今度はだんなの方が腹減らすあまりにイライラしだし、
「遅れるなんて非常識や!あっちが悪い、先食べよ」ということになったのです。

そうして食べている最中に、義弟と浜村淳はやって来ました。
生で見ますと浜村淳は、浜村淳というよりは、香港の毒舌コメンテーター的存在で
あります、黄流民(流の字がちょっと違う)というおっさんにもっと似ているなと思いました。
浜村は私たちをまっすぐ見つめると、とても礼儀正しく挨拶してきました。
まずは合格です。こざっぱりした服装で、背も高く見た目も立派です。どうやら私の
想像以上にポイントは高そうです。でも蚊の鳴くような声なのです。浜村は、
とてもはにかみ屋さんのようです。

義弟と浜村は、北京語で会話しています。義弟もなかなか努力しているようです。
出身地などを聞いているうちに、浜村の注文した食べ物がやって来ました。
楊州焼き飯ちゅうやつです。セットでスープと茹でた野菜もついています。
浜村はまずこちらに目礼のようなものをした後、しずしずと食べ始めました。合格!
スープをレンゲですくい、とても上品に口に運んでいます。合格!隣で餓鬼のように
むさぼり食っている義弟とは好対照なのです。
焼き飯も小さい碗に取り、お箸で上手に食べています。合格!碗を口まで持っていく、
いわゆる『かき込みメシ』の形態ではありません。合格!日本人の食べ方のようです。
野菜の食べ方もとても美しく、野菜をご飯に着地させてから、ゆっくりと口に運んで
います。品の良い中国映画の、清楚な女主人公のような食べ方なのです。合格!
しかも私が危惧していました『くちゃくちゃ食べ』ではないのです。合格!
口に食べ物が入ってる最中にしゃべる、という行儀の悪いこともしないのです。合格!
そして食べ終わり、うちのだんなが会計を済ませたのですが、浜村はお礼の言葉を
言ったのです。素晴らしい!合格!
のど自慢の合格の鐘の音を、乱れ打ちさせたい心境なのです。
そんじょそこらの香港小姐なんかよりは、はるかに礼儀をわきまえ、おしとやかで、
聡明そうな雰囲気です。ええの捕まえたな、義弟よ。

(結婚後、浜村の態度が豹変しないことを祈る。)

11月8日(土) 今日は幼稚園の親子親睦バーベキュー大会の日だったのです。
朝から小雨が降ります、とうていバーベキュー日和だとは思えない空模様だった
のですが、遠足のお知らせプリントにも雨天時についての記載は何もありませんし、
幼稚園から中止の連絡電話もかかって来ませんので、不審には思いながらも、
一応時間通りに幼稚園まで行ったのです。
すると、幼稚園の先生を始め父兄皆、当然のように出揃っており、出発の仕度を
しておったのです。
そうして貸し切りバスが到着し、一路西貢のバーベキュー場へと向かいました。

しかし、西貢の山中に突入しました頃から、ものすごい雨模様になって来たのです。
バーベキュー場に着きましても、バスから降りられないほどなのです。
しばらくバスの中で待機していたのですが、一向に止みませんので、
近くの案内所で雨宿りすることになりましたが、小雨になったらバーベキュー決行という
暗黙の了解があったのでしょうか、雨足が弱くなりますと、皆示し合わせたかの
ように、子供達にはカッパを着せ、親は傘をさしながら、わいわいガヤガヤと
バーベキューの炉の所にたむろし始め、火を起こす者、雨で濡れたベンチにビニール
シートを敷いて席をセッティングする者、皆の荷物を1箇所に集めて、濡れないように
ガードする者など、てきぱきと分担し働き始めたのです。

私一家は当初、独立してバーベキューするはずだったのですが、なんやかんやで
口車に乗せられ、校長先生たちと共同でバーベキューする段取りになってしまって
おりましたが、用務員のおばちゃんが色々世話を焼いてくれ、自分の食べるものを焼く
以外には、ほとんど何もせずに済んだのでした。

ところが、小雨になっていたのも束の間、再び雨足が強まって来たのです。
子供達はカッパだけではもはや雨をしのげませんので、親はわが身を投げ打って、
自分の傘を子供に持たせ、自分はビニールシートを身にまとい、炭火が消えないよう
用務員のおばちゃんが身を呈して、自分の傘を火に捧げてまでして、バーベキュー
続行という、通常の香港人とは思えない、恐ろしい程の気迫だったのです。
紙皿など、もうふにゃふにゃなのです。焼けたものを食べていると、雨が一緒に口に
入って来るのです。それでも焼き続けるのです。

そうこうしているうちに、いよいよ本格的に降って来ました。
すると2人の先生が、バーベキュー場の所々に設置されています、雨避けのコテージの
ようなところにまず子供達を非難させ、残りの先生と数人の勇気ある有志と呼べばいい
でしょうか、要は仕切り好きな父兄が残って、「後は私らが焼いて持っていったるから、
皆あっち(雨避けコテージ)に行っとれ」ということになり、避難する者と焼く者に
分かれたのです。
私は仕切りたいわけではなかったのですが、雨の中、人に焼かせるのも悪いなぁと
いう心の迷いからグズグズしているうちに、なんとなくその場を去るタイミングを逃して
しまい、そのうちなんだか自然と手羽を焼く担当も任されてしまい、最後の手羽が
無くなるまで、延々と焼きつづけたのです。ど根性なのです。
そうして最後の後始末は、用務員のおばちゃんがどしゃぶりの中を一人でやってくれ
まして、1時間ほど狭い雨避けコテージで立ちっぱなしのままバスの到着を待ち、
やっと帰路についたのでした。

日頃は「自分さえ良ければ・・・」というような行動が目に余る香港人ですが、
その根底には、協力や奉仕というコンセプトもしっかり根付いていたのやなぁと、
ちょっと感心してしまったのですが、これは単に『食』がかかっていたからなのでしょうか?
元々このバーベキュー大会は、親と子、親と学校の親睦を深め、結束を固くするために
開かれたものですので、こういう天気は幼稚園の思惑通り、まさにうてっつけだったの
かもしれませんな。

11月4日(水) うちのマンション群に、上の息子と同級生の、カーヤンという名前の女の子が
おるのです。
カーヤンと息子はクラスは違うのですが、同じスクールバスで通っていますので、
カーヤンのお母さんとも顔馴染になりまして、最近親しくさせてもらっているのです。

カーヤン母はべっぴんさんではありませんが、カーヤンを筆頭に3人の子持ちでして
なかなか勇ましくチャキチャキされてまして、スクールバスが時間通りに来ませんと、
即刻運転手の携帯に電話を入れ、「今どこやの?」と、居所を聞いてくれたり、バスが
遅れてやって来ますと、「遅刻やんか!急いでよ!」と、運転手をどやしてくれたり、
バスが時々壊れたのかタクシー通学になることもあるのですが、そういう時には
「ドアをちゃんとロックしてよ!子供が触ってドアが開いたら危ないやろ!」と
タクシー運転手にも的確な指示を出してくれますので、
私の言いたくても言えないことを代弁してくれます、とっても頼もしい存在なのです。

カーヤン母は英語ができませんで、カーヤンの英語の宿題を見てやることができない
らしく、ある日ちょっと申し訳なさそうに「カーヤンの英語の宿題を見てもらえないか?」と
頼まれてしまったのです。
小学1年生程度の英語でしたら、量も多くなければさほど難しくもありませんし、
うちは毎日夕方に、マンション階下の公園に行くのが常でして、そこで子供を遊ばせる
ついでに、カーヤンの宿題を見てあげるのは別にどうってこともありませんので、
気軽に「いいよ」と言ってしまったのです。
しかしカーヤン母はタダで教えてもらうのは恐縮されるのでしょうか、宿題を見てあげる
度に、色々な物品を購入して来ては、「これ、持って帰り!」とすすめてくれるのです。
最初にいただいたのは、マキシムというパン屋の10ドルギフト券だったのです。
これが第1回目でしたので、私もちょっと躊躇はしたものの、比較的あっさりと
いただいてしまったのが、今思えばいけなかったのです。
それからは宿題を見るたびに、柿、とうもろこし、ブドウなどを『お礼』といわんばかりに
買って来るようになってしまったのです。
さすがにそれからは「要らない」と断っているのですが、断れば断ったで、
カーヤン母は、貢ぎ物の内容が「日本人には気に食わんのかな?」と勘違いされるのか、
結構高価な魚を買って来たりするようになってしまったのです。
結局、いつも「気を遣わないでください」などと、こちらも一生懸命断るのですが、
それで引き下がるカーヤン母ではないのです。
私の広東語のレベルでは、私の心の内を巧みに表現する言葉が思い浮かばず、
最後には仕方が無く「それは食べないから」などという、せっかく買って来てくれた
のに、誠に不躾な究極の断り文句を吐かざるを得ないのです。
しかし、カーヤン母の押しが強いこともありまして、それから何度かヤクルトや、
お菓子の類はいただいてしまっているのです。
「金券はもらうくせに、柿はあかんのか!選り好みしやがって!」などと、思われては
いないでしょうか?「お前のために、一生懸命何がええか考えて買ってきたったのに!
それでも食わんのか!人非人!」などと、憎まれてはいないでしょうか?
もらっても心苦しく、もらわなくても後味が悪い、そんな複雑な心境なのです。
カーヤン母の善意には応えたいけれど、ホイホイなんでももらう卑しい奴と思われても
困りますし、ああ、私は一体どうすればいいのでしょうか?
10月30日(木) 私の、母方の大叔母が亡くなったのです。
ここ2,3日風邪気味だったらしく、ずっと寝込んでいたらしいのですが、
今朝むっくり起きてきて、居間にいた家人に、「昨日の晩は寝られへんかった。
寝汗かいたから、服着替えてもう一回寝まっさ」と伝えた後、
部屋に戻ったらしいのです。
それからちょっとして、家人が様子を見に部屋まで行ったところ、
布団の中できちんと寝たまま死んでいたそうです。83歳でした。

大叔母は、ものすごい奥目でしたので、遠くから大叔母を見ますと、
目の辺りが影になって真っ黒い印象があり、
私は心密かに「白鳥」と呼んでいたのです。
自分できちんと身繕いして飛び立った白鳥よ、安らかに。
10月27日(月) おばばと義姉が、義弟の彼女に会いに、中国まで行って来たようです。
だんなの不在時に、ちょうど義姉から電話がありましたので、
根掘り葉掘り聞き出したいのは山々なのですが、嫁の立場で「どうやった?
どうやった?」と、あまりしつこく詮索するのもどうかなと思いますし、
どうせあの一族のことですから、噂、悪口の類やヒミツ、それに一族の最高機密
までもが、追々漏れて来るに違いないのです。
ここはぐっと我慢して「良さそうな子でしたか?」とだけ、さらりと伺ってみましたら、
義姉いわく、「老母(おばば)ががっかりしてるねん」というではありませんか!
「なに!?がっかりだとぉ!なんでなんでなんで〜?」とはやる気持ちを押さえ、
あくまでもさらりと、「え?どうして?」と尋ねてみましたら、どうも義弟の彼女は、
広東語を話せない人らしいのです。
義姉から聞き出せたのはここまでだったので、今度はだんなに探りを入れてみようと
思っていましたところ、だんなは仕事から帰って来るなり、ビッグニュースとでも
いわんばかりに、自ら語り始めてくれたのです。
さすが、おばば一族機密漏洩の第一人者なのです。

「老母(おばば)なぁ、嘆いとるねん。『長男の嫁は広東語しゃべれるのに、
わてにはちっとも口聞いてくれへん。次男の嫁は日本人で、わての言うてること、
わかってくれへん。それやのに、今度の嫁とも言葉が通じへんのか』って、
嘆いてるわ」ということらしいのです。
三男の嫁まで広東語ができんとは、つまらん!姑冥利に尽きん!
ということなのでしょうか。

ということは、おばばにすれば、「長男とこも次男とこも、全然わての言うこと聞きよらん。
三男の嫁こそは『姑絶対服従型嫁っ子』にワテが教育したる!」、
或いは、「長男、次男の嫁とは仲睦まじい嫁姑関係が築かれへんかった・・・。
せめて三男の嫁とは、うまくやらな、わての老後が危うい。今度こそは・・・・」
というような、おばばなりの明るいビジョンがあったのでしょうか???
残念でしたな、おばば。でも、ちょっとおもろい、ぷぷぷ〜。
10月26日(日) 数日前のことですが、上の息子が幼稚園で同級生でありましたチーロン君の
お母さんと、道端でばったり会ったのです。
その折に、チーロン母が「子供は運動させなあかん、今度一緒に公園で
運動させへん?」と言い出したので、外面だけは良い私は、てっきりそれを
社交辞令だと思い、「いいよいいよ」といい加減な返事をしましたら、
次の日になりまして、しっかりアポ取りの電話がかかって来たのです。

「日曜の朝、9時半に空いてる?30分ほど公園でボール蹴らせへん?」と
チーロン母が言いますので、「30分ほどって、それもせっかちな話やなぁ」と少々
訝しくは思いながらも了解しますと、「じゃあ9時半にジャスコのスーパーの入り口前な。
朝ご飯は食べて来てな。ボールは私が持って行くから」などと、たたみかけるように
用件だけ述べて、電話は切れてしまいました。
「朝ご飯は食べて来てな」の指令には、内心「なんじゃそれは〜!?そんなこと
わかっとるわい!」と思ったことはいうまでもありませんが、チーロン母はいつも
こんな感じなのです。

というわけで、本日朝の9時半から、一緒に公園に行って来たのです。
久しぶりに見るチーロン君は、以前にも増して丸くなっておりました。
この体付きでは、チーロン母にしましても、「運動させなあかん」と焦ってしまうのは
無理もなさそうです。
それはともかく、チーロン君とうちの息子、楽しそうにボールを蹴り始めました。
するとチーロン母ったら、この方はよっぽど時間のロスがお嫌いなのでしょうか、
それとも「正しい人間性の創造は、時間厳守から」というような家訓でもあるので
しょうか、「20分間ボールを蹴らせて、それから遊具で遊ばせよう」と提案して
来たのです。
そして本当に20分きっかりでボール蹴りを止めさせ、滑り台などがあります
遊具広場へと子供達を誘導したのです。

遊具のところでは、これは香港人の性分なのでしょうか、置いてある遊具の全部を
使用させないと損!とでもいう風に、ゆっくり遊ばせる間もなく、子供達を次々と
違う遊具へ違う遊具へと、駆り立てていくのです。
そして一通り遊具を試しますと、またも気がはやるのでしょうか、
居ても立ってもいられないという感じで、今度は「昆虫ハウスに行こう」と言い出し
ました。
この公園には小さいけれど、昆虫標本が展示してある博物館のようなものがあるのです。
そして、そこでもやはり、「ここを15分間見物したら、帰ってええで」という、
指令を出してくれたのです。
昆虫標本の前を、ほとんど横目で眺める程度に素早く通過したチーロン母、
昆虫ハウスの一番奥にありますゲームコーナーの、蝶々を捕獲するゲーム機を
素早くゲット、昆虫標本辺りでウロウロしている子供らのことは、もはや視野に無い模様、
一人派手なアクションで蝶々捕獲に夢中になっているのです。
そうしてゲーム終了しますと、今度は子供らを呼びつけ、子供らにもゲームをさせ、
ひとしきりきゃあきゃあ騒いだのち時計の針を伺って、「ほな、帰ろか」と言いました。

たったの1時間ではありますが、チーロン君のお母様と一緒に居ますとなんだか
急かされどっと疲れますので、「下の息子がおしっこ行きたいみたいやから」と
理由をつけまして、そのまま公園で解散にしてもらったのですが、
「じゃあね!来週はここに9時半集合ね」という、とっても恐ろしい最後の指令が、
チーロン母の口から発せられたのでございました。
ひぇ〜、これから毎週なのですね?
10月20日(月)
義弟へ

ちょっと小耳に挟んだんやけど、
今度、おばばがあんたの彼女に会いに、中国まで出かけるそうやな?
おばばが腰を上げるちゅうことは、いよいよか?
お世話好きな上の姉さんまで付き添いしてくれる中国行きやねんて?
鬼に金棒やな。

私も最初に香港に来た時、真っ先に姉さんが飛んで来て、
「香港来たら働け、日本人やからええ金になる、自分でバリバリ探せ、
これヤオハンの電話番号や、自分で電話して仕事ないか聞いてみろ」って
我が事みたいに心配してくれはったこと、昨日のことのように
覚えてるで。美しい兄弟姉妹愛やな。

結婚はいいで。
ずっと彼女と一緒でも、誰も文句言わへんで。
「また中国行きよったんかいな?」なんて、嫌味言われることもないで。
ちょっと虚弱なあんたの健康管理は、これから彼女がしてくれるやろ。
おばばに「医者行け」だの「薬膳スープ飲め」だの強制されても、
「僕には嫁がいます、放っておいて下さい」って
堂々と言うたったらええねん。
あんたのごっつい足クサを、見事に治してくれた彼女やから、
おばばの薬膳スープなんて、足元にも及ばんやろ。

そうそう、彼女の写真、見せてもろたで。
ちょっと浜村淳に似てるかな?と思ったけど、
なかなか良さそうな子やないの。
一族の中で、一番気持ちの優しいあんたが選んだんやから、
当然やな。
「大陸の女に騙されてるんちゃうか?」
「結婚目当てで利用されてるんちゃうか?」なんて、
良からぬ噂を立てる身内もおったけど、
これからあんたら2人で、実績残して見せつけたったらええんやから。

最後に。何があっても絶対彼女の味方になったりや。
彼女は、あんただけが頼りやねんで。
再三しつこいおばばの薬膳スープ攻撃にも、
「そんな何入ってるかもわからんようなスープ、飲めるか!」って
バッサリ言い放ったあんたやから、だいじょうぶやと思うけど。

お幸せに。(って、結婚するんか???し、してくれ〜、早くぅ〜)

10月19日(日) 来月の第一土曜日に、任意で参加する幼稚園の遠足があるのです。
幼稚園も始まって2ヶ月余り、他の父兄との親睦も兼ねての郊外バーベキュー大会な
ようなのですが、そのお知らせが配られた時,私は「そんな面倒臭いもん、
絶対行かへんぞ!」と心に決めていたのです。
しかし、校長先生から直々に「バーベキュー行く?」と聞かれ、「夫が仕事ですから
行けません」と咄嗟に答えたものの、「あなたと子供だけで参加したらいいじゃない?」
と突っ込まれたのには何と断っていいかわからず、「あ、そうですね」と、心とは裏腹の
返事をしてしまい、「じゃあ、3名出席にしとくわね」と、話がとんとん拍子に進んでしまった
のです。

それから別の日のことですが、息子の担任の馬先生から、「遠足のことですけど、
皆と一緒にバーベキューしますか?」と聞かれたのです。
これは、他の親子と共同で窯を持ち火をおこし、食べ物も共同で購入して一緒に
バーベキューするか、どやねん?ということなのですが、これですと、言葉もロクに通じない
状況で、「あんた、焦げてるがな!」や、「ほら、あんた!それまだ生やがな」や、
「あんた、これ食べ!食べ!ええから!食べ!」だの「これ飲み!遠慮せんでええから」
だの、「子供が火触るで、気ぃつけや、気ぃつけや」という、他の父兄のやいやいやいやい
な干渉を受け、全ては香港人の支配下におかれた、心休まる暇なし怒涛の6時間を
過ごすこと間違いなしですので、ここはきっぱりと、「いえ、自分で炭も持って行きます、
肉も持参します、自分でやります」と断ったのでした。
しかし、自分ですると言ったものの、私は自力で炭火をおこしたことがないのです。
自分で独立窯を構えるも、火もおこせないのでは、「なんや?日本人は火もおこせん
のか?」と、日本人に対する間違った知識を香港人父兄に植えつけることにもなりかね
ませんし、飢えた子供2人を抱えた家長としても、「お母さん、まだ〜?まだできないの?
皆はもう焼いてるよ」などと、子供に叱責されるのはあまりに情けない姿ですので、
本日は、だんなをうまくそそのかし、家族でバーベキューに出かけるように
仕向けたのです。予行演習ちゅうわけですな。

というわけで、前置きが長くなってしまいましたので、簡潔にまとめますと、
炭火をおこす実習のため、バーベキューに出かけることになった我々なのです。

「おばばの庭でバーベキューしよ」という、お手軽案を言い張るだんなを言いくるめ、
私の思惑通りに、せっかくだからバスに乗って、静かな山奥のバーベキューサイトまで
出かけようということになりました。予行演習ですので、できる限り本番のロケーションに
近いところでやりたかったのです。
しかし次に、どこで肉を買うかで揉めたのです。
だんなは百佳というスーパーを一押し、私は「百佳のバーベキュー用肉は不味い」と
説き伏せるも、ここは私が譲歩し、百佳で肉、手羽中、炭、水などを購入したのです。
そして大荷物下げていざ、「なんとかブライド」という山奥行きのバス乗り場まで
辿りつきますと、そのバスはすでに廃線だったのでありました。
この時点でだんなはブチ切れまして、「路線も確認せんと提案したお前が悪い、止めじゃ、
もう俺は行かんぞ、帰るぞ」と駄々をこねますのを、必死になだめすかし、
なんとかそこから一番近いバーベキューサイトであります『大尾篤』というところまで
バスに乗らせ、20分ほどで到着したのであります。
大尾篤は、うちの界隈ではバーベキューするのに有名な場所でして、
政府の娯楽施設として設置された炭火焼用窯が、目視でざっと100くらいあるでしょうか?
100くらいあるちゅうことは、人民は500人以上来ているでしょうか?
天気のよい日曜の昼間ですので、空いてる窯を探すのも一苦労なのですが、
なんとか1つだけ空いていた窯をゲットできました。
50ドルの貸しパラソル料をケチるだんなには、もはや何も言うまい。
降り注ぐ太陽の元、だんなの指導で私は炭の着火に取りかかりました。
すごい煙の量を排出して、周りの冷ややかな視線を浴びながらも、火は燃え盛り、
難なく着火できた私なのであります。予行演習する必要もなかった気がします。
10月9日(金) 先日、息子の小学校での国語の授業で、漢字の読みの豆テストがありまして、
その答案を持って帰ってきました。
先週から「漢字の読みテストあるで」という知らせを学校からもらってましたので、
後で困らないようにと、寝る前などにコツコツ覚えさせていたのです。
そしてその甲斐ありまして、50字くらいあったのですが、どれも読めるようになったのです。
しかし、今日もらって来た答案を見ますと、出題された10字中、読めたのはたったの
4字だったのです。
「うそようそよ!何かの間違いよ!」、私の心は騒然となり、息子に「なんで4字しか
わからへんかったん?」と尋ねますと、「普通語(北京語)で覚えなあかんかってん、
広東語ちゃうねん」というのです。
そんなん知らんがな〜。
10月8日(木) 今日は朝から公衆プールに泳ぎに行ってまいりました。
SARS騒ぎ以来、公衆プールは敬遠していたのですが、最近の私は30代も半ばを
過ぎ、己の怠惰な日常を反省すると共に、「こんなに太っていてはいかん!
もっと健康管理に気をつけないかん!」と思い立ち、この頃ではジョギングや、
友人に誘われて週一回のバドミントンにいそしんでおるのです。
ジョギングも、以前よりは長い距離を走れるようにはなったのですが、全身運動という
面からしますと、あまり効率よくなさそうな気がするのです。
全身を使うという面では、バドミントンの方がはるかに激しい運動量なのですが、
これは残念なことに、パートナーがいないとできない運動なのです。
一人で手軽にできる全身運動といいますと、やはり水泳なのではないでしょうか?
というわけで、近所の公衆プールに行って来たのです。

朝の10時半でしたので、50mプールには10人ほどの精鋭しかおりません。
土日でしたら、秩序を知らない民衆が我先に縦横斜めに泳いだり、コースの途中で
突然引き返して来たり、水中でいちゃいちゃしたりの無法状態なのですが、
今日来ている皆はとっても真剣に黙々と、コースを泳がれているのです。
無法状態を期待してやって来ましたロクに泳げない私は、「ほんなら端っこのレーンで
ウォーキングしたらええか?」と思い直しましたが、『最大水深1.9m』という表示に
とどめを刺されてしまいました。歩かれへんやんか!
という訳で腹をくくり、「平泳ぎやったらなんとか50mいけるかな?」と、思い切って
泳ぎ出したのですが、泳ぐのは久しぶりな上に,水の抵抗がやたら重苦しく、
コースの半分も来ないところで四肢が動かなくなりまして、「あかん・・・」と思って
しまったが最後、気が焦ってブクブクと沈んでしまい、ややパニック状態でバタバタ
ボコボコ引き返すという、無法状態を自ら演じてしまったのであります。
おかげで心身ともにとってもいい運動になりましたが、やはり人間、
地に足がついてない状態は良くないのですな。
10月6日(火) 夕方はたいてい子供をマンションの階下の公園で遊ばせているのですが、
ここに一人、やたらと家庭の事情に口を挟んで来るお婆さんがいてるのです。
私は今住んでいますマンションに移って来て早や5年でして、公園に来る親子とも
だいたい顔見知りなのですが、このお婆さんはここ最近になりまして、
彗星のごとく現れた新参者なのです。
彼女は1歳2ヶ月の女の子を連れて来ていまして、見た目ではストレートの長い髪に
若若しい服装されてますので、実は私、最初は高齢出産したお母さんかな?と
思っていたのです。
しかし、少しづつ会話を重ねるごとに、彼女の醸し出す雰囲気や口調の中に、
救い様のない『おばばの性』を見ぃ出すことができ、「やや?もしかしたらお婆さん?」と
私は疑念を抱き出していたのですが、それもつかの間、やはりお婆さんであることが、
彼女自身の証言によって判明したのです。

だいたいこのお婆さんは、ことあるごとに自慢話をするのです。これが『おばばの性』の
一要因なのですが、孫が歩き出した月齢やら、しゃべり始めた月齢やら、このお婆さんに
かかれば全てが自慢に変化するようなのです。
そしてうちの下の息子とお婆さんの孫では2歳も年の差があるにもかかわらず、
「その子(うちの息子)は何歳でしゃべったんや?今、どれくらいしゃべれるんや?」などと、
探りを入れてくるのです。
こういう、比較対象の情報収集に余念がないのも、紛れもない『おばばの性』なのです。

息子の広東語につきましては、私は担当外ですので張り合う気もございませんで、
「どんな単語をしゃべるのや?」とお婆さんに聞かれ、「“パパ”しかしゃべりませんな」と
返事しますと、「え〜!この子(孫)でも、、ババ、ママ、叔叔(おじさん)はしゃべる
のに〜」などと、大袈裟に騒ぎ立てた上、「ババしかしゃべらんねんて〜」と
回りのお母さん方に吹聴し「ええ〜〜〜?」というやや批判的な空気に持っていきたかった
ようなのですが、私を知ってる別のお母さんに、「そこは日本語しゃべりはるからな」と
水をさされ、一瞬だけシュンとされてました。
しかし、すぐさま『おばばの性』はゾンビの如く蘇り、「どこの学校にやってるねん?
なんで日本人学校にやらへんねん?あんた、日本人学校があるのを知らんのか?
ほら、あるやろ?何番やったかな?73Aか?73Aのバスに乗ったら行けるのに。
なぁ、日本人学校にやったえええのになぁ?」と、またもや回りの同意を求め
「わては正しいねん!」的優位に立とうとしよったのですが、誰も返事しはらへんかった
のです。もちかちて?お婆さん??皆に嫌われてる????
嫌われるのも『おばばの性』か!?
そもそも、嫌われてナンボのもんなのでしょうな、おばばって。

10月4日(日) またもやうちのだんなの発作的判断により、本日は家族で、綺麗な海のあります西貢に
行って来たのです。
元々は、九龍城へ鴨を食べに行こうということで出発した我々だったのでありますが、
バスを待っている最中にだんなが突如、「そや、海に行こ、海」と言い出しまして、
「海」という言葉を小耳に挟んでしまった上の息子も「海、海」と騒ぎ出し、
すっかり2人で海モードになってしまったのです。
かくいう私は融通の利かないA型人間ですので、予定が突然変更になるのが
ものすごく苦痛といいましょうか、契りが破られることが許せない性格なのです。
しかも、私の舌はすっかり鴨モードになっており、鴨を食べずしては一日をやりきれない
気分で過ごすこと請け合いですので、「嘘つき!今日は鴨食べに行くって言うたやん!」と
海行き阻止を図ったのですが、うちのだんなも「天気いいで〜」「シーフード食べられるかも」
「今年最後の海水浴やで〜」などと、甘い囁きで丸め込もうとしますので、
押しに弱い私は折れてしまったのです。

そうして西貢のフェリーポートから20分ほど小船に乗り、半月湾という海水浴場に
来てしまったのです。
しかしせっかく海水浴場に来ましたのに、発作的行動ゆえに水着も浮き輪も持って
いないのです。
子供は換えの服を持っていましたので、着ている半ズボンで遊ばせればいいのですが、
大人は換えがありませんので、ジーパンで入水するわけにもいかないのです。
実は上の息子がまだ2歳の時、波打ち際で遊ばせていて、一瞬のスキに小波に
足をすくわれ転倒し、そのまま1mほど波にさらわれ沈んでいった苦い経験がありまして、
親が付きっきりでないと海水浴はなんだか恐ろしく、となりますと、親も水に入る必要が
あるというものです。
「あんたが海水浴って言い出したんやから、あんたが子供の面倒見ぃや」と、
下の息子はだんなに任せ、私は比較的操縦の楽な上の息子を伴って、浅瀬でカニを
探すことにしました。
下の息子は恐れ知らずですのでどんどん深みに入って行き、追いかけるだんなの方も
気が抜けず、10分ほどで疲れ果ててしまったのでしょう。
またもや発作的に「海水浴は止め!帰ろ!」と言い出しやがるのです。
バスと船を乗り継いで、香港では珍しく綺麗な海にやって来ましたのに、1時間も滞在
しないうちに引き返す、この体たらくなのです。
本来ならゆっくり鴨を食べているはずの休日を、こうもせわしなく無意味なものにされては
私の気が済みませんので、小船で西貢の港まで戻り、軒を連ねる海鮮レストランの
活け魚水槽の前でカニやらウニやらを冷やかしで物色しながら、
「あんたは私と子供の休日を台無しにした。ここで海鮮を食べさせてくれなければ、
あんたに明るい未来はないと思え」と、だんなに向かってやや意味不明な脅迫のセリフを
吐いてやりますと、財布にクレジットカードが入っているのを確認したのち、
レストランにふらふら〜と入って行きやがりました。
発作的行動は散財の元なのじゃ!
9月25日(木) おっちゃん(義父)が私のことを怒っているようなのです。
昨日おっちゃんは、頭部の怪我を病院で受診した帰りにうちに寄ったのですが、
そのことを私はだんなに話さなかったのです。
といいますのも、昨晩だんなが戻って来ましたのは、夜も12時近くになっており、
私はだんなの顔だけ見たものの、会話をしなかったのです。
それに、一族に起こった「○○が吐いた」だの「△△がシンセンに行った」などという
いかなる些細なことですら、一族連絡網により、瞬く間に兄弟姉妹に知れ渡っているのが
常でして、今回のおっちゃんの怪我は病院騒ぎですので、いわば「ビッグイベントの
範疇にも入るか!」という重要度だと私は認識しておりまして、
きっとおっちゃんの同居人であり妻でありますおばばにより、とっくのとうに皆に知らされ
ているものだと、私は信じて止まなかったのであります。

しかし、今思えば私はなんと迂闊な嫁だったのでしょう。
おっちゃんとおばばの仲が悪いことを、考慮していなかったのです。
おばばは同居人であるにもかかわらず、おっちゃんの怪我のことにはノータッチ。
すっかり無視していたらしいのです。
そして、息子娘5人の誰にも、電話の一本かけていなかったようなのですのです。
ということは、おっちゃんにしますと、病院帰りに真っ先に立ち寄った家で応対した私に、
情報発信源としての任務を遂行して欲しかったようなのです。
しかし私がだんなに怪我のことを告げましたのは、今日の昼過ぎだったのです。
そうです。おっちゃんの怪我発覚から、丸々一日経過してしまっていたのです。
怪我のことを知るや否や、慌てておっちゃんに電話を入れたうちのだんなに、
おっちゃんは開口一番、「お前の嫁(私)はワシの怪我のこと、今しゃべりよったんか?」と
聞いたようです。
昨日から、娘息子の誰からも、お見舞いの電話一本来ないことに、おっちゃんは怒って
いるのでありましょう。
そして、気の利かんバカ嫁である私を呪っているでありましょう。

まぁ、そんなことはどうでもエエ!
それよりなにより、おばばのおっちゃんへの嫌がらせの手腕に脱帽なのであります。
9月24日(水) 珍しくおっちゃん(義父)が、昼から奇襲をかけて来たのであります。
おっちゃんは今朝、自転車で転倒し頭部を強打したらしく、病院で精密検査を受けた
帰りということで、すごい様相になっていたのであります。
左目は青黒く腫れ上がって開けられず、左のこめかみを3cmほど縫ったらしく、
頭を包帯でぐるぐる巻きにしていたのです。
そんな様相ですのに、おっちゃんはおもむろに「飲茶に行こう」と誘うのです。
そんな包帯ぐるぐる巻きのおっさんと飲茶に行っても愉快な一時が過ごせそうには
ありませんし、第一、おっちゃんは自称:英語を話せる奴なのですが、
アクセントがきつ過ぎまして、何を言っているのかこちらにはさっぱりわからないのです。
加えて、おっちゃんは話せたとしましても、英語を聞き取ることができないのです。
ですので、おっちゃんが一方的に英語をしゃべり、私が神経を集中させ頭をフル回転
させて返事を返したところで、おっちゃんはそれを聞き取れませんので、
変な間が空きまして、それから再びおっちゃんが静寂を破るのではありますが、
会話の成立は絶望的でして、虚しい時間が過ぎ去るだけなのでした。

しかし、おそらくおっちゃんは朝から何も食べていないのでしょう。
公立病院の救急に行きますと、よっぽど重症でない限り、ひたすら待たされるのです。
朝受診しましても、諸々の検査を終えますと午後になっているのもうなづけますので、
ちょっと同情してしまいました私は、息子を連れておっちゃんのお供をしたのです。
飲茶と言っておきながら、おっちゃんはマクドナルドに突入して行きました。
そして私に100ドルを握らせ「何でも好きな物買うといで」言うのです。
しかし私も息子もついさっき昼飯を食べたばかりなのです。
おっちゃんにバーガーセットを1つと、息子にソフトクリームを買って戻り、おっちゃんの
食べおわるのをひたすら待ち、子供がガサガサし出したのを言い訳に、さよならして
来ました。
9月11日(木) 中秋の名月の今日は、おばばの家で晩餐でした。
2番目の義姉の誕生日ということもありまして、うちのだんなが珍しく奮発して
バースデーケーキを買って行ったのですが、糖尿病持ちで甘いもの厳禁のおばば、
ケーキの箱を一目見るなり、「それ何や!」「ケーキや、デイジー(2番目の姉)が
誕生日やろ?」「誰がそんなん買えって言うた!」などとどら声張り上げ、明らかに
不服な様子なのです。
夕食も終わり、ケーキを切る段階で、おばばは拗ねてプイッと部屋を出て行ってしまった
のですが、それでも気になるのでしょう、何をするでもなく庭をウロウロし、
窓越しにチラチラと中をうかがっている様子です。
そして誰かの「工人(おばばの家のインドネシア人お手伝いさん)にもケーキあげたら?」と
いう心優しい一言に、おばばすかさず庭から反応、「工人にはあげんでエエ!」。
挙句の果て、「工人にあげるくらいやったら犬にやれ!」といい出す始末なのです。
「犬にやれ!」に込められた、糖尿持ちばばの子供じみたジェラシーを感知できない
一番上の義姉が、おばばの言葉を鵜呑みにし、工人にあげるはずだったケーキを
皿ごと犬に差し出しますと、日頃そんなエエもん食べさせてもろたことのない犬ですので、
匂いは嗅いだものの、食べようとしないのです。
一族の中でも、「奴の財布からお金を出させるのは非常に困難」ということで有名な
うちのだんななのですが、思い切り奮発して買って来ましたケーキを犬にやられてしまい、
おまけに犬が口はつけたものの食べませんので、残飯同然にされてしまったのです。
表面上は冗談ぽく、「信じられへんわ〜、犬にやることないやろ?」などと、
義姉に食いかかっていたうちのだんなですが、実はちょっと涙目になっていたのでした。
脳裏には、クリームケーキなんて食べたこともなかったでありましょう、
己の超貧乏な子供時代が蘇ったに違いありません。
9月8日(月) 本日より上の息子の小学校で、一日授業開始だったのです。
朝8時ごろ家を出て、帰って来るのは午後の3時半ごろですので、
これでちょっとはゆっくりできるかなと思いきや、お弁当作りがあったのだ!
香港人は冷えたものを食べるのを嫌うからでしょうか、お弁当も昼食時ギリギリに
親が学校まで届けるのが、うちの近所では一般的なようなのです。
お弁当を届けられない家の子供は、学校で給食会社の弁当を一括購入することも
できるのですが、月単位で予約しておかないといけないのです。
しかも一食14ドル、月額300ドルにもなりまして、うちの家計からしますと、なんだか
やっぱりもったいないので、お弁当を作ることにしたのです。
しかしやっぱり面倒臭いぞ!
実家の母は、私の中学高校生活6年間、ほとんど毎日きっちりとお弁当を作ってくれて
いましたが、自分が同じ立場になって初めて気付く、親の偉大さ有り難さでございますね。
9月4日(木) 小学校のスクールバスは、連日遅刻なのです。
ところが今日は少し事情が違っていたのでした。
朝、いつものように「なろ〜!」と思いながら待っていますと、緑色のタクシーが我々の
前に停まったのです。そして中から全然知らないおばはんが出て来て、うちの息子の
名前を呼び、「今日はタクシーで行くから」というのです。
スクールバスの運転手からはそんな話は聞いていませんし、まじめに「誘拐?」と疑って
しまい躊躇してますとおばはんが、「バスが故障したからタクシーで行くのよ」のようなこと
を言うのです。
タクシーを覗きますと、中には息子と同じ制服を着た子が二人、無邪気にパンをかじって
いましたので、私も信用してしまいました。
そして息子を託す瞬間に、うっかり「タクシー代払わんでええの?」とおばはんに聞いて
しまい、自然と財布に手をやってしまっていたのです。
散々遅刻している上に故障するようなサービスやのに、別料金払おうとするなんて、
あほですな、私。

そして午後からは、おばば様(先日お金を戴いたので、様づけ)が奇襲をかけて
いらっしゃったのです。
今日もやはり、マクドナルドのフィレオフィッシュを息子たちの分2個だけ持参、
繰り返して言いますが、気ィ悪いんじゃぁ〜〜〜〜〜!
なんでワシの分が無いのんじゃぁ〜〜〜!

今日のおばば様、どうせ上の息子会いたさにやって来たのじゃろうと思っていたのですが、
どうも抜き打ち検査に来たようなのです。
何の抜き打ち検査かといいますと、先日嫁にくれてやった1000ドルが、果たして公正に
使われたのかどうかを探るためだったようなのです。
「可愛いワテの初孫の入学のために、ちゃんとエエもん買うたったんやろな?えっ?」
ということのようなのです。
しかも、直接私には聞かず、息子に「お前のマミーは何買ってくれたんや?
書包(ランドセルのようなもの)はどれや?靴は買ったんか?」などと、
囁くように探りを入れてやがるのです。
息子も馬鹿正直に、書包はコレ、靴はコレ、制服はコレ、という風に見せています。
店頭に並ぶ書包は、価格にピンからキリまであるのですが、入学の土壇場に慌てて
書包を買いに走った頃には、すでにその1000ドルは使い果たしておりましたゆえ、
うちが買いましたのは、露店で売っていた20ドルのリュックサックだったのです。
さすがにちょっと見劣りして、おばば様のお眼鏡にはかなわず、「これ、いくらしたんや?」
などと鋭いチェックが入るのではないかと内心冷や冷やしていたのですが、
その安物書包を見たおばば様、満足そうに「おぅおぅ」とうなずいておられました。
9月2日(火) 友人が誘いをくれまして、バドミントンをしに行ってきたのです。
どこかの公園でやるのかな?と思いきや、きちんとした体育館のコートを借りてするのだ、
ということで、そんな本格的にできるのか自信はなかったのではありますが、
実際やってみますとなかなかに面白く、1時間があっという間に経ってしまいました。
そのルールはといいますと、バレーボールとテニスが合体したような印象でして、
サービス権がないと得点にならず、得点に繋がっても繋がらなくても第一サーブと
第二サーブがきっちりあるのです。
第一サーブの時点で相手に決められても、相手の得点にもなりませんし、サーブ権が
移るわけでもないのです。第二サーブを続行するようなのです。
このあたりがなんだかよくわからなくて、「やってるうちにルールがわかって来るから」と
言ってくれた友人の手前、おろおろした姿をみせまいと、ルールを把握したフリはしていたの
ですが、実は1時間やってみてもルールを全然把握できないままだったのでした。
(見栄張ってすみません。<友人) でも、またやりたいです。
9月1日(月) 今日から上の息子は小学1年、下は幼稚園の幼児班に通学することになりました。
下の息子の幼稚園は、先週の半ばから2時間だけの入園トレーニングがあり、それには
泣かずに行ってましたので、なんとかなるかなぁと、少しは余裕の気持ちが持ててきたの
ですが、やはり上の息子の小学校入学は、親子共に初体験ですので、とっても心配なの
でした。

小学校は午前8時15分から始まるのですが、幼稚園の方は9時からなのです。
息子2人とも同時に送迎しますのは、通学時間に差が有り過ぎて無理そうですし、
上を自転車で送っていった後自宅に戻り、下を起こして用意させ、再び自転車で送迎、
といいますのもしんどそうですので、上の息子はマンションの階下から、スクールバスに
乗せて通学させることにしたのです。

このスクールバス、予定では7時55分に階下に来るということでしたので、早めに降りて
待つこと10分、8時を過ぎてしまいました。
もしかしたら忘れられているのかも・・・と心配になり、家で寝ているだんなに電話し
スクールバスの運転手に電話を入れてもらったのです。
折り返しだんなから電話がありまして、「もうすぐそこに着くらしいから、待っとき」ということ
でしたが、我慢して待てども待てども、一向に来ないのです。
時間はずるずると過ぎ、後5分で授業が始まるやんか!という時刻になってもバスは
現れないのです。初日から遅刻という不名誉、しかもバスのせい、しかも下の息子に
用意もさせなあかんのに、ええぃ!いい加減にせいよ!と、はらわた煮え繰り返った頃、
向こうからのろのろと近づいて来ます、陰気で汚らしい大型バスがあったのです。
軽快に走っている他のスクールバスと違い、このバスはなんだか一昔前の型のバスの
ようなのです。砂埃を上げてシルクロードでも走ってる方が似合いそう(勝手に想像)な、
おんぼろ具合なのです。
初日から遅刻するような間抜けなバスは絶対コレや!と思っていますと、
やはり我々の前でプスッと音を立てて停まり、こちらの怒りをはぐらかすためなのでしょう、
中からヤケに愛想のいいおばはんが降りて来まして、息子の名前を高らかに呼びながら
私に文句を言うスキも与えぬまま、素早く連れ去って行ってしまいました。

息子を送って時計を見ますと、すでに8時20分になっています。
すでに5分遅刻しておるではないですか。
しかし、息子の小学校が全日制になりましたのは息子の学年からですので、
このバスの、この時刻表での運行は、きっと今日が初めてなのです。
「今日は、今日だけは勘弁したろ」とひたすら自分に言い聞かせたのですが、
このバスが遅刻常習車だとは、この時は夢にも思わなかったのでありました。(続)

8月30日(土) 上の息子の小学校入学式だったのですが、これはだんなに行ってもらいました。
2時間ほどして帰って来ましたので「どうやった?」と聞きますと、「式の半分はうんこ
してたから、どんな話してたかわからへん」という、あきれてしまう返答がありました。
うちのだんなは自称:学校アレルギーだそうで、足を1歩学校に踏み入れると、無性に
お腹が痛くなりトイレに行きたくなるらしいのです。
これは自身の学校生活によっぽど問題があり、先生にガミガミいわれシバかれ続けて
きた悪夢の日々が蘇るからなのでしょう。
そやかて、まがりなりともうちのだんなは教師ですので、「あんた、ようそんなんで
教えに行ってるなぁ」と返しますと、「あかんのは小学中学だけやねん、教師の立場に
なった今でもあかんねん、生徒に自習させてトイレに行ってるねん」ということらしいのです。
課題だけ与えておけば、後は自由に描かせておけばいい美術教師で良かったなぁ、
あんた!

話が反れてしまったのであります。
小学校から学生手帳なるものを貰って来たのですが、これには前半に校則が記載されて
あったのです。
「先生を敬い、マナーよくせぃよ」「公共衛生に注意し、痰吐きすんなよ」などという校則は
一般的にもありそうなのですが、「学校内外で喫煙、飲酒、賭博行為をすんなよ」と
「学校の許可無しに集会を開いたり、秘密組織に入んなよ」などの項目を、わざわざ校則に
入れていますのは、やはり何か前例があったからなのでしょうか?それとも香港では
当たり前なのでしょうか?小学生といえども秘密組織とは、侮れへんご時世なので
ありますね。

そして手帳の後半は『宿題をやって来なかった記録表』『表彰・懲罰記録表』
『遅刻記録表』『居残り記録表』など、あまり嬉しくない記録を綴ります連絡帳のような
仕組みになっているのです。
これを見ますと、だんなの学校アレルギーも少しわかるような気がしたのでした。
8月19日(火) 香港の永久居民権を取得するために手続きを取っていたのですが、今日の4時半に
湾仔にあります入郷事務所まで出頭せい、という手紙が来たのです。
「手続きにかかる時間は、およそ90分」と手紙にかかれてあり、だんなが言いますには、
「こんなに時間がかかるちゅうことはやな、映画の『グリーンカード』みたいに、
夫の趣味嗜好を根ほり葉ほり聞かれるかもしれへんぞ。念の為、結婚披露宴した時の
写真とか子供の写真も携帯しとけ」ということでしたので、まず子供をおばばの家に預けに
行き、かなり緊張しながら、早めに事務所に到着するようにしたのです。
しかし実際は間違ったバスに乗ってしまい、遅刻寸前だったのでした。

事務所に着きますとまず番号札をもらいました。
さすがにここ湾仔は入国管理の本拠地だけあるのでしょうか、うちの近所の入郷事務所とは
月とすっぽんの段取りの良さですぐに呼ばれまして、合わせてすごく感じの良い担当官の
おっさんにあたり、書類の確認をされただけで終わってしまったのです。
『グリーンカード』のようなドラマティックなことを期待して、「あなたの夫の趣味は?」
「プレステ2とエッチ画像のダウンロード」などという問答を期待していました私としましては、
ちょっと物足りん気もしましたが、こんなことを言ってはバチがあたりますな。
事務所が閉まるのが5時ですので、なんとなく「早く終わって家に帰りたい」という空気が
事務所中にあふれており、それも幸いしたのでしょうか。

思いがけなく5時に終わってしまい時間ができましたので、そごうをちょっとぶらぶらし、
おばばの家に子供を迎えに行きましたら、帰って来た私を見て、おばばが「ちょっと!」と
呼びつけるのです。
一昨日の、息子にレンジを触らせていたことを咎められるんやろか?と、
半ば観念しながら、庭から家の中に入って行きましたおばばの後を追いますと、
玄関のすぐ脇の薄暗い所におばばが潜んで私を待っていましたので、
心臓がつぶれそうなほど、びっくりさせられてしまいました。
そして、私が来るなりおばばは私の手に札束を握らせるのです。札束といいましても、
ぐしゃぐしゃの20ドル札(300円くらい)紙幣が、ぐしゃぐしゃに束になったものなのです。
しかし塵も積もれば山となるで、結構な額がありそうなのです。
「子供2人共9月から学校やろ。何か買うたり」ということをいいながら、おばばは
握らせるので、最初からあっさり頂戴するつもりではあるのですが、一応
「いや、いいです」「ええから!」「要りません」「ええから!」「お金はあります」
え〜い、ええからっ!」という押し問答を数回繰り返しますと、おばばは私のカバンに
札束をねじ込むという嬉しい暴挙に出てくれましたのでもはや観念したフリをし、
ものすごい申し訳ない表情を見せ、おまけにおばばに向かって両手を合わせ拝んで
「ありがとう」と言っておきました。
8月17日(日) 義姉が以前から、上の息子を「今度の日曜日(本日)に映画のシンドバッドを観に連れて
いったる」と言っていたのですが、昨日の電話ではそんな話に触れもしてませんでしたので、
ほんまに行くのかどうか怪しいなぁと思ってましたら、昼頃突然に「今、駅やから。
今から迎えに行くわ」という電話がありました。
今日はだんなもおらず、朝から母子でダラダラしてましたので、上の息子を連れて行って
もらった後、やはり下の息子とダラダラを続行して、一日が過ぎてしまいました。

上の息子は夕方、義姉夫婦と一緒に帰って来ました。
その時ちょうど私は下の息子に、パンをレンジで温めさせようとしていたのです。
下の息子はボタンなどに触りたい年頃ですので、レンジの時間設定や、取り出しのボタン
などは、私が付き添って「はい、これ押して」という風に指導し、押させているのです。
口うるさい義姉の前でこれをやらかすと、絶対何か言われるやろうな、とは覚悟してましたが
案の定、「危ないやんか!?」の声が飛んだのでした。危なないんじゃぁ!
ボタン押すだけやし、ちゃんと監督してるちゅうねん!
義姉夫婦には子供がおりませんので、この年頃の子供が電化製品好きボタン狂という
ことがわかっていないのでしょう。
仮にこの夫婦に子供ができたとしても、なんでもかんでも「あかん!」「触ったらあかん!」
「触ったら汚い!」「触ったら危ない!」の御触れを出して、全てご法度にしてしまうのかも
しれませんが、普通は子供って色々やりたがるもんですよね?
子供の成長と能力の程度をみながら、ある時は子供と衝突しながらもきっちり阻止し、
ある時は譲歩して、だましだましやらせてみるのは、親としては避けて通れない道だと
思うのです。それに、万が一怪我などさせてしまったとしても、全責任は親にあるのです、
もちろんはなから怪我するような危険な事はさせるつもりは毛頭ないですが、
それくらいは覚悟してやらせているのですがな、おばはんよ。
つまり「よそ者は黙っとれ!」ちゅうことがいいたいのでんな。

レンジを触らせているということは、今晩あるでありましょう義姉の連絡網により、
きっとおばばに報告されるでありましょう。
おばばはある時期、「レンジから放射能が出るんやで!」と、真剣に触れ回っておったことが
ありますゆえ、「なに!孫に放射能を触らせとる?」と大騒ぎにならへんか心配。嗚呼!

8月16日(土) 今日は、友達とその息子ちゃんに会いに、昼間ずっと出かけておったのです。
夕方帰って来ますと、だんなから電話がありまして、「お前、今日ウンジ(だんなの姉)と
会う約束しとったんか?」と聞いてきます。「そんなんしてへんで」と返しますと、
「ウンジが、お前が今日の昼に家にチケット持って来てくれって言うたって言ってるで」
しかも「それで家に行ったけど、誰もおらへんから怒ってたぞ」とも言うのです。

義姉は旅行代理店を経営してまして、私の友人Nちゃんが、そこで飛行機チケットを
買ったのです。
そしてチケットが発券されたので、私を通じてNちゃんに渡してもいいよ、という話は確かに
していたのですが、土曜日の昼から持って来る、なんていうことは承知してなかったのです。
義姉が言うてたのは、「ほんなら週末に持って行くわ」なのですが、そんな曖昧な表現して
おいて、『約束した』とは何事なのじゃ。そういうのは『約束』とは呼ばんのじゃ。
多分、私はいつ行っても家におる・・・とタカをくくっており、一度来て留守だったのにも
懲りず、うちの近辺で時間を潰し、何度も何度も押しかけて来ては玉砕していたに違いあり
ません。
しまいには、全然帰って来ない我々に腹でも立ったのでしょう、「週末に持って行くわ」という
てめぇのセリフを、「家まで持って来て」という、あたかも私が頼んだかのように脚色し、
「うぉ〜こぉ〜ちぃ〜(私の名の広東語読み)が家におらん、子供もおらん、こんなに
長時間どこにいったんや?」などと、弟(うちのだんな)や、おばばにまで電話で聞きまわって
やがったのです。
おばばに知れたが最後、元々ごっつい心配症なお方ですので、やはり直々に電話を
よこして来まして、「ちょっと!どこ行ってたんや〜?」。後のおばばの発言は、あんまりよく
把握できなかったのですが、「子供2人も連れて。行き先も言わんと。気ぃつけてや。」という
説教のようなのでした。
その後、義姉からも電話がありまして「どこ行ってたんや〜?心配するやんか」でして、
全然心にも思っていませんでしたが「来てもらって悪かったなぁ」と一応詫びを入れますと、
「もう!ほんまにぃ〜、ずっと待っててんから」という感じでちょっとため息つきつつ、
それでも 「It's OK」 と抜かしやがったのです。
弟やおばばにまでチクりやがったくせに、な〜にがイッツオーケーなのじゃあ!
8月14日(木) この日曜日、下の息子のオチンチンに膿が溜まっているのを発見しまして、慌てて医者に
連れて行ったのですが、今日はきちんと治っているか、もう一度お医者に連れて行って
きました。
日曜日から薬を飲ませておりまして、翌月曜日にはすっかり膿もなくなってまして、
おまけにできていた「めばちこ」も、投薬のおかげでしょうか、だんだん小さくなってました
ので、大丈夫やろなとは思っていたのですが、マカオの黒砂で海水浴してしまったのが
ちょっと気になったのです。
診てもらうとオチンチンの先っぽの赤みもすっかり取れているようです。
お医者に「毎日、剥いて洗わないといけないよ」と言われてましたが、こういう部位は
非常に触り慣れていませんので困惑しながら、それでも決死の覚悟で剥き洗浄したのも
良かったのでしょうか。母親って下の世話からゲロの始末から、色々せなあきませんなぁ。
8月13日(水) マカオ2日目は海水浴に行ってから、午後の船で香港に戻ることになりました。
行きました海水浴場は、黒沙灘と呼ばれますところでして、細かい砂鉄のような
黒砂ビーチなのです。なんとなく気持ち悪いのと、回りにシーシーウルウルと北京語を
話す、「なんでこんなぎょうさんの人数で海水浴に来とんのや!?」と思ってしまう団体や、
目付きの悪い、明らかに普通のおっさんではないおっさんがたった一人で海水浴に来ていて
怪しい雰囲気ですので、私は荷物番を大義名分として、木陰で座っておりました。
だんな一人で二人の子供の面倒を見るのは大変だったのでしょう、何度もこちらを見ては
「助けて」という視線を投げかけて来ていたのですが、無視してやりました。

帰りは4時のジェットフォイルに予約が入っていたのですが、いい加減みんな疲れており、
3時の便をキャンセル待ちしてみることにしましたら、さすがこういうエエ加減なのは
香港人の良いところでしょうか、一等席に乗せてくれたのです。
一等席は2階ですので、行きの船底激震地帯に比べますと、嘘のように快適で
船酔いすることもなく、無事に生還することができました。

家に辿りつきますと、だんなが真っ先に計算機を持ち出してきまして、「いくら使たか
計算しよ」と私に計算機を持たせようとしますので、「なんも帰ってすぐに、そんなんせんでも
ええやんか」と相手にしてやりませんと、尚、自分一人で「あのスーパーで75ドル」
「夜食に28ドル」などと、時間を遡って計算しだしたのです。
普段のだんなに比べますと、この旅行中はかなり太っ腹だったのですが、内心はかなり
無理して虚勢を張っていたのでしょうか?全出費をソラで言えるほどに、覚えていたのです。
8月12日(火) 朝11時ごろ起きて来ただんなが、「今晩マカオで一泊するのは、どや?」と言い出し、
方々の旅行会社に電話を入れまして、格安のホテル&乗船のパックを探していたかと
思いますと、「予約できたから今からチケット取りに行って来るわ」と言い残し、出て行って
しまいました。
この男のやることはいつも発作的といいましょうか刹那的とでもいうのでしょうか、
とにかくあまりよく考えずに行動に走ってしまうようです。猪突猛進イノシシ型なのです。

慌てて旅行の準備をしていますと、しばらくして近所の旅行会社から電話があり、だんなが
「パスポート番号が要るから、今言うてくれ」といいますので、「ほんま要領悪いで〜」と
思いながら、私と子供2人分のパスポート番号及び名前のスペルを電話口で絶叫してやり
そして何時出発なのかを確認しましたら、セントラル発マカオ行き、3時ちょうどの
ジェットフォイルを予約してやがるのです。
もうすでに12時なのですが、3時といいますと1時には家を出ないと間に合わない恐れが
ありまして、速攻で子供に昼ご飯を食べさせ、荷物も詰めて待機してますと、1時きっかりに
だんなが図書館の本を数冊提げて帰ってきたのです。
図書館に行く時間があったら、もっと早く帰って来やがれぃ!

ジェットホイルでは船底の2等席だったからなのでしょうか、振動がすごい上に
窓が開かない閉塞間からか、上の息子は船酔いになり、マカオに着くまでの1時間、
ほとんどトイレの側を離れられませんでした。
しかしマカオに着くやいなや、回復しました。そしてとりあえずホテルに直行したのです。
ツインベッドの部屋に子供用のベッドをお願いすると、普通のツイン部屋ではベッドが
入らないらしく、最上階のエグゼクティブ用のツインルームに無料でアップグレードして
くれたのです。しかし部屋に入りますと、普通の狭い部屋ですし、コンピュータなどが
備わっているわけでもありませんので、ちとがっかりしてしまいました。
そして間もなく子供用にベッドが運ばれて来たのですが、折りたたみ式のものが来るかと
おもいきや、赤ちゃん用の柵付きベビーベッドでしたので、これまたたまげてしまいました。

それから街を散策に出かけたのですが、露店でサッカーチームのユニフォームの
偽物が売られていたのです。
香港でも売られてはいるのですが、欲しいチームで好きな選手の名前入りのものが
なかなかないのです。
しかしここはさすがマカオなのです、ポルトガル代表チームの子供用もありまして、
だんなに「このユニフォーム欲しいなぁ」といいますと、あっさり「子供に1着づつ買うか?」と
いうのです。日頃は守銭奴なだんなも、マカオの物価安もあいまって、さすがに財布の紐が
緩々になっているようです。そのユニフォームは、実はあんまり安くなかったのですが、
買う気でいますだんなには黙っておきました。

晩御飯は、ポルトガル料理屋に行こうとだんなが言いますので、素直に従ったのですが、
連れて行ってくれたところは、愛し合う恋人同志がターゲットのような雰囲気でして、
広いフロアにすでに恋人同志が2組、ワインを傾けあっているのです。
テーブル上にはキャンドルやら、余計なグッズが置かれてあり、「触ったらあかん!」と
阻止せなあかんという余計な仕事も増え、だんなは下戸なので私だけ飲むわけにも
いかず、息子は一人一本当りましたラムチョップを、手掴みで骨までしゃぶっておりまして、
まさしく場違いな我々でございました。
8月11日(月) 日本語を教える約束をしてしまいましたイアン君がやって来ました。
「レッスン料は要らない」といってしまいましたので、余計に気を遣わせてしまったので
しょうか、イアン君はヤクルト2パックとコアラのマーチの大箱1つを貢ぎ物として持参して
おりました。特価で買いましても2品目合計で40ドルは下らないのですが、ヤクルトに
コアラのマーチというチョコレート菓子は、実は我が家ではあまり歓迎されない食品です
ので、「現金でくれ・・・」と内心思いながらも、「いやいやいや、も〜う!すみませ〜ん。
今度からこんなことせんといてねぇ」と恐縮しながら、ありがたく受けとってしまいました。
こんなことになるのでしたら、1時間30ドルでも徴収すれば、イアン君にもこちらにも
良かったのでしょうか。

イアン君は、時間を少し遅れて来たものの、こちらに遠慮してなのか、11時きっかりに
自分から切り出して帰って行きました。
口元だけちょっと見た目が気持ち悪いのですが、なかなか感じのよい19歳のようでした。
8月10日(日) 今日は香港在住の洋楽好きが集まるブライアンの会のオフ会でして、飲茶に出かけて
参りました。
私は日頃、あまり日本人にお目にかかる機会がありませんので、新鮮で楽しいひとときを
過ごすことができました。皆さん、ありがとう。

子供2人はだんながおばばの家に連れて帰ってくれていたので、おばばの家に迎えに
行きまして、そこで晩御飯も御呼ばれしたのです。
上の息子の『おばば離れ』はますます佳境に入っているらしく、丸テーブルで食事するの
ですが、息子はどうもおばばの横の席を避けているかのように、おばばが着席するまで、
自分も座ろうとしないのです。
おばばはおばばで、どうしても上の息子の横の席に座りたい意気込み満々でして、
「え〜〜ぃ、早く座れ!」とがなりながら、上の息子の至近距離に付いて離れないのです。
上の息子がフェイントをかけて一端着席し、その横におばばがどっかり座るのを確認した後、
すぐさま席を立ち、おばばと一番離れている席に腰をかけますと、おばばもそそくさと席を
立ちまして、息子のすぐその横に座ろうとするのです。2人の攻防はしばらく続いたのですが、
そこでおじじがやって来まして着席しましたので、私も息子を援護するため、おじじと一席
空けて着席しますと、そこで上の息子が素早く滑り込みました。
私とおじじには「席を替われ」とは言い出せないおばばですので、仕方無しに息子の横は
諦めたのですが、それでも上の息子には、甲斐甲斐しく余計なお世話を焼いており、
息子はおばばが取ってくれたものには、箸をつけない強行策に出ておりました。
ええ加減気がついてくれないものでしょうか。ご飯がもったいない。
8月8日(金) 今日が実質の幼稚園最後の日でしたので、お昼にお別れ会があったのです。
お別れ会といいましても、有志の手作りスナックと飲み物が出されまして、園生の
歌や踊りの披露も少しあっただけで、それであっさりお終いでした。
会も終わり帰ろうとしますと、そこへ幼稚園で用務員のような仕事をしている、
口元だけフレディ・マーキュリー似のおばちゃんが恥ずかしそうに近寄って来まして、
「うちの息子が日本語習ってるんやけど、発音がわからへんので、レッスンつけたって
くれへんか」というのです。
いつもよくしてくれているおばちゃんの頼みなので、とっさに断る言い訳も考えつきませんで、
私の口が「いいよ」と勝手にヘラヘラ返事してしまったのです。
おばちゃんは、遠くでこちらの様子を伺っていたと思しき、やはり口元だけフレディ似の息子に
素早く駆け寄り私の元に連れて来まして、「この子私の息子よ、イアンよ」と紹介し、
「後は息子から」と言い残し、去っていきました。
イアンが言いますには、「日本語を習って3ヶ月になるのだが、教科書に載っている語句の
イントネーションが習得できないので、一緒に教科書を読んで指導して欲しい」らしく、
言ってみただけなのでしょうが「レッスン料を払いたい」とも言いますので、私の口が
再び「そんなん要らへん」と勝手に返事してしまったのでした。
結局、毎週月曜日の午前10時から1時間、うちで一緒に本読みすることになりましたが、
帰ってだんなにそのことを話しますと、「お前、あほやなぁ」と一喝され、その後クドクドと
「香港人にタダで教えるなんて甘い顔を見せると、ドンドン付け込まれて、友達も一緒に
レッスンつけてくれ〜とななるぞ!なんでお金取らへんねん!家にまで入れて、あほか!」
という主旨のことを言い続けますので、不愉快極まりなかったです。
お前も、日本人の善意につけ込んで来た香港人の一人なんじゃあ!
8月5日(火) 下の息子の幼稚園体験に3時間も付き添いますのは、非常に疲れるのです。
『主耶蘇愛我』という手遊び歌やお遊戯も一緒にしないといけませんし、他の子供の
邪魔をする息子を阻止しないといけませんし、お絵かきや工作も一緒にやらないと
いけませんので、視覚聴覚を含む肉体を100%フルに使う緊張状態が3時間、
これは常日頃、怠惰な主婦をやっています者にとっては、非常に疲れるのです。

唯一、下の息子が自主的にまともにやってくれますのは、10時半のおやつの時間
なのです。
このときばかりはおとなしく椅子に座り、おやつが目の前の皿に出されるのを静々と
待っていてくれるのです。
おやつには魚肉シュウマイが出たのですが、まず一人3粒づつ充てられ、3粒食べ終え
尚食べたい子供は、給仕のおばちゃんに挙手して意思表示するのです。
下の息子は3粒をあっという間に食べ終え、キョロキョロしながらおばちゃんを探し、
皆のように挙手して待っており、おばちゃんが来てくれますと、自分のお皿を両手で抱え
おばちゃんに「入れて」というポーズをし、入れてもらうと一応「ありがとう」の意味なの
ですが、頭をこっくり下げまして、そういうぎこちない動きが、なんだかからくり人形の
ようでありました。
8月4日(月) 幼稚園は先週でひとまず終わったのですが、今週は『夏期聖教班』という、バイブルの
勉強をするコースが午前中ありまして、うちは参加しないつもりだったのですが、
下の息子を幼稚園に慣れさせるために連れて来たら?という校長先生の勧めも
ありまして、金曜日までの5日間、親子で参加することにしました。

下の息子は大人が大勢集う場所がどうも苦手でして、そういう場所に入っていくのを
嫌がるのです。
ほんの先日ありました上の息子の卒園式でも、卒園式が行われた幼稚園の礼拝堂に
入室するのを泣いて嫌がり、他の人の迷惑になるので息子を外の遊具で遊ばせて
終わってしまったのですが、来月初めにあります、下の息子本人の入園式がこの状態では
話になりませんので、私も必死なのです。

息子の行っている幼稚園は幸いといっては何なのですが、先生が皆おばちゃんでして、
そんな経験豊富な方々が「心配すんな〜」と言ってくれてますので、少しは気が楽なのです
が、上の息子は全然人見知りしなかったので、こういうことで苦労することもあるのやぁと
しみじみ実感しているところであります。
8月3日(日) だんなが「美味しいスパゲッティの店があるから食べに行こう」といいますので、家族で
九龍の方まで繰り出したのであります。
連れて行ってくれたのは『奇香氷室』(氷の漢字がちょっと違う)という、汚らしい喫茶店と
いった風情のお店でして、メニューはドリンク各種とインスタントラーメン、サンドウィッチ類と
スパゲッティしかないのです。
店の汚らしさとは裏腹に店は満席でして、ひっきりなしに客が回転していくのです。
そして、驚きますことにはスパゲッティを注文している客も多く、見た目はなんの変哲もない
『2日前に茹でた麺使用香港式ナポリタン』なのですが、ひょっとしたら美味しいのかも・・・
という期待に胸を躍らせて、その登場を待っていたのです。
しかし、期待で胸がはち切れんばかりになった頃登場しましたそれは、何でもバリバリ
食べる雑食性の下の息子でさえ、一口食べて「いらない!」というほどのお味付けだった
のでありました。

ムッとする母子を抱えて困っただんなは、ご機嫌取りに「ウルトラマンの人形を見に行こう」と
提案しましたので、我々は徒歩で信和中心というファッションビル(?)まで向かいました。
ビル内には、ガチャガチャの人形や、お菓子のおまけで付いている人形類を扱う店が
何軒もあり、見て回りますと、ウルトラシリーズでも、『ブルマァク魂』と名づけられた
ソフビ人形のセットを発見したのです。このセットはこの春日本に帰省しました折に、
おもちゃ屋で売られているのを見て、とても欲しくてたまらなかったのですが、2割引でも
2600円という高値に手が出なかったのです。
しかし、ここではたったの60ドル(千円程度)で売られているのです。
箱がちょっとへしゃげていますが、偽物には見えませんし、なんといっても中身の怪獣たちが
どいつもこいつも可愛いのです。
すかさずだんなに「『ブツがいい』というのと『嫁の機嫌が直るで』というダブルミーニングを
込め、「これ買わな、一生後悔するで」という言葉で脅迫しますと、素直に財布に手を伸ばし
ました。下の息子に滅茶苦茶にされないよう、隠しておかなければ!
8月2日(土) 今日は幼稚園の卒業記念日帰り旅行の日だったのです。
最初のところは、私が子供2人を連れて参加するはずで、3人分の代金も払ってしまって
いたのですが、どこからかおばばに旅行のことがばれてしまい、「ほんなら、ワテも
行きたい」と言い出したのです。
たとえ日帰りとはいえ、おばばと過ごす8時間は私には耐えられそうにありませんので、
私と下の息子は行くのを止め、代わりに義姉とおばばに上の息子を連れて行ってもらう
ことにしたのです。

朝は9時に幼稚園集合ですので、おばばと義姉には直接幼稚園に行ってもらい、私が
息子を幼稚園まで送り届けるということにしたかったのですが、気がはやるのでしょうか、
まだ朝の8時前だというのに、おばばがうちにやって来てしまいました。
上の息子に朝食として食べさせるための、とっておきのシュウマイも持参です。

おばばには、飲めないくらい熱いお茶を淹れてやり、息子には毎朝飲んでいるオレンジ
ジュースを入れたのですが、おばばは「朝から冷たい飲み物なんて・・・」と不服に思って
いるようで、「冷たいもんはバスで吐くから、飲むな」としきりに息子に言っておりました。
朝起き抜けにシューマイは、息子は食べたくないようなのですが、おばばにはそれが
異常に映るようで、無理やり食べさせようとしたり、「どこか悪いんか?」としきりに心配し、
背中をさすったりと余計なことをして、鬱陶しがられておりました。うふふふ。

それから荷物の再確認を始めたおばば、お昼はランチバイキングだというのに、
魚肉ソーセージやらカップケーキやら、不必要に色々な食べ物を持参するようです。
そして突然「あいや〜!」と大声で叫びますので、一体何事かとびっくりしてますと、
「ヤクルト持って来るの忘れたわ」なのでした。

自転車に下の息子を乗せ、歩いておばばと上の息子を幼稚園まで送る途中にも、
「自転車は危ない」だの「そんなに道の端を歩くな」だの「そんなに道の真中を歩くな」だの
「ヤクルト買おか?」だの「咽乾いてへんか」だの「(息子の)髪の毛をもっと短く切れ」だの
やいやいやいやい言いまして、幼稚園までの10分間ですらこの口うるささですのに、
一緒に旅行に行く羽目にならなくて正解だったことを、ひしひしと認識いたしました。

そして夕方5時前に彼らは帰って来たのですが、息子に「どうやった?」と聞きますと
なかなか楽しかったようで、愉快なことしか報告してくれず、「あぽぽがうるさかった」と
いうような悪口を期待していた母としては、ちょっとつまらないものでありました。
義姉に聞きますと、「ランチバイキングが不味かった」「バスでの道中、先生がマイクで
うるさかった」などという、旅行に対する不満ばかりでありまして、これもまた聞くには
面白くありませんでした。

しかし、夜、仕事から帰って来ましただんなから、義姉から聞いた実録話としまして、
「おばばが5分おきに水を飲めと強制するので、○○(息子)がおばばと歩くのを嫌がって
先生と行動を共にしてしまった」やら、「先生が○○とずっと手を繋いでいるので、
おばばが『ワテの孫やのに、横取りして』と嫉妬していた」やら、「私(義姉)には『○○に
冷たいもん飲ますな』と指令するのに、自分は冷たい飲み物を何度も買い与えていた」
やら、「お昼ご飯の最中、おばばがドラ声上げながら○○の世話をしつこく焼くので、
皆の注目を浴び恥ずかしかった」などという、聞いてて心踊ります、うひょひょな情報を
入手できたのです。さすが兄弟姉妹ですと、心の内をさらけ出せるものなのですね。
「この夏中にもう1回くらい、おばばの家でのお泊り等、息子とおばばを密着させる企画
を設定したら、息子のおばば離れも完璧やなぁ」と確信いたしました。うふふふ。
7月29日(火) うちのだんなは毎年夏に、自称:絵描きの友達数人とどこかに旅行に行っているのです。
その絵描きの友人らは、ほんとにどういう生業で生計を立てていらっしゃるのか
よくわからないのですが、『香港芸術交流なんとかかんとか』という胡散臭い会を主宰して
おり、『文化交流』という名目で、旅費は会の経費から計上し、これまでにも台湾やら
四川省、チベット、タイなどに出かけておるのです。
去年までは、夏休み中にその旅行が決行されておりまして、ちょうどその頃私と息子は
日本に帰省している最中でしたのでなんら問題はなかったのです。
しかし今年は、その旅行が9月の初期に設定されたのです。行き先は雲南省なのです。
そしてまたもや旅費はタダ。うちのだんなはすっかり行くつもりになっているようです。

しかし、今回は一体何をするのでしょうか、20日間も雲南省界隈をウロウロするらしく、
帰って来るのは9月の半ばになるというのです。
今年の9月は、上の息子が小学1年に上がり、下の息子は幼稚園入学のダブルパンチ
でして、そのような時期に旅行に行かれて、私一人で切り盛りする自信がありませんので
これはさすがに文句をいいました。

 私 「あんた、9月は子供2人とも入学したばっかりやし、通学に慣れるまで私一人でやる
   自信あらへんわ」
 夫 「入学式は9月1日やろう?出発は2日やし、大丈夫やって」
 私 「入学式一日だけのことと違うやん。 通常の授業形態になるまで時間割が変則的と
   ちゃうのん?私、一人で幼稚園まで送って小学校まで送って、迎えに行って
   そんなん20日間もできへんわ」
 夫 「お前やったらできるって。俺はお前を信用してるから任せるんやん」
 私 「そういう問題と違うやん。あんたは家族のこと、全然眼中にないねんな。
    あんたは結局タダで旅行したいだけなんやろ?」
 夫 「違うわい!」
 私 「ほんなら自腹切ってでも行くねんな?」
 夫 「行くわい!」
 私 「ほんなら夏休み中に、自腹で行って来ぃや。ほんなら文句いわへんわ」
 夫 「・・・・・・・・・。俺の芸術活動のために、せっかく誘ってくれてるのに」
 私 「皆で行かな絵が描かれへんちゅうの?」
 夫 「皆でまた共同の展示会が開けるやろ?」
 私 「そんなん別に共同でなくてもええやんか」
 夫 「参加せな、俺だけ仲間外れになるやん。話に加われへんやん」
 私 「行ってないねんもん、話に加われへんのは当たり前や。子供かいな」
 夫 「今までに築き上げた関係が崩れるやん」
 私 「エエ歳したおっさん集団のくせして、そんなんで崩れる関係なんや」
 夫 「・・・・・・・・・。でも雲南省行きたいもん」
 私 「行かれへんもんはしゃあないやろ?行くんやったら8月にしてもらい」
 夫 「王さんが自分の都合で9月に企画してん、王さんが悪いねん」
 私 「王さんのせいにしな!とにかく9月はあかんからな」
 夫 「お前やったら絶対大丈夫やって」
 私 「あんた、どうせおばばかあんたの姉さんに留守中のこと、頼むつもりやろ??
    あの2人が子供の事でしゃしゃり出て、あんたのおらんところで毎日のように
    押しかけて来て、ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ指令出して来たあかつきには、
    あんたの子供と嫁の姿はもはや香港にないと思え!
    それでもええんやったら、行っといで」
 夫 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。やめとくわ」
7月27日(日) おばばの家での夕食だったのですが、この頃、上の息子はおばばの家に限り、ちっとも
食が進まないようなのです。
おばばの家では円卓に、うちら家族4人とおばばおじじの6人が座り、上の息子の横には
必ずおばばが陣取り、上の息子にだけ魚や鶏の肉をほぐしてやったり、スープを飲ませようと
したりと甲斐甲斐しく世話してくれるのですが、どうも上の息子はそれを鬱陶しく思い出して
いるようなのです。「自分でするから!」と何度も主張しているにもかかわらず、
しつこくおばばが手出ししますので、食べない作戦に出ているようです。
スープをたくさん飲ませようという魂胆で、食事中に水を飲ませないように強制するのも
嫌がる一因のようですが、懲りないおばばはしつこくレンゲを息子の口元に運ぶのでした。

思えば以前は、おばばが息子に強制的に食べさせることに関して、おばばと私の間で
限りなき戦いを繰り返していたのでありますが、私がいうより上の息子が直々に態度で
示す方がおばばにとってはショックなのではと思い立ち、この頃では2人の攻防を
「うふふふ・・・」と腹黒く笑いながら、面白く見物しているのであります。
おばばのしつこさが、やがて己の身を滅ぼすのだ!

帰ってから息子に「あんまり食べてなかったなぁ」と聞きますと、「あぽぽ(おばば)ね、
エビの黒いの取ってくれないでしょ、あれ気持ち悪いから食べられへんねん」といいます、
そうなのです、私も昔から嫌でたまらんかったのですが、おばばの家のエビ料理、
鮮度が落ちて、調理しますとボロボロに身が崩れる小エビをいつも使うのです。
なぜそのようなエビを買うかというと、単に安いからなのでしょう。そしてそういう小エビは
背ワタとかが非常に取りにくく、そもそもおばばには「背ワタを取る」という概念も欠如して
いるのではありますが、背ワタ付きな上に鮮度が悪いので、すごく臭いのでした。
たいていそれをブロッコリーと炒めて出してくれるのですが、エビは鮮度があかんし、
ブロッコリーは緑の芋虫もしくはアブラムシ付きなので、とっても気持ち悪いのです。
だいたい、エビ好きな上の息子のことを思って、そういう料理を作ってくれる心意気は
有り難く思わないといけないのですが、そんな安物のエビ使わんといてよ!と
思ってしまうのです。そういうレベルでケチられるのが、嬉しくないのです。

息子に「今度気持ち悪かったら、あぽぽに『背ワタ取って』って正直に言うてみぃ。
あんたが言うてもあぽぽは悪い気はせぇへんからな」と、やんわり言ってみましたが、
内心は「おぉ!そやそや、息子よ!毎回食わされる者のためにも、お前の料理は
不衛生なんじゃ〜と思い知らせてやってくれ〜〜〜〜!」という熱いシャウトなのです。
7月26日(土) 昼からは上の息子の幼稚園の卒園式だったのです。
息子の幼稚園生活3年間には、クリスマス会や正月会など、様々なイベントがあったのです
が、息子は上手くできないからか、たいてい劇や歌などの出し物の出演から除外されていた
のであります。
しかし、さすがに卒園式という晴れの舞台には出演させないわけにもいかなかったのでしょう、
環境保護をテーマにした劇で、役がついたのです。
事前に担任の先生から、「なるべく悪っぽい感じの服装を用意してくれ」といわれていた
ものの、あまりその意図が読めずに普通の服を持たせてしまったのですが、劇を見て
初めて息子の役柄が把握できたのです。
息子は同級生の豊各という名前の子供と一緒に、頭にヘッドフォンをつけて登場してきました。
そして登場するやいなや、誰が歌っているのでしょうか、中途半端なロックのビートが流れ
それに合わせて息子たちは身をくねらせ踊り始めたのです。
息子の踊りは腕を四方八方にくねらせ、なんだかタコ踊りのようです。息子にとってロック
とは、タコ踊りのイメージなのでしょうか???
話は戻りますが、とにかく息子の役柄は、街を汚す邪悪なロック少年が改心して
ゴミを拾う、といったもののようでした。
環境保護を訴えるのはよろしいですが、あんまりよくわからない内容の劇でもありました。
(まぁ息子しか眼中になかったから、どうでもええけどな。)

家に帰ってから息子に「あれ何?なんであんな踊りしてたん?」と聞きましたら、
「ほら、お母さん、TVで見てたでしょ?こんなやつ」といいながら、髪の毛を左右に1束づつ
立たせたのです。その髪型とタコ踊り、きっと
プロディジーというバンドのボーカルの真似を
していたのでしょう。
しかしそんなのを見ていたのは随分昔の話です。よっぽど子供心に強烈に焼きついていた
のでしょうな、プロディジ−。
7月22日(火) 今日はビザの延長手続きに行かないといけませんでしたので、昼からおばばに来てもらい
子守を頼んだのです。
上の息子は幼稚園の卒園式の出し物の練習で、午後1時まで幼稚園ですので、おばばの
「わてがマクドナルドで魚柳飽(フィレオフィッシュ)を買うて行ったるから。○○(息子)は
魚柳飽が好物やから。あんたはご飯作らんでエエから」という指令通り、何も作らず、
おばばが来るのを待っていたのです。
そして息子を迎えに行き、幼稚園から戻って来ますと、おばばがやって来ておりました。
おばばは私の姿を見るなり、手提げカバンからおもむろにレモン一個を取り出しまして、
「これでレモンティーを作ってくれ」と指令を出して来たのです。
マクドナルドでバーガー買うついでに、レモンティーくらい買って来たらええのになぁ・・・と
思う反面、このセコさが一族の繁栄につながるんかもなぁ、ほいでからちょっとだけ
「エライなぁ」とも思ってしまったのでした。
7月20日(日) だんなが発作的に「川遊びに行こう」といいますし、芋洗い式な近所の公衆プールに
行くよりはマシかと思い、よく考えずに同意しました。
バスで林村というところまで行き、そこから山に入っていきますと、結構綺麗な川が流れて
いるのです。
川辺での荷物の拠点を探し、適当なところで落ちつきますと、だんなの眼中にはもはや
川のせせらぎしかないようで、一人さっさと服を脱ぎ子供らには目もくれず、一人でざぶざぶと
水に入っていってしまいました。
子供らも服を脱ぐのももどかしく、慌てて入っていきましたが、結構流れも速く、所々に深みも
ありますので、常時浮き輪を着けて遊ばせました。
ひとしきり水遊びを堪能しただんなは、今度は小魚獲りに精を出し始め、ビニール袋で簡易の
魚キャッチを作ったかと思うと、「こいつら(子供)がおると魚が逃げてしまう・・・」と言い残し、
上流の方へ一人姿を消してしまったのです。
それでなくても子供放ったらかしなだんなにイライラしているところへ、子供2人が「助けて〜」
と叫びながら水に流されて行くというシチュエーションの、見ていて全然面白くない遊びを
始め、浮き輪を着けて上流から交互に流れて来ましてキャーキャー騒ぎますので、
すんごいむかつき、「そんな遊び、止めなさい!」などと、山々にこだまするほど怒鳴って
しまったやるせない昼下がりでした。
7月18日(金) 今日はだんなの個展を見に行って来たのですが、個展と呼ぶよりは、オフィスの廊下に
作品を飾ってもらっている、というひっそりした佇まいでございました。
帰りは九龍からバスで家まで戻ったのですが、夕方のラッシュアワーで満席な上に
交通渋滞に巻き込まれ、おまけにものすごいヘタクソドライバーに当ってしまい、ブレーキの
利かせ方がとっても不自然不愉快でして、獅子山トンネルのあたりで早くも上の息子が
車酔いの状態になってしまいました。
このバスはトンネルを超えますと高速道路に入ってしまいまして、次停まりますのは、
私が住んでいる町なのです。その間20分ほどありますので、「なんとか持ちこたえてや〜」
と祈りながらも、上の息子は非常に酔いやすいタイプなのか、過去に何度も車中で吐いて
いますので、そうなるのも時間の問題であろうと、ビニール袋やらティッシュを用意して
おりました。
するとやはり突然吐いてしまい、吐くといくらか気分がマシになったのでしょうか、
それから眠ってしまいました。

下の息子は普段は滅多に吐くことがないのですが、運転のヘタクソさがよっぽどだった
のでしょう、落ちつき無く何度も何度も座る体勢を変えており、終いには座席の上で正座
しだしたのです。顔つきも切羽詰っており、ことに唇の色が真っ白になっていたのです。
こいつはヤバイと思いましたが、息子の耳元で「せまる〜ショッカーーー」などと歌ったりして
なんとか気を紛らわせていたのです。
そうして高速も終盤にさしかかり、町が見えたころ、我慢の線がぷっつり切れてしまったの
でしょうか、ごぼごぼ〜っという排水溝のようなすごい音と共に、吐いてしまいました。
前に座っておった中年おばはんの、「チッ」とでも言いたげな視線が痛かったです。
香港おっさんの方がいくらか優しいのぉ。

バスを降りますと子供2人とも、すっかりケロリとしていたので、夕ご飯を食べて帰ることに
しました。
食べ終えて家路に着きますと、向こうから見覚えのある麗しい人影がやって来るのです。
それはEVAさんでした。EVAさんは私の憧れの香港女性だったのですが、突然うちと同じ
マンションから引っ越してしまい、それから確実な居所が掴めなかったのでした。
EVAさんは相変わらず美しく、やや流し目的視線で「どこに行くん?」などと会話を
交わしたのち、「うちのマンションはあそこだから」と指を指し、「その5Aの部屋やから
いつでも来てね」と言い残して去っていきました。嗚呼、ついに居所が!
「EVAさんのために痩せよう」と心に誓った、35歳の夜でございました。
7月17日(木) だんなが久しぶりに個展を開き、同時に作品集も出版したのですが、それをいくらで
売るかで頭を悩ませているようなのです。
かなり昔に別の作品集も出版したのですが、こちらの出版にあたってはスポンサーが
付きまして、だんな本人も売れても売れなくてもどちらでも良かったみたいで、結構
法外な価格設定をしていたのですが、今回は自腹を切って出版したらしく、少しでも
元を回収したい意気込みが見て取れまして、「50ドルやったら高いか?」などと
私にも意見を求めて来るのでした。
「そやなぁ、景気も悪いし20ドル札1枚やったら出せる人もおるかも・・・」と正直に答え
ますと、「あほか!20ドルやったら全部売れても足出るやろ」と目を剥いて反論して
来ます、「足出るとか、買う側が知ったこっちゃないやろ?ほんまに売る気があるんか、
えっ?」と腹では思いながら、「やっぱり『得や!』と思わせる何かがないと香港人は
買わへんで〜、買1送1(1冊買うともう1冊おまけ)とかな」と、消費者の心理を鋭く
見据えた意見を述べてやりますと、「おれの芸術が、買1送1やとぉ〜」とでも
思っていたのでしょう、ついに忌々しい顔つきで「あっちへいけ」といわれてしまいました。

後ほどだんなの部屋を覗きますと、売り場の見本にするらしい作品集の表紙に、
『Promotion Price $40』という紙切れが張ってありました。それでは売れへん(断言)。
7月12日(土) 本来なら今日が息子の幼稚園の卒園式だったのですが、SARSの影響で36日間も休校に
なったせいで、夏休みを少し返上し、8月の第一週まで幼稚園があると聞いていたのです。
しかし、昨日幼稚園から息子が貰って来た今後の予定表を見ますと、来週1週間が
テスト期間で、それが終わりますとほとんど遊びだけの授業が5日ほどありまして、
その週の土曜日(7月26日)が卒園式となっているのです。
ほんならなんで8月の第一週まで通園せなあかんねん、と不審に思って見ますと、
卒園式後の7月中はずっとプール、といってもビニールプールなのですが水遊びの日が
続きまして、8月1日がお誕生会、2日は卒園旅行、そしてその後は『暑期聖経班』という
名目の、キリスト教系列の幼稚園ですので聖書のお話会でもするのでしょう、
任意参加の授業が5日間ありまして、晴れて夏休みに突入ということのようなのです。

7月中に卒園式をやってしまうのでしたら、きっぱり7月中に夏休みに突入してくれ〜と
思うのですが、どうして卒園式後にだらだらと、プールやらお誕生会やら、
おまけに卒園旅行という、楽しそうなイベントが続くのでしょうか。

これについて私なりに色々考察してみたのですが、「これは8月分の授業料をせしめる
ためなのではないか???」という結論に達したのです。
しかし授業料をせしめるために卒園式まで8月に行うという露骨なことをしてしまいますと、
SARSがなければ7月でお終いだったのに、8月分という余計な授業料を払わなくては
いけなくなってしまった父兄から文句が出るに違いありませんので、敢えて卒園式は
7月中に執り行い、それ以後は「来たい人だけ来たらええ、でも来るなら払いや」という
選択方式を取り入れたのではないでしょうか。
SARSで丸々1ヶ月休校になりました4月分の授業料さえも払うのを渋った父兄(うちの
だんなを含む)がおりますゆえ、8月分、しかも行っても行かなくてもどっちでも良いような
実質一週間程度の授業で1ヶ月分の徴収となりますと、文句も出るに決まっております。
しかも、当たり前かもしれないですが、幼稚園からは8月の授業料についての明確な
指示が出ていないのです。

ネックは8月1日のお誕生会と、8月2日の卒園旅行なのです。
息子は8月が誕生日ですので、このお誕生会はいわば主賓なのです。
卒園旅行に関しては、先日の『ライチー山荘』行きが卒園旅行だとすっかり信じており
ましたので、しぶしぶ参加したといいますのに、今度はもっといい所に連れて行って
くれるようなので、参加を表明してしまったところなのです。
卒園旅行に行くのに8月分を払わないと、きっといやらしいですね?

でも、恐らくうちは『暑期聖経班』には参加させないですから、お誕生会と卒園旅行の
2日間だけのために、1ヶ月分の授業料を払うと考えますとと「ナロ〜、なめんなよ」という
気もするのです。
もう一つ困ったことは、この事実をうちのだんなに伝えてしまうと絶対、「ほんなら
8月は行かせるな、授業料も払うな」とにべも無く言うに決まっていまして、そうなると
せっかくのお誕生会と卒業旅行に行けなくなる息子が哀れじゃなという慈母(自分でいうな)
の情けもありまして、この件につきましては私の心にひっそりとしまっておき、
だんなに内緒で8月分の小切手を切るのが一番でありましょう。
しかし、他の父兄はみんな、どう思っているのでしょうか?お金のことは聞きにくいですな。

7月6日(日) 昨日からだんなの仕事がたて込んでいまして、おばばの家に戻ったきりですので、
外に出ても暑いし今日は息子と3人クーラーを効かせた部屋でダラダラして過ごそうと
思っておりましたら、昼頃突如義姉夫婦がやって来まして、「自転車買ったるから
一緒にジャスコに行こ」というのです。
自転車は、かなり昔におばばが上の息子に買ってくれたものが一台、おばばの家に
常駐されてあるのですが、そのお古を下の息子に使わせ、上の息子に大きめの自転車を
新しく買ってくれるというのです。
最近は公園などに行く際に、一台の自転車に子供を2人乗っけて走るのもかなりしんどく
感じていましたし、上の息子が自分で自転車に乗ってくれたら、こちらも楽なこと請け合い
です。
まして買ってくれるというならとっても嬉しいところなのですが、皆でぞろぞろ買いに行くのも
面倒なので、上の息子だけ一緒に連れて行ってもらうことにしました。

私はてっきり自転車を買ってすぐ帰って来ると思っていたのですが、「自転車買ったら
そのままタクシー乗っておばばの家に帰るからな」と義姉がいうのです。
「え?自転車は?」と一瞬思ったのですが、すぐに魂胆がわかりました。
息子に一台づつ自転車を与え、息子どものおばばの家に帰りたがる動機付けを強力にし、
毎週末のレジャーはおばばと共に・・・という不動の地位を築こうとする作戦なのです。
としますとこれはきっと義姉ひとりの考えではなく、多分、恐らく、いや絶対おばばが後ろで
糸を操っているのに違いありません。そしてひょっとしたら、うちのだんなも賛同し、
「そうだそうだそれはいい」と後押ししているのかも、と思うと心がすさんでしまいそうです。
7月1日(火)  今日は息子の幼稚園の親子遠足の日だったので、家族4人で参加したのです。
幼稚園から貸し切りバスで、元朗の山奥にあります『ライチー山荘』という、レジャー施設
と呼べるようなそうでないような所に連れて行ってもらいました。
行きのバスの中では、幼稚園の麦先生という4歳児クラスを担当しているおばちゃん先生の
司会によるクイズ大会が催されたのです。
麦先生は「その声量やったらマイクいらへんで〜」という地声のボリュームにも関わらず、
マイクを通じて60人ほどの参加者に、高らかにクイズを投げかけていきます。
子供達も口々に甲高い声で回答していきますので、朝の8時から心身ともに覚醒させて
いただきました。
そういう地獄の40分間の後、バスはライチー山荘に到着しました。
ライチー山荘というくらいですから、我々はライチー狩りに来たようなのです。
ライチー狩り参加者専用である入場券のステッカーを胸に貼ってもらった後、皆でぞろぞろと
ライチーの木がある山へと向かいました。
ライチー狩りといいましても、その場で食べ放題なだけでありまして、家に持って帰るのは
駄目なようなのですが、案内人兼見張りのオヤジ2人の目を盗んで、皆ポケットやら
バッグに押し込んでいるようです。
ライチーはかなり高い所に成りますので、背の低い人間が取るには結構至難の技なの
ですが、背の高い一人が長い枯れ枝を使って枝をしならせ、そこを皆で寄ってたかって
ライチーをもぎ取る、という美しい連携プレイにより、難なくクリアでした。

30分ほどのライチー狩りが終わりますと、もう後はひたすらフリータイムでして、
フィールドアスレチックで子供を遊ばせたり、川べりで水遊びなどをして過ごしました。
人気の無いところで川遊びをしていますと、そこへ息子と同級生のチーロン一家がやって
来まして、チーロン君とチーロン父も水遊びしだしたのです。
チーロン父が、パンツ一丁で浸かっているうちの息子たちを見て、チーロン君にも「お前も
脱いだら?」と、チーロン君のズボンを脱がせようとしたのですが、チーロン君は大変
恥ずかしそうに拒否したのです。
うちの息子は人前でもすっぽんぽんで平気にしてますので、チーロン君の恥じらう姿は
「このような年齢の子供でも恥ずかしいのだな」と、私には新鮮に映りました。
しかしやがてチーロン君も、意を決したようにパンツ一丁になったのです。
なんとチーロン君は、3段腹の持ち主だったのです。見かけはそんなに太っているように
見えない彼ですが、私の腹を見ているようです。すごいデロンでロンの腹だったのです。
道理で脱ぐのをためらうわけだな・・・と思っておりましたが、水遊び終了時に、チーロン君が
パンツを着替える瞬間に、私はつい目をやってしまったのです。
チーロン君は、割礼していたのです。
友人が、「香港人の間では、男の子が小学校に上がるまでに手術で割礼するのが
最近増えてるらしい、その方が清潔だからだって」といっていたのを思いだしました。
割礼を見たのはニルバーナというバンドのアルバムジャケット以来でしたので、
これまた新鮮な驚きだったのですが、案外同級生の子も皆そのようにしているのでしょうか。

川辺から、皆が集っているダチョウやらうつろな目をしたヤギがいる動物広場に向かう途中、
見知らぬ団体が、我々に話し掛けて来たのです。
そのうちのおばはんが代表になって、やや薄ら笑いを浮かべながら、最初はチーロン父に、
それからうちのだんなに何かを熱心に交渉し出しました。
私には内容が全くわからなかったのですが、だんなはちょっと困っているような感じです。
しかし、チーロン一家が先に行きだしてしまったので、うちら夫婦もその場を去りました。
後で何事かだんなに聞いてみますと、我々が胸に付けている『ライチー狩り用』の紅い
ステッカーを売ってくれ、といっていたらしいのです。
そういえばその団体は、ライチー山荘の入場券である黄色いステッカーだけを付けて
おりました。入場券だけならば1人20ドルなのです。
ライチー狩りがいくらするのかはわからないのですが、我々が払ったのは昼食代と
ライチー狩り代金込みで1人80ドルだったので、きっと30ドルくらいするのでしょう。
30ドルあれば市場でライチーが相当の量、買えるはずです。
ライチー狩りはしたいけど、高いお金を払ってまでしたくない、そういう気持ちもわかるような
気がしましたし、私も「こんなところで、あの昼食内容で80ドルは高いなァ」と内心思っており、
元を取りたい気がしましたので、「何で(ステッカーを)売らへんの?」と、ややヒソヒソ声で
だんなに返しますと、「(チーロン一家が)いるやんか!」というのです。
しかしすぐさま、「トイレ行きたい」とだんなが言い出し、チーロン一家に「先に行ってくれ」と
言い残して、だんなはきびすを返したのです。
もちろん私と息子も続きました。そうして足早に、先ほどの団体が居た場所に戻ったの
ですが、もはやその団体の姿は消えていたのでした。

炎天下で午後3時まで遊んだ末、集合がかかりまして、帰路に着くことになりました。
帰りくらい車内ではゆっくり寝させてもらえるに違いない、と思っていたのですが、
またもや麦先生が全開で音頭を取りだし、子供に歌を歌わせ出したのです。
子供をかわるがわる前に呼び出し、マイクで1人1曲づつ歌わせるのです。
甲高い声がマイクを通ると凄まじい響きになるということがわかりました。
6月30日(月) とても久しぶりにうちの家族4人だけで、広東料理のレストランに行って来ました。
きちんとした中華のレストランに行くのは、いつもたいていおばば一族と一緒の機会ですので、
料理を堪能できるほど食べたことがなかったのです。
しかし今夜はうちの家族だけですので、食卓上での激しい生存競争の心配もありませんし、
しかも「私の好きなものをオーダーしても良い、たまには贅沢しよ」とだんながいいますので、
それはそれは楽しみに出かけて行ったのであります。

ところがレストランに着席し、料理をオーダー決める段階で、私が「これにしよう」というもの
いうもの全てに、だんなが「これは旬とちゃう」とか「なんもこんなんレストランで食べんでも・・・」
などと色々ケチをつけていくのです。
元々私は料理にはあんまり詳しくありませんので、「これとこれは食い合わせがあかん」などと
いわれますと「そうかな?」という気になってしまいまして、「鶏料理とエビ料理はオ−ダー
してや」と約束させたものの、結局だんな主導の元、適当にオーダーされてしまったのです。

そうしてまず、冬瓜を丸ごと蒸したスープが登場しました。
大人2人子供2人でこの冬瓜のデカさ、「こんなん4人で食べきれへんわ、変なオーダー
しやがって。もったいない」と腹では思いながらも結構美味しかったので、
まずここはお咎め無しということにしておいたのです。
次に子豚の丸焼きの切り身とくらげの盛り合わせの、いかにも前菜っぽいものが来たのです
これはこのレストランの客寄せサービス品に位置するものでして、一皿18ドルという
破格のプライスなので、まぁ許してやろう、という程度の味だったのです。
そして次に貝柱の茶碗蒸風なものが一皿来たのです。これもこの店のサービス品18ドルと
してメニューにデカデカと載っていたなぁと思いながら、「こういう脇役で腹を一杯にしては
あかんのや」と、食べるのもそこそこに、次に何が来るのが楽しみに待っていたのです。
しかし、それから待てども待てども他の皿は登場しなかったのです。

とうとうしびれを切らした私は、ガツガツ食べているだんなに、「他に何をオーダーしたん?」と
聞いてみますと、「えっ?こんで終わりや」という、人をナメた返事が帰って来たのです。
私は、エビ料理と鶏料理は絶対食べたい、と最初にいっておいたのに、それをオーダー
してやがらないのです。
「エビは?」聞きますと、「お前、あの水槽見たか?エビは全部水槽の底でひっくり返とったぞ」
というのです。「ほんなら鶏は?」と聞きますと、「売り切れやって」と平然と嘘をつくのです。
それから「このスープにはエビとかブタとかぎょうさん具が入ってるから、これでお腹いっぱいに
なるって」と、悲しいことをほざくのです。
確かにスープを3杯も4杯もおかわりしましたら、腹も膨れるでしょうが、折角レストランに来た
というのに、スープに前菜に茶碗蒸でお終いという、あまりに貧乏臭い発想に嫌気がさして
しまいました。
食道楽のだんなが欲しい。