今月の月間チルドレン

習い事

小学生の頃、クラスの子はたいていひとつかふたつ、習い事をしていました。
当時はお習字、公文式、ピアノ、そろばんがメジャーな習い事ベスト4だったと思います。今なら英語が人気なのでしょうか?
日本の事情はよくわかりませんが、ここ香港でも習い事はお盛んなようで、授業の補習や英語、北京語、ピアノ、バイオリン、バレエ、絵あたりをよく見かけます。また学校の宿題をさせてくれる補習もあるようで、これも一種の習い事でしょうか?

私も小学1年の時には、近所の集会所へ習字を習いに行かされていたのですが、入門してすぐの頃、半紙に書かれた縦書きの漢字「一、二」を「三」と読んでしまい、先生の小谷野千鶴子に皆へ聞こえるように「これ三やて!」と馬鹿にされたように言われたのが悔しくて、ほんとにすぐ辞めてしまいました。今でも覚えてるくらいですから、すごく悔しかったのですね。

それからもうひとつあります。幼稚園の頃はオルガンを習いに行っていて、小学生になると恐らく親の憧れだったのでしょうか、ピアノに鞍替えさせられました。これも近所の家に先生が来るので毎週習いに行っていたのですが、途中で場所が変わり、家からちょっと遠いところまで習いに行かなくてはならなくなりました。
ある日、学校は短縮授業で昼までだったのですが、ピアノはいつも夕方5時ごろ行ってたので、その日も決まりの時間に行くと、いきなり先生に怒られたのです。「短縮授業なんだからもっと早く来なさい」と。先生はずっと待っていたようなのです。
それからは行くのが嫌になってしまい、親とどのように交渉したのかは覚えてないのですが、近所の違う先生の所に通うことになりました。

その先生は難波という名前で「なんばてんまの高砂殿ね」とつまらない自己紹介をしました。そういうCMがあったのです。なぜどうでもいいことだけ覚えているのでしょう?
しかしながら、元々私はピアノを習うのが嫌いだったのです。全然楽しくなかったですし、ちっとも上手にもならなかったので、時には仮病を使ってズル休みし、渋々通っていました。
私はどちらかというと手先は不器用ですが、笛やハーモニカ、ピアニカなど吹いて強弱をつける楽器は非常にうまく、親の見極めが良くて、もしその道に進んでいれば宗次郎くらいになっていたかもしれません(うそ)。

そうこうするうちに、親が宗教にのめり込んだので子供への関心も半減したのか、習い事も行かなくていいようになりました。習字はすぐやめてしまい、そのせいでもないでしょうが字はものすごく下手なままですし、ピアノもバイエルの上下のみマスターしただけで終わってしまい、現在は全く弾けません。調律の狂った馬鹿でかいピアノだけ捨てるに捨てられず、実家の私の部屋にいつまでもあります。

好きこそ物の上手なれといいますが、賛成です。
好きでないと上達はしませんね。もちろん強制や先生に悪印象があるなんてもってのほかです。
自分が大人になってからわかったことですが、子供の時に『先生』と恐れ、
敬い、憧れた『先生』なんて、実はたいした人でもないのです。当たり前ですが普通の人で、ただ職業が先生なわけです。人を指導するに価しないような性格の人物もいるわけです。
親の役目としては、子供に「先生も普通の人間で、全能ではない」ということを教えてやり、そして愛するべきか愛さざるべきか選択する道を教えてやるのもも大事だと思うのです。
子供とはいえ、嫌な相手について習うなんて、これ以上の苦痛はありません。
子供は自分ではなかなか習い事を始めたりも止めたりもできないですし、性格や嗜好、行動から分析した親の見極めも重要ですね。

習い事は親のはかない夢のようなものでしょうか?
こういう習い事にいい思い出のない私でも、息子にはバレエを習わせてみようか・・・などと考えないでもありません。
自分の子供はきっと何かに抜きん出てるに違いないと見込んだ親ばか心でもあり、将来のために何か役立つ芸を身に付けさせたいという老婆心でもあり、息子のタイツ姿を見てみたい好奇心でもあります。
これは子供を私物化し支配しようとする危険な考えでありましょうか?
全くよくわかりません。〆

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