今月の月刊チルドレン

お古

 

うちも世間同様、毎年息子には当たり前のようにクリスマスプレゼントを買い与えているのですが、「この子は幸せ者やなぁ」とふと感じる時があります。
私は2人姉妹の次女ということで、なにかにつけて姉のお古を使わされ、またうちはクリスマスとか誕生日など行事に関心のない家庭でもあったので、プレゼントはねだって買ってもらった覚えはありますが、親の方から自発的に買ってくれたことはないようです。

うちの親は他の家の親に比べると相当変わり者だった気がします。
彼らの子供時代は戦時中・後なので、想像ですが「贅沢は敵」的観念が植え付けられていたのでしょうか。私には、かたくなに『お古』や家にあるものを使うよう強要していたように覚えています。おもちゃ類もほとんど買ってもらえませんでした。

私の子供時代は学用品なども華美になって来ていた時代で、小学校1年の時には「クーピーペンシル」という画期的な色鉛筆が出始めた頃で、クラスにもお道具箱の中にクーピーを持ってる子が少なからずおりまして、しかも36色揃いなどを持ってるすごい子もいたりして、持ってない子の羨望の的でした。
クーピーを買ってくれる親もいるのに、買ってくれない親もいる・・・それは不思議なことでした。

低学年では『お古』でも嫌な感情はあまりないのですが、高学年になると出しづらくなってきます、恥ずかしいのです。
一番覚えてるのは、裁縫道具セットを購入するか否かです。
親はもちろん、以前に姉のために購入したお古のセットを使え、といいました。
私はもちろん『お古』はセットの箱のデザインも違うので恥ずかしいし、だいたい姉には新品を買い与え、私には買わないのが腹立たしかった。いつもそうなのだ!
その時ばかりは「買って買って」と泣いて駄々をこね、見事にセットの箱は買ってくれました、中身は『お古』という妥協案でしたが。
中学校に入っても、もちろん制服、体操服は『お古』でした。途中でボロになったので、新しいのを買ってくれましたが。

中学の時のハイライトはテニスラケットでした。
軟式テニス部に所属していたのですが、新入生は入った時に安いラケットを一括購入するのです。そして2年になって上級生が引退したら、各自好きなデザインのラケットを購入して使うのがしきたりのようになっていました。
うちの親はもちろん1年の時に買った古いラケットをそのまま使え、といいます。皆買い換えるのに、私だけそんなこと嫌だ、恥ずかしくて部活に行けないと、この時は夕食も取らずに粘りに粘って買う許しが出ました。

今考えると、私は単なるわがまま娘のようにも思えないこともないですが、子供時代の物質的幸福は結構人間形成にモノをいう気もします。
子供のころ、当たり前にようにかわいい学用品を持てた子は、その後もクラスではメインストリームな存在、羨望の眼差しを受けるいいかえれば人気者で、そういう子供時代のポジションは社会に出てもさほど変わらない気がするのです。
反対に、私のように物質的に不遇な子供、特に他の兄弟と差別されていると感じている子供は、クラスでも社会でも地味で、性格的に執念深く、ひねくれてしまう可能性もあると思うのです。
これは一概にはいえませんが、自分や周りの幼馴染みを見て見ると、そう思うのです。

もちろん、新品を買い与えることを推奨しているのではありません。
ものを大事にしろと教えるのは大切だし大変なことだとも思います。
しかし、親はどうして子供にも「恥ずかしい」気持ちや、クラスの皆への対面があることをわかってくれないのでしょうか?お古の劣等感がわからないのでしょうか?
私が見栄っ張りだけなのでしょうか? 〆

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