今月の月刊チルドレン

かぎっ子

 

私は子供の頃、かぎっ子でありました。
学校から帰ると家には誰もおらず、自分で鍵を開けて家に入るやつです。
父は外で働いておりましたが、母は専業主婦なのに留守なことがよくありました。それがなぜだかおわかりですか?
ふふ〜ん、それは新興宗教の布教活動に忙しかったからなのです。

両親が宗教に走り出したのは、私が小学1年の時です。
理由は、ちょうどその頃、私がリンパ腺を腫らす病気になったからでしょうか?ばい菌が入ったからには違いないのですが原因ははっきりせず、わきの下のリンパ腺が腫れて手が挙がらなくなるほどで、学校を休んでちょっと遠い大学病院まで通院する日は朝から絶食だったので、病院の帰りに鉄火巻き(子供のころの大好物でした)を食べさせてもらえるのが、喜びでした。
宗教活動をはじめた理由はそれだけではないとは思いますが、入信した時期が病気の後なのは確かなので、原因不明の病気を治したいという思いもあったのかもしれません。

その宗教は大乗仏教なので、布教しなくてはいけなかったようです。
毎日とはいいませんが、平日は母が、土日になると両親揃ってご本尊にお参りや、布教しに行ってたようで家におらず、だんだん晩御飯が済んでからも出かけたりするようになりました。
とにかく宗教をはじめてから、両親が老いて布教パワーが失せるこの10数年ほど前までは、家族でどこかに行った記憶があまりないのです。お布施で余裕がなくなったのでしょうか、家族旅行もしなくなったし外食も滅多になく、その代わり姉が私を自転車に乗っけて、よくどこかに連れてくれました。

彼らは一体どこに布教に行ってたのでしょうか?
まずは親戚やご近所(これもかなり恥ずかしい)あたりだったようですが、私や姉のクラス名簿を見て布教しにも行ってたのです。おまけに「同級生のマムコンの母親です」などと名乗ってたようで、学校で「お前のお母さん、昨日うちに来たで」といわれるのはすごく恥ずかしくいやでした。
一度とならず「クラスの子の家には行かないで」とはいいましたが、「ご先祖様のため、あんたらのためやんか」という母の言い訳に、泣いて食ってかかれるようになったのは、中学くらいになってからです。

小学生のころ、私は嘘つきでたまに盗みなんかもしてましたが、困らせてやろうという反抗心だったのでしょうか、それとも親の関心を買いたいことの裏返しだったのでしょうか?
そういえば仮病も使いました。熱があるのをアピールするため、体温計をご飯の保温ジャーに差込みました。まさか破裂するとは!
水銀まみれのご飯はそっと裏庭に埋め、体温計を割ったことには触れず、母親には確か「ご飯全部食べた」と言い訳したと記憶してます。

しかし、かぎっ子も慣れてくると、それなりの楽しみがあったのです。
まず、高学年くらいになると学校帰りに友達をうちに呼んで、一緒にインスタントラーメンを作って食べたり、溶き卵にコーヒー粉を混ぜて焼いたり、色々へんな食べ物を開発して台所を荒らすのが非常に楽しかったのです。

タンスの引き出しの物色も面白かったですね。
うちは古い家なので、からくり家具などがありました。引き出しを抜いた横の壁(?)を引くと細い隠された引出しが出て来て、そこにへんな浮世絵の何かが隠されていたのを発見したときは、見てはいけない夫婦の歴史を垣間見た気がして、自分の胸にだけそっとしまっておこうと心に決めました。
それからもう何年も経ったころ、もう1度その引出しを開けたらば、ブツはなくなっておりました。ああ、布教しながらも・・・。

夜中までいないことも多くなってきたので、ちょっとエッチな番組が見られたのもメリットでした。この辺りは中学生になってた姉のリードで、♪しゃばだばしゃばだば〜の11PM火曜日や、ウイークエンダーの再現フィルムなんかをドキドキしながら見てました。
しかし、さすがに子供だったので、凶悪犯罪が起こり犯人逃亡中などという
ニュースを一人で見た夜は怖くてたまらず(青酸コーラ事件などは怖かったですね)、その頃うちのトイレは外にあったので、仕方が無く部屋の中でビニール袋にうんこをしたこともあります。
子供1人で、家に入って来たムカデ退治するのもこわごわやってましたが、逃すと余計に怖いので、持ち前の責任感から必ず仕留めてました。ドロボーも撃退したことがあります。

中学の頃になるとすっかり音楽を聴くことが慰みになっていたので、親がいない方が、夜レンタル屋に行けたり自由があって、返って嬉しかったのかもしれません。
高校になるとバイトを始めて自分の収入もできたので、ホント勝手ばかりしてました。この頃になると両親の布教パワーは減退し、干渉がこっちに回ってきましたが知ったこっちゃありません。
姉が親に真っ向から反抗していて、それでは損だと感じてたので要領のいい私は、影であまりよろしくないこともしましたが、まぁそれも良しとしよう。

今となっては、親の『宗教のめり込み』のおかげで色々考えさせられたりもしたので、これも私の人生不可欠なイベントだったと思っております。〆

トップに戻る