今月の月刊チルドレン

おしっこたれ

 

皆さんは学校や公衆の面前でおしっこを垂れたことがありますか?

おしっこを我慢しなければならない程辛いものはありません。排泄の粗相ほど羞恥の念にかられるものはないからでしょうか?
では何故うんこではなくおしっこなのか?
さて、皆さんはどうかわかりませんが、私にとってはうんこよりおしっこの方が断然我慢しにくいものなのです。
うんこは括約筋の活躍(しゃれをいってるのではありません)によって「ああ、もうだめだ!」と頭では思っても、なかなか最後の砦は崩れないものなのです。仮に砦が崩れてしまったとしても、よっぽど水様のものでない限り、人様には「あれ?何か臭いな」と思われることはあっても、なかなかその正体の何たるかを見破られることは少ないようです。
ところがおしっこは、これもあくまで私の場合ですが、限界まで我慢してとうとうチビってしまうと、2,3滴では済まないのです。堰を切ったように流れ出しててしまい、パンツはおろかズボン、スカートや靴、地面までも濡らしてしまう結果となり、出所は明白で「私じゃないよ」と白を切るわけにもいかないのです。

実は私はよっぽど我慢の栓がゆるいのか、小学校のみならず、中学高校、専門学校時代でも人様の前でおしっこを垂れてしまったことがあるのです。
どうして漏らす前にトイレに行けないのでしょうか?考えてみるとそれは私の性格のせいでありました。
私は昔から地味な存在でありまして、まぁそれは自ら望んだポジションというよりも性格ゆえに地味になっていったのではありますが、とにかく子供の時から人の注目を浴びるのが非常に恥ずかしく、人前での発言など緊張してしまい上手にできない子供だったのです。学校でのみならず、恥ずかしくて露店のたこ焼きすら買えない子供だったのです。まして嘲笑されることなどは絶え難く、それが数々の悲劇を生んだのではありますが。

小学校低学年ではおしっこ垂れはクラスに必ずやいたので、さほど珍しいことでもなかったのですが、漏らしたのがバレたら笑い者には変わりありません。こういうことがありました。
それは小学一年の体育の授業中だったのですが、私は病気で見学していたのです。
校舎の出入り口のコンクリートの部分に何人かの見学の子達と一緒に座り、授業を眺めていたのですが、「先生、おしっこ」といい出せず、座ったままおしっこを漏らしてしまったのです。座ってるコンクリートの部分にもお尻サイズでおしっこが染みてしまい、すぐそばに座っている他の見学の子にバレたら恥ずかしいので立つにも立てなくなったしまいました。
「どうしよう・・・」、ずっとそんなことを考えていたように思いますが、ちょうど授業の終わりの集合がかかり、見学の子達が立ち上がってから私も集合しに行ったので、染みには気付かれずに済みました。もちろん先生におしっこを漏らしたともいえないので、そのままの服で一日を過ごしたのです。臭かったに違いありません。

中学一年の時は、2時間目の国語で三井という先生の授業中でした。
この時のことはとても鮮明に覚えています。
その日は冬の寒い日で、授業時間がやっと半ばという頃に、もうおしっこに行きたくなってしまったのです。もはや授業など身に入りません。先生にいおうか、いっそ黙って出て行こうか色々思案したのですが、クラスの注目になることには変わりなく、笑い者になるかもしれない、それを思うと言い出せなかったのです。時計を睨みながら休憩時間までをずっとカウントダウンしていたのですが、休憩時間まで後10分という頃、とうとうチビってしまい、それで気が抜けてしまった私は一気に半分ほど漏らしてしまったのです。
おしっこは足を伝って床にまで漏れてしまい、もうおしまいだと思いました。
しかし、こういう土壇場の時、私は結構強運なのでしょうか?
ちょうど私の席は1人だけ飛び出て一番後ろだったのです。しかも椅子の下方のパイプには、掃除の雑巾が2枚かけてあったのです。私は後半分のおしっこを我慢しながらも、体を斜めにずらして、椅子の下に手をやり、雑巾止めの洗濯ばさみを外し、雑巾を床に落としたのです。そして足を巧みに操作して、おしっこ溜まりを拭き取ったのです。
そして休憩時間になるとすぐトイレに行き、その後何食わぬ顔で友人グループの談笑に加わりました。そしてパンツもスカートも濡れたまま一日を過ごしましたが、誰にも知られることはありませんでした。それに午後になるころには体温で結構乾いていたのです。臭かったには違いありませんが。

高校の時は授業中ではなかったのですが、学校の帰りに友人2人とコンビニ前でしゃべり呆けてる最中、またもや足を伝うくらい派手に漏らしてしまいました。
この頃の私は、相変わらず地味ではありましたが、やや道化に走っておりましたので、笑い者になるのもそんなに苦痛ではありませんでした。
この時もずっとトイレには行きたかったのですが、恥ずかしくていい出せないというよりは、会話が盛り上がって全然途切れないので、話の腰を折るのが申し訳なくてチャンスを逃していたのです。

そして専門学校の時は少し訳が違うのです。
この時はクラスの忘年会でかなり酔っ払っていたと思います。
会の最後に皆で記念撮影をしようということになったのですが、なかなか皆ふざけてまとまりません。私この時は酔っ払いの勢いで「先トイレ行かせてくれ」といえたのですが、皆「すぐ撮るから」「ちょっと待ちぃや」と行かせてくれないのです。
写真を一枚撮り、2枚撮り、ぐずぐずしてるうちにとうとう居酒屋の座敷で粗相してしまいましたが、酔っ払いだったので「おしっこ漏れた、漏れた」と自分でいいふらしながら、羞恥心は全くありませんでした。私より周りのクラスメートの方が「大丈夫やで、大丈夫やからな」といいながらも動揺していたようです。
そして次の日学校に行き、前日の醜態を詫びるとともに「私おしっこ漏らしたやんなぁ?」と聞くと、クラスメートはなんと心優しい人達なのでしょうか、皆口裏を合わせたように「いや、知らんで」「えっ?そうか?」とすっとぼけてくれたのでした。

さすがに大人になってからは、全開で漏らしてしまうことはありませんが、
相変わらずチビってはしまいます。
私の場合、おしっこの我慢できる時間の測量(?)が甘いといいましょうか、はたまた自己の我慢能力を過信しているのかようで、おしっこの第一波が来て「まだ大丈夫」と思っても、すぐ予想外に大きな第二波が来てしまい、焦る結果となるのです。
次に問題なのはこの年になってもやはり「おしっこ」といい出しにくいということです。これは家族で出かけていても同じことで、おしっこしたい時に限って、すぐ電車バスが来たり、会話がたけなわだったりして、ついタイミングを逃してしまうのです。
最後にこれも精神的なものかもしれないですが、ずっと我慢して家路を急ぎ、やっと家の門が見えた瞬間や、トイレのドアを開けた瞬間につい、ホッとしてしまい、パンツを下ろす前にチビってしまうことも多いようです。

おしっこたれごときで己の精神力の弱さを浮き彫りにされてしまい、ちょっと情けない気がしてきました。〆

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